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はてなキーワード: 親の期待とは

2018-05-28

anond:20180528015552

老人ホームに入れるタイミングがわからない。

今では最初から老人ホームに入れておけば良かったと思うが、自分で出来る、自分がやらなければ、兄弟で助け合えばできるだろう。そう思ってしまったんだよな。

実際は兄弟の助けなんてほとんどなかったけど。

これは親の期待通りの職につけなかった自分への罪なのだろうか。ならば最後まで看るべきなんじゃないか。なんて思ったりもする。そんなわけないのにね。

老人ホームでの悲惨ニュースを聞いたりすると、なかなか踏み切れないんだよな。

2018-05-16

親の前で自殺未遂した話

親の前でマンションベランダから飛び降りようとした。

軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。

三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂未遂くらいで終わってしまった。

希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズ新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。

リストカットしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。

高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラ中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日明日ハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。

正直17歳くらいで自分死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。

大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。

それも居酒屋ホテルバイト疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。

まりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。

その後いろいろあって至る現在就職活動ストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。

ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。

親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。

自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。

飛び出すように家を出て、半日考えた。

私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。

親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。

事実借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値から目をそらしたかった。

でも逃げさせてくれなかった。大学自主休講したこと就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。

私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。

カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。

これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。

無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。

葬式に来て欲しい人のリストアップをする。遺書を書く。

それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。

1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。

簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。

考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。

せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。

お父さんお母さん、お金時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。

ももうすこしで、マイナス100をプラスにはできないけど、マイナス50くらいにはできるように頑張ってバイトするからね。

私の生涯最後一年くらい、苦労や心配をかけないで済むように、私頑張るから

2018-05-04

ソープ童貞を捨てた話

ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。

そこで「童貞」を捨ててきた。つまり相手の膣に自分ペニスをいれた。

僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。

というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。

はじめてのソープについて

近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。

値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。

起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。

はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気カラオケボックスに似ている?かも。

待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩うつっていた。水着姿の女性写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶おしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。

それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。

部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。

ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。

もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。

突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。

ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧サービスでした。パイズリもキスフェラセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。

特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いか射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである

嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。

あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?

ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分もついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。

はいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん

途中で、初めて売り専仕事をしたときに途中で萎えしまたことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。

はいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。

名刺はもらわなかったが、楽しかたことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから本質的には異性愛男性リラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。

…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。

はじめての恋愛について

僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生ときだった。

同い年の女性告白された。

その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ論理哲学論考中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。

そのあとデートに誘われた。街角喫茶店お茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。

しばらくして、その人からメールが来た。大事要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。

その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときSTAP細胞真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつう大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。

典型的非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。

そのあとふたり散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。

後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。

僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師ディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。

上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。

その一方で、僕もネット女性エロ画像動画を何時間検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。

その日から上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。

結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。

しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。

結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。

…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日メールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。

バンクロフトgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかたことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。

つづきます

2018-04-09

まじで大学院生やっていくの大丈夫か俺

これはB4の秋のときから今のM1ときまでずっとなんですけど、実験が思うように行かなかったのとか、いろいろあって精神的にちょっときつい感じが続いてるんですね。

そもそも自分研究というものに向いてない気が秋の時点でうっすらしてたんですけど、もう周りの人間そして親の期待によってほとんど何も考えずに院試を受けるわけです。そして受かる。他のところではどうだかわからないですけどうちの内部進学の場合院試の時点で研究室を決めるので、そういえば院試の時点ではこの研究室でもっとやっていきたいと思ってましたよ、B4の夏の時点でその後2年半ずっと同じところにいることが決まっちゃうわけです。

院試受かったーの時点でもう大学院行くしかないじゃないですかもっというと大学院進学■割の学科自分研究に向いてないということを院試の時期というか就活開始の時期以前に気づいてなかったら終了じゃないですか。

自分で言うのもなんですけど具体的な短期目標を達成するのは比較的得意で(だから入試とか資格とかホイホイとパスしてしまう)、つまり研究とはその逆ですからそりゃあ苦手ですよね。これを自覚するのが本当に本当に遅かった。

はいえ何も対策してないわけではなくて、増田で(登場人物みんなハッピーな、だれも傷つかない優しい)嘘松書いて沢山ブクマ頂いて承認欲求満たしたり、運動したり(瞑・菜はぼちぼち)、太陽の光浴びたりはしてます。 優しい嘘松本当に良くて、ブコメは優しい気持ちで溢れてるし、優しい話を読むことで自分自身優しい気持ちになれます

はいえこういうことやって心が落ち着くのも一時的ものですけどね。研究室に入るたびにすべてがリセットされて苦しくなる。これは周りに指摘されるまで気づかなかったのですが、最近本当に呼吸が苦しいかのように息が荒いらしいです。

今の所どうにか突然涙流したりとかそういうところまでは行ってないです(鬱になると突然涙が出てくるらしいですね(ネット医療情報を信用するな)。)。研究室以外の場所、自宅やバイト先やカウンセリング先生の前では全く普通の人でいられるので本当に研究室さえどうにかなればどうにかなるんですけど、どうにもならないですね。あと2年どうやっていこうかな。

2018-03-20

就活始まったばかりの大学生ですが

長所がなんにもありません。真面目に考えてみたけど短所しかない。情けなさすぎて早速死にたくなってきました。

思い返せば私は子供の頃から他の人に比べて突出したものとか、特別な才能やセンスとか、そういうものがなんにもない子だったからせめていかなる時も真面目に誠実に取り組むこと、一生懸命努力する事を大切にしてきました。

でも、それって誰にでも出来ることなんですよね。努力なんてみんなが出来てあたりまえのことじゃないですか。最近その事に気付いてしまって、というかこんな簡単なことに今まで気づけなかったという方が正しいですよね、本当に今更になって自分馬鹿だったなって思うんです。努力家で真面目で偉いねえって言われることを、褒められてると勘違いして満足してたけど、それってほかに私にすごいところがないから頑張ってて偉いって無理やり肯定してくれてただけだったかもしれないのに。

その代わり大学生活の中で頑張ったことといえば資格取得、これは本当に努力したって自信持って言えるぐらい勉強頑張りました。もちろんひとつといわずいろいろ挑戦しました。漢検英検TOEIC日商簿記FEAP…正直、これだけ頑張ったんだから絶対評価して貰えるって思ってました。甘えてました。けど、それだって他人と比べて恥ずかしくない?って考えたら微妙だなって気付いてしまいました。別にすごくも何ともない、普通のことを必死に私頑張りました!ってアピールしてるだけなんじゃないかって思うとわざわざ書けるほど偉いことじゃないかも知れない…ってなるんです。

