はてなキーワード: dMとは
なんだか最近弱者男性が注目されていて、救う方法等が問われているのでワンチャン聞いて貰えるのではと思い筆を執ります。
お願いと言うのは炎上についてです。
弱者男性と言っても色々あると思うのですが、私は経済的にも容姿や恋愛的にも恵まれないタイプの弱者男性です。
ただ、よく言われているように「女性を自分にあてがえ」とは全く思いません。そういう主張が有るなら人権を無視しているし異常だと感じます。
「弱者男性はどうすれば救われるのか?」という問いについては、勿論経済的な支援が貰えれば最高ですが、少なくとも自分が生きている間は現実的では無いなと思っています。
ただ、漫画やアニメやゲーム等の二次元コンテンツに触れながら余生を生きていければ、それで良いなと言うのが正直な気持ちです。
しかし残念ながらそうした二次元コンテンツは昨今幾度も炎上を経験しており、時には好きな作品がその対象に成る事も有ります。
そうした炎上の際、どうしても心配になってしまうのはクリエイターや演者の方の事です。
ポスターやイラストが炎上した時、その絵を描いた人が叩かれたり、それによって傷付いたりキャリアを失くしてしまう事が心配になります。
そのイラストレーターの人が女性である場合も有り、そんな時はとりわけ心配になります。(女性だから同情すると言うのは、不適切な事かも知れませんが・・・・・)
例えばNHKの番組でバーチャルYouTuberのキズナアイさんが炎上した時も、キズナアイさんが傷付いていないか、心配になりました。(あの件は実は炎上と言う程の規模ではなく、「炎上した」という事自体が捏造だった、という事らしいですが)
こうした問題は女性の職や仕事に関わる事でもあります。炎上してしまえばそのイラストレーターやキズナアイさんはそれ以降キャスティングされないかも知れませんし、他の女性も避けられる可能性も有ります。
そうした事を考える度、何ともやるせない気持ちに成ります・・・・それは本当に職や仕事を失う程の事なのかと。職や仕事を失うと言うのは、本当に重大な問題です。特にクリエイター職の場合、それはその人の人生や夢、実存と深く結びついていて、経済的な問題に収まらない事は多くあります。それによって深く傷付いたり人生に絶望したり、最悪の場合自死を選んでしまう事もあり得るような、そんな重大な問題です。
私が救われるには、と考えた時、何故かそうした方々が安らかに充実した人生があれば良いな、と考える自分が在ります。私自身の事よりも、そうした方がすこやかであれば、と。
半ば自分の人生は諦め、捨ててしまったような境地なのかもしれません。
一方でフェミニズムの視点による批判が存在するべきではないとは考えていません。作品や表現によって傷付く人も居るのだと思います。
ただ、そうした作品が生きる糧や、やっと生にしがみつく唯一の理由に成って居る人も居る事を知って欲しいし、それによって生活している人(時に女性)も居る、という想像力を持ってもらえればと思います。
不適切な表現だ、と感じた時に抗議したり訂正を求める事を悪い事だとは思いません。ただ、可能ならなるべく人の傷付かない、穏便な方法を取って欲しいと思うのです。
例えば不適切な表現を即SNSで炎上させるのではなく、問い合わせ窓口やDM等、炎上に繋がらない方法で問い合わせ、解決を図る、といった対応をして頂ければ、傷付く人はずっと減ると思います。
被害者が何故そんなに気を遣わなければならないのか、と思われるかもしれませんが、しかしやはり悪意の無いクリエイターや演者の方が傷付く事を想像すると、やるせない気持ちに成ってしまうのです。
或いは、それが難しい場合は、せめてクリエイターや演者の方が女性かどうかを調べ、女性である場合はそうした穏便な方法を取る、という対応はお願い出来ませんでしょうか。
本当は勿論男性であっても配慮して欲しいですが、「女性に配慮する」という事であれば女性も納得し易いし、フェミニズムの理念にも適うのではないかと思うのです。
これらお願いをもし一部の女性やフェミニストの方にでも叶えて貰えれば、私はそれで十分に救われます。
追記:
あ、それから、(ついでの様で申し訳ありませんが)私の様な二次元コンテンツを愛好する人(男女拘わらず)を侮蔑したり、軽視するような感情を持っている人は、なるべくそうした感情を抑え、言動にも出さない様にして貰えれば、とも思います。
追記2:
ただ、反応の多くをゾーニングの話が占める事が良く分からず、少し困惑しています。(お願いする立場で言う事では無いのかも知れませんが・・・・)
今回のお願いはどちらかと言うと、不適切な表現やゾーニングの不足等があった後に、その人(例えばあなた)がその後どういう行動を取るか、と言う所に焦点を当てたお願いのつもりです。
つまり例えばゾーニングが不十分だとあなたが感じるものがあった時、SNSで直ぐに炎上させるのか、それともDMや企業の問い合わせ窓口に連絡する等の炎上に繋がり難い方法をとるのか、と言う事で、そこで可能なら後者を選んで頂けないか、と言うお願いのつもりなのです。
ただ、コメントの中にはアツギの件で最初は問い合わせ窓口に問い合わせたよ、と言う方もいらっしゃって、少し安心いたしました。
勿論、窓口に問い合わせたのに対応してくれない、となった時には、SNS等で話題にせざるを得ない場合もあるかと思います。そう言う場合は仕方ないのではないか、と言うのが現在の私の考えです。
ただその場合も、なるべくクリエイターや演者の方に被害が及ばない様、配慮して頂ければ、もっと素晴らしいなと考える次第です。
クリエイターや演者ではなく、その様な場所に出した企画側やマーケターが悪い、と言う論点になって居るにも関わらず、クリエイターや演者の方まで批判され叩かれているケースも見られましたので・・・そう言う光景を見ると、なんとも、気の毒になってしまうのです・・・
(前提として、「映画秘宝」前編集長による恫喝DMを擁護するつもりはまったくありません)
貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう
私が悩んでいるのは、町山氏や映画秘宝の次は、私が好きな作品ひいてはそういった作品が好きな私自身も燃やされる側になるんだな、ということです。
町山氏や「映画秘宝」がきっかけで知った作品や作家もたくさんいましたからね。
批判は自由にすればいいと思っていますよ。議論すればいいじゃないか、と。でも差別だ、セクハラだ、ですべて燃やすのは違和感があった。
そこで増田が『映画欠席裁判』を取り上げた。あの本は増田が引用した部分以外を読んでも悪口しか書いてないような本です。
そんな本から差別的、セクハラという部分だけを抽出する。何がしたいのか、そのとまどいをコメントした。
すると「貴方は~だ」「〇〇論法」「釣りですか?」とひどい決めつけをする返答が返ってくるだけだった。
今回の回答で増田は差別発言やハラスメントを徹底的に燃やしていくんだな、ということは分かりました。そこに議論の余地はないんだな、と。
省みるに、私の職場で起こったパワハラ事案で、私は傍観することしかできなかった。無力だった。やはり焼かれてしかるべき側の人間なんでしょう。
アーメン!
