「調布FM」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 調布FMとは

2018-08-20

この人生にはアニメゲームしか思い出がない

昨日、調布FMアニソン三昧を聞き終えて何だかボンヤリとした悲しい気持ちに包まれたんだ。

その時は、夏休みが終わって久しぶりに職場に行くのが憂鬱なんだと思っていた。

でもそれだけじゃなかったんだよ。

アニメソングを聞きながらネットにいる連中とアニメの思い出話をしているうちに、自分の思い出がアニメゲーム漫画インターネットだけだって事に気づいてしまったんだ。

どこにも自分友達がいなかったんだ。

小学校の頃に友達がいた気がしたけど、よく考えたらあれはお互いにとって共通友達だった「多人数プレイゲーム」を一緒に遊ぶための相手であって、ゲームという友達友達どうしでしか無かったんじゃないかって気づいてしまったんだ。

中学校の頃に教室でひたすらアニメの話で盛り上がったアイツらも、高校時代インターネットミームで盛り上がったアイツらも、皆皆今は疎遠になっている。

大学時代に入った漫画サークルでは、周りに馴染めずいつの間にか1人になって、社会人になってからはそういった関係を持とうともしなくなった。

いつだって自分は、アニメゲームという皆のお友達を介しての付き合いしか出来なかった。

わかりにくいな図にするか。

 「俺」―(友達)ーゲームアニメ漫画ネットー(友達)ー「友達だと思ってた奴ら」

 「俺」ー(友達友達同士だけど別に仲がいいわけじゃなかった)ー「友達だと思ってた奴」

こんな感じかな。

この人生にあったのは、赤の他人が作ってくれた素晴らしい娯楽を思う存分味わったという思い出だけで、それで十分だと思っていたんだけど、やっぱり寂しくなってきた。

その時そのアニメを見てなにを思ったのかという気持ちはあっても、その感想すらアニメ誘導されるままに出てきた人並みの感想しか無くて、自分だけの何かを感じることは出来ないんだ。

平凡な感性しか持っていないけど、人付き合いが苦手で、子供じみた娯楽が好きすぎて人間関係よりもそっちを優先してばかりいるだけの人生だった。

空っぽ人生だ。

それが何だか辛くなってきた。

割り切っていたはずなのに、いざ実感すると辛いものがある。

俺には俺の思い出がない。

それもこれもオーキド博士が思い出の話なんてするからだ。

死んでしまったオーキド博士を思って涙をすることはあっても、その涙は結局アニメキャラに向けられたものしかないんだ。

現実自分の知り合いが亡くなった時、自分祖母祖父が死んだ時には流せなかった涙を、アニメキャラ声優にもう会えないことを思い出して泣くんだ。

自分のことを見てくれていたはずの気持ち蔑ろにし続けて、ただ一方的放送されるだけのアニメキャラクターに対して親しみを覚えるような人間なんだ。

他人を思いやる気持ちなんて全く無いやつが、ただ自分の思い出に浸って1人で勝手に泣いてるだけだって気づいてしまたからこんなにも悲しいんだ。

ごめん……婆ちゃん……俺には人の心なんて分からないままだったよ。

自分の内側から出てきた心しか感じ取れないんだ。

他人自分に向けてくる感情キャッチできないんだ。

いつだって自分妄想の中にある他人の幻影に踊らされてばかりで眼の前の相手なんて見てなかったんだ。

そんな人間から他人から嫌われて、嫌われるから他人が嫌いになって、1人でピコピコ出来るような遊びばかり好きになっていたんだ。

俺の人生アニメゲームしかないのは、アニメゲームならコミュニケーションを取る必要がなくて、一方的相手の言いたい事を妄想するだけで終わらせても問題がなかったからなんだ。

