はてなキーワード: 作曲者とは
何度考えても作曲者がどれに対して「品性を疑う」としているのかが分からない
例の動画に曲を付ける行為に対してなのか、それを張り付けて笑っている行為に対してなのか、人体改造をしている人間を晒し者にするために使っている行為に対してなのかはっきりしなくてもやもやする
BME(人体改造の1ジャンル)の動画にBGM載せてリズムに合わせた動画を見て作曲者である尾澤拓実氏は「品性を疑う使い方」と評したがこれは果たしてどうなんだろうか。
事の発端となった人物や作曲者にリプライを送りつけてる奴らは勿論、そいつらに賛同してる奴は論外として、BMEを自らの体に行い、動画を投稿している人間達を性的少数者として捉えた場合、この発言は色々と問題なのでは?
例の発言だけだと自分の曲だけを気にして自分の曲を使って性的少数者である彼らを笑い物にしている事実から目を背けているように思えた
それどころか捉え様によっちゃBMEの行為そのものを「品性を疑う」として蔑んでいるようにも取れるしいろいろ配慮に欠けた発言だなぁという印象を受けた。
彼が「BMEは下品だ、この世から廃絶すべき」だと捉えていた場合その限りではないが、そうでなかったら「自分の曲を彼らを貶め、笑い物にするような使い方はすべきでないと思うし腹立たしい」というくらいの配慮は見せてほしかったなと思った。
といっても「響け!ユーフォニアム」で再確認したという話ではない。
いや、確かに上述のアニメでユーフォに興味を持ったのだが、本当にこの楽器の魅力を知ったのはオケでの起用だったりする。
「この楽器の最高の音はこれ!」
という、ある種の予定調和ありきの起用という点にある。
なので、オケでの使われ方だけを見て、その楽器の全てを知った気になるのは早計である。
しかし、オケでの使われ方を把握することで、「楽器の一番美味しい所」を再認識するにはもってこいなのである。
さて、今回聴いたのはユーフォ登場曲ではド定番と言われる、ホルスト作曲の組曲「惑星」から「火星」である。
組曲中、最も有名な「木星」に次ぐ知名度を持つ、「心太が食べたい」のリズムがキャッチーな曲だ。
例の有名なソロは、確かにユーフォの持つ暖かでまろやかな音色を良く活かしている。
これこそ、他の楽器では代わりがいない音だ。
そして曲が進むとトランペットと掛け合いを演じるのだが、向こうがフォルテシモのペット2本で来るのに対し、こちらはフォルテかつユーフォ1本で受ける。
これは鋭いけど細身の音のペットに対し、柔らかく太い音のユーフォでバランスを取った結果だろう。
これまたユーフォの音の特徴を良く勘案したオーケストレーションだと思う。
(動画→https://www.youtube.com/watch?v=L0bcRCCg01I 奏者の自撮りによるダイジェスト→https://www.youtube.com/watch?v=RERBcMwHi34)
「今後更にこの楽器の魅力をオケで光らせるのは、正直相当厳しいかも」
と。
なぜなら、ユーフォの担当する中低音域は、絵に描いたようなレッドオーシャンだからである。
さっきオケの楽器の使われ方は予定調和と書いたが、言い換えるならオケの歴史というのは、作曲者が新しいサウンドを求めて新たな楽器を試し、執拗に篩いにかけてきた歴史でもある。
即ち現在頻繁にオケで見かける楽器は、そうした淘汰をくぐり抜けてきた、いわば選りすぐりなのだ。
そしてユーフォの音域を既に担っている楽器には、金管だけでもホルン、トロンボーンという強力なライバルがいる。
ホルンはオケ草創期からのレギュラーメンバーだし、トロンボーンはレギュラーこそ逃したものの、ベートーヴェンの時代から頻繁に起用されてきた、いわば準レギュラーである。
更に金管以外でもチェロ、ファゴット、バスクラリネットといった楽器が控えている。どれもこれも、数多の名曲で不動の実績を築いてきたメンツだ。
そんな彼らに割って入ってポジションを獲得できる個性がユーフォにあるか…という話である。
同様の話は、サックスにも当てはまる(こちらはオーボエ、コーラングレ、クラリネット、ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、チェロ等とカブる)。
一方、ユーフォやサックスと同年代に発明されたチューバは、登場するやいなやオケに起用され始め、今では準レギュラーの地位を勝ち取っている。
「登場した年代が新しい楽器」どうしでハッキリ明暗が分かれた形だが、これはチューバが担う、オケの最低音域にはコントラバスとコントラファゴットしか存在せず、ブルーオーシャン戦略で行けたということだ。
やはりユーフォの活躍する舞台は軍楽隊と英国式金管バンド辺りという結論になるのだろうか。
自分がユーフォという楽器を初めて耳にしたのはEテレの小学生向け音楽番組で、でもオケにいないし「なぜそんな楽器が?」と思ったものだが、あれも金管バンド~吹奏楽の流れがあるからだろう。
作曲者の創意工夫に期待したい。
確かに正論だし、今もそれなりに売り出しにサポートを受けているアーティストの多くは同じような道を辿っていると思う。
だけどそれは音楽業界だけじゃなくて世間一般に言えることで、本来的には地頭の良さのみで入社したところをじっくり上司が育てていくべきなシステムは既に崩壊しており
新卒で入社する学生あがりにすら即戦力を求める時代になってる。
誰にでも簡単に曲作りできるツールっていうのもそういうのの延長で、これから音楽事務所に所属したいっていう人やバンドへのハードルはかなり高くなってる。
そういう意味でミスチルの頃のインディーズからメジャーギリギリのレベルと現在のインディーズからメジャーに上がりたての頃のレベルはかなり離れているとも言える。
結局のところ現在それなり成功している世代がその下を同じ方法論で育てるというシステムが完璧に崩壊しているということだ。
もっとも言わせてもらうと、作曲者と編曲者が完全に分離した仕事になっているのは日本独特の業界構造なんで
本日おこなわれた全日本合唱コンクール東京支部大会に、幸福の科学の合唱団が出場。
男性は白衣のような服、女性はドレスで肩に紐状の飾り(将軍とかが身につけてるやつ)を装着。
見た目のインパクトで観客も少しざわついていた。
ひょっとして幸福の科学の正装なのか?と思い画像検索したが、大川隆法が天使のコスプレをした画像しか見つからなかった。
課題曲はいいとして、自由曲は「勝利の歌」、作詞:松本弘司 作曲:水澤有一
作詞者、作曲者ともに信徒らしく、過去にも幸福の科学のために作品を残しているらしい。
どんな歌なのかドキドキしていたのだが、予想通りエルカンターレの讃美歌だった。
演奏が始まる前は、金に物を言わせてクオリティの高い映画やアニメを作っている幸福の科学のことだから、
ひょっとして合唱もかなりの実力があるんじゃないかとドキドキしていた。
全国大会まで行って、エル・カンターレの宣伝をされたらたまったものではない。
しかし、それは杞憂で、まぁひどい演奏だった。というか、エル・カンターレの前で披露したら怒られるんじゃないかな。
基礎出来てないし、そもそも音取れてないし…。
まぁしかし、今でこそ幸福の科学はカルトだが、数十年後には大きな団体になっているかもしれない。
こいつらの悪趣味を政治や文化に持ち込まれるのは、本当に御免だ。
創価学会しなの合唱団は、名前の通り創価学会の合唱団だが、歴史も実力もありとても良い演奏をする。
やはり創価学会というのはそれだけ力を持った集団なのだと思う。
同様に、幸福の科学合唱団の演奏を聴くことで、幸福の科学の実力が測れるかもしれない。
今後、賞を取るような合唱団に成長していくようなら、要注意だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160711142957
楽曲をまったく同じ編成もしくは同じ楽譜を使わない限りは厳密に考えると翻案権もしくは、同一性保持権の侵害に引っかかると思われます。
もしディズニーもしくはスクエアエニックスより楽曲のスコア提供を受けて、そのままスコア通りの編成で演奏して、且つエキストラの奏者や演奏者全員が無料もしくは自らお金を出し合って演奏会を開いている場合であれば白に近いグレーにはなると思います。
http://www.techvisor.jp/blog/archives/2340
もしくは編曲もしくはカヴァーを行う事に対して事前に著作権者からOKを取れれば問題ないことかと思います。KH楽曲の場合はJ作曲者は下村陽子氏になり、それ以外の権利一般がディズニー側にゆだねられるはずですので、今回の件でいけば下村陽子氏側はある程度柔軟に対処できているようなのでやはりウォルトディズニー側の判断なのかと思います。
・入場は無料
であればシロを主張しても筋は通るかと思います。
状況を整理すると
でるのになぜ?
