「必然」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 必然とは

2024-08-23

anond:20240823173328

別に法学徒でもないし社会契約論は昔に一回読んだだけだが、自然権が生まれるのは必然みたいな考えはかなり独特な考え方なように思う。

anond:20240823172834

人間は全ての権利を持っていたと考える方が都合がいいからそう考えてるってだけの話

うーんそうなん?

だとしたら最初に俺が言ったような感じで、自然権があるということにしといた方が都合がいいからあるということにする、っていう方向性に戻ってくるような気もするな

俺と延々と話してた増田はどっちかというと、宇宙法則を鑑みて自然権が生まれるのは必然、みたいなノリな気がするけど

2024-08-22

ぼざろのテーマは「百合ハーレム」であって、「音楽」はサブテーママクガフィンしかないってことも読み取れない奴がおるのか・・・

結局、「ぼっち・ざ・ろっく!」って、音楽だけでは勝負できないからアニメという皮を被った、みたいな音楽の敗北を感じるんだよね

物を知らないとこんな勘違いも出来るのかと感心する。

老人すぎて「まんがタイムきらら」という雑誌性質を知らないんだろうな。

原作が載ってる雑誌カラーぐらい考慮してから語れよ。

まんがタイムきらら」というのは「女の子キャッキャウフフしてる4コマ漫画ばかりが載った雑誌」で基本的にはソフト百合(一部キャラのみハード百合)がコンセプトの作品が集まっている。

百合のものテーマにしたコミック百合姫のような雑誌ではなく、あくまで「女の子同士が楽しく過ごしてるのっていいよね。ちょっとエッチイベントもあると嬉しいしちょっと百合だと良いよね」ぐらいの百合

そんな雑誌に乗っているわけだからして、必然ぼざろもテーマソフト百合なのだよ。

さて、それでは何故ぼざろが「音楽」もテーマとして扱っているのかといえば、これは百合ハーレムを実現するためのマクガフィンなわけだ。

まんがタイムきららには20作ぐらいソフト百合美少女四コマが載っているのだが、これと同じコンセプトの雑誌が「まんがタイムきららシリーズ」だけで5つある。

まんがタイムきららまんがタイムきららフォワード、まんがタイムきららキャラットと言った感じの本がそれぞれが月間発売されているのだ。

まりまんがタイムきららの中だけで100作のソフト百合美少女4コマ漫画がしのぎを削っているわけで、当然それぞれにソフト百合を書き分けなければそもそも相手にされない魔のレッドオーシャンなわけだ。

たとえば主人公たちを凄い不運にするとか、カフェで働かせるとか、国際交流テーマにするとか、美術科を部隊にするとか、それぞれの漫画がなんらかの要素をサブテーマにすることでなんとか個性を出している。

サブテーマ選びで元められるのは、自然な流れで自分の出したい百合カラーに繋げるためのマクガフィン性能だ。

ぼざらの場合は「絶望的に陰キャ主人公が、実はインターネットではヒーローで、その凄さを知った超陽キャ美少女から惚れられてハーレム化してしまう」という百合ストーリーを目指して「実はギターヒーロー」というコンセプトを見出したわけだな。

結果として、虹夏や喜多ちゃんと言った陰キャのままだったら絶対に接点を作れなかったような相手といい感じに百合百合して過ごしているわけだ。

こうしたサブテーマ選びにおいて重要なのは作者が興味を持てること。

なぜならいくら百合がメインとはいえサブテーマが雑すぎるとツッコミ所が多すぎて目が滑るから

あと、まんがタイムきららなんて読んでるようなオタク性格が超陰湿から弓道警察みたいなことを凄い勢いでするので、ミスをするのが超リスキー

しか性格がやたら被害妄想的だから「俺の好きな分野を商業的に利用するために興味もないのに扱った!文化盗用!燃やすぞ!」と暴れ出してしまう。

から作者が既に詳しい分野、もしくはまだ詳しくなくても勉強が苦にならない分野が選ばれるわけだね。

まあこのへんの知識がなくても、作品を素直に読み解いていれば「ふーん。つまりは超絶陰キャ太陽の光でギラギラに溶けていく様子を描いて、オタクに優しいギャル系の成分を抽出したいのか」ってことはなんとなく分かると思うんだがなー。

感性が老化しきったジジイには無理だったかー。

憐れよな。

俺もいずれこうなるのかな。

悲しいなあ。

米国株本一覧

米国株本を年代順に並べてみた。書名に「米国株」「アメリカ株」(「米国投信」)が含まれているものに限ったが、葉山櫂「外国株投資入門」(1997年)はパイオニア的な本なので含めた。電子書籍は除いたが、Panさんのものは含めている。

1990年代】(6冊)

外国株投資入門: リッチマンへのバイパス (実日ビジネス) – 1997/7/1葉山櫂 (著)

1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資 : インターネットで始めよう! 荒井拓也 著 NTT出版 1998

