はてなキーワード: てんやわんやとは
フィクションに登場するドジっ娘キャラに萌える奴の為に、そういう人間と結婚したらどうなるかを少しだけ書く。
(1)言い間違いが多い。
例えば、SUVをUSBに、アルファードをアルフォートに、と云う具合いである。殊に、本来言いたい事の対照的なものや並立されるものにすり替わって言い間違えるケースが多い。「野球」の話をしていると思って聞いていたら「サッカー」の話だった(選手や監督の名前で気づく)とか、俺が車を運転していて次の交差点を「左折」しろと助手席のお前が言ったかと思ったら、左折し終えた後になって「ゴメン『右折』だった」と言い出すとか、二人の日常生活はブービートラップだらけである。
俺は何年も「言葉を口に出す前に一呼吸置け」と言って聞かせたのだが、まるで改まる気配が無い。一度など「今日テレビを観ていたらサカシタがさあ」と言うので『坂下千里子』が何かしたのかと思えば『橋下徹』の発言にムカついたと言いたかったと判明。本人の中では「ハシモト」⇒「サカモト」⇒「サカシタ」で『近い言い間違い』らしい。分かってたまるか!
(2)行動がせっかち、おっちょこちょい
ドジっ娘だから当然、言い間違いだけではなく物理的な行動もそそっかしい。グラタンやドリアが好きなのは構わないが、何故いつもいつも食べる度に口を火傷するのか。毎度毎度、食べる前に俺が「熱いから火傷しないように気をつけてね」と言い聞かせ、同じ物が食卓に並んで二人で一緒に食べ始めると云うタイミングで俺が目の前でフーフー冷まして食べるお手本を見せているというのに、なぜ毎回毎回それを無視して一目散にガブー!と口に運んで「アチー!火傷した!」と泣き言を言うのか。昭和のギャグ漫画か。それと、食事の時に楽しくお喋りするのは構わないのだが、周りの物に注意しないまま激しい身振り手振りを交えようとするものだから、しょっちゅうガシャーン!とコップを倒したり皿をひっくり返したり、てんやわんやになる。てんやわんや、て。昭和のベテラン漫才師か。
夜のプロレスごっこが終わった後も、背後をよく見もしないで勢いよく布団の上にゴローンと寝転んで、ティッシュペーパーボックスの角が肋骨に当たって、痛みのあまり全裸で悶絶する。尻を隠せ。周りをよく見ろ。
(3)謎の自信
出川哲朗や滝沢カレンなど芸能人たちの面白い言い間違い、ドジなエピソード等をテレビ等で見ると「信じられないwww」と自分を棚に上げて爆笑している。
信じられないのはこっちの方だ。お前だ!俺から見たお前が、まさにその状態なんだよ!何故、他人事みたいな感じになる?おまけに、夫婦間で情報伝達のミスがあって喧嘩になった時には、いつも謎の自信に満ち溢れて「アタシは絶対に○○って言った!」と主張してくるよな。よく上の(1)を読め!と言いたいところだが、残念ながら俺が増田を書いている事は妻に内緒だ。
そういえば何時だったか、自分を棚に上げて他人の面白ドジ話で爆笑していたら、食べていた抹茶ロールの欠片の粉が気管に入ってむせてしまい、お前は口から緑色のゲロを吐いたよな。あの時、俺は心の中で「映画『エクソシスト』の悪魔払いみたいだな」と思ったよ。
(4)怖がり
漫画、小説、ドラマ、映画は、少しでも怪奇やホラーの気配があると駄目。俺が持っているDVDの粗筋を軽く話しただけで、怖くなってトイレや風呂に行けなくなって怒る。でも、訊いてきたのはお前だろ。しかし、俺が大の苦手とするアシダカグモは平気のようだ。平気で始末する。フォークト=カンプフ・テストで「机の引き出しを開けたら大きな蜘蛛が出てきた」と言われたら「殺すわ」と即答しそうな気がする。
義姉の旦那は外国人で発達障害があるらしい。グレーかもしれんがそれは知らん。
とはいえ家庭は貧しいらしく、頼ってはこないものの家計はかなりギリギリだと聞いた。
コロナ禍で義姉旦那の仕事が少し潤い、途端に家でモラハラ加速したらしい。元々モラハラ気質があったらしいが、少し金が入ったことで気を大きくし、大黒柱である義姉にとても横柄な態度をとるわ、育児放棄するわでてんやわんやだと。離婚も視野に入れていると聞いた。
義姉は私によくしてくれるので、可哀想に、大変だな、何か困ったことがあれば相談して欲しいなと思っていた。
義姉子はとても可愛いし、魔の2歳児なのに私にはとてもよく懐いてくれる。
金銭的な援助はできないが、それでも米や食材を送ったり、誕生日の際はデパコスを送るなどしていた。
え????やることやってるの????モラハラ旦那と離婚視野にいれてるのに?
