はてなキーワード: 不道徳とは
YouTubeでリオのカーニバルとかサンパウロのカーニバルとか見るとね、すごいんですよ。
まあ、だいぶセクシーな感じのイベントであることは薄々知ってた。
知ってたけど、マイクロビキニとかニップレスどころか、トップレスが普通にいた。これほどまでとは。
勢い余って脱いじゃったとかじゃなくて、コスチュームのデザインが乳を丸ごと見せるようになってる。巨大な山車の上にずらりと並ぶおっぱい、おっぱい、おっぱい……。
世界最大規模の超メジャーなお祭りがこれでいいの? 子供とか見るんだろ。見ないのか。大人向けのイベントなの?
って思った。
ともあれ、今後とも積極的に見せていくスタイルでやっていってほしい、とも思った。
あと、ついでに日本のサンバイベントの映像も見たんだけど、んー、あれだね、本場のを見た後だからだけど、ありゃあ平均的日本人のプロポーションでしていいカッコじゃないね。当人の自由ですけど。
ちょっと照れがあるせいでブラジルの裸よりもむしろ淫靡なムードになっちゃってるし。
あとどう見ても小中学生みたいな子供たちのきわどいサンバ衣装姿にカメコが群がってるの見てげんなりした。
不道徳。
何十年も前のコントの一部が原因で、オリンピックの開会式が国際問題になりかけた。
これはおそらく表現者にとっては想像以上に大きな衝撃を与えたんじゃないか。
ルックバックだって10年後20年後差別的な作品として槍玉に上がり、修正に応じなかったことが「開き直り」と解釈されて、その時の作者の致命傷になるかもしれない。
漫画『ルックバック』の一部表現が不適切だとされて変更された。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shonenjump_plus/status/1422029631507427331
残念である。
表現が人を傷つける力と人を救う力は同一であり、分割することができないものだと私は考える。(救うなんて表現はおしつけがましいし、そもそも表現の価値は人を救う事とは限らないが、便宜上こう言う)
たとえ短期的には傷つける部分だけを削り救う部分は残すことに成功したように見えても、長い目で見れば、次の誰かの作品まで踏まえてみれば、傷つける力を弱める試みは必ず救う力までも弱めてしまう。
過去50年の間に許されなくなった表現はあるが、100年前200年前よりは許される表現は増えていて、だから私たちは色々な表現に心を動かされる現代にいる。
許されなくなった表現がもっと少なければ、もっと豊かな現代になっていただろう。
だからルックバックの表現が許されないとされたのは残念である。
このような表現への抑圧を問題視する立場から何ができるだろうか。
出版社であったり圧力団体であったり政党であったりに掛け合うこと、コロナを考慮した上でのデモを行う事など、社会運動や政治運動はもちろん有効である。
だがそれに付け加えることとして、表現活動をすることを私たちみなに望みたい。
たとえ不適切だとか不道徳だとか言われそうだと思っても、必要だと思った表現は盛り込んだ作品を作り、発表しよう。
抑圧された時に余裕があるならつっぱねればよいが、大変そうならしれっと取り下げてもいい。
叩かれても折れない覚悟なんて、たいていの人間は持てないし持つべきじゃない。思いついた表現を世の中に放り投げる気軽さ、見る前に跳ぶ思い切りさえあれば十分で、着地でミスろうが安全ネットにからまって笑われようが問題ない。
あなたの表現が誰かの目に入ったならば、それを取り下げようと蒔かれた種は消えない。
表現の自由への道は、自由を目指して倒れた作品たちの上に作られる。だから殺されたって価値がある。
そしてしばし休んだなら、また何かの名義で、何かの媒体で、作品を出せたら最高だ。
https://twitter.com/ikedanob/status/1419608766849314816
転売屋がまとめて買えば、それは最終的に消費者に売れるんだから同じこと。プラモやってるガキは、この程度の初歩的な論理もわからないのか?