ツリーが伸びたら読まない人もいるので、投稿番号(31)で「興味がある論法」「なぜ『映画秘宝』ばかり批判するのか論法」「『映画秘宝』や町山智浩らに影響力は無い論法」を言い出した人に対する返答を、ここに転載します。【※2021/04/10さらに追記】島田紳助一派の悪行を告発した女性に対して「なぜ今ごろになって言い出すのか、その動機の方が気になる」と言う人間たちがいますが、ここでの「貴方」も同類だと私は思います。
=以下、転載=
【貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。
【私】それは、差別的な言動、セクハラ・パワハラ的な言動の被害者の存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的な言動やセクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています。
【貴方】端的に言えば、はてなの匿名ダイアリーで町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者の過去発言をあげつらうことが、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのかということです。
【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言やセクハラの事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています。問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。
「あげつらう」という表現を用いていることからも、この人物が、表面的には差別発言やセクハラ・パワハラの被害者のことを考えているように装いながら、本心では加害者の側に立っていることは明白です。
これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?
=追記ここまで=
【貴方】町山氏の差別体質が現在進行形で問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ、週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)
【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言、他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?
【貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?
【私】おそらく貴方は、他の社会問題が批判の俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。
【貴方】キャンセルカルチャー、コールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。
【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由も投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。
【貴方】差別やハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います。
しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?
現実には差別やハラスメントを糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう
【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩や高橋ヨシキが、自分たち自身が同性愛者差別やセクハラ・パワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩や高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?
【貴方】私に「差別やセクハラの被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。
【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。
【貴方】現実に「差別やセクハラの被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います。
【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実の貴方の身の回りで起きた差別やセクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?
もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。
【貴方】ですから、はてなの匿名ダイアリーで告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。
【私】恫喝DM攻撃、個人情報漏洩をするような人間や集団を批判するならば、批判の手段も匿名化せざるを得ませんね。
【貴方】最初に述べたように、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。
【私】上で述べたように、問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。
【貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります。
差別発言やセクハラ発言を問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田の告発も説得力を持つのではないかと愚考するものです。
【私】たぶん貴方は、戦前・戦時中の日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺、アジア地域への侵出、南京虐殺、従軍慰安婦問題、戦時性暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去の歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。
「大した影響力が無い」という馬鹿な言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的・セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから』批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小・零細企業で発生したパワハラやセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないから世間への影響は小さい」とか言うんですか?
【貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別やハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。
【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間が批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方が被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして「個人特定」を試みようとしているのでしょうか?
【貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、
私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。
少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品とプライベートの距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。
しかし、差別やハラスメントの問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています。
もちろん、こんな表現はけしからんと批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人の自由ではないですか。
【私】個人の自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方が自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同も批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別やセクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分はもやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います。
【貴方】町山の本は差別的な表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。
【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから、貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。
【貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。
【私】それは、差別的な言動、セクハラ・パワハラ的な言動の被害者の存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的な言動やセクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています。
【貴方】端的に言えば、はてなの匿名ダイアリーで町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者の過去発言をあげつらうことが、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのかということです。
【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言やセクハラの事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています。問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。
「あげつらう」という表現を用いていることからも、表面的には差別発言やセクハラ・パワハラの被害者のことを考えているように装いながら、貴方が本心では加害者の側に立っていることは明白です。
これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?恥を知れとはこのことですね。
―――追記ここまで―――
【貴方】町山氏の差別体質が現在進行形で問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ、週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)
【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言、他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?
【貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?
【私】おそらく貴方は、他の社会問題が批判の俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。
【貴方】キャンセルカルチャー、コールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。
【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由も投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。
【貴方】差別やハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います。
しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?
現実には差別やハラスメントを糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう
【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩や高橋ヨシキが、自分たち自身が同性愛者差別やセクハラ・パワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩や高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?
【貴方】私に「差別やセクハラの被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。
【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。
【貴方】現実に「差別やセクハラの被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います。
【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実の貴方の身の回りで起きた差別やセクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?
もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。
【貴方】ですから、はてなの匿名ダイアリーで告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。
【私】恫喝DM攻撃、個人情報漏洩をするような人間や集団を批判するならば、批判の手段も匿名化せざるを得ませんね。
【貴方】最初に述べたように、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。
【私】上で述べたように、問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。
【貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります。
差別発言やセクハラ発言を問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田の告発も説得力を持つのではないかと愚考するものです。
【私】たぶん貴方は、戦前・戦時中の日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺、アジア地域への侵出、南京虐殺、従軍慰安婦問題、戦時性暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去の歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。
「大した影響力が無い」という馬鹿な言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的・セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから』批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小・零細企業で発生したパワハラやセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないから世間への影響は小さい」とか言うんですか?
【貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別やハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。
【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間が批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方が被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして「個人特定」を試みようとしているのでしょうか?
【貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、
私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。
少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品とプライベートの距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。
しかし、差別やハラスメントの問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています。
もちろん、こんな表現はけしからんと批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人の自由ではないですか。
【私】個人の自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方が自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同も批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別やセクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分はもやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います。
【貴方】町山の本は差別的な表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。
【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから、貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。
そういえば、半年前に1年と少し付き合った彼氏と別れた。22歳にもなってようやく初めて付き合った彼氏だった。
振られたのは私だけど、今となってはそれでよかったんだろうし、きっと彼との未来に“永遠はなかった”んだと思う。色々見える友達に言われたのだから間違いないんだと思う。
別れたのは9月末。アフタヌーンティーの席で、時間が半分を過ぎた頃にそんな話を出された。お陰で私はホテルで突然泣くことになったよ。それはもう酷いほどに。
「友達に戻りたい」
それが彼の本心だったのだろう。友達、というか付き合う前の2人に戻りたかったんだと思う。別れてブロック、なんてあまりに寂しすぎるから私も「友達でいて」なんて言った。その後3ヶ月は友達ではあったと思うよ。ただ、それは彼の望む友達で、私の望んだ友達ではなかったけれど。
週に2回ほどLINEが来た。そんなの誰に言ってもいいじゃないか、という内容。それの所為で毎度病んだのは言うまでもない。
「私はこの人と別れたんだよね?元カノだよね?」
何度思ったことか。どうでもいい内容を話して楽しめるのが恋人だと思っていた私にはわからなかった。友達って、もちろん一緒にいて楽しい人のことだと思うけど、ただそこにいると感じるだけで満足する人のことだとも思っていたの。そういう人にするつもりだったのに、思っていた以上に近いあの人が、私には合わなかった。
年が明けた頃まで続いたその関係は、私の拒絶する言葉で幕を閉じた。あっけなく。それ以来、あれほど来た連絡はひとつも来ない上に、Twitterでさえも反応をしない。
これが私視点の大筋。
そもそも私と彼はネットで知り合った友人だから、共通の友達がいない。
付き合ってから半年ほど経った頃に、私の友人を紹介した。特に深い意味はなく、付き合う前から相談していた友人だったし、ただ一緒に話す相手が欲しかったんだと思う。それに、友人も彼も乗り気だったから。
その友人から、3月になって聞いた話だ。5ヶ月も燻らせてしまったことに、酷く後悔した。もっと早く気付ければよかったね。本当にごめんね。
9月末に別れ話をする前に彼は、私の友人に連絡をしていた。
「正直身体の相性も良くはないと思う」
そんな言葉に対して友人は「そんな中途半端な気持ちで付き合うなら別れた方がいい」と言った。かっこいいね。
納得した様子で会話は終わり、9月末を迎える。
ちなみに上記は全てTwitterのDMのやりとりだし、下記もそう。TwitterのDMしか出てこない。
10月になっても彼は何故か友人にDMを送っていた。それこそ私に送っていたような他愛もないようなこと。今日の仕事は〜とか何を買った〜だとか。
ただ、たまに混ざる言葉。
「この間は話を聞いてくれてありがとう!お礼をしたいから今度ご飯でも行かない?」
この間ってのは、別れる前の相談(実際は勝手に吐き出した気持ちの整理)のこと。
そしてこの言葉は別れたあとすぐ、そして1ヶ月近くに渡って数回言っていた。
蛙化現象を持つ友人だったから、ただこれだけで気持ち悪かったらしいし、何より「私と別れたばかりなのに?」とも思っていたらしい。
友人はそもそも彼に対して感情を持っているというより、私のことを大事に思っての発言をしていたらしい。いい友人を持ったなと思う。
「TwitterよりもLINEの方が連絡楽だと思うから、良ければ教えてくれない?」
そんな言葉に対して友人が拒否したことでようやく脈がないことに気付いたのか、少し経ってから彼は長文のお別れとアマギフ(5000円)とブロックをお見舞いしていた。
ちなみにアマギフは某服屋の福袋で使ったらしい。友人らしくて笑った。
私と彼のことを考えても推測できることだけど、彼は自分に優しくされたら好意を持つような気がする。私は昔々からの付き合いで、付き合う前からそれなりに長く思われていたはずだが(縁が切れている時期もあったが)、昔々にとても優しくしていたし、何でも話を聞いて何でも肯定していた。だからこそ彼に好意を持たれていたのだろう。
つまるところ彼は、友人の私への優しさを自分への優しさだと勘違いし、より好意を持つようになったのだと思う。あと「会った時からタイプ」みたいなことも言ってたな。それは正直気持ち悪い。
簡単にいうと、私と別れるや否や、私の友人に猛アタックをした元彼が気持ち悪くて仕方なく、どこかにアウトプットしたかっただけ。
ネットの海に放って、誰かに見られたら面白いのに、なんてそんなこと。
何より絶対の肯定者が欲しいのと、性のあれこれに興味はあるから。多分。
性犯罪の被害者に対する二次加害発言です。(過去の投稿と重複しますが、未読の方への周知を図るために再度ここで引用します。)
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p113]
【※】カンヌ・グランプリのロマン・ポランスキー監督作品『戦場のピアニスト』もアカデミー賞の授与は無理だろうと云う話題から。(※訂正:songsfordrellaさんのご指摘のとおり、最初の投稿では『海の上のピアニスト』と誤記していました。お恥ずかしい。お詫びすると共に訂正いたします。)
町山:ロマン・ポランスキー、十三歳の少女との淫行事件でやっぱり授賞式には来れないの?