全く理解が出来なかった。
義姉だけは狂った旦那実家の中で唯一まともな人だと思っていた。
よその家庭なので口出しはしないが、やはり理解は全く追いつけないでいる。
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
皆さん、戦隊モノは好きですか?
いつものように技術的なことはあまり書かずに、きっかけや経緯を書いていきたいと思います。
11月末に長女が生まれ、てんやわんやの中深夜の空いた時間にKindleのオススメにあった「トクサツガガガ」(以下ガガガ)という漫画を大人買いして読みました。
そこでふとなんとなく思ったのが「戦隊ロゴを作ってみたい」という欲求です。
そこで、いつもの通りInkscapeを立ち上げ「っぽいカタカナfont」を探しました。 最初に「ゾウフォント」を使ってレイアウトをしてみたのですが、なんか違う…
まぁ、斜体になってるとか、濁点の位置が下だとかはあまり気にならなかったのですが… なんと言っても
右下を凹ましたい!
まぁ、本人の拘りなんては他人にとって本当にどうでもいい事ばかりだと思うんですけどもどうしても譲れなかった部分です。
元々10分ぐらいでサクッと作りたいなぁと思っていたのですが、fontを探すのにも苦労するんでこれ以上探すのは時間の無駄だなぁと思ってました。
で、上の画像のように「ゾウフォント」の右下を凹ませてやったんですが、やっぱり斜体だったり、色々自分の脳内と違ったレイアウトになるわけです。 (※ゾウフォントが悪いわけではありません)
そうなると、脳内では「10文字もないカタカナなら1から書いた方が早いよなぁ」という結論になっていました。
そう、文字列が思い浮かばないのです「○○レンジャー」の「○○」の部分です。
そもそも「戦隊風のロゴ」を作りたいのであって、「○○レンジャーのロゴを作りたい」のではないので目的と手段が逆になっているんですね。
結果として前述の「ガガガ」の中に「濁音」を使うのがよいみたいなのを思い出し、なんとなく「ディベロンジャー」ってというサンプルになっていますが、当初は「クリエイター」とか「ググルマン」とか頭に思ってました。 (人の思いつきなんてそんなもんですよね。)
だったらfont作ればよくね?
まぁ、Inkscape使ってるならsvgfontとかすぐできるんで、10文字弱作るぐらいなら50音(実際は、濁音とか半濁音が入るので50個以上ですが)作るのもあんまり変わらないなぁと思いました。
私は伝票とか領収書とか整理しようと思って、
こっそり鍵を開けて事務所に来たけど、
となりはてんやわんやのこの年末何やってんの?って勢いでドタバタしているわ。
私も巻き込まれそうなので、
さっき目が合っちゃったし、
猫の手も借りたいってか?
