元の増田が克服できていないであろう・これから直面するであろう問題を指摘している。
非常に思いやりに溢れていた文章だ。
しかしながら、この増田もまだまだ自分の抱える問題を克服できていない、かつ、
簡単な言葉で表すと、「自分の人生を歩めなかったこと」が彼女を蝕んでいる。
そんな自分を認めることで、それすらも認められていない人間と差別化し、プライドを保っているように思えるのだ。
彼女は未だにプライドに縛られ、本当にやりたいことを抑えているだろう。
彼女は、ある程度自分のプライドが保たれるレベルの組織の編集者のみを想像しているのではないだろうか。
それは結局、編集という仕事に対する情熱ではなく、自らのプライドを保つための餌でしかないのではないだろうか。
もしくは、「編集者になりたかったこと」自体が防衛機制に過ぎず、自身へ向かうネガティブな感情の原因をそこに向かわせることで、
他のコンプレックスから目を背けようとしているのではないだろうか。
内心彼女はどんな行動をすれば清々しい人生になるか気づいているのだろう。
それをしてうまくいかなかった時、プライドが傷つくのが怖いのである。
このままではいつまでたってもプライドを保つために生きていくことになるだろう。
10年後には自分の人生に対し、別の原因を持ち出して正当化している姿を想像してしまう。
やりたいことを考え、一度プライドを砕かない限り難しいのではないだろうか。
しかし、現実の人々は自らのコンプレックス立ち向かい、プライドをズタズタにし、血みどろになる経験をしているものだ。
向こう見ずなり、愚かなどではなく、自分の欲望・人生に対して真摯なのだ。
そこから逃げてきた人たちが、逃げてきた自分を正当化するために脆弱な理屈をこねくりまわし、
プライドを保とうとしているのをよく目にする。