はてなキーワード: dMとは
私は二次創作をしているが、交流をするのはほとんど昔からの友達で、今のCPには友達と呼べる人がいない。たまに寂しくなることもあるが、もともと孤独耐性が強いタイプなのでそれほど気にしていない。
日頃から「感想もらえない」という悩みをよく見かけるので、私なりに工夫していることをまとめてみた。
まず最初に尋ねたいことがある。本当に感想をもらえてない?「作者が望まない感想は感想じゃない」と思ってない?
「感想をもらえない」という人の言葉をよくよく聞いてみると、「『自分の望むような』感想がもらえない」という意味だったということがある。
文章に10伝えたいことがあったとして、3伝わればまあまあな読者、5伝わればなかなか読み込んでいる人、7伝わればもう天才レベルで読解力がある。10伝わった人はお目にかかったことがない。
人間同士がコミュニケーションを取るとき、相手のすべてを理解することができないように、自分の作品のすべてを理解してくれる読者はこの世にいない。現実はエモい二次創作とは違うのである。
それでも解釈違いの感想を送らないでほしい、と言うなら感想をもらうことに向いてないので感想欄とかマシュマロとか閉じた方がいいよ。
念のため言っておくが、明らかに失礼だったり悪意があったりする感想は例外だ。そういうものは聞く耳持たなくていい。というか感想以前に作者とまともにコミュニケーションを取る意思がないので無視していい。
実体験の話をしよう。私はある人のリクエストで、連載作品を書き始めたことがあった。その人は最初はとても喜んでくれたんだけど、次第に感想をくれなくなった。
薄情だなあと思いつつ、連載を完成させた。その数ヵ月後、その人は難しい病気にかかった家族をずっと看病していて、創作を楽しむ状況ではなかったことを告白された。
自分は何て考えなしで心が狭かったんだろう、とめちゃくちゃ恥ずかしくなった。あれ以来、私は感想をくれない読者を責めないようにしようと誓った。
何が言いたいかというと、読者側にも感想を書けないタイミングというものがあるのだよね。そんなタイミングに「どうして感想を書いてくれないの?」と言われても困ると思う。
前と言ったこと違うじゃないかと思われるかもしれないが、「感想がほしい」と言うことと「感想をくれない読者を責める」ことはまったく違う。
コツは「飴ちゃんちょーだい」というくらいの軽いノリで言うことだ。軽く言った方がもらえる。
ただあんまりクレクレしてもうっとうしくなるので、自分で頻度を決めておくといいかもしれない。作品の更新後に言うとか、サイトやpixivに作品をまとめるならそのとき言うとか。
そして飴ちゃん(感想)をくれなくても、飴ちゃんをあげるかあげないかは読者の自由だということを忘れてはならない。
「感想ください」と言ってももらえないときもある。そのときは「励ましのおたよりください」と言い方を変えるともらえることがある。
私は感想を書くのが趣味なので、その感覚はないのだが「感想」と言うとハードルが高く感じる人もいるらしい。が、「励まして」というと気軽に送ってくれる人が増える。
みんなが感想を書くことが得意なわけではなくて、苦手な人も多くいる。そんな人から感想をもらうにはどうすればいいか。
私がやったのはこんな方法。
・拍手にプルダウンで定型文「面白かった」「萌えた」「かわいい」などを選べるタグを導入
・「コピペでいいので好きなシーンを教えてください」とアンケートを取る
・私の作風と似てる商業作品ってある?と聞いてみる(感想だけでなく、これは純粋に興味がある)
他にもやり方があるだろうけど私はこんな感じだった。
ある程度コミュ力がある人が陥るのがこれ。あまり身内ノリが過ぎると新しい人が話しかけにくくなる。
Twitterやってると身内から匿名メッセージが来ることがあるんだが、私は誰か特定できるメッセージは公開の場所で返信せず、個人的にリプライなどで答えることにしている。
エアリプの応酬もやりすぎないことにし、ちゃんと用事があるときはTLで呼びかけるのではなくリプライをする。
たまにやる身内ノリはいいのだが、それがTwitterのメインコンテンツと化すと身内ノリを楽しめる人しか話しかけてこなくなる。
私も一度やってしまったことがあり、アカウントを新たに取り直して再出発した。
拍手、DM 、pixivのメッセ、マシュマロなど、自分が一番見やすいツールを書いておこう。
「感想をくれるならツールはどこでもいい」という意見はそうなんだが、選択肢が多すぎると読者としてはやりにくいので、自分と読者がやりやすいツールをひとつかふたつ書いておくことを勧める。
私は「返信が必要な連絡はメールへ、感想は拍手にお願いします」と書いている。
私はコミュ力底辺な上にしょっちゅう鬱々としているので、感想の返信ができないことも多い。が、そういうときでも「感想ありがとうございます」とツイートしておくことにしている。
送る側からは「返信はなくとも送った感想が不快でないかは知りたい」だろうからだ。
ついでにフォロワーに「感想もらうの好きな人なんだな」と思ってもらうチャンスである。あまり交流していないと、「この人感想いらないのかな」と思われがちだから適度にアピールしよう。
あと感想の返信ができない場合があるときは、「日常生活優先のためすべてに返信はできませんがありがたく読ませていただいています!」ということを書いておいたほうがいい。何でかというと稀に返信来なくて病む人がいるから。
「交流はしたくないが感想がほしい」と思う時点で、この記事を読んでいる人は人付き合いが苦手なんじゃなかろうか。
できれば配慮なんかせず好きなことをつぶやきたいし、わずらわしい約束なんかしたくないと思っている。
が、人から声をかけてもらおうと思うなら、最低限相手に「この人は悪人じゃない」と思ってもらう必要がある。
差別的な発言してない? よそのCPに喧嘩売ってない? 自家通販なんかのお金のことはちゃんとしてる? 特定できちゃいそうな仕事の愚痴言ってコンプラ違反してない?