にゃー。
私は猫より役に立たないと思うわよ。
引っ張られる前に、
ここは書き上げたいところ。
さっきパスタ屋さんにいったら
卵プリンサービスで付けてくれたラッキーが超帳消しになりそうなほど、
ションテンが下がるわ。
ギター持ってないけど。
ちょっととりあえず、
メールの返信があるからちょっと待って!っと待たせてあるので、
オフィスのガラスの向こうでまたさっき目が合って早く来いよ的な漂わせ方しながら
その石原裕次郎さんみたいにブラインドの間からこっち見んなー!って
壁にミザリー!ブラインドに石原裕次郎さん!って言いたいところよ。
もう早くいってやっつけてくるわ!
またゆっくり書くし!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695878446399664770/comment/yujimi-daifuku-2222
こんな意味不明なスカタンコメントに100も星がついてるとかマジで謎。
へーそーなんだ。ふーん。そんなこと知らなかったし確認のしようがないんだけど、どこで確認できる?
ところで自分とこより状況が悪い国と数的比較することにどんな科学的に意義があるの?
人口も気候も地理的条件も政策も政治体制も文化も国民性も何から何まで異なる国同士で数字の比較して科学的になんか役に立つの?
東京都と岩手県の数的比較する人もいないけど、これも左派の陰謀カナ?
意図的に避けてるんじゃなくて、比較することにあまり意味がないから比較してないんじゃないカナ……?
日本はあんまりうまくやれてないけど、うちよりヤバイ国もあるから大丈夫!って言いたいのカナ?
フランスは6万人死んでます! 日本はまだ3000人も死んでません! 日本スバラシイ国デス!
っていうこと?
こんな比較、思想が極端にあっちのほうの人は喜んでしたがるかもしれんけど、それ以外の人(左に限らない)は何の意味も感じていないのでは?
悲惨な状況にある外国と比較して日本の状況が順調であるかのように楽観視しているのなら大間違いです。
念を押しときますが、今の日本の感染状況はほとんど毎日どこかしらで感染者数最多を記録していて拡大に歯止めがかかっていません。うまくやっているかやっていないかでいうと、ちっともうまくやっていません。比べる相手が悪すぎます。
3000を3001にしないために不眠不休でがんばってくれているたくさんの人達に失礼ではないですか?
コロナでてんやわんやになってる病院に行って、そこで働いてる人たちに「大丈夫!フランスでもイギリスでも6万人死んでるから!」って言ってみてごらんよ。あんたの言う「数的比較」なんてそんくらいの意味しかねーよ。
何というか。特に日本の感染状況が中国より深刻になって以降、意図的に中国と日本の現状との数的な比較を避ける人が右派に多いことがずっと気になっている。その態度は科学的なのですか?
自分はWebサービスの表側を作るお仕事に就いていますが、日本人ってサービス系の開発に向いてないよなーと強く思います。
特にWebサービスやアプリについては、まじで向いてない種族だと思います。
一番アカンなーと思うのが、リリース後の開発において機能追加は精力的に行う一方、機能削減はぜーんぜんやらないんですよね。
Webサービスって、リリース直後の段階である程度しっかりとしたUIで組まれていて、機能追加のことは基本的には考慮されていないケースが多い印象があります。
そのせいか、機能が追加されればされるほどいびつなUIとなっていって、最初は見やすかったのに、どんどん見づらくなっていくという…。
そうなってくると途中で全面リニューアルを行わざるを得ないことになるんですが、その頃には元のコードはぐっちゃぐちゃになっているわ元いたエンジニアはやめてるわてんやわんやで、もうどーしようもない状態になっていることもしばしばです。
某イラスト投稿サイトとか、某動画投稿サイトとか、某レシピ投稿サイトとか、某通販サイトとか、どこもひでーもんです。
で、ユーザーからすると「余計なことすんな!」っていう気持ちしか出てこないと思うんですが。
どこの会社もそのWebサービスに社運をかけちゃっているので、リリース後にエンジニアを放置するわけにもいかず、不必要な仕事を無理やり生み出さざるを得ないんですよね。
とはいえ、昨今のWeb系では、専門的なモノはともかく、一般的なWebサービスはシンプルなUIが非常に好まれる傾向にあります。
1画面の情報量はなるべくおさえて、ページ数で機能をカバーするケースがほとんどです。
一方、日本製のWebサービスは、なーぜか1画面に大量に機能を載っけようとする風潮がずーーーーーーーーーーーっと続いています。