柳下:保釈中に海外逃亡だから自動的に逮捕されちゃうんですよ。逃亡期間中は時効も停止してるし。
柳下:合意のうえなのに相手が未成年だったから強姦扱い。そもそもあの娘は札付きだったしね。
柳下:ロブ・ロウと3Pして隠し撮りしたビデオを売った少女とか、みんなもういい年だと思うけど、何してるのかな?全員集めて同窓会やってほしいな。
町山:この手の地雷女はいろんなところに隠れてるからな。あ、この場合は地雷少女か。
【※】「(笑)」をまじえながら被害者を「札付き」、「地雷女」呼ばわりしています。
【※】投稿(30)の引用で、過去の性犯罪被害を訴え出た水沢アキや荻野目慶子のことを嘲笑・バッシングしていた時と同じ「性犯罪の被害を訴える人間を厄介者扱いする」と云う町山智浩・柳下毅一郎の思考が、ここでも認められます。
【※】「男尊女卑思想」の持ち主でなければ、このような非人道的な発言は出ないと思います。要するに、町山智浩らは森喜朗や佐々木宏の同類であり、性犯罪の被害を訴える女性は町山智浩らにとって「弁えていない厄介者」なのです。
(初出『映画秘宝』03年vol.41)
【感想】
この「そもそも被害者の方にも問題が有った」論法は、恫喝DM事件が発覚してから『映画秘宝』関係者や町山智浩・高橋ヨシキの信奉者が用いていた―――と言うか、今でもネット上で被害者をバッシングし続けている―――手法です。彼らの思考は変化していないことが分かります。
町山智浩らの女性蔑視的な言動は、決して『済んだ過去の話』ではなく『現在も続いている話』なのです。
【追記】2021/04/01の午前十一時〜十二時ごろ5ちゃんねる上に「はてな匿名ダイアリーの新作が投稿された」と書き込みがされたようですが、その投稿は私ではありません。既に件の投稿ははてな匿名ダイアリーから削除されたようですが、一応お断りしておきます。
【追記その2】以前の投稿に対して、なんJっぽい言葉づかいで絡んで来た人間がいました。それと同一人物か否かは不明ですが、現在匿名掲示板5ちゃんねるの『映画秘宝』関連スレでは、私の「―――」を使う文体を真似して書き込みを行う人間がいるようです。瑣末な話ですが、5ちゃんねるに私は一切の書き込みをしていないこともお断りしておきます。
恫喝DM事件が発覚した直後に当時の編集部員の一人であった秋山直斗(ナオト)が発信した「『映画秘宝』は社会の不正義や不公正と戦う雑誌」という自画像は、全くの『虚偽』であるということを示すためである。
正直これは、そういう事言うようなキャラクターという形で編集分に入ってきて、そうした方が覚えが目出度かったからそう振舞い続けている上での発言という風にしか見えないな。>『映画秘宝』は社会の不正義や不公正と戦う雑誌
そんな事ばかりじゃないのは編集部にいて知っていたでしょう。不倫暴言パワハラ野郎の町山だって普段格好付けている時ははおんなじような事を言っているし、気に入らない思想を持つウルトラマン俳優に「ウルトラマンに出ている俳優がネトウヨとは、ウルトラマンから正義を学ばず何を学んできたんだ?」と決まりきったような事を言っていた。これは町山のかっこつけで実態は違うというのは散々みた上で、秋山本人がそう振舞った方がいいと判断しているだけ。そんな事に証明は要らないよ。
軽率に絵を誉めるんじゃなかった。
仲良しの絵師がいた。私はフォロワーが少なく、大体絡むのはその人とだった(以下、Aとする)
絵師は私と同い年で、親近感もあった。私も絵を描き、Aも描き、お互いに誉めあって満足していた。「ここが好き!」という一言だけでも嬉しいのだ。
彼女は美術系の大学を目指していた。そして落ちた。受験中はログアウトしていたが、久しぶりに浮上したDMにAからメッセージがあった。
「あなたに言われた一言で、私は浪人を決めた。私の絵を「あたたかいタッチの絵だ」と言ってくれて嬉しかったからだ」
驚きである。そして、Aに対する申し訳なさと自分の無責任な発言を反省した。
絵師、という言葉は不思議だと思う。プロを指す言葉でもあるが、ちょっと落書きをしただけでもネット上では多分絵師なのだ。インターネットは広い。ペンを持って何か描いた瞬間から絵師と呼ばれる条件はあるのだと思う。
友達同士で絵を描きながら「ここいいじゃん!」なんて和気あいあいとしているテンションだったのだが、Aにとってはすごく意味のコメントになってしまったようだ。正直、単純に素敵だなあと思うのと同時に、自分も誉めてほしいという気持ちもあった。「互いに誉めあう」のが気持ちいい。だから、一方的に感想を送って返信がなかったり、「嬉しいです」というコメントだけだと肩透かしを食らう。私の界隈はみんな良い意味でお花畑なので、誉められたら誉め返す人が多い。ウィンウィンだ。
浪人って、かなり人生を左右する選択だと思う。たかが一年、されど一年。私の無責任な誉め言葉で、Aの一年を奪ってしまったような気がする。
気づけば、Aは絵を描かなくなっていた。もう絵は諦めた、と言っていた。一応浪人して上京し、美術系に進学したようだが就職は一般企業を考えているらしい。絵描きを目指し上京し、周りとの差に悩み、一般企業に入るのは珍しくはないんだと思う。思うが、Aの人生の選択の要素に、自分のこれとなしに言った言葉が入っていると考えると申し訳なく思う。
すごくざっくりいうと、TwitterのDMでエッチなことを言ってもらったりする対価として女性にお金を支払う人または行為のこと。サービスのことを「調教」と呼ぶ。お金を払う側を「M男」お金を受け取ってサービスを提供する側を「S女」と呼ぶ。
サービスの提供形態はTwitterのDMが基本的だが、カカオトークなどでの通話や対面でのものもある(リアル)。
相場はマチマチだが、DM調教で2000円前後、通話だと5000円前後。
金銭のやり取りにはPayPayやアマゾンギフトカードが利用される。
貢ぎ奴隷はサービスの提供形態の関係で前払いになる。これ自体は仕方ない(後払いだとサービスを受けて支払わない人がほとんどになるだろう)。