別に聖人君子を目指すことはない。変人でもいい。が、信用は大事だ。
信用があれば読者はジャンルやCPを移動してもフォローを続けてくれるし、気が向いたら新しい作品の布教を受けてくれる。
という感じで、まとめてみた。
参考になったら幸いです。
町山智浩が発した「女性差別発言」の一つとして有名なものが「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。 (2013-2-18 06:30:23)」と云うツイートです。
この発言からは、町山智浩の根底に「女性は主体的に何かを発見して選択する能力が欠如している」という考えが存在することが、如実に見て取れます。
柳下毅一郎との共著『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』を読むと「中身が空っぽの映画を、配給会社や広告代理店が薄っぺらいキャッチコピーで盛んに宣伝することで、それを鵜呑みにした女性観客が劇場に足を運ぶ」と云う類いの主張がなされる場面に度々出会います。例えば「『タイタニック』を観に来た若い女性観客は、レオナルド・ディカプリオの演じる登場人物がクライマックスで死ぬのを見て『ウソー!』とビックリする。予告編を観れば死ぬことぐらい予想がつくだろ!(=つまり町山智浩らは「女性観客にはそれを予想する脳味噌が無い」と言っている)」と云う具合いです。
要するに、町山智浩らは「配給会社や広告代理店に騙されるのは、いつも女」であり、「雑誌『映画秘宝』が気に食わないタイプの映画が世間でヒットしてしまうのは『馬鹿な女たち』が原因」であり、「男女や親子が一緒に観に行くデート映画やファミリー向け映画も、女の好みに合わせた結果つまらない作品ばかりになった」と、そう主張するのです。
その一方で「馬鹿な広告代理店や一般的なマスメディアを活動拠点とする評論家は理解していないが、映画『○○』は本当は✕✕なんだよ!それを指摘しているのは俺たち(『映画秘宝』)ぐらいなもんだよ!」とか「映画『○○』が流れている劇場にいるのは『映画秘宝』読者だけ(或いは、劇場に行ったら中原昌也とか藤木TDCに出くわした)」とか「周囲の観客が泣いている中で笑っているのはオレたちだけ(この逆に、周囲は笑っているのにオレたちは泣いていたと云う『少林サッカー』パターンもある)」と云う、典型的な「オレ(たち)ってフツウじゃないゼ」アピールも度々出てきます。「本当は✕✕!」という言い回しが好きですよね。
こうすることによって「『馬鹿な女ども』とは違い、『オレたち(=ボンクラ男子)』はモノが分かっている(=『映画秘宝』的な価値観を良く学習出来ている)」「オレたちは『本質』を見抜いている『仲間/同志』だ!」と云う「選民意識」と「自己陶酔」のカルト集団的な感覚を『映画秘宝』読者に与えていた訳です。
ところで、私がこの「雑誌『映画秘宝』の記憶」と題する一連の文章をはてな匿名ダイアリーに投稿したところ、或るブックマーカーからコメントで複数回「過去の『映画秘宝』で、そんなに自己陶酔している記述箇所が有ったか?」との疑義を呈されました。上で挙げたような町山智浩らの芸風と、それを熱烈に歓迎していた当時の『映画秘宝』ファンの姿と雰囲気。もしも、それをリアルタイムで見知った人に「あれは『自己陶酔』ではなかった」と否定されてしまうのであれば、これはもう私としては「見解の相違ですね」としか言えません。自己陶酔は「オレ(たち)は『スゴい』!」と云う直截的な形だけではなく「こんなボンクラ映画が大好きなオレ(たち)って本当に『ダメ』だよな〜」と云う、一見さも「へりくだった」ように見える『自虐』と云う形式を取って顕れる場合もあると私は考えています。町山智浩ら『映画秘宝』が行う「オレたちオトコってのはさ〜、『バカ』な生き物なんだよ。だから許してよ〜」と云う芸風と、それを支持した読者たちは、本人たちとしては「分かった上で『バカ』を演じている(いた)」つもりかも知れませんが、これも傍から見れば、立派な『自己陶酔』だと私は思います。「自虐」は「オレ(たち)はスゴい!」の裏返しなのです。しかし、一部とはいえ『映画秘宝』ファンらしき人から「自己陶酔は無かった」と言われたので、私は正直ビックリしました。自覚が無かったのですね。
それでも「『自己陶酔』と言われることには抵抗が有る」のであれば、代わりに『甘え』と言い換えましょう。「オレたちオトコは、ボンクラ映画好きだからさあ」とホモソーシャルな価値観と物の見方を持ち出して酔い痴れ(=『陶酔』)ながら「だから、オレたちのするバカを許してね」と「女性と云う他者」に甘える(=負担を強いる)ことを続けてきたのが、町山智浩ら『映画秘宝』及びボンクラ信奉者たちの真の姿です。そして、そんな風に「オレたちは『こんな感じ(=ボンクラ)』だからさ〜」と甘え続けて行き着いた果てが、前・編集長の岩田和明による恫喝DM事件の発生です。目を逸らしてはいけません。もう、これ以上『バカ』や『ボンクラ』を言い訳にして「女性に甘える」のは止めませんか?『自己陶酔』に気づかないふりをするのも『甘え』だから止めませんか?そうでないと、また恫喝DM事件のような大失態が繰り返されかねません。
それにしても、上で挙げた例に出てきた「ディカプリオが死ぬ場面にビックリする女性観客」は、実在したのでしょうか?何だか私には、町山智浩らが「女性観客は愚か者である」と主張するために、都合よく頭の中だけで拵えた『藁人形』なのではないかと思えます。
実際は、女性観客にも「馬鹿な映画、底抜け大作、広告代理店の嘘八百宣伝と百も承知の上で、わざわざ観に行く『物好き』な人たち」は少なからず存在するのではないでしょうか。彼女たちは、自らの意志でそれを選択しているのです。ただ、町山智浩らには「女性たち自身の意志」が存在することに我慢がならないのだと思います。
町山智浩らの言う「騙されるのは、いつも女」「それとは違い、オレたち男は『真実』に気づいている」と云う考え方や主張は、ひどく「古臭い」と私には思えます。と言うのも、これらの考え方は結局のところ、キリスト教の「エデンの園で蛇の誘惑に騙されたのは女であり、男を唆したのも女だった」や仏教の「女は悟りの障碍になる」と云う、古来の考え方を焼き直したものに過ぎないとしか思えないからです。
ご存知のとおり、恫喝DM事件が発覚した後に新体制となった『映画秘宝』では、のん(能年玲奈)さんの連載が終了することが告げられました。のんさんが誌上で『この世界の片隅に』の主人公すずさんの姿に扮したのはまだ理解できましたが、何の関わりも無い『ワンダーウーマン』の主人公のコスチュームに身を包む彼女の表紙を見て「何だか着せ替え人形みたいに扱われてるなあ。のんさん本人が喜んでやっているならば別に構わないけど」と私は思っていました。しかし、このたびの騒動でのんさんの連載が迅速に終了したところを見ると「やっぱり本当は彼女も、心の底では嫌がっていたんじゃないのか?」と穿った見方をしてしまいます。冷や飯を喰わされていた状況下で『この世界の片隅に』を大々的にプッシュして応援して貰ったという義理も有ると、なかなか断り辛かったことでしょう。のんさんみたいな大物女優がリクエストに応えてくれることは『映画秘宝』のボンクラ男たちにとって、さぞかし快感だったことでしょう。もしも仮に「オレたちはボンクラだからさ〜、こういうのが好きなんだよね〜」と、岩田和明らがのんさん相手に甘えていたとしたら?
散々「美少女アニメは、オタクの幼稚な性欲を満たす為のポルノ!」と攻撃していたくせに、その実は『映画秘宝』自ら、自分たちのボンクラ願望を満たす為に、本物の女性を使って着せ替え人形遊びに耽っていたとするならば、それは美少女アニメ趣味よりも遥かに幼稚で醜悪な姿ではないでしょうか。真相は如何に?
冒頭に挙げた町山智浩の「女の子が急にマニアックなことを言い出したら、たいてい男の影響」という発言は、町山智浩の自己を勝手に他者に投影したものに過ぎないのでしょう。おそらく、町山智浩自身に「自分は女性の影響で何かマニアックなことを急に言い出した」と云う経験と自覚が有るのだと思います。町山智浩にとっての「マニアックな事」は何でしょうか?そういえば、一時期から町山智浩は、熱く「恋愛論」を語るようになったと記憶しています。何故か今はパッタリと語ることを止めたようですが、結局あれは何だったんでしょうね?まさか「女性の影響」だったんでしょうか。
舎弟の高橋ヨシキやてらさわホークも近年、付け焼き刃っぽいポリコレ的な言動を見せるように変化しましたが、あれも「女性の影響」でしょうか?高橋ヨシキとてらさわホークも、自分たちよりも年齢の若い、女性のアメコミ翻訳家と一緒に仕事をするようにもなりましたから、仕方が無いですね。でも、高橋ヨシキなんか『チーム・アメリカ』の「ポリコレなんぞクソ喰らえ!」的な内容と姿勢を称賛していたはずなんですけどね。まさか、過去の振る舞いを無かったことに出来ると思っているのでしょうか?
もちろん「他者から影響を受けて変化すること」自体は、別に構わないと私も思うのです。ただし、それが「相手の歓心を買う」ことを目的とする「表面だけの底の浅い変化」でなければ、の話ですが。
しかし、古株の元『映画秘宝』読者の目から近年の町山智浩や高橋ヨシキを見ていると「単に女性の歓心を買うのが目的なんじゃないか?」という疑念が拭えないのです。だって、彼らの言動からは滲み出ているでしょう?「自分たちボンクラのコントロール下に置けない女性に対する怖れや侮蔑」の感情が。
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。
自分ではフェミニストだともリベラリストだとも思ってない。正確に言うと「日本で一般に思われてるフェミニスト」ではないと思ってる。表現規制とかに対してはむしろ擁護側(なんでもかんでも良いとは言わないが規制する時は慎重に派)だが、選択的夫婦別姓や性的同意年齢の引き上げ、アフターピル問題については概ね「フェミニスト側の立場」だ。
でも家族に対する憧れはあるし、結婚もしたい。子どもも産みたい。でも自分が専業主婦になったら、仮に離婚したり、夫と死別したりしたらその子の学費はどうなるの?と思うから、家事育児は外注して自分はキャリアを追いたい。そのために学歴も就職も人並み以上に頑張った。
さて本題だが、前の恋人と別れて1年経ち、コロナ自粛や自宅勤務もあって出会いが無くなった。そう焦る年齢でもないが、Twitter婚活とやらに前々から興味があり、試しにアカウントを作って相手を募ってみた。
「自分は結婚しても働きたい、家事育児はアウトソーシング希望」
学歴と年収も性別や年齢を考えるとまぁちょっと特殊だが、目を引く条件はこれだったと思う。
深夜のノリでアカウントを作ったので、ツイートをしたのも深夜だったが、思いのほか反響があり、普通のTwitter婚活のツイートの10倍ほどRTやいいねがあった。開放したDMには何件も応募があった。面白かったのは、私の呟きを見て「Twitter婚活というのを初めてやるのですが」と、恐らく普段から使っているオープンなアカウントから挨拶をしてくる人間が多かったことだ。
メインアカウントから応募が来るということは、相手が普段どんなことを考えている人なのかが簡単に見えるということだ。RT、いいね、ある意味深層心理を知るにはうってつけの材料なのかもしれない。
でも今回はなかなかこれが厳しかった。とにかく所謂「アンチフェミ」が多いのだ。私は最近のトランス差別に躍起になっているラディカルフェミニストにも多少苦手意識があるが、攻撃性を隠さないアンチフェミのアカウントもとにかく苦手だ。嫌いと言ってもいい。自分がそこそこ実家が太いという背景もあり、マジョリティや強者が持つべき責任みたいなものには人一倍敏感なのだが、「年収1000万以上」「旧帝国大学卒」と名乗る彼らがなんだかよくわからない恣意的な統計をとるアンチフェミアカウントをいいねしていたり、選択的夫婦別姓に対してとにかく冷笑的な態度のツイートをしていたりするのを見るとクラクラする。
いやこの際思想は自由だ。でもなんでそんなアカウントが、よりによって私のツイートを見て「惹かれました」とDMを寄越してくるのかがわからない。なんだろう、あまりにも都合がいいところだけ享受しようとしていないか。
「あなた達がその話をしたらゼノモーフ(エイリアンの宇宙人)が来るぞ!」
とリプをしている人がいた。
「朝起きてリビングに行くと、俺の本棚にあるハズのヘルシング3巻があった。俺は外に出した覚えはない…娘、俺の愛しい3才の娘がぁぁぁ(意訳)」
と、世界の親御さんあるあるをツイートしていて、英語で2以上を取ったことがないのに
とリプを送ったら、速攻でfavとリプがきた。
おいおい、スラング盛り盛りの英語はGoogle翻訳先生が苦手とする分野だぞ。
でも、そうやってツイッターでの付き合いが始まった。
宇崎ちゃん論争っていつまで続くんだろう?パトレイバーは傑作だよね!俺は秘密にしているが、シロマサ版のMOTOKOも大好きなんだ、萌えって逆に萎えるよね、ヘルシングで一番好きなキャラは誰?
などということを、日々彼はなるべく平易な英語で、私は拙い英語で、画像やgifを交えながら話している。
たまには少し難しいことについて話したりはするけれど、基本的にはオタク話と、最近身近であったことしか話さない。
オタク趣味以外全く接点のない、国籍も人種も性別が違い、年齢の開きもかなりあるから、偏見の持ちようがない同士だから、他愛無い話ができる、むしろ、それしかできないんだけれど。相手の属性や所属を読んでから話さなきゃいけない最近の時世に疲れてるとそういう関係がとても心地よい。
この前、ロボット談義をしていて、モーターヘッドって知ってる?と聞いたら
「ファイブスター物語の話ができる人と会える日が来るとは思ってもみなかった!!」
と凄く感激してくれた。
「恫喝DM攻撃の被害者へのバッシングを止めよ」と書くのと同時に「袂を分かつ事になりました。自分は今月号で『映画秘宝』を去ります」と高橋ヨシキが書いた意図は何か?
それは「不祥事を起こした人間が『映画秘宝』の側に残るのであって『映画秘宝』を去る自分(=高橋ヨシキ)は不祥事を起こしたような人間とは違うんですよ」と、何も知らない外部の人間に向けてアピールすることが目的だ。
『映画秘宝』公式や双葉社公式が不祥事について謝罪した以上、組織として再発防止に動く。そう思うのが普通だ。不祥事の原因解明や再発防止に一丸となって取り組むつもりならば、それに参加する人間たちが「袂を分かつ」必要は無い。分かれる一方が不祥事再発防止に消極的でない限りは。それなのに、わざわざ「袂を分かち『映画秘宝』を去る」と書いた。その『理由』は何だ?考えろ。それは、高橋ヨシキの努力にも関わらず『映画秘宝』は変わろうとしなかったからだ。非道い!まともなのはヨシキだけだ!
こうして、高橋ヨシキが使う『喧嘩稼業』の田島彬ばりの忍術(心理誘導術)によってコロッと騙された人間たちが「編集部と違って高橋ヨシキは正義の人だ!」と言い始めた。
ただし、それらの「高橋ヨシキは正義の人だ!」と主張する人間たちの発生が、奈良さんたち4人に内部告発を出す決意を促したのだろう。
とにかく意味もなく殴られ、容姿や喋り方をからかわれ、荷物を隠されたり、机に花瓶を置いて葬式ごっこをされたり、給食を捨てられたり一通りの仕打ちは受けた。
俺は弱かったからいつも負けたけど、時には泣きながら口では反抗していた。
とか
「一生恨んでやる!」
とかそんな感じだったような。
とにかく腕力では勝てないから、泣きながらそんな泣き言を言い返していたような気がする。
高校卒業後、俺は地元を出て都内の専門学校に通いそのまま都内で就職した。
地元ではそんな扱いを受けていたから成人式で帰ったきり、ほとんど子供の頃の友達には会わなかった。
29で結婚し子も授かり、40代となった今ふとそのいじめられていた頃の記憶が蘇った。
あいつら今何しているんだろう?
幸いにも俺はつらい経験をしたがそれがフラッシュバックするような心の後遺症はなく、今が充実しているしわざわざ思い出すこともないことだと気持ちに折り合いをつけられていたのかもしれない。
成人式の時も含め同窓会の類は一切不参加だったが、一回くらい行ってみるかという気分になった。
フェイスブックで高校の友人の名前から検索すると小中時代の名前が少し出てきた。
その中でも比較的俺へのいじめには関与していないがお互い名前は知っている程度の実家が近所の同級生に軽い気持ちで友達申請を送ってみた。
返信はすぐに来てDMをやり取りするようになった。
「〇〇たちってどうしてる?」
俺がいじめを受けていたことは公然の事実であり、〇〇の名前を出すことでその子も返信しづらいであろうことは分かっていた。
しばし間をおいて「実はね・・・」という返信に書いてあった事実に俺は衝撃を受けた。
俺をいじめていたグループは〇〇を中心に4人いたのだが、なんと〇〇を含むそのうち3人がもう故人となっていた。
〇〇は数年前に自死。
あとの2人は20代の頃に同乗していた車の交通事故で亡くなったとのこと。
4人ともクラスの中心的な人気者で、てっきり同窓会でも張り切っているのかなと思ったがまさかのことだった。
残り1人も俺と同じく(笑)音信不通だったのでどこに住んでいるのかも分からないという事だ。
そして同窓会も久しく開催されていないらしい。
俺くんが元気で良かった。
今はこうやってSNSで簡単に連絡が取れるが、もしネットもろくにない時代だったらどうだろう。
同級生ならみんな知っている俺が4人にいじめられていたという記憶。
俺の両親が早逝している事情もあり音信不通の俺の情報を知る手立てはほとんどない。
こんな事があったら同級生の間だと「俺くんの呪いだ」とかそんな風に悪く言うやつもいるかなぁと想像してしまった。
怨霊の正体ってこういう因果の関係で勝手に生まれるものなのかもしれないなぁと思った。
でもまああれだ、まだどこかで元気に生きていると思う(願う)M田くん。
俺は元気です。
恫喝DM事件及びその後に起きたパワハラ事件の加害者。さらに被害者女性に二次加害を行った人間。
彼らの事を批判すると、奇妙な事を言って彼らを擁護しようとする人間が現れます。かつて町山智浩自身が言った言葉ではありますが「被害者しぐさ」と云う行動を取ることによって、彼らは悲劇の主人公を演じようとするのです。こんな具合に。
例1:「被害を受けた当事者でもない人間たちがゴチャゴチャ言うな」⇒それを言ったら何の問題についても、誰も批判することができなくなりますよね。関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺や第二次世界大戦当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題やその他の戦時性暴力etc.これらについて私は「被害を受けた当事者」ではないですが批判はしますよ。「自分は恫喝DM攻撃やパワハラ・セクハラの被害を受けた『当事者』ではないから口を挟むのは止めよう」と云う態度で見過ごし続けてきた果てに行き着いた先が、今回発覚した映画秘宝のスキャンダルなのではありませんか?
例2:「いくら謝っても批判する人間たちは許さない。反撃できない人間を一方的に攻撃するな」⇒恫喝DM攻撃やパワハラ問題が発覚して、まだ3か月も経過していません。「いくら謝っても」と言うほどの年月は経過していません。それに、たとえ戦時中や戦前の事でも、何年経過しようとも「反省するべき事は反省するべきだ」と私は思います。加えて言うならば、被害者及び第三者の立場から岩田や町山ら、双葉社に対して求めているのは「公開の場での説明」です。すでに「被害者が非公開を望んでいる」と云うのは虚偽の理由だったと判明したのだから「経緯」や「再発防止の為の取り組み」について早急に説明をしてくれと望んでいるのです。
例3:「匿名で批判をするのは卑怯だ」⇒これまでエゴサーチしての恫喝DM攻撃や、信者ファンネルを利用した多人数攻撃と云う手法を行ってきた町山や岩田を擁護する人から、それを言われると驚きますね。私も基本的には「批判や議論は公平に行われるべきだ」と考えます。しかし「もしも匿名でなければ、批判した時に報復行為としてどんな物騒な事をされるか分からない」と不安を抱かせて、議論の場における必要最低限の相互信頼を損ね、顕名での批判を躊躇させる原因を作ったのは、町山や岩田に外なりません。
お願いだから、これまでトランプ政権や自民党政権を批判する時に貴方たちが披露し続けてきたのと同じぐらいの饒舌さで、自らが果たすべき「説明責任」を果たして下さい。
『映画秘宝』の元・編集長による恫喝DM事件が発覚した当初、一部の『映画秘宝』関係者が「映画を観て、差別に反対し、社会の不正や権力に立ち向かう姿勢を学んでいたのに云々」といった主旨の言葉を述べていましたが、果たして本当にそうでしょうか?若い読者の中には信じてしまう人たちがいるかも知れないので、元・愛読者の一人だった私が記憶に基づいて(と言うのも手持ちのバックナンバーはほとんど処分したので)、これについて反論のような事をポツリポツリ試みたいと思います。
『映画秘宝』が現在のサイズになって間も無い当時『映画秘宝』は、自民党政権を援護射撃するメディアの一つでした。これは何も『映画秘宝』に限った話ではありません。当時は、例えば『ミュージックマガジン』の故・中村とうようが「自民党を壊してくれるなら小泉純一郎を支持する」と公言していたように、小泉政権を支持する反・権力系メディアやその関係者は珍しくなかったのです。
同じ頃『映画秘宝』は、当時の秋田書店の漫画雑誌『少年チャンピオン』で連載されていた漫画『アクメツ』を誌上で紹介した上で「この漫画は傑作なので『映画秘宝』の読者も読んで応援しよう!」と推薦していました。ご存知ない方の為に解説すると漫画『アクメツ』は、小泉純一郎をモデルとする政治家(※ハンサムに描かれる)が行う改革を応援する為に、主人公である高校生テロリストが改革に反対する勢力の人間たち(※こちらは醜い外見で描かれる)を殺害しまくる(しかも、その殺害の模様を映像で配信する)と云うのが大まかなストーリーです。
それだけではなく『映画秘宝』の読者投稿欄では「映画の中で公務員が死ぬ/殺される場面が出てくると、映画館で拍手喝采します」と云う内容の手紙を掲載したり、映画紹介記事の中に「公務員の奴らは他の仕事に就くことが出来なかった無能たち」という文を態々差し挟む形で書いたりと、当時の小泉改革により巻き起こった公務員バッシングの風潮に『映画秘宝』は全力投球で乗っかっていました。公務員バッシングをしてくれる雑誌メディアの一つとして『映画秘宝』を愛読しているネットウヨク的な人間たちも、当時は少なくなかったのではないでしょうか?少なくとも、読者投稿欄などに「小泉改革に乗っかって浮かれるのは止めた方が良い」という意見が載る事や、ライター内部からの批判記事が書かれたは無かったものと記憶しています。
町山智浩は小林よしのりに対して「ネットウヨクたちを生み出した責任を取れ」と批判したようですが、四人がかりで女性1名を標的にパワハラを行うような町山智浩たちが作っていた『映画秘宝』に対して、私は「貴方たちが過去に行った自民党政治への援護射撃の責任を取れ」と言いたいと思います。
奈良さん・小沢さん・ギンティさん・市川さんたちからの告発を受けた町山智浩ら4名は、近年『反・権力』の姿勢を盛んにアピールしていましたが、私の目から見ると「ナチスの戦犯が過去を隠して戦後を生き延びた姿に似ている」と思います。仮にも『反・権力』を謳うならば、過ちを犯した時には自己批判して、反省する事が肝要でしょう。それが出来ない、他人に厳しく自分たちに甘い町山智浩ら四人は、決して「反・権力」や「不正と戦う」と云う人間たちではないと私は思います。
元『映画秘宝』愛読者だった私。家族に『映画秘宝』を読むことを勧めてしまった私。この私にも『映画秘宝』のモンスターを育てた責任は有ると思う。だから、元・読者の一人として、恫喝DM事件の被害者に謝罪します。こんな人たちを批判するべき時の過去の時点で批判する事を怠り、彼らを増長させて育ててしまい、その結果として貴方を傷つける事態を招き、本当に申し訳ありませんでした。
今なお町山智浩ら四人に心酔しきっている状態の私の家族の洗脳をたとえ解けなくても、他の誰かの目を覚ます事はできるかも知れない。そのような一縷の望みを託して、読者だった当時の記憶を記しました。見出しに(1)と付けたので、気力が湧けばまた何か書こうと思います。悪文によるお目汚し、失礼致しました。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
自傷行為はしていない。
難病を患っていて余命幾許もない、なんてこともない。
踊りも歌も平凡で、ネット社会で注目を浴びるには、なんのインパクトもない自分。
ただ、誰かに構って欲しい、誰かと傷を舐め合いたい。だけど、病み垢はしたくない。彼らはTwitter界のお荷物だからね。
そんな理由で病気垢を始めた。“幸いにも”私には持病があったから。
発作が起きたらツイートをする。
「大丈夫ですか?」
ああなんて気持ちいいんだ。
体調が悪くなればなるほど、心は満たされていった。
そんな日々、毎晩発作を起こしツイートをするフォロワーが目についた。こういう人は好都合だ。なにせ、私がかまってあげれば、私のことも構ってくれるから。
でも数ヶ月して気づいた。彼女の発作も、そもそも持病も全部嘘だ。彼女は、いくつもの病院に行き毎度起こりもしない発作で何人もの医師を困惑に陥らせていたのだ。
そこで私は我に返った
……わけではなかった。
「なにこいつ超おもしろい」
彼女の根本…いや、ミュンヒハウゼン患者の根本は寂しさだ。だから、自分に注目がないと満足できない。
Twitterのフォロワーに体調悪化する人がいれば、彼女はその人を超える重い症状を発症する。
「救外に行ったら、緊急入院と言われましたアセアセ」
色んな人からリプはくるし、聞けば30代後半だという彼女からはDMまでくる。
「私たちばかりなんでこんなに苦しい思いしてるんでしょうね」
馴れ合う言葉を投げかけあった。
そこでやっと気がついた。
この記事を投稿したら、パラレルワールドに行けるよう、アカウントごと消すことにする。
なんて、この記事の内容ごと、嘘かもね。
毎回思うけどマシュマロ悪口届きすぎなので一次二次とかの創作感想募集目的で置くやつの気がしれん。
悪口1割賞賛9割なら使うって元増田は言ってたけど、元増田の話聞くとAを褒めたいやつは本アカでちゃんと褒めてる。
逆に思うけど匿名でしか褒められない、質問されない状況ってなんだろう。
無いとは言わないけどそんなのは匿名で貶したいとか嫉妬をぶつけたいって機会の10分の1もないんじゃないかと思う。数えたことないけど。
大学生の期間すっ飛ばして、社会人になってからできた3人の彼女たち、その中の1人に私は心をかき乱されていて、つらい。
過去は過去だし、そもそも私の心をかき乱している女性と交際していたのは2年前とかそのくらい前なのに、私はその人のことを考えると精神不安定になってしまう。
日頃彼氏に女の影などはなく、浮気なんて疑ってなかったし、ただ「Twitterでどんなツイートしてるのかな〜」くらいの気持ちで覗いてしまった。
LINE、インスタのDM、アプリ一覧、Twitterのツイート、ありとあらゆるものを見たけど、女の影どころか私以外の人間と定期的に連絡をとっている様子すらなかった。
画像フォルダをかなり遡ると、女の子とのツーショットが出てきて、直感で「ああ、元カノだなあ。」と分かった。
でもそれ以外の女の子との写真はなくて、ただ消し忘れたかのように数枚その女の子との写真が残っていた。
私とのツーショットの写真は、LINEで送っても保存しないのに元カノとのやつは残してあるんだね とか
ツーショットの中に1枚だけ元カノのエロい自撮りがあって、「人に画像フォルダ見せてるときに出てきたら気まずいから」って理由で私とのハメ撮りとかは撮らないのに残してるんだね とか
元カノ、かわいいなあ。雰囲気似てるから、私のスーパーアップデート版だなあ とか
