あの人は毎日「疲れの取れる」花瓶を触りに来た。
「この花瓶見てるだけで落ち着くよ。」
と聞こえるか聞こえないか位の声で言った。
初めてこの薬局に来たときから比べるとかなり痩せ細ってしまい、
体はガリガリになって、腹部が異常に張っていた。
ただ毎日ここに来て花瓶を触って帰っていった。
もう彼に疲れを取る薬は無かった。
いつものように道の向こうからふらふらと歩きながら玄関までやって来た。
そして店の自動ドアの前まで来た。
だが自動ドアが開かない。
私は手で自動ドアを開けて中に招き入れた。
「クレジットカード使えるようになったんですね。じゃあカードで。これって疲れに効くかな。」
と言って、たまごボーロを一つ手にとった。
「よく効きますよ。」
と言うと、
「じゃあ買って行きます。」
と蚊の鳴くようなクレジットカードを渡した。
「ぶわーーーーーーーーーーーーーーっ」
となった。
名前が20年前にすい臓がんで死んだ彼氏の名前と一緒だったのだ。
自動ドアが開かなかったことを同僚に告げると、
「そりゃあ開かないよ。今日は誰も来てないもん。あと自動ドアは重さで開いてるんじゃないんだよ。疲れてるんじゃないの?」
「え、そうなの。」
「疲れてるんじゃないの?」
と言われてからあの人は全く来なくなった。
来なくなったんじゃなく見えなくなったのかもしれない。
でも私は知っている。
誰も気づいてないけど、毎日来て少しずつ花瓶を回転させていることを。