だいいち、本当はわかってるんですよ、結局人間としての価値で負けている私みたいな奴はきっと資格頑張ろうが何をどうしようがダメなんですよね。たぶん私は資格を取ることでみんなと同じレベルに立ててる、周りと比べて劣ってないって思い込みたかっただけなんだと思います。アホですよね。

というか就活っていざ始まってみるとこんなに自分が嫌いになるんですね。初めて知りました。

このままいくときっと親の期待にも応えられないし、それ以前に奨学金も返さないといけないか卒業までに就職先みつけないと借金地獄絶望しかない状態になるのは予想できてるんですけど、本当どうなるんでしょうかね。就活失敗したら人生終わるって親や周りからずっと言われてて、絶対にそうならないようにしなきゃいけないというのに既にこのざまですからね。いい加減自分ゴミみたいな人間過ぎて何もかも嫌になってきました。クズですよね。本当死んだほうがいいかもしれない。

周りからはこれから自信持っていかないとだめだよって指摘されてしまいましたけど、でも仕方ないじゃないですか。私には本当に長所がなにもないって思い知ったところなのにこれ以上何をどう自信を持てと?って話ですから

2018-01-30

俺は、EXILEを許さない俺を許せない

弟の話をしようか


すみません調子ノリました。させてください弟の話。もうほんとまじで頼むから

増田、この前は聞いてくれてありがとう存在してくれてほんまありがとう増田。圧倒的感謝だよ。増田以外に頼れるやつがいないんだよ俺みたいなのには。

これはあれ、EXILE TAKAHIROをねえちゃんと呼ぶ弟がいる俺のあれです。真偽をどうこういいたい気持ちはわかるし何て言われても構わないって言うか正直圧倒的多数がこれを嘘だと言えば俺のこの目の前の現実も嘘になるんじゃないかと思うので嘘説を支持して。お願い。俺の分まで嘘だと言って。

anone。

結論我が家がとうとう破局をむかえました。みたいな、なんか今そんな感じの地獄にいる。

ここが地獄刮目して見ろ。見てくださいお願いしま

事の発端をどこに求めればいいのかはわからないが、まあ恐らくは弟がファンミに行けてしまった(2回くらいは行ってた、たぶん)ことが大きいのではないかと俺は思います

1回目のファンミ参加の後、弟は2年は付き合ってた彼女と別れた。たぶんこの前のにも書いた気がするけど。

理由はもちろんあれです。

お姉ちゃんのことが好きだから

彼女のことももちろん好きだけど、彼女お姉ちゃんを天秤にかけたときお姉ちゃんをとってしまうから、とかそんな感じの理由だったと思う。真面目かよ。後、なんかこれはちょっとプライベートな話だけどあれが機能不全になった、かもしれないとかで、そういうのも含めて別れた。と別れた後に聞かされた。いわゆる事後報告って奴。

そのときの俺の気持ち想像してみてほしい。正直夢だと思ったよ。だってこっちは今まで結婚視野にいれてる相手だって聞かされて会わされてきたわけで。弟が向こうに挨拶に行ったのかは知らないけど、うちには挨拶にって彼女を連れてきたりしてたわけで。なのに別れるってあい正気じゃないんじゃないかな。ぐらいは普通に思った。

しか彼女さんと2、3回くらいしか会ったことはない俺からすると、めっちゃうまくいってる感じしてたし。

お互いのことなんか好きなんだなぁってオーラが出てて、俺は、リア充乙!とか思いながらやけにしょっぱい彼女手土産ケーキ食べたりしてたんだよ。どこのケーキ屋のケーキか聞いときゃよかった。あのチョコケーキもう二度と食えないんだろうな。

でもまあ、当人である弟が別れたくて別れた以上、しかもかなりさっぱりした顔をしてたから俺としてはあんまり色々言えもせず、でそのときは終わって。終わっちゃいけなかったんだけど、終わって。

問題はここからだった。

その彼女がうちの母親に泣きついたのだ。

なんと弟は別れ話をするとき、別れよう。くらいしか言わなかった、らしい。

それで納得できるか、っていったら彼女さんは無理だった。まあ普通に考えると大学で2年以上付き合ってうまくいってて家族の紹介までされてた彼氏にある日いきなり別れようって、しかもなんの説明もなしに言われても納得できないよね人間だもの。俺も無理だと思う。彼女できたことないけど。

それで、彼女さんと仲がよかったらしいうちの母親は怒り狂って弟につめよって、なんとか復縁させようとした。うちは男兄弟から母親的にはなんか彼女さんははやくも娘も同然、って気分だったらしい。理想の息子理想娘。最高の気分だったんだろうな。

それで一月くらい諦めず毎日だってネチネチネチネチしつこく言った母親にさすがの温厚で優しい弟もブチ切れた。

俺だったらそんなことされた日には仕事以外引きこもってでも逃げまわる。なのに、弟はいい奴だからゴミ捨てとか家事とか色々してたこともあって母親と顔を突き合わせること多かったし、1ヶ月は正直めっちゃ耐えたなって感じだ。

ブチ切れた弟は、なんか、もう、すごかったらしい。筆舌に尽くしがたいとはこの事だと思う。

うちの両親は体面大好き人間から高校は有名進学校!で大学も国公立会社は一流大手!!みたいな、それいつの時代人間だよみたいな価値観の人たちでまあ俺はものの見事に失敗したんだけど、弟はその期待に見事応えてきてて、だけど鬱憤はやっぱり溜まってたらしい。当たり前か。

就職したら家を出ること、結婚する気はもう一生ないから孫は諦めてほしいということ、だから彼女とよりを戻すつもりもないし、そのことで親子の縁を切ってくれても別に構わない俺には姉ちゃんがいるから。

だいたいこれぐらいを母親にぶちまけたという弟は、次の日には家からいなくなってた。荷物も、あいほとんど持ち出してた。元から綺麗好きだったし荷物まとめてても正直誰も気づかないから、計画的反抗だったのかもしれない。

弟がどこに行ったのか俺は知らない。というかわからない。弟の交遊関係に詳しくない俺にはちょっと難しすぎます

俺はちょうどそのとき仕事デスマーチなうだったこともあってこの現場には居合わせられなかった。いたのは父親母親と弟だけだ。だから俺は弟とまともにお話しできてない。顔も合わせられなかった。

それに、後から父親に聞いて事の次第をやっと知ったので正直今でも現実味あんまりない。LINEは、してたんだけど、俺経由で母親が連絡してきそうで嫌だから、と断りを入れられた上で今はブロックされてるから、連絡もろくに取れずにいる。たぶん元気にしてるんじゃないかとは思うんだけど、思うだけだ。

母親はなんとか弟と連絡を取ろうとしていて、だからまあ俺のLINEブロックした弟はめっちゃしかったわけなんだけど、でも連絡がとれないからか八つ当たりがすごい。家にいるのは期待外れの俺だし。父親はそんな母親放置することで弟のことからも目を反らしてるし。家にもあんまり帰ってこないし。俺はというと明日仕事だし、明後日仕事