そういうこと考えてしまい、その日は眠れなかった。
その日からしばらく経つが、私は依然として精神が不安定で、とうとう数年ぶりにメンクリに行って安定剤をもらってきた。
安定剤を飲んでも、ぼんやりと元カノの顔を思い出してしまい、眠れない。
私より愛されてた気がする元カノを思い出しては、憎み、嫉妬し、悲しくなって、涙がとまらなくなる。
早く楽になりたい。
もうこのまま前みたいに付き合えないんじゃないか。
タイトルの通りでツイフェミっていろんなことにほんっと~~~~に口出すじゃん。
ご意見申し上げてるツイフェミに「気持ち悪ィ~~~~!!!!! うぜェ~~~~~~~~~~!!!!!」って思うけど
日常の中で「おっ、これツイフェミの餌だな」ってコンテンツとか記事を見るけると「チク」っちまうんだよなァ~~~。
ツイフェミ用のアカウントまで作ってDMして「こんなのありました!!!!!! 許せません!!!!!」ってなァ~~~~~~~。
「キィ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!」って声が画面の向こうから聞こえてきて俺の快感がとまらねェよマジで。
「かァ~ッ! キレてるねェ!!!!」って俺はもう悦に入るわけよ。
もう病気だよ俺は。
俺もアンチツイフェミだったんだけど、いやまだアンチツイフェミなのかな? 嫌いだしね。でももうわかんねェよ、俺も。
ちなみに今のチクりは昔の価値観を持った人に何かを売りつけるコンテンツじゃねぇかな?って思うから、
炎上するとしたら介護用にマイフォームリフォームとかそういうカタログとかおすすめよ。しらんねぇけど。
表題の通りだ
中学生のころに、姉が隠し持っていた二次創作BLを見たのがきっかけで、その世界に興味を持った
世間の腐女子と同じく、社会人になり、自分でも描きたくなってサイトで描き始めた
時がたち、pixiv全盛になったので、サイトを閉じてpixivで描いたが、らくがきなども描きたかったので、twitter垢も作って作品を上げる。
それなりにフォロワーが増える。フォロバして相互も増える。リプする。
気が付けばフォロワーは4桁。
「カフェにいった、おしゃれな服を買った、推しの色のネイルをした。オフ会した。もくりした。月のものがつらい。旦那が、子供が」
同志と会話したかったので、TL上でわいわい話をするのは楽しい。
だが、あっちはこちらのことを女性と思っている。まあ当然だろう。
コロナ前はオンだけだった。アンソロや合同誌に誘われても断っていた。
コロナ前は、イベントで売らないのに本を出す、なんてありえない雰囲気だったこともあり、自分で本は出してみたかったがイベント会場に行けなかった。
コロナ禍で、イベントに行けないのが普通になり、周囲も通販オンリーで本を出していたのを見て、これなら、と数冊オフで本を出して、書店(通販)に置かせてもらった。
ずっと作りたかったオフだったので、気合を入れて厚い本を出した。
増田の初のオフということで、一部の人にはとても喜んでもらえて、二冊出したが完売した。
イベントに早くいけるようになればいいですね、増田さんの本をスペースで買いたいです
お会いしたいです
もくりしませんか
これらの気軽な話を振られるたびに気が重くなる
とくにもくり。コロナ禍前は「通話ではなく会う」というのがスタンダードだったため、会いたいと言われても「田舎に住んでいる」「仕事の休みがあわない」などの理由で断ることができた。しかしもくりは断りにくい。
もくりは簡単に言うと通話が出来るアプリだ。ルームを作ってそのメンバーでお話が出来る。
孤独に創作できるタイプならいいが、推しCP話で盛り上がりたいのだ。通話をすれば声でばれてしまう。
よってDMで会話するようになるが、最終的に「もくりしませんか」に行きついてしまう
壁打ち作家のような扱いをされていて、遠巻きにされているのがわかる。
男性だとばれれば、絶対に距離を置かれるだろう。自分が相手の立場だとしても、ちょっと怖いと思う。
少数派なので、仕方ないとは思うが、自分を「女性」と思ってDMをしてくる方たちをだましているようで申し訳なくなる。
同性の同じような作家がいないかと思うが、見つけたことがない。キモオタなので協力してもらえる女性の友達もいない。
男でなければなあ。
こんな趣味を持たなければなあ。
壁打ち平気な性格ならなあ。
だからって女になりたいわけでもないし、やっぱりBLが好きなのだ。
どうしようもない。