しかし、前払いであることを悪用して金銭を受け取ったあとサービスを提供しないアカウントが非常に多い。要するに詐欺であるが、詐欺アカウントの比率は体感で8割を超える。要はまともなアカウントはほとんどないのである。
すごく感じのいいやり取りをしていて、お金を送った直後にブロックされることもザラ。画像も含め基本的に信用してはいけない。日常ツイートも予約投稿ができるので基本的には信用できない。
というか、S「女」といいつつ女性であることを確認したいと言った途端に返信が来なくなるケースもあるので、ネカマは相当多いと思われる。
騙されたくなかったらこの界隈に関わらないこと!まず間違いなく騙される。
騙される覚悟があるなら遊び感覚でやってみることはできるがおすすめしない。ネカマに貢ぎたいか?よく考えるんだ。
優良アカウントの傾向とかここに書いてもすぐに対策されてしまうので書けないが、それでもM男側ができることはないではない。
まず女性確認は絶対にするべき。ここで詐欺の3割は弾ける。画像が送られてきたらGoogle画像検索で拾い画像でないことを検証。
こちらから挨拶をした直後にお金のことを話題にするのはほぼ詐欺、関わらないほうがよい。
さらに、最初に貢ぐ額は絶対に最小にすべき。できれば1000円ちょうどにできないか伝えるとよい。詐欺アカウントは少額でも騙し取れればよいと思っている節があるので、この時点では詐欺の判断はできない。
まずは、恫喝DM事件が発覚した直後の1/26に町山智浩は、自身のTwitterアカウントで、次のような発言をしていました。
発行元の双葉社は、編集や人事に一切関与していません。すべての責任は映画秘宝編集部にあります。
=引用(1 - a)ここまで=
トラブルなどの責任は、一切秘宝が負うという約束で双葉社は発行を引き受けてくれたので、苦情の電話を秘宝に回したわけです。被害者に直接電話したのは岩田の失敗です。このような苦情をどう処理すべきか、難しい問題ですが、双葉社が責任を取るために、秘宝の発行を停止する可能性もあり、心配です。
=引用(1 - b)ここまで=
トラブルなど苦情の責任は秘宝が負う、という約束で、双葉社に発行してもらっているので、今回の苦情もそのまま秘宝に送ったわけです。ただ、こうした苦情についての対応としては間違っていました。どうしたらよかったのかは考えないとならないと思います。
=引用(1 - c)ここまで=
(※注)町山智浩はいったん投稿したツイートを削除したり書き換えたりと云う行為を頻繁に繰り返すため、ここでのツイート引用も複数にしました。
そして次に、昨日2021-03-20になって、町山智浩は自身のTwitterアカウントにおいて「町山が2021-2-03に編集部に送信したと称するメール」の文面を公開しました。
それには、次のように書いてあります。
俺や柳下やヨシキやホークが何度も言っているのは、何を大切にするのか、ということです。
双葉社は自分の保身以外に考えていないのに、なぜそれに従うのか。
守るべきは何なのか、もっと考えてください。
また、柳下やヨシキが25日の夜に俺を呼び出し、奈良さんを呼び出し、ステートメントを作らせたのは、編集部も双葉社も何もしなかったからです。
それでヨシキや柳下やホークが夜中に寝ないで頑張ってくれたのに、それを責めるのは本当に筋違いです。
双葉社はそりゃ聞いてないと言うでしょうが、秘宝は双葉社よりも自らを守る権利があります。
双葉社を取るのか、秘宝の仲間を取るのか、いったい何が大切なのか、本当によく考えてみてください。
=引用(2)ここまで=
上の引用(1 - a 〜 c)を読むと「トラブルに当たっては双葉社ではなく『映画秘宝』が動く、責任を負うと云う取り決めがあった」と読めます。つまり、この立場に立つならば「町山智浩らが双葉社を責める謂れは無い」はずです。
ところが引用(2)を読むと「アイツラ(=双葉社)は何もしない!」と、双葉社を責めていたわけですね。
要するに、二枚舌ではないでしょうか。
双葉社の立場から見れば、雑誌を発行停止されることを怖れて外ヅラは一見しおらしくしていたが、裏では陰口を叩いていた人間が町山智浩と云うことですね。
リスクを取って拾ってくれた双葉社が何と思っているのかは知りませんが、町山智浩は他人を敵に回すのが好きですね。
引用(2)のメールでも「柳下がヨシキがホークが」「秘宝を」ばかり連発して、内心では被害者のことを全く思い遣っていないことを露呈していますね。
もしかしたら「元・編集部員の秋山直斗(ナオト)がnoteに『告白文』をアップしたことで、新体制の『映画秘宝』に向けられる世間の目も少しは厳しくなっただろうから、今なら自分たち(=町山・柳下・高橋・てらさわ)に有利になるように世論を操作できるかもしれない」と考えたから、町山智浩は昨日になってメールの公開に動いたのでしょうか?
流石に無いとは思いますが、実は秋山直斗(ナオト)と連携して動いている…なんて事はないでしょうね?邪推だったらすみません。
そもそも、本気で「双葉社も編集部も何もしない」と思っていたならば、自民党の政治家みたいに「係争中だから詳しくは話せない」なんて態度を取り続けずとも、町山智浩が自ら率先して情報公開に動けば良かったのではないでしょうか。
被害者の方は経緯説明と再発防止を求めているのに、恫喝DM事件が発覚してから約2か月になろうとしていますが、今まで町山智浩はいったい何をしていたのでしょうか。
双葉社が何もしないと言うならば、町山智浩自身の知っていることを洗い浚い吐けば良かったんじゃないですか?結局は、町山智浩自身も保身のために口を噤んていたのでしょう?新体制の『映画秘宝』を責める資格が町山智浩に有るのですか?
責任を取って引退する(=『映画秘宝』から離れる)ことも考えたと言ったかと思えば、映画秘宝から遠ざけられたから何もできないと言い訳したり、何なんですか?