https://twitter.com/divemamuru/status/1417678347232894980
仕事頑張って忙しい社会人からすればヨドバシなんかで行列してまでps5や人気商品を数時間行列並んで買う時間なんてないしそれなら1万円位なら上乗せしてでも買いたい人いると思う。
稼いでる社会人なら時給換算したら並んでる方が高くつく。
まだラケット破壊についてブツブツお気持ち表明してる連中を見て、改めて、日本人って終わってるな、と思わされた。
他の要素は全て勝ってからの話。
本人だけの問題じゃない。
支えてくれるチームや導いてくれるコーチ、道具を提供してくれるスポンサー、全ては勝っているから存在していて、勝つことが最大の恩返し。
大坂なおみは世界トップだ。勝つことによってその恩恵を支えてくれる人たちに日々返している。
勝てなければそれはできなくなる。
勝つのは大事。非常に大事。ラケット破壊して勝率が上がるならやるべきに決まってる。
勝利でも、生産性でも、トップは何らかの至上命題を持っており、他のことを後回しにしても注力する必要がある。
この「至上命題」「必要性」を全然理解しないのが日本人なんだよな。
それなのに、勝てればいいわけじゃないとか、勝つより大事なことあるだろ、とかヌルいこと言いながら負け続ける。
生産性より大切なものはある、などとわけのわからない観念論に逃げる。
すると当然、全体の取り分はシュリンクする。
スポーツチームなら解散すれば済むが、社会全体なら弱者を切り捨てる方向に走る。
馬なり軍艦なり刀なり、なんらかの既存の事象を美少女やイケメン、エロでコーティングしてやるだけで、
ヨダレをダラダラ垂らしたオタクがわらわら飛び付いてきて、わんさか金を落としてくれる。
元々キャラクタービジネスってのは分別のつかない幼児〜小学校低学年程度の為のものだったんだと思う。
幼児〜小学校低学年の子供達はただキャラクターが印刷されているだけの人形やカード、
キーホルダーにTシャツ、あるいはパン、カレー、ソーセージといった食品などを無闇矢鱈に欲しがる。
でも中学生前後にでもなれば、そういった製品を持つのは小っ恥ずかしくなって欲しがらなくなる。
そもそも格好悪いし、キャラクターが印刷されていることよりも流行や機能性、デザイン性を重視するようになるから。
しかしオタクは違う。精神年齢がある程度で止まってしまうので、そのままキャラクタービジネスに没入したままの大人になってしまう。
前述の「キャラクターが印刷されているだけの商品群」に対して盲目的に給料の大部分を湯水のように注ぎ込んでしまったりする。
『その「キャラクターが印刷されているだけの商品群」が自分の生活にどれだけの価値をもたらしてくれるのか』、
という一瞬の思考すら放棄してしまい、短期的な快楽の為に野放図・無計画な消費を繰り返して貴重な資産を失い続けていく。
その結果出来上がるのはろくに人生計画や貯蓄、資産形成も行っていない上に周囲との対人関係ももはや破綻している哀れな中年である。
「オタクは誰よりも経済を回しているから問題ない」というオタク側からの意見も散見されるが、これは詭弁だと思う。
質が殆ど考慮されていない製品であっても「キャラクターが印刷されているだけの商品群」でさえあれば、オタクは金を落とすからだ。
本来なら1本10円のうまい棒に美少女を印刷して1本100円でオタクに売りつけるのはやはり阿漕な商売だと思うし、
そんな方法で企業が儲けた金は泡銭もいいところだ。何より「企業の社会的責任」に堂々と唾を吐きかけるような不道徳な行いだ。
言葉を選ばずに言えば、知的障害者や認知症の高齢者といった分別のつかない者に高額な商品を売りつけるのとたいして差は無いようにも思える。
オタク商法は企業にとっても麻薬のようなもので、この商法に頼ると長期的に見て根本的な品質の低下やオタク層以外から忌避されるといった弊害も起きるだろう。
お先真っ暗な日本社会で今後も安定して一山当てられそうな手法の筆頭がこの阿漕な「オタク商法」なのは、日本人のひとりとしてなかなか暗澹な気持ちになる。
きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた
酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観。
彼女がいつも言う「日本人はセロトニントランスポーターが少ないから不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーターの機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり、彼女の理論とSSRIの作用機序についての理論は正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対の解釈というのは流石におかしい。神経科学の専門家はどう思っているのだろうか。
「空気を読む脳」で日本人はサイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質の機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質の機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。
ついでに「不倫」では日本人は保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。
「戦国武将の精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人の理想のモデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか。
美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。
「不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人はオキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかわからないのである。オキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人は不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査と国内調査を比較していたが)
更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体が存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人はセロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。
更に中国や韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝的特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的でリスクを好まない形質の持ち主らしい。
「サイコパス」でフロイトはトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドーや無意識という概念の代わりにセロトニンやオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。
この記事でも指摘されているように、彼女は不要な場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間は科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。
人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネ、マウス、プレーリーハタネズミ、サバクトビバッタと…
「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネは容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係ないかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。
「戦国武将の精神分析」でマウスを取り上げて人間でテレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任を押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシングを批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い。
「不倫」でプレーリーハタネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間とボノボで「ほぼ」同じだからといって人間も本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。
そのわずかな違いが重要な違いである可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリーハタネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようである。https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。
「空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタが集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。
文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間の常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォーター・ルールに触れておきながら小池百合子やドナルド・トランプがサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである。
「ペルソナ」でセクハラを告発していたが、「脳・戦争・ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供を批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在の倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。
「ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係に他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である。
そして最後に「不倫」で書いていた、不倫は遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別や優生学に繋がるという主張について批判しておこう。
別に不倫遺伝子とはあれば絶対に不倫するという因果律を支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人やレイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人やレイプも断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシングも遺伝子のせいだとすれば不倫バッシングを差別だ優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。
思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。
橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人のレベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。
この記事におかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。
追記:2021/5/8
https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666
“2000年の論文で「この損害回避とセロトニントランスポーターのプロモーター領域の遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究が存在し,今後さらなる検討が必要である」とあり、2009年のメタ分析の論文で少なくともフィンランド人のサンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだから、セロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”
https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf
“さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である ”
https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747
”ざっとこんな趣旨の記事だが、先に書いたようにそんな気質そのものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーターが気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。
こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーターが気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”
https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html
”SNPの品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝子近傍のSNPとストレスフルライフイベントの相互作用が、統計学的に有意にうつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬の作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”
どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的に反論するべきだろう。
JRの車椅子乗車拒否の記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。
私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子が車椅子ユーザーだった。先生からはその子の身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。
その子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。
入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループの友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。
それから自然とヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かにも優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプの友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者を押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。
担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子を差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者からの評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手が社会的弱者でこっちは強者だから。
私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。
文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちのクラスはダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。
これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子の存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子がクラスの足枷になってしまった。
私だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テストの勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である。
最近は社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害者差別、性差別、人種差別…etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。
(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)
追記 4/6
沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定や差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまったことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています。綺麗事じゃない、経験した人にしかわからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜
一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。
よく電話で話す異性の友達がいる。その人は元カノの友達で、元カノの紹介で知りあった。付きあっているときに、3人で遊んだこともある。元カノとはもう7、8年も前に別れて、それからまったく関係のない人とも付きあって、そして別れた。その友達とは、二人目の彼女と別れてから、電話で話すようになった。
電話で話すばかりで、ずっと会っていなかった。コロナの前から電話で話していたけれど、コロナが始まってからは、会えない理由をコロナのせいにしていた。だから、この宣言が解除されたので、会うことにした。
昨日だ。
大仏が見たかったので、奈良に行った。奈良は動物園のような臭いのする街だ。鹿のフンのせいだろう。その臭いにぼくは辟易したけれど、彼女はそうでもないようだった。マスクが多少、臭いを和らげてくれる。
それで半日観光して、最後、お酒を飲んだ。嫉妬の話をした。彼女は今日、違う男の人に会う。ぼくは彼女の友達で、そしてその男の人は、彼女にとっての元カレだ。彼女から聞いた嫉妬の話は、何年も前に、その人が自分以外の女と仲良くして嫉妬したという話だった。
嫉妬しているんだろうか、ぼくは。今日、等間隔で地面を叩く雨の音が聞こえたとき、すこし喜んでしまった。昨日の晴れた奈良とのコントラストのようで。
はぁ…
もうね、どうしてこんなミスをこんなタイミングでやっちゃたのか、神を呪う、いるなら。
確かに息子は中三だから、ちょうど性的には誰でも似たようなものだろうと思うけど、要するにオナニー猿化する。
普通だ、元気だ、やる事やってんじゃん、みたいなもんさ。
で、例えばね、うちの息子がどうとかじゃないよ、世間で言われるヨージョ趣味になったりする場合もあるわけよ
でも、男ならわかるだろ?、そーゆー時ってあるのよ、大抵の男は。
人に言えない趣味を持つ、とか。
それもま、犯罪化しない、世間様に迷惑かけない、理性的でいられる、という葛藤との特訓でもあるだろうし、しょーがないじゃん。
でもね、見ちゃったんだ、ぐーぜん。
オナニーの瞬間じゃないよ
3ヶ月に一回だけ、1万円以内のAmazonで好きな買い物をするのを息子に許可してるのさ
で、息子も買いたいというからさ
3ヶ月に一回だよ?
それがどうして、バッティングするのさ?
でもま、急いでるからさっさと取りに行こうと。
んで、出掛けるついでに、荷物取り出してそのまま、ゴミ置き場の方へ行って、段ボール箱を開けて、段ボールを置き場に捨てて、中身のモバイルバッテリーだけ取り出して、、、と、ビリビリっと、Amazonの段ボールを開けてしまったんだ。
「あれ?、モバイルバッテリーしか頼んでないのに、他にも荷物入ってるし、モバイルバッテリーの箱もなんか派手…うわっ!?」
あのね、目が悪いのよ、自分は。
そこに入ってたのはモバイルバッテリーではなく、電池で動くオナニー道具と何かだったんだ。よくは見てない。
ど、ど、どうしよ?と、めっちゃ焦った。
ビリビリ破いたので元通りには戻せない。
息子に謝る?
