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はてなキーワード: 主体とは

2024-04-04

未来貴方オモシロを残さないで

自分会社所謂SES主体会社なので、色々な会社作業をすることが多い。

そんな訳で、色々な会社テスト用の環境作業を行っているとよく見るのだが、

DB上に番号系(社員番号や商品番号など)の項目に「114514」だったり、

文字列系(社員名や商品名など)の項目に「野獣先輩」といった値が入っているのを何度か見かけることがある。

恐らくネットスラングを値として登録して面白がっている人間が多数居るって事だ。

最近麻痺して来たのか「あぁ、またか」とスルーするようになって来たんだけど、

先日、ちょっとした問題が起きた。

今いる会社ではプログラムビルドが失敗した時にエラーメッセージが出るようになっているのだが、

エラーメッセージが発生した際に

「このプログラムを作ったのは誰だ!!!

といったように、海原雄山恫喝されるといったシステムになっている。

この間も同じように海原雄山が怒っていたので、

あぁ、また海原雄山に誰か怒られてるよ…とスルーしていたのだが、

全体に向けたチャット

「急に知らないおじさんに恫喝されてしまい、凄い怖いです」

といった内容のメッセージが来た。(実際はかなりの長文で来た)

今までなあなあで許されていたネットスラングが淘汰されてしまったのだ。

結局、そのメッセージをかなり優先度高めで修正する作業が発生した。

そんなに面倒くさい作業じゃ無いからすぐ終わる話だったから良かったんだけど...。

淫夢ネタとかがそういった問題起こるとかは考えられないが、

無駄作業が増えるから自分はそういったオモシロを残さないようにしようと思った。

anond:20240404122611

ボーボボだぞ

あと、ジャンプ異世界魔法使えない物理全振り主人公魔法学園ネタは、下記でもうやりました

 

努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。

https://ynjn.jp/title/881

 

 

これがギャグコメディ漫画じゃなくて、魔法世界を掘り下げるとかが主体の話だったら借り物の世界でお前・・・ってドン引きなんだけど、

ギャグコメディ主体友情ファミリー勝利から

それが好みに合うかよ

 

なお、作画頑張ってて頭身高いのによく動くんだけど、バトルいらねぇ。ギャグボケパート日常パートの方が楽しい

anond:20240404123517

ギャグコメディかつ、主体友情ファミリー勝利から別に

 

でもまぁ実写化は厳しそうよね

そのくらいのヒット(主に海外で)だけど、実写化となったらいろいろ大変そう

初音ミク人気

わーくにのブーム主体は依然として10代が占めており

10代は多感で、かつ大人何となく汚いと思っている

なので向こう側に人間がいない声を求めるのは自然と言える

2024-04-01

参加型宇宙と量子観測

「参加型宇宙」は、宇宙物理学者ジョン・ホイーラーが提唱した概念で、観測者(行為主体)が世界を捉える視点を重視し、世界記述必然的主観的になるというものである

この概念は量子ベイズ主義(QBism)という量子力学の新しい解釈とも関連がある。

量子ベイズ主義量子力学に現れる「確率」の概念を、「客観的」なものではなく「主観的」なものとして解釈する。

量子ベイズ主義(QBism)、情報理論、量子観測エントロピー関係は非常に深く、それぞれが相互に影響を与えている。

より一般的な測定のモデル記述するためには、量子測定理論の枠組みが必要となる。

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

2024-03-30

anond:20240329230344

アメリカ現代でも自治体警察主体で、日本でも50年代まで自治体警察が設置されてたんだけど(54年警察法改正)、組織人員が入れ替わる70年代までは旧警察の影響が色濃く残ってたんだろう

76年連載開始のこち亀も連載初期は(当時の漫画世相を差っ引いても)古き良き警官的な空気感が強く残ってる(というより懐古的に意図して描いてる)ことからも伺える

2000年前後書籍でも「国家警察」を「国家の犬」と揶揄するような表現散見される(最近国家警察国家の犬であるのは当然なのか余り見ないように思う)