コロナやら就活やらでなかなか絡む機会が無くて、先日卒業式の投稿を上げてたから勇気をだしてDMしてみたんだけどしんどい。
こちらからの最初のメッセージは無難にして、先輩は優しいからありがとう!今度飲みに行こうね!的な返しをしてくれた。
私はバカなので嬉しくて、照れ隠し的な感じでちょっと調子に乗った返しをしてしまった。一方的に気にしてて全然話したことない相手に。
この返しを思いついて迷わず秒で送った自分を殴りたい。本当に。
その後返ってきた文面は引き気味だったように感じた。っていうか絶対引いてた。
それを見た瞬間血の気がサ〜ッて。
こういう経験、初めてじゃないんだわ。
もともと人との距離の詰め方が苦手なんだけど、手振りとか声の抑揚とかがないSNS上だともっと難しく感じる。
会話のキャッチボール上手くなりたいなあ。
今回は、町山智浩や高橋ヨシキ、彼らの周辺人物に見られる「派閥根性」や「舎弟根性」の話になります。もっとも、この病理は彼らだけに特有の問題ではありません。
雑誌『映画秘宝』内部における町山智浩・高橋ヨシキ周辺の行動を観察していると
―――秘宝組のアニキが『映画秘宝』外部の誰かと揉め事を起こしたら、組の子分たちは無条件で「アニキが正義!」と云う立場に立ち、彼らが「アニキの敵」と見なした相手に対して一斉に攻撃を仕掛ける―――
例えば比較的最近の話になりますが、春日太一氏と町山智浩との間にトラブルが持ち上がった際、高橋ヨシキらが春日氏のことを「どこかの馬の骨」呼ばわりして揶揄し、彼らの内輪で盛り上がっていた事を知っている人もいるかもしれません。これはそもそも、町山智浩がイイ加減な仕事ぶりだったが故に呆れた春日太一氏が町山を批判したと云う次第なのですが、町山の子分である高橋らにとって「町山のアニキは正義!」なので、春日氏を激しく攻撃したという訳です。何しろ、高橋ヨシキは「町山さんのことが大好き」なので。
この様な「アニキ絶対主義」や「敵対者には厳しく仲間・身内には甘い」という彼らの行動パターンは、下っ端にも浸透しているようです。
恫喝DM事件が発覚して以降、様々な人間が『映画秘宝』に対して―――特に町山・柳下・高橋・てらさわらのような「時代の変化に対応できていない人間たち」に対して―――批判を行いました。ロマン優光a.k.a.プンクボイ氏も、批判を行った人間の一人です。(もっとも、ロマン優光氏は『映画秘宝』や町山らだけを批判した訳ではありません。もっと広く、一部のサブカル界隈人の歪な考えや言動に対して批判したのです。しかし、それはここでの本題ではありません。)
このようなロマン優光氏の批判が、何かしら気に食わなかったからなのでしょう。柳下毅一郎は、自身のTwitterアカウントで「ロマン優光氏の書いた雑誌コラム記事の誤植箇所1箇所に赤丸を付けた画像」をアップした上で「ふうん」と一言だけ添えるという、謎のツイートを投稿したのです。何か反論したり言い返したりしたかったけれど、上手く出来る自信が無かったので、現在の柳下毅一郎なりに出来る精一杯の反撃をしたつもりだったのでしょう。
でも、別に誤植は批判や議論の本質とは関係が無いのですから、柳下毅一郎の行動は「みっともない」の一言に尽きると私は思いました。
ところで、この柳下毅一郎の動きに呼応した『映画秘宝』関係者が一人いました。切り株派ライターの一人で、筆名「侍功夫(samurai_kung_fu)」を名乗る人物です。
今回の投稿の本題である「派閥根性」「舎弟根性」の実例を示す『映画秘宝』周辺者の一人です。
この侍功夫は、草「w」をたくさん生やしながら、精一杯に揶揄する内容のツイートを連続して投稿しました。誰を?何を?
不思議だったのは、この一連の揶揄ツイートがロマン優光氏に向けていることは(事情を知っている人間ならば)誰の目にも明らかであるにも関わらず、何故か、侍功夫はツイート本文を「誰に向けて言っているのか」「何について言っているのか」をボカして書いたのです。
私は「不思議」とか「何故か」と書きましたが、殆どの人は「理由や意図はハッキリしている」と思うことでしょう。
そうです。侍功夫は「ロマン優光氏に自分のツイートを知られて、反論されるのが怖かった」のです。
それでも侍功夫は、柳下のアニキに向けて自分の忠誠心を、何があってもアニキの味方であり続けることをアピールしたかったから、勇気を振り絞ったのでしょう。見上げた忠誠心です。
そういえば、真夜中のパワハラ事件が発覚した際にも、やはり侍功夫は「説得とパワハラは違う」と謎のツイートをしました。しかし、これも矢張りボカし過ぎて「何」について言っているのか、「批判」をしたいのか「擁護」をしたいのか、その対象はそもそも「誰」なのか、何ともハッキリしないツイートでした。
私はハッキリ書きますね。
「誰」に対して「何」を言いたいのかが不明な文章を書きたがると云う気質は「ライターとしては『致命的な欠点』」じゃないでしょうか?
もしも、町山智浩あたりが読んだら「お前の文章は何を言いたいのか分からねえんだよ!」と言うのではないでしょうか?
それとも、そんな欠点を持つライターでも「アニキ絶対主義」と云う忠誠心を持って「切り株派閥」に入信さえすれば、それなりに仕事を回してもらえるから、欠点を気にする必要が無いのでしょうか?
これまで政治家とか社会問題に関しては雄弁に批判してきたくせに、仲間が不祥事を起こしたら途端に口数が減ったり曖昧な表現に終始するのは、ちょっと恥ずかしくないですか?
普段は「反・権力」を売りにしてるのに、いざ「仲間の不祥事」に直面したらトーンダウンするのは、ちょっと格好悪くないですか?
ただでさえ柳下毅一郎本人の行動がみっともないのに、子分までこれでは「恥の上塗り」じゃないですか?
自分の言動が、フィクションに登場する「チンケな雑魚キャラ」に似ていると云う自覚はお持ちですか?ベタ過ぎると自分でも思いませんでしたか?
私は、以前の投稿で「『映画秘宝』関係者は、彼らの目から見て『弱そう』だったり『反撃してこなさそう』に見える相手にはヤンチャに振る舞いたがる」と云う、彼らの行動パターンを指摘しました。
上で述べたような、侍功夫の「精一杯、草を生やして書いてはいるが、誰に向けて書いたのかを意図的にボカして、相手に知られないように画策しているツイート」は、その実例の一つと言えるでしょう。
その後、侍功夫は私の投稿に対して「損しかしないことに巻き込まれるところだった」「増田の馬鹿に言及された」とのツイートをした模様です。彼の反応に対する評価は、皆様にお任せします。
【追記ここまで】
今回はここまでにします。
次回からは『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』から、町山智浩と柳下毅一郎の問題発言の引用を始める予定です。ヘイル、サタン!