弟一人いなくなっただけでうちはぐちゃぐちゃになった。惨状がと参上って感じで目も当てらんない。

でもそれって当たり前のことなんだなって思う。弟は、すごかった。すごい奴だった。弟がいたから、今までうちは表面上は何の問題もないような顔してやってこれてた。だけどそれで、俺は弟にどれだけの負担をかけてたんだろう。

から兄的な呼び方で呼ばれたことがあんまりなくて、だからまあ正直言うと、だからお姉ちゃんって呼び方ででも弟に言ってもらえるTAKAHIRO嫉妬してあんもの書いて、でも、弟が俺のこと兄として見てなくても普通ことなんだよなそれってって、ようやく思えるようになった。遅いか。遅すぎか。今思えば今まで弟のこと庇ったり助けてやったりできた覚えがないし、むしろいつも俺の方が助けてもらってきたし。

からEXILEを許さない、なんてあのときはああ言ったけど俺は俺が、自分のことが一番許せない。

しろこれさあTAKAHIROさんには感謝しなきゃなんだよな。

俺は長男なのにこれまで何にもうまくやれなくて頭も悪くて親が言うように進学することも就職することもできなくて、なのに弟は親の期待っていう重たいものに俺の分までずっと耐えて応えてきてくれて、その辛さとか苦しさとかを癒してくれたのがきっとTAKAHIROさんだったんだろうな。だから俺は弟のお兄ちゃんになれなかったしTAKAHIROさんはあいつのお姉ちゃんになれる。羨ましいよ俺は。お姉ちゃんでもいいからなんか弟のためにしてやれる人間になりたかった。まあいっつも口だけ野郎からこんなことになってるんですけど。

なので、なのでまあ俺がちゃんと弟が頼れたり甘えたりできるような人間だったら、弟はこんなにならなかったんじゃないか、とかなんとか思うわけなんですよ。今となってはもう思うだけですけど。それしかできないじゃん。後の祭じゃん、これもう全部。


これさあ俺どうしたらよかったんだろ。どうしたら正解だったんだろ。

増田はどう思う?

あとさ、来季アニメなんかオススメある?来季じゃなくてもいいや。今季ポプテピ見てんだけど、できれば現実逃避に向いてる奴。母親のブチキレ無視できそうなの。






追伸

弟へ

しかしたらお前が見てくれるんじゃないかちょっとだけラッキーに期待して書くけど、

今までいいお兄ちゃんになれなくてごめん。まあ今度のことくらいは兄貴面させてくれ。親父と母さんのことはこっちでなんとかうまくやるから安心しろそれからLINEはまだブロックしてた方がいいと思う。母さん俺のスマホここ最近ずっと狙ってるから。諦めてほしいよな。

でもまあそのうち、飯行こうな。就職祝いもできてないしさ。

後、ハイローの新しい映画とかあったらそのときはまた一緒見に行きたいなって思ってるよ、俺は。映画感想話してるときのお前、めっちゃ楽しそうだったし。いい映画だったし。

それと、次お前に会うときのためにEXILEを少しは履修しておこうと思います

俺は大丈夫。なんとかなる。

からお前はもう、自由に走れ。琥珀さんみたいに。

インフル風邪にだけはまじで気をつけて。





追記

ハイローは全部一応見ました。俺はロッキーと尊龍さんと琥珀さんとスモーキーが好きです。

2018-01-17

anond:20180116233825

自逆風自慢、というのはたぶん、「謙遜してる」つもりなのかもしれません。

日本では、奥さんの事を、愚妻とまでいったりします。

読んで字のごとく愚かな妻だけれど、これは自分の伴侶=奥さんとなった人を本気で貶めているわけではありません。

婚姻した時点で、夫婦や親子は身内なので、身内は他人に話すとき、下げて話すのが良しとされています

これは年長の方になればなるほど、そういう表現をなさいます

たとえば、社外から電話で、自分上司あてだったとします。その場合は「○○は席を外しております」などと言います

上司でも自社の人間については、役付きも敬称をつけない。それと同じ感覚です。

「外に対して内をへりくだる」と表記されている小町があったのでリンクしますね。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0621/766839.htm

ですので、もう結婚して籍を入れたカップルは、自分パートナーについて、この「身内=へりくだる表現」をします。

お子が生まれたら、どんなに内心天使と思っていても、夜泣きが大変ですよーとか言われたりするでしょう。

出来がいい子供でも、近所の方の前で褒めてくれず、むしろ良くないかのように言われるのは、「身内=へりくだる表現」です。

それはそんな事思ってもいないのですが、過剰な謙遜が、良しとされる不思議因習ではあります

幼少時にそういう表現をされて、自分親の期待に応えていないなどと思うのは、実は違う場合もあります

話を戻しますと、愚痴のように思える言葉も、ただの「身内=へりくだる表現」であり、

まぁ幸せぶりを見せつけるのも上品じゃないので、嫉妬されないようにという気持ちもあるのかもしれないですが、

愚痴に思えるような内容の話も、真に受けないでもいいかもしれません。

本当に愚痴&不満があるなら暗い表情でしょうし、そのあたりは個々の見極めかなぁ。

2017-10-18

anond:20171018195711

残念だが親には子供育児する義務がある。親が義務を負う以上、子も同様に義務を負うべきだという思考だ。

何を言うのも自由だが、君は大学もまともに通学出来なかった。それは本来なら普通に出来る事だ。卒業するまでご両親にどれほどの苦労があったか

君にはそういう想像力が欠けている。そして、自分が上手く行かなかった理由一方的に両親に押し付けてるだけだ。

金銭的に無理なら、出来る範囲独立したら良い。それも出来ずに親の財布を頼るなら、そんな物は負け犬の遠吠えだ。

何か一つでも両親に勝てる事があったか?まともな道に進もうと思った事は?両親の期待裏切り続けた結果が君だよ。

君に対して諦観の念を抱いてるのは君だけじゃない。誰より両親が君に失望している。当たり前だ。大学教育を受けるのにどれだけのお金が掛かると思ってるんだ?

