はてなキーワード: 逆差別とは
言うてること弱者男性やんけ
というのは冗談として
ダイバシティのために弱い男性は犠牲になれみたいな話が実際出てきてドン引き
具体的にはこれ
http://nminm.hatenablog.com/entry/2017/08/10/001630
しょうがないから男は(仮に低賃金で他者からの承認を得ずらい状況でも男性だからという理由で)犠牲になれ
言ってることの利己的さは変わりませんよね?
例えばさ、というか実際そうなんだけど俺はバイセクシャルでADHDでパニック障害なわけ
じゃあ俺は雇用を優遇されるべきなんか?そんなわけないでしょ(いや健常者でヘテロでいわゆる“男らしい人”と同じ給料でなければ優遇されてはいるが)
マイノリティの人間にもマイノリティじゃない属性が含まれていて、
逆にマイノリティな属性一切持たずともひどい目に合ってる人はいっぱいいるんだよ
特にすべての分野では結果は出てないんだよ、いや出るわけがないんだけどさ
例えば風俗ね
男性の射精回数に限度があるから、女性の風俗と同じ料金では成り立たない
え?じゃあ射精しなきゃいいんじゃって?
そうだよ体の機構は違うんだよ
すっげー当然の話じゃない?
え?じゃあ機械を導入したりしっかりとしたマネージメントを行うことで性差なき仕事にすべきだ?
そうだねその通りですよ
どんな人でも働ける環境を先に作る、もしくはそのような制度を作るべきだし、それについて議論すべきで
早急に道徳的だからといって逆差別に発展するような状況を作り出すべきでないといったのはどこのどいつだ?
彼の言ってることは至極全うだし
だれが救ってくれる?え?犠牲になれ?
そうですか。
私は多様性が悪いとか、グーグルや社会が100%公正であるとか、既存のバイアスは修正されるべきでないとか、あるいはマイノリティがマジョリティと同じ経験をしているなどと私が言っていないことは明らかであると願う。私が言いたいのは私たちには特定のイデオロギーと一致しない考え方や証拠に対する不寛容があるということだ。私はまた人々を特定のジェンダーロールに縛り付けるべきだとも言っていない。私は全く反対のことを主張している:人々をグループの中の一人(部族主義)としてではなく、個人として扱うことだ。
具体的な提案としては:
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次で最後。
また留意すべきことは社会構築主義者の主張に反して、調査が示唆するのは全国レベルのジェンダー平等が男性と女性の性格特性の心理学的相違を引き起こすということだ。なぜなら、社会がより繁栄し、より平等になるに従って、男女の生得傾向の違いがより現れてくる余地を得るからであり、性格特性の男女の違いにおいて存在するギャップがより広く現れてくるからだ。私たちはジェンダーギャップが性差別により生じると仮定することを止める必要がある。
私たちはいつもなぜ女性が指導的地位にいないのかと問うが、なぜそんなにも多くの男性がその地位にあるのかとは問わない。これらの地位はしばしばストレスの多い長時間労働を必要とするし、バランスのある充実した人生を求めるのであれば大した価値はない。
地位というものは男性が値踏みされる際の一番の判断基準であり[4]、多くの男性を地位のために犠牲が多く、満足の少ないこの種の職業に駆り立てる。注意すべきことに、技術職と管理職において身入りが良いがストレスの多い職に男性を導くのと全く同じ衝動が、男性を炭坑採掘やゴミ拾いや消防士のような人気のない危険な職業に導く。また、職業関係死のうち93%をも引き起こす。
以下でここまでに概略した男女の特性の分布差についていくつかのことを述べるとともに、逆差別に頼ることなく技術職における女性登用を増進するためにこれらを解決する方策を提案する。グーグルはすでにこの分野において進歩しているが、これらの提案を列挙しておくことは有益だろうと思う。
哲学的には、男性と女性の平等な分け前を訴えるためだけに技術職に勝手な社会工学を行うべきではない。これらの変革のそれぞれについて、それがなぜグーグルの役に立つかという原理原則に基づいた理由が必要だ。つまり私たちはグーグルを最適化すべきなのだーグーグルの多様性ががその理由の一部となるような。たとえば、今現在、より長時間働き、よりストレスを受け入れようとする人は必然的に出世するが、これをあまりに多く変えようとすれば、悲惨な結果となる可能性がある。また費用と便益を考慮すれば、グーグルの資金調達は有限であるため、その配分は一般に認められているよりも、よりゼロサム的であることを心にとどめておくべきだ。
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さらに分割。
以下は最近グーグル社員が社内でダイバーシティに反する差別的?文書を開示したという理由で解雇された騒動において、問題となった文書「Google’s Ideological Echo Chamber」の日本語訳です。底本は米ニュースサイトMOTHERBORDが入手したPDFを利用しています。この案件ははてなでも注目されたようですが、その反応をみるにほとんどの人が原文を読まずにコメントしているようなので参考のため翻訳してみました。訳者は別に英語を仕事にする人でも特段英語能力の高い人でもないので、この日本語訳自体を引用して何か言及するのは恥をかく可能性があるので薦めません。また誤訳の指摘は歓迎です。なお、参考リンクについてはグーグルの内部ネットワークに繋がるもの以外は全て記載しましたが、ウィキペディアにリンクしている部分は参照している記載が削除されてしまっていたりするので、この文書が作成された7月あたりの版を読む必要があります。