https://twitter.com/MiHO_marumaru/status/752105700394803200
さてこれがどういう問題かというと
なぜならば、許諾を得られなかったのに強硬するという事は実質
アマチュアの演奏会は問題ありと捉えられて今後許可が出ない可能性
があります。
2.実際、すぎやまこういちのドラクエのオーケストラスコアが使えなく
なりました。これもアマチュアの一部が著作権および管理楽曲について
粗雑な行いをしたからです。
これは日本劇伴交響楽団のアニメシンフォニア問題というのがありまして
進撃の巨人が権利者から許可が出なかったので急きょ差し替えして結構と
いう事件になりました。
さて、この問題を権利側と愛好家側の側面から合わせて記載します
■権利側
愛好家活動とはとはいえゲーム音楽やアニメ音楽の場合権利が複雑です
ざっくり分けると作曲者の権利、出版社の権利、サブ出版社の権利があ
ります。
アレンジ行為(曲を再オケアレンジにする)の許諾は作曲者にある場合が
あります。作曲者がOKしても製作元(例えばスクエニなど)や権利を持って
いるところが許可を得るのか?そして出版社や著作権の隣接権を管理する
正直めちゃめちゃめんどいし作曲者がOKしても権利者がOKしないと
ダメだったりします。映画なども同じですが著作権が生きていて且つ映画
やゲーム音楽は権利を取るまでにかなりの時間を要します。それだけコン
■愛好者側
最近の例で言うと当面の間オーケストラでドラゴンクエストの曲をやる事
が出来なくなりました。吹奏楽は別途出版されたり過去の出版物があるので
出来なくはないのですが・・・
例えば今回のキングダムハーツなんかの場合だと「ウォルトディズニー」の
許諾がどう得られるか?という話になります。海外ではキングダムハーツの
オケアレンジやっているところがあるのでこの辺の権利関係どうなんでしょう
最近になってゲーム音楽がコンテンツとして売れるというようになってきて
逆に規制が厳しくなった印象です。であればちゃんとしたアレンジで楽譜の
販売をしてくれれば良いのにと思うのですが、逆にオーケストラ曲のスコアを
一般に販売となるとディズニーの事ですから収支が合わないくらいの権利金を
しっかりと直面した問題に取り組んで、報告もしくは対応を取るべきだと思い
ます。ディズニー側のNG例や著作権の話はかなり乱暴だと聞きますが、全て
を伏せてヤリ逃げすると一般社会では非常に心象が悪い。
そもそも、ホールの予約などどのみち運営者の名前が出てしまうのでネットで
叩かれることはなくともその気になって民事賠償を起こそうと思えば簡単に
足がつくと思われます。
ファンとしては「営利目的でなく」ファン活動として実行しようとする演奏会
ホテルカリフォルニア後半のツインギターを聞いていると、何か物悲しく、切なくなる。思いを馳せるのは、2人のギタリストのこと。
2月のある日から突然、毎晩のように、頭の中を「since nineteen sixty nine 」というフレーズが流れるようになった。原因はわからないが、たぶん病気じゃない。グレンフライ氏の霊が関係しているのかもしれない。それまでイーグルスのことは何も知らなかった。
そしてここ3ヶ月、ほぼ毎日ホテルカリフォルニアを聞いている。
リードを務めるならギターでもヴォーカルでも奔放さが特徴のジョーウォルシュ。イーグルスに加わる前から別のバンドやソロでも活動していた典型的なロックギタリストで、いくつかのヒット曲や、独特のパフォーマンスもあいまって、そこそこ知られていたらしい。しかし、
ことホテカリに関して言えば、ドンフェルダーというもう一人のギタリストと一緒に語られることが多い。その2人による、曲後半のツインリードの掛け合いがあまりに素晴らしかったからだ。ドンフェルダーはホテカリの作曲者の一人で、ジョーウォルシュが加入したことを受けて、ツインリードの曲を考えたそうな。彼の演奏はとても緻密、ジョーウォルシュとは対照的だ。
初めてホテルカリフォルニアをちゃんと聴いたのが ’77年Washington, D.C.のライブ映像で、一瞬で2人の演奏の虜になってしまった。
ドンフェルダーは ’75年ぐらいからジョーウォルシュのソロコンサートに参加するようになり、実は、あの素晴らしいデュエットは、その頃から2人で築いてきたものであることを、その後知った。
ジョーウォルシュ作「Turn to stone」というハードロックな曲がある。レコードにも3つバージョンが収録されていて、わずか4分のものから8分のものまで、ライブを合わせると無限にアレンジがある。ドンフェルダーとジョイントしてほどなく、後半はほとんどツインリードのための曲となってしまう。ホテカリ同様、歌が終わった後半、ドンフェルダーのリードギターに始まり、徐々に2人の掛け合いに流れ、最後はジョーウォルシュのリードで終わる。
2人の掛け合い、その様子はまるで、タンチョウ鶴の求愛ダンスだ。高音でハモり、その同じリフを交互に鳴らしあう。いくつかのライブでどれとして同じ演奏はない。そのときの気分次第という感じだ。
楽器や歌でハモったり掛け合いをするときの感覚は、体験した人には分かると思うけど、恋をしたのに似たような高揚感や一体感があると思う。
だからホテカリのあのリードギターの掛け合いは、2人にとって、きっと忘れがたい記憶のはずだ。
その2人のデュエットを確認できたのは ’95年のライブ映像が最後だ。映像なしだと ’00年が最後。そこでも彼らのハモりは美しかった。わけあって、ドンフェルダーは ’01年にイーグルスを脱退(解雇された)し、その後はソロで活動している。ジョーウォルシュのほうは今もイーグルスに在籍しているが、相手役はドンフェルダーに代わってバックミュージシャンであるスチュワートスミスになった。
スチュワートはイーグルスのメンバーではないというスタンスを頑なに守るかのように、ひたすら目立たぬように演奏している。だけど、ドンフェルダーの代わりのリードだから、多くの曲でジョーウォルシュより目立つ部分を弾くわけで。ホテカリでもイントロと同時に一番最初にスポットライトを浴びるのはスチュワートだ。それでもいつもメンバーとは少し距離を置いて、ギター職人に徹している。
そういうこともあってか、ジョーウォルシュもスチュワートとどう連携していいか、いつも悩ましそうに見える。そしてドンフェルダーとの演奏のような一体感を感じているようにはあまり見えない。かたや、
ドンフェルダーは、ずっとソロ活動をしている。いい感じにロマンスグレー(って死語?)になり、ステージではいつも神父のような笑みを浮かべて演奏している。イーグルスのライブでは1曲も彼のヴォーカルを見たことはないし、しゃべるのも見たことがない。のに、歌ってる。歌えるじゃん。彼は、
ライブやTV番組でホテカリを演奏しているが、ある番組ではアコースティックギター(フォークギター)で一人演奏していた。ジョーウォルシュのパートも一人2役で。あの最後のハモりも一人で弾けちゃうんだなぁ、彼は。エレキやクラシックではなくフォークギターでは難しいはずの、色んな技を次々繰り出すのを見て、観衆もそのたびにヤンヤヤンヤとなるのだけれど、ジョーウォルシュと2人でハモっていたはずの最後の部分、悲しい響きに感じるのは僕だけか?