同じ額を他人に費やして中退されたらどう思う?こんなとこで無駄口叩いてないで、ご両親にお金を返済しろよ。甘えるな

2017-09-16

子供の頃から両親に認めてもらえなかった話。

私の最終学歴専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。

弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。

そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである

まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。

なんとか高校普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。

何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビ斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである

ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである

この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人お笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。

楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。

自分勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。

2017-09-09

父親を殴り返した増田

https://anond.hatelabo.jp/20170907000932

に対する的外れブコメの多さに絶望した。

機能不全家庭に育った人間葛藤や苦しみを結局は理解できない人間のほうが多いのだな、と。

コミコの「傷だらけの悪魔」で「常に親の期待に応え続けるために努力することでしかから愛情を得られない長女」の描写が生々しすぎて吐きそうになった。

自分努力も振り返ってみるとそのような努力であった。

うちの父親は、昔会社連続無断欠勤して精神科受診させられ、なにがしかの病名がついたと聞いているが本人がそれを受け入れずなんの治療も受けていない。

数十年前で精神医療がまだまだ未発達な時代なので今とは事情が違うけれども。

会話が成立しない(何を話していても自分の思い描いているストーリーから外れると激高して暴れまわる)人で、暴力もあった。

母は父にひたすら従いご機嫌を取り、そして子ども達をそれに付き合わせる人だった。

家庭内で父の暴挙に対して「それはおかしい」と声を挙げる者がいると、みな保身のために寄ってたかってそいつを叩く。

自然と、父以外の全員が日和見主義になる。

そういう家庭で育った。

おかしいと思ったことにはおかしいと言っていい」と父自身はよくわたしたちに話して聞かせていた。

おそらくそれは世間不条理に対して(彼にとってはさぞ「不条理」の多い世の中だったことだろう)の自身経験から出たことばなのだろうが、それを家庭内で実行しても父は怒り狂い、他の家族も誰も耳を傾けようとしないのだった。

家庭内での人間関係というのはそのまま世界観につながるのだなとつくづくわかるのだが、家庭内不公平感とか理不尽さを日常的に味わっていると、外の世界でも「公平に扱われなかった」「相手の言うことの筋が通っていない」ということに敏感になる。

そういう苦しみから自分を守りたくて、他者自分コントロール下に置いて、自分に対してストレスをかけてくるような行為を事前に阻止しようとするようになる。

そうすると結局、自分も同じことを繰り返しているのだと気づく。

ここ数年は親と距離を置くことで思いだす頻度は減ったが、それでもこういうちょっとしたきっかけで思いだす。

結局今の自分の生きづらさとかただ存在しているだけで感じる罪悪感とか息苦しさとかも、もともとは親子関係に由来するものなんだろうと思うと生きるのしんどいなと思う。

こういう話に対して「まあでも親子なんだし、話せばわかるって」なんていうコメントをつけようものなら、はてなでは嘲笑されるだけだろう。

なのに、冒頭の増田についているあまり的外れブコメの数々は一体何なのだろうか。

無理解レベルとしては同じだと思う。

冒頭の増田は「暴力連鎖する」という事実のものを伝えているのであり、「暴力もケースバイケース」なんて甘っちょろいことを言っているわけではないのだ。

増田に対する「息子から同じことをされるよ」なんていう呪い言葉あんなにスターを集めているなんて、本当に泣きそうになった。

ひどい。

まりにもひどい。

お前ら、何にもわかってない。

何にも。

2017-07-21

親という存在について

俺は一人っ子で周りにいたのは両親とその親戚のみ

勿論古くからの旧友もいるが、実家暮らしているとなるとやはり長い時間会っているのは家族の方だ

小さい頃からいろんなところに連れて行ってもらっていたり、習い事もいろいろやっていたりしていた

だが、それは自分意思で動いていたわけではない

全て親による憶測と考えで「これならできるんじゃないか」という思いでやってきた

ただクラシックギターの弦を遊んでいただけで1週間後何故かギター教室に通うことになったり、サッカークラブを辞めて運動不足になったことが原因でやりたくもなかった剣道クラブに入らされたりと

「いったい自分は何をやっているんだろうか」と思ったことは数多くあった

これは親のエゴなのかそれともその親の期待に応えようとしているのか、そこには「自分自身」という感覚存在しなかった

なんとなく自分学校に通ったり、そういった習い事をする全ての原因は親の意見を優先して聞いてきたからなのかもしれない

初めてアルバイト履歴書といった大事書類作成する際も「間違っていると相手に失礼だから見せなさい」と言ってきたことがあった

俺はその意見を反対し「親がそんなところまで干渉してきたらどこがいけなかったのか分からなくなるだろ!」と返した

最近だと就活にまで親と同伴する姿もあるらしい

個人的にはそういうのはあまり流行ってほしくない

22歳にもなってどうして母親が自立しようとしている息子の横についてくるのか理解できない

しかしたら兄弟のいる世帯が減って、一人っ子世帯が増えた影響がここにも少なから関係していると思ってる

これから何十年と生きていくのは若い人達であり、上の世代あくまでそういった人達サポート的な立場であるべきだ

2017-06-11

俺を生かす社会の何か

今朝、あるメールが届いていた。

社会貢献度の高いあなたしかできない、価値のある仕事…」

そんなメールの冒頭を読んだだけで、そのメールゴミ箱に捨てた。

俺はもうこの先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ。働く必要はどこにもない。

それに、俺はもう働きたくはない。何故なら、俺の職業は『チャレンジド』だったからだ。

20xx年、日本社会保障破綻した。増え続ける社会保障費に対して財源を確保することが困難になり、抜本的な改革を求められた。その改革の結果が、社会貢献度制である

社会貢献度制と聞くといったい何を指しているのかはよくわからないが、要約すると、命に価値をつける制度である社会貢献度が高い人間にはその貢献度に応じて医療費扶助ベーシックインカムなどの社会保障を行うが、社会貢献度が低い人間にはそれらを行わない。

社会に貢献しない人材死ねと遠回りに言う制度なのである

この制度の何より醜悪な点は、社会貢献度を計るのに、「投票」を導入した点にある。投票国民義務になった。投票対象は、すべての日本国籍を持つもの

投票期間はひと月ごとに区切られ、一人が持つ票はひと月につき10票。この票を使い切らないと、使わなかった票の分だけ自分社会貢献度が下がる。そして、投票結果に納税額学生であれば学校の成績)をかけたもの社会貢献度になる。

この社会貢献度は積算され、例えば、人から認められつつ働いてきてある日ガンになり働けなくなった人には、今まで積算されてきた社会貢献度に応じて医療費扶助が受けられるようになっている。

しかしこの制度は当然、障害を持つ人など『社会的弱者』と呼ばれる人々に対して非常に厳しいものになっている。彼らは生き残り戦略として互いに票を入れ合うが、ただでさえ医療費が人より多くかかる彼らにとっては焼け石に水と言っていい。そして、彼らは自分の命にかかるコストを支払えずに死んでいく。

一方でこの制度は、豊かな早期リタイヤ者も生み出した。若い頃に社会貢献度を稼いでおけば、その後仕事をしなくてもベーシックインカムをはじめとした十分な社会保障を受けて生きていけるのだ。

俺は重度の身体障害者だ。同時に、早期リタイヤができるほど社会貢献度を稼いだ人間でもある。

俺の両親は障害を持つ俺が生まれた時にこう考えたという。この子を生かすにはアイドルにする他ない、と。

そうした考えを持った両親の元、俺は幼い頃から障害を持っているけど頑張って生きている人』つまり、『チャレンジド』の役をテレビをはじめさまざまな舞台で演じることになった。

俺には、俺に勇気をもらったと称する人々からの票が集まった。

両親の考えは当たり、俺はこうして生きている。

だが、俺は俺の仕事が嫌だった。俺は俺にできる当たり前のことをやっているだけなのに、「そんな体なのにすごい!感動しました!」と賛辞が寄せられることも、いつまでたっても奇異な視線で見られることも、何もかもが嫌だった。

しかし、『チャレンジ』を止めるわけにはいかなかった。何もかもがお膳立てされた世界で、俺に振られた役割から外れることが怖かった。そして、両親の期待を裏切るのが怖かった。

そんな生活を続けて、この先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ時、俺は躊躇なくリタイヤの道を選んだ。その時両親は、初めて俺に「すまなかった」と言ってくれた。

この奇妙な社会貢献制に今の俺は生かされている。だが、俺は社会の何に貢献したのだろう?社会の何が俺が生きることを許しているのだろう?

それを理解したくない。

なぜなら、俺の命と今日にも医療費を支払えずに死んでいく命と、両者には何の差もないはずだからだ。なのに、俺の方だけ生かしてくれる社会に巣食った何かがいる。

その正体は、間違いなく醜悪で、とんでもなく恐ろしいものだろう。

その正体を知った時、俺は自分の命を投げ出さずにいられるのか、自信がない。

2017-05-31

実家ひな祭り人形五月人形

両親が他界し、姉妹も故あって他界した。

東京に住んでいたが、誰も住んでいない実家に戻る事になった。

しばらく誰も住んでいない期間があったので、実家はかなり良くない空気に満ちていた。

人が住まない家には、恐らく何かよくないものが宿るんだろう。

連れてきたペットも、環境が変わったという以上に怯えていた。

一人で住むには広すぎる家の、不必要ものを捨てて行く事にした。

天袋の奥を開けると、見覚えのある日本人形と、ひな祭りの一式が出てきた。

節句の時にわざわざ両親が姉妹自分の為に買ったものだ。かなり高かったと聞いた。

今ではそんな風習はないだろうに。

ひな祭り道具の中に、オルゴールがついていた。

あかりつけましょ ぼんぼりに

お花をあげましょ 桃の花

五人ばやしの 笛太鼓

今日はたのしい ひな祭り

父も母も、自分たちを祝福し、明るい未来に胸がいっぱいだったはずだ。

自分たちの一挙手一投足に喜び、笑ったはずだ。

その未来が、この誰も住んでいない家だった。

親の期待に、残念ながら自分は応える事は出来なかった。

ちょっと前なら泣いてしまたかもしれないが泣く事はなく、人形供養の予約をして、飾り道具一式ごみ焼却施設に出した。

2016-08-18

マイナースポーツの家に生まれたらやばそう

マイナースポーツメダリストは、結構割合で親も同じスポーツをやっていたり、

自身メダリストだったりして、こりゃもう一子相伝だなというのが率直な感想だ。

実際、親がやってなければ、触れることすら稀な世界なのだろう。

例えば、私たちは「開業医の息子」と聞くと、金持ってそうでうらやましいとか、

医者になっても将来は安泰だとか思ってしまいがちである

そんな恵まれた彼らだって、いいことばかりではない。医者になることを強要されたり、

将来の志望が選べなかったりと、彼らなりの苦労や重圧があることぐらいは理解している。

しかし、マイナースポーツって、ほぼ苦労しかないんじゃないか

まず、食っていこうにもプロリーグがない。受け入れ先の企業があるかわからないし、

あってもそこの経営がどうなるかはわからない。自衛隊とかならまず大丈夫だろうけど。

メダルを取っても、五輪が終われば忘れられて、現役の誰かが活躍しないとテレビにも呼ばれない。

とにかくお前はこれをやるんだ、と洗脳されそうなのもやばい

一番やばいのが、やるだけやって、結局モノにならなかったケースだ。

学生時代で見切りをつけて就職でもすれば、傷は浅いかもしれないが、

親の期待を裏切ってしまうのはとてもつらそうだ。

2016-07-18

義母から、毒親との「仲直り」を求められるようになった

頭と心を整理するためにここに書こうと思います

毒親と連絡を断って一年が過ぎたのだけど、最近になって、毒親からわたし旦那旦那実家へのコンタクトが増えてきた。

着信拒否をしてくれ、と何度も話したのだけど、旦那としては「時間解決してくれるだろう」という期待があるようで、わたしが実親と連絡を断っていること自体は責めないでいてくれるのだけど、一方でつながりを完全になくしてしまうことには抵抗があるらしい。

旦那がそうなので義母にも連絡を断ってくれなどと言えるはずもなく、遠方なのでお中元お歳暮のやり取りぐらいだが親どうしの交流は続いている。

そんで毒親がこないだ義母に切羽詰まった様子で泣きついてきたようで、義母はやはり同じ母親としておおいに共感するところがあったらしく、わたしに対して「なんとかほどほどの距離感で付き合えないものなのか」と説得をしてくるようになった。

これがなかなかにしんどく、まあ子持ちの友人とかから内容自体は言われ慣れていることなのだけど、義母から言われると動揺する。

今は旦那わたしの側に立ってうまくかわしてくれるからまだ救われているのだけど、その「ほどほど」が通じない人達から手の届かないところまで距離を置いているのだということをどうすれば理解してもらえるのか、理解は難しくてもまあうるさく言わず黙っといてやるかぐらいに思ってもらえるのか、しかしまあ要するにわたしに連絡がつかないのに周りに連絡がつくから連絡してくるのであって、それで周りが困惑するのも当然であって、周りからすれば、お前んちの親子喧嘩に巻き込まれても困るんだけど、ってなもんだろうし、でも着信拒否はしないということで、わたしはどうすればよいのか悩んでいる。毒親の過去の悪行などを訴えると、そのときは「なるほど」と言ってくれるのだが、それこそやはり時間が経てばそのときの印象も薄れるようで、そのたびに彼らがいかに付き合うのに難儀な人種なのか具体的なエピソードとともに訴えることもできるにはできるが、「でも、親子なんだから」論者にはそれもいずれ効かなくなるように感じている。

旦那義母のやり取りをよくよく観察すると、お互い結構きつい口調で言いたいことを言い合っているのだけど、なんというか、ちょっとした言い方とかにイラときてもお互いすぐ流せてる様子だし、ささいなことにこだわらないおおらかな愛情があるんだなあ、というのがしっかり感じられる。羨ましい。うちの毒親は、そのちょっとしたイラつきを毎回徹底的に掘り下げて相手人格否定するタイプなので、幼少期からいかんなくそれを浴びせられてきたわたし自己肯定感駄々下がりな半生だったのである

そういう圧倒的な環境差異を見せつけられたのちに「あなたを産んでくれた親なんだから」などと言われると本当にダメージがでかい

追記

その義母とも「ほどほどの距離感」で付き合えばいいんだろうけど、実はもうじき義母と同居を始める予定だ。義父が他界しており、一人暮らし義母我が家に迎え入れようという話をしている。わたしも毒親の親であるところの祖父母を介護最期を看取った経験から老人介護のなんたるかはわかるし、時期が来たらプロに任せるべきであるという持論も旦那と共有している。普段まり自己主張しない旦那が、義母を呼び寄せたい、と話してくれた気持ちを大切にしたいし、元気なうちに少しでも親子の時間を持ってほしい。それは本心だ。嫁としてはそりゃ面倒だけど、でもまあ、毒親の件さえなければ、嫁姑としてはそれこそ「ほどほど」でやっていけそうに思っている。中学生のころから実家を出るまでも三世代同居だったので、実際同居が始まってから、予想もしてなかったような悩みやトラブルがいろいろ噴出してくるのもわかってるんだけどね。やはり問題は毒親の件だ。旦那義母が連絡を断つことに積極的でない以上、わたしがどうにか処理するしかない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。でもどうすればいいのかわからない。わたしにとって彼らはストーカーと同じなので、ストーカー被害のように警察に訴えることができたらどんなにいいかと思う。でも、まだ警察相談したことはないけど、まともに取り合ってくれるわけがないというのはさすがにわかる。毒親相談窓口とかないんですかね。あるいは、娘そっくりの人工皮膚をかぶせたペッパー君を送りつけるのでもいいと思う。数百万で済むなら喜んで依頼する。「なんだかんだ言っても、親なんだから」と言う人は頼むから、少しでいいから、世の中には一見普通に見えても実は裏で大変な思いをしている人もたくさんいるんですよということを考えてほしい。

追記

毒親ネタ大好きなはてな全然話題にならず寂しいので、小町トラバへの返信でも書いて見ようと思う。

友達の中で説教をかましてくるのは、既婚子持ちの、さらにごく一部の人たちです。

いずれも学生時代からの友人だが、当時はグレておかんを泣かせていた人達に限って今のわたし非難してくる。

親の立場になって初めてその痛痒が理解できたのだろうと思う。

わたしは家を出るまでずっと親の期待通りに育ってきた、いわゆる「いい子」ですよ。

その反動が今来てることは否定できない。

一番やっかいパターンだと我ながら思うよ。

でもまあ、幼少期のわたしをそういう見せかけの「いい子」に仕立て上げたのは彼らだしな。

自業自得なんじゃね。

ペッパー君を買うための数百万はわたし自分で稼いだお金からしますよ。

いや買わんけども。

なんかしらんけど、このトラバの人、偏見とか思い込みがすごいよね。

専業主婦だなんて一言も書いてないのに。

何がそんなにこの人の逆鱗に触れたのかわからんが、よほど現状に不満が溜まって心に余裕がない状態なのでしょう。

気の毒だと思う。

そんなふうにならないためにわたし自分に害をなす人からは極力距離を置くことにしています。それがたまたま親だったというだけの話。

2016-05-25

脆さが隠せていない

元の増田が克服できていないであろう・これから直面するであろう問題を指摘している。

非常に思いやりに溢れていた文章だ。

しかしながら、この増田もまだまだ自分の抱える問題を克服できていない、かつ、

それを自覚していそうなのが少々心にくるものがある。

 

簡単言葉で表すと、「自分人生を歩めなかったこと」が彼女を蝕んでいる。

そんな自分を認めることで、それすらも認められていない人間差別化し、プライドを保っているように思えるのだ。

プライド空虚ものだと自覚しつつも、

彼女は未だにプライドに縛られ、本当にやりたいことを抑えているだろう。

仮に編集者になることが本当にやりたいことであるならば、

形がなんであれ彼女の年齢からでも達成可能なはずである

彼女は、ある程度自分プライドが保たれるレベル組織編集者のみを想像しているのではないだろうか。

それは結局、編集という仕事に対する情熱ではなく、自らのプライドを保つための餌でしかないのではないだろうか。

もしくは、「編集者になりたかったこと」自体防衛機制に過ぎず、自身へ向かうネガティブ感情の原因をそこに向かわせることで、

他のコンプレックスから目を背けようとしているのではないだろうか。

 

内心彼女はどんな行動をすれば清々しい人生になるか気づいているのだろう。

それをしてうまくいかなかった時、プライドが傷つくのが怖いのである

まり親の期待に応えることだったかもしれないが、

このままではいつまでたってもプライドを保つために生きていくことになるだろう。

10年後には自分人生に対し、別の原因を持ち出して正当化している姿を想像してしまう。

それを打破し、本当に自分人生を生きるためには、

やりたいことを考え、一度プライドを砕かない限り難しいのではないだろうか。 

 

ネットには行動力のない人間が多いように思える。

しかし、現実の人々は自らのコンプレックス立ち向かいプライドをズタズタにし、血みどろになる経験をしているものだ。

向こう見ずなり、愚かなどではなく、自分欲望人生に対して真摯なのだ

そこから逃げてきた人たちが、逃げてきた自分正当化するために脆弱理屈をこねくりまわし、

プライドを保とうとしているのをよく目にする。

だが、彼ら彼女らを救う手段は、主体的な行動のみなのだ

 

