はてなキーワード: 自動ドアとは
朝からのひどい低気圧に負けてしまい、カーテンを開けるよりも早く会社に休みの電話を入れた。
朦朧とした意識の中で、パタパタと弾ける水の音を聞いた気がしたから、おそらく外は雨だったのだろう。
浅い夢の淵で頭痛を抱えて行ったり来たりしてるうちに、この時間になった。
寝ている間に部屋の空気を吸い尽くしてしまったような不快感が取れない。
たまらず窓を開けたところ、雨上がりの湿った空気に乗ってどこかからパン屋の匂いがした。
駅前の商店街までは距離があるが、きっとそこから漂ってきたんだろう。
ボロボロのテントに動きの悪い自動ドアがついていて、並んでるパンもどこか煤けた感じのする街のパン屋さん。
そんなパン屋さんでも毎日ちゃんとパンを焼いていて、こんな雨上がりの日は私の家まで匂いまで届けてくれるのだ。
そんなことを考えながらしばらく空気を入れ替えていると、幾分頭痛もマシになってきた気がする。
窓の外からは遠くの工事現場の重機の音と、餌を探してせわしなく鳴くスズメの声がする。パンの匂いもまだちゃんと届いている。
どんな形のパンを焼いているのだろう。
以前、『母親に結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本の保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。
日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。
母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。
体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。
先週の金曜日までは。
抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。
先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。
取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医や外科医が到着。
通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずにCT撮影。
小腸か大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。
通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者の協議がつづく。
主治医(産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医と内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養を補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。
(なお、ここまでは姉からの伝聞)
そして今日。
CT診断を経て主治医、放射線医、外科医、内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。
ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。
準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?
いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。
いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。
母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。
スタッフ・ステーション(最近は、ナース・ステーションとは言わないらしい)横の病室から、エレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。
患部の状態を確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的な処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアがあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。
何事!!!
本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。
手術衣を来た外科医(協議で議論をリードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。
どういうことか?
ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ。
医師の説明するところでは、現在の薬を使っている場合、最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。
もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。
腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。
実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話に対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。
「ここまで来ていただいて、まことに申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。
一緒に聞いていた母の心中は分らない。
手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。
もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医の説明を、母と姉と共に聞く。
「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科と内科の判断に従わざるを得ない。
『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。
まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養を補給し、しばらく様子をみる。
何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。
もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物も飲み物もとれませんが云々」
といった説明があった。
やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。
その瞬間、「来たな」と思った。
なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。
それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。
「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。
現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、
新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。
だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。
普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合の症例というのも多くないのです。
なにが起こっても不思議はない。」
「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。
このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」
そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。
曰く
「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」
さて、ここで問題だ。
母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである。
実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。
そして、今の母は、そういう状態にない。
考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。
それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。
突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。
この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから、明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分の結論となった。
とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。
明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか。
6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。
あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。
もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか。
誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。
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http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
http://anond.hatelabo.jp/20170202032911
http://anond.hatelabo.jp/20170202081638
年齢は38ぐらいなはず。(自分が小学校2年のころ6年生だった)
元々は名古屋でと産業用機器の中核ソフトウエアを開発するエンジニアをやっていたらしいが、ある日母親が脳卒中で倒れ、少しの間は親父さんが介護していたらしいのだがその親父さんも介護疲れか調子が悪くなったとか、東日本大震災をみて思うところがあったとかで、親の介護のために田舎に帰ってきた。仕事は手を切らず元の会社とは契約社員という形でリモートワークで仕事も一緒に持って来た。
それがたぶんちょうど6年ぐらい前の話。
その後、請負開発を法人化、人も常勤で1人雇って、リモートワークで何人か抱えて、自営業の社長となっている。年収は聞いたことがないのだが、税金や介護費の自己負担金額が話題になることがあって、、その話から逆算すると、各種控除が済んだ後の住民税計算根拠になる課税対象が800万円以上はあるはず。すると額面で一千万ぐらいじゃないかと思う。
それがきちゃった結婚した。
普段の見かけは俺と同じただのキモデブクソアニオタなのに。なぜメガネっ娘美人と知り合えたのか。爆発しろ
今は2児の父。
なお本件はフェイクは混ぜていない。キーワードでググるとどや顔で写っているインタビューすら発掘されるはずだ。
奴は俺の事をはてなーだと気付いてないはずだが、奴はブログもやっているガチのはてなーである。 末永く爆発しろよばーか 参考になる人がいるはずだからこれをみても笑って許してください。
土地は元々たっていた庭付きの家を取り壊して、介護対応住宅を建てた。
一階は参考にと隅々まで見せてもらったが、2階は彼の部屋しか入った事が無い。一階は5部屋あった。外観から見て総二階なので下手すると9LDKとかになる。
介護対応の専用トイレがついためっちゃ日当たりのいい両親の部屋と、それに続くリハビリルーム。車いすOKどころか、歩く人と車いすが軽くすれ違える広くまっすぐな廊下。施設か。人が乗っても楽勝の手すり。施設かよ。車いすで入ってその場で転回できる、俺の部屋より広い巨大なトイレ。施設なの?施設で風呂入れてもらってんのに何故か無駄にでかい風呂。エロゲかよ。
ヒートショック防止だそうで全館冷暖房。エレベーターは当然、両親の部屋は自動ドアワロタ。一般住宅でナースコールが設置されているの初めて見た。
当然彼の部屋には作り付けの本棚が壁一面にあって、本にアニメにフィギュアが並ぶという、オタクの夢過ぎる。
これでいくらかと聞いたら建具家具家電まで入れて4000万円だそうだ。土地は入っていないが、5LDKの土地建物で1700万円ぐらいから分譲住宅があるような土地なのでそれを入れても5000万にはならんのじゃないのか。
これ以外に、近くの酒屋跡を買い取って社屋としている。悔しいのでいくらで買ったは聞いていない。確かに仕事用の部屋があるが、オタグッズがつまっている部屋があることを知っている。
ただ上記の通り、住民税課税の基準になる世帯年収は800万以上あるのは確かである。
行ったと言う話は聞いたことがない。
子どもが小さく介護もあるダブルケア状態のため、家族旅行という訳にはいかないらしい。
ただし、「相方と知り合ったのはfripSideコンサート」という、酒が入ると何度もしてくるクソのろけから分かるように、その手のイベントにはよく言っていて自慢される。
今度合ったら先日のアイマスのコンサートの話をされることだろう。世の中の不公平さにくらくらする。許せない。革命しかない。富の再配分としてお土産くれたら許す。
当然自動車がないと暮らしていけない土地。軽自動車2台(ホンダのN-BOXと最近買ったオレンジ色のスズキハスラー)とプリウス。ただしプリウスは社用車らしい。
