今回の解雇のやり方に疑問を持ったからといって、私が女性を差別してよいと考えているわけでは全くない(でもここが結構誤解される)。
今回、例えばハフィントンポストは「Google、女性差別発言の社員を解雇『一線を越えた』」という見出しをつけ、本文で「エンジニアや管理職に女性が少ないのは差別ではない」と書いた。
これだけを読むと、私も呆れて終わったかもしれない。 https://goo.gl/eytiDq
実際の文書には「なぜGoogle社内の管理職の50%、技術者の50%が女性でないのかについて、男性と女性の形質の差が、部分的に説明になるかもしれない」と書かれていたように思う(英語が苦手なので翻訳ミスの可能性もある。原文を見てほしい)。https://goo.gl/tseyx8
英語を解す女性がこの文書を読んでどれくらい侮辱や怒りを感じるのかは正直、分からない。
ただ、認識が違っていたとしても即時解雇に値するのか、議論や再教育の余地はないのか、Googleには考えてほしかった。
そして、文書の後半には経営陣への要求が並んでいる。たとえば「特定の性別や人種に限った社内プログラムやクラスは不公平だ」といったもの。
これらについて、Googleの経営陣は解雇の前にまず説明をすべきではなかったかと思う。
解雇されたダモア氏の主張は、男女の結果の平等だけを優先するのは逆差別であり偏向だ、ということだと理解した。
この手の主張は、過去、女性解放運動の中で差別を肯定する文脈で使われていたのかもしれない。現代の政治家の発言であれば物議を醸すだろう。
しかしGoogleは「政治観を含めて、異なる見解を持つ個人が、安心して意見を述べ合うことができる文化」があるオープンな環境は、Googleの個性のコアだと言っている。
だからダモア氏は安心して(匿名で)発言したのではないか。 https://goo.gl/1Jp27S
解雇されたダモア氏が生物的な差異を持ち出したことには私は賛成も反対もできない(理解を超えている)し、一般の女性社員も見る社内メーリングリストに流すやり方には首を傾げる。
男性側からの「逆差別」との異議申し立てを「ジェンダーに関する誤った仮定を喧伝する」ものだとして取り合わず、解雇するというのは反対だ。
Googleは「その対話は、当社の社則やポリシー、さらには反差別法に明記されている雇用機会平等の原則の文脈において行われる必要があります」とも言っている。