理由はめちゃめちゃ単純で、Web界隈のエンジニアやディレクターが誰もWebのトレンドを追ってないからですね。
YouTubeとか覗いてみるとわかりますが、Web系の開発やデザインに関する動画って、日本のものは存在しないんですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=qm0IfG1GyZU
これとかわかりやすくて見ごたえがありました。
同じ動画投稿サービスでも、YouTubeはUIがむちゃくちゃ洗練されてますよね。
PCでトップページにアクセスすると、メニューと動画の一覧が表示されて、表示される動画も自分の好みにマッチしそうなものが機械学習によって選別されています。
いざ動画にアクセスすると、まずメインとなる動画が表示されて、そこから導線となる関連動画が表示されて、コメントは遅延読み込みで少しでも負荷を軽減させようとする施策が見えます。
また、ページをスクロールしてもヘッダーが追従するため、いつでもトップページに戻れるし、いつでも検索をかけることができる、非常にユーザーフレンドリーなUIだなぁと。
コピーライトはどこに配置されているかと言うと、左側のメニューの一番下にちょこんと目立たないように置いてあるだけ、めずらしいデザインだと思います。
そんなYouTubeであっても細かく日々UIが更新されていて、恐らくカスタマイスされやすいように実装されているんだろうなーと。
YouTubeでこんな感じなので、日本のエンジニアレベルで追いつけるわけがないんですよね、無理無理。
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【追記】
夜中のテンションで書いた日記が結構見られててびっくりしました。
気になったコメントについて、自分の考えを書いていこうと思いますー。
結構意外でした。
とはいえ賛同される方はコメントを書かれない方も比較的多いと思うので、全体的にどう思われているかまではわからないですが。
PC版もアプリ版もYouTubeは洗練されてると思うけどなぁ、すごくよくできてると思う。
個人の意見なので、賛成意見も反対意見もあって全然良いと思います。
あとGitHubとか、めちゃくちゃ試行錯誤を繰り返してるの本当に凄いと思う。
これはわかる、さっさと直してほしい。
お金的な部分もそうですが、個人的には日本人の民族性が大きく足を引っ張り続けてるのかなーと思います。
導線の話ですかね?
Webについては、日本は表側の開発がすげー弱い印象があります。
他の方も書かれていますが、ユーザーファーストで作られてないがすごいなぁと、開発ファーストというかなんというか。
書き終わったあとに内容が蛇行してんなーと思いましたが、直すのが面倒だったので公開しちゃいました。
わかるー。
トレンドにうるさいだけで画面に反映されてない感。
日本のWebは100人中1人でも需要があれば機能を残しますが、海外は速攻で削除するって記事を見たことがあります。
うーむ、深い。
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日本じゃそうでもないです、日本におけるWebデザイナーって絶滅危惧種だと思ってます。
そもそも1つのWebサービスやアプリがそこまで多機能である必要があるのか?とは思いますねー。
個人的には、Google・Slack・Zoomあたりはかなり洗練されてる感があるなぁと、特にGoogle。
デザインも洗練されてるけれど、導線の貼り方が神がかってると勝手に思ってます。
Amazonあたりは大きくなりすぎたので、今更大幅な変更はできないんじゃないかなと。
他の人の指摘にもありましたけど、自分はシンプルイズベストが大好きなので、必然的にシンプルなデザイン性が好きですね。
ごちゃついてるほうが好きっていう人はどちらかというと少数派だと思ってるんですが、どうなんでしょうか。
わかるー。
そもそも機能を削減するっていう発想自体、持ってる人が少なそうですよね。
そんなにつんけんするなよ、仲良くしよう。
解らんのですよ。
言うまでも無いが、小児性愛という志向は究極的な形で実現させれば(少なくとも今の日本では)どう転んでも犯罪になる。これは解るよ。
問題はそれを理由に「私は小児性愛者です」という発言まで『加害』扱いするとの意見を目にしたことなんだ。
これは『実名発言』、ブコメの様な『アカウント名発言』、増田の様な『匿名発言』まで含むんだろうか?…とここまで書いて思ったが、実名で公表する奴なんてそうそういるわけないし、まあ匿名発言までが対象なんだろうな。
発言者がどこの誰かも判らず、『加害』の対象も明確でない場合。「私は小児性愛者です」が加害になりうるのか?