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
慣習的には~、法律的には~、倫理的には~、って相当労力かけて考えただろう記事が沢山出てくるけどさ、そんなにがんばるならサイゲなり馬主なりに取材して聞けばいいじゃん。
ウマの方はプロデューサーなり監督なりがちょいちょいインタビュー応じてるんだから、「で、結局二次創作についてどう考えてんですか?」ってきいたらいい。
現状と変わらない玉虫色の返事をされたら「そういう綺麗ごととか大人の回答はナシで」って食い下がる。
馬主だって取材とかインタビューとかたまに受けてんだから聞きゃいいじゃん。
人によって違うだろうから十人くらいに取材して、ウマ娘どう思ってんの、擬人化とか萌え絵とかエロとかどう思ってんの、って。
つーかさ、他の事件でもそうなんだよね。
入国管理局でひどいことになってる!大変だ!みたいな報道が続出して、それを論じた記事も沢山出るくせに、実際に入国管理局の現場で働く人や上層部に「ンで、なんでこうなってんの?どう思ってんの?そっちはそっちで言い分とかあるんちゃう?」って取材するメディアやライターがいない。
日本は不況がこんなに続いてるのに緊縮したがる!おかしい!悪いのは財務省だ、いやこの政治家のせいだ、この党だ、財務省だ、企業だ、どーのこーの。そんな分析するなら財務省の人に直撃取材しろや。外から見てる学者やアナリストのコメントばっかじゃねーか。
ツイフェミだの弱者男性だのネトウヨだのバラモン左翼だのも、外部からの見て分析したものか、普段から議論ばっかしててスタンスがはっきりしてるライターやツイッター論壇みたいなやつの発言ばっかり。TwitterでそれっぽいニュースにリプつけたりRTしてコメントしてる本物の素人が沢山いるんだから、適当なアカウントに軽くDMして「あれやこれやはどう思ってるか生の声をじっくり一万字くらいインタビューさせてください!」ってやったらいいのに。謝礼千円くらいでも応じる人沢山いるぜ。
別に俺はライターでもないし、アクセス数ほしいサイトもやってないからしないけど、職業ライターや職業マスコミはなんで当事者に聞きに行かないのかね。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
今回は「記憶」や「情報」よりも「推測」と「考察」がメインです。
前『映画秘宝』編集長・岩田和明が退社した後、のん(能年玲奈)さんが同誌で持っていた連載が、素っ気無い告知と共に終了しました。これに関して私は、投稿番号(10)において「実はのんさんも内心では、自分とは無関係な『ワンダーウーマン』のコスプレとかさせられて、着せ替え人形のような扱いを受けるのが嫌だったのではないか?」との推測を述べました。
この私の推測は、あくまでも推測、つまり「可能性としての理由」の一つにすぎず、他の可能性も考えられます。結局のところ「真相」について外部の者が知ることはほぼ不可能でしょう。したがって、ここでの本題は連載終了の「真相」を明らかにすることではありません。
私の述べた「のんさんの連載終了の理由に対する推測」に寄せられたブコメには「のんさんの連載が終了したのは岩田和明が退社したからだ」と云うものがありました。この『説明』だけで「それで『理由』としては『十分』である」と簡単に受け入れる人が存在することに対して、私が覚えた『違和感』が今回の本題となります。
さて、まずは「岩田和明が辞めたから」と云う意見に沿って考えた「のんさんの連載が終了した理由」の仮説を幾つか例として挙げて、その後に「私が考える問題点」について述べます。
(1)理由その1:出版業界では―――近年は徐々に改善されつつあるものの―――編集部と書き手の間に交わされる契約や業務引き継ぎなどが「イイ加減」な状態で放置されていた―――或いは、されている―――ケースが多々あることは、よく知られています。例えば、漫画家志望者が原稿の持ち込みに行き、原稿を預けて帰ったはいいものの、その後はナシのつぶて状態なので痺れを切らして編集部に問い合わせたら、原稿を預かった編集者が既に退社しており、持ち込みに来た漫画家志望者の存在も連絡先も編集部内で情報が共有されておらず、肝心の原稿はロッカーや引き出しの中に人知れず放置されて誰も存在を知らなかった…。こんな話を目や耳にした経験がある人もいるのではないでしょうか。これと同様に、ひょっとしたら、岩田が退社した『映画秘宝』編集部では、のんさんの事務所へ連絡する時の宛先を書いたメモ等が不明となり、コンタクトが取れなくなったのかも知れません。
(2)理由その2:誌面出演者や書き手が「雑誌」や「出版社」や「編集部」ではなく「担当編集者個人」を気に入ったので、その雑誌での仕事を引き受けたというケースもあるでしょう。ひょっとしたら、のんさんも「岩田和明個人」を気に入っていたから『映画秘宝』の仕事をしていて、岩田和明個人が居なくなった『映画秘宝』が相手では仕事をする気が失せたのかも知れません。
(3)理由その3:2ちゃんねる等では「会社を辞める時に『復讐』として、自分が居なくなったら仕事が回らなくなるように仕掛けを施してから退職した。ザマーミロ」と云った類いの、真偽が不明の武勇伝的な話を目にすることがあります。ひょっとしたら、岩田が退社する際に腹いせとして、のんさんの連載が継続できないように工作したのかも知れません。
(4)理由その4:岩田和明個人が独断でのんさんの連載の開始を決定したが、実は他の編集者や双葉社は始めからずっと連載に反対し続けていたので、岩田が退職したのを幸いに連載を打ち切ったのかも知れません。しかし、のんさんのような人気芸能人に連載を引き受けてもらえれば、双葉社としても編集部としても読者を獲得する良い販促材料になるはずなので、それを考えるとこの仮説は可能性として低いような気もします。しかし、人気芸能人にオファーするとそれなりの金額の報酬を支払わねばならず、それならば予算面での圧迫があって連載を切りたくなる動機が生じると云う可能性も、有るといえば有りそうです。
