2015-03-03

老村〜村のホットステーション

去年の夏のことだ。私の住んでいる地域にも

「ろうそん」が出来たと母親から聞いた。

それで早朝にジョギングがてら物見遊山のつもりで行ってみたら、

そこにあったのは茅葺きの一軒家だった。

玄関看板で「老村」と書いてある。


私は早速入店することにした。もちろん自動ドアではないので

自力で開けなければならない。中に入った途端、魚の生臭い匂い

コロッケを揚げるシュウシュウした音が渾然一体となって迫って来た。

店内は駄菓子屋を少し広くして、余ったスペースで

鮮魚煮物や揚げ物や野菜を売っているというような構造だ。

空調は効いていないのに涼しい


「いらっしゃいませ」と奥から老婆がやって来た。

老村クルーのあきこオババだ。

「おはようさん。有難うね。良かったら見て行ってちょうだい」

「そうですね。どれにしようかな……」

駄菓子を食うような年齢ではない。私はしばらく眺めていた。

店内には BGM は流れていない。それでいいのだ。

強迫観念的に流される BGM など聴きたくない。


夏だったので井上陽水の「少年時代」を口ずさみながら

店内をぐるりと一周していると

鮮魚コーナーで売られている鮮魚が目を引いた。鮎や真鯵だ。

「美味しそうですね」と私は言った「今頃が旬なんですよね」。

「おやお客さん。旬が分かるのかい?」店の奥から

笠智衆連想させる頑固そうな爺さんがやって来た。

「昔、魚屋バイトしてたことがあるんですよ」と私は言った。

「何だったら買っていくかい? 真鯵ならワタはタダで抜くよ」

「どうしようかな……」

迷っていると、店の片隅に美味しそうなスルメイカ

売られていることに気がついた。スルメイカも今頃が旬だ。

「じゃあ、これ一杯もらおうかな」

「ほう、通だねえ。釣りたてだよ。ワタも塩辛に出来る」

「是非下さい」


それだけだと何だか物足りないような気がしたので

店の隅のコーナーを見ると林檎が売られていることに気がついた。

私はそれを手に取ってしげしげと眺める。

そして、林檎も買うことにした。「じゃあ、これも下さい」

私が渡した林檎を見た笠智衆似の店員は言った。

「お客さん、悪いね。この林檎傷がついてる。新しいものと交換するよ」

「いえ、それで構いません」と私は言った。

「何かの本で読みました。林檎は傷がある方が甘いんだって人生と同じく」

「こりゃ参ったねえ」とあきこオババが笑った。

「そうさね。人生と同じだよ。傷がある方が甘いんだ」

「こんなお客さんに恵まれているなんて幸せだねえ」

笠智衆似の店員が言った。

「こんな僻地開店した甲斐があったってもんさ」


私はスルメイカ林檎を買って帰った。林檎は百円に負けてくれた。

おまけにあきこオババは皮まで剥いてくれた。ゴツゴツした手が

魔法のようにりんごの表面をつるつると剥いて行く。

「ここまでして下さって、申し訳ありません」

「いいさ。お客さんは当店始まって以来最初のお客さんだからね」

「有難うございます

「いえいえ」とあきこオババは言った。「また顔を見せておくれやす

「そうします」

「ただ、流石に歳なんでね。九時には閉めちゃうけれど」

「分かりました。夜中に散歩する時にまた行きますね」


私はスルメイカでいかそうめんを作った。

耳を外し、皮を剥く。手に塩をつけた方が

やりやすいと聞いたことがあるが、試したことはない。

抜いたワタはクックパッドを参考に酒のつまみになるように調理した。

新鮮そのものスルメイカのいかそうめんは旨かった。

これからもあの店に行こう、と思いながら。


しかし無情にも、本物のローソンが近所に進出して来た。

こればかりはどうしようもない。

「老村」の寿命は短かった。撤退せざるを得なくなったのだ。

それが去年の冬のことだ。


昨日、桜鯛の売られているスーパー鮮魚コーナーを歩いていると

ふと私は林檎が食べたくなった。

そこで林檎を見てみたのだけれど、どれもこれも傷ひとつついていない。

傷物はやはり嫌がられるのだろう。

私は「老村」で買って食べた林檎甘味を思い出していた。

林檎人生も傷があればそれだけ甘い、そういうものなのだ、と。


ちなみに、あとで聞いたところによると私の母親も近所の友人も

「当店始まって以来最初のお客さん」として

手厚くもてなしてくれたという。

ローソンで、たまに愛想の悪い店員に

接客応対されている時に私はそのことを思い浮かべる。

またあの「老村」で買い物をしたいものだ、と思いながら。

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