自分の答はNoだ。
だってこれは単発で増田に「死ね」とか「殺す」とか書き込んだ場合と大差無いと思えるからだ。
誰かの書き込みへの言及でもなく、名指しするでもない「死ね」だの「殺す」だのが『加害』になるとは、ちょっと思えない。(完璧に対応させるなら、「私は人殺しをしたいと思っている」辺りがより適当だが、それだとむしろマイルドさを感じる。)
あるいは「死ね」、「殺す」という言葉にトラウマを持っている人間になら直接的なダメージになりうるかも知れない。
でもそれは前段階としてトラウマを植え付けた事件と犯人がいるわけだし、この場合の発言者の加害にはならんと思うんだよなあ。
大体「小児性愛者がここ(この世の何処か)にいるぞ」が加害になるなら、「小児性犯罪に気を付けましょう」という呼び掛けだって加害になると思うし。
小学校の頃よく(?)あった「変質者の出没が確認されています。1人で登下校しないように注意しましょう」ってあれは加害発言だったんだね、ってことになりゃせんか?
こちらは『特定の』変質者が『目の前の』お前たち生徒を狙っているぞ~、ってことなんだからね。
こちらが加害になるってのは少し解る。
周りから見て「あいつがロリコンか!」となれば、ある程度てんやわんやになるのはそうだろうし。
示威効果というんだろうか?
でも少しだけだ。
実際に個人を特定出来る形で小児性愛者であることを告白すれば、むしろ周りは助かるんじゃないの?
大人は子供をそいつに近づけさせなくなるだろうし、悪くすれば大人とも絶縁だろう。
そもそも匿名での告白にしろ、実名にしろ、どういう意図・文脈でそれを言ったかが問題なはずだ。
「私は小児性愛者です(ので子供と致す為に声を掛けようと思います)」なら加害で良いかも知れないが、実際は「私は小児性愛者です(が犯罪は真っ平ごめんなので発散方法を知りたい)」とか「私は小児性愛者です(思いを遂げられない苦しみをつらつらと書き連ねたい)」とかかもしれない。
自粛自粛と言われて家族とも離れて生活する医療従事者の皆さん、お疲れ様です
一般市民の間では家族と一緒に寿司を頼みその写真をSNSに投稿する戯言が流行っています
あなた方が我慢して働くその傍らで、家庭内でコロナを撒き散らし、いずれ病院へ担ぎ込まれる未来の患者が量産されている訳です。
腹を開けば、寿司が入ってます。承認欲求を満たす為だけに購入された寿司です。下手すれば飲酒して逆流性食道炎になり病院を受診します
それでも、病院がクラスター化すれば民衆は病院を責め立てます。これがあなた方の守っている命です。
でもまあ良いですよね。企業の売上は軒並落ち込み、ボーナスも貰えない中貴方達は安定しているのでしょうから。今日もてんやわんやで眠れませんでしたか?それでも、貴方達のお子さんは修学旅行に行くんでしょう?