インターネットを使った株式投資 : あなた日本株,それとも米国株 大和総研 監修,大村岳雄, 野口祥吾 著 中央経済社 1999 (CK books)

1,000ドルからアメリカ株式投資 : 徹底編 Coca-ColaからYahoo!まで 荒井拓也 著 NTT出版 1999

アメリカ株急落、日本株急騰する日 : なぜ日本が再び復活し、アメリカは沈むか 藤井厳喜日新報道 1999

デイ・トレード入門: インターネットインフラがもたらした究極の投資米国株投資 (WEBビジネスシリーズ) – 1999/11/1中谷 恒敏 (著)

2000年代】(9冊)

Nasdaq100社の徹底研究 : 米国株投資10倍株の宝庫 荒井拓也 著 講談社 2000

オンライントレード入門 : ダイレクトアクセストレード対応する : 米国株投資 西郷一輝 著 ソシム 2000 (Webビジネスシリーズ)

日本語だけでできるアメリカ株 : これが銘柄の全注文状況を把握できるリアルタイムトレードだ! 櫻井貴志アスカエフプロダクツ 2000 (CD book)

投機バブル根拠なき熱狂 : アメリカ株式市場暴落必然 ロバート・J.シラー 著,植草一秀 監訳,沢崎冬日ダイヤモンド社 2001

決定版 1000ドルから本気でやるアメリカ株式投資―長期資産形成!いま、原点から戦略

荒井 拓也 | 2002/11/1

米国株夜間トレードで儲ける方法 : 日本語だけで買える 宝島社 2004 (別冊宝島 ; 1034号)

米国株面白いほど儲ける本 : ネットで始める英語不要米国株投資入門 米国株トレードを楽しむ会 編 中経出版 2004

原油高騰でザクザク儲かる米国株を狙え! スティーブン・リーブ, ドナ・リーブ 著,盛岩外四 監訳 ランダムハウス講談社 2005

アメリカ投資完全マニュアル 基礎知識&口座開設編 麻生稔 著 パンローリング 2006 (本気の海外投資シリーズ ; 3)

2010年代】(8冊)

アメリカ株 長期投資入門―2022年NYダウは4万ドルへ上昇する 2010/6/18中丸友一郎 (著)

2011年はドル米国株で儲けなさい : アメリカ経済大復活! 中丸友一郎/著 徳間書店 2010

日本人が知らなかった海外投資 米国株 アメリカゲートウェイ世界中の成長市場に賭ける(ソフトカバー2012/1/12戸松信博 (著)

世界マーケットで戦ってきた僕が米国株を勧めるこれだけの理由 松本大 著,マネックス証券株式会社 監修 東洋経済新報社 2013

米国株は3倍になる! : 日本株も上昇に転じた2018年投資戦略 江守哲 著 ビジネス2017

バカでも稼げる 「米国株」高配当投資ソフトカバー) – 2018/4/28バフェット太郎 (著), はるたけめぐみ (イラスト)

お金が増える 米国株超楽ちん投資術 – 2019/10/18たぱぞう (著)

40代資産1億円! 寝ながら稼げるグータ投資術~初心者でもできる、はじめての「米国株投資ソフトカバー) – 2019/10/19たぱぞう (著), アゲオカ (イラスト)

2020年】(5冊)

バリュ投資家のための「米国株データ分析―ひと握りの優良株が割安になるときの見分け方(ソフトカバー)– 2020/1/25ひろめ (著)

世界一やさしい 米国株教科書 1年生 – 2020/6/2はちどう (著)

金を買え 米国株バブル経済終わりの始まり2020/7/22江守哲 (著)

もみあげ米国株投資講座 – 2020/10/17もみあげ (著)

今こそチャンス! 資産を増やす米国株投資入門(ソフトカバー)– 2020/12/3岡元兵八郎 (著)

2021年】(17冊)

超ど素人がはじめる米国株ソフトカバー2021/1/18 20代怠け者(上本敏雅) 著 翔泳社

No.1ストラテジストが教える米国株投資の儲け方と発想法 = ADVANTAGES ASSOCIATED WITH LONG-TERM INVESTMENTS IN US STOCKS菊地正俊日本実業出版2021/1/26

はじめての米国株入門 : はじめ方から勝利のコツまでオールカラーでやさしく解説! 2021/2/2岸泰裕 著 成美堂出版

英語力・知識ゼロから始める!エル式米国株投資で1億円 = START FROM ZERO AND BECOME A MILLIONAIRE WITH US STOCKSエル 著 ダイヤモンド社 2021/2/10

増える! りんり式米国株投資2021-03-16 (TJMOOK)りんり 監修 宝島社

経済的自由をこの手に! 米国株で始める 100万円からセミリタイア投資2021/6/23たぱぞう (著)