しかしどうみても私用で使いまくっている。脱税である。しかし、N-BOXは車いす仕様車であり、自分も貸してもらったりしているため許す。
レストランとかに食事に行っているのかなどはしらないしが、いつも自分と飲むときはそれほど高い店を使わないのでそこに拘りはないと思う。もしここでそこはお前のレベルに合わせてるんだろ等と言う根拠がない誹謗中傷をする奴がいたら訴訟も辞さない。
服とかは基本しまむら。しまむらの良い所は介護用の前開き下着などがちゃんとしまむら標準レートの割引価格で販売されているところだよね、と言うところで奥さんと情報交換した。
ただし奴の部屋にも仕事部屋にも社屋の二階にも大量にアニメグッズが置いてあり、相当金を使っている物と思われる。業者か。
ある等身大フィギュアはコイツが一体持っています。 めぐみがヤフオクでたたき売られているのをみて忍びなかった 、マンマシンインターフェイスを客観的に検証・研究するために購入した等と意味の分からない供述をしており、動機は不明。
貯金はあるかはしらないが、ないに違いない。
年収1千万あれば田舎では確かに土地が高い都会では考えられないような豪邸がたち、趣味も充実し、美人の奥さんと知り合うことが出来、贅沢ができるように見えるが、こんな生活がいつまでも続くわけがないのであいつはいつか滅ぶ。
彼と再会したのは、自分が小さい頃、地域の寄り合いで中が良かった自分の母親と彼の母親が同じデイケアセンタで再会し、再び仲良くさせてもらったところになる。
そこで、自分の母親を気分転換にどこかに連れて行ってやりたいと思っていたが俺には介護が必要な母親を乗せられる車がなく、N-BOXの車いす仕様車を貸してもらったことがきっかけで仲良くさせてもらっている。彼のN-BOXは自分以外にも貸してもらっている人は多い。田舎のレンタカー屋には福祉自動車はない。その他のいろいろも、正直、尊敬している。
一方の俺だが(フェイクを混ぜているので、あ、あいつのことだ、などと心当たりがあってもそれは間違いである)、年収は額面で280万円。家は親の持ち家で築30年(ただし改装はした。400万ちょいかかったが親父の蓄えで賄った)
一度外に出たが母親が倒れ、親父だけでは介護は無理だと判断して退職し帰郷した。帰郷前はもう少し年収はあった。
ただし、世帯収入としては両親の年金があり、これを介護のために使っているので、収入は苦しくない…といえば嘘になるが、言うほどではない。
貯金も自分だけで年収の2倍を目安に貯めてある他、積立型の民間年金保険にも入っている。
贅沢な生活は出来ないかもしれないけど、選ぶものを選べば苦しいと感じたことは一度もない。
人を呼ぶと家に物が少ないと驚かれることはある。でもミニマリストではない。
では何が違うかというと、それは選択肢だと思う。
恐らく年収280万の俺の場合、新たに家を建てると言う選択肢はなく(必要ないのもあるが)、両親の家を使うことになる。(介護用の住宅改修と一緒に耐震補強はした)介護費用を冷静に考えると、この分がもしなければ、当地では十分に結婚して子育てできるだけの費用は捻出できるだろう。職業の選択しも広がるし。
しかし、例えば目黒に家を建てるのがいいのか、埼玉に分譲マンションを買うのがいいのか、はては田舎に巨大な家を建てて親孝行するか、子どもは私立に入れるのか公立がいいのか、といった選べる余地はない。この年収では東京では暮らすことすらままならないのではないか。
さらに元となったフィナンシャルプランナーの話も混ぜて、そういう多様な選択のなかで、理想的にぶち上げられているいいとこ取り(都心に持ち家を持ちながら、田舎の豪邸のような暮らしをするのは無理だ)はできないと言う点で、それぞれ一貫しているのではないか。
正直、俺から見るとどいつもこいつも贅沢な悩みしやがってと言う気がしている。金持ちには金持ちの理屈があるのだと思うが、そうやって選べることそのものが幸せだということも覚えておいて欲しい。
とは言っても、別に選べなくても今にそれなりに満足している人はいるだろうから、それをどっちがいいだの、資産価値が下がるからお前はアホだのいうのはやめよう。
つまり、どっちがいいとかわるいとか不毛な話ではなく、選択としてみんな自分の事情を増田に書こうぜ。それをみんなで批判するんじゃなくて、はーなるほどと呼んで、自分の生活に生かそうぜ。
深夜2時。田舎のドンキホーテで俺は微分積分の公式をぶつぶつと唱えながら、カラコン売り場周辺を歩く。
バカみたいにでかい不自然な色合いのカラーコンタクト。派手な見た目の金髪ギャルがカラコンを一瞥し、バッコンバッコンとカラコンをほおりこんでいく。
ドンドンドン、ドンキ、ドンキ、ホーテー、とあの音楽が流れる。
安っぽい。また、少ししたら半額になるんだろうな、と思った。
深夜2時の田舎のドンキホーテで微分積分の公式を唱えると観客がバタバタと悲鳴をあげながら死んでいく。
そんな妄想を昔なんとなく思いついて、小難しい公式を覚えてるだけ口にしながら歩いていた。
情報強者の俺は、simロックをこじ開けたMVNO携帯を使いながら、スマートニュースでサッと今夜のニュースを巡る。巡る。
情報の上を指がなぞる。あるいは、情報によって指が動かされている。どっちでもいい。同じことだ。
バカそうな見た目のヤンキー。オナガのように襟足を伸ばしている。
「金がねーわw!」とやたらとバカでかい声でクリスマスコーナーの衣装を物色しながら、時折iphoneをいじる。
金が無いなら、そんなモン買わなきゃいいのに。
金が無いなら、MVNOにすればいいのに。
そんな意地の悪いことを、なんとなく、思う。
バカなヤンキーを一瞥し、またスマホに目を落とす。最新のニュースに思いをめぐらせる。
欧米に比べて日本は仕事に対する異常さが蔓延している。病的だと思う。
サッと検索をかけ、事件の背景や詳細を知るためにデータを集める。考察する。
ふーん、なるほど。面白い。後でツイッターにつぶやいておこう、と予約投稿しておく。
ヘアカラー剤売り場では、やたらとブリーチ剤だけが売れている。
なんなんだコイツらは、カラスの脱色でもしてんのか?それともスーパーサイヤ人か。
30歳くらいのピアス穴を開けたヤンキーがブリーチ剤を3つカゴにほおりこんだ。
粗悪な品。割高な電化製品。インスタントな、チープな商品が立ち並ぶ。
価格コムで買ったほうが安い。
知らない、という事は不幸なことだ。
この世には、もっと上質な物も、安くてよい者も、効率のいい方法があふれている。
知れば。知ろうとする態度があれば、コスパを考えれば、色んな方法があるのを彼らは知ってるのだろうか。
酒やタバコだけじゃない。もっと、難解であるからこそ知的好奇心をゆさぶられる者がたくさんあるというのに。
俺は自分の事に思いをめぐらす。
田舎の、低学歴な、貧困な家庭から、世界からやっと完全に脱出できる。
結果が出るまで長かった。長かった。
訪れることもあるだろうけど、別の世界にいけるのだ。待ち遠しい。
知るという事は、大切なことだ。
ニュースの通知が入る。SMAP解散についてだ。どうでもいい。興味ない。
サッとスワイプしてニュースを振り払う。誰かの書いた情報がこの店内に舞っていく妄想をした。
いんたぁ、ねっと。
こいつがいなければ。知らなければ、俺はあの世界にいたままだっただろう。
「知る。」
この一点だけだ。この一点が、情報の操り方が、人生の舵取りを大きく左右するのだ。