私が寿司を食べても、それでアニキサスになっても恨まないで下さいね?医師のストレスを軽減出来るのは貴方方だけなんですから。
みんなてんやわんやだった。
みんな不安だったし、若い女性が多い店だからいさかいも起きる。
Mさんは、問題が起こった時に、いつも相談役として店に赴く。60代の男性からしたら、ため息をつきたくなるような、女子同士の諍い、ゴチャゴチャの間に入る。話を聞いてあげる。
「いつでも電話していいよ」
そう言って、電話番号を渡す。
私も、コロナ関係で何をネットにあげるべきか否かのところで、会社の人とぶつかってしまったので、何度か電話した。
最初の方は、色々辛い事があったから、私が頼って何度も電話してしまったと思う。
Mさんが、Mさんの話を聞いてくれと、電話がかかってくる事が増えた。
Mさんは、会社の人のレベルが低すぎることをいつも嘆いていた。そして、問題児の役員にも頭を痛めていた。
「こんなこと言えるの、増田さんだけだよ」
そう言って、私には会社の経営状態、人事、社員のプライベートまで全部話してしまう。社員が「Mさんだから」と相談して話した内容が、私に筒抜けになってる。
「俺と組んで会社を変えていかなきゃならないから、増田さんには情報を流す」
私と組んで会社を変える?私に何が出来るんだろうか。
「〇〇店のSさんとUさんがこのような内容でケンカした。これは増田さんのお耳に入れたくて」
私のお耳に入れて、どうするんだろう。
私はの仕事はテレワーク。家で仕事してるから、Mさんとずっと話していても、会社の人からは分からない。偉い人だから、「仕事やらなくちゃいけないので」と切りづらい。
そのうち、話に下ネタが入るようになってきた。
そして昔、世界中の女を抱いた話をしてくる。アンダーグラウンドな店で体験した事を話してくる。
正直言う。キツイ。
助けてくれ、と思う事がある。
確かに、会社の経営状態や、次考えている一手を一足先に聞けるのは面白い。
しかし、くだらない人間関係のいざこざや、下ネタ、昔いかにモテてたかなんて話は、もう聞きたくなどない。
Mさんにとっての私の役割って、ホステスなんだろうなぁって思う。奥さんとは別居してて、「俺は一匹狼」を自称してるけど、やっぱり寂しいんじゃん。
でももう、最近は30分くらいは話聞いたら、「仕事やらなくちゃいけないんで」とか、ちゃんと言って切るようになった。
朝8時起きてはてブチェックしようと開いたら新着のトップに緊急放流っていう太字ゴシックのサムネが見えて球磨川ってあったから見たら地元じゃん!もう30分ないじゃん!って慌ててラジオつけたり情報収集したり避難準備したりした
その記事ブクマも10くらいで今も20ブクマくらいしかついてないからたまたま朝の人少ない時間帯で新着に急浮上したタイミングだったんじゃないかな
朝早い時間帯で寝てる間に事態が急変してたからまさに寝耳に水って状態だった
いつもはニュースチェックはツイッターとブクマ併用なんだけど即時性はツイッターが優れているのはユーザー数からしようがない
ツイでトレンド上がったものがある程度遅れてブクマされて新着に載りブクマ増えて新着トップ、新着から人気ブクマへって流れだし
ツイと違って報道各社の公式アカウントあるわけでなし、そもそも最初のブクマがされないなら上がりようがない
なんだかんだ災害時はネットよりラジオとかのアナログな地元情報局の発信情報があてになる
避難準備しながらつけっぱなしで聞けるし
ツイは情報早い反面古くなった情報も一旦拡散されると話題のツイートに残り続けてて更新された情報が取りにくいなと感じた
今回の例では球磨川放流時間当初は8時半から9時半、そして中止って流れなんだけど中止決まって一息ついて10時頃やっとツイッター覗く余裕生まれてチェックしたらまだトレンドの話題のツイートは8時半放流だった
緊急ニュースはトレンド上がりやすいけど最新情報の更新が上がりにくい感じ
はてブにも言えることだけど
今回たまたま先に開いたのがはてブだっただけでツイッター先に開いてたらツイで見てたかもしれない
ただツイはフォロワーの質に左右されるので最近はニュースチェックはログインせずトレンドだけ追ってる
多数のユーザーの最大公約数的動向知るのにはいいけどニュースの重要度図るメディアじゃないと思う
デマも多いしこの機に乗じてダム政策関連で早速ウヨが「民主党ガー」やり始めてるし
地元民ならわかってるんだが川辺川ダムは民主党関係ないんだよな
「民主?」「は?」て感じ
計画から40年だぞ?そもそも川辺川は支流だし地形の構造上今回のような洪水避けられたかは怪しい
被害の全貌が見えてきた今の段階ならどうとでも言えるが4日の朝の段階でどれだけの人が自覚できてたどうか
8時半にダム放流と聞いてもう時間が迫ってたのと地元だったから映像見ずとも緊急性は理解できたがそうでない人は難しいんじゃないかな
自分の場合は放流中止で一息ついてツイの映像見てやばいなとは思ったものの本当に被害の深刻さを感じたのは午後になっても鳴り止まないヘリと小型機の音だった
被災地域に住んでても格差はあるし避難準備で情報も満足に取れないしな
球磨川方面に朝からひっきりなしにヘリ飛んでいっててその音が誇張ではなく本当に途切れない
地元といっても幸い被害は少ない球磨川から少し離れてる地域だったがそれでもここまでの大災害だとは思ってなかった
被災地近くの自分でさえそうなので現地の地形知らない他県民やましてコロナや都知事選でてんやわんやの関東民は対岸の火事だろう
赤坂自民亭でどんちゃん騒ぎしてたのは他ならぬ首相以下地元選出議員たちだったわけだし
西日本での教訓あるのか去年の千葉よりはマシだがそれでもお前昨日何してたんだよ感がすごい
あの規模で現地に自衛隊他各種ヘリ飛ばしまくってるのにどれだけ鈍感なのか
かたや日本の人口の三割かかえる4千万人関東圏と人口数万のど田舎地方都市ではあの時間帯にはてブ新着トップに上がってたのが奇跡とも感じる
自分の弟が生まれた頃のことを思い出すと、親がてんやわんやしてて、子供心に大変そうに見えていた。弟が生まれてから、母親はわいと手を繋いでくれなくなった。なかなか言葉を話すようにならなくて親と祖父母が心配していたり、夜中にひきつけ起こしたり、しょっちゅう中耳炎で耳鼻科に行ったり。スケジュール管理出来なくて予防接種受け損なったり。
だから、子育てって超絶大変なんだろうなと身構えていたんだけど、30年前より色々便利になってるので思ったほどではなかった。
もしくは弟妹がいても年齢差が小さくて、弟妹の幼少時の記憶が残っていないのだろうか。わいは弟と6才はなれている。
〜〜以下、余談〜〜
半端に当時の育児の記憶が残っているので、今の親向けの育児指導の内容が昔と結構違っていて戸惑った。日光浴とか風呂上りの白湯とか、今はやらないんだなあと。これって祖父母が孫にやろうとして迷惑! とよく言われるやつだよね。
5年くらい続けていた仕事がジワジワといやになって、あと若いうちに東京で暮らしてみたくて転職アンド上京をした。
このタイミングで親が急死したのもまぁショックではずみになってしまったんだと思う。
いくつか出た内定から死ぬほど悩んで決めた転職先は、なんか聞いたことのあるデカめの企業で、前職より給料は上がり、都心のきらめくオフィスだった。
でも前職と仕事内容が似たようなもので、元々それがうまく出来なかったり納得できずにフラストレーションがたまっていたような自分は、キラキラのオフィスに場所が変わったところで仕事をうまく回せなかった。
さらに当たり前だが人間関係もゼロから構築なので、上手くいかない仕事に先輩や上司への気遣い申し訳なさ自信のなさが必要以上に絡みついて、全然元気が無くなってしまった。元気もやる気もなく卑屈に過ごす日々に耐えられなくなって、仕事ができそうにない、しばらく休ませてほしいと上司に伝えた。根本的に仕事内容が合ってないんだったら果ては退職じゃない?(要約)とも言われたが、それは怖くて診断書を出してとりあえず休職した。