バイアスが多様性と社会的包摂についての私たちの考えをどのように曇らせるか
私は多様性と社会的包摂に価値を置くし、性差別の存在についても否定しない。ステレオタイプを利用することも認めない。私たちが集団における登用ギャップを解消しようとする時、必要なのは集団レベルにおける分布の違いに注目することだ。もし、このことについて誠実な議論ができないのであれば、私たちは真に問題を解決することなどできない。
心理的安全性は相互尊重と受容によってつくられるが、不幸にも私たちの恥ずべき文化と欺瞞は残響室の外にいる人間を尊重しないし、受け入れもしない。
そのような公的反応にもかかわらず、私はこれらのとても重要な問題提起に対してグーグルの同僚たちから多くの個人的賛辞をもらった。彼らはこの問題提起には同意するが私たちの恥ずべき文化と解雇の可能性のために声をあげることも擁護することもできない。このような状況は変革されるべきだ。
人は一般に善良な意図を持っている。しかし、私たちは皆自覚のないバイアスを持っている。感謝すべきことに、物事を鵜呑みにしない人々による開かれた誠実な議論は私たちに見えていない物事を照らし出し、私たちが成長するのを助けてくれる。それが私がこの文書を書いた理由だ[2]。グーグルにはいくつかのバイアスがあり、このバイアスに関する誠実な議論は支配的イデオロギーによって沈黙させられている。ここからの記述は完璧なストーリーではないが、グーグルで是が非でも語られるべき視点だ。
グーグルにおいて、私たちは人種やジェンダーに由来する無意識のバイアスについてとても多くのことを語る。しかし道徳的バイアスについて議論することはまれだ。政治的指向は実際には深層の道徳的選好の結果であって、すなわちバイアスなのだ。社会科学とメディア、それからグーグルの圧倒的多数が左派寄りであることを考慮して、私たちはこれらの偏見を批判的に吟味すべきだ。
左派バイアス | 右派バイアス |
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弱者への共感 | 強さ/権威の尊重 |
不平等は不正のせいである | 不平等は自然であり正しい |
人間は生来協力的である | 人間は生来競争的である |
変革は良い(不安定) | 変革は危険だ(安定) |
開放的 | 閉鎖的 |
理想主義的 | 実利的 |
どちらの側も100%正しくはないし、どちらの視点も機能する社会、この場合は会社に必要なものだ。極端に右派的な会社は反応が鈍いかもしれないし、あまりに階層的かもしれないし、外部を信用しないかしれない。対照的に極端に左派的な会社は継続的に変化するだろうし(愛されているサービスを非難する)、あまりに関心を多様化させるし(コアビジネスを無視するか、恥ずべきことと思う)、あまりに従業員と競争相手を信用しすぎる。
事実と理性だけがこれらのバイアスに光を当てられる。しかし、多様性と社会的包摂の話になると、グーグルの左派バイアスは恥によって反対者を沈黙に追い込むことによって固定化される政治的正しさの単一文化を作り出す。この沈黙は侵食する過激派と権威主義的ポリシーに対するあらゆる歯止めを除去する。この文章の残りで、私は社会的成果の違いは差別的取り扱いと平等な登用を作り出すために実際上の逆差別を義務付けられる権威主義的要素によるものだという極端な立場に焦点を合わせる。
グーグルにおいて、私たちはいつも黙示(無意識の)、明示のバイアスが女性を技術職と管理職から疎外していると語られる。もちろん、男性と女性はバイアスや技術や職場を異なった形で経験するし、それを私たちは認識すべきだ。しかし、それだけで全ては説明できない。
平均して、男性と女性は多くの点で生物学的に異なっている。これらの違いは社会的に構築されたものだけではない。
なぜなら:
注意:私は全ての男性が全ての女性と以下のように異なっているとは言っていないし、違いが”正しい”とも言っていない。私は単に男女の選好と能力の分布がある程度生物学的な理由により異なっており、これらの違いは技術職と管理職において平等な女性登用が見られない理由を説明するかもしれないと言っている。これらの違いの多くは小さいし、重要なことに、そこには男性と女性とで重なり合う部分がある。そうであるから、これら集団レベルでの分布から男女個人について言えることは何もない。
(チャート画像)(https://video-images.vice.com/_uncategorized/1502146696203-Screen-Shot-2017-08-07-at-65310-PM.png)
下段:人々を集団的アイデンティティに単純化し、平均が代表だと仮定することはこの重なり合いを無視する(これは悪いことであり、私はそれを認めない)
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長すぎたのか投稿できなかったので分割。
今回の解雇のやり方に疑問を持ったからといって、私が女性を差別してよいと考えているわけでは全くない(でもここが結構誤解される)。
今回、例えばハフィントンポストは「Google、女性差別発言の社員を解雇『一線を越えた』」という見出しをつけ、本文で「エンジニアや管理職に女性が少ないのは差別ではない」と書いた。
これだけを読むと、私も呆れて終わったかもしれない。 https://goo.gl/eytiDq
実際の文書には「なぜGoogle社内の管理職の50%、技術者の50%が女性でないのかについて、男性と女性の形質の差が、部分的に説明になるかもしれない」と書かれていたように思う(英語が苦手なので翻訳ミスの可能性もある。原文を見てほしい)。https://goo.gl/tseyx8
英語を解す女性がこの文書を読んでどれくらい侮辱や怒りを感じるのかは正直、分からない。
ただ、認識が違っていたとしても即時解雇に値するのか、議論や再教育の余地はないのか、Googleには考えてほしかった。
そして、文書の後半には経営陣への要求が並んでいる。たとえば「特定の性別や人種に限った社内プログラムやクラスは不公平だ」といったもの。
これらについて、Googleの経営陣は解雇の前にまず説明をすべきではなかったかと思う。
解雇されたダモア氏の主張は、男女の結果の平等だけを優先するのは逆差別であり偏向だ、ということだと理解した。
この手の主張は、過去、女性解放運動の中で差別を肯定する文脈で使われていたのかもしれない。現代の政治家の発言であれば物議を醸すだろう。
しかしGoogleは「政治観を含めて、異なる見解を持つ個人が、安心して意見を述べ合うことができる文化」があるオープンな環境は、Googleの個性のコアだと言っている。
だからダモア氏は安心して(匿名で)発言したのではないか。 https://goo.gl/1Jp27S
解雇されたダモア氏が生物的な差異を持ち出したことには私は賛成も反対もできない(理解を超えている)し、一般の女性社員も見る社内メーリングリストに流すやり方には首を傾げる。
男性側からの「逆差別」との異議申し立てを「ジェンダーに関する誤った仮定を喧伝する」ものだとして取り合わず、解雇するというのは反対だ。
Googleは「その対話は、当社の社則やポリシー、さらには反差別法に明記されている雇用機会平等の原則の文脈において行われる必要があります」とも言っている。
リベラルにも共産主義者にも感じるけどなんであいつらは自分が正義だと信じて疑わないんだろうな
正しい一部はあるにしても全部が正しくないから問題が起きていて、それを自覚し取り組まないまま進もうとする
人間は常に問題を抱えているからこそどこにも正義はなくお互いの共通する正しい物を繋ぎ合わせることで多文化を容認しようというのがリベラルだったはずなのに
いつしかリベラルを主張する側の1部の正しさを全体に普及させる手段へと転じていった結果、逆差別の押し付けが始まってしまった
日本では和製フェミニズムがまさにそれなんだけど未だに自称フェミニストたちは和製ナイズされたこれを信じてる
どうもブコメを眺めていると、国家戦略特区制度が民主党時代にも存在して、加計学園の獣医学部を推進に切り替えたのは民主党政権時代だ、という認識の人がたくさんいるようです。最初、なぜ制度の見直しを民主党政権時代にやらなかったのかとか言ってるときは、わかってない人もいるんだな、という認識でしたが、どうもたくさんいるらしい。
アベガーギワクガーと言ってるはてサは、第一次安倍政権で特区を許可しなかった理由を思いついたら教えてくれ。ついでに玉木雄一郎の獣医師会からの献金も調べてくれると助かる。
ちょっと検索しても、「そもそも今治を教育特区にしたのは民主党」とか、「民主党政権時代に方針転換した」というような論説がたくさん見つかりました。どうやらその辺のブログでそう思い込んだ方々がたくさんおられるようです。前者は完全な事実誤認で、今治しまなみが教育関連で構造改革特区になったのは、平成18年度で、対象事業も小学校設置に係る校舎土地の自己所有規制の緩和なので、まったく獣医学部は関係ありません、これは余談。民主党政権時代の方針転換というのは、構造改革特区の提案に対する回答が、CからFになったということでいいのかと思うのですが、これはCは対応不可、Fが提案の実現に向けて提案内容を満たす措置の検討を行う、ということになっています。これについては後述。
都合の悪いことは民主党時代に決まったことにしたい人たちは簡単に時空を捻じ曲げるのですが、国家戦略特別区域法の成立は民主党政権時ではなく、第二次安倍政権の平成25年12月です。ですので、問題がある制度ならなんで民主党政権時代に廃止しなかったんだという主張も、第一次安倍政権にやらなかったのはなぜ、というのも当然もう時空が捻じ曲がってるので、ご確認どうぞ。それまでの加計学園の提案はすべて構造改革特区です。国家戦略特区の意思決定は、これまでの構造改革特区と違い、形式上総理の専決になっています。以下は平成25年10月の法案提出時の予算委員会質疑です。