http://anond.hatelabo.jp/20150309011809

2016-05-06

30歳から下克上のように成り上がる方法

30歳。某有名大学を卒業して8-9年ほど。

大企業に勤めながらも出世競争からは早くも漏れた。

コミュニケーション力の貧弱さが原因である

普段日常会話さえ怪しく、上司へのおべっかなどもってのほかである

人がたくさんいる会社の中ポツンと一人働いているような感じだ。

出世できないという事で、自分未来が見えてしまった。

この企業ではおそらく600万が関の山。30代に到達してそのままほとんど変わらない。

おそらく40-50のおれは英語力や資格をバックになんとかリストラ

回避しようとする、そういう状況だろう。資格なんか飾りだ。

しかリストラから逃れようとしても会社のさじ加減でなんとでもなってしまう。

吹けば飛ぶ。まるで死んだような人生だ。

これでも昔は…いや、これだけはやめる。

昔の自分を押し込んで今夜も酒を飲みに行こう。

どうせ日本酒をしこたま飲んで管巻いてどっかの軒先で寝るんだろう。

そういうわけでタイトル詐欺なわけだが、

転職とかしておくべきだったと思いつつ会社を辞めては

おれのスキルでは300-400万が精いっぱいだろうとか思ってたら

動けない。失うことに人間は敏感だ。

これを振り切って行動を起こせば、おそらく後悔が待っている

情けない。涙が出てくる。親の期待自分の期待も裏切って

生きている意味あるのだろうか

2015-07-05

まともな反論がないようなので

障害者は生まれてくるべきではない」を読んだ。元増田意見コメントがかみ合っていないようなので、一言言う。

まず、【一人の人間を生育するコスト(a)は、その人間が将来生み出すメリット(b)に相応するか?】。

コスト計算、そしてどこまでをメリットカウントするか、とてもじゃないけど計算しきれない、と思うかもしれないが、ざっくり言えばプラスであることはほぼ確定している。なぜなら、現時点で人類は滅びてないからだ。つまりa1+a2+…+a何百億(かは分からないが、とりあえず人類創生からの総数)=Aとし、同じくb1+b2+…+b何百億=Bとすると、現時点の人類総資産はB-Aだ。これがトータルでプラスになっているということは、平均して後者は前者より大きいということだ。ここまではいいよな?

そして、個々人で見れば、当然bxの値がマイナス人間は、それはいるだろう。これは否定しない。

そして、元増田意見は、仮にb1+b2+…b何百億を、健常者によるもの(b')と障害者(b")によるものに分けたとして、

(1)前者(b'1,b'2…)はすべてプラスであり、後者(b"1,b"2,…)はすべてマイナスである

(2)少なくとも、前者の平均値プラスだが、後者平均値マイナスである

というものだよね? で、それはどうやって証明するの?

普通に考えて、(1)は明らかに間違っているので(健常者が全員プラスはありえないし後者しかり)、元増田の主張は(2)だろうと推測されるわけだけれど、後者だってとうてい証明できないと思うんだ。元増田自分自身の狭い体験をもとに、そこを自明としてるようだけど、さっき書いたように人類史で見れば、一人の人間価値(期待値)はプラスなんだぜ。もちろん、そん中にはすごい天才も含まれるが、すごい犯罪者悪人も含まれているわけだぜ。元増田がすでに人を二、三人殺しますとか前科何犯ですとか(それだって、取り返しがきくかきかないかはまだ分からない)ならまだしも、現時点で超悪人でもなければ超偉人でもないとすれば、障害があろうがなかろうが、言うほどとびぬけた存在だとは思えないんだけど、それなら平均してプラスの中に入ってる…少なくとも入ることができると予測できると思うんだけどね。

たとえば、オレは性的志向が人とは少し違うかもしれない。具体的な内容は伏せる。けど、それはそれとして一応社会適応して暮らしているし、社会になにがしかプラスを与えているんだろうと思っている。オレの性的志向は、それだけを取り上げてみればたぶん社会的にはマイナスだろう、親の期待をとは異なる人生を生きているだろうという自覚もあるしな。でも、それがなければオレじゃないし、オレは今のような形で社会に対して何かを与えていたかどうか分からない。証明のしようもない。仮にいわゆる「まともな性的志向」で生まれてきたとして、それこそ犯罪者になっていた可能性だってゼロではない

もちろん、今の自分の状況については、社会の寛容度があがったこと(あるいは寛容性の高い社会に生まれたこと)も、素直に感謝すべきところだと思っている。ただ、言えるのは、オレだって社会適応するために「それなりに」は頑張った。「それなりに」しか頑張らなかったから、「それなりに」しか貢献できていないというのもまた事実かもしれないけど、それでも、努力して、そしていわば「負債を払うような気持ちで」、感謝しながら日々を生きてる。けどなー。それって誰でもそうだし当たり前のことなんじゃないのとも思う。何も、オレとか元増田が「特別」なわけではなくて。誰だって負債を背負って生きてるわけだし、みんな「それなりに頑張って」負債を返そうとして、返したり返せなかったりしながら生きているんじゃないのか。その中で、一体誰が、あるものは生まれるべきではなかった、とかしたり顔で、しかも生まれる前の段階で言えるんだろう、ってこと。まれてみないと分かんねーよ、そんなこと。

まあ、少しだけ元増田意見に寄り添うとすると、元増田意見…というか感想というか…は、たぶん、もう少し科学が進んだら、悩みとかではなく「実証的なデータ」を背景にした社会学議論にゆだねられるんだろうな、とは思う。つまり「○○の障害をもって生まれ人間の一生を統計的に処理すると○○となります」みたいなことが、たぶんもうすぐできるしされるようになるだろう。まあ、その前に、例の「犯罪へとつながりやす遺伝子特性」みたいなものや「遺伝病や遺伝やす病気の発現リスク」みたいなもの研究が先なんだろうけど。そして、同時並行で、遺伝子操作…いわゆる「デザインベビー」づくりなんかも進んでいくんだろうな。そのとき増田の小さい悩みなんかよりもっと大きなレベルで「生まれるべき存在とは何か」という議論が、人類全体にのしかかってくると思うんだよ。たぶん、近い将来。オレにも君にも、社会で生きていく限り、この問題には決して無縁ではいられないと思う。

そんなわけで、増田があーだこーだ言うのも、そういう「人類史的な大きな流れ」の中の末端の末端…で、意味のある悩みなのかもしれない。増田書き込みを見て、共感したり反発したりする人の中から、将来そういう研究にかかわったり社会的議論リードしたりする人が出てくるのかもしれない。だから増田のしたこと…あるいは生きていることそのものが、今の時点で、人類にとってプラスマイナスか、誰にも全然からない。いや、いつまでたっても分からないかもしれない。

から増田もいじけてないで、「オレが生きてる意味とかあるのか」とか思ったときはやっぱり思い出した方がいいと思う。誰でも普通に生きてるぶんには大体プラスなんだと。じゃなきゃ、とうに人類は滅びてるはずだ、と。あと、近い将来、君の悩みにはたぶん答えが出るだろうから、それまではとりあえず頑張って生きるしかいねー、と。(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20150705032222

2015-01-04

期待に背くということ

昨日まで実家に帰っていました。静岡にいる弟も帰ってきて、久しぶりに一家4人で数日間を過ごしました。まとまった日を家族揃って過ごすのはたぶん来年正月までないだろうと考えると、これから人生家族揃って過ごす日がいったい何日あるのかとふと思います。1年で1週間分だとして、4年で1ヶ月。仮にあと40年だとしても、同じ時間空間を共有するのはあと1年間に満たない。理屈では分かるけれども、なんとなく了解したくないというか認めたくないというか、そんな気持ちです。