休職生活では、傷病手当でなんやかんや月10万円くらいが手元に入って、そこから家賃8万と奨学金1万が出ていく。足りない分はこれまでの貯金をなめらかに溶かして補う。自分のえらいところはこの状態でもしばらく生きていけそうな貯金があったことだ。まぁ養うべき人や動物もおらず自分1人だけ面倒みりゃいいからというのも大きい。
休職してももちろんいきなり元気もりもりになるわけではなく、今は休むのが仕事と思ってぼんやりと過ごした。料理をしたり筋トレをしたり、自身の無能さ不甲斐なさに苛まれたりしながら日々を過ごした。そして元気が出てくるとこんなことしていていいのだろうかと焦りはじめる。しかし今の職場に戻れる気がしない。そもそもの仕事内容がやっぱり無理なようだし、こんな半年でトんでおいて復帰するイメージがつかない。そんなの他人は気にしてないというのも分かっているが嫌なものは嫌だ。理解と受容は別だ。
だから少しずつ転職活動をして、また心を削られたりしながら一喜一憂、一進一退してようやく1社内定を得た。その間に世間はコロナでてんやわんやしていた。
内定を得た会社は仕事内容が希望に近く、商材も個人的に好きなもので、働き方もそんなに無茶ではなさそうだ。ただ何せ給料が低い。手取り16マンとかにならんかこれは?会社自体は儲かってそうなのになぜこんなに低いのか、人材に投資する気ない?
そして勤務地はかつて働いていた北の地であった。はるばる東京にやってきたのに、ここでまた…。
このカードを捨てて、コロナ禍の中より良い職を求めてまた戦えるか?メンタルやって休職中&短期離職という経歴を抱えながら?自分には無理だった。これ以上先行きが見えない状況を考えると腹の奥がヒュッと縮む。
でも、お金のことやキャリアのことを考えると、よくないとは分かっているが、なぜもっと踏んばれなかったんだろうと思ってしまう。最初の会社で、最初の転職活動で、転職先で、次の転職活動で。
正直、次に勤める会社の待遇には満足していないし、隣の芝をみたらぐぅと落ち込んでしまう。今休職している会社の待遇と比べると能面のような顔になる。でも自分はそこでは上手くできなかった。…上手くできなかったのだろうか。もう少し踏ん張れば乗り越えていたのではないだろうか。今回の転職活動だって、もう少し不安定な状況に耐えて踏ん張っていれば、もっといいところと出会えたのではないだろうか。もしくは、もっと時間をかけて自分の心身の回復を徹底させ、進むべき道は何か?と向き合い、そこからようやく転職なり復職なりを考えるべきではなかったか。変な焦りで下手な手を打っていないだろうか。
そんなこと考えても意味ないとは思うが、やっぱり未だに欲深い自分がいて、踏ん張らなかった自分を責めてしまう。次の会社ではせめて、少しくらいは踏ん張りたい。
自分みたいにそんな人が多かった結果、IT化が進まず、印鑑が残り、活用されないマイナンバーカードが生まれ、コロナの検査もろくにできず、10万円配るだけでもてんやわんやして、ぎりぎりの現場でがんばっている人たちに敬意を払えない政治家、そんな国になったんだろうな。
政治家に誰を選ぶか、どの政党を選ぶかが自分たちの生活につながっているというのを感じた。
普段政治のことに興味があるわけではなく、選挙のときになってもその人がどういう人なのかあんまりわかってないのだけど、次からはその名前で検索して過去どういう行いをしてきた人物か確認しようと思った。
マニフェストは重要ではあるけど、口だけという人はたくさんいる世界。当選した後、ふんぞりかえる人なのかどうか、今の時代探せば記録は残っているだろう。
あと、詳しくは知らないけど比例代表のしくみがめんどくさいことになってそう。
嫌いな政治家がいてその人には投票しなかったとしても、その政党が票数を確保したらそれに比例して議席がうまれる、そこにその嫌いな政治家が入ってきたりする。
という仕組みなのかな。