(5)理由その5:さらに可能性は低いですが、のんさんへの報酬を岩田個人のポケットマネーから捻出していたので、岩田が居なくなったら支払えなくなったとか、或いはのんさんへの報酬を名目に会社の会計処理をゴニョゴニョしていたのが発覚して、岩田の退職に伴い不明朗な会計処理が是正されたとか…。流石にこれらは無いとは思いますが、こんな可能性だって、無理やり捻り出そうと思えば捻り出すことだけは出来ると云う例として書きました。別に、私が本気でそう思っている訳ではありません。ただし、過去に集英社で「漫画家が出席していない編集者だけの飲酒会合を『漫画家との打ち合わせ』の名目で『必要経費』として申告していたら、それがバレてガッツリ追徴課税を課された」と云うケースがありましたから、金銭処理がイイ加減な出版社や編集部というものは『映画秘宝』がそれに該当するか否かは別にして、業界に存在はするようです。
以上で取り敢えず、仮説例を挙げるのはこれぐらいにしておきます。
さて、出版業界周辺において上で述べた(1)〜(5)と「似たり寄ったりの話」を見たり聞いたりした経験をお持ちの方からすれば「岩田が退職したから、のんさんの連載も終了したんだろう」と言われれば、その説明でもう『十分』であり『納得』するのが謂わば『当たり前』なのかもしれません。しかし、私は「それを『当たり前』の事として放置し続けても良いのか?」「それを『当たり前』として済ませる感覚に対して、そろそろ『疑問』を持つべきではないのか?」と、そう言いたいのです。
のんさんが如何なる動機や理由で『映画秘宝』の連載を引き受けて継続していたのか、そして何故連載を終了したのかに関する真相は、外部の人間である我々には分かりません。
しかし本来、契約をして報酬を出すのは『会社』のはずです。つまりは「会社としての正当な業務」の一環です。その「会社としての正当な業務」が、いくら編集長や担当編集者であったとはいえ、高々「社員の一人」に過ぎない岩田和明が去っただけで業務の引き継ぎもままならず、契約も煙のように消え失せ、仕事も打ち切りになってしまうのでは、これは「会社」としてはハッキリ言えば「恥ずべきこと」であり「異常事態」です。
考えてもみて下さい。思考実験として、仮に「岩田和明が今回の恫喝DM事件を仕出かすような人間ではなく、不祥事で退職する出来事も起きなかった」と云うような『並行世界』がイワタバースの一つとして別次元に存在したとします。その並行世界に暮らす岩田が、もしも不慮の事故や病気などのアクシデントで亡くなったとして、その場合のんさんの『映画秘宝』での連載が簡単に終了するでしょうか?「まっとうな会社」ならば「緊急事態に他の社員が対応出来るように引き継ぎが可能な状態にしておく」でしょう。「まっとうな会社」ならば、です。
「岩田和明個人が退職したから、のんさんの連載も終了した」と云う説明だけで、それで十分な『理由』として受け入れてしまう人は、要するに「『映画秘宝』とのんさんとの間でオファー及び契約を交わして成立していた『会社としての正当な業務』を、岩田和明が個人の一存でどうにでも左右できるように『私物化』していた」と言っているのに等しいのではないでしょうか?
でも、それは端的に言って「異常」だとは思いませんか?
繰り返しますが、私は何も別に「これが『真相』だ」と言いたい訳ではありません。ただ、もしも「出版業界では編集者が業務を『私物化』するのは『当たり前』のことだ」と、何の違和感も疑問も抱かずに考える人が編集者や読者に少なからず存在するならば、私は「そのような考え方は、最終的には雑誌そのものを腐らせて、破滅に導いてしまうのではないか?」と、そう言いたいのです。
ここで本筋からは少々逸れますが、のんさんの芸能人としての立場を考えると「編集者との『個人的な関係』を動機として、のんさんは連載の仕事を続けていた」と世間に思われてしまえば、他の芸能マスコミから「男女の関係?!」等と面白おかしく報じられる虞れがあります。したがって、仮に『映画秘宝』や双葉社の側に「連載を終了させたい」と云う何らかの理由が有ったにしても、のんさんに迷惑を掛けないように彼女の立場に配慮するならば、むしろ連載終了のタイミングは岩田の退社直後にならないようにタイムラグを設け、あらぬ世間の誤解を避けるべきだったのではないかと私は思います。
もしくは、連載終了の告知時に「のんさん及び彼女の事務所は、岩田和明がしたことについては『許されないこと/悪いこと』と考えている」と、誌面で明確に告知するべきだったと思います。それが無いまま「連載を終了したのは単に岩田和明が辞めたからだ」と世間の考えを放置してしまえば「もしかして、のんさんは岩田のした事を『悪いこと、間違ったこと』とは思っていないのではないか?」と世間の人々にあらぬ疑いを持たれかねません。
それとも、岩田和明がのんさんの連載を終了するにあたって「素っ気無い告知」だけで済ませたのは、暗に「のんさんは俺(=岩田)の事を批判してないぞ」とアピールする狙いが有ったのでしょうか?
或いは、連載を終了させることで「自分(=岩田)とのんさんの間には『特別な結び付き』が有るんだぞ」と(それが「事実」であるか否かは別として)、世間にアピールして信じ込ませる狙いが有ったのでしょうか?
このような可能性をついつい私が考えてしまうのは、既に述べたように『映画秘宝』のライターや編集者は「普通とは違うオレたち」をアピールすることが大好きだからです。
可能性の話は置いておくとして、岩田和明が編集長になる前から既に、雑誌『映画秘宝』の内部では「業務の『私物化』」は起きていました。そして、それは結局のところ、彼ら『映画秘宝』がホモソーシャル集団内部だけで通用する価値観を盲信して、女性を含めた「他者」に対して甘えると云う幼稚な精神の持ち主だったことに起因するのだと私は思います。
予想外に長くなりましたので、今回は一先ずここまでとします。