はてなキーワード: キーラとは
https://x.com/kadokawahonyaku/status/1731070740496355487
角川のトランス本でアライがまたキャンセルしようと騒いでるが、実際にトランスへの投薬は裁判沙汰になってるんよ
https://www.bbc.com/news/health-51676020.amp
彼女は昨年、異性ホルモン剤の服用をやめることを決意し、今は女性としての性を受け入れていると語った。しかし、彼女はこの10年間に自分に起こったことにも怒りを感じていた。
「ティーンエイジャーの頃、ほとんどファンタジーのように抱いていたこの考えに走ることを許されていた......そしてそれは、大人になってからの長い目で見た私に影響を与えた。私はまだ若い。私はまだ大人になったばかりなのに、このような重荷や根本的な違いに対処しなければならないのです。」
キーラの弁護団は、子供にはこのような治療が、例えば生殖能力への影響など、将来の人生に及ぼすかもしれない影響を天秤にかけることはできないと主張する予定である。
同クリニックの元スタッフは、異なる性別への移行を望むティーンエイジャーが、十分な評価や心理学的作業なしに思春期阻害剤を投与されていることに懸念を示している。
NHSは思春期ブロッカーを可逆的なものと説明しているが、GIDSは脳の発達や心理的健康への影響は完全にはわかっていないと認めている。
なんか誰も書いてないっぽいので書いておく。
ネタバレなので未見の人で観る予定がある人はこれ以降は読まないでほしい。
オレも泣いていた。
エドガンは妻を蘇らせるためにメチャクチャ苦労して命を懸けていろんな冒険するわけなんだけど、
結局は妻は蘇らない。
なぜかって、ホルガを蘇らせるためにアイテム使っちゃったから。
でもさ、これには理由があるんだ。
エドガンの娘のキーラは、もう何年もホルガと一緒に暮らしていて、母と娘のような関係になっていたんだ。
妻のジアが戻ってくるのはいいんだけど、ホルガを押し退けてまで戻るべきではない。
その判断は、エドガンの夢で**事前に**行われているんだよ。
ジアはエドガンの夢に出てきて「過ぎたものは行かせてやりなさい」みたいなことを言ってる。
これはもちろんエドガンの深層心理的に妻よりも、ホルガの存在のほうが大きくなっているということもあるだろうし、
(ひねくれた見方をすると、主人公が妻を忘れることの言い訳をしているとも取れるんだけど)
ファンタジー世界としては、**本当に妻の霊魂が**「私のことはもういいから、いざというときはホルガのほうを優先してね」と言っているということだ。
ジアの「自分の命よりも娘のこれからのことを心配している親心」の表明なんだよ!!!
エドガンが「ジアよりもホルガと娘の関係を優先するという判断を内心でしている(ジアならたぶんこう考えるだろう)」ということの心理表現なのかもしれない。
これだけでも泣けるんだけど、
主人公のエドガンが妻の気持ちを汲み取って、ホルガを生き返らせるところで映画館にいた人全員泣いていたと思う。
「ジア、お前の気持ちはわかった。悲しいが、お前の意思を尊重するぜ。そしてこれがオレの娘をこれから守っていくという決心だ」
ホルガとしては「私なんかを蘇らせやがって、お前の妻はどうしたんだよ」と思っているが、
ここまでホルガとキーラの関係を描いてきた映画としてはこれしかない結論だ。
娘のことが心残りで現生に留まっていたジアの魂も、ここで本当に納得して死ねたんだな、ということかもしれない。
ぜんぜん「成仏」という概念がないはずのファンタジーなんだけど、実質的に成仏している。
ジアの自己犠牲、そして死んだ者が死んだ者として役割をまっとうするという点。
これをもってしか、ダンジョンズアンドドラゴンズという映画は成立しない。
いろいろあって死ぬほど苦労して、スペクタクルなこともあったけど、一番重要なことは「愛していた死んだ人間を生き返らせること」じゃない。
未来を娘が健やかに生きていく、そしてホルガとの関係性なんだ。
これから生きていくこと、人とのつながりを大事にしようぜって話なんだよ。
死んだ人が本当に死ぬためにはなにをしないといけないのかってこと。
それはファンタジー世界であろうがフィクションであろうが変わらない。
物語は嘘っぱち、セリフも嘘っぱち、もちろん魔法なんかは存在するはずもない。
でも、この真実が作り物である映画を超えて、胸に迫ってくるんですよ。
娘を愛する母の願い。このメッセージだけは本物の本物だ。
初の前年割れで、同人漫画家・イラストレーターの活動において、パトロン系サイトの比重が高まったことを感じます。
だから、光源が一つだと思ってるのが頭悪すぎる、無知すぎるって話。
映画の人物アップで使われる基本照明には「3点照明」というセットアップがあって、読んで字のごとく3方向の光源があるのが「通常」なのだ。
そのうちの一つの「フィルライト」は、メインのキーライトの「影を消すためだけの照明」である。
一つの光源だけで、イメージ通りの画面を再現するなど至難の業なのだ。
暗闇のシーンで俳優の顔が自然に浮かび上がって見えているのも、「俳優の顔を照らすためだけの不自然な光源」によってライティングされているのだ。
(考えなくてもわかるだろ)
「照明」がどういう仕事をしているのか基本中の基本すら理解していないのに、その小さな脳内の情報だけで理屈をひねり出すから馬鹿なのだ。
黒澤明は、羅生門の撮影では、鏡を使った本来存在しない強烈な光を役者の顔に当て、緊張感を演出した。
用心棒では、望遠レンズの撮影のために、鬘から煙が出るほどの強いピン照明を当てた。
夢では、川の中の水草を映すために、太陽光の反射を遮るシートを川全体に被せて撮影した。
これらは全て「リアルでは有り得ない光源・照明処理」の話である。
ブコメは、あまりにも「ぼくのかんがえたさいきょうのしょうめいりろん」に溢れていて泣けてくる。
件のイラストについては、白すぎて変だと思うのはよくわかる。
しかし「逆光ながら、キーライトを落として額と鼻頬の立体感を浮かび上がらせる」という当たり前のテクニック自体を否定するのは、あまりに愚かだ。
「そんな光源は存在しない」という意味不明すぎるコメントには爆笑した。馬鹿か?
トリュフォーの映画で、映画に愛をこめて アメリカの夜 という作品がある。
アメリカの夜とは昔の映画技法で、昼間の映像に青などのフィルターをかけ、夜のように見せるという「非常に不自然な」手法のことだ。
つまり「映画とは、撮影とは嘘の塊で、みんなそれをわかった上で愛しているよ」という粋なタイトルだ。
逆に、浅はかで無粋なことを言いたがる人種に限って、ろくに知識もないことへの皮肉でもある。
この映画では、「小型ライトが仕込まれた蝋燭」というアイテムが登場する。
「蝋燭ごときの光源では照明にならないので、無理やり電灯で顔を照らす」ための小道具だ。
素人が考える「自然な照明」がいかにアホらしい妄想か、よくわかるだろう。
上記のように、映画の撮影ですら「不自然な」照明など当たり前なのだ。
彼らは映画を見るたびにあり得ない光源に文句を言っているのだろうか。
(思いつきで知ったかぶりをしているだけだから、無論そんなことができる筈もないのだが)
クリエイティブに関わった経験のある人間なら、ああいう馬鹿なコメントはしないものだ。
批判するにしてもせいぜいが、「やりたい演出はわかるけど、下手だね」という観点からである。
クリエイティブ経験がなくとも最低限の知識さえあれば、「クリエイティブとは不自然の塊である」ことなど常識のはずだ。
長引くコロナ禍で商業でも活躍している有名作家がDL販売を開始した例が増える一方、パトロン系サイトに登録して本をあんまり出さなくなった作家も増えた一年でした。
単にエロいだけではない印象に残った同人について書き残しておきます。
なお同人音声は専門外です。
・嫌われ女を助けたらシリーズ 手つかずの青
パーティーの嫌みな女騎士が公衆便女になってたので買い取ったら薬で淫乱になってて献身的に介抱したらツンデレになった話。
もちろんこういう設定は罪悪感なくセックスするためのお膳立てでしかないんだけど、淫乱顔から固い顔から惚れ顔っていう表情の変化がとても良かった。
小悪魔未満の無邪気な女の子がノー天気にエッチしてて気持ちよさそうだからそれでいい。
・おまかせくださいご主人さま 2SAI
マグロじゃないけど表情固めのメイドが少しずつ緩んでいく感じが萌え。
射精のメタファーというか絶頂の視覚的表現としての母乳描写がエロくて、シリーズでも出色。
大河がキャラとして強すぎるので声が脳内再生される。電子版再販とかじゃなくて令和にとらドラ!の新刊出したのすごい。
この作者絵がすごく上手いわけじゃないんだけどアヘ顔がすごく良くて、その中でも一番よく出てるのがこの本だと思う。
ジャンプルーキーから追い出された倒錯インピオ漫画が吹っ切れて同人で帰ってきた。TSではなく性器交換というのは関係性萌えがすごい。
俺はゾーニング主義者ではないけど、やっぱこの作者にはジャンプという枠は小さすぎる。
関谷あさみ先生はやっぱり感情の機微がエロさに結びついててすごい。
快楽落ちした人間が他の人間も善意で落とそうとする、というシチュが素晴らしい。この本の場合機械姦なんで、人間関係を抜きに純粋な快楽に落とされる感じがすごく良い。
怖いんですけど
キーラ・ナイトレイが、愛娘にディズニー映画の『シンデレラ』と『リトル・マーメイド』を見ることを“禁止”していると告白👸🆖
この2大人気ディズニー映画がキーラ的に「NG」のワケとは?
【続きはコチラ↓】https://t.co/ZjMfi1IQkS— フロントロウ編集部 (@frontrowjp) 2018年10月19日
家庭毎の事情だからこれは一人のオタクからの意見だと思って欲しい。結局決めるのは親だしな。
オタクは思うのだ、古典には古典の良さがあり、古典を知るということは古典の歴史的背景を知るということだと。
知ることが大事だと思うから、女優キーラ・ナイトリーが取った選択を、オタクらしく知識でマウントを取って否定してやろうと思う。
もちろんオタク目線からの否定を更に否定してくれても構わない。
例えば人魚姫を例に挙げると、人魚姫は文学上の分類で異類婚姻譚という人間と異類(人間以外の動物や妖精・神など)が婚姻する物語だ。
この異類婚姻譚の歴史は古く神話時代にまで及び、典型的な物語構成と言える。
人魚姫は西洋の文化・歴史的背景を考えればニンフと呼ばれる水の妖精がルーツであると考えられ、ニンフのおとぎ話や神話を紐解けば悲恋物語が多いというのはこのジャンルでは共通認識だと言える。
そもそも世界中を見てみても異類婚姻譚、特に水の精関連では悲恋が多いので、人魚姫は本当に典型的な物語構成である。
西洋以外の例を挙げるのであればインド神話の水の精アプラサスで、アプラサスは特にアジア圏の異類婚姻譚へ強い影響力を示しており、実は形を変えて後の時代に日本へまで伝わっており、アプラサスが鶴の恩返しや天女の羽衣、狐の嫁入りなどへ派生したという説もある。
更に日本では天女という概念自体が仏教をルーツとしたもので、愛の神マーラ・色欲の魔物マラ・飛天を経て伝わってきたという見方が根強いんだ。
マーラも翼を備えていた時期があり、翼を備えていたマーラがガルーダへ派生したという説もある。ちなみにガルーダは後の時代に日本で天狗として表現されるようになったらしい。
オタクらしい知識マウントをキメたところで最後の意見を言おうか。
ジェンダーやフェミニズムの歴史は女性の権利の獲得の歴史であると言って間違いはないはずで、その獲得した女性の権利には「学び」もあったはず。
個人的な主観だがジェンダーやフェミニズムは「女性にふさわしくない知識は学ばなくとも良い」という価値観を打破してきたものと感じているが、女優キーラ・ナイトリーが取った選択はジェンダーやフェミニズムの歴史と協調するものなのか?と疑念が尽きない。
シンデレラ1つ取ってみても当時の文化的事情などを考慮せずに現代の価値観でぶった切ってるんだもんな。
はっきりと言ってしまえば鼻で笑いたくなるクソみたいなジェンダーやフェミニズム観だと感じるのだが、まぁオタクの戯言だと思っていつも通りスルーしてくれや。
俺教養とかないから全然知らなかったんだよ、Appleのロゴマークのリンゴを齧ったのはアランチューリングだとか。(まぁこれは都市伝説だけど、コンピュータの父が白雪姫が好きだったのなら、さもありなんと言った感じ。)
ナチスの暗号を解読して、戦争の終わりを2年も早めて1400万人を救った人が功績を隠され名誉を傷つけられたまま死んだのとか。
目の前の数百人の犠牲と、これからの数百万人の犠牲を天秤に掛けるなんてラノベ主人公も真っ青なシチュエーションを迫られた人が本当にいたこととか。
ナチスは○○も迫害してたけど、イギリスも似たような明らかな人権侵害をしてたのとか。
知らなかったことを教えてもらったのが一点。
それから、本編でも天才を迫害する人間の愚かさとか描写されててさ。
いくら振る舞いがおかしくても、世界を救うような天才(もちろんそうでなくても)を排除するような恥ずべき真似はすべきじゃないなとか。
キーラナイトレイをチームに参加させるために婚約者にしちゃったりとかさ。
本編のきちんとした面白さが二点目。アカデミー脚色賞をもらってたんだけど、「元ネタに敬意を払ってさらに魅力的なものに仕上げる、名誉回復すら目的にする」ってある意味日本のアニメにも見習ってほしいよ。
http://miyearnzzlabo.com/archives/21689
がキッカケで観たくなったんだけど、観たらどのシーンも感動するやら悲しいやら、観たあともかなり引きずった。
これ以外にも今年のアカデミー賞、とりあえずバードマンと博士と彼女の~とグランドブダペストと、あと気になる映画はジャンル問わずそこそこ観てるんだけ、2015年暫定ナンバーワンはこれ。
映画観ようぜ
http://anond.hatelabo.jp/20150307105533
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「金髪バリキャリ嫁」「離婚ないし離婚寸前(事実離婚)」
「娘との接点は学校の送り迎えぐらい」「娘には軽んじられている」「最後に愛を取り戻す」
なので
「ドライブ・ハード」「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」と同じ映画。
3)#1煮詰まってて平凡な毎日を送る主人公(中年・男)。意に染まない退屈な仕事を繰り返していた。
#3試練をくぐりぬけ、
#4自分の本当にしたい仕事に気付き、それをはじめる。圧倒的成長!
#5ついでに愛も取り戻す。
B:ちょっとだけ時間が前後するので、実際のフィルムはこの流れではないよ。
#1
主人公はNY在住のアメリカ人の中年音楽プロデューサー。若いころから名声を得て育てたスターは数知れず。
だが最近は鳴かせず飛ばせず。会社の偉い人には逆らえずクビをちらつかされる。
お前のセンスは古いとかふざけるな。オワコンじゃねーよ俺は!ゴミアーティストしかデモ曲を送ってこないんだよ!
そして稼ぎのよい金髪の嫁とは離婚寸前(たぶん。離婚済みだったかも)。娘を送り迎えすることでかろうじてつながっているが、娘にはバカにされている。
#2
B:ひょんなことからキーラナイトレイと出会う。なんだこいつ。超いい曲じゃないか!歌うまいし。やったぜ!またオスカー狙えそう!会社の奴らの鼻をあかしてやれる!
だが彼女はプロデビュー、商業的成功には興味がない。彼女にはホームレス扱いされる。
この映画ではOPレベルよりあんまりひどい状態にはならない。結局キーラナイトレイも協力してくれるし。
#3
B:試練はいろいろある。金がなくてスタジオが借りられないとか。
でも、愉快な仲間、アスペのバイオリニスト、音大生、リズム担当黒人などが荒野の七人だの八犬伝だのを端折ったように集まる。
たのしいレコーディング(シェフ~の美味しい料理お楽しみシーンに相当)
#4
B:バンドの最後の一人は主人公の娘。分かり合えたよ!オレは間違っていた。売れる音楽なんか作らなくていい。
YOUTUBEがあるやんけ!オスカー時代のコネもちょっとはつかうぜ!
ほんとうの音楽をみんなにとどけるんだ!
#5
嫁とも愛をとりもどし、終わり。
(キーラ側の話のラインは省略。ゲイのストリートミュージシャン<上記荒野の七人の一人>に慰められたりするよ)
映画「君が生きた証」
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「しっかり者な金髪嫁」「離婚」
「息子とディスコミュニケーション」「最後に生きる意味を取り戻す」
なのでかなり近い映画。
#1
主人公は広告代理店のやり手部長。ブランドファッション!いい車! 仕事がうまく行った!息子と祝杯を挙げようと電話するも無視される
#2
息子は大学の乱射事件で死亡。ショックのあまり広告代理店の職も辞し、離婚。古家のペンキ塗りリフォームに転職。やさぐれて過ごす毎日。ひげもじゃ!立小便!
元嫁は再婚して新しく男の子を出産した。ちょっと凹むわ~ 飲んだくれすぎてペンキ塗りもクビに。クビじゃない。こっちからやめてやったんだ。
#3
息子の残した歌に心打たれる。息子の歌を歌う。息子のような世代の友人もできた。調子出てきた!でも、こいつは息子の作った歌を俺の作った歌だと勘違いしているんだよな・・・いつか言わなきゃ
#4
真の作曲者がバレたり、いろいろあって最高にひどい目に。息子の遺品のギターも壊れちゃった!
#5