会いたくて、会いたくて震える~
懐かしい曲が。ふと耳に入る。西野カナだ。あの震えるやつ。
「最近見ないよねー、何やってんだろ。」
「えー、マジ?」
カラコン売り場で見たギャルが、ツレの女と歩きながらレジまで向かう。
「ドンキで西野カナ好き、ってなんかめちゃめちゃわかりやすいな。」と、思った。
「西野カナって、ああいう人たちにとっては、難解な比喩とかより、ストレートに歌われたほうがわかり易いんだろうな。」そんな事を考える。
そう思うと、メディアで「西野カナのバッシング」がおきるようになったのは、情報化が進んだ側面だな、と発見する。
おそらくスマホやメディアの普及がなければTVでそんな事は言われなかっただろうな。小さな考察。小さな発見。
20代っぽいけど派手だし、お水系かな。
やっぱ、そういう世界で生きてきたのかな。
ギャルたちの会話に耳を傾け続ける。
「うん、ぜったいいくねー!」
かわいいっぽいし、失敗しても結婚すればいいから、いいよなぁ。
俺は、そういえば何を目指してたんだっけ。
あの例のペンギンと目があう。
ピッ、ピッ、レジの音が何かの鼓動のように響いている。
ペンギン。あ、思い出した。
ペンギンだ。ペンギンの飼育員になりたかったんだ。そういえば。
ペンギン大好きだったんだよな。小学生のとき。ペンギンの飼育員さんになろうと思ってたんだった。
ペンギン好きだったな。そういえば。
「○○円っす、に、なりまっーす 、あざーっす」
金髪の店員のレジの声が近づいてくる。ちゃんと発音しろ、と思った。
ピッ。ピッ。レジの音が近づいてくる。これ、ペンギンの鳴き声にしたらかわいいかも。と思った。
でも、公務員よりいいかな。年収だって、かなり貰えるし。モテるかな。
ブーッ、ブーッ
携帯が振動する。Face bookの通知だった。友達がシェアした事についての通知。どうでもいい。通知が多すぎる。
今度設定変えて切らなきゃな。
俺、これでよかったのかな。
ペンギンの飼育員。ならなかった。趣味でやってた音楽。やめちゃったな。
書きかけた漫画。作りかけの絵。to doリストに入れる必要の無いことたち。
もう、会わないんだろうな。当たり前か。
けれど、
いつから、いつから、自分自身の話をすることが減ったのだろう。
ブーッ、ブーッ。
またface bookの通知だ。しつこい。
たくさん、たくさん色んな世界を知った。コスパ。要領のいい、ベターを選び続けた。
知ることで。コスパを選ぶことで、本当に大事な何かが消えてしまった気がする。
知ることで、考えることで、自分の夢や希望を自ら打ち砕いてしまった気がする。
ニュースも、face bookの通知も、俺には関係ないのに。
どんなカラコンを買おうが、どんな安っぽいコスプレをしようが。
関係ないのに。関係ないのに。そういえば、コスプレとか、そういう仮装。したこと無いな。俺。
「いらっしゃす、っす、っす。円になりっすー、」
俺の番だった。ちゃんと発音してくれ。
何十年後とかも、ドンキホーテ来るのかな。
たぶん来るだろう。大金もちになれるわけでもあるまいし、金持ちだってドンキ使うだろうし。
たぶん大丈夫。これで、これでよかったんだ。
よくあることが昨日もあったんだけど、
ダイエットをしようと思っていて(いまは小休止中)、糖質制限を始める前にラーメン二郎に食べ納めに行った。
これまで二郎に行った回数は片手で数えられるくらいで行く度に普通のラーメンしか食べないと心に誓うのだけど、
昨日は腹が減り過ぎて気づいたら肉ラーメンってボタンを押してた。こういうあとから後悔するってわかってることを毎回やってしまう。
チャーシューもいつもよりうまかったし、汗をかきながら完食してふらっと近くのTSUTAYAに行った。
お目当ての漫画最新作のレンタルは品切れで(先週くらいから毎日チェックしてる)、ちょっと暇だし気になってたDVDでも借りて帰るかと思って作品を選び始めた。
ニンニクヤサイアブラがたっぷり詰まった僕の胃袋がその悪魔の食べ物を消化しようと必死にしている頃だった。
お目当ての作品は新作ではないはずだけど、準新作かもしれないと思って一作借りるよりも5作借りた方がお得だっていう判断をそこでして(TSUTAYAは5作借りると1,000円)、
お目当て以外の物色も始めた。どうせなら外れも借りたくないし、自宅のAmazonプライムビデオで無料で見ることのできる作品も借りたくはない。
このあたりで屁が止まらなくなってた。ぶりぶりぶりぶりぶり。
熟考しながら3つ作品を選んだ頃には大腸あたりにお客が待ってたし、屁も相変わらず止まらないしでむしろそれを推進力にSFのコーナーとアクションのコーナーをいったり来たりしてた。
これは本格的にまずいなと思いながら、残り2作品を選ぶ猶予は残されているかどうか、ここで肛門の栓を開放するリスクはいかほどのものか、両者を天秤にかけながら最寄りの用の足せる個室を脳内で検索していた。
3作品借りても4作品借りても1,000円、「ええいならばもはや適当でよろしい!」と目についた名作っぽい作品をちょいちょいと選んでレジに行こうとしたら手元にDVDが6つある。
朦朧としながら内の1つを棚に戻しレジに向かう。幸いレジは空いていてすぐに会計ができたけど、カードを読み取る方向を間違ったり、レシートをきちんと折りたたもうとする店員に心の中で悪態を付きながら、
なんと頑張って5作品も選ぶ意味などなかったのだ。便意を催した時点で会計を済ませ、W.Cに向かっていればなんとスマートだったことか。何をしているんだ僕は。
TSUTAYAから歩いて1分ほどのところ、駅中の商業施設に目的地があるためそこまで足早に急ぐと清掃中でだれでもトイレしか使えないという。
大抵どこのトイレもそうだがひとつしかないその押しボタン式に開閉する扉のそこにちょうど男性が入るのを見届け、平静を装いながら清掃のおじさんに笑顔で返事をする。
幸いにも僕の前の男性客は便器に座り込んで自分の消化器官と対話するわけでもなくいそいそと出て来た。なんとか間に合いそうだと入れ替わりで個室に入り押しボタンを押して扉をしめようとするがうまく反応しない。
焦る。
ボタンと少し格闘して自動ドアが閉まるが早いか、ズボンを下ろすのが早いか(最早外の誰かと目が合おうが観念するしかない)
ちなみにお目当ての作品だった『キングスマン』はとっくに旧作だったし、あんまりおもしろくなかった。映像はおもしろかったけど監督も原作も『キック・アス』だと知って納得。
損をしたくないと思っていろいろ考えて生きてるつもりなんだけど、結局得をするわけでもないというかむしろちょっと損というか。それだけの話。
高校生の頃から妊婦やベビーカーを引いたママさん達を見かけるたび、彼女らにキモがられる遊びをしている。
例えば、ベビーカーを引いたママさんが重たいデパートの扉を開けようとしていたら、先回りして「どうぞ」と言って扉を開ける。
ママさん達は決まって「え、何でこの人わざわざ扉開けてくれてんの?」みたいな怪訝な顔しつつ、
ナイスな作り笑顔で「あ、ありがとうございます」と言って通ってくれる。内心はキモがられているのが見え見えだけど、俺は気分がいい。
満員電車内で座っているとき、妊婦さんが入ってくるのを見かけたら、すかさず席を立ち、「どうぞ」と言って席を譲る。
大抵の場合はキモがられて断られる。たまーに申し訳なさそうに座ってくれる人もいるが、
そういうときも「何この人、別に譲ってもらわなくてもいいんだけど」というオーラを隠し切れない。でも、俺は気分がいいんだ。
たとえ断られても全然かまわない。だって、席を譲ることが目的であって、彼女らが座るかどうかは俺に関係ないもん。
(さすがにその後、空いた席にキモデブハゲの中年男性が座っていたりすると気分が悪いがw)
俺は別に妊婦や子育てママに優しくしたいわけじゃない。そういう女性に優しくしている自分が好きなんだ。
大半の妊婦やママ達は、これみよがしに優しさを押し付けられたくないのは理解してる。知らん男の親切なんてウザいだけ。
でもゴメンね。これは俺のキモい遊びなんだ。ただ、優しい自分に酔ってるオナニーみたいなもんなんだ。
会社の上司たちが目の前で俺が聞いちゃいけなさそうな会社の機密情報を話そうとしてたので、
「あの、私席はずしましょうか?」と声をかけたら、「うわぁいたの!?」からの「増田くん気配断つのが上手すぎて怖いわー」と言われてしまった。
言い方的にも冗談半分ではあるだろうけど、好きで影が薄いんじゃないわい!とちょっと哀しかったので愚痴ってみる。
もともと1対1なら普通だけど、4,5人集まると途端に影が薄くなる。
後からその時盛り上がった話とかをしたときに「あれ、お前あの時いたっけ?」とか言われるタイプだ。
「いたよ」と主張すると、大抵しばらく考えて「あーあーあーあー!いたわ!いた!いないとおかしい!」とか言われるが、
その盛り上がった話題を最初に場に提供したのも、途中でいい感じに話題を連結させて盛り上げたのも俺だよ?と思ったりして寂しい思いをする。
会議でいいアイデアを出したのが他人の手柄になりかけたこともあった。
友人や恋人から教師、親、同僚、上司、取引先、店の常連さんまで、いろんな人から似たようなことを言われるので、
何人かに聞いてみたことがあるが、どうも場面を思い出した時の映像にいないか、背景に溶け込んでいて見つけられないらしい。
でも、いないとエピソードに齟齬が生じる程度にはやり取りに参加しているので、最初は別の人の発言かと思うのだけど、
よーく出来事を思い出していくと、壁のシミとか風景の一部だと思っていたところに急に出現して発言する感じで記憶の中に現れて、また消えていくそうだ。
それも大体が確信を持って俺だとわかるわけではなくて、状況証拠的におそらくここに当てはまる人物は増田だろう、みたいな感じらしい。
まったくもってひどい話である。
人混みで合流しようとして、こちらから相手は確認できているのに相手からはこちらが全然見つけられないのは最早いつものことだし、
「増田は?」「あれ、さっきまでそこにいたんだけど」とかもよく言われる。まだ3m圏内にいますよ。
車の後部座席に座ってたら「アレ?増田乗ってる?ヤベェ置いてきちゃった!」と言われたこともある。
「いや、いるよ」って言ったら運転してたやつが事故りそうな勢いでびっくりしてた。幽霊かっつーの。
子供のころはケイドロ中に警備の間をするっと通って特に走ることもなく囚人解放するのが得意だったけど、捕まってる仲間も接近に気付かなくて、タッチしたとき本気でビビられたりしてこっちもヒャンってなる。
小学生の時に、びっくりしすぎた女子が漏らしてしまって号泣して、一時期ケイドロ禁止になった。
子供は残酷なので、終わりの会で急遽始まった再発防止策会議で女子が言い出した、「増田くんをケイドロに参加させない」が支持されて先生が慌てて止めるというおまけつき。
これまでにも何度か原因を自分なりに考えてみたりしたけど、イマイチよくわからない。
見た目のモブ度が高すぎるということなのか?と思って、高校生のころに頑張ってちょっと奇抜な服を着てみたこともあるけど、
後日「あの時妙な恰好してきてたのお前だよな?」と別の友人が疑われていたのでその方向で頑張るのは早々にやめた。
別にずっと下向いてるわけでも、隅っこでうずくまってるわけでも、目を合わせないわけでもないし、発言しないわけでもない。
あー、でも、多人数だと自分がぐいぐい行くというよりは、場の空気が盛り上がってうまく回るように薪をくべたりするような意図の発言が多いかも?
なんにせよ存在感が薄いってことだとは思うのだが、生き物としてオーラとか発してる圧力みたいなものが弱いのかなー?だの、
すぐ見失われるのは、視線や意識の死角みたいな位置が落ち着くとかで、自然とそこに収まってるのかな?くらいしか思いつかなかった。
まあ、悪いことばかりでもなくて、
席や出席番号で機械的に当てていく先生にはあてられるけど、見回して雰囲気で指名する先生には一年間まったくあてられないこともあった。
多分普通なら見つかって叱られるようなことをスルーされて、お目こぼし状態になってるようなこともあると思う。
テーマパークや繁華街にデートに行くと「100%見失うから手を繋いでほしい」って言ってもらえるのも嬉しい。
それでも毎回3,4回は軽くはぐれるのだけれど。
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追記:
すげーブクマついて目立ってる、やったね。慣れてないから気恥ずかしいけど。
会ったことないけど似たような人いっぱいいるだろ(共感くれよ)と思って書いた部分があったので、チラホラいて嬉しい。
仮に実際にニアミスしてもお互い気付かないだろうから、ネット越しで存在確認ができるのはとても良い。
自動ドア、エレベーター、あと「いらっしゃいませ」してくれないATMと、消えたら二度とつかないトイレのセンサーライトは我々の敵です。
コンビニの前でセンサーに向かって手を挙げながらぴょんぴょん跳ねたりとか日常茶飯事。ふと動いたときに実家の猫がびっくりして跳ねるのもよく見ます。
ブコメにあった、空気読みすぎとか、会話のキャッチボールしてないのでは?とかはちょっとドキっとした。
確かに、会話のキャッチボールをしてる人たちが取りこぼしたり失くしたボールを、キャッチボールの輪の中に投げ戻すようなことを言ってることが多いかも。会話の球拾い増田。
体育のバスケは試合中「ヘイパヘイパ」って言い続けてるだけで、全然ボールに触らない系プレイヤーでした。
別に専業主婦なんてやりたくなかった。他に選択肢がないから出産育児のためにそうするしかなかった。
保育園なんて激戦すぎて最初からあきらめたよ。旦那?多忙すぎてほとんど家にいないよ。
やってみりゃ何とかなるだろと思ったけど、想像以上につらかった。地獄と言っても過言じゃないかも。
収入はない、24時間泣いてすがってくる子どもに拘束される日々。コンビニに行くのすら果てしなくハードルは高い。
ノイローゼ一歩手前だった。病院のお世話にならなかった自分をほめてやりたい。
両親・一時保育(もちろん自腹)・支援センター、あらゆる手段で負担軽減を図ったが
やっぱり完全に自由にはなれない。どんなに頑張っても好きなこともやれず、ぐっすり寝ることも許されない軟禁状態だ。
まるでバイトに逃げられた24時間コンビニのオーナー店長だ。力仕事こそないが、常に気を張って
どんなに眠くても店の自動ドアが開いたら「いらっしゃいませ!」と出ていかねばならない。休めなくて発狂しそうだ。
そんな毎日を経てようやく入れた幼稚園。ここまで育児に関しては1円たりとも税金のお世話になってない。
けど、保育園?0歳を預けるのに投入される公費は30万って聞いたよ?預けてるお母さんたち、それ以上稼いでんの?ペイしてんの?
