https://anond.hatelabo.jp/20170907000932
機能不全家庭に育った人間の葛藤や苦しみを結局は理解できない人間のほうが多いのだな、と。
コミコの「傷だらけの悪魔」で「常に親の期待に応え続けるために努力することでしか親からの愛情を得られない長女」の描写が生々しすぎて吐きそうになった。
うちの父親は、昔会社を連続で無断欠勤して精神科を受診させられ、なにがしかの病名がついたと聞いているが本人がそれを受け入れずなんの治療も受けていない。
数十年前で精神医療がまだまだ未発達な時代なので今とは事情が違うけれども。
会話が成立しない(何を話していても自分の思い描いているストーリーから外れると激高して暴れまわる)人で、暴力もあった。
母は父にひたすら従いご機嫌を取り、そして子ども達をそれに付き合わせる人だった。
家庭内で父の暴挙に対して「それはおかしい」と声を挙げる者がいると、みな保身のために寄ってたかってそいつを叩く。
そういう家庭で育った。
「おかしいと思ったことにはおかしいと言っていい」と父自身はよくわたしたちに話して聞かせていた。
おそらくそれは世間の不条理に対して(彼にとってはさぞ「不条理」の多い世の中だったことだろう)の自身の経験から出たことばなのだろうが、それを家庭内で実行しても父は怒り狂い、他の家族も誰も耳を傾けようとしないのだった。
家庭内での人間関係というのはそのまま世界観につながるのだなとつくづくわかるのだが、家庭内で不公平感とか理不尽さを日常的に味わっていると、外の世界でも「公平に扱われなかった」「相手の言うことの筋が通っていない」ということに敏感になる。
そういう苦しみから自分を守りたくて、他者を自分のコントロール下に置いて、自分に対してストレスをかけてくるような行為を事前に阻止しようとするようになる。
そうすると結局、自分も同じことを繰り返しているのだと気づく。
ここ数年は親と距離を置くことで思いだす頻度は減ったが、それでもこういうちょっとしたきっかけで思いだす。
結局今の自分の生きづらさとかただ存在しているだけで感じる罪悪感とか息苦しさとかも、もともとは親子関係に由来するものなんだろうと思うと生きるのしんどいなと思う。
こういう話に対して「まあでも親子なんだし、話せばわかるって」なんていうコメントをつけようものなら、はてなでは嘲笑されるだけだろう。
なのに、冒頭の増田についているあまりに的外れなブコメの数々は一体何なのだろうか。
冒頭の増田は「暴力は連鎖する」という事実そのものを伝えているのであり、「暴力もケースバイケース」なんて甘っちょろいことを言っているわけではないのだ。
増田に対する「息子から同じことをされるよ」なんていう呪いの言葉があんなにスターを集めているなんて、本当に泣きそうになった。
ひどい。
あまりにもひどい。
お前ら、何にもわかってない。
何にも。
その人 自身にならないと、人は簡単には理解できんよ。 想像力だけでは駄目です。 結局、人の不幸は蜜の味みたいな人が多いのでしょう。 期待しないこと。 私は、人に期待しないこと...