’75年から’77年にかけての2人のデュエットを見たことがあれば、、、
微笑みながら、ドンフェルダーはどんな気持ちで弾いているんだろう? 昔、相方と弾いていた日々を思い出しながら? それともイーグルスを脱退するに至ってしまったことへの後悔? 僕には知るべくもないけれど、あの物悲しい旋律がなんとも彼の心情を表しているようにしか思えない。
一人カラオケをたまにするんだが素人のそれでも、自分なりの歌い方というのがある。
声色はまっすぐ。同じメロディやリズムだと思ったら変えてみる。作曲者への冒涜かもしれないのでカラオケでだけ許されることかもしれない。
自分の歌い方は古いのか。
古いとはあまり思っていないけど、カラを破らない歌い方だとは思う。
流行りの歌をそれほど好きにならないのは、自分の美的センスが欠けているのかもしれない。庶民臭い人生を歩いてきたし。
元々自分は、日常の行動すらも演技が入ることがあって、歌にもそれが現れている(好きに歌えばいいと思っているから、意図的に演じてるところもある)。
他人とカラオケに行く機会は無いが、自分のライフスタイルはとても格好良いとはいえないものなので「カッコイイ」と言われる自信はないけど、「元気でた」「やる気出た」と言われたいなーと思う。
世の中には「コミュ勢」とでも言うべき層がいる。
「コミュニケーションが一般人がもてる最大の価値である」、「コミュニケーションを通じて自分の認識の正しさを再確認したい」、「コミュニケーションを通じて自己表現や自分の価値を発信したい」、「コミュニケーションを通じたコミュ内のカーストゲームが人生そのものである」といったような思想、信条を持つ人。
そして、その数や割合はびっくりするほど多い。
かといってこの「コミュ勢」のコミュニケーション能力が高いということはなく、どうも、その能力とは無関係らしい。思想、心情なので当たり前といえば当たり前だけど。
問題は、この「コミュ勢」というのが、社会的にも自己認識的にも、言語化されてなく認識されていないところだ。
例えば、適当な最近流行りのアニメのファンコミュを覗いてみると、半数以上が「コミュ勢」だということも少なくないように思う。
「作品Aが好きなので見ているだけで利益だ」という人間と、「作品Aについて語るというコミュニケーションで何か利益を得る」という人間は、全く別の人種なのだ。
後者はコミュニケーションの中で、自分の有能さを確認したり、ブームとの一体感を得ようとしたり、孤独を埋めようとしているのであって、作品Aそのものは、後者の中で重要ではない(重要だと本人が思い込んでいることは、往々にしてありうる)。
前者の価値観で言うと、作品を生み出したクリエイターは、自分が夢中になれる宝物を生み出してくれたので、リスペクトの対象だ。
しかし、後者の価値観で言うと、雑談のネタを作り出してるだけなので、消費対象であって、リスペクトの対象ではない。極端な話、名作映画も、ベッキーの離婚話も等価だ。その話題に注目する集団(コミュ)が発生して、そこで(擬似的にでも)会話ができればそれで良いのだから。
ぶっちゃけ、今の時代「ヲタク」だと自己認識してたり世間から言われている層の、過半数が、後者の「コミュ勢」なのじゃないか?
思うに「リア充」と呼ばれる人たちあるいは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちは、「コミュ勢」である自覚があるし、自認もしている。彼らは生活の中でいろんなイベントがあるけれど、たとえばカラオケに行ってもバーベキューにいっても、それそのものが、一番大事なことだとは思っていない。「そこへ誰と言ってどういう関わりを持つかが大事」だと認識しているし、公言している。
そういった彼らの態度は、たとえば「本物のバーベキューファン」からすれば、「バーベキュー蔑視」「にわか」みたいに否定されるかもしれないけれど、でもそれは、彼らリア充マイルドヤンキーの思想信条や普段の言動とは矛盾してない。彼らは最初から「ダチが大事だし、良いダチがいれば何しても楽しい」と言ってるわけだからだ。なので、その点に関して、彼らは誠実であると思う。
一方、オタクコミュで後者が忌避されるのは、彼らが彼ら自身を「コミュ勢」だと認めない点にある。彼らはコミュ参加の手法として「作品ファン」「サブカルファン」を装う。
自己批判も含んで告解するけれど、リア充もしくはマイルドヤンキー的な生き方というのは、増田では馬鹿にされるけれど、それはそれで大変だと思う。彼らは「語るテーマやいっしょにする遊びそのものではなく、誰(=友達)といっしょにするかが重要だ」というスタイルを持っている。それは逆にすれば、語る内容や一緒に過ごす遊びそのものの魅力と切り離して、自分の友人や人間関係を維持する宣言だからだ。つまり俺(の人間的魅力と気遣い)とお前(の人間的魅力と気遣い)で、俺とお前の関係を構築維持する、ということであって――それってかなり偉業じゃないだろうか? 少なくとも自分は趣味というコアを除去して友人関係を維持するというのは負担が大きいと感じる。
非常に露悪的に表現するならば、Webのオタク界隈で暴れている「コミュ勢」などというものは、「コミュで他人と関わることが至上だと考えているくせに、リア充グループに入れなかった落ちこぼれ」「ヲタク界隈でだったらマウントできると勘違いした自意識が肥大した無能」であるとすら言えると思う。
そういった考えを元に展開すると、「にわか」という罵倒語の存在は、ある作品のコミュにおいて、コミュ勢とコミュ勢の勢力争いとして生まれるように思われる。「このコミュは俺が先に目をつけて縄張りにした場所(作品愛とは無関係)なのだから、あとから参入してきたお前らはおとなしく俺の下につけ」的な話なのだろう。
一方、ただ作品を愛してるだけの人にとっては「作品を愛し鑑賞するという価値観以外を持って、コミュから利益を得ようとするなよ」としか、その手の騒ぎにたいして思いをモテない。
調布FMで新春アニソン三昧を聞いてアニメソングの良さを再認識した。
音楽は「物語」と「技術」という2つの要素によって構成されている。
音楽は表現の手法なので大部分の音楽は物語を詰め込まれている。
純粋に演奏者や作曲者の技術をアピールすることや聞いていて心地良いことをひたすらに追求した音楽もあるが。
アニメソングのような何らかのテーマソングは物語の部分において非常に有利な立場にいる。
大抵の音楽は表現者のバックグラウンドやその時代時代の情景を切り取ることによって物語性を生み出している。
だけどそれが何を意味しているかに受け手が気づくのには時間がかかる。
もしかしたらずっと聞いていても半分も伝わらないままかも知れない。
それこそ音楽を聞く前から受け手と表現する側の間にどういう物語が歌われているのかが半分ほど共有されている。
たとえばオリンピックのテーマソングなら挑戦する事や努力する事の素晴らしさが歌われるのだろうと予想がつく。
これがアニメソングになるとそこにOPやEDの映像まで付いてくる。
音楽のPVなんて半分ぐらいは何をやっているのか分からないような映像が流れているものだがアニメソングの場合は少なくとも作品の内容と一致したものが流れる。
そして大部分のアニメソングはある程度はその作品のテーマに沿った物語を歌っている。
そのため映像を見ることによって視聴者が受け取る作品のイメージと、その作品のテーマとリンクした歌の内容は自然とリンクしていく。
更にその映像の後で本編が始まるのだ。
本編を見ることで視聴者の中に溜まっていったアニメの物語は次にOPやEDを見るときに歌の中の物語と少しずつ共鳴していく。
そうした行為が十数回(1クールアニメ、または1クール毎に主題歌が変わるアニメの場合の例)に渡って繰り返される。
当然視聴者はただその音楽を聞いた場合とは比較にならない程その音楽の中にある物語を噛み砕くことになる。