育休中も給料6割出るんでしょ?しかも第2子半額、第3子以降は無料でしょ?
ウチの幼稚園、第2子も容赦なく取られますけどね?全然国に迷惑かけずにやってきたのに、この差何なの?
保育園に預けてパートしてるお母さんに10万渡して専業してもらった方がコストかからないんじゃないの?
専業の方が虐待は多いんだよ。専業助けてあげないとこの先も子ども死んじゃうと思うよ。
「子供は欲しいか欲しくないか」
「住むところはどうしたいか」などの事柄について話題にしていたところ、
「まだよくわからないので普通にお付き合いしてみたい」という、アラサー婚活らしからぬふわっとした返答を得たため、話の流れで映画に行く事になった。
言いたいことは至極もっともで解るんだけどな。お互い時間のない社会人同士が用件があって顔付き合わせて時間使ってるんだし、空気読んでガツガツしててくれたらなあ…楽なのに。
とは言え映画に興味もない。以前に見た映画は『アバター』で数年前、それもまた別の見合い相手とだった。
彼女もあまり映画に興味もなさそうだったが、こちらの方が年上で婚活歴も上という事もあるから、無理にでもテンションを上げ「じゃ上映作品を調べておきますね」とサービスサービス。
仕事中のヒマな時間にネットで上映館と作品を探してメールする。
ど田舎の婚活はこういう時本当に大変だ。双方ともに上映館まで車で一時間半、私と彼女の距離も車で一時間。
現地集合で待ち合わせとなったが家を出る時間が出勤時間と変わらない。せっかくの少ない休日はもう少し寝過ごしたいものなのだが、そもそもそういう事を言い出すのであれば婚活自体がたいへん時間にも財布にも負担となっている事実が浮上してしまうのでやめておく。
女性の維持費は時間とお金と神経。そんなことくらい若い頃から解っていたけど、仕事という負荷がかかる状況下でその維持費を払い続けていくのは本当に大変だ。既婚者は皆偉いと思う。
若い頃は欲が溢れているからどうって事もなくそのハードルもクリアできるんだろうけど、年を取ると欲も薄れてくるので行動理由やモチベーションがなかなか出ない。
当然自分もではあるが、相手もまたかなり早い時間帯に家を出る事になるだろうと推測したので、映画待ちの時間にでも食べるかなと思ってお弁当を二人分作る。
早起きしてプレイしていた発売二日目の『龍が如く極』を止め、OP曲を流しっぱなしにして稲葉の歌声を背中で聞きながらお弁当を作る。
卵焼き、ウインナー、ミートボール、炒り卵とモヤシ炒め、ゆで卵という鉄板メニュー。ご飯は米が古いせいかあまり綺麗に炊けなかったので、ノリ巻きの俵むすびにしてごまかす。
卵焼きとか生まれて初めて作ったんだが意外に上手くできたので驚いた。そう言えば実家でも出てきた事ないな。
職場に持っていく弁当と比べると、全体的に薄味の弁当に仕上がった気がした。というか人の為にお弁当とか初めて作ったな、と完成してから気づく。くだらないロストバージン。
集合時間が早く、ジャスコの開店時間と同時刻だった。今はイオンか。
動かない自動ドアの前で他の客達と一緒に寒さにガタガタ震えながら待つ。
ようやく開場したので映画館に一番乗りするが彼女の姿はなし。待ち合わせ時刻を三分過ぎてからメール。遅れるとの旨。
おいおい、とも思うが、あまり気合いが入っていないようなので安心する部分もある。まあこちらも久々の休日、肩の力を抜いて映画見たい。
五〜六分くらい過ぎてから現れたが「すみません」程度で大仰な謝罪もない。まあこの辺りは長く勤めてきた職場の違いとかもあるだろうとスルー。後でわかったが大仰な謝罪は空気を壊すと思ってるタイプのようだ。
彼女の分の弁当を持ってきてたのでお腹空いてるかどうか訊ねると「家で食べてきました」との返答。
アラサーの子が三人とも地元就職して全員独身で家に居るので親がごはん作ってくれるらしい。まあ俺も実家のごはんは好きだ。自分より母の方が料理うまいし、生まれた時から食べてる味だし。
映画を決める為に上映作品のリストを眺めるが、やはりお互いあまり映画に興味がないので決めようがない。
決めてくれみたいな感じだったので当初話していたスターウォーズにしておいた。映画好きじゃない人がどの映画見たって毒にも薬にもならないが、大作はまあ外れがない。
ただしお互いストーリーもよくわからん。作品の前後関係もよくわからん。
まるで「聖書の研究会に途中から参加します」みたいな神妙な変な雰囲気になったまま、時間待ちにカフェでお茶を飲む。
本の話題でまあまあ盛り上がる。有川浩はそんなに好きなタイプの作家でもないが一応だいたいは読んでる。彼女は本を揃えているらしい。
私ももちろん読書は好きで年間大量の書籍を読むけど、他人の蔵書を尋ねる事にはものすごく興味がないという事に気づいたが、頑張って質問する。
お互い手探りみたいなぎこちないキャッチボールを続けているうちに上映時間が近づいたのでホッとしてシアターへ。
うわ、隣の座席座ってシアター暗くなったら速攻で足組んだぞこの人、と気づいたが、よく考えてみたら逆にイイなと思った。
肝心の映画はなんか全体的にストームトルーパーの中の人が弱いのに無双しようとしまくる感じのお話だったが、映像作品としては全く退屈しない二時間半だった。
だがストーリー展開が続きものだけに、加えて前後のお話もよく知らないので、映画の感想とか話をするのが難しかった。
ああなんかすごかったですね、でもお話がよくわからなかったですね、みたいなふわふわした会話をするだけで終わった。一人千八百円。二時間半。
まあこういう時間と金の無駄遣いも休日らしくていいか。見合いらしいかどうかはさておき。
弁当を気にしてくれたのか、フードコートへ持って行って食べようと提案してくれる。
えええフードコートで俺の手作り弁当食べんのかよ、と抵抗を感じたが他にないので仕方ない。
当初弁当を食べようと予定していた猫だらけの公園は、どうも雪が降ってきたためムリのようだ。
割と周囲の視線が痛い。そらそうだ。自作弁当食ってんだからなあ…。
弁当入れにカイロを仕込んでおいたのだがなぜか機能せず、弁当が冷えている。なぜだ。
二人で冷たい弁当を食べる。冷たくなっても食べられるのがお弁当ですよ、とフォローが入った。
食後もぽつぽつと会話。
と、ここで休日ながら俺の仕事(副業)が午後に入っていた為ここでお開き。
・スーツで来るなら上着着ろ
・あまり謝るな
職業柄あまり上着を着ない事が多くそのまま来ていたのだが、向こうの職場は上着必須らしく受け入れがたいとの事。
あまり謝られると居心地が悪いとの事。話題がないし向こうもあまり話さないから機嫌伺いくらいこまめにしているだけなんだがな。
というかこちらがダメ出しの一つもしないのに向こうがあれこれダメ出しするのかよ、とは思ったが要望と捉えて受け取っておく。
うーん、まあ、こんなもんか。世の既婚者たちは本当に偉いと思う。
あの人は毎日「疲れの取れる」花瓶を触りに来た。
「この花瓶見てるだけで落ち着くよ。」
と聞こえるか聞こえないか位の声で言った。
初めてこの薬局に来たときから比べるとかなり痩せ細ってしまい、
体はガリガリになって、腹部が異常に張っていた。
ただ毎日ここに来て花瓶を触って帰っていった。
もう彼に疲れを取る薬は無かった。
いつものように道の向こうからふらふらと歩きながら玄関までやって来た。
そして店の自動ドアの前まで来た。
だが自動ドアが開かない。
私は手で自動ドアを開けて中に招き入れた。
「クレジットカード使えるようになったんですね。じゃあカードで。これって疲れに効くかな。」
と言って、たまごボーロを一つ手にとった。
「よく効きますよ。」
と言うと、
「じゃあ買って行きます。」
と蚊の鳴くようなクレジットカードを渡した。
「ぶわーーーーーーーーーーーーーーっ」
となった。
名前が20年前にすい臓がんで死んだ彼氏の名前と一緒だったのだ。
自動ドアが開かなかったことを同僚に告げると、
「そりゃあ開かないよ。今日は誰も来てないもん。あと自動ドアは重さで開いてるんじゃないんだよ。疲れてるんじゃないの?」
「え、そうなの。」
「疲れてるんじゃないの?」
と言われてからあの人は全く来なくなった。
来なくなったんじゃなく見えなくなったのかもしれない。
でも私は知っている。
誰も気づいてないけど、毎日来て少しずつ花瓶を回転させていることを。
身バレが起きると、多くの人間に迷惑をかけるので詳細は言えない。
社員ではない、ある人がとても声が小さくてボソボソとしていて分かりにくくて大変不評だったらしい。
前代未聞な程に不評で「クレームは来てない 今のところは」と妙に硬い表情で社員の人は笑っている。
アルバイトが終わった後、自分はその社員ではない中年男性らしき男性を階段で見た。
どうして、その中年男性が社員ではないある人だと思ったかは身バレに影響するので言えないが、おそらくそうだ。
1階のエントランスで中年男性も自分も階段をでた。階段では暗くて中年男性の表情がよくわからなかったが、表情が固まっていた。
いや、泣き出しそうな顔だったようにも見えた。
中年男性はそんな顔をしてエントランスにある自販機に向かった。
しかし、中年男性は自販機の前に立ち、サンプルを見ると何も買わずに、自動ドアの前に向かい、そして立ち止まってカバンの中を漁り始めた。
コンビニの袋が出てきた、そして折りたたみ傘を出した。
そとは雨なんか降っていなかった。
午前中にはあの中年男性の模様を別の社員が見て、「やばい」と言っていた。
そして、イケメン高身長社員は別の話題だろうが、おっぱいと尻が大きくて背もそこそある、カバ顔だけど汚くはない顔で、目が二重で大きな白い肌で声が可愛い女性社員と笑っていた。他の男性社員もその女性社員に何か困ったことはないか?とか声をかけている。
雇用主がバックにあるグロメンの自分よりも良くしてもらっているように見える時がある。
実は自分はカバ顏の悪くない容姿の女性社員には何度も発情している。何度、自分は心の中で発情した自分とその女に対して「死ね」と言って心を平穏にさせ、容姿の良い女性の貴族化の阻止することを試みただろう。心をボロボロにさせながら。
少なくともいいあの表情と動きだと良い言葉を交わしてはいないだろうと思う。
自分に優しくされる魅力が欲しいと思った。
人感センサー式の電灯は大概、まだここにいるのにもかかわらず消えてしまう。
トイレの手洗い場とかで蛇口の下に手をかざすと水が出てくるタイプだとなかなか水が出てこない。
自動ドアが開いてくれないこともよくあるし、
ちゃんとチャージしてあるTOICA が反応しなくて改札を通れないこともある。
駅の券売機や銀行のATM でもなんだか反応が悪くてイライラする。
スマフォなんか持ちたいとも思わない。
店の会員登録みたいなのでタブレットを使って記入させるところがあったけど、文字が書きにくくて苦労した。
あんな不便なものをよく使い続けることができるものだと感心してしまう。
もしかしたら自分は機械に存在を認められていないのではないかと疑念を抱くことがある。
自分はここでこうして生きているつもりだけれども、実は存在していないのではないか。
機械的なセンサーの類では感知しにくい、あやふやな存在なのではないか。
人間が支配している世界だと思って生活しているけれども、実は電脳ネットワークが創り出した幻なのではないか。
web ブラウザの向うには広大なインターネットの世界が広がっているように思えるけれども、
本当はM.A.S.U.D.A. (Mother Advanced Super Ultra Dynamite Agent)によって狡猾に形成された虚構の世界なのではないだろうか。
・ワ・
まず言っておきたいのが、「突風ではなく雨と雷と雹(ひょう)が物凄かった」という事です。
曇ってきて「これは天気雨が降りそうだな」と思っていたら雨が降ってきました。
強い雨だなと思った瞬間にゲリラ豪雨並みの勢いになった。
雷が現れ、ものすごい音。雹になる。
自分はお店の中にいたのでよかったのですが、自動ドアが少し開いたら水が飛び込んでくるんです。
水が飛び込んでくるんです。
そう、「雨の暴力」です。
雨が降ってきて「痛い」と感じたことはこれが初めてです。
自動ドアにあるマットがあんなにもびしょびしょなのは見たことがありません。
13日の午前3時ごろにもこれに似た雷雨があったのを覚えています。
やたら雷の音がすごくてよく覚えています
以上駄文でした。
去年の夏のことだ。私の住んでいる地域にも
それで早朝にジョギングがてら物見遊山のつもりで行ってみたら、
そこにあったのは茅葺きの一軒家だった。
私は早速入店することにした。もちろん自動ドアではないので
自力で開けなければならない。中に入った途端、魚の生臭い匂いと
コロッケを揚げるシュウシュウした音が渾然一体となって迫って来た。
店内は駄菓子屋を少し広くして、余ったスペースで
空調は効いていないのに涼しい。
「いらっしゃいませ」と奥から老婆がやって来た。
老村クルーのあきこオババだ。
「おはようさん。有難うね。良かったら見て行ってちょうだい」
「そうですね。どれにしようかな……」
駄菓子を食うような年齢ではない。私はしばらく眺めていた。
店内には BGM は流れていない。それでいいのだ。
店内をぐるりと一周していると
「美味しそうですね」と私は言った「今頃が旬なんですよね」。
「何だったら買っていくかい? 真鯵ならワタはタダで抜くよ」
「どうしようかな……」
迷っていると、店の片隅に美味しそうなスルメイカが
売られていることに気がついた。スルメイカも今頃が旬だ。
「じゃあ、これ一杯もらおうかな」
「是非下さい」
それだけだと何だか物足りないような気がしたので
店の隅のコーナーを見ると林檎が売られていることに気がついた。
私はそれを手に取ってしげしげと眺める。
そして、林檎も買うことにした。「じゃあ、これも下さい」
「お客さん、悪いね。この林檎傷がついてる。新しいものと交換するよ」
「いえ、それで構いません」と私は言った。
「何かの本で読みました。林檎は傷がある方が甘いんだって。人生と同じく」
「こりゃ参ったねえ」とあきこオババが笑った。
「そうさね。人生と同じだよ。傷がある方が甘いんだ」
と笠智衆似の店員が言った。
私はスルメイカと林檎を買って帰った。林檎は百円に負けてくれた。
おまけにあきこオババは皮まで剥いてくれた。ゴツゴツした手が
「ここまでして下さって、申し訳ありません」
「いいさ。お客さんは当店始まって以来最初のお客さんだからね」
「いえいえ」とあきこオババは言った。「また顔を見せておくれやす」
「そうします」
「ただ、流石に歳なんでね。九時には閉めちゃうけれど」
耳を外し、皮を剥く。手に塩をつけた方が
抜いたワタはクックパッドを参考に酒のつまみになるように調理した。
これからもあの店に行こう、と思いながら。
こればかりはどうしようもない。
それが去年の冬のことだ。
昨日、桜鯛の売られているスーパーの鮮魚コーナーを歩いていると
ふと私は林檎が食べたくなった。
そこで林檎を見てみたのだけれど、どれもこれも傷ひとつついていない。
傷物はやはり嫌がられるのだろう。
林檎も人生も傷があればそれだけ甘い、そういうものなのだ、と。
ちなみに、あとで聞いたところによると私の母親も近所の友人も
「当店始まって以来最初のお客さん」として
手厚くもてなしてくれたという。
ローソンで、たまに愛想の悪い店員に
接客応対されている時に私はそのことを思い浮かべる。
またあの「老村」で買い物をしたいものだ、と思いながら。
http://anond.hatelabo.jp/20150202140714
可能な限り。ドアは自動ドア。またはドア無し。
個人的には、普通のドアであれば服の袖で掴んだり、ゆっくりタックルにより手を触れさせずに開けるテクを使っているがやはり面倒。
その点、手洗い場へのアクセス途中にドアすらなく死角でプライバシーを保っている設計のトイレはすばらしい。
自分の近くの店ではイオンやカインズホーム、ナンバで見られる。
便座クリーナーがないトイレは超減点!「ヴォイ!便座キレイキレイ液ないんか!」言いたくなる。
ウォシュレットはソフト洗浄機能つきがよい。肛門にこびりついたウンコが、通常洗浄より飛び散らない。
通常洗浄だとウンコが飛び散って、なんだかケツのほっぺについてそうで気がかりであるし、他にも妙な箇所に、ウォシュレットぶっとびウンコがいってそうで心配である。
ソフト洗浄であればスマートにうんこを始末できて肛門もすっきり、パンツにウンコもつきづらくなる。
パンツにうんこがつきづらいということは、うんこ後ずっとの衣類全体へのニオイにも差がでてくるわけだ。
これ、男子にとってもそうであるし、女子にとっては、とってもよりいっそう、とってもとっても大切なことだとおもうのだが?
どんなにかわいくてきれいな女子でも、ウンすじ付きパンツは誰にも見せたくないものであるし、ウンコのニオイを身体にまとうなどもってのほかのはず。
あとはエアジェットタオルか使い捨てペーパータオルがあれば最高である。