はてなキーワード: 調布FMとは
昨日、調布FMのアニソン三昧を聞き終えて何だかボンヤリとした悲しい気持ちに包まれたんだ。
その時は、夏休みが終わって久しぶりに職場に行くのが憂鬱なんだと思っていた。
でもそれだけじゃなかったんだよ。
アニメソングを聞きながらネットにいる連中とアニメの思い出話をしているうちに、自分の思い出がアニメゲーム漫画インターネットだけだって事に気づいてしまったんだ。
小学校の頃に友達がいた気がしたけど、よく考えたらあれはお互いにとって共通の友達だった「多人数プレイゲーム」を一緒に遊ぶための相手であって、ゲームという友達の友達どうしでしか無かったんじゃないかって気づいてしまったんだ。
中学校の頃に教室でひたすらアニメの話で盛り上がったアイツらも、高校時代にインターネットミームで盛り上がったアイツらも、皆皆今は疎遠になっている。
大学時代に入った漫画サークルでは、周りに馴染めずいつの間にか1人になって、社会人になってからはそういった関係を持とうともしなくなった。
いつだって自分は、アニメやゲームという皆のお友達を介しての付き合いしか出来なかった。
わかりにくいな図にするか。
こんな感じかな。
この人生にあったのは、赤の他人が作ってくれた素晴らしい娯楽を思う存分味わったという思い出だけで、それで十分だと思っていたんだけど、やっぱり寂しくなってきた。
その時そのアニメを見てなにを思ったのかという気持ちはあっても、その感想すらアニメに誘導されるままに出てきた人並みの感想でしか無くて、自分だけの何かを感じることは出来ないんだ。
平凡な感性しか持っていないけど、人付き合いが苦手で、子供じみた娯楽が好きすぎて人間関係よりもそっちを優先してばかりいるだけの人生だった。
それが何だか辛くなってきた。
割り切っていたはずなのに、いざ実感すると辛いものがある。
俺には俺の思い出がない。
死んでしまったオーキド博士を思って涙をすることはあっても、その涙は結局アニメキャラに向けられたものでしかないんだ。
現実で自分の知り合いが亡くなった時、自分の祖母や祖父が死んだ時には流せなかった涙を、アニメキャラの声優にもう会えないことを思い出して泣くんだ。
自分のことを見てくれていたはずの気持ちを蔑ろにし続けて、ただ一方的に放送されるだけのアニメのキャラクターに対して親しみを覚えるような人間なんだ。
他人を思いやる気持ちなんて全く無いやつが、ただ自分の思い出に浸って1人で勝手に泣いてるだけだって気づいてしまったからこんなにも悲しいんだ。
ごめん……婆ちゃん……俺には人の心なんて分からないままだったよ。
いつだって自分の妄想の中にある他人の幻影に踊らされてばかりで眼の前の相手なんて見てなかったんだ。
そんな人間だから、他人から嫌われて、嫌われるから他人が嫌いになって、1人でピコピコ出来るような遊びばかり好きになっていたんだ。
俺の人生にアニメとゲームしかないのは、アニメやゲームならコミュニケーションを取る必要がなくて、一方的に相手の言いたい事を妄想するだけで終わらせても問題がなかったからなんだ。
そして、そんな妄想まみれの感想を撒き散らす俺にあきれて、漫画サークルの連中は遠ざかったんだ。
全部わかったんだ。
あの12時間の間に。
俺の人生が何なのか、無意識の仲で全部わかったからあんなに悲しかったんだ。
それを今日一日かけて言語化していたから、今日はこんなにも辛かったんだ。
なんなんだこの増田は。
こんなものを読まされた奴らはどうすればいいんだ。
知ったことか。
嫁。
そしてブクマでもしとけ。
俺の自己顕示欲を満たす餌になれ。
調布FMで新春アニソン三昧を聞いてアニメソングの良さを再認識した。
音楽は「物語」と「技術」という2つの要素によって構成されている。
音楽は表現の手法なので大部分の音楽は物語を詰め込まれている。
純粋に演奏者や作曲者の技術をアピールすることや聞いていて心地良いことをひたすらに追求した音楽もあるが。
アニメソングのような何らかのテーマソングは物語の部分において非常に有利な立場にいる。
大抵の音楽は表現者のバックグラウンドやその時代時代の情景を切り取ることによって物語性を生み出している。
だけどそれが何を意味しているかに受け手が気づくのには時間がかかる。
もしかしたらずっと聞いていても半分も伝わらないままかも知れない。
それこそ音楽を聞く前から受け手と表現する側の間にどういう物語が歌われているのかが半分ほど共有されている。
たとえばオリンピックのテーマソングなら挑戦する事や努力する事の素晴らしさが歌われるのだろうと予想がつく。
これがアニメソングになるとそこにOPやEDの映像まで付いてくる。
音楽のPVなんて半分ぐらいは何をやっているのか分からないような映像が流れているものだがアニメソングの場合は少なくとも作品の内容と一致したものが流れる。
そして大部分のアニメソングはある程度はその作品のテーマに沿った物語を歌っている。
そのため映像を見ることによって視聴者が受け取る作品のイメージと、その作品のテーマとリンクした歌の内容は自然とリンクしていく。
更にその映像の後で本編が始まるのだ。
本編を見ることで視聴者の中に溜まっていったアニメの物語は次にOPやEDを見るときに歌の中の物語と少しずつ共鳴していく。
そうした行為が十数回(1クールアニメ、または1クール毎に主題歌が変わるアニメの場合の例)に渡って繰り返される。
当然視聴者はただその音楽を聞いた場合とは比較にならない程その音楽の中にある物語を噛み砕くことになる。
時に歌詞の内容を物語の展開とリンクさせ、キャラクターの心情とリンクさせて自分の中でこの歌はこういう事を歌っているのだなと咀嚼していく。
そうして次にその曲を聞くときは聞いている側の頭の引き出しからそうしてそれぞれ向けに調整され終わった物語が音楽に合わせて流れるようになるのだ。
つまりほぼ完全に聞く側が音楽で歌われる物語とシンクロした状態で曲を聞くことが出来るようになってしまうという事なのだ。
何度でも言おう、これは大きな強みだ。
聞く側がほぼ完全に曲の内容を理解して音楽を聞くことなんてそうそうあることじゃない。
そりゃ普段から音楽を聞きまくっている人間ならそれぐらい普通なのかも知れない。
だけど流行りのJーPOPをちびちび聞いているだけの人間たちからしたらそうそうある事ではないのだ。
ただOPとEDを飛ばさないでアニメを見るだけでいつの間にか聞き手は歌詞やメロディーとシンクロ出来る様になる。
元旦の丸々半日をアニメソングに捧げているあいだ150近くものアニメソングを聞いていたものだが、そのうちアニメを見たことがある物のほとんどでその歌詞が何を歌っているのか理解できた。
エルフェンリートみたいな元ネタが小難しい奴はちょっと自信がないけど。
この「理解のしやすさ」こそがアニメソングの大きな魅力だと再認識した。
何度も何度も聴きこんで聴きこんで歌詞を頑張って噛み砕けというのではなく、アニメのテーマを思い出しながら聞いてみればなるほどこういう歌なのだなと理解できる取っ付きやすさ。
音楽にどっぷり浸かっている人達からしたらえっそこまで手取り足取りしないと駄目なのと思うかもしれないけどそうなのだ。
聴きこんで聴きこんで理解するという行為をサポートしてもらわないと正直しんどいのだ。
それをしんどくなくやってくれるアニメソングは実に素晴らしい。
しんどくない余暇の過ごし方が出来るのは本当に素晴らしいよ。