図解でよくわかるたぱぞう式米国株投資 : 目指せ!資産1憶円! 2021/6/29たぱぞう(著)きずな出版

素人でも稼げる! まんがと図解で超カンタン 1億円をつくる米国株投資 2021/7/5エル (著), とも (著), 配当くん (著), はちどう (著), もみあげ (著), NUK (著), PAN (著)

【完全ガイドシリーズ325】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) 2021/7/14晋遊舎 (著)

米国株 S&P500インデックス投資 2021/8/10堀越陽介 (著)

10万円以下からはじめる! 米国株超入門 (TJMOOK) 2021/9/13竹内弘樹 (監修)

今日から始める! 米国株投資超入門: 松本大がやっぱり勧めるこれだけの理由 2021/10/8松本大 (著)

世界一やさしい 米国ETF教科書 1年生 単行本 2021/11/19 橘ハル (著)

2022年度決定版! ゼロから始める 米国株投資入門 雑誌 2021/11/27たぱぞう (監修)

いちばんカンタン! 米国株の超入門書ソフトカバー2021/12/4安恒 理 (著)

33歳で年収300万円台でも 米国株投資爆速1億円 まーしー(著) 2021/12/8

80分でマスター! [ガチ速]米国株入門(ソフトカバー2021/12/17 金川顕教 (著)

2022年】(13冊)

株探 最強投資米国株FIREの達人が伝授! ほったらかしで1億円を作る! 2022/1/21 カロリーナ (著), たぱぞう (著), ふくと (著), まーしー (著), PAN (著)

めざせ1億円!米国株投資超入門 (COSMIC MOOK) 2022/2/21宮原晴美 (著)

米国株チャート最強の教科書ソフトカバー2022/2/23鎌田傳 (著)

米国株 長き宴の終わり 単行本ソフトカバー2022/3/1若林栄四 (著)

2022年米国株の稼ぎ技196 (SIB) 2022/5/2ループプロダクション (著, 編集), 松田遼司 (著), 伊藤亮太 (著), 伊藤キイチ (イラスト), たぱぞう (その他)

知識ゼロから米国株投資入門 2022/5/11岡元兵八郎 (監修)

米国株なんて買うな! インデックス投資も今はやめとけ! グローバル割安株投資ソフトカバー2022/5/21日野秀規 (著)

たぱぞう式 米国株お宝銘柄投資 たぱぞう 2022/7/15

【完全ガイドシリーズ355】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ)晋遊舎 2022/7/21

20万円の不労所得を手に入れる! おけいどん式ほったらかし米国ETF入門 桶井道 2022/8/12

めざせ「億り人」!マンガでわかる最強の米国株入門 安恒理2022/9/14

月3万円で3408万円の超安心資産をつくる! 毎月5分のシン・米国株投資レイチェル 2022/10/3

米国株「レバナス投資 月1万円の積み立てから狙う“悪魔的リターン” 風丸 2022/10/28

2023年】(5冊)

リアルガチ!3倍になる米国個別株の見つけ方 月収30万円ボーナスなしサラリーマンでも2.6億円つくった方法 チョコ (著) 2023/1/26

ほったらかし投資FIRE 手間なく7年で早期リタイアする「米国株」高配当投資単行本ソフトカバー)ゆうパパ (著) 2023/2/2

【完全ガイドシリーズ372】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) – 2023/7/26晋遊舎 (著)

世界一わかりやすい「米国株投資」の教科書ゼロからわかる新NISA活用法~PAN | 2023/10/23Kindle版 (電子書籍)

最強の米国株2024 for Beginners (パワームック)大洋図書もみあげ | 2023/12/18

2024年】(4冊)(8月20日現在)

負けない米国株投資術 米ヘッジファンドの勝ち方で資産を増やす!まりーさん | KADOKAWA (2024/3/1)

NISAではじめる 米国株投資2024/6/10岸泰裕 (著)

米国株大全 2024-2025 NASDAQ100&配当スペシャル (パワームック) – 2024/7/16大洋図書 (その他)

NISA米国投信かんたんスタートガイド (100%ムックシリーズ) – 2024/7/24晋遊舎 (著)

注釈をつけだすと切りがないので、いくつか注釈するにとどめる。

葉山櫂「外国株投資入門: リッチマンへのバイパス」(1997年)が、たぶん米国株本のトップバッターである外国株投資入門を謳っているものの、ほぼ米国株についてしか書かれていない。著者略歴には「1958年横浜出身1981年上智大学法学部卒業後、大手タイヤメーカーに勤務。西はパキスタンから、南はインドネシアまで、ほぼアジア全域を行脚。85年より中国専門担当になり、香港拠点マーケティング活動、87年帰国。88年より大手証券会社転職、同年より93年まで再び香港駐在通算、7年半の香港駐在)、帰国後、東京本社外国株式を専門に分析プロモート開始。現在に至る。」とある。この本の他に「精霊たちの夏」という小説1994年刊行している。この二冊の本を刊行してから消息は分からない。

この頃はなかなか米国株を買うのは難しかったようである。もちろん、東証上場している企業の株は買えたのであるが、それ以外を買うには、日本証券会社は取り次いでくれないので、現地の証券会社に口座を作らなければならなかったようである東証アップルは買えたが、マイクロソフトは買えなかったらしい。

ツイッターでは、同書は十年に一度くらい言及されているようである

ki-iphone@kiiphone:「@furontorsan 尊敬します。マクロとか、ミクロとか、よく分からんです。「外国株投資入門 - リッチマンへのバイパス葉山櫂 もお勧めです。私のバイブル。分かりやすい。絶版だと思うので、アマゾンマーケットプレイスか。これを参考に投資して私は120cm水槽を買いました。」(20101月26日

KazooJr.@kazooJr:「相場は大荒れ、おっさんには手が出ないので、だって反射神経が若者と段違い。/初めて買った株の本、外国株投資入門、葉山 櫂著を引っ張り出して読んでいる。/1997年発行の古い本だが、中身は古くなっていないのに驚く。」(2020年3月20日

「中身は古くなっていない」というのはその通りであろう。これは日本アメリカも変わっていないかである。同書には、アメリカ開放的で、あらゆる人種の人がしのぎを削っているが、日本は閉鎖的であり、ハイテクのような新しい産業アメリカに敵うわけがない。日本はこれから没落していき、長期的には円安傾向になるであろうといったことが書かれているが、当たっていた。円安傾向はアベノミクスから始まるとはいえ成長産業がないので、遅かれ早かれそうなっていたはずである。この本が出たのは1997年であるが、この年は、山一証券拓銀が潰れて、危機的な経済状況に突入した年であり、そういう年に米国株本というジャンルが産声を上げたというのは象徴である

しかし、葉山櫂「外国株投資入門」はほとんど知られていないようである。むしろこの頃の米国株本を牽引したのは荒井拓也である荒井氏の「1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資」(1998年)はそれなりに売れたようで、それから何冊も米国株本を出している。しかし、アメリカITバブルであり、ここで買っていれば損をしたのかもしれない。

この頃はインターネット草創期でもあり、ネットで株が売買できるようになった(1998年松井証券が始めたらしい)。しかし、ネットで行われていたのは米国株の売買というより、FXなどのデイトレードであろう。迷惑ユーチューバー煉獄コロアキも、デイトレードで稼ぎ、3億くらい資産があったこともあった(誰にでもできることではない)。しかし、勝ち続けるのは難しく、現在では借金が1億くらいあるらしい。

ITバブル崩壊から立ち直った途端にリーマンショックが襲った。ここで買っていれば儲かったのであるが、買おうと思えるような状況ではなかったことも事実である。そんな中、2010年に中丸友一郎は2冊の米国株本を出しているが、これは今から見れば大当たりである中丸氏はウィキペディアにもページがあり、世界銀行エコノミストなどを歴任し、2004年から2021年にかけて28冊の本を出している(ウィキペディアの著書一覧は2017年までしか書かれていない)。発売当時のツイートに次のようなものがある。

たり@talisman1975:「2011年はドル米国株で儲けなさい:中丸友一郎 支店長にもらった本。浅井隆みたいなのかと思ってたけど、ものすごく Permalink | 記事への反応(0) | 09:48

2024-08-18

今日なんちゃらでほげほげでこーんなことがあっておもしろかった!

って気軽にXに投稿したくなるけど、文章的にまとめようとおもうと案外難しくて

とはいえ 続く→ みたいな最近流行りの?連続投稿的なフォーマットにはしたくなくて

ああ、これが文字数の壁ってやつね…とブルーな気分になるのね

やっぱり心は1つの投稿で完結したいのよ

と思うと必然ブログ匿名ダイアリーなっちゃうわけで

わたしSNS向いてないのかなあーって思うでござるよ

自分ができることで生きていきたい

それはいますぐできるじゃなくても時間をかけて研ぎ澄ませていけばできることも含む、ただしその時間たっぷりと与えられることが前提だけど

 

できることで生きたいっていうより、正確には、できないことをやれと言われて、できないですと正直に告白したら何故かがっかりされる、よくわからない世の中がいやだ

できないことができると勝手に思われている世界がいやだ

プログラミングは書けるけれど好きじゃないし、環境を与えられて手順を教えて貰わないかぎりしっかりとはできないし、なんか歴が長いからという理由ミッションが与えられればよしなに成し遂げてくれるだろうと勝手に期待されても、僕にそんな能力はないのでできない

それがなぜ理解してもらえない?というか、なぜ「できる」前提で話が進む?

すべてが「できない」前提で「できる」ことをポイントごとに確認を重ねていけばいいのではないの?

考え方がよくわからない

仕事責任をもってやんなきゃならないけれど出来もしないことを出来ると偽るよりはできないと言ったほうが建設的だと僕は思う、あるいはほんとうに正直な「わかりません」によってつぎに駒を進めるしかないじゃないかしかしなぜそれで満足してくれない?

 

できることは多いほうがいいと思う、漫画キャラクターみたいに、だけど現実問題できないことのほうが多いんだよ、

ネットワークだってwebアプリだって電子回路だって統計学だってぜんぶぜんぶわかるわけがないんだよ

人間は生き物なんだ、ルールで動くシステムじゃないんだ、気まぐれでイヤにもなるし腐ったりもする、

 

なんで出来るとおもっちゃうの?大学を出たから?高校生勉強して大学入学して4年経って卒業したらできるようになってるの?

そんなわけないじゃない?そりゃ勉強もしたけれどバイトやらゲームやらで明け暮れて過ぎ去った時間だって少なくないんだよ、別にずうっと専門の勉強ばっかりしてたわけじゃない

ましてや仕事ルールなんてしらない、業務的なことは業務で教えるべきでしょうが、なんで互いにわかるところのピース合わせからやらずに「分かりますよね」で進めるのだろう、そっちのほうが楽だって話なら納得するけど納得できないよ、できることは少ないんだから

プログラミングなんてCしか習ってないよ、それも挫折したし、曲がりなりにインターネットばっかりみてるからHTMLとかJavaScriptが1ミリほど「わかる」くらいでそれは「います業務に移れます」じゃないんだよ、ぼくは100万あるうちの100を知ってるだけにすぎないんだよ

世界はずっと広くて、深くて、その全体を知るのは必然時間がかかることなんだよ、それをしてこなかった僕がわるいといえばそうかもしれないけれど過ぎ去った時間の使い方を責められたってごめんなさいしか言えないじゃないか、なぜ次につなげるための橋を渡してくれないんだろう、時間を確保してくれないのだろう

 

だとしたら、そうだね

できないができるに変わるまでのロードマップ自分で整備してそれに則って進める人が立派なんだろうなと思う

短期間で確実にできるようになる人間、自らを自らの力で発展させられる人間

理想的だね、それができればね

でもそんなの全員が全員そうじゃないよ、種を撒いて水を与えてさえすれば花が開く、そんなわけないよ、こっちは土が腐って枯れる寸前なんだよ、ちゃんとやってほしいよ

腐っちゃいけないんだろうな……腐って堕ちたらそこでまたリセット健康のためにはそうせざるをえないときもあるかもね、だけど最終手段だと思ってる

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

2024-08-15

anond:20240815222930

あのねぇ

勝利者がいれば敗北者がいるのは必然なの

俺なんかが勝っちゃったら嬢どもはプライドがおられちゃうでしょ

敗北者なくらいがちょうどいいの

わかったかいボーイ

2024-08-13

におい問題,騒ぎすぎだと思ってたら”本物”に出会ってわからされた

タイトル通りだ。

ネット上で「男性でくさい人がいるかケアしろ」みたいな投稿炎上した。

炎上はどうでもよかったが,「確かににおいが気になることはあるが,そこまで目くじらを立てることか?」という疑問もあった。

というのも,私は建設現場監督をやっていて,日常的に汗のにおいを嗅いでいる。

かに汗をかいているとくさい。外から帰ってきて,エアコンのきいた現場事務所の中でも空調服の電源をつけている人がいる。

空調服の風に乗って汗のにおいが部屋中に充満するわけだが,くさいなとは思う。

しかし,我慢できる。エアコン涼しい風で体を冷やすために空調服をつけっぱなしにする気持ちもわかるだけに,

コンビニとかの一般の皆さんがいる場所は別として)熱中症が防げるならまあいいか,と思える程度だ。

それに,汗のケアは意外と面倒だ。そもそも現場では10分外にいるだけで汗でびっしょりの状態で,服が汗を吸うのは必然だ。

夏場の現場作業では飲料水を日に4~8Lは用意するので,ボディシートとか制汗剤なんか用意すると経済的負担が大きい。

対策として大抵の人がやっているのは,昼休憩か仕事終わりにタオルで汗を拭いて着替える程度だと思う。

から,「汗をかいている奴はくさい!ケアしろ!」とかいう論争があるたびに,「汗をかく職種事情も考えてくれ。大量の汗をかいている状態でも我慢できるのに,言いすぎじゃないか?」と思っていたわけである

しかし私は”本物”を知らなかった。今にして思えば,現場人間代謝がよく健康的で,毎日入浴と洗濯をするので,あまりくさくならないのである

朝8時からすでに30度を超えている夏のある日,たまたまバスに乗った。くさい,と言うよりは「毒ガスが充満している」という感覚だった。

においが目にしみる。せき込みそうになる。涙と鼻水が出てきた。においの主の詳細はあえて書かないが,一目でわかった。

冷房が効いていたが,たまりかねて窓を開けた。これか,と思い知ることになった。

おそらく彼は気づいていない。自分自分体臭口臭認識するのは難しい。

(その日は)風呂に入っているし,着ている服は(その日は)洗濯したので,くさくないと思っている。

違うのだ。不健康食生活だと体臭は酷くなるし,その日だけ風呂に入っても蓄積されたにおいは落ちないし,雑菌が繁殖した服は消毒しないとくさくなる。

においのキツさと冷気を外に逃がしている申し訳なさとで,永遠かと思う時間が過ぎ,バスから降りた。

自分では気づけない。だからこそ,健康的な食生活を心がけて,入浴と洗濯とをきっちりやっていこう。そう思った。

anond:20240813142049

ウクライナ米国傀儡国家であり此度の事変を巻き起こしたのだからロシア本土への侵略戦争に移行するのは必然というだけ

anond:20240812140519

実際に臭い人間出会った話をn1でいいから出していけば何が臭いのかわかるだろうに想像でくさそうと言うだけなのが差別になるのは必然だろ

現場とか肉体労働臭いのだったら新築新車とか新品の開封とか臭くなるでしょう

海外製品とか開封するとドブとかゴミ匂いがするやつがある

2024-08-12

anond:20240812220501

そーゆークソムーブトドメってことに気付かない程度の知能でTV出てたんだから必然

たまたまやす子だっただけで、もともとも消えるべき存在だった。

からGoogleにも消しゴムマジックされた。

2024-08-11

ワイが依存症になってまうのは必然やで

今日は、マルコフ連鎖を使って、なんで人間が何かに依存してまうんかを考えてみるで。

マルコフ連鎖の基本

まず、マルコフ連鎖っちゅうのは、ある状態から次の状態に移る確率が決まってるもんやねん。たとえば、ある日「A」っちゅう状態におったら、次の日に「B」っちゅう状態に移る確率が決まってる、そんな感じや。

依存症のモデル

さて、依存症を考えると、これを「状態」として表現することができるんや。たとえば、アルコール依存症を考えるとするやろ。状態は「飲酒量」で表せるわけや。

1. 状態定義: 0杯(飲まへん)、1杯、2杯、…、n杯みたいに、飲酒量を状態として定義するんや。

2. 遷移確率: それぞれの状態から次の状態に移る確率を決めるんや。たとえば、1杯飲んだら次の日も1杯飲む確率、2杯に増える確率、0杯に減る確率を設定するわけや。

3. 遷移行列: これらの確率行列で表すんや。行列の各要素が、ある状態から別の状態に移る確率になってるんやで。

モデル分析

この遷移行列を使って、長期的にどんな状態に落ち着くか、つまり「定常分布」を計算することができるんや。これが、どんだけの確率依存症になるかを示すんや。

たとえば、もしある状態におる確率時間が経つにつれて1に近づくんやったら、その状態が安定してる、つまり依存症になってるっちゅうことや。

まとめ

今日はこの辺にしとくけど、こうやってマルコフ連鎖を使えば、依存症の進行を数学的にモデル化して、どんな条件で依存症が進行するかを分析できるんや。ほんま、数学って奥が深いなぁ。

2024-08-09

だいたいのことは「女は性欲に振り回されてる男が嫌い」で説明がつく

二十代の女が五十代の男を相手にするわけないじゃん!とよく言われるが年上好きの女だっていることはいる。

ただ「若い子がこんなおじさんを相手にしないよ。若い人同士仲良くやんなさいね」と微笑むような枯れてる年上が「素敵!」と思われるのであって、間違っても「やっぱ女は若くないと! 俺ももう一花咲かせてやるぜ」タイプではないのである

後者は性欲に振り回されててキモい

なんで女は純真で真面目な男より暴力的ヤリチンが好きなんだよ!もよく言われるが、はたしてそれは本当に『純真で真面目な』男か?というのはさておくとして、女慣れしてないが異性を意識してる男のおどおどしたり無駄に見栄を張ったり下心を感じさせる言動はもろに「性欲に振り回されてそう」なので反射的にキモいと思われる。

一方モテていたり「別にこの女に執着しなくてもいいや」と雑な態度を取ったりする男は「性欲に振り回されてなさそう」に見える。実際はともかくとして。

ぬいペニも、「この人は性欲抜きで接してくれるな。性欲に振り回されてないんだな」と思っていたら「実は性欲で近づきました」と言われてギエェ!となってしま現象なんだと思う。

これを避けるには

最初から好きでしただと「騙してたの!?」ってなるから「接していくうちにあなたの〇〇(性格面のいいとこ)が好きになった」と言う

友達としても大事に思っている

など、性欲抜きでも親しくしたいことを伝えればキモがられはしないだろう。

つきあえないならこんな女と仲良くする必要ねーや!な人は、どう考えても性欲に振り回されているのでキモがられるのは必然です、諦めてください。

じゃあなんなら好意を示しながら女の気を引けるかというと「君だから好き」「君だけ特別である

性欲に振り回されてなさそうな態度→少しずつ仲良くなる→二人で食事デートぐらいまでいったら恋愛感情を匂わせる(君だけ特別)→良さそうな感触なら「君だから好き」を伝える→相手も同じ気持ちなら性欲を見せても大丈夫(君だけ特別」)

もちろんこれは想いが叶うことを確約するものではないが、まぁ成功率は多少上がるんじゃないかな……。

anond:20240809105536

~~感という曖昧もの必然の様に押し付けて答えたらそれは違うとはぐらかすガスライティング辟易してる。

2024-08-06

ベーシックインカムは「導入すべきかどうか」ではなく「導入せざるを得ない」のフェーズに入った

このままAI技術が発展すれば、たとえば社員が1人しかいない企業でも、AI100人分の働きをして、100人分の収入が入ってくるようになる。

まり、たった1人に100人分の富が集中することになる。

一方で、そこで生まれるはずだった雇用は失われ、多くの人々には何の収入も入ってこない。

すさまじい貧富の差だ。

この問題解決するにはAI個人所有を禁止するしかない。

すべてのAI政府管理し、そこから上がる収入を全国民に分配すればよい。

まりベーシックインカムである

ベーシックインカムの導入は必然であって、その是非を議論していられるような状況ではないのだ。

2024-08-03

電車で寝過ごしたら降りた駅から花火が見えた

自宅最寄り駅の手前、各駅停車に乗り換えていつも通りの帰路についていた

今日は偶然にも車内が空いている。連日の疲れからか、気づいたときには僕は目を閉じていた。

ドアの閉まる音。駅のアナウンス。なんとなくいつもとは違う音の違和感が、僕の意識を次第に鮮明にさせた。

なんてことだ。2駅も乗り過ごしている。

慌てて降りたがそこは定期券範囲外。

なんてことはない。何事もなく反対側ホームへ行き、引き返せばいいんだ。

しかし、それには人の流れに逆らわなければならない。僕は周囲の目が気になって駅の改札をと通過してしまった。

クソクソクソ。疲れてるし眠いし腹も痛いし喉も乾いた。最悪だ。

僕は若干自暴自棄になり、帰路につくであろう人の流れに飲み込まれて駅を出てしまった。

我を忘れて歩いていると

ドッカーン花火

都会のうっすらと明るい空が一瞬で真っ暗になって強烈な閃光が目に入り込んだ。

偶然の花火との出会いは、どの時だけは必然みたいに感じた。

花火を見たのは何年ぶりだろう。

部屋の中から聞くだけだったあの音の正体は今、眼の前にある。

かに香る硝煙の匂い

その時だけ僕は、運命なんて言葉ちょっとだけ信じてみようと思った。

2024-08-02

anond:20240802123848

階級制のように、ある線を引いて分けるとそのギリギリを競うことになるのは必然ではあるな

2024-08-01

キズナアイ騒動で盛り上がってるけど

シンプルトークが騒いでるだけで面白くなかったんだよね。

そのわりに多重言字幕とかで「ごり押し」感があったか辟易された。

シンプル面白Vチューバーが生き残ってるのは必然だと思う。

ごり押しテレビが消えていくのと同じ。

2024-07-31

進取の明治憲法

https://anond.hatelabo.jp/20210822212233

改めて違和感覚えるほど、またより適する表現が求められるほど、家父長制という言葉がこんにち現役で使われてるかは疑問だが。

そういえば「それっぽいもの」はたくさんあって、普段はなんとなくそれらを一緒くたにしがち。



ざっと数え上げてみたらそんな感じかと思うが正確性は保証の限りではない。

いずれにせよ「家父長制」は一番輪郭曖昧だよなと再確認

うっかり家父長制って言いながら家制度の話してたこととか、自分もあるかもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ところでいまWikipediaを見て明治憲法下の家制度記述面白かった。

制度とは封建社会近代国家を橋渡しするための暫定措置だったというのだ。

前近代における「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。家長個人権利義務主体ではなく、家の代表者として強大な権利行使するかわりに、家産・家業祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデル崩壊する。諸外国の例を見ても、家族制度が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史必然と思われたが、かといって未だ慣習として根付いている以上、法律をもって強引に無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権平仄を整え、戸主権主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである

2024-07-30

自演増田が壊れてしまった件

集団ストーカーと似たような思想から

精神が壊れていくのは必然だった

2024-07-27

五輪バスケ解説への違和感

テニス試合では「サービスゲームキープ」したうえで「相手方サービスゲームブレイク」したら勝てると理解している。攻撃側が有利なわけだ。

ラリーは有利な側が相手を崩すから意味があるわけで、サーブゲームキープが勝つには必須だという理解だ。

逆に言えば攻撃側が点を取れないゲームが多いと負けるということだ。

そういうスポーツは多くて、ラグビーアメフトバレーバスケもだ。

攻撃側がゲームを取るのがデフォルトで、ミスした方が多い側が負ける競技面白みに欠けるので、テニスバレーバスケラリーが多い女子競技の方が面白い)