時に歌詞の内容を物語の展開とリンクさせ、キャラクターの心情とリンクさせて自分の中でこの歌はこういう事を歌っているのだなと咀嚼していく。
そうして次にその曲を聞くときは聞いている側の頭の引き出しからそうしてそれぞれ向けに調整され終わった物語が音楽に合わせて流れるようになるのだ。
つまりほぼ完全に聞く側が音楽で歌われる物語とシンクロした状態で曲を聞くことが出来るようになってしまうという事なのだ。
何度でも言おう、これは大きな強みだ。
聞く側がほぼ完全に曲の内容を理解して音楽を聞くことなんてそうそうあることじゃない。
そりゃ普段から音楽を聞きまくっている人間ならそれぐらい普通なのかも知れない。
だけど流行りのJーPOPをちびちび聞いているだけの人間たちからしたらそうそうある事ではないのだ。
ただOPとEDを飛ばさないでアニメを見るだけでいつの間にか聞き手は歌詞やメロディーとシンクロ出来る様になる。
元旦の丸々半日をアニメソングに捧げているあいだ150近くものアニメソングを聞いていたものだが、そのうちアニメを見たことがある物のほとんどでその歌詞が何を歌っているのか理解できた。
エルフェンリートみたいな元ネタが小難しい奴はちょっと自信がないけど。
この「理解のしやすさ」こそがアニメソングの大きな魅力だと再認識した。
何度も何度も聴きこんで聴きこんで歌詞を頑張って噛み砕けというのではなく、アニメのテーマを思い出しながら聞いてみればなるほどこういう歌なのだなと理解できる取っ付きやすさ。
音楽にどっぷり浸かっている人達からしたらえっそこまで手取り足取りしないと駄目なのと思うかもしれないけどそうなのだ。
聴きこんで聴きこんで理解するという行為をサポートしてもらわないと正直しんどいのだ。
それをしんどくなくやってくれるアニメソングは実に素晴らしい。
しんどくない余暇の過ごし方が出来るのは本当に素晴らしいよ。
(思ったより反応をいただけたので少し追記しました。2015-11-16)
バンダイが展開する女児向けアーケードゲーム/アニメ「アイカツ!」
アイカツ!はいわゆる「音ゲー」の一種で、トップス・ボトムス・シューズ・アクセサリーの4種のカードを組み合わせてコーディネートし、オーディションという名のリズムゲームをクリアしてお仕事をゲットしていくという仕組みだ。
当然、豊富なバリエーションのオーディションステージが用意されるため、アイカツ!では年間20曲以上の楽曲が生まれている。
その楽曲の特徴は、キャラクターの声優とは別に歌唱担当が存在すること(STAR☆ANIS、AIKATSU☆STARS!など)、とにかくジャンルの幅が広いということ、そして“攻めてる”楽曲が多いということだ。
アイカツ!の立ち上げにはスーパーバイザーとしてアイドルにも造詣が深いアニメ監督、水島精二氏が関わっており、音楽制作については別のエントリを参照してほしい。
(アイカツ!における水島スーパーバイザーの仕事について - Togetterまとめ)
そして幅広いジャンルで攻めるという場合、楽曲の発注では、そのジャンルの先達の楽曲を参考にすることが当然多くなる。
特に水島氏はそこのイメージが具体的だったようで、アイカツ!の初期の楽曲は「何を参考にしたか」が比較的分かりやすい。
そこで、今回はアイカツ!の初期の楽曲を中心に、その元ネタ探しをしてみようと思う。(あくまで推察なので的外れなものもあると思う)
アニメの主題歌にこそなっていないものの、アイカツ!の原点ともいえる曲で、ゲームの企画段階の初期に作られたものだ。
「アイドル」というテーマの基本となる王道の曲であることから、当時の最も有名なアイドルグループを参考にしただろうことは想像に難くない。
明言はされていないものの、曲を聴いたイメージからおそらくAKB48のヘビーローテーションを参考にしただろうと推察できる。
アイカツ!で最も人気があると思われる曲で、YouTubeでの再生数が350万を超える化け物である。
いわゆる「メタル」であり、生粋のアイドルオタクである水島氏がBABYMETALを意識しただろうと考えることもできるが、
この曲はアイドルが歌うメタルというわけではなく、普通にかっこいいメタルなので、ベビメタが元ネタというには少し安易すぎる。
フルバージョンでは1分を超えるキーボード&ギターソロがあり、「ベビメタみたいにしてください」という発注だけではこの曲は生まれていないのではないか。
実は、この曲については元ネタが明言されている。
「吸血鬼キャラを演じているユリカが歌う「硝子ドール」は特別にエッジのきいた楽曲ですが、あれも“NIGHTWISH”というオペラ風に歌いあげる女性ヴォーカルのヘヴィメタル・バンドを参考にしています。 」
Storytimeという曲を聴けば、なるほどと納得していただけるかと思う。
NIGHTWISH - Storytime (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
(追記:DREAM THEATERっぽいとの意見もあるが、それは作曲の帆足圭吾氏がDREAM THEATERの大ファンである影響かと思われる)
DREAM THEATER - Forsaken (Official Music Video)
「最初のうちは「アヴリル・ラヴィーンのようなポップスで」とオーダーしても、どこか抑えてしまうので、「存分にお願いします」と言うのも僕の仕事になりました。 」
と発言している。つまり、アヴリルのようなポップスがアイカツ!の楽曲にあるのだということになるが、自分の考える限りではこの曲が最もアヴリル・ラヴィーンに近い。
もちろん没になった可能性もある。(例として、2年目に登場するDance in the rainという曲は実際にはかなり初期に制作されていた)
アイカツ!はアイドルがテーマであることもあり、実際のアイドルをイメージしたような曲がいくつか見られるのも特徴のひとつだ。
こちらの冬っぽい曲もおそらくそのひとつで、自分の考えでは広末涼子なのではないかと思う。
広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」は、ケンタッキーのCMでいつのまにか冬のイメージになってしまった竹内まりやが作曲している。
ピチカート・ファイヴや初期のcapsuleをイメージするようなキュートな「渋谷系」っぽい曲である。
そのまま渋谷系っぽいオーダーで制作されたのかな、とも考えられるが、MVを見ると元ネタはなんとなく松浦亜弥の「ね〜え?」かもしれないと思った。
小さな箱の中で踊るというイメージが「ね〜え?」のMVと似ているからである。
しかも、「ね〜え?」は編曲がピチカート・ファイヴの小西康陽(作曲はつんく♂)ということもあり、渋谷系から外れてはいないのだ。
アニメの2番目のOPテーマで、主人公のいちごとあおいと蘭の3人によるユニット「ソレイユ」の持ち歌というのもあり人気の高い曲。
こちらも元ネタが明言されている。
kemuri良いわ〜!アイカツ!OP、ダイヤモンドハッピーはkemuriのPMAと戸松遥のQ&Aリサイタルのようなイメージで制作したんす。両曲ポジティブで明るくて超盛り上がる名曲!Listening to “Here rise the sun again” by KEMURI ♫— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 6月 20
KEMURI 「PMA (Positive Mental Attitude)」 Music Video (SKA BRAVO Version)
音ゲーにしてはかなりスローな曲で、おそらくアイカツ楽曲で最も遅いのでは。
Enya - Only Time (Official Music Video)
神崎美月、一ノ瀬かえで、藤堂ユリカの3人によるユニット「トライスター」の持ち歌。