そして、そんな妄想まみれの感想を撒き散らす俺にあきれて、漫画サークルの連中は遠ざかったんだ。

全部わかったんだ。

あの12時間の間に。

俺の人生が何なのか、無意識の仲で全部わかったかあんなに悲しかったんだ。

それを今日一日かけて言語化していたから、今日はこんなにも辛かったんだ。

なんなんだこの増田は。

こんなものを読まされた奴らはどうすればいいんだ。

知ったことか。

嫁。

そしてブクマでもしとけ。

俺の自己顕示欲を満たす餌になれ。

2016-01-02

アニソンの良さを再認識した

調布FMで新春アニソン三昧を聞いてアニメソングの良さを再認識した。

音楽は「物語」と「技術」という2つの要素によって構成されている。

音楽表現手法なので大部分の音楽物語を詰め込まれている。

純粋演奏者や作曲者技術アピールすることや聞いていて心地良いことをひたすらに追求した音楽もあるが。

アニメソングのような何らかのテーマソング物語の部分において非常に有利な立場にいる。

大抵の音楽表現者バックグラウンドやその時代時代の情景を切り取ることによって物語性を生み出している。

だけどそれが何を意味しているか受け手が気づくのには時間がかかる。

しかしたらずっと聞いていても半分も伝わらないままかも知れない。

だがそこに明確なテーマがある音楽は違う。

それこそ音楽を聞く前から受け手表現する側の間にどういう物語が歌われているのかが半分ほど共有されている。

たとえばオリンピックテーマソングなら挑戦する事や努力する事の素晴らしさが歌われるのだろうと予想がつく。

これがアニメソングになるとそこにOPED映像まで付いてくる。

音楽PVなんて半分ぐらいは何をやっているのか分からないような映像が流れているものだがアニメソング場合は少なくとも作品の内容と一致したものが流れる。

そして大部分のアニメソングはある程度はその作品テーマに沿った物語を歌っている。

そのため映像を見ることによって視聴者が受け取る作品イメージと、その作品テーマリンクした歌の内容は自然リンクしていく。

更にその映像の後で本編が始まるのだ。

本編を見ることで視聴者の中に溜まっていったアニメ物語は次にOPEDを見るときに歌の中の物語と少しずつ共鳴していく。

そうした行為が十数回(1クールアニメ、または1クール毎に主題歌が変わるアニメ場合の例)に渡って繰り返される。

当然視聴者はただその音楽を聞いた場合とは比較にならない程その音楽の中にある物語を噛み砕くことになる。

時に歌詞の内容を物語の展開とリンクさせ、キャラクターの心情とリンクさせて自分の中でこの歌はこういう事を歌っているのだなと咀嚼していく。

そうして次にその曲を聞くときは聞いている側の頭の引き出しからそうしてそれぞれ向けに調整され終わった物語音楽に合わせて流れるようになるのだ。

まりほぼ完全に聞く側が音楽で歌われる物語シンクロした状態で曲を聞くことが出来るようになってしまうという事なのだ

何度でも言おう、これは大きな強みだ。

聞く側がほぼ完全に曲の内容を理解して音楽を聞くことなんてそうそうあることじゃない。

そりゃ普段から音楽を聞きまくっている人間ならそれぐらい普通なのかも知れない。

だけど流行りのJーPOPをちびちび聞いているだけの人間たちからしたらそうそうある事ではないのだ。

アニメソングはこれをいとも自然にやってのける。

ただOPEDを飛ばさないでアニメを見るだけでいつの間にか聞き手歌詞メロディーシンクロ出来る様になる。

元旦の丸々半日アニメソングに捧げているあいだ150近くものアニメソングを聞いていたものだが、そのうちアニメを見たことがある物のほとんどでその歌詞が何を歌っているのか理解できた。

エルフェンリートみたいな元ネタが小難しい奴はちょっと自信がないけど。

この「理解のしやすさ」こそがアニメソングの大きな魅力だと再認識した。

何度も何度も聴きこんで聴きこんで歌詞を頑張って噛み砕けというのではなく、アニメテーマを思い出しながら聞いてみればなるほどこういう歌なのだなと理解できる取っ付きやすさ。

音楽にどっぷり浸かっている人達からしたらえっそこまで手取り足取りしないと駄目なのと思うかもしれないけどそうなのだ

聴きこんで聴きこんで理解するという行為サポートしてもらわないと正直しんどいのだ。

それをしんどくなくやってくれるアニメソングは実に素晴らしい。

しんどくない余暇の過ごし方が出来るのは本当に素晴らしいよ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん