はてなキーワード: 見立てとは
はてブ開くたびに、「性的な絵が・・・」とか「表現の自由が・・・」みたいなオタクとフェミニストの議論見せつけられてもうウンザリしてるんだよ。
最初は多少は興味あって読んでたが、本当に毎日毎日このての議論を手を替え品を替え見せられ続けて、もうだんだんはてブ自体見るのが嫌になってきたというか、はてな社はこの両者を営業妨害として訴えていいレベルだと思う。自社のサービスを毀損してユーザー数を減らしたという理由で。
フェミニストの言い分が正しいのか、オタクの言い分が正しいのか、正直なところ自分にはなんとも言えんよ。
ただ、どちらの言い分が正しかろうと正しくなかろうと、確実に一つだけ言える真理がある。
それは、両者が憎しみの感情に満ち溢れているという事だ。
片方は男性全体を、片方は女性全体を、巨大な仮想敵に見立てて、憎しみを煽り、自らもその憎しみの虜になっている。まるで今のアメリカの政治のようだ。
こんなこの世の地獄とも言える事態に対して、両者に対して、私から提案したいことがある。
フェミニストとオタク、あるいはオタクとフェミニストで、実際に顔を合わせて会って、一緒のベッドに入って、セックスをしてみてはどうか???????
おそらくオタクもフェミニストも、実生活では孤独なんだと思う。
そんな事を言うと、「いや、バカにすんなし。自分恋人いるし」と猛反発されることが予想されるが、それは嘘だと断言できる。
仮に恋人がいたとしても、うまくいってないと思う。
なぜならば、恋人がいてうまく付き合えているならば、ここまで激しく、異性と言うものに対して暴力的な見方をする事はないからだ。オタクにしてもフェミニストにしても。
お互いが隔離され、顔が見えない断絶された状態にあるからこそ、お互いのことを見えない仮想敵にみなして、敵意を増幅させていくのだ。
それならば、両者が会ってセックスするのがピッタリだ。
お互い孤独な男で、孤独な女であるならば、セックスをするにはうってつけの存在である。
今までお互いがお互いのことを、何か強大で、邪悪な存在とみなして憎しんでいるならば、一度裸になって抱き合えば、相手の事を決して憎むべき存在だとは思わず、一人の人間だと認識するはず。
なので、オタクもフェミニストも、共に一緒のベッドに入ってセックスしろ。
もうお互いこれ以上煩わしいことを言うな。
#LGBT的な方向から攻撃されかねないから一応補足しておくと、どちらか片方がLGBTなら、片方の陣営の同じ性的志向の人間を頑張って見つけてセックスしろ。
こちらの分析を見て、千田有紀はどこを間違ってしまったのか考えてみたい。
多くの人はここで引っかかると思う
「キズナアイは相槌ばかり」という言説の真偽はとりあえず真としてほしいみたいな話とみた
つい最近の最善の相の議論でも話題になったけど、とりあえず仮定を真として議論を進めましょうみたいなの
多くの人は利害が絡むから無理なので、千田は「あくまでも仮定です!ここが受け入れられない場合読み飛ばしてください!」と
しつこく語りかけるべきだった
手打ちEXCELで回数数えるとか悪手もいいとこ。そこは前提なんだから
しかし、であるなら世の中がマルクス主義フェミニズムの指摘するところの資本主義と家父長制で構築されているのだから
キズナアイにかかわらず世の中の表現のいたるところに同様の分析ができるはずだ
そうならそれで「今回のキズナアイは世の中一般に比べてことさら悪いわけではないです」など言って
早々に敵対モードを解除し、資本主義や家父長制一般の話に持っていくべきだった
「私にも家父長制を再生産している部分もあります。それは私が不徹底なのではなく世の中の構造が原因なのです」
みたいに言って沈静化させることもできたはず
今回炎上が加速したのは、いつものアンチフェミニズム・表現の自由戦士の他に
キズナアイ/VTuberファンまで敵に回してしまったのが原因かと思う
彼らは「キズナアイには魂がある」などと主張していることからわかるとおり表現の自由戦士軍団とはことなるクラスタに生きている
そして本来フェミニズムにもマルクス主義にも敵対的な集団ではなかったはずだ
彼らを怒らせてしまったのは千田があのインタビューを「シナリオライターが入念に作り上げた作劇だと扱った」ことであり
それはすなわちキズナアイを終始「企業が作り出した操り人形」だとみなしていたのだと思う
例えばこれが生身のYoutuber女性で、受け答えが相槌だらけだったとしたら
「まともに受け答えしていない、女子をエンパワーメントできない」などと切って捨てられるだろうか
必死に頑張ったかもしれない一個人に対してそこまで酷評できないのでは?
というか普通の人があの場にでてキズナアイ以上の受け答えできる?
書き方は釣りっぽいけど、今30代前半以下のPCユーザーにはフロッピーディスクを実際に見たことがない人達が多いはずで、あのアイコンが「保存のメタファー」として直感的でなくなってるのは確かだと思います。
ただ、検索を虫眼鏡アイコンで、電話を黒電話アイコンで、電気を稲妻アイコンで表象するのと同じように、ひとたびユーザーの側に「これはこういうもの」という強力な連想が確立・共有されてしまえば、ユーザーが必ずしもその表象されてる実物を知らなくても大きな問題は起きないようにも思います。
それより何より、自分が昔から気になってるのは、この保存アイコンに代表される「機能アイコン」の特殊性についてです。多くの人々が感じているように、機能アイコンには意味がわかりにくいものが多い。たとえばWordやExcelだとこんな感じ:
https://gyazo.com/c0d77ae6fd252d756b40f95da10c9cc7
https://gyazo.com/f2807738b32978daa8edb8ab9f9b8441
「これアイコンにする意味あんのかな、単体で見ても全く意味わからんな」というものがたくさんあるよね。
何で機能アイコンってわかりにくいか、考えたことありますか? デスクトップメタファーでは、コンピューターの中にあるオブジェクト(ファイルやディレクトリ)を実世界に存在する書類やフォルダに見立てて、それをアイコンとして表現することで直感的に理解・操作できるようにしているわけですが、機能アイコンはそうじゃないんですよね。機能アイコンが表現したいのは、オブジェクトではなく、アクション(行動・働きかけ・変化)なんです。
①その機能を表象するモノをそのまま使う(フロッピーや虫眼鏡や錠前など)
②その機能を表象するモノに、動作や変化を示唆するプラスやマイナスやバツや矢印を重ねる(削除行に×マークをつけたスプレッドシートなど)
③その機能を実行したときの視覚的結果を表す(中央寄せや下罫線など)
このうち①は、実世界での活動になぞらえられるような基礎的機能にしか使えない。②は、もともと小さい機能アイコンにさらに小さい意味素を付け加えることになるので、とても見にくいうえに、似たような機能アイコンを区別しにくい。③は、ごく簡単な結果であればよいけれど、複雑だったり抽象的だったりする結果を表現することはほとんどできなくなる(たとえば、上のExcel機能アイコンの「アイテムの後ろの空行を削除する」や「XPS形式の添付ファイルとして電子メールで送信」など)。①②③のいずれも、アクションをオブジェクトで表現することに本質的に無理があるからわかりにくいわけです。
じゃあ、なんでそんな「本質的に無理がある」ものがここまで普及して広く使われているのか。この問いを突き詰めると、機能アイコンはもはや直感的理解を助けるためのメタファーではないからだ、という答えにたどり着きます。
例えば、わかりにくい(アイコンとしての具象性が劣っている)からといって機能アイコンを取り去るとどうなるか考えてみると、「いや、やっぱちょっと困るな」となる人は多いのではないでしょうか。もしリボンUIに文字だけで機能がずらずら並んだらものすごく見にくいし、目的の機能を探しにくい。つまり機能アイコンの利点は、今では①UIの省スペース性(たくさんの機能を有限のUI領域に整然と詰め込める)と、②瞭然性(学習さえ済んでいれば、文字列の読解処理を経ずに瞬時に判別できる)の2つにあるのです。
機能アイコンはデスクトップメタファーとは違って、ユーザーの学習コストは下げてくれない(直感的理解は全く支援しない)けど、一度学習してしまえば、日々その機能を利用するときの操作コストは格段に下げてくれます(元増田も、保存アイコンがないよりは、フロッピーアイコンのままのほうがずっと楽なはずです)。これが確実にユーザーエクスペリエンスを向上してくれているわけですね。
個人的には、だから機能アイコンのことは機能シンボルって呼ぶ方が実態に則してるんじゃないかなと思ってます。アイコンは偶像だけど、シンボルは約束事、協約ですからね。
ゼルダとスパイダーマンと日本でも売れるオープンワールド系のゲームをやって思ったのは
「移動が楽しいかどうか」
という点。
ゼルダBOTWは拠点から拠点までの移動において 発見、移動手段の思考、移動時のパズル的要素等を組み合わせて従来のオープンワールドで単調になりがちだった移動というルーチンを一種のミニゲームとして見立てている。
スカイリム等でも建築物を発見して、あそこには一体何があるんだろうかというワクワク感は存在するが、それ以外のゲーム的要素が非常に乏しかった。
ゲーム内における「移動」というプレイの所要時間は非常に長いのだがすることがなにもないのでゲーム自体に飽きてしまうのである。
※ゲームプレイにおける「移動」時間が一定範囲内に収まるゲームであれば本来あまり考えなくてもいい気はするけど。
新作のスパイダーマンはその点を考えると非常に良くできていた。
空中移動時の演出でもり立て(ただの移動なのに、BGMがなり始めたり、高所から落下すると強調線がエフェクトとして描かれ臨場感がある)、空中でトリックを行うと経験値が増えるなど工夫が凝らしてある。
また、そもそも移動自体が複雑で一種のミニゲームになっている。
9月24日は中秋の名月(Mid Autumn Festival)ということで、Googleのトップ絵がうさぎと月になっている。
https://www.google.com/logos/doodles/2018/mid-autumn-festival-2018-6331506816450560-2x.png
https://www.google.com/logos/doodles/2018/mid-autumn-festival-2018-japan-5623747745677312.2-2x.png
じゃあまあ月見うどんは関連食べ物とギリギリ言えなくもないと思う人。
うん、その中でざるうどんで月見うどんやっちゃった人。わかった先生後ろ向いてるからやった人はいいねだけしなさい。
日本国内からはイマイチ観測できないのだが、レコチャイが言うには
https://www.recordchina.co.jp/b150496-s112-c30-d1112.html
どうやら月見うどんの関係で「日本人はMid Autumn FestivalにUdonを食べるらしい」という日本解説サイトが世の中には存在するようだ。
日本向け差分絵に関しては絵柄統一優先で日本の人が描かないことも多いらしいので、そっちに引っ張られてしまったというのはあり得るのだろう。
どうせ粗探しするんだろうと思うがまぁいいや。
【小学生】
無視と机の落書き、ノートに死ねとか書かれる。上履きとか物を隠される。
トイレに閉じ込められる。
【中学生】
元々いたグループから弾かれ無視されいじめられている奴がいたため
そして、そいつ含めた元グループから無視、暴力、陰口などを受ける。
元々、そのグループはいじめグループだったためクラスの奴らも無視してくる。
→1対1で戻った奴と話し合った。ボスと話し合う必要があると判断。
ボスと1対1で話し合い、最終的にお互いに1発殴りあうことで解決。
2回目
俺が友達に近づくと「浮気!」とかその他ギャーギャー騒ぐもんだから
ウザすぎて友達全員が離れていった。
1週間程度「やめろ」と言いながら我慢したんだが、一向にやめないからムカついたので胸倉掴んだらやめた。
クラスの友達多めで、彼女もいたから嫉妬されてたらしい。Shit!
これで良いか。
『COMIC LO』『COMIC快楽天』『COMIC快楽天ビースト』『コミックメガストアα』『ANGEL CLUB』『BugBug (バグバグ)』『COMIC失楽天』『COMIC HOT MILK (ホットミルク)』『COMIC 夢幻転生』『COMIC阿吽』『COMIC華漫』『COMIC真激』『MEN’S GOLD (メンズゴールド)』『TECH GIAN(テックジャイアン)』『アクション・ピザッツ』『アクションピザッツDX』『ゲッチュ』『コミックアンリアル』『ペンギンクラブ』『ペンギンクラブ山賊版』『まんがシャワー』『メガストア』『ヤングコミックチェリー』『人妻本当にあった Hな話』『二次元ドリームマガジン』『魔翔』『漫画ボン』『漫画ローレンス』『comicキャンドール』『Comicバズーカ』『G-type(ジータイプ)』『Men’s Young(メンズヤング)』『PUSH!!』『アクションピザッツスペシャル』『コミック戦国無頼』『ドキッ!』『ドキュメント実録 ! 人妻姦熟コミック』『愛の体験スペシャルデラックス』『増刊 コミックメイト』
昔ながらの劇画誌っぽい物を除いたオタ向けだけで30誌以上ある。雑誌コードではなくアンソロ形式なども含めれば、さらに膨大な数になるだろう。
30年以上オタクをやってるじじいの昔話をすると、1990年代当時はここまで多くなかったはずだ。1980年代はもっと少なく、ことオタ向けとなると『レモンピープル』とか、同時に10誌もなかった(よく休刊して入れかわった)
そんな80年代当時のオタは『レモンピープル』がコンビニで売られる事態なんて考えてもなかったろうし、そうなって欲しいと希望してたとも思えない。
***
1990年ごろになるとオタ向けエロ漫画誌も数が増えてコンビニでも売られるようになり、目立つようになって、遊人だの山本直樹の作品がやり玉に挙がるようになった。
このころから「ここでエロ漫画規制を容認すれば、日本は表現の自由がない言論弾圧国家になるぞ!!」と力説する者は多かった、今はなき米沢嘉博(初代コミックマーケット主催)とか。当時からその手の連中は、自分らを強権力に対するレジスタンスに見立てて自己陶酔してるような反体制きどり臭が鼻についたものだった。
しかしそれから約30年、本当に日本は表現の自由がない言論弾圧国家になったの? いつまで経っても、朝日新聞と産経新聞どっちも廃刊させられてないじゃん(ネット上で一個人が別の一個人の発言に噛みつくことは「弾圧」ではないですよ)
当時と今の変化と言えば成年コミックマークが導入されて、「建前上」漫画にも18禁が導入されたぐらいじゃね。18禁コードは昔から映画にもビデオにもあった、漫画にも導入された一点で「言論弾圧時代の始まり」と言うのは論理の飛躍としか思えない。
成年コミックマークの導入直後は、エロ漫画業界縮小を本気で恐れる者は多かったけど、結局そんなことは起きなかったのは冒頭のリストの通り。エロ漫画誌が都の条例とかに引っかかって休刊したが、同じ編集部が新雑誌を創刊(ようは誌名変更)して、問題視された作品が平然と連載を続けたケースもめずらしくない。
そういや1980年代当時は、メロンブックスやとらあなみたいに「市井の個人が作ったエロ同人誌を町中で買える書店」もなかった。イベント行くか雑誌の通販欄に頼るしかなかった。この点でも今のほうがよほどいい時代になったもんだと思う。
***
表現の中身はどうか? 1990年代以降、実写ヌードじゃ陰毛がはっきり見える写真集がOKになった、この点なんかむしろ表現規制が解除されてるじゃん。
80年代当時のオタ向けエロ漫画は今よりずっと修正がきびしく、男女とも股間は広範囲にわたってべったり黒塗りでまったく何が描かれているのかわからん場合が少なくなかった。そもそも性器を精密に描くような絵柄も少なくなかった。
ところが、現在流通しているエロ漫画誌を見れば、ちんちんもおまんまんもリアルに描いたうえで、うっすらスクリーントーンを貼っただけという場合が平然とごろごろある。ジャンルの幅も、ロリ専門誌、ショタ専門誌、ファンタジー系専門とかずいぶん広がった。
***
袋だたきを承知で書くが、表現規制反対派は、この30年ずっと「狼が来た」少年にしか見えない。じじいの実感としては、1980年代当時よりむしろ今のほうがずっとエロ漫画誌の刊行点数も増え、エロ表現はオープンになった気がしてならんのだ。
***
つい先日も「ラノベの表紙」のエロ表現が問題になったが、叩いてる奴はほとんど、政治家でも権力者でもない市井のブロガー風情じゃないの。よほど政府与党の大臣が言い出せば実際に規制される可能性は高いだろうが、表現規制を言い立てるのは一部の左翼フェミニストだけで、国民の大多数が支持する長期政権の保守自民党はオタクの味方なんだろ?
要するに「エロ漫画表現規制は言論弾圧の危機だ!!」って騒いでる奴は、「今すぐ日本は中国みたいな左翼独裁国家になる!!」と言ってるのと同じようにしか思えない。そんなもん、まったくもって現実味が感じられないのだが。
戦後1980年代まで続いた冷戦時代、右派は何十年も「今すぐソ連のアカが攻めてくる攻めてくる!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。左派は「今すぐ軍国主義復活だ!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。冷戦体制崩壊後、右派は「中国経済崩壊」と言い続けてそろそろ30年になる……この手の予言が当たったことって何回あったっけ?
有象無象のvtuberはVR界の革命児こと、輝夜月ちゃんからvtuberとは何かを学んだほうがいい。
声が独特だから?
バーチャルyoutuber・輝夜月が最かわで天才でハムボなのは周知の事実ではあるが、彼女が圧倒的に違うのはそこではない。
彼女は、VR界で唯一、「本物の個性」を持つキャラクターだということだ。
あくまでもバーチャル空間、"Beyond the moon"にで生きている輝夜月の中にあると、そう錯覚させる。
その中で暮らすキャラクターがいる。
アニメの中ではキャラクターは表情豊かに動き、声優がアテレコすることで、彼女たちはより立体的になる。
独自の世界観、そこで生まれたキャラクターの個性、その個性を引き立たせる声優陣の演技が上手くハマることで、
僕たちはアニメを単なる創作とではなく、1つの世界として捉え、のめり込み、笑ったり、悲しんだり、感動したりもする。
そして、彼女たちは、それぞれの個性を持ち、間違いなく、生きている。
話を戻そう。
そして、VR上で活躍するyoutuberもといキャラクターは、アニメのそれと同じように、個性を持っていなければいけない。
それだと、アバターを操るのと変わらない。
アニメと違って、世界観もシナリオもない中で演じることは、難しく、中の人を感じさせ違和感が生まれるからだ。
その中で、自分とキャラクターの個性を上手に馴染ませ、新たな個性を生み出すのだ。
そうすると、演じている違和感が薄れ、キャラクターが確立するのだ。
僕たちと同様に個性を持った女の子が、生まれてくるところを間違えて、VR世界にそのまま出現したようだ。
だけどやっぱり僕たちと違い、アニメの登場人物のような、可愛さや癒やしがそこにある。
輝夜月の個性と、中の人の個性が上手く溶け合って、元気に表現されている。
いくつか見ていくうちにアニメの好きなキャラクターに抱くような感覚を覚えた。
そして、夢中に動画を見漁り、虜になっていた。
そして、vtuberは始まったばかりだ。
自分とキャラクターを上手くマッチさせ、最かわアイドル・輝夜月ちゃんのような、「本物の個性」を持つ第2のvtuberが誕生することを祈ってる。
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。
説教臭いという声があるが、HUGっと!プリキュアを楽しくみている。
敵組織が企業であったり、育児やジェンダーなどの多様性を描いていたり、大人の自分にも響く話が多く毎話興味深い。
それだけに31話のイジメを受け転校したはなの過去の克服と言えるエピソードは残念だった。
イジメを庇った相手ははなに謝りたがっており、はなはその庇った相手がまだ好きだから受け入れる。その心情に至ったのは仲間のおかげなのだが、あまりに単純すぎないか。
結局、はなのイジメははな自身が乗り越えなくてはならない。仲間がいるはなはその通り乗り越えられたが、仲間がいない場合はどうなるのか?社会全体は言い過ぎかもしれないが、家族なり大人たちがこのイジメの対処に関わってもよかったのではないだろうか。仲間をそのような存在に見立てているとは思うのだけど、イジメを受けてからこのように仲間に恵まれるケースってあまり想像がつかない。
あとイジメから庇った相手に会って和解するのは別に有りだとは思うけど、あんまり反対する人がいないんだよね…。ほまれが会いたくなければ〜、みたいな事を言ってたけど、それってできれば会った方がいい、という本音が透けているように聞こえる。イジメっ子が謝りたくて、イジメられっ子も謝罪を受け入れる、これ理想的なの?イジメられっ子なんてイジメっ子がなにしても許さない、と思うもんじゃないだろうか。
はなの心の闇を晴らすエピソードとして薄っぺらいという印象が拭えない。
まぁ児童向けアニメにどれだけ期待してるんだ、だから説教臭いと言われるんだ、と言われそうだけど、これまでのHUGっと!プリキュアはそれを期待させる出来だった。
https://anond.hatelabo.jp/20180909221238
返信感謝。
まさしく、引用部分に有るように
"制作委託者は著作者人格権につい ての権利処理(例えば不行使条項を設ける)が必要"があるのに
KFPはこの権利処理を不完全に処理してしまったのでは無いか? ってのが私の見立て。
出版業界では『本が実際に出版された【後に】出版社と著者が契約を結ぶ例』が少なくないらしい。
・そもそも超低予算。・アニメ放送開始前にスマホゲームのサービス終了と、どうかしてるほど そもそも期待されてない。
完璧な権利処理を含む確りした契約が詰められていると考えるほうが不自然だと私には思える。
前回(https://anond.hatelabo.jp/20180902034231)の続きです。
続きがあります
https://anond.hatelabo.jp/20180903013101
あったと思われます。
というのも、ケンヂさんの主張はお父さんを連れて行く判断の主体こそ入れ替わっていますが、ケンヂさんがケンヂさんの身分証提示を拒否している点は共通しているためです。
しかしケンヂさんが身分証を提示しない以上、PCデポ側の選択肢としては、書類を渡す事自体を拒否するか、お父さん本人に対して本人確認を行うかのどちらかしかありません。
すると、PCデポ側がお父さんを連れて来るよう要請するのは自然な事と言いますか、書類の受け渡しに応じるにはそれ以外に選択肢がなかったと言えます。
つまり、仮にお父さんを連れてくるよう要求したのがPCデポ側であっても、その原因はケンヂさんにあります。
少し余談ですが、ケンヂさんに身分証提示の意思がなかったという見立ては、ヨッピーさんも同意見です。
なれたはずです。
しかし、身分証を提示する意思がなかったのであればノーチャンスでした。
お父さんに来てもらったのは本人確認のためなので、T部長がお父さんの身分証を求めたのは当然です。
お父さんに対して本人確認をしないのなら、来てもらう意味がそもそもありません。
ですので、T部長はケンヂさんがお父さんの身分証を持ってきていないと聞いて驚いたのではないかと思います。
半笑いで「本当に本人かどうかわからない」と言ったのも理解できます。
契約書類を受け取りに来た人に本人確認を渋られているんですから、意味不明です。
半笑いは不適切だと言われればそうなのですが、困って思わず笑いがこぼれるというのは誰しも経験があるのではないかな、と思うのです。
何度も書いていますが、契約に絡む手続きで本人確認をするのは当たり前です。
これは一般常識レベルなので、お父さんの身分証を持って来るよう事前に説明されていなかったという言い訳はおかしいです。
ただ、8/19のケンヂさんによる「身分証もいらないんですね」という確認がこれを読み解くヒントになると私は考えています。
ケンヂさんは「お父さんを連れていけば(一切の)身分証は不要」と確認したつもりだったのではないかと思います。
しかし、T部長としてはケンヂさんの身分証提示で揉めたわけですから、「お父さんを連れていけば(ケンヂさんの)身分証は不要」という話だと受け取ったのではないでしょうか。
そもそも契約に関わる手続きで、本人が行けば本人確認しなくていいなんていう道理はありませんので、T部長に確認するまでもなく、少なくとも「お父さんの身分証が不要」というつもりではなかった事は分かります。
最初にケンヂさんに身分証を持って来るよう伝えている事からも、本人確認をスキップするという選択肢は、はなからT部長にはありません。
ケンヂさんがお父さんの身分証は不要だと考えていたという推測には傍証があります。
8/20にお店に行く前、老人ホームにお父さんを迎えに行っており、なおかつそこにお父さんの身分証がある事をケンヂさんは知っていたという事です(だから店頭で揉めた後すぐ取りに行っています)。
要するに、持って行こうと思えば持って行けたわけです。
また、普通は本人確認のために身分証が必要な事も知っていたはずです(現に8/19にT部長から求められています)。
なのにお父さんの身分証を持って行かなかったのは、「聞いていなかった」のではなく「不要だと思っていた」と考えた方がしっくりきます。
ここは多分に私の想像ではありますが、そうでなかったらケンヂさんは「本人が行けば本人確認なしで書類が受け取れる」と本気で考えていたという事になりますので、相当おかしな人になってしまいます。
そんな事はないと思います。
理論上可能ではあったと思いますが、事実上あり得なかったと思われます。
そもそもケンヂさんに提示する意思がありませんでしたし、今回ヨッピーさんが確認した内容を元にすればT部長も拒否しています。
もっとも、T部長が最初にケンヂさんの身分証を求めた時点でケンヂさんが了承していれば、お父さんを連れて行く必要すらなくすんなりと話が進んだ事は想像に難くありません。
ケンヂさんが8/19のやり取りで身分証の提示を拒否した事そのものはケンヂさんの判断なので尊重すべきだと思いますが、その結果起こった事についてはきちんと責任を負うべきです。
(解約時に提示していないのは論外なので別の話です。)
まとめますと、「8/20にお父さんを連れて行く事について、誰が決めたのか」は分からないという事です。
言葉の上ではPCデポ(T部長)のようですが、なぜそうなったのかは分かりません。
今回明かされた8/19のやり取りは非常に断片的で、特に口論の内容が明らかにならない限り何とも言えないというのが正直なところです。
ちなみに、ヨッピーさんとPCデポに詳細な内容の開示を求めましたが、両方拒否されました。
まあ、私は匿名のいちツイッターユーザーなので、それは理解できます(ちなみにPCデポへ問い合わせした時は本名を出しています)。
そして、仮にお父さんを連れて行くという要求がPCデポ側のものだったとしても、そう要求するしかない状況を作ったのは、他でもない、身分証提示を拒否したケンヂさんです。
この前提を受けて記事を改めて評価すると、「前提を無視してお父さんを連れて行った事の責任をPCデポ側に押し付けている点でアンフェアである」ということになります。
そしてアンフェアな内容をもってPCデポ側を責めているため、8/20のくだりの論評部分はデマと言って差し支えないと思います。
少なくとも、公平な視点に立って書かれた論評ではありません。
8/20のくだりについてはほぼ終わっているのですが、もう少し続きます。
ヨッピーさんの記事を語るに当たって、無視できない視点があります。
「書いていない事」への評価です。
例え書いてある事が事実であったとしても、その背景・前提を省けば、正反対の印象、情報を読者に与える事ができます。
例えば、「契約書にサインした」という事実があったとしましょう。
ところが、サインした当時、窓のない2階の部屋に軟禁され、怖いお兄さんに凄まれてサインするまで3時間プレッシャーを受け続けたという背景があれば、無効だという主張は正当なものになるわけです。
同じように、「認知症のお父さんを連れて行った」という事実は強烈なインパクトをもって世間に受け入れられたわけですが、実はその背景は知られておらず、改めて確認してもきちんとは分からないわけです。
むしろPCデポが書類を渡すためには、他に選択肢がなかったのではないかとさえ思われるわけです。
しかし、背景をカットした上で「高齢者の父親を老人ホームから連れ出さなければいけなかったこと(中略)などなどがケンヂさんを硬化させてしまった原因なのかなと思っております」というヨッピーさんの論評が入る事で説得力が生まれ、世間にはこの炎上が高齢者問題として受け止められたわけです。
果たしてそれが正しいと言えるのでしょうか。
これはとても大事な事なんですが、ヨッピーさんの記事を読んで、ケンヂさんが一連のやり取りを通して一度もPCデポに対して本人証明をしていない事を読み取れた人はいたでしょうか。
ケンヂさんが一貫して自身の身分証提示を拒否していた事を読み取れた人がいたでしょうか。
T部長が正規の手続きを取ろうとする限り、あの8/20の展開は避けられなかった、避けられないようにしたのはケンヂさんだと読み取れた人がいたでしょうか。
これは正直個人攻撃になるため書くのを迷う面もあるのですが…。
記事を読んだだけでは、なんとなくお父さんのために色々手を尽くしている孝行息子という印象になるかと思います。
8/19にT部長と口論になったところは、違和感を感じた人もいるのではないかと思います。
「以前に解約した時は必要なかったのに今更なんだ」、つまり、1回目も、2回目も、本人確認なしで解約しているのです。
これは相当おかしいです。
先にも書きましたが、契約関連の事務手続きをする際は本人確認(身分証の確認)をします。
しないという選択肢はあり得ません。
なぜそのあり得ない事が起こったかと言うと、ケンヂさんが店頭で怒鳴り、暴言を吐いていたからです。
1回目の解約時に店頭で暴言を吐いた事については、ケンヂさん本人がツイートで認めています。
(ヨッピーさんはなぜか因果関係を否定し、店員さんが手続きをよく分かっていなかったのではないか、と珍説を述べていました。
サポートプランがころころ変わるからスタッフでも追いきれないという店員さんからのコメントを元にしているのですが、本人確認はプランの内容以前の、手続きにおける基本中の基本です。
あまりに店員さんを馬鹿にした発言で、ちょっと腹が立ちました。)
ちなみに、PCデポの店員さんはインカムでバックヤードとやり取りをしているので、個人の判断で本人確認をスキップしたり、10万円もの減額をしたりはできません。
2回目の解約の時は、店頭で怒鳴っているのをケンヂさんは自分で録音し、テレビ番組で公開していました。
また、前回、前々回と本人確認なしで解約したという特別扱いを元に、8/20も本人確認なしで書類を渡すよう要求を重ねています。
過去のクレームの成功体験により、さらにクレームを重ねるようになるというのはクレーマーにありがちな性向です。
ヨッピーさん記事でも、1回目に無償解約を受けたところのくだりで「「では何故無償解除に応じたのか」という疑問が残る」とありますが、本人確認なしで無償解約なんていうおかしな対応は、通常の交渉で引き出せるものではありません。
なんの事はない、店頭で怒鳴って、店員を萎縮させて勝ち取ったのです。
2回目の解約時も店頭で怒鳴り、また本人確認なしで半額引きという対応を引き出しています。
ヨッピーさんは店頭で怒鳴った事を「異議」「抗議」という言葉で表現したと主張しましたが、これらの言葉で表現できるようなクレームとはとても思えません。
少し余談になりますが、私がウォッチしている限りでは、通常の交渉でPCデポから解約金の減額対応を引き出すのは不可能に近いだろうと感じています。
それだけ、言い方は悪いですがPCデポスタッフは言い逃れする能力と言いくるめる能力が高いです(評判の悪さの一因です)。
改めて考えると、無償解約を勝ち取っている時点で「ケンヂさんは何をやったんだ」となるような案件なんですね。
PCデポの「プレミアムサービス」関連の契約に諸々の問題がある事は間違いないとして、それとケンヂさんの行動は独立して評価されるべきものです。
8/19に身分証の提示を求められて怒り出したケンヂさんの行動は端的に言って異常ですし、そのやり取りの末に交わした不完全な約束(誰の身分証が不要なのかコンセンサスが取れていない)の責任を、PCデポとT部長だけに求めるのは間違っています。
ヨッピーさんは、話がこじれた理由はT部長が話をコロコロ変えるからだ、と言いました。
しかし、詳細に追ってみると、実はそれほど変わっていません。
8/20に絡んだ件で発言を覆したのは、私の知る限り野島社長との面談が流れた時と、8/19にケンヂさんの身分証では契約書類を渡せないとした時の2回だけです。
前者はケンヂさんがメディア対応をしたと勘違いしているところでフリーライターという言葉が出た点、後者はケンヂさんが不当な要求で怒り始めた点を考慮すると、覆した事にも脈絡がないわけではありません。
本人確認の手続きについては、むしろ一貫して原則に従った正しい対応をしています。
言っている事が変わっているように見えるのは、ケンヂさんが当たり前の手続きをスキップしようとしていたからです。
背景となった出来事や情報のうち、ケンヂさんに悪い印象を与えうる要素は記事からすっぽりと抜け落ちています。
一方で、PCデポの本人確認のプロセスについてはあたかも不要であるかのような書き方をしています。
契約書類の受け取りに本人確認が必要だという、ケンヂさんが当然わきまえているべき常識については、T部長が説明していなかった、当日になっていきなり持ち出してきたとしてケンヂさんを擁護しています。
記事全体を通して、極めて強くケンヂさん寄りのバイアスがかかっています。
書いてある事実関係が間違っているのではないんです。
これでも下書きから結構カットしたのですが、優に1万字を超える長文になりました。
とりあえず、これだけの交渉をしながら、ケンヂさんが一度もPCデポに身分証明をしていないという異常事態は分かってもらえたのではないかと思います。
身分を隠して店頭で怒鳴り、自分のものですらない契約の破棄を迫るというのがまともな交渉なわけがありません。
PCデポの契約がいかに納得のいかないものであったとしても、この行為を正当化できるものではないと思います。
そして、それを受けての8/19のT部長との会話です。
ヨッピーさんは「これまで散々やり取りしてきたのに今更身分証を求めた」というような擁護をしていましたが、経緯も含めて、身分証の提示を拒否する事に一切の正当性はありません。
これだけの経緯があって、お父さんを店頭まで連れ出したのを「PCデポの要望」でまとめてしまうのは問題があると思いますし、問題がないと思うような人にはこういった問題を論じる資格はないだろうと思うわけです。
これでお話は一通り終わりですが、もうちょっとだけ続きがあります。
以下は、ヨッピーさんが私に「事実誤認がある」とツイートし、その内容が示されていないという指摘への反論です。
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※ヨッピー注
この時点での「事実誤認」というのは「独り言にて」さんの以下のツイートを指します。
“ケンヂ氏が自身の身分証の提示を拒んだせいで父親を店舗に連れて行き、かつ父親の身分証を取りに戻る流れになった”
この書き方では「父親を店舗に連れて行くはめになったのはケンヂさんが身分証の提示を断ったからだ」という風に読めますが、僕およびケンヂさんの認識では「身分証の提示を断ったのは事実だが、どちらにせよPCデポはお父さん本人ではないと書類を渡せないと言った」というのが正しいです。つまりお父さん本人を連れて来るように要請したのはPCデポであると認識してます。
更にこの辺、
“ケンヂ氏の身分証を提示すれば代理人として認めるという提案を拒否した”
”「ケンヂ氏が身分証を提示するなら父親が同行しなくても対応する」という旨の打診はあった。”
このツイートも我々の認識と違います。PCデポから上記のような提案、打診があった事はありません。ケンヂさんが言うには「では自分の身分証を出せば父親を連れて行かなくてもいいのか」と確認した所、「それでもやはり書類は本人にしか渡せない」とT部長から言われた、との事です。
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前半については、既に本文中に書いてあるのですが、T部長がお父さんを連れてくるよう求めたのは本人確認のためとしか思えないので、ケンヂさんが身分証の提示を承諾していればお父さんを連れて行く必要はなかった可能性はとても高いです。
T部長が「お父さん本人ではないと書類を渡せない」と言ったのはケンヂさんが怒って不当な要求をした後なので、初めからその態度だったとするのはおかしいです。
その内容は8/19にケンヂさんとT部長の間にあった会話で、ヨッピーさんが「知らなかった」と言った事です。
メールでのやり取りが始まった後に知った事実で、どうやってメールする前のツイートの事実誤認が指摘できるのでしょうか。
(本当に)長くなりましたが、以上です。
そんなの、
で解決するじゃん。
そしたら、日曜だってのに皆で集まって、朝っぱらから日が暮れるまでコンクールに向けて延々練習して擦り切れる…なんてバカげたことは起こらなくなるよ。
最初からプロに習い、レッスンで言われたことを信じて励めば、コンクール至上主義なんてアホな価値観に染まりようがないから。
てか、そんな朝から晩まで合わせる練習したからって、合奏が上手くなるなんて思ってもらっちゃ困る。そんなに音楽は甘くない。
もちろん努力は嘘をつかないが、努力した時間が多ければいいってもんじゃない。
あと、大してレベルの違わない先輩にいじくり回され、潰されるなんてリスクも回避できる。
そんで、見込みのある子はレッスンの先生が音大受験を勧めればいい。まあレアケースだろうけど。
そもそもレッスンで何を習い、何を目指すかだけど、基本的にはクラシックの協奏曲かジャズのいずれか、もしくは両方でソロを吹けるレベルを目指すべき。
そうした個人競技ベースの技量がないのに、合奏のイロハなんて教えても時間の無駄。
だって、音に芯のないフルート、ピッチの狂ったオーボエ、濁った音のクラリネット、音に品がないサックス、いつも苦しそうな音のファゴット、高音が出ないトランペット、毎度のように音を外すホルン、間抜けで汚い音のトロンボーン、存在感ゼロのユーフォニアム、やけに音が細いチューバとか、そんな下手くそが集まっても、足の引っ張り合いにしかならないし。
楽器を買うべきなのは、楽器の手入れだって演奏の一部だし、ピアノみたいな例外を除いて、どこに行っても自分の楽器で演奏するのが基本という観点による。
ちなみに安物(ただしゴミでないことが条件)でいいのは、そもそも管楽器は消耗品=買い替え前提なので、最初の楽器が壊れるレベルで使い込むくらいじゃないと、どのみち上達しないから。