「総理が、私が直接担当する場所、これが実は上側の、特区諮問会議、こう書いてあります、総理を長とすると書いてあります。ここで物事を決める。そのときに、関係大臣を入れる入れない、きょうも朝の新聞にちょっと一部出ていましたが、話がありますが、ここにあるように、もともと、関係大臣は必要なときに来てくれ、こういうことでやっていたんですね。
さらに、実はもっと大事なのは、三者統合本部とここに書いてあります。今は統合推進本部という名前で法律をつくられているようでありますけれども、この問題については、私ども自民党の中で議論したときには大議論になりました。
みんなが大変な批判をしたのは何かというと、この三者統合本部で、特区担当大臣と地方の代表、そして民間の規制改革を唱えている代表、この三者で物事を決めていくということになっていたにもかかわらず、ここに、総理は入れるわ、関係大臣、つまり抵抗大臣になるかわからない人を入れるという案だったんですね、最初。それで、我々の自民党の中での議論で、それはとんでもないということになったわけであります。
そこのところで私ども今非常に心配しているのは、そうはいいながら、この統合推進本部、下の方で、三者でやるところですが、そこにやはり担当大臣をお呼びになるのではないのかというふうに我々まだ懸念をしているわけでございまして、ぜひここは、関係大臣の話を聞くのは総理のおられる諮問会議で十分なわけですから、この下の統合本部は、まあせいぜい事務方に来てもらって、いろいろな議論をする、詰まった議論をする。その上で、ここはここで決めて、それを特区の諮問会議に上げて、そこで必要なときには総理が御判断されて、担当大臣を呼んで、関係大臣を交えて物事を決めるという形が私はあるべき姿ではないのかなということで、こういう意見が自民党の中でも多いわけであります。
この点について、総理の見解をお聞きしたい。これは、つまり、みずからドリルとなって、自分の場でやろうということで今つくりつつある国家戦略特区での法案でありますので、総理のかたい決意を聞かせていただければというふうに思います。」
「国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部は、国家戦略特区担当大臣そして関係地方公共団体の長及び民間事業者の三者により組織する方向で検討しております。
御懸念の関係大臣についてでありますが、ちなみに、安倍内閣には抵抗大臣というものは存在をしないということは申し上げておきたいと思いますが、この関係大臣については、三者の協議により、具体的な事業の推進等のため、必要な場合には協議への参加を認めます。当然これは、見識、専門的な知識を有する所掌する大臣が入って、その所掌する立場から意見を開陳することは必要だろうと思います。そうした議論をするのは、これは妨げないわけであります。むしろそれは必要なんだろうと思いますが、意見を述べる機会を与えることとしますが、大切なのは意思決定でありまして、この意思決定には加えない方向で検討をしております。
これが国家戦略特区の特徴。要は、ごちゃごちゃ反対する省庁の代弁者になるような大臣は意思決定プロセスから外す、とこう宣言されている通り、国家戦略特区は総理の意思で進むものですので、当然、最終的な説明責任は総理にあるわけです。これに対して、構造改革特区の意思決定プロセスはどうなっているかをみます。
私個人としては構造改革特区が特段優れた制度だと思っているわけではないのですが、いちおう構造改革特区の制度の概要を考えますと、これは小泉政権時代に導入されたもので、ヒントは中国の経済特区ということですが、沿革はまぁどうでもいいでしょう。
構造改革特区では、まず地方自治体が、民間実施主体などと連携するなりして、構造改革特区計画を策定し、それを内閣総理大臣が認定する、というプロセスですが、構造改革特別区域法の第4条において、関係省庁の長の同意が必要とされています。つまり総理1人の意志では決められず、関係省庁の長、つまり大臣が同意しなくてはなりません。また同意しない場合には、その理由を回答することになっています。加計学園の提案が当初Cだったことに対する文科省の意見は以下のようなものです。獣医師の要請は、国全体での需給をもって考えるべきであること、さらに、地域偏在に対して、獣医学部の有無があまり関係していないこと(獣医学部があれば産業獣医師不足になっていないかというとそうではない)、四国の獣医師への意識調査で、四国で教育を受けても四国に定着しないと思う、という意見が最多であること、他の県では、産業獣医師、公務員獣医師の待遇改善などで、受験者の増加や早期退職の減少がみられたことなどから、現状で行える対策をまずとってみては、という指摘です。この最後のところが基本線だと思うんですが、なぜ産業獣医師の不足に対して、待遇改善という話にならないのかはなはだ不思議です。駒崎さんが保育氏の待遇改善を求めているのは承知しているのでだまってましたが、保育士だっていっしょで有資格者の多くが働いてないみたいな現状があるときに、はたして試験回数を増やす、という対策がどの程度有効なんだい?とは思わざるを得ないのですが。話がそれました。