認めたくないことは他にも。近年、祖父の老化が顕著になってきました。歩くスピードゆっくりになって、耳が遠くなって、たまに僕を他の孫の名前で呼ぶようになりました。間違って呼ばれた僕が自分名前を祖父に言うと、きまって「ああ、すまんかった」と笑顔で言うのです。その笑顔を見ると、胸が張り裂けそうになります。あとどれだけ、どれだけ会話できるのだろうか。一緒に散歩出来るのだろうか。そして、あとどれだけ生きていてくれるのだろうか。僕をとても可愛がってくれたおじいちゃんが遠くへいかないうちに、恩返しをしたい。何が恩返しになるだろうかと考えたとき、数年前、大きな手術を終えた祖父から言われた言葉を思い出しました。

「お前が結婚するときに渡そうと思って、お前が産まれときに100万を用意した。それを渡すまでは死ねない。」

結婚。まだ真剣に考えなくていいやと思っていたら、気づいた時には周りがどんどん結婚していっていました。一方自分は、結婚できる気配もないし、正直する気もあまりありませんでした。それが「どうせできないのならしたくないと言う」的な自己防衛なのかはたまた本心なのかは、自分でも分かりません。整理ができていない、と言った方が適切でしょうか。

思い返せば、自分はこれまで平凡な人生を歩んできた部類に入るかと思います普通に大学を出て、普通に就職をして。これであとは「普通に結婚をして子どもができれば、どこにでもいる平凡な人間の完成です。そしてそれこそが、祖父を始めとした身近な人々、そして両親の願いというか、期待なのではないか、と思っています

先ほど「平凡な人間」と書きましたが、現代日本において、それが「平凡」でなくなりつつあることは分かっています。未婚率のデータを見てもそれは一目瞭然で、もしかするとあと数十年すれば、結婚している人の割合がどんどん下がって、最終的には「結婚」というかたち自身現在のそれとは異なったものとなっているかも知れません。

ただそれでも、結婚することが祖父を始めとする身近な人々、そして両親の期待に沿うことだろうな、ということは変わりません。客観的データを持って結婚の不必要性や困難さ、あるいはリスクを説明したとしても、そしてその説明を彼らが理解して自分結婚しない(あるいはできない)ことに納得してもらえたとしても、彼らの期待に背くことには変わりません。そして、それはたぶん、とてつもない親不孝なんだろうな、と思っています

なんとかして恩に報いたい。みんなの喜ぶ顔が見たい。そのために何かしなきゃと思う一方で、こんな自分果たして結婚できるのか、とも思っています。焦燥と無力感とが募る、そんな日曜日明日から会社です。

2014-08-20

ドラマ聖女」の兄弟仲を見て思ったこと

イラ兄弟仲あんまり良いとは言わないけれど、

それでもまだ、本編並みに冷え切った関係じゃない。

兄も某旧帝卒で就職出来なくてオイラ同様イライラだったし、

長男責任みたいなのと親からプレッシャーが相当あったか

多分オイラよりもずっと悩み苦しんでたと思う。

そんな兄が公務員になって何年か経つ。

今となっては過去の笑い話になっているけど、当時からしたら

正直言ってドラマ聖女」の中村兄弟のようになってたかもしれない。

長幼の序って言うのかな。

兄よりもいい所行ったり成功したりするとバランスが悪いって昔から言われてた。

で、オイラもあんまり賢い事をしないように努めて来たけど、

結果から言えば兄との関係は今じゃ概ね良好だと思う。

でもあの兄弟は弟の現役東大法学部合格に加えて在学中の司法試験突破という天才ぶりを発揮したせいか

彼のお兄さんに集まってた期待が全部なくなって弟の方に向かったのが英邁な兄を堕落の道に進ませたんだろう。

そう考えると、オイラは巧いことアホの振りをしてたから、兄とは在学中も院生時代もとりあえず仲良かったので、

兄を立てたのが大きかったのかなとしみじみ感じてる。

イラは次男坊だから親の期待とかも特に無かったし、一念発起しようとも思わなかった。

で、就職先に選んだのが中小零細の一般職

総合職は兄に譲ってやった。

ていうか、オイラの頭や学歴じゃ総合職は無理なんだけどね(苦笑)。

何にしても兄を立てる弟というのも中々良いんじゃないかしらね

兄弟仲を保ってた方が都合も良いし、少なくとも中村兄弟のような、金八先生に登場する兼末兄弟みたいになってしまったら

絶対取り返し付かなくなると思う。

2014-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20140728215451

お前と違って親の期待を超えてるやつも沢山居るからな。

残念ながらそんな感情を感じたことはない。

2014-06-27

疲れた

最近は色々停滞している。思考もクリアでない。

1年前とはだいぶ状況も変わってしまった。

親の期待ますます重くのしかかってくるし、でもそれを跳ね除ける先を見つけられないでいる。

なんにしても、もうそろそろ前に進まなきゃいけないいけないと思いつつ、うまく一歩を踏み出せない。

  

ここら辺で人生を一度リセットしたいなぁ。

はぁー、生きるって大変だ。

どこで気を抜けばいいんだろうか。

どうやって一歩を踏み出せばいいんだろうか。

2014-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20140530180521

小学校の時:天才

中学校の時:秀才

高校の時:落ちこぼれ

大学の時:バルキスの定理

だった俺から言わせると、小学校くらいで「うちの子天才わ!」なんて思うのはやめた方がいい

子供が「東大どうしても行きたい!」って言ってるんだったら惜しみなく支援してあげればいいと思うけど、子供別にそうでもないのに親が勝手に盛り上がってると行きたくもないのに東大行かなきゃってなるよ

そうなるとモチベーションなんて親の期待くらいしか無いから学問なんてクソほども面白くなくなるね

授業の難易度にヒーヒーしてる中でふと「あれ、俺ってなんで大学入ったんだっけ。俺の人生って何?」とか思い始めちゃったら退学ルートまっしぐら

せっかく東大に行くんだったら学問の楽しさを感じて欲しいじゃん?就職予備校じゃないんだから

そもそも東大受験に失敗したら自分存在価値すら見失って「東大に入れない自分なんて生きてる意味ない」くらい思うかもしれないよ

将来の子供の進路よりは「今」子供が持ってる興味関心を見てあげようよ。自分たちは低学歴から、ってあきらめないでその科目がどう面白いのか一緒に楽しんであげるといいよ。

あ、あと

さー、がんばろう。
頑張るのは子供であって親ではないからね。

2014-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20140417221506

親の期待に応えなくてはならない」っていう通念から脱出したら?

多いのは親の期待に応えなくては愛してもらえない、と感じてしまい、親が過剰なプレッシャーになる。

幼い頃に無条件の愛情をそそがれてこなかった子供に多い症状。

原因は親にあるんだが、子供としてどうすればいいかというと、親よりも期待に応えたい人をつくること。

それは彼女だったり、部活監督だったり、先輩だったり、祖父だったり、先生だったり。

なるべく多く作る。

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