アニメでは、トライスターの結成にあたってメンバー選抜オーディションが行われ、物語上の重要な転換点で登場する曲である。
STAR☆ANISとの雑談で「難易度の高い曲が歌いたい」って話が出て。ならばKalafinaのようなハモリが絡み合う感じがいいかなと。 - 水島精二
アイカツ!内に登場する近未来がテーマのブランド「フューチャリングガール」をイメージした曲。
いわゆるテクノポップな感じの曲なので、Perfumeがイメージなのかな?とは思うけれど、正直全くわからない。
2年目にもstranger alienというprism spiralの後継とでもいうべきテクノポップな曲が登場するが、単純にコンセプトから結果的にそうなっただけなのかもしれない。
(2015-11-19追記:prism spiralはどっちかっていうとハウスだろ、とお叱りを受けた。それは確かにそうかもしれない。stranger alienに引っ張られすぎて見失っていた。
大変申し訳ない。そして指摘とかほかにあったらどんどんしてほしい、というかむしろ自分より音楽の詳しい人にどんどん楽曲を分析してほしい)
これに関してはちょっと楽曲からズレた話になる。
かつて一世を風靡したレジェンドアイドルユニット「マスカレード」の代表曲となる1曲で、
アニメでは「懐メロライブガール・オーディション」で「懐メロの曲」として、いちごとあおいがカバーすることになる。
そして、マスカレードはピンクレディーをモチーフにしているユニットだと思われる。
僕的にはピンクレディー。それこそ社会現象を起こしたアイドルのイメージです。 - 木村隆一
僕のイメージでは、マスカレードがピンクレディーなので、キャンディーズくらい人気のライバルがいたんでしょう。 - 木村隆一
けれども、曲のイメージとしてはピンクレディーっぽい感じはとくにないので、そこまでは意識してはいなかったのだろう。
その代わりに、面白い仕掛けとして、この曲のメロディーはアニメの初期からBGMとして頻繁に使われており、女児にとっても「懐かしい」感じに聞こえるような工夫が為されている。
ドラマ「オシャレ怪盗スワロウテイル」のオーディションステージの曲。
ジャジーな曲で、怪盗がテーマなことからおそらくルパン三世を意識したところがあるのだと思われる。
「スワロウテイル」はかつてマスカレードが出演していたドラマだったのを考えると、「ペッパー警部」も念頭にあったのかもしれない。
余談だが、現在放映中のルパン三世新シリーズの監督はアイカツ!1年目にも深くかかわり、劇場版アイカツ!で監督も務めた矢野雄一郎さんである。
いわゆる「サンプリング」であり、クラシックの名曲が使われているのだ。
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より「行進曲」のメロディーが使われている。
はっきりと元ネタがあるわけではないが、「EDM」「ダブステップ」をキーワードに制作されたことが明言されている。
アイカツ!新OP/EDもお楽しみいただけましたけ〜!OPはEDMアイカツ流(笑)EDはカレンダーガール進化版を目指しました!OPを石濱さん/畑さんペア、EDを田中さん/こだまさんペアの鉄板チームで制作していただきました!最高です!CDの発売が楽しみ〜!#aikatsu— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 10月 3
「KIRA☆Power」は、ダブステップという攻撃的なサウンドの音楽ジャンルを取り入れた、かなり攻めている曲です。
ダブステップのように旬なサウンドは、あとで遅れてやるとダサイので、「やれるうちにやっておこう」と思いました。 - 石濱翔
映画でいちごが出会うことになるシンガーソングライター・花音がいちごのために作った曲だ。
「アイドルとシンガー。異なるタイプの2人が出会い、新しい何かが生まれる。そんなストーリーを描きたかった。下敷きになっているのは、1980年代のアイドルの歴史の転換点です」
制作陣が、80年代と現代をつなぐイメージとして共有したのが、あの名曲「赤いスイートピー」だった。そして、当時トップアイドルへの階段を駆け上がっていた松田聖子さんが歌うこの楽曲こそ、木村さんの言う「アイドルの歴史の転換点」だった。
さらに、花音のイメージは赤いスイートピーの作曲者でもある松任谷(荒井)由実であるとも発言している。
アイカツ!3年目の2つ目のEDテーマであり、氷上スミレと黒沢凛が組むユニット「ダンシングディーヴァ」の持ち歌である。
「ダンシングディーヴァ」のイメージはSPEED。スミレが歌って、凛が横でダンスしている感じがカッコいいんじゃないかと思いました。 - 木村隆一
ではなぜ渋谷系なのか。それは、このステージが「レトロクローバー」というブランドをイメージしたものであるところにヒントがありそうである。
60~70年代のレトロフィーチャーなテイストをイメージしました。参考にしたのは、ツイッギー(英国の女優、モデル、歌手)のファッション。 - 中屋有貴(バンダイ・カード事業部)
華奢な体形からツイッギー(小枝)の愛称で呼ばれ、(藤原みやびが履くのをためらった)「ミニスカート」で話題になったツイッギーから着想を得ている。
そして、ツイッギーといえば連想するのがピチカート・ファイヴの「トゥイギー・トゥイギー」、繋がった。(ただのこじつけ)
U-MV053 - Pizzicato 5 - Twiggy Twiggy
大和撫子なブランド「桜色花伝」をイメージした曲で、とても和風。
近年よく耳にする「和ロック」な曲であるといっていいだろう。和ロックの出自についてはよくわからないが、「凛として咲く花の如く」「千本桜」などがよく挙げられるようだ。
何を意識して作られたのかはわからないけど、この多幸感がなんかすごい「っぽいな」と思ったので貼りたくなっただけです。
氷上スミレの持ち歌で、懐かしの歌謡曲を思わせるような不思議な1曲。
Winkっぽい。音楽理論とか全く詳しくなくてほとんどイメージでこじつけてるので公式ソースがあるの以外は参考程度に考えてください。
アイカツ!にはほかにもたくさん良い曲がある。ロカビリーな曲や映画音楽のような壮大なもの、80年代ディスコ風、渋谷系テイスト……とにかく幅が広い。
自分の好みの曲が必ずひとつは見つかるだろう、というくらいいろいろやっている。
そして、ときどき思わぬ人が楽曲提供をしていてびっくりすることもある。(NARASAKI、浜渦正志、ミト(クラムボン)、ナカノモリアヤコ、Kensuke ushioなど)
そんな楽曲を女児たちが聴いて成長すると思うと、音楽の未来は明るいなあと思ったりもする。
アイカツ!の○○みたいな曲ってなんていうジャンルなんだろう、と掘り下げたり、○○みたいな曲が作りたい、と作曲に手を出してみたり、
友人はビートルズヲタ歴20年超えてて他のアーティストもそれなりに聞くけど、ビートルズが別格みたい。
そんな友人とこの間ビートルズの話をしてて
「アルバム毎に音楽性がもう全然違うんだよね。ファーストアルバムと最後のアルバムなんて、もう別グループだよ。」って言っててさ
音楽が今みたいに多様性があるわけじゃなかったから、そのなかでやってたビートルズはすごいよ。
それはわかる。でもな、でもな…。
やばいぞ。
ほんの一例だけど
「Citizens of science」と「perspective」は同じ作曲者とも思えないし同じバンドの曲には思えない。
私は中学でYMOを知ってから、10年近くファンを続けている。
専門的な知識はないど素人だが、素人なりの直感でもこんなに稲妻が走ったことはない。
デーボやクラフトワークも、筋がとおってる。
音楽性が変わりまくる=いい事とは限らないけれど
追記/専門的な知識がないとヲタ騙っちゃいけないんですか??
好きで、10年以上聴きつづけてるんだけどこれはYMO素人なんでしょうか…。
OMOYDEも持ってるし、ライブアルバムも市場に流れてる範囲で全部持ってますよ。。。
ただ、音楽的なことと、シンセサイザーとか機材のことはよくわかんないです。
追記2/誤字です。↑ヲタ語っちゃ~ですね。ご指摘サンクスです。
くるりは、メンバー変わってるから同じ定規て計ってよいのやらって感じではあるけど
作曲者がお亡くなりになったそうで。
久しぶりにルカルカなんて聞いたから思い出した女のことを書く。
新人のとき、同期で唯一のオタサーの姫的な女がいて、そいつがカラオケで歌ってた。
メンヘラだった
そいつとある子供向けアニメも好きでめっちゃそのアニメみたりグッズ集めたりしてたんだけど、
IT業界だったら女少ないからちやほやされると思って入った、と言っていた
ぶっちゃけビジュアルは下の上くらいだったけど、若さだけで実際ちやほやされてた
でもいざ一緒に仕事するとあまりにも仕事ができなさすぎて(プログラムの適性がまったくなかった)、
上司と不倫してそれが会社全体に広まって離婚だとか問題になる前にやめて地元帰った
でももうあいつも30だ
本稿はTVアニメ『マイ・リトル・ポニー 〜トモダチは魔法〜』の二次創作作品「How Applejack Won the war」についての解説である。
~How Applejack Won the War~ 完成版 ‐ ニコニコ動画:GINZA
すでに動画up主による訳詞がついているため、これだけ観ても楽しめる。
しかし元動画作者の Sherclop Pones の特徴として「偏執的なまでに韻を踏む」の他に「やたらダブルミーニングを込めたがる」というのもあり、翻訳動画だけではカバーしきれない、あるいは観ててわかりにくいところが多々存在する。
以下ではそうしたスキマを解説していきたい。訳はだいたいオリジナルであるが、ところどころでリンク先動画主のGED氏の訳を大いに参考にさせてもらった。この場を借りて謝意を表したい。
一日目
開戦だ
さあ、ジョニーよ銃をとれ*
訓練所で射撃練習だ
三段目(Come on Johnny get your gun)の元ネタは当然反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』(さらにその元ネタとなった軍歌『オーヴァー・ゼア』)。
四段目の「訓練所」は fruit camp 、新兵訓練所である Boot camp (昔流行ったアレ)とかけてある。
行進しよう
集結ポイントへ
お嬢様みたいにさ
エージェント・オレンジ? まあ、待ちなって
三段目: i’m speaking fancy too. は第二シーズン六話「恐怖のキューティー・マーク」より。フランス語のキューティーマークが発現したアップルブルームに対してアップルジャックが言ったセリフ。日本語版放送時には「妹がザマス言葉になっちゃった!」と訳された。なぜこのセリフが引用されたかといえば、前段の歌詞 Rendez-vous が「集結地点」を表すフランス語だから。
四段目: Agent Orange? エージェント・オレンジはベトナム戦争時に、森林ゲリラに悩まされたアメリカ軍が木々を根こそぎ除去するためにばら撒いた悪名高き除草剤。含有されていた有害物質が後々までベトナムの人びとに深刻な影響を与えた。
二日目
仕事は多い
ラリティもがんばってる
地面を均して、納屋を建てる
五段目: Raze the field, raise this barn. - 第三シーズン八話「Apple Family Reunion」の劇中歌より。原曲の raise(建物を建てる)と、 raze(破壊する)をかけている。
ここまでは
楽勝だ
市民に死傷者は出たけれど
撃ちてしやまぬ
戦友の手を取りド-シ-ドと踊ろう
五段目: do-si-do とはスクウェアダンスやポルカの基本ステップ。元はフランス語。
新兵たちよ
良心の呵責などいらぬ
家族と結べ、戦債を売れ
条約を結べ、戦歌を歌え
一段目: Draft horse そのまま訳せば「徴募(Draft)された馬」だが、同時にアメリカのばん馬にあたるゴツいお馬さん(Draft horse)にもかかっている。
三段目: alpha, bravo, charley-horse アルファ、ブラボー、チャーリーは、軍隊で使用されるコールサイン。それに charley-horse すなわち「こむら返り」をかけている。
四段目、五段目: Family bonding, selling bonds, Signing treaties, singing songs 日本語訳動画うぷ主のGED氏は「一家団結、戦時公債、条約締結、軍歌斉唱」と訳している。名訳である。
上昇!
投下!
支援部隊がすぐ駆けつけるはずさ
五段目: 『マイ・リトル・ポニー』のオープニングにおいて、主人公のトワイライトは毎回気球に乗って登場する。
三日目
沖に出よう
静かな海でたったひとり
自分の罪に思い巡らす
寝てるなよ
終わってないよ
戦いのときだ、総員甲板へ
やつらの戦艦を沈めて
ジューシーに焼きあげろ
五段目: Burn them to a Honeycrisp ハニークリスプはりんごの品種。パリッとしたジューシーな食感が特徴。
降伏だと?
まだ殺りたんねえな
あのチキンどもを追い立てろ
やつらにくれてやる厩舎などない
捕虜は取るな、皆殺しだ!!
四日目
戦争に勝った
紅く甘美な勝利だね
三段目: Loyal to my apple corp 作曲者である Sherclop Pones の人気シリーズ動画「Friendship is Witchcraft」でアップルジャックとレインボーダッシュのエレメントが入れ替わってしまい、アップルジャックが「忠誠」のエレメントになってしまったことがあった。
戦の馬たちよ
誇りを高く持て
ドアに飾った勲章が
私の勝利を語ってくれる!
三段目: Freedom isn't Everfree: 『マイ・リトル・ポニー』本編に出てくる Everfree forest という地名が、アメリカの右翼が好きなフレーズ Freedom isn’t free. 「自由はタダじゃない」にかかっている。
アニメシンフォニアというアニメの曲をオーケストラでやります。
というプロ団体で急に曲変更が起きた問題でくわしく解説しているサイトがないからここで記載します。
よくJASRACで許可降りてるのになんでダメなの?みたいな話があるからその辺から
JASRACは曲を演奏したり出版する際の許可をとって集金を代行するのが業務なんだけど
今回のように進撃の巨人の元曲をオーケストラにする場合には「編曲」という行為がはいるんだ
そして編曲「していいか」どうかの権利というのはJASRACは管轄しないで直接許可を作曲者にとってねというのが
澤野 弘之さんとポニーキャニオン音楽出版ってとこが権利を持っているのでまず可能性があるとすればソコ
だからまずオーケストラに編曲して演奏しますっていうのを澤野さんに確認しなきゃいけないの。でも普通の人に
澤野さんの連絡先なんてわからない「これが第一の問題」作曲者に連絡取れるパイプなんて普通持ってない
ポニーキャニオンに連絡して「編曲していいですか?」「演奏しますね」「アマチュアではなくプロの公演です」
っていうのをやらなきゃいけないの。だけどまぁこのへんで指摘が入るのは考えられる
アニメだと制作委員会制をとったりするから更に権利関係が複雑で放送時点は出版社や放送局が権利があってDVDに
なったりすると今度は制作会社が権利があったりするので最終的な演奏の許諾に関する権利関係の責任の所在があいまい
で誰かが許諾しないとNGが出たりするだから一般的に出版されてない楽譜に編曲して更に演奏するってなると許可を得る
のに数年かかったり最終的にNG出たりする。
https://www.nitroplus.co.jp/license/
①実はまどか☆マギカは当初の権利関係のスタンスがすごくクリアだった。
商業としてはかなり特例の「著作物転載のガイドライン」を定めていて、ファン活動であれば引用はOK
ですよってスタンスをとっていたの
②ここに目をつけたのがアマチュアの、ワルプルギスの夜オーケストラ
ファン活動として1000人くらいを動員する活動として「正式」にできたという経緯
指揮者の志村健一が実績を持った上で商業的な成功を見越して、正式にプロ活動としてコラボするから許可が出るというわけ。こでが0ベースの商業としての持ち込みだったらOKでたかは定かではないと思うな。それが公式のまどかマギカオーケストラにつながっているわけです。
■今回の騒動におけるまとめ
一度前例ができれば出版社や許可保有の会社も法務部含めてそういうことへの許可申請のラインができるのだけど、いきなり降って出た話ってそういうのが許可できなくてオクラ入りになる場合が多い
・じゃあなぜ返金とか対応できないの?
アマチュアの演奏家とかだとわかると思うけど実質運営団体として実績がない社団法人って吹けば飛ぶような運営方針だと思うんだよね。オーチャードホールなんて結構な費用のするホールだから多分返金したら利益が出ないばかりか演奏会が成り立たず実質運営者の赤字活動になってしまう。アマチュアならばまだしもプロ活動だとそれは避けたい。たとえ炎上してでも演奏会を決行せざる得ないし返金に応じないというのも仕方がないということ。
さて題名のとおり,ボカロ界の考察を自分なりに書きとめようと思う.
筆者はボカロファン(特に初音ミクのファン)であり客観性は必ずしも担保されないことをはじめに断っておく.
海外シーンやセガのゲームタイトル,MMDなどの派生分野は全然考慮しないでメインの曲分野だけ注目したので,いろいろ間違っているかもしれない.
https://www.yano.co.jp/press/pdf/1334.pdf
特にボカロを含むオタク市場をカテゴリ別にまとめた表に注目する.(表3)
ボーカロイドは一人当たりの消費額で一番下に位置しており,オタク趣味の中でもっともお金がかからないといえる.
お金がかからない理由として,ボカロ自体がニコニコやyoutubeに無償でアップされた曲たちを中心とし,
版権などの商業化の絡まない雑多なクラスタだったことがあげられる.
動画サイトの隆盛とともにボーカロイドも盛り上がり,ユーザーは動画サイトを適当にブラウジングするだけで
遺法ではないメインコンテンツに簡単にアクセスすることができた.
・ライト層が大部分を占める
これは平均消費金額やアクセスのしやすさからみて,ライト層との親和性がもっとも高いと推測されるからである.
さてボカロのメインコンテンツである曲の盛り上がりを示す指標として,ボーカロイド曲ランキングがある.
「週間ボーカロイドランキングまとめ」の上位10曲の合計再生数の推移をみてほしい.
http://vocaran.jpn.org/stat/points?img=view
週間ボーカロイドランキングとは,その週にもっとも再生されマイリストに入れられた,すなわち盛り上がった曲をソートして動画にしたものだ.
その中でも「上位10曲の合計再生数」は,もっとも盛り上がった曲の盛り上がり度を示す指標としてふさわしい.
上位の曲はライト層でも一回は再生した可能性が高く,ボカロのメイン層であるライト層がその週にどれだけ盛り上がったかを示す指標になる.
普段はボカロに興味はなくてもこの曲だけはふとしたきっかけで聞いた人もいるだろうし,そのような層は容易にライト層に転化する.
他の指標の「マイリスト数」は動画を気に入ったファンの数でありある程度ヘビーな指標となる.
さてグラフをみると,#310あたりに最後のピークを記録したあと,徐々に減少し回復していないことがわかる.
これは最近のメインのボカロシーンが衰退しており,中心となるライト層を捉えられていないことを示す.
では最後のピークである#310に何か手がかりはないだろうか.
「週間ボーカロイドランキング#310」で1位に輝いた曲は,【IA】サマータイムレコード【オリジナルMV】だった.
カゲロウプロジェクトはボーカロイド界で有名すぎるので説明は省くが,この曲はカゲプロ最後の曲であり,
作曲者のじん氏は投稿者コメントで「また、何処かで。」と締めくくっている.
この曲を投稿する以前からカゲロウプロジェクトは漫画化などのメディアミックスが進行しており,曲投稿後もアニメなどで盛り上がった.
ボカロシーンの表面的な盛り上がりは,カゲプロ最後の曲の投稿とともに盛り下がって行った.
ここで次のことが推測できる.
・ボカロのライト層のある部分はカゲロウプロジェクトのファンに変わった
ライト層はヘビー層に比べてコンテンツへの拘りが小さく,たやすく自分にあったコンテンツへ乗り換える.
ボカロのファンからボカロでもっとも有名であったカゲロウプロジェクトのファンになることに障害は少ない.
カゲロウプロジェクトがボカロ曲投稿という活動から手を引くと同時に,カゲプロのファンもボカロ界から消えたのである.
筆者はカゲロウプロジェクトを糾弾するつもりはないし,むしろカゲプロがなければボカロの(一時的かもしれないが)盛り上がりはなかったと思う.
商業だろうとアマチュアだろうと作曲者の投稿は自由であり,好きなときにやめてよく,ただの受け手に文句を言う資格はない.
それよりもボカロの衰退はコミュニティに弾力性がなかったことが大きな原因に思える.
ひとつのコンテンツが終わったときに,それ以上の新たなコンテンツを生み出して盛り上げるエネルギーが足りていなかった.
「週刊ボーカロイドランキング」は#259で「週刊UTAUランキング」と合併し「週刊VOCALOIDとUTAUランキング」になったのだが,
その前後でランキング動画自体の再生数が大きく減少しているのである.
これは「週刊ボーカロイドランキング」がライト層向け動画であったのに対し,UTAUコンテンツがヘビー層向けで,合併によりミスマッチを起こしたせいではないかと考える.
ランキング動画は今流行りのコンテンツを優先的に表示し,探す手間を省いてくれるので,ライト層には都合がいい.
しかしUTAUというヘビー層向けコンテンツも表示されるようになり,ライト層が興味を持続できなくなったのだろう.
ちなみにsippotan氏がいなければそもそもランキング動画自体存在しないので,彼への感謝の念はすべての分析を上回る.
さてボカロシーンに活気がなくなると共に,昔のコンテンツが再び相対的に盛り上がるようになってきた.
たとえば2007年10月に投稿された「初音ミクオリジナル『えれくとりっく・えんじぇぅ』Full ver.」の小説化が最近発表された.
http://www.php.co.jp/electricangel/
この曲は初期の初音ミクのイメージ形成に大きな役割を果たし,派生作品も多く,長らく定番の曲として親しまれてきた.
なぜ今頃小説化するのかというと,ライト層がじゅうぶん大きくなった(と出版側が考えた)からだと思う.
一つの曲のイメージに拘泥するヘビー層より,多様な解釈で多様な媒体を受け入れるライト層に訴求する効果のほうが重視されるようになったのだろう.
ボカロの柱であり財産でもある曲たちは,ネット上に半永久的に残り続け,その容易なアクセスを提供する.
これについてJASRACに手続きを取ったのかどうかShougo氏のask.fmに質問を送った。
まだ回答はもらえていない。
もしも無断でやっていたのならShougo氏だけの責任では済まされないことであり、勉強会運営者(後で調べてJASRACに報告します)にも責任がある。
Shougo氏から回答を得ることが出来なければ疑惑ということで、月曜日にもJASRACに報告を入れる予定だ。
俺は最近Vimを使い出したばかりのVim初心者だがこういう事を黙認しているようなローカルコミュニティであるなら日本のVimコミュニティーは世間知らずが多いということだろう。
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補足。
JASRACに、参加者と運営者が分かるイベントサイトのURLと3名の人物を報告をした。
すぐに返信が着て、詳細は伏せるが確認と調査をするとのお返事は頂いた。
作詞者も作曲者も自分の作った創作物は時間を掛けた分だけ愛着があるものだ。
別に俺はShougo氏も運営者も嫌いだからこんなことを書いたわけではない。
歌を歌うなとは言わないが今後の適切な運営を望む。
http://anond.hatelabo.jp/20150307105533
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「金髪バリキャリ嫁」「離婚ないし離婚寸前(事実離婚)」
「娘との接点は学校の送り迎えぐらい」「娘には軽んじられている」「最後に愛を取り戻す」
なので
「ドライブ・ハード」「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」と同じ映画。
3)#1煮詰まってて平凡な毎日を送る主人公(中年・男)。意に染まない退屈な仕事を繰り返していた。
#3試練をくぐりぬけ、
#4自分の本当にしたい仕事に気付き、それをはじめる。圧倒的成長!
#5ついでに愛も取り戻す。
B:ちょっとだけ時間が前後するので、実際のフィルムはこの流れではないよ。
#1
主人公はNY在住のアメリカ人の中年音楽プロデューサー。若いころから名声を得て育てたスターは数知れず。
だが最近は鳴かせず飛ばせず。会社の偉い人には逆らえずクビをちらつかされる。
お前のセンスは古いとかふざけるな。オワコンじゃねーよ俺は!ゴミアーティストしかデモ曲を送ってこないんだよ!
そして稼ぎのよい金髪の嫁とは離婚寸前(たぶん。離婚済みだったかも)。娘を送り迎えすることでかろうじてつながっているが、娘にはバカにされている。
#2
B:ひょんなことからキーラナイトレイと出会う。なんだこいつ。超いい曲じゃないか!歌うまいし。やったぜ!またオスカー狙えそう!会社の奴らの鼻をあかしてやれる!
だが彼女はプロデビュー、商業的成功には興味がない。彼女にはホームレス扱いされる。
この映画ではOPレベルよりあんまりひどい状態にはならない。結局キーラナイトレイも協力してくれるし。
#3
B:試練はいろいろある。金がなくてスタジオが借りられないとか。
でも、愉快な仲間、アスペのバイオリニスト、音大生、リズム担当黒人などが荒野の七人だの八犬伝だのを端折ったように集まる。
たのしいレコーディング(シェフ~の美味しい料理お楽しみシーンに相当)
#4
B:バンドの最後の一人は主人公の娘。分かり合えたよ!オレは間違っていた。売れる音楽なんか作らなくていい。
YOUTUBEがあるやんけ!オスカー時代のコネもちょっとはつかうぜ!
ほんとうの音楽をみんなにとどけるんだ!
#5
嫁とも愛をとりもどし、終わり。
(キーラ側の話のラインは省略。ゲイのストリートミュージシャン<上記荒野の七人の一人>に慰められたりするよ)
映画「君が生きた証」
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「しっかり者な金髪嫁」「離婚」
「息子とディスコミュニケーション」「最後に生きる意味を取り戻す」
なのでかなり近い映画。
#1
主人公は広告代理店のやり手部長。ブランドファッション!いい車! 仕事がうまく行った!息子と祝杯を挙げようと電話するも無視される
#2
息子は大学の乱射事件で死亡。ショックのあまり広告代理店の職も辞し、離婚。古家のペンキ塗りリフォームに転職。やさぐれて過ごす毎日。ひげもじゃ!立小便!
元嫁は再婚して新しく男の子を出産した。ちょっと凹むわ~ 飲んだくれすぎてペンキ塗りもクビに。クビじゃない。こっちからやめてやったんだ。
#3
息子の残した歌に心打たれる。息子の歌を歌う。息子のような世代の友人もできた。調子出てきた!でも、こいつは息子の作った歌を俺の作った歌だと勘違いしているんだよな・・・いつか言わなきゃ
#4
真の作曲者がバレたり、いろいろあって最高にひどい目に。息子の遺品のギターも壊れちゃった!
#5
今いる有名なクリエイターは、基本的に金持ちの生まれで、センスのいいものに囲まれて育ってきた人なんだな、
と高校ぐらいの時に気づいた。
周りを見ても、親が金持ちのやつは何に関してもセンスが良い傾向にあった。
高校に入る前(マイルドヤンキーしかいない公立中学時代)は、創作欲があったけれど、
受験して高校に入ってからは壁があることに気づいて創作欲が無くなった。
そして25歳になった今、自分の歳くらいの作曲者だったり小説家を見ていてなんとも言えない気持ちになる。
創作欲は無くなったんじゃなくて封印していたんだなと今になって気づいた。
しかし、金持ちの生まれじゃない俺には、やっぱりセンスが無いように思える。
今まで積み上げてきたものもない。
仮にこれからの人生で本気で何かを創作しても、友達がいいねしてくれるくらいに終わりそうだ。
どうすればいいのかわからない。