それから文科省の回答が民主党政権時代の平成22年にCからFに変わりました。この理由は、一義的には口蹄疫の流行があったからです。口蹄疫の流行を受けて、平成22年6月18日に「新成長戦略」が閣議決定されていますが、その中で、感染症対策に取り組むライフサイエンス分野の充実がうたわれているため、「提案内容を満たす措置を検討」する、ということになっているのです。これが菅官房長官が前政権で閣議決定された、といったことです。このFになったあと、今治市側から、「獣医師の育成という文言は新成長戦略には出てこないけど、具体的にはどういう内容なのか」と再度聞いているように、別に獣医学部の新設が閣議決定されたわけではありません。
なぜ野党議員が利害関係者とされているのかがわかりませんが、彼らが獣医師会らの献金+要請によって獣医学部の新設に反対したり、あるいは地元からの要請によって、新設に賛成したり、それは当然いろいろあるでしょう。利害関係者の代弁者という側面は国会議員にはあります。利益相反の申請が必要とされる事例でも明らかなように、利害関係者は一切関わるな、ということではなく、利害関係にある人だということを明らかにしておくことで、説明を求めることになるというものです。福島のぶゆき議員が言っていましたが、逆差別があったとすれば、それも当然問題です。ですから意思決定の過程がわかる資料を早急に法令にのっとって公開していただければと、考えているところです。
ちなみに玉木議員が日本獣医師政治連盟から100万円の寄付を受けていた、ということですが、それで玉木議員は、獣医学部の新設に対して、影響力を行使できる立場だったのでしょうか。また高井議員も同様ですが、彼は獣医学部の新設の推進ができる立場だったのでしょうか。とうぜん、野党の一議員に過ぎない彼らもまったくの無力ではないでしょうが、日本獣医師政治連盟から50万円の献金を受けている獣医師問題議員連盟の鬼木誠議員、30万円の献金を受けている下村博文当時の文部科学大臣、100万円の献金を受けている林芳正当時の農林水産大臣、50万円+18万円の派閥のパーティ券とセミナー参加料を買ってもらってる麻生太郎財務大臣らと比べてどれだけの影響力があったのでしょうね、という不毛な話になるので、およしになったほうがよろしいかと。要は誰がどのように、空白地域縛りや平成30年4月開校縛りをいれてきたのか、という経過がわかる資料を、ちゃんと提出していただければ、野党は即座にだまりますよ。
追記
小池晃議員の質疑よかったですね。文科省の意見に対応した、原案の段階では、やはり「空白地に限る」文言はなかったんですね。真偽不明のものには答えない、としか言えない状態でしたが、誰がこの文言を入れることを決めたのか、大事な問題で、違法性の話じゃないらしいので、どうぞ正々堂々と是非是非本物の方を提出していただければ、疑いが晴れるのではないでしょうか。だいたい今日の読売で前次官とされる告発者も腹が決まってるだろうし、名前を出して公開してくるんじゃないですかね。
とか書くとその手の人がボロックソに叩きに来るだろうなぁと思いつつ。
ぜひそういう方も最後まで読んでほしい。……多分無理だろうなぁ。
平等という考え方には大きく2種類あると思っていて、「スタートラインの平等」と「ゴールラインの平等」の二つがそれだと思う。
スタートラインの平等というのは機会均等の考え方で(どちらかというと欧米的な思想)、ゴールラインの平等というのは結果平等の考え方。
日本で「平等」というとどちらかというと後者の結果平等を指すことが多くて、そのうえで男女平等を考えるとおかしなことになる。
どういうことかというと、「女性だから」という理由で何らかのアクションをする機会すら奪うのはよくない、男性と同じようにチャンスくらいはくれ、という考え方である。
具体的な例でいえば、「女性だから」という理由で高等教育機関への入学を断られるとか、選挙権が制限されるといったようなことだ。
これはおそらくほぼすべての資本主義国家においてはクリアされている……と思われる(ちゃんと調べてないので確定的なことは言えない)
しかし、ここで日本的な「結果平等」で男女平等を考えるとおかしなことになる。
(そもそも「結果平等」がなんで日本的な平等観なのかという説明はここでは省略する)
男性と女性にはそもそもの生物学的な「性差」が存在して、それを乗り越えるのは一般的には不可能である。すごくざっくばらんに言うのであれば、男性は子を成せないし、母乳は出ない。
逆に女性は男性のような強靭な肉体は特別なトレーニングを行わない限り基本的に得られない。
さらにえぐい話をするのであれば、本能的に男性は女性の身体で興奮するようにできており、そうでないと子孫はつないでいけない。もちろん人間には「理性」というものがあるので時と場所を選ぶことができ、そして時と場所を選ぶ必要がある。他の生物を見ても、基本的に雄が雌に求愛行為をする生物が多いだろう。そういうことである。
つまり、平等という秤に乗せる二つのものがもともとそれぞれ欠けたものがあって、結果平等にしようとするとどちらかに引いてもらうしかないのだ。
例えば、男性は子を成せないし、子供を産んだ後の育児に女性は不可欠であるから、必然的に出産から育児の過程では女性の方がそちらにリソースを割くことになるだろう。
この時、「男女平等!男性も育児をしろ!」となるとどうなるかというと働く人がいなくなる。二人で子育てをしようとしたところで男から母乳が出るわけではない。
そういう意味では「男は仕事、女は家庭」というのは、なるほど、生物の仕組みに沿った考え方だと思う。
もちろん、これを基にして「だから女が仕事をするとは何事だ」という文脈にとるのは間違っている。女性だって仕事をしたって良い。そういう機会は与えられるべきだ。
そもそも、女性にも結婚をせず自分ひとりで生きて、そのために仕事をする、という選択肢は保証されるべきで、そういう意味では先ほどのフレーズは女性を縛る悪魔の言葉であるというのも理解はする。
さて、機会平等と結果平等について簡単にお話をしたが、どうも日本において各所で見られる「女性の権利」を謳う方々の意見は結果平等の方の男女平等を求めているように見える。
だがそれは無理だ。そもそも形の違うものを平等にするためには、ハンデを持っている方に合わせる必要があり、それは機会平等を奪う。
つまり、機会平等の観点からみると逆差別が発生するだけなのである。実際にそういったことが現在進行形で進められ、さぞかしそれが正しいことのように進んでいる。
しかし、ちょっと待ってほしい。それは結果としてまた別のひずみを生むだけなのである。
タイトルで私は「男女同権・男女平等は日本には無理」と述べたが、日本でもちゃんと「機会平等」という考えが浸透し、結果平等と違うんだということが分かってもらえれば可能性があるだろう。
しかしながら、声の大きい方々の多くは結果平等しか見えてない気がしてならない。もしくは機会平等と結果平等を意図的もしくは理解せずに混同している。
そういった現状で、「機会平等としての」男女平等や男女同権が実現されるのは、日本においてははるか未来になるだろう。
……それこそ、日本において「機会平等」という意味での男女平等が戦後になるまでまともに行われなかったように。
そんなことを、いろいろなニュースや、話を聞きながら思うのであった。
今朝は一応、竹下国対の「遠慮」というよくわからん奴で、国会が流れてます。半日ということなので、午後は職権ででもやるつもりかな。法務は止めるべきだと思うよ。鈴木委員長の不信任動議はやっとかないと、示しがつかんよ。で、みるもんがないので、あまり盛り上がっていない加計学園の疑惑についての追及の現況について復習。ちゃんと野党は追及してるよ。報道はされてないけど。これは、昭恵夫人も、財務省も介さないで、ダイレクト安倍さんの疑惑なので、報道の萎縮もその分強いんだろうね。バカじゃないのと思うけど。お前らが萎縮してる限り、お前らのその状況は覆らんぞ。
※大手メディアは看板掛かってるから証拠がないとかけないってのはそりゃそうだけど、この件、森友の件にはそんなのいらんですよ。現在進行形で、国会で、堂々と、「資料は出さない、答弁はしない」ってぬかしてんだからそこを批判しないメディアに何の価値があるの?このなめきった態度を報道してるメディアはあるんです?
これらは、森ゆうこ、桜井充、宮崎岳志、木内孝胤議員らの質疑からまとめたものです。時系列は森議員提出の資料を参考にしてます。
http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2017/04/425-ce1b.html
H19年からH 26年11月までずっと今治、愛媛の提案は却下され続けています。その数15回。議事録を見ても、農水は獣医は充足している、文科も新設の予定はない、の一点張りですよ。H27年6月に国家戦略特区提案をして、提案者ヒアリング、関係省庁ヒアリングが行われています。その際、文科省は、「もし新しい獣医師需要があるのなら特定地域の問題ではなく、全国的見地から検討する」と答えています。そしてH27年6月末に日本再興戦略2015の改訂版が閣議決定されて、獣医師養成系大学・学部の新設を検討することにされます。
山本幸三担当大臣の前の石破茂議員だった頃は、中国四国出身の民進議員(高井たかし議員)から、四国に獣医学部ができると聞いたが、本当か、できるならぜひやってほしい、みたいな質疑(対象が加計学園一校に限ってであることはこのときは決まってないしそれが総理の”腹心の友”であることなんてしらんだろうしね。)があって、石破大臣は、「閣議で獣医に新しいニーズがあるとは言われたから、それは大事だが、医者と一緒で、獣医のライセンスを増やしても、地域の偏在、産業獣医のなり手不足は解決しないし、誰も彼も賛成するわけではないから慎重に考える」(H28年4月28日地方創生特別委員会)というように、慎重だったんです。
H28年3月24日に、提案、提案者ヒアリングの開催は半年後のH28年10月17日。京都産業大学には大槻公一教授という、鳥インフルエンザ研究の専門家がいて、鳥インフルエンザ研究センターをすでに作っています。設立を目指すのも、実験動物専門医や創薬に携わる獣医ということで、既存の獣医との差別化という意味でも、産業獣医の不足という意味でも、日本再興戦略2015の要請には合致しているといえます。この時点では、まだ「空白地域に限る」という指定もありません。京大や京都府大などと連携して、有識者会議も発足しており、近畿圏の知事からも連名で文部科学省への設置審議の要請をしています、場所も綾部市の府の機関の隣接地と決定しています。また私学のNatureのライフサイエンス論文掲載数でも1位と研究のレベルも高い。またバイオハザードレベルP3の実験室を京都市内ですでに作っている。またワーキンググループでも座長や委員からも高い評価を得ています。しかし議事録によると、こういった状況の大学が、H28年10月17日時点で、設置審にかけて欲しいといくら要望しても、農水も文科も「する必要はない」と事前協議にも応じてくれないといっています。それどころか、関係省庁ヒアリングは開催さえしていない。この議事録が公開されたのはすべて決定された後のH29年3月。