パリ五輪バスケドイツ戦解説で「攻撃ミスは仕方がないけど、ディフェンスを頑張ってほしい」というコメントがあった。

それは逆ではないかと思った。攻撃は確実に点を取ることが勝ちにつながると思うのだ。攻撃で落とさず、ディフェンスで勝てばポイント差になる。

そしてそれはデータでも裏付けられてる。シュート成功率ドイツの方が高いのだ。負けないためにはシュート成功率が高いことが必然なのだ

3Pがあるからそこまで単純ではないとは思うが)

日本は無理なシュートで外す場面が多かった、ドイツは無理なシュートが少なかった、それがシュート成功率の差だ。

日本指導者は「勝つ方法」を理解しているか心配になった。

素人が思いつくことは当然知っているとは思うのだが、解説があまりに酷くて。

2024-07-25

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:これ

GL:anond:20240726224920

BL

なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在概念自体には触れていた。

ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。

当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。

あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くん精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたま面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。

しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。

タイトル
ジャンルRPG

(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手自分が思っているだけなので作品名はぼかす)

このゲームは、とある学校先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれ世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れ自分オキニキャラがおり、それがLくんだった。

いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分フルネームしかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからシメ耽美髪美ノブレスブリージュグレート薔薇貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。

それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。

そこで、ゲームクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初ルートファン通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。

このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネット検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品平民貴族の組み合わせのLくんとLちゃん小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。

CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。

二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュモブ、死ネタetc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画イラスト小説イメソンetc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。

そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初ルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。

それは衝撃が固体になった瞬間だった。

初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。

先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙コミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。

名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。

自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心から嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界人種差別身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。

このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情ドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。

この二人はエンディング後の後日談もいいのだ……アニメ化の際は、鹿ルートエンディング曲は風塵回廊でお願いします。

2024-07-22

この前スーパーであった出来事

日曜日の午前10時半に最寄りのスーパーレジ待ち列に並んでいた。

品質そこそこボチボチ安いという特性毎日それなりに繁盛しており、9時開店直後ならともかく休日の午前中などレジには長蛇の列ができるのだ。

取り立てて週末のみセールをやっているというわけではないが、できるだけ買い物の回数を減らしたい人々がとにかく時間のある週末にまとめ買いをする。人出が多くて買い物量も多い。長蛇の列ができるのは必然だ。

レジ有人セミセルフレジスキャン店員がして会計は精算機でやるあれ)で6レーンぐらいあるが、正直もっと増やしてもいいと思う。

待ち時間はもしかしたら実時間は大したことないのかもしれないが、体感だと結構待つ。

暇つぶしスマホいじっててもまだこれだけしか進んでないのかよって思うぐらいには長い。

私の前には親子が並んでいた。

子供幼稚園ぐらい?で母親は30半ば~アラフォーぐらいに見えた。

子供は退屈な列待ちしているにもかかわらずかなり大人しく、母親と会話などしていた。

長く並んでようやくその親子の番になった。

次の自分の番に備えて財布を取り出しポイントカードを取り出した瞬間だった。

クレジットカード使えないんですか!?」という大きな声がした。

今まさにレジスキャン中の母親だ。

この店では非現金決済は特定レジしか対応していない。

対応レジは1番と2番。ここは5番レジだ。

申し訳ありません」と謝る店員。まあそりゃそうだ。

「そんなこと聞いてない!」と激昂する母親

ちなみにレジ上に「非現金決済は1番2番レジ!」という看板がでかでかと吊り下げられている。

列に並んで暇を持て余している人々が目にしないわけがないぐらいの存在感だ。

レジ周辺にも現金決済のみの注意書きが目立つように貼ってある。

クレジットカード対応しているのはあちらのレジでして……」と店員が案内するも「また行列に並べって言うの!?」とヒートアップする母親

申し訳ありませんが……」と店員。まあそりゃそうだ。

「何とかならないの!?」と食い下がる母親気持ちはわかるがさすがに無理というものだ。

申し訳ありません」と店員が予想通りの返答をすると母親は「もういいです!」とそのまま子供を連れて出て行ってしまった。

レジ店員開店して2時間も経ってないのにものすごく疲れた顔をしていた。

内線で人を呼んでカゴに入った商品の片づけを依頼すると、「お待たせして申し訳ありません」と私のカゴのスキャンに入った。

私は「大変ですね」と声をかけようとしたが、そこまでの社交性はなかったので心の中で思うだけにした。

終わり。

2024-07-21

anond:20240721210401

要するに乙女コンテンツというジャンルでは必然主人公が「完全ではない者」である必要があり、その一つの答えとして「大人っぽくない」主人公選択されることが多いってことだろ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん