漫画『ルックバック』の一部表現が不適切だとされて変更された。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shonenjump_plus/status/1422029631507427331
残念である。
表現が人を傷つける力と人を救う力は同一であり、分割することができないものだと私は考える。(救うなんて表現はおしつけがましいし、そもそも表現の価値は人を救う事とは限らないが、便宜上こう言う)
たとえ短期的には傷つける部分だけを削り救う部分は残すことに成功したように見えても、長い目で見れば、次の誰かの作品まで踏まえてみれば、傷つける力を弱める試みは必ず救う力までも弱めてしまう。
過去50年の間に許されなくなった表現はあるが、100年前200年前よりは許される表現は増えていて、だから私たちは色々な表現に心を動かされる現代にいる。
許されなくなった表現がもっと少なければ、もっと豊かな現代になっていただろう。
だからルックバックの表現が許されないとされたのは残念である。
このような表現への抑圧を問題視する立場から何ができるだろうか。
出版社であったり圧力団体であったり政党であったりに掛け合うこと、コロナを考慮した上でのデモを行う事など、社会運動や政治運動はもちろん有効である。
だがそれに付け加えることとして、表現活動をすることを私たちみなに望みたい。
たとえ不適切だとか不道徳だとか言われそうだと思っても、必要だと思った表現は盛り込んだ作品を作り、発表しよう。
抑圧された時に余裕があるならつっぱねればよいが、大変そうならしれっと取り下げてもいい。
叩かれても折れない覚悟なんて、たいていの人間は持てないし持つべきじゃない。思いついた表現を世の中に放り投げる気軽さ、見る前に跳ぶ思い切りさえあれば十分で、着地でミスろうが安全ネットにからまって笑われようが問題ない。
あなたの表現が誰かの目に入ったならば、それを取り下げようと蒔かれた種は消えない。
表現の自由への道は、自由を目指して倒れた作品たちの上に作られる。だから殺されたって価値がある。
そしてしばし休んだなら、また何かの名義で、何かの媒体で、作品を出せたら最高だ。
表現の不自由展示の時は真逆のことを言ってそう
anond:20210802144156 何十年も前のコントの一部が原因で、オリンピックの開会式が国際問題になりかけた。 これはおそらく表現者にとっては想像以上に大きな衝撃を与えたんじゃないか。 ...
表現の不自由展にルックバックの訂正前を展示する手がまだ残ってる
倒れてもタダで起き上がってはいかんのやな
踏まれても踏まれても起き上がる麦のような漫画家に ルックバックの展示スペースは天皇のあれの横が良いな
変更に応じたから取れる手だね>表現の不自由展 応じていなければ、 保毛尾田保毛男のように将来精神障害差別蔓延の証拠にされてしまうかもしれないし。
さすがに慰安婦像や天皇の写真を焼くやつや会田誠作品の横にルックバックを並べるのはなあ。。 悪趣味すぎる
同じ趣旨の作品じゃん
そこを区別するのは差別だよね
あれは悪趣味な作品だよ むしろ表現の不自由の一員に加わるのは光栄なことだろう
表現の不自由展にラーメンズのコントの方も展示してほしいね。 与党の副大臣が外国の団体に不正確な情報を与えて火をつけた案件だから、体制による表現の抑圧でもあるんだし。 問題...
mikiko案の脚本とオリンピッグのLINEのスクショも展示して欲しい。
アスリートへの誹謗中傷の開示手続きの書類も桶とか言いそうな勢いだな