H27年6月4日に提案、翌日6月5日提案者ヒアリング、6日に関係省庁ヒアリングです。まず何だこの違い。さらに提案者ヒアリングの議事録は非公開。
翌年、京産大の提案に焦ったのか、ロビー活動を活発にしています。まず、文科省から天下っている木曽功、内閣参与ですが、加計学園理事の彼を千葉科学大学の学長に(餌ですかね)。また豊田三郎文教協会専務理事(文科省天下りの差配をしてた組織ね)をH28年5月に加計学園理事に加えています。
そして、H28年8月23日、山本有二農水大臣に、豊田三郎氏と加計学園の理事長の加計孝太郎氏が面会(あいさつだそうで)、9月6日、松野博一文科相に同じ二人が面会(これまた挨拶だそうで)、9月7日、山本幸三行革大臣に、加計孝太郎氏とその息子が特区に関する陳情(豊田三郎氏とは面識がないそうで)です。はい、このロビイングがされている段階で、京産大は、農水、文科省の幹部に5知事連盟で要請している事前協議もさせてもらってないですよ。またヒアリングもまだです。
9月?日、木曽功参与が、内閣府の特区担当の審議官を参与室に呼び出し、30分程度特区制度”一般”について説明。特区に申請している組織の幹部を兼務する内閣参与に、特区担当が説明に参上するというのはこれは利益相反事項ですよー。でも「民間でどのような役職を兼務しているかについてはまったく承知していない」そうです。あとこの人、ユネスコ関連業務の参与ですよ。例の明治の世界遺産登録で活躍した人。特区制度のご説明求められて、ほんとにユネスコ担当参与が特区説明してって言ったら、何の疑問も持たずに説明するんですねーすごいねー(棒)。はい、面談記録がないからいつ説明したかもわからないそうです。またいつものやつね。説明資料出せと森ゆうこ議員が要求しています。
10月24日、山本幸三大臣が安倍総理と面会(加計学園の話はしてないそうですが。)、
翌日10月25日に今治市が、高等教育機関の候補用地のボーリング調査の検討(31日に承認)。この時点では、公式にはなんのアクションも起こってないですよ。おかしいなーこの構図森友でも見たぞ。
11月28日、今治市が加計学園による建築確認、消防計画に関する事前協議。おかしいなーまだ何にも決まってないはずなんだがなー。
H28年10月28日-11月2日、内閣府内で11月9日の文案が定まる。この間、どのように、誰が作成したのかについて森ゆうこ議員が問い合わせると、「個別の政策の集約の経過については答弁を差し控える」(松本洋平副大臣)ということで、森ゆう子激おこ。ほんとにどこまでもなめてやがんな。公文書管理法の第4条読め、遵守しろ。
11月9日 国家戦略特区諮問会議、突如として、広域的な空白地のみに限って、という文言が登場し、事実上京産大は退場。大阪府大に獣医学部があるので。この間、誰が、いつ安倍総理に意思決定のための説明をしたのかと質問したら。「しかるべきときにしかるべき内容を」(松本副大臣)と答弁。あほか。またこの会議では八代尚宏や竹中平蔵らが委員をしているけど、まぁこの獣医の議論はすっからかん。八代尚宏は、国際医療福祉大学みたいに、特別な学校なんだとすれば、特区にできるみたいなアドバイスはしてるけどね。あえていえば。
11月18-12月17日 パブリックコメント、8割が否定的意見
12月8日、日本獣医師会が設置そのものに反対だが、するなら1校に限ってほしいという要請
12月22日、国家戦略特区としての獣医学部の設置を決定したとされる(ただし、3月までは、そのような事実はないと答弁していた)。この合意文書が本当に12月22日に決定されたというのなら、サーバー記録、ファイルプロパティを見せろと迫ると、「公文書偽造に問われるから、公務員はそんなことしないから見せる必要がない」(松本副大臣)。こいつほんまにあほか。
こんだけつらつらと書いといてあれだけど、こういうあからさまなことが、ささいなとこを除けば、合法的に行われているっていうところが、この国家戦略特区制度の恐ろしいとこだとおもうよ。マジで。国家戦略特区諮問会議は安倍総理が意思決定権者だから、最低でも形式的な責任者ですよ。加計学園が選ばれたっていうことそのものは、まぁ逆差別があったらだめだって福島のぶゆき議員が言ってたけど、そのとおりだけど、じゃあ最低限、議論の透明性は確保すべきだろうってところを徹底的に出さない、下手したら公文書偽造までやってるかもしれないっていう事態はほんとに終わってると思いますぜ。
いやいや、ベーシックインカムでググりゃ出てくるよ。ググった最初のページにはだいたい載ってる。
>新自由主義論者からの積極的意図には、ベーシック・インカムを導入するかわりに、現行制度における行政担当者による恣意的運用に負託する要素が大きい生活保護・最低賃金・社会保障制度などに含まれる不公正や逆差別といった問題を解消し、問題の多い個別対処的福祉政策や労働法制を「廃止」しようという考えが含まれる。
>現在の日本の社会保障は、病気、怪我、貧困など様々な状況によって細かく給付金を設定しており、それらを判断・調査するために多大なコストが必要になっているが、ベーシック・インカムによって一括して給付するならば、これらのコストをコンパクトにする事が可能である。
で、政府が検討した件については、その次の日の大体メジャー紙には全部載ってたから(で、そういう古い新聞記事はネットには残らない)、まぁ当時新聞読んでなかったんだなお前としか言えない。
というか上記ページも読んでないぐらいだもんな。
就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男性に逆差別を行使しているのである。女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないからである。
実際、日本の女性が受けている死ぬよりも辛い拷問のような生活を思えば仕方ないのないこと。
男が本当に男尊女卑について反省してるなら、女性が人類誕生から受けてきた差別の贖罪を男はするべきだよね。
中国と韓国で大虐殺を働いたことですらちゃんと謝ることができないネトウヨ日本人には無理だろうけど、そうじゃないはてな民ならできると信じてるよ。
美瑛の青い池では、日本語で「石を投げるな」と書いてあるだけなのに、外国語では長々と書いてある。そこでは英語もあったので「確かに気持ちが高ぶるのも分かるが云々」書いてあった。もしかしたら中国語では違う文章が書いているのかもしれない。
これは明かな「差別」だ。
もしそこで全く同じ内容をそれぞれの言語に直訳しただけだったら担当者は無能かつ怠惰だよ
伝わってるよ、お前の中でのイギリスと日本と中国との間に設定されたなんとも言えない変てこなランキングがな
中国の人々はこれをみてどう思うのだろうか、ワクワクしていった旭山動物園で中国語だけかかれた看板をもった係員を見てどう思うのか考えたことがあるのだろうか?
ちなみに売り込み広告も中国語だけのとことかいくらでもあるわなー
日本では、注意書きに従う文化があるため、注意書きを強調しようと思うけれども、中国の人は日本人より遙かに合理的な文化であるため、
注意書きの内容が不合理と感じたら従わない。
なんだこりゃ
このわけわからんカテゴライズとステレオタイプに上下付けこそ差別だろ
お前もし「中国人は日本人より遥かに非合理的」だったら差別だ差別だ大騒ぎするだろ?なんで逆を自分に許せるの?
なんでかはわかってる
お前は誰よりも国籍の差を意識しすぎて中国人を下に見てるからだよ
人格も頭も悪い人間がやる「反差別」は平等や冷静に物を見ることではなく
どうでもいいけど注意書きを勝手に自分の知識や認識だけでその場で「無意味だ」と決め付けて無視する行動は合理的とは言わん
「注意喚起を促す」なんていう日本語書く時点で国語の成績も悪くて論理的な思考も苦手なんだろうし
言ってやってもムダなんだろうけどね
昨日、とある女児アニメの界隈で話題になった記事。わかる人だけ「ああ、あの話ね」と思ってくれればいい。
くだんの記事は削除済みだし、本人もこれ以上この件に触れるつもりはないらしいので、読んでいて収まりがつかなかった部分を吐き出させてほしい。(本人に直接、何らかの連絡手段を用いて意見する気がなかった以上、特にマウントを取る意図がないことだけは最初に述べておきたい。)
細部に多少首を傾げるところはあれど、そこは本人に飛んだリプライで触れられていることだし、今更どうこう言うつもりもない。
あの記事で述べられた大意に関しては、おおむね賛同できる。セクシャルマイノリティへの、無意識のうちの忌避感を嘆く彼の気持ちはよくわかるし、もっとフラットな社会が形成されれば、それが最善のかたちだとも思う。
けれど、この界隈で常々「逆差別的」言動に生き辛さを感じていた人間がいたことも、わかってほしかった。
くだんの記事でも挙げられたジャンルでの二次創作では、百合が大勢を占めていることもあって、本当に見過ごされてしまいがちではあるんだけど、ヘテロCPに対する批判的言説も存在しているということもまた事実なんだ。
この界隈で生きてきて、「そのキャラクターがアイドルだから、男女恋愛はもってのほか」だとかいうもっともらしい理由で、公式で描かれた関係すら否定するような言葉を、少なくとも両手、両足の指を使っても数えられないくらい聞いた。
そのあとに続く言葉は、決まって「だから、百合は大丈夫」だった。
くだんの記事を書いた彼にも、(たぶん皮肉の意図で用いていたのだろうけれど)同性愛を肯定するあまりのそういった言動は目立ったし、それで傷付いていた人間がいたことも知ってほしかったし、それについては完全に見過ごされていたと、そう感じた。
誤解のないように言っておくと、自分はくだんのジャンルでは、異性間のカップリングと、同性間のカップリングのどちらも好んで読んでいる。だからこそ、「フラットな社会」を願う彼の思想が、同時に逆差別的な言動を生み出していたこともすごく残念に思う。
少なくとも創作の世界では、「ひとがひとを好きになること」ってもっと単純なことでいいと思うし、そこに境界を設けていがみあってるのを見るのにも、そんな言葉を浴びるのにも疲れた。
愚痴っぽくなってしまったけれど、平和に生きたい。平和に楽しく公式からの供給を得て、二次創作を読んで暮らすことができればそれでいい。