はてなキーワード: ひみつシリーズとは
家を出てすぐのところに貸本屋があり、中の棚を眺めることはなかったけれど、店頭で売っていた『小学〇年生』をいつもここで買っていた。
駅前には3~4階建ての大きな本屋があり、一番お世話になった。電車通学をするようになってからは毎日のように通った。
2階に児童書とコミックス、3階に学習参考書が並んでいた気がするが、1階の文庫本コーナーの前に立って、勝手に大人の仲間入りをした気分になるのが好きだった。
商店街の入り口にもワンフロアの結構大きな本屋があった。学研のひみつシリーズはここで買った。
コロコロコミックスを買って帰った時は、親に「返してきなさい」と怒られ、本屋さんにも申し訳ないことをした。
商店街の脇道にも小さな本屋があって、ちょっとサブカル寄りの品揃えだった。中高生になって親のチェックが入らなくなると、ここでよく雑誌を買った。
商店街を抜けた先にも本屋があったけど、そこまで足を延ばすことは殆どなかった。
思い出の本屋はもう1軒も残っていない。
今住んでいる街には、まだ2軒の本屋が残っている。
小学生の子供も本屋が大好きで、連れて行くと「もうそろそろ帰ろう」と声をかけるまで、いつまでも立ち読みしている。
帰りには必ず何か1冊以上買ってあげる。
元増田です
これ以上詳しく書くと本当に特定されそうですが、みなさんからたくさんのご意見ご感想をいただいたので追記をしようと思います
先日も書きましたが、「司書教諭」は教員です。ピアノが弾ける先生や外国人教師と英会話ができる先生がいるように、先生方の中には司書教諭資格を持っている教員がいます。みなさんのイメージする「司書の先生」はこの司書教諭ではありませんが、場合によっては図書館の運営に深く関わります。私の学校の司書教諭はとても忙しくあまり一緒に仕事をする機会はありませんが、私が作った図書館のおたよりの添削や購入本の精査などをしていただいています
私がおたよりに「○○小学校に新しい本がやってきたよ!読んでみてね!」と書くと赤ペンで「新しい本を購入しました。ぜひ読んでください」と直されます
購入する本を選ぶ際も、うちは図書費が少ないので、購入する本は学習に使える本が最優先、絵本や小説は二の次で、それらを買う際も挿絵が今時っぽくない、ためになるような本を選ぶこと、という感じのことをよく言われます
子どもたちや先生は「校庭の畑に野菜を植えるので、授業で野菜について調べることになりました。野菜の本を貸してください」「自由研究に使える本はありませんか?」「慣用句が書いてある本はないですか」といった風に相談に来ることが多いのでそんな時に対応できる本を揃える必要があります。娯楽のための本を購入する余裕はあまりありません
ただ、他の学校の司書さんからは「クラゲの図鑑とキノコの図鑑と虫のうんこの本、面白そうだから買っちゃった!」という話を聞いたことがあり、選書については予算の都合だとか校長教頭、司書教諭の先生との関係にかなり左右されると思います
教育委員会に喧嘩を売れば好きな本を買えるのかもしれませんが何分非コミュの文化系なのでそこまでする気力と体力はないです
私が小学生の時は図書館でゾロリ、○○のひみつシリーズ、怖い話の本、恐竜図鑑、精霊の守り人シリーズ、シートン動物記、あらしのよるにシリーズ、はやみねかおる作品などを読んでいました
貸し出しはできませんでしたが名探偵コナンやらんま1/2などの漫画本もあり自由に読むことができました
中学校では主に星新一を読み漁っていましたが図書館にはキノの旅やアリソン、バトルロワイヤル、小説版金田一少年の事件簿、小説版鋼の錬金術師、当時はまだ完結していませんでしたが既刊分のNo.6などが置いてあった記憶があります
時代だったのでしょうか。出身小中学校の図書館が今どうなっているかは知りません
私が赴任した小学校には守り人シリーズが最初の1巻しかなく、大変寂しく思ったので購入しました。読書好きな高学年の子がたびたび借りてくれています。私自身は別にゾロリでも何でも読めばいいと思いますがそういった考えを公にすると意識が低いとみなされるのであまり大声では言えません
ささやかな抵抗として、集英社の学習漫画日本の歴史シリーズ(表紙絵が荒木飛呂彦さんの聖徳太子で一時期話題になったあれ)を、漫画であることを隠してお堅い歴史本であるかのように見せかけ購入希望を出し、司書教諭の検閲をかいくぐって購入しました
また、「漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚なファンタジー小説を借りようとする」件について補足ですが
カタカナも読めない、というのは学年や年齢ではなく個人にかかっています
決めつけているのではなく本当に読めないのです
図書館に来るのは読書好きな子や教室に居場所がない子とは限りません
暖房目当てでたむろしに来る子、読書も国語も大の苦手だけど虫や乗り物の写真が見たいから来る子、学校内で堂々と漫画(ブラックジャック)が読める場所だから来る子、雨が降っていて外で遊べないから仕方なくきた子、貸し出し冊数を自慢したくて借りては読みもせずに返し借りては返しを繰り返す子、担任に本を借りろと言われて嫌々来た子、さまざまな子がやってきます
本当に読めないし読む気もないのにキラキラしてかっこいいから借りて自分のランドセルの中に入れたいという理由で借りることがあります
貸し出すことの是非は一旦置いておいてそういう子もいるんです
今まで何度か業種を伏せて上司との軋轢等をはてな匿名ダイアリーで愚痴らせてもらいましたが、そのたびにぽつぽつと励ましのトラバやブコメをいただいています。今回、私に対して「辞めちまえ」「今すぐ首を吊って死ね」「殴り殺してやりたい」と思った方の中にも過去私にあたたかいトラバやブコメをくださった方がいらっしゃると思います。その節はありがとうございました
司書に幻滅した、がっかりしたとのトラバもいくつかありましたが
予算の潤沢なところは魅力的な絵本や小説が山ほどあり、複本も多く用意されており図鑑も何でも借り放題でこういった禁則事項は少ないと思います
元増田で列挙した実例は「別の学校の司書」「司書教諭」「司書教諭ではない先生」の発言が混ざっています。すべてが司書の発言ではないです
私は小学生の時からずっと司書になりたくて、その夢は無事に叶ったのですが、最近本当に頭がおかしくなりそうです
皆様に言わせるともうおかしくなっているのかもしれませんが
小学生『10歳までに読みたい名作シリーズの本が読みたくて図書室に行ったら先生に断られた』→その理由『あなたは11歳だからダメ』
https://togetter.com/li/1191269
ざっくりと説明
学校司書:学校で司書をしている人。基本司書資格を持っている人が採用になりますが必須ではないので持っていなくても場合によっては採用になります。配属先は選べないので公共図書館で勤務したかったのに小学校に配属になってこんなはずじゃなかったという思いをしている人もいるかも
司書教諭:教員かつ司書教諭の資格を持っている人。学校司書のサポート役だったり、他の先生と学校司書の橋渡し役等をしてくれる先生、のはずですが担任を持っていたりすると忙しくて図書館の業務に全然関われないという場合も……
その他、地域によっては司書資格も何もないボランティアの方が司書の代わりをしているという話を聞きます
ツイート元の方の言う学校の司書がどれに該当するかによって話が少し変わってきそうです
または「この本は購入しない」「この本は戸棚の中や倉庫に隠す」というのはウチの学校や他の学校でもあります
フェイクのためどれが自校でどれが他校の話かは伏せさせてもらいます
また、それらのルールについては司書の意思の他に「司書教諭の命で仕方なく実行している」「学校の方針」「前々々々任の司書が決めたルールで、変える機会がなくずっと続いている」などさまざまなケースがあります
・図鑑、百科事典は貸し出し禁止。これらの本は授業で使う機会が定期的にあり、いざという時図書館にないと困るから。また、飛び出す絵本など貸し出ししたら即ボロボロに破壊されそうな本も貸し出し禁止。禁帯出マークの赤いシールを貼って見分けられるようにしている。
・本は3冊借りることができるが、かいけつゾロリのみ例外で1冊までしか借りられない。子どもたちには「ゾロリはとても人気だから、1人が1冊までなのよ」と説明しているが本当は「字が大きくて漫画じみて幼稚な内容のゾロリはあまり借りて欲しくないから」。ゾロリを一斉に廃棄処分にして0冊にした学校も
・強制ではないが、高学年はあまりゾロリは借りないようにすること。6年生にもなってゾロリばかり読んでいるなんて恥ずかしいから。低学年向けの絵本や○○のひみつシリーズもなるべく借りてほしくない
・あさのあつこのNo.6は教科書に紹介されているのだが、だんだんBL描写が激しくなっていくので購入するのは1巻のみ。公共図書館から取り寄せたいという時だけ対応する(自校の図書館にない本を公共図書館にリクエストして配達してもらうというシステムがある)
・公共図書館から取り寄せてほしいとリクエストがあった本でも、漫画のノベライズ版、オカルト本などこれはちょっと……というものは「こういうのは駄目よ」「近場の公共図書館になくて……(嘘)」などと言って諦めてもらう
・保健体育系の本は、性器などの写真がモロに載っていてそれを見て騒ぐ子がいるので普段は戸棚の中に隠していて、勉強で必要になった時だけ出す。何回注意してもやめない、もし一人が注意を受け入れて騒ぐのをやめても別の子が騒いでまたその子を何回も注意して……と大変疲れるので隠した方が早いし楽
・「表紙がキラキラしててかっこいい!」「表紙にドラゴンが載っててかっけー!」などの理由で、漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚なファンタジー小説を借りようとすることがあるが「借りても全然読めないでしょ」と説得して貸し出しをやめさせる
思い出せないだけでもっとあるかもしれませんがこんな感じです
低学年向けに購入した新しい本を高学年が いの一番にごっそり借りていくと、うーん……とは思いますが口には出さないですね
あと、1年生から6年生まで各学年向けの本を並べたコーナーを作っていますが自分の学年じゃない本を借りてもOKです
今回、ツイート主の親戚の子が年齢を理由に貸し出しを禁止された本は
「赤毛のアン」「西遊記」など児童書としてはド定番の作品ばかりで
学研が出版している「10歳までに読みたい世界名作名探偵シャーロック・ホームズ」は11歳になったら借りちゃ駄目だけど
講談社が出してる青い鳥文庫の「新装版名探偵ホームズ」はOK!みたいな感じになってるんでしょうか
大なり小なりどこもローカルルールがあると思うので「誰でもどんな本を好きなだけ借りられるようにするべき!反対するなら教育委員会に言いつけるぞ!!」という流れになるのはちょっと困りますがさすがに今回は理不尽すぎるので炎上もやむなし
とか書いてる間に追記を読みましたがそんなギチギチにルールのある図書館なのに他の先生が把握してないって色んな意味で問題ですね
私の周りだと司書の立場が弱すぎて先生たちにNOと言えなくて……という悩みは山ほど出てくるんですが司書が独裁国家築いてるパターンとは
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。