破いたけど、中は見てないって貼り紙でもしとく?
信じるわけねー
息子は休みで部屋にいる
通知で届いたのは知ってるはず
とにかく、証拠隠滅だと、破いたその段ボールのビリビリをもう一度、糊で貼っつけて、もう一度宅配ボックスへ戻したのさ。
あとは知らぬ存ぜぬだ。それしかない。
息子は首をひねっておしまいだろ
にしても、マジで焦ったわ。
何食わぬ顔で、墓場まで持っていこう。
すまん息子、破いたのはワシや
でも何も言わんからな、堪忍して。
https://www.zeldadungeon.net/diversity-in-zelda-what-if-zelda-was-black/
米UCLAロースクールを卒業した海外サイトZelda Dungeonのアレクシス・S・アンダーソン記者が、「『ゼルダの伝説』のゼルダ姫を黒人にすべき」と力説している。
・35年の歴史の中でゼルダ姫は変わらず白人でした。これでは黒人女性が伝説になれることを示せず、残念なことです
・アメリカの黒人女性は、劣っていて尊敬に値しないと絶えず言われ攻撃されています。そこでゼルダ姫を黒人化すれば、黒人女性が単なるマイナーキャラや敵対者ではなく、重要な英雄的人物であるというメッセージを送ることができるでしょう
・ゼルダ姫とリンクが白人として描かれる『ゼルダの伝説』は、白人だけが世界を正しく管理し守っていく存在であるということを示唆しているのです
・『ゼルダの伝説』シリーズは主要キャラの人種をほとんど説明なしでも変えることができます
・メディアではこれまで何度も、有色人種やLGBTQ+の人々が腹黒く不道徳な侵略者として描かれてきました。黒人キャラが前向きな役割を習慣的に与えられるようになれば、社会にある固定観念を払拭し、人々が自己像を高めるのにとても良い影響を与えるはずです
・ゼルダ姫の黒人化は、黒人が華麗で大胆な英雄であることの確固たる証拠になります。任天堂が社会から抑圧されてきた人々やゲーム業界でなおざりにされてきたコミュニティへの支援を表明する一手になるでしょう
当時、私はプロポーズをして返事ももらっていたのだけど、まだ義親への挨拶はしていなかった。
マッチングアプリで出会った女の子とセフレになったのは、そういう時期だった。
とはいえ私は婚約者のことを嫌いなわけではなった。むしろ好きだった。可愛らしいし、なにより一緒にいて居心地がよかった。
けれども、プロポーズに対する返事が曖昧すぎて、相手が結婚に踏み切らないことに業を煮やしていた。
そんなとき、ペアーズでめちゃくちゃ体の相性のいい女の子と出会ってしまったのだ(これが後から大事になるので、覚えておくように)。
1日中セックスをしたこともあった、一緒に旅行にも行った。楽しかった。
私は、婚約者に対する「好き」という感情がだんだんと薄れていくのを感じていた。
そういう関係が2か月ほど続いたとき、婚約者にも変化があった。
結婚の意思を固めたらしかった。改めて結婚したい、と彼女から言われた。
私は、セフレに乗り換えるという選択肢を頭から捨てきれないまま、いいよ、と言ってしまった。
これがすべての間違いのもとだった。この一言さえ言わなければ、今全く違った現実を生きていた気がする。
ここでの選択肢Aは「婚約者と何事もなく結婚する」であり、選択肢Bは「セフレとの関係継続」である。
「セフレとの関係継続」は、「結婚しつつも関係継続」というスリルに満ちた選択肢は排除しないので、やはりAとBの両取りは可能だったのである。
けれども私はAを、かつ¬Bをも、同時に選択した。// ←まだ整理できていないけど、ここに欲求と信念の矛盾がある気がする。
単純に、道徳的な理由からそうしたような気がする(私は不道徳な行為を選択することが苦手だ)。
そしてここから、亡霊のような後悔がつきまとうようになった。
というのも、婚約者とのセックスが全くたのしくなくなったばかりか、婚約者の顔を不細工だとさえ思うようになったのだ。
私だってそれなりに若いので、「不細工だけど他の部分がいいから結婚しよう」などと思ってここまでやってきたわけではない。
気持ちも通じ合うし、顔も好みだから結婚しよう、と思っていたはずなのだ。なのに、どうしてこうなったのか。
私が今持っている仮説は、「脳の回路が書き換えられた」というものだ。
思い出してほしい、セフレとのセックスはめちゃくちゃ気持ちいいのである。
これがどれだけ気持ちいいのか、文章で伝えるのは難しいが、身体的な快感はもちろん、精神的な満足度がやばいのである。
あえて言えば、「お互いに最高潮の快感を感じていることがダイレクトに伝わってくる」ということだと思う。
相手は、1回のセックスで何十回もイくし、私も支配欲が満たされまくっていた。そして一日に何回もセックスをした。本当に天国だった。
(こんなにイったのはじめて、とか、○○(筆者)じゃないとダメ、とか、もう離れられないとか言うから余計のめりこんでいた)。
ここまで書いて、たぶんこれ寝取られだったんだなと気づいた。
ただし、エロ漫画と違って、墜ちるのは私だ。若い男が、若い女にぞっこんになって脳みそおかしくなったという、そういう話な気がする(いわゆる、快楽堕ち)。
たまたま私に婚約者がいたことで、ますます寝取られにふさわしくなっていると思う。
ということで、今や私は、全く好きではない婚約者と結婚し、満たされない性欲を抱えて生きる、欲求不満な若い夫となった。
セフレとはどうなったのか?
それがこの話のエピローグだ。
セフレに婚約していることを告げると、「もう会わない」と言われた。
そう言われてからも2回ほど会ったのだが、最後に相手の家に行ったときに、
置きっぱなしにしていた服などを渡されて、持ち帰らされた。
そして…これはよくある寝取られとは異なる展開なのだが、彼女(セフレだった人)にも彼氏ができた。
いい話だ。
なぜ私がそれを知っているかというと、上記のようにすでに完堕ちしていた私は、セックスの禁断症状が出始め、
彼女に会わないと死んでしまうと考えるようになった。それで、ストーカーと言われても仕方ないが、彼女に会いに行ったからだ。
彼女は案外気さくに接してくれた。以前と変わらぬ態度で、最近のことを話してくれた。
まあ、話を聞いたことでさらに打ちのめされた部分もあるのだが。
たとえば、
・今の彼氏は、あなた(筆者)と同じくらい気持ちのいいセックスをしてくれる(体の相性がいい)
・あなた(筆者)と過ごした日々は、いい思い出だし「経験値」になった
という感じに、私との思い出が「いい経験値」になるくらい充実した恋愛をしているようだった。
いい話だ。
いかがだったでしょうか。
こんな人もいるんだということで、誰か助けてくれませんか。
このままだと、たぶん鬱になるか、セックス依存症になります。なんなら、また別のセフレを探そうとしてマッチングアプリをやり始めました。
もう依存症になってるのかな?
まじで誰か助けてくれ(妻には相談しない理性は残っているんだなあ)。
最近、国内外問わず実写で同性愛を題材にした作品が増えてきている、と感じる。
日本国内では「おっさんずラブ」が非常に高い人気を博した事は記憶に新しいし、タイBLこと「2gether」は世界中で大反響を得ているらしい。
ネットで感想に触れるとそれらの作品は主に女性、それも男性同士の同性愛を嗜好する所謂「腐女子」と呼ばれる女性達に好まれているように思う。勿論全く男性が居ない訳では無いとも思う。
男性同士の恋愛を扱った所謂「BL」だからというだけではなく、性別は関係なく愛し合う二人の恋愛ドラマ物として内容も面白いらしい。ドラマが面白くて人気があるならそれに越した事は無い。
それらのドラマは現実ではマイノリティー故に生きづらい思いをしているLGBT、その中の「ゲイ」の人々を描いている事もあって現実のLGBTの方達からも好評らしい。
「おっさんずラブ」も「2gether」も出演されている俳優さん達がカッコ良く魅力的である。お話が面白いだけでなく、そういう意味でも女性やゲイの人達に人気が出ただろう事はそちらの方面に疎い自分でも理解出来た。
腐女子とは男性同士の恋愛に萌える嗜好がある女性達を指す呼称である。男性の同性愛者、所謂ゲイは性的少数派であるため、彼らの恋愛を許容する腐女子はLGBTに理解がある人達である、とも言われている。
その定義自体はあまり間違っていないと思う。腐女子の人達はゲイの人達を見ても「え?何で同性同士で?」とは言わず、「同性同士の恋愛いいよね!」と応援する傾向があるのは、ネット上で彼女達を見ていると思う。
だが、彼女達が全ての愛し合う人達に大らかであるかと言われればそうでも無いと思う。男性同士の同性愛、所謂「BL」には確かに寛容だと思う。だが、異性同士の異性愛、所謂「NL」には強い嫌悪を持っている人も多く見られる。
勿論全ての腐女子が異性愛を嫌悪している訳では無い。異性同士の恋愛物も同性同士の恋愛物も並行して楽しんでいる人も多いし、「男性同士だから良い」のではなく、たまたま好きになった二人組が同性だった人も居る。
それはそれとして、やはり異性の恋人同士に強い敵意を持っている腐女子が多い事も真実だと思う。何故彼女達が異性愛を嫌うのか、本当のところは自分には分かっていないと思う。腐女子の正確な数さえよく分からない。
ただ、「異性同士の恋愛は性欲ありきで気持ち悪い」「女性が一方的に男性に消費されているのが嫌」「自分が女性であるから女性が出てくるのは生々しい」みたいな意見はよく目にした。
古くから「BLはファンタジー」という言葉は存在した。男性の妊娠など、現実では起こりえないだろう描写がBLの中に存在する事を指してそういう言葉が生まれたんだろうなぁ、と自分はこれまで思っていた。
そういう意味もあるのだろうけど、本質的にはもっと大きな意味を含めているんじゃないだろうか?と最近思い始めてきた。BLはファンタジーというのは、もしかして「女性が存在しない世界での恋愛物」という事ではないのだろうか。
自分はBL作品に詳しくないのできっと間違っているかもしれない。BL作品でも全ての男性が子供を産めるようなファンタジーな世界で無ければ女性は存在する筈だし、設定も現実に沿った物の方がずっと多い筈だ。
「女性が存在しない」というより、「男性の恋愛対象となる女性が存在しない」の方が正しいのだろうか。BLに登場する女性は、同性愛に理解があり温かく見守ったり、BLを崇める腐女子である事が多く、自分は恋愛に加わらない。
BLでは「女性はキャラの恋愛対象として出て来ない」「女性が男性に性的搾取される事が無い」「女性が男性同士の恋愛を引き裂くような事は無い」事が多いんじゃないだろうか。
同性同士の恋愛を扱った作品がBLで、そういう作品だからこそ好んで嗜んでいる人達が腐女子なのだから、もし女性キャラが登場してその人も交えた三角関係が展開されるならそれはBLではないだろうし腐女子も怒る気がする。
男性同士の尊くて美しい真実の愛が繰り広げられる中、彼らを引き裂くような真似をする無粋な女性が存在する事が無い世界。それこそが「BLはファンタジー」と呼ばれる理由なのだろうか。何か違う気もするけどそこは保留する。
腐女子の中に男性同士の同性愛を尊び、異性同士の恋愛を嫌う人が理由はもしかしてこういう事なんじゃないだろうか…?と自分は考えている。
「異性愛と違って同性愛は禁忌とされているため障害が多い。それでもお互いを愛し合い結ばれようとする姿は、世間で当たり前の事として受け入れられている異性愛よりよほど真実の愛に近い」という人も居る。
ロミオとジュリエットなどもそうだけど、障害があり誰に認められなくてもそれでも愛し合う二人が映えるという考え方は自分にも分かる。そういう視点から見れば、周囲から理解されず苦しむ人が多い同性愛は心を惹く題材だと思う。
しかしこの前どうも気になる事があった。禁忌であり障害が多いからこそ同性愛・BLを嗜好する腐女子の人達が、同じ禁忌であり障害が多い恋愛を繰り広げるのが異性愛者だと今度は「気持ち悪い」と言う所を自分は見た。
最近ある漫画に登場した双子の兄弟が一部の腐女子に人気を博している。優れた弟に強い嫉妬と憎悪と兄としての愛情を併せ持つ兄と、親に迫害されて育つも兄が自分に見せてくれた優しさに心を救われた弟という二人だった。
この二人はお互いがお互いに強い感情を向け合っているという事で、同性愛を愛する腐女子にはとても好意的に受け入れられた。二人とも家庭があり妻子も居たけど、二人ともそれぞれの理由でその妻子から離れる事になった。
二次創作ではこの二人は何か違えば恋仲になっていたのではないか、というifの設定が盛り上がっているし、もし二人のどちらかが女性として生まれていれば間違いなく恋人になっていただろうなとも冗談半分に語られてもいる。
BLというジャンルの中には女体化というシチュエーションが存在する。もしあのキャラクターが女性として生まれていれば…というifであり、セックスの際に挿入される側である受けが女体化される事が多いらしい。
勿論全ての女体化がBLや女性向けである訳では無い。腐女子の中には「BLでまで女を見たくない」と女体化を忌み嫌う人も居るし、そもそも女体化やTSは男性向けのジャンルであるという声も大きい。
女体化は厳密にはBLではないかもしれないけど、腐女子の中には自分の好きなコンビの一人を女体化する人もそこそこ居る。全ての女体化物がBLという訳では無いけど、BLの延長線として女体化を楽しんでる人も居ると思う。
先述した最近人気のある双子の兄弟も、もしどちらかが女体化したら…というシチュエーションでの二次創作が一部で盛んになっている。自分が見たところだと、もし兄上が姉上だったら?というシチュエーションが多い気がする。
二人とも重度なブラコンであるためか「もし兄上が姉上だったら弟は抜きまくってる」「姉上の方から弟を襲う」「弟の方から姉上を襲う」など結構下品な話をしている人も見られる。R-18ネタ界隈は全体的にそういう物だけど。
元々兄弟BLというのは昔から根強い人気があるジャンルという印象がある。同性同士という禁忌に血縁である兄弟という禁忌も加わるのだから、障害のある恋愛を好む腐女子の人には堪らないのだろうな、と理解出来る。
その双子の兄弟が登場する漫画には兄弟の女体化ではなく、原作から異性同士の兄妹も登場する。その二人は作品の顔となる主人公とヒロインで、短く言うと妹想いの優しいお兄ちゃんとお兄ちゃん想いの優しい妹である。
作品が始まった当初この二人には恋愛的な意味で特定のパートナーが居らず、恋愛的な意味ではないけどお互い強い感情を持ち合っていたため、極々一部でこの兄妹を恋仲にした二次創作を創る人達も居た。
この二人は最終的にお互いの伴侶を見つけ家庭を持った事が示唆されていて、兄妹同士で恋仲になるのは一般的に不道徳であるとされている事もあって、この二人が恋仲になる二次創作は作品のファンからは嫌われがちである。
ここからが自分が腐女子に対して違和感を持った出来事の話なのだけど、前述の△△のBL妄想は同性愛と近親相姦という二つ世間からは受け入れられ難い要素があった。片方を女体化した場合でも近親相姦は残る。
○○兄妹の二次創作も原作では異性同士ではあるけど、近親相姦という要素がある点では△△兄弟と変わらない。そこで△△兄弟BLを嗜む人に何故○○兄妹の組み合わせは嫌われるんだろう?と尋ねた所、こう返ってきた。
○○はあんな良い子達に近親相姦の業を背負わせちゃダメでしょ…ってなるけど△△だと特に兄上が兄上なのでまあいいかぁ!よろしくなァ!となると思われる
小動物的な○○○をあの家族想いな長男が犯すとか見たくねえし…
その点兄上が犯されるのは見たい
姉上は兄上だから良いんだ
分かりやすく言ってやる
他にもあったけど、特に印象が残った感想はこんな感じだった。短く纏めると「BLや女体化は一種のネタだから良い」「原作からの兄妹は生々しいから無理」という事だと思う。
言いたい事は分かる。BLはファンタジーとして現実と一線を画しているのでファンタジーとして割り切って楽しめる。一方異性同士、それも兄妹というのは生々しいから無理。確かに感覚として分かる。
しかし自分の中でどうしても腑に落ちないところはある。BLはファンタジーなので割り切って楽しめる。BLが生々しい恋愛に嫌気がさした女性に愛されるのはそういう事なんだと思う。では現実に存在するLGBTの人はどうなのだろう?
腐女子の人がBLを愛好するのは「現実の異性愛を連想させないファンタジーだから」「女性が性的搾取されない世界だから」「性別の壁を乗り越えて愛し合う同性愛こそが真実の愛だと思うから」が主な理由だからだと思う。
ゲイの人達にとって同性愛とは現実の事だし、ただ好きな人と愛し合いたいだけなのに障害なんて欲しくなかったんじゃないだろうか。また、彼らの中には女性を「何もしなくても自然と男性に好かれる」と嫌っている人も居る。
BLを愛する女性にとってゲイは「女性を性的対象と見ない」「男性のみを性的対象として見る」存在だからこそ、好ましく思う所もあると思う。本当に極々少数派だと思うけど、女性を嫌うゲイの事を「所詮女になりたくてもなれなかった男がミソジニーを拗らせているだけ」と侮蔑する腐女子もネットで見た事がある。本当に極々一部だと思うけど、これが普段BLを嗜みLGBTを擁護する腐女子の本心なんだろうか…と衝撃を受けてしまった事は忘れられない。
長くなったけど最後に…腐女子という人達は、性的マイノリティーの人「にも」優しい博愛主義者ではなく、マイノリティーに寛容な分だけマジョリティーには厳しい人達なんじゃないだろうか…?と最近思い始めている。
※https://dev.ftbucket.info/scrapshot/ftb/cont/img.2chan.net_b_res_741641553/index.htm
香港のポスターの話、ちょいと話題になっているけど、ソースが痛いニュースだけじゃあ痛すぎるわよね。
承前:林祥焜という作家の描いた大型ポスター6枚が西九龍センターというショッピングモールに掲示されていた。"GOODGIRL"シリーズと呼ばれ、割ときわどい格好の女性を描いている(詳しくは画像検索でもして)。
① 10月6日:車淑梅という香港の有名ラジオパーソナリティー(元)が例のポスターの写真をFacebookに掲載して一言「マジかよ……(嚇一跳……)」と投稿。当地のネチズン間で議論が起こる。
② 同10月6日:同地区評議会メンバーである劉佩玉議員が(西九龍センターを利用する)親子連れから多数の苦情を受けたとして、何人かの女性を伴い(合流し?)西九龍センターに対してポスターの撤去を要求した。
③ 10月12日:西九龍センターは台風16号の接近に備え、全ポスターを一時撤去。
④ 10月25~26日:西九龍センターで一時撤去していたポスターを再掲示。その際、6枚のうち3枚は例のパロディー版(ギャグ漫画家の甘小文氏作)に差し替えられている。なおこの差し替えはオリジナル版の作者林祥焜氏も承知(というか歓迎)している。
⑤ これに対して劉佩玉議員は「また苦情が来たら考える」とのこと。
⑥ 【完】
香港の大型ショッピングモール。地上10階地下5階。屋内だけどプチ遊園地やスケートリンクがある。ちなみになぜか吉野家もあるわよ。AKB48のグッズ店もあるとかないとか。ガンプラも売ってた気がする。
外には大きな広告展示スペースがあり、ここの広告/ポスターはエロい/煽情的/きわどいものが多く、よく批判なり抗議なりされてきたという歴史があるわ。まあセンター側は全部ガン無視だけど。
例えばこれやこれやこれやこれやこんなのかしら。"西九龍中心"でググればもっといろいろ見れるわよ。あ、中国だからって百度検索はダメよ。きれいな画しか出てこないから。
今回は台風で一時撤去したけど、過去の対応を考える限り、台風来なかったら抗議ガン無視して掲載を続けてたと思うわよ。あのポスター群。
もう規制済みなんですわ。香港と言えど中国。やっぱどうしてもね。
"猥褻物品法廷"ってのが香港司法にはあるのよ。この法廷で猥褻判定食らったら発禁になっちゃうわけ。ド直球の事前検閲でびっくりしたかしら?
届け出せずに出版等することはできるけど、あとからNG判定受けたら……ちょっと悲しい結末になるかもしれないのよね。
ちなみに件のポスターは全部審査をパスしてるから、少なくとも当地の法的には猥褻でも下品でもないわ。
さあ?
この話の主要登場人物にフェミニストいないのよね。"痛いニュース"では「フェミが抗議」って言ってるけど、劉佩玉議員がフェミニストだという情報はないわ。
たぶん反エロ=フェミニスト的な連想ゲームなんでしょうけど、中国でエロ規制してるのって中国共産党なの。いやまあ中国で何かを規制できる存在はほぼ中共だけなんだけど。
本件に関する香港ネチズンの批判対象もほとんど保守(=体制派)だもの。劉佩玉議員が体制派と目されている(※)のも関係してるかもね。
ああ、フェミニストYoutuberの3人組が劉佩玉議員への抗議として、ポスターの女性と同じ服を着て事務所のドア前で自撮りするなんてこともあったわね。
※ 香港民主化デモの時に警察の暴力を擁護/容認するようなことを言ったり、(市民側に)外国の軍隊が紛れているかもという陰謀論じみた仄めかしをしたり。もちろんめっちゃ叩かれたんだけどね。
政府当局が当たり前の顔して検閲を、表現規制(当然エロも含む)をしている国で「フェミニストが萌え絵に文句を言う!表現の自由の侵害だ!」って言っても、ねえ?
フェミニストにしても「ポルノは女性蔑視を助長する、差別問題である」なんて言う暇もないわけよ。それより先に政府当局が「エロはいかん。不道徳だ。処す」って有言実行して、同じ口で女性差別もするんだから。
家庭内暴力の定義と法規制が2015年で、男性限定の求人が禁止されたのなんて去年なのよ、中国は。セクハラ啓発しようとしたフェミニストたちが当局に逮捕された事件もあったわね。
(ただまあフェミでポスター批判派もちゃんと探せばいるとは思うわよ?"痛いニュース"とかそこにコメントしてる人たちが調べた上で言っているとは思えないけどね。)