2024-03-29

カビゴンLOにみるポケカ界隈の治安の悪さ

最近はてブにもちょろちょろと上がってきていたカビゴンLO問題で、ちょっとポケカ界隈の治安の悪さを解説してみようと思う。

そもそもの前提

まず、ポケモンカードゲームポケカ)は、いわゆるトレーディングカードゲームで、集めたカードで一対一で対戦するカードゲームだ。

そして、集めたカードで対戦するんだからトランプのように決まった山札があるわけではなくて、それぞれが自分カードを選んで準備する。この自分カード群をデッキと呼ぶ。

ゲームの流れは色々とあるが、基本的には、自分の手番に山札から1枚引き、何か行動して、相手の手番へと移る。

そして、相手ポケモンを6匹気絶させると基本的には勝利できるが、特殊な条件で勝ち負けが決まることがある。

ここで、議論になっているのは、通常友達同士と遊ぶ分にはあまり問題にならない、時間切れの問題だ。

カビゴンLOってなによ

トレーディングカードゲーム遊んだことがある人ならコントロールデッキ、という名前を見聞きしたことがあるかもしれない。

相手にしたいことをさせない、コントロールするためのデッキのことだ。

特にその中でもLOライブラリーアウトと呼ばれる相手の山札をゼロにしてカードを引けない状態にして勝つことを目指すデッキがある。

カビゴンLOとは、カビゴン主体にしたライブラリーアウトを目指すコントロールデッキ名称、と言える。

(具体的な手法とか戦法、何をどうコントロールするかは本質的には関係ないのでここでは触れない。各自調べて欲しい)

なぜ界隈がざわついているのか

ポケカには大会がある。そこでは1試合25分という対戦時間が決まっていて、時間切れは双方の敗北になる。

(同点だったりするとオポネントという今日勝敗が良かった相手にどれだけ勝ってるか、みたいなもの計算されるので、両者敗北よりは投了が良い、みたいなのもあるがこれも省略する)

さて、ポケカ大会では基本60枚のカードデッキを作って対戦する。最初に7枚手札を取り、相手ポケモンを気絶させた時のご褒美用にサイドと呼ばれるカードを6枚横に置き、ゲームスタートする。

まり、60-13=47枚の山札がある状態から始める。繰り返しになるが1試合25分である

ライブラリーアウトという戦法は、かなりの無茶が求められる。この47枚を試合中に様々な手段を駆使して無くす必要があるわけだ。

そして、頑張ると25分以内に終わるコントロールデッキって、果たして許容されうるのか?という問題なのである

なぜポケカ問題になるのか

実はこの手の問題ポケカ独自のものでは無い。

先行するトレーディングカードゲームは星の数ほどあれども、ある程度の歴史と実績を持つものとしてマジック:ザ・ギャザリング(M:tG)がある。

当然のようにコントロールデッキ存在し、何をどうコントロールするのかで頭を悩ませるので時間を消費する、という点でも同じだ。

そしてなんとM:tGは2本先取で制限時間50分という大会が多く、ワンゲームに使える時間20分に満たないということも多い。

当然、この時間配分にはもめごとも多い。ジャッジと呼ばれる審判遅延行為だと判断すれば懲罰になることもある。(という具合に、当然遅延行為時間切れの引き分けに持ち込もうとする対戦相手もいる)

そして、先行しているだけあってM:tG大会でも、相当に治安が悪いこともままある。

完全オンライン版のマジック:ザ・ギャザリング アリーナでは、完全にコンピュータ上でオンラインで行える利点を最大限に活かして、複雑怪奇ルールの双方の持ち時間カウントすることである程度の公平性を保てるようになっている。

なぜポケカ界隈は治安が悪いと言えるのか

対戦相手がいて、公式大会があり、上位入賞や他の大会への参加権がかかっていると、真剣度合いが格段に上がる。

そうしたときに、「自分が最大限努力してパーフェクトなプレイをしても、相手プレイタイルによって敗北せざるを得ない可能性がある」ということを許容できない人たちがいる。

ルール上認められているデッキで、ルールにのっとってプレイをしていて、それでもなお双方敗北という時間切れになる可能性がある。

もちろん思想信条には自由があるけれども、これを「公式対策するべきだ」ではなく「そういったデッキはお行儀が悪いので使うべきではない」という風潮を作り圧力を加えようとするのは、治安の悪い行為だと思う。

なんでカビゴンLOだけ話題になってるの?

そもそも大会に出るのだから嫌がらせでもない限りは基本的には勝利を目指すデッキ構築(カードの組み合わせを考える)が原則だ。

そして、カビゴンLOとはわりと現在環境大会で使えるカードの種類やルール総体)では、勝率が悪くない。ハッキリ言えば強い方だ。

しかしそれは、相当に双方が努力して達成しないとできないくらいの速度で試合を進めないと25分以内には収まらないのも事実ではある。

これに、もともと「したいことをさせてもらえない」というコントールデッキの特徴も相まって、嫌がる人が結構な数出てきている、というのが現状なのである

対戦相手からすれば、「したいことをさせてもらえない」「時間切れの可能性も高い」「相手は何するか結構考えることも多い」と相当にフラストレーションたまる対戦になるのだ。

じゃあどうしたら良いの?

根本的な解決方法としては、完全に電子化して各々の持ち時間制度に移行するしかないと思う。

いやあのカード対策すれば、とか、昔のように試合時間を30分にすれば、などは根本的な対策にはならない。

なぜならば、コントロールデッキというのはそういうデッキであって、そういう戦法で戦える以上どう対策しても結局似たことはできるし、それが30分だろうと40分だろうと、ギリギリ時間勝率の良いデッキが組める可能性は常にある。

そして、そんなデッキはお行儀が悪いと口汚く罵るのもまた、まあ、試合ごとの世界では良くある話なのだ

とりあえずの対策は無いのか

紳士的に(というと昨今はまずいのかもしれないが)スポーツマンシップに則って、正々堂々と戦おう。

ルールで認められている以上、ベストを尽くして時間切れになるのなら、そういうもんだと割り切るしかない。

初心者が入ってきて時間切れで俺の敗北になるのは納得いかないと炎上したのも記憶に新しいが、故意遅延行為以外は、基本的には割り切るしかないのが公式ルールなのだ

そういう意味ではトレーディングカードゲーム宿命的に抱えている仕様バグ、という言い方もできるかもしれない。

お前はどう思うんだよ

カビゴンLO大いに結構で、いまのルール上認められているのをお行儀とかで締め出そうとするのは、先細り先鋭化するので止めた方が良いと思っている。先の初心者の件もそう。

いまは大会ルール上、運が悪いと対戦相手次第で双方敗北になるのがルールなのだから、そのルール文句を言う以外には、おおらかにカジュアルに遊ぶべきゲームなのだと思っている。

一応は、レート制を取り入れるとか、ルールで縛るとか、いくつか方法があるとは思うが、正直ガチ勢向けの大会は、全面電子化に舵を切った方が良い気がする。

からまあ、スマホポケカって、わりと良い方向性だと思うんだよなあ。

今後Pokémon Trading Card Game Pocketにレート制が取り入れられて、一定のレートからしか参加できないオフラインポケカ大会で出てきても、俺は驚かないな。

世界情報理論

多世界解釈量子力学観測問題に対する一つの解釈で、宇宙波動関数実在のものとみなし、その波動関数シュレディンガー方程式に従って時間発展すると考える。

この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態干渉性を失うことで異なる世界分岐していくと考えられる。

しか意識がどのように一つの分岐選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。

意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。

この解釈物理学者哲学者の間でさまざまな議論引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。

まり観測できない多数の世界を考えること自体論理無駄だというものである

ところでエントロピー一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。

観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態特定状態に「収束」するという意味理解できる。

ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。

ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学数学的基礎」において、精神現象に直接的に影響を与えないという前提が科学世界観にとって基本的要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。

しか観測主体対象エントロピーを低下させるという事実無視することはできない。これは環境対象相互作用した場合デコヒーレンスとは違っているのである

熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつ観測によるエントロピー低下である

観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在世界存在すると考えれば、本質的情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。

しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

anond:20240329083414

電車での移動が主体の都会住み中所得層はワークマンに行く必要は無いやろってことや

anond:20240329083042

近くにないってことは都会のオフィスワーク主体の街ってことかな

うちはそれなりに田舎から自転車で30分圏内に2軒もある(笑)

2024-03-27

anond:20240327182113

自分主体ワンピースでいう、ルフィ

遺伝子=gene=ワンピースでいう、ルフィ能力を発揮しなかった夜に交叉が行われるもの

持ってる知識体系=meme=ワンピースでいう、麦わら帽子

真理=ワンピースでいう、ワンピース

「離」=守破離の離=ワンピースでいう、フェアリーテイル

anond:20240327124544

役人は大変なんだよ

理解しろよこのアホ市民!とか反論されてもなー

そういう話じゃなくて、

ホームレス排除するためにベンチ置くの決めたのは行政なんだから住民の訴えを聞いただけで俺らに責任はないみたいな言い訳してんの、

責任逃れしか頭にないアホ丸出しで恥ずかしいねって言ってるんだよ

役人ってこういうやつほんと多いよな

どう考えても意思決定主体であるはずなのに、責任回避するための言い訳の用意に脳みそ全振りするのが癖になってるやつ

2024-03-26

文部科学省は25日、国の地球観測衛星役割民間主体の小型衛星網に担わせる方針を明らかにした。

大丈夫なんかな

民間だと撤退しない?

北朝鮮スパイ衛星から写真を買ったほうがいいと思う。

次に来るのはモチ

風呂でふと思いついたんだが、これまでのなんたらパフォーマンスって、自分が使えるなんたらの節約じゃないか

コストパフォーマンスって可処分資産節約だろ。

タイムパフォーマンスって可処分時間節約だろ。

それで考えると、あと節約したくなるものってあれしかないだろ。自分の心の余裕、可処分精神しかないだろ。(どうでもいいけど、マインドシェアって言う奴マジで居なくなったよな)

それで考え直すと、上の2つは可処分精神節約内包されてるんじゃないのか。

コスパがいい→「値段高!ただでさえ金がないのに、こんなに金掛かるのかよ!」というイライラ思考を取られない

タイパがいい→「動画長い!ただでさえ時間がないのに、こんなに待たされるのかよ!」というイライラ思考を取られない

どっちも、イライラ思考を取られないのが良いんだろう。ならそれが主体だ。

ということでキャッチー略称にしたいが、いい単語全然見当たらない。思考力だからthink?決断ならdecide?余裕ならmargin感情ならemotion?やる気ならmotivation?これなら略すならモチパか。美味しそう。

は〜〜〜〜〜〜もう適当に良いの決めたやつが優勝。それがいい。なんか悩んでたら俺の思考が削がれた。気に食わない。あとなんか部屋寒いカス。俺のモチパを下げてくるやつは許さん。てかもう全部俺の代わりに決めてくれよ。そのほうがモチパ良いから。

2024-03-25

    平成19年6月に、プリエール野田で、よし子が死んだので、タクシーで来いと言われた。

   出来たんですが、 東大法学部は、 平成19年10月13日頃終わったので、 それは、永谷正男会社が、 

   延岡消防署は、平成20年3月に出来ましたが、 私は、その当時は、東京にいたので、そこにいたわけではない。平成21年4月に帰って来てからも、検察庁の方を見ている

  だけで、消防署の方はなんか、 最初の方は、庭の方が主体だったように思う。 庭の樹木設計がいいだけで、その付近にいる職員はどうしようもない詐欺師

   で、赤木みこつでも、なんでもいいけど、のびおかの人は、でも、 3,40代人間って、枯れて死んだ

   音巻まくらの父親の、 音巻もぐらが、3階にいる。

    永谷正男は、私が、その辺にいた、平成21年とか22年は勤務していない。

milet 5th anniversary liveGREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【前編】

はじめに

milet 5th anniversary liveGREEN LIGHTSから1週間くらい経ちましたね。

まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブからずっと深読みし続けた果てに生まれ考察インターネットに放流します。

これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!

意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にしま

諸注意

Final奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています

私がいろいろ書いたことで、絶対に、喧嘩したくありません。

下記の諸注意は必ず読んでください。

・この記事フィクションです

この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます

それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。

あくまでもGREEN LIGHTSひとつ解釈です

以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。

くわえて、展開する解釈あくまでも一つの側面です。

かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。

・この記事で書かないこと

どの公演回にもそれぞれの良さがあります

「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。

・この記事対象者

チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが

あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます

基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。

・なぜ公開するか

じゃあ勝手日記にでも書いとけよって話なのですが

揺るぎない芯があり、かつ不安定バランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから

いつか振り返った時には伝説として語られると思います

その一端を目撃できた幸運ファンの記録というスタンスで公開します。

読んだね?

書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。

でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、

(返信してなくても)拝読させていただきます

自分解釈

前提として、自分あくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。

本公演は、miletさん葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います

なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。

しろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これから活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります

前置き長くなりましたが

GREEN LIGHTSテーマシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます

自分との同化」という私なりの解釈をすこし噛み砕くと

昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって

寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく

ということがテーマになっていると感じました。

ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます

milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)

ミレイ2020Green Lightsツアー発表くらいの時期(コロナ禍直前)のmilet

れいミレイより過去のさまざまなmilet(学生時代歌手を志した時、デビュー当時など)

まり、このライブでは

大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている

というところからまりライブを通してどのように過去自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います

(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)

また、過去自分がどのように考えていたかからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。

昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。

miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分自分と向き合うために歌うけど

みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。

パート解釈

GREEN LIGHTSセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って

いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」ミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。

感情が極まります

長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、

セットリスト楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!

ってことだけかもしれません。

以降のパートに沿った解釈では深読みが過ぎています

曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます

読み進める人は覚悟して適当によんでください

GREEN LIGHTS新曲

この曲についてはテーマ曲なので考察解釈も何もないですが

GREEN LIGHTSスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです

もちろんmiletさん自身も、スーパースターステージングはとても力強かったです。

・オープニング(絆ノ奇跡〜Higher)

このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。

主体現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。

絆ノ奇跡コイガレは、ある意味まっすぐでわかりやすメッセージがあります

大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います

checkmateの歌詞あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。

Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで

あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます

オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。

・inside you

一瞬のMCを挟んで、ここからパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。

まり、このパートから本公演のテーマちゃんと向き合っていくことになります

突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?

恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)

でも、この曲でもyouミレイに置き換えると

ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります

全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらテーマリンクしているのですが

時が経てば、どうしても薄れてしま過去自分自身に向けて

からの「そばにいて」という叫びアカペラ)に、共感して、心が震えました。

また「あなた人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞

歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります

そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。

今の自分選択人生が、すべての過去自分選択完全に一致している人などいるでしょうか。

どうしても薄れてしま過去自分自身に向けて

現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。

私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。

・Waterfall

過去自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には

昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています

この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。

miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で

「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouミレイ(みれい)に置き換えられると思います

私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。

2019年RADIO CRAZYセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)

当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。

Your Light

この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います

2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。

ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんミレイの心の距離は離れたままです。

この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなたミレイ)の光になる」と

がんばって自分に言い聞かせているように解釈できます

この楽曲は主にセンターステージ演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。

光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います

ここからさら深読みして、miletさんから見たとき

盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態ミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。

(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)

HELL CLUB Mix

このパートマジで最高でしたね。

ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。

すごく幸せ時間だった。

どういうタイプエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。

もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので

このパート解釈はあとから紐解いたものです。

このパートでは、miletさんが違うアプローチ過去と向き合おうとしていると考えました。

具体的には、過去自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。

なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます

- HELL CLUB

HiRAPARK召喚呪文ですよね。

余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUB演奏を見ると、地獄天国って同じなんじゃないかと思ってしまますよね。

- Higher

2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります

- Outsider

過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。

- SEVENTH HEAVEN

アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできます

DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります

- おもかげ

見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り

ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます

- us

DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは

何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。

過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。

から「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。

- GREEN LIGHTS

ぶち上げてくれました。

ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。

・bliss

「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思います

自分過去現在未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。

とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。

DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで

他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます

この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。

・Anytime Anywhere

そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います

inside youからここまでのパート過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。

ようやく、離れていた過去自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!

そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください

素敵です。本当に。

前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージシンクロ率です。

いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。

(いつでもどこでも一緒なのは自分自身に他なりませんから

光の演出も素敵で、まるでmiletさん魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。

あと、miletさん高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。

Wings

ここで終わらないんですよ。

こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お

しかに、過去自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。

ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います

過去と通じ合って安心したいだけならここで終わりなんですよ

でも、miletさんはみんなに「大丈夫だよ」って伝えたい。

なんだけど!世界の方がいま明らかに大丈夫じゃない。

から、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。

演出としては、運良くセンターステージから見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。

そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。

ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います

2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。

こういうところほんとに好き、って思います

One Reason

あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTS解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)

さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが

走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。

そう思って、One Reason歌詞Youミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞リンクします。

「こんな歌じゃ薄まらない」だから、前に進まないといけない

けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。

もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ

いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。

そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。

アレンジCDとは少し異なっていましたね。

ピアノの音でも、過去自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。

蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)

・邂逅

この楽曲について、つべこべ書くのは野暮だと思うのですが。

ここまで書いてきてしまったので書きますね。

この楽曲では、Wingsからパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます

でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。

とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!

【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】

2024-03-22

anond:20240322152945

違う。お前は間違っている。

まず、「価値」なんていう言葉人間に向けて使ってはいけない。近代以降の人間が犯した過ち、よくないことだ。

そして、モノの価値はそれを判断する主体によって異なる。

あなたあなたのご主人に価値ないものだと言われ、傷つき、過去の自らの行いを悔やんで、あなた自身自分には価値がないと思っているようだが、あなたの親や友人はそうは思わないだろう。

私もそうは思わない。人間はみんな間違うものだ。あなたの行いや選択は愚かだったかもしれないが、今後もそうとは限らない。少なくともあなた反省できている。「自分はよくない人間だ」と自分の過ちを認め向き合うぐらいの善性か備わっている。立派なことだ。

人間価値などなくても生きるものだ。価値があろうとなかろうと生きていいものだ。

繰り返し言うが、人間のものに「価値」なんて言葉を使い始めた奴こそ、愚かなおお馬鹿野なのだ。そのせいでどれだけの人間が背負わなくてもいい苦しみを背負っていることか。

ちょっと間違ったからといって死ぬのは自由だが、大変に自分勝手なことだ。

あなた自分の子どもになるはずだった人の死によってこんなにも苦しんでいるのに、それと同じ苦しみをあなた大事に思っている人に、あなた大事に思っているかもしれない人に背負わせようとしているのだから

あなたの命は、あなた人生あなただけのものではない。あなたあなたが死んでも悲しくないはないのだからあなたが死んで悲しむのはあなた以外の人間だ。だから生きればいいのだ。

anond:20240322120213

表現の自由戦士自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。

ここには20世紀規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀コンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。

昭和自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12

https://gendai.media/articles/-/125986

12ページで広告も入るから読みにくいけど読んでみてちょ

それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業不祥事を起こしたり、市民トラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。

しかしそうしたやり方では、人々の活動規制の網の目に阻まれ自由競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。

しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブル市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。

コンプラ社会自由化社会の成れの果て。

しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処コスト予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視機能全面的行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たち自分たち監視するようにする、という方針だ。

その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たち監視し、自分たちで律してください、そのために自分たち行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。

BPOが出来たのもこの頃よね。

それはいわば、上から規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的主体を作り出していくための手立てだった。

その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念日本社会の中に急速に定着し、普及していった。

今の時代法律作ったり変更したりするのはコストいかルール民間が作れって始まったのよね。

anond:20240322123801

線引きを法律でしようってんなら意見を挟むかもしれないが

それぞれの運営主体個別基準公表することはなんの問題もないだろ

2024-03-21

anond:20240321191948

Xで他人フォローせず公式アカウントだけフォローしてRSS的に使う。

ソーシャル交流は汎用SNSで行おうとしない。

他人交流する必要があるなら、例えばゲームなら公式が用意したコミュニティサイトだとか、discordチャンネルだとか、絵ならpixiv支援サイト、そういう部外者が入ってこない特化型SNSを用いる。

特化型SNSがないジャンルでは諦めるか、5chをグロ画像を横目に見流しつつ使う(5chは交流ではなく情報収集主体だが)。

門外漢をはじくための門のある場所意識的に選んでいくことがこれから時代ネットリテラシー

違うか?

2024-03-20

まともな女の人は損

男女平等はどんどん進めばいい。男性の性加害は許せない。男性にも家事育児頑張って欲しい(家計負担度合いで傾斜かけるべきだと思う)。

だが、一部の女よ。もう少し、いや、もうちょっと仕事をしよう。

性別を盾に、サポート業に降りようとするんじゃない。サポートを本気でやるのはしんどいよ。君がしたいのはお手伝いなんだよ。自分主体でなにかするのではなく、与えられたタスクをこなそうとしてるが、それすら出来てないぞ。また、責任をしっかりと取ろう。怒られても被害者ぶって泣くのを止めよう。

面談結婚したら〜、子どもが出来たら〜とか言って自己主張するが、まだ独身小梨じゃ無いか妄想を盾にするなよ。

子育て中の社員仕事に全力かけられないのは分かるし、全力で配慮したい。ただ、制度を使うのは独身や子なしの時に全力で仕事をした人にして欲しい。義務権利はセットだ。

割合的に女性5人採用したとしたら、2人はバリバリ働く。1人は結婚子供が出来た途端に人が変わったかのように働きだす。

残り2人はモンスターだ。モンスター最前線から退くくせに、権利の主張が激しい。長年働いても大した事も出来ないくせに、自己評価だけは高い。

モンスター男性社員と同様に育てても、途中でぴえんするんだよな。めんどくさいから育成を諦める。そのくせ出世が遅れたら文句を言う。

モンスターのせいで「これだから女は…」と言われるのは嫌だが、採用時に同点の男女がいたら間違いなく男を採る。まともな女性には悪いがモンスター採用を避けたいからだ。

2024-03-19

婚活で学んだこと

敵視しない

どれだけ傷つこうが他者を敵視しない、ネガティブにならない。新しい相手から見た自分は完全に初見

その敵視やネガティブ性格の一部だと思われる。敵視やネガティブになることでクオリティの低い人間が引きつけられやすくなる。そうするとますます敵視したりネガティブになりやすい。そんな地獄の底のような人間と誰も結婚したくないというのは明らかだ。

相手の嫌なところばかりあげつらって自分承認欲求を満たそうとすると「お高く」とまりだす。もはや本来目的を見失った状態になる。これを自覚できなくなると危険。友人にも見捨てられかねない。

とにかく自分との戦い

何かを勝ち取るためには現状の己の魅力を上昇させなければならない。そしてそれは短期間では得られない。

そうやって今まで生きてきたという自分を受け入れること。そしてそういう自分他人に認められなかったとしても、それも受け入れること。

何が変化させられるものなのかを考え、ひたすら行動する。欲しいもののために自分相場限界値まで上げていく。今の自分で行けるところというのは、大学受験受験勉強せず入れるところを探すようなものだ。

今まで色々なことをサボってきたか婚活することになっている。

全力奮闘と一所懸命

保険を置くことでより状況が悪化する。傷つかないように自分の身を守ることでより傷つく。生きるために死ぬ。怖いからより踏み込むベストを尽くす。ベストを尽くせない自分がいたとしても、それすらも己のベストなのだと知る。

本気でやって失敗することでより成長する。魂が破壊されるレベルの失敗があったとしてもそれを乗り越える。

保険を置くから相手レベルが落ちる。たとえば相手から保険を置かれていることは見抜くだろうし、自分保険を置いていることは相手に見抜かれるものだ。婚活戦場であり、狩場である二兎を追う者は一兎をも得ずという。

相手が二兎を追っていることがわかっていても気にせず追わせておけ。どうせ二兎目が自爆する。自分が一兎目なのだからドッシリと構えておけ。自分判断決断直感信じろ自分人生相手だぞ。

全力でやっていると応援する人間が現れて、良いアドバイスや良い自己肯定感上げが来ることがある。全力でやるから自分力不足自覚できて、恥と無知晒して人に頼ることができる。そういう人間を助けたくなる人は多い。

自分が本当は何を欲しているのか自問自答する

相手気持ちどころか、自分気持ちがわからないことがいちばん問題かもしれない。何を欲しているのか、自分でもわからない。どうしたいのか、これでいいのか、わからない。動いてみてから「やっぱり違った」と思うことは無数にある。

とにかく動き、自分の思いや考えを自覚する。

相手幸せにしたいと思えるか

相手幸せにしたいと思えないのならやめてしまうべき。

自分幸せになりたいだけならうまくいかない。これは相手不在の考え方で、相手理解しようとする気がない。相手依存するだけになる。だから、そういう人間には相手も「自分幸せになりたいだけ」の人間までしかまらない。自分主体でもあり、相手主体でも考えられる、そういう相手を意地でも見つける。

自分主体エゴをぶつけエゴ支配しようとすると、相手相手幸せになれないと判断して嫌われる。相手のことを本当に見ているか、本当に見えているか自分のことだけしか見えていないと呆気なく終わる。

必死さを笑う人は笑わせておけばいい

婚活を通じて人生初の大恋愛を味わう人もいる。それは外からはとてもわかりにくい。それに婚活に限らず、必死で本気に行動している人間を笑う人を相手にする必要はない。

相手にしてしまうのは、己自身がそれを恥じているからだ。「婚活とき必死になる自分」というみっともなさ、ここまで落ちぶれたか、これが市場価値かと思う情けなさがあるはず。それを受け入れられないか相手にしてしまメンタルが落ちる。

この助言を受け入れることは難しい

こんなことが簡単にできたら苦労はしない。それにこれは金科玉条絶対遵守すべきルールでもない。

しか相手からしたら、そういうことが可能人間結婚できたらどんなに魅力的だろうか。自分がそういう人間になればいい。もし足りなくてもそれはそれでいい。それを補完してくれるような存在が見つかれば、その人と結婚すればいいのだから

妥協するから妥協される。妥協しなければ、妥協されない。どちらを選んでも間違ってはいないが、妥協したくないのなら、妥協しなくてもいいのかもしれない。

競争相手はこれができる者たちだと心得る

競争相手も当然これができると考える。競争相手にもリスペクトを。競争相手人生を賭けている。

自分けができると思うと自惚れる。競争相手を祝福する必要はないが、呪う必要もない。競争相手の健闘を祈り、だがそれでも自分が獲得するという覚悟を持つ。

自分ライバル自分くらいの人間だ。

2024-03-18

最高の教師卒業式

小学校教師をしている。私の学校の話ではないが聞いてくれ。

6年生担任が最高のパフォーマンス学校を沸かしていると、知人がLINEで教えてくれた。当方田舎の小さな学校だが、都会の大型校の話に驚くしかない(どこの県かは伏せる)。

その教師は、今の教師ができないことをやる。

 ・ 運動会で大型組み立て体操

 ・ 学校子供主体募金活動

 ・ 修学旅行別に卒業遠足を追加実施

とにかく、自分の学年とクラスの子供の自己肯定感を高めるために、ありとあらゆるネタを仕込んで、子供たちに実行させてるような気分にさせる。保護者からのウケもいいので、校長教頭すら頭が上がらない。若い先生たちのヒーローらしい。いわば、最高の教師だと。

知人が熱く語るのは、最近あった卒業式がすごかったという。

練習した結果、卒業生の2割が欠席。式の途中で気分が悪くなる子も続出。式の終盤になったところで6年生の一人に「揃っていない卒業式なんて意味がない、やり直ししよーぜ」と言わせた後に、最高の教師が大演説パフォーマンスをして、生徒と保護者を説得。その場で「卒業式のやり直し」を管理職に迫って、認めさせたという。

ほとんど卒業式が終わってんのに、別の日のやり直しをその場で決めるのかよ。テレビドラマみたいなだな、都会。

卒業式が2回もあってうれしいか?5年生とか、来賓とかスケジュールどうすんのよ。 そもそも、体調悪くするぐらい練習させてるとか、組体操とか、子供現金扱わせたり、無駄に追加行事とか、ほかのクラス・学年を貶めかねない言動とか、私からすればダメ教師しかないんだが。

知人は学校でなぜか動画を撮っていて、見せてくれた。私には、やはりダメ教師しか見えなかった。

それを最高の教師だと、称賛する小学校があるらしい。

日本は広い。

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