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2024-11-19

増田有料化

昨今の広告収入減少は他人事ではなく、広告運営費をまかなっているこのアノニマスダイアリーにおいても頭の痛い問題であると思う。

 

そこで増田アノニマスダイアリー有料化案を考えてきたよ!

 

課金すれば広告非表示

これは他のはてなのサービスを見る限り、当然あると思う。広告非表示の変わりに課金してもらう。

課金するとブクマを1個プレゼント

課金すればホッテントリへ一歩リードできる。増田に書く人たちはみんなホッテントリを目指してるの思うのでこれはうれしい。

アクセス解析

課金すれば自分が書いた投稿がどれだけ見られたか知ることができる。

 

他にもアイディアがあったら教えてね!

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

これから日本経済政策は現役世代を締め上げ続けるだろう

財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。

日本国民を3つのグループに分けて考えたいと思う。

1.年金生活

 年金生活者は,①年金一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。

 現役世代からしてみると,彼らの年金医療費のために自分たち負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度延命を図ってほしいが,そうはならない。

 彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。

 社会保障制度危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。

2.現役世代

 現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。

 現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会リソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。

 一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援教育に対しての投資は,自分たち負担が多少上がったとしても賛成できる。

 今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税増税マイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。

3.貧困

 貧困者は①一定水準以上の暮らしができていない者と定義する。

 多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育て教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。

 元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやす経済政策を望んでいる。

誰の失策か。

年金制度人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会運命か。

一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。

これからも現役世代を締め上げ続け,さら少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。

現役世代は諦めよう。年金生活者への支出カットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困さらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪社会治安崩壊する。

現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。

日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たち社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。

願わくは子や孫の頃には将来に希望が持てる社会にならんことを。

2024-11-17

anond:20241117180352

斎藤じゃなくて立花だろ

立花が前代未聞の応援ムーブを始めなければ斎藤なんて無謀な選挙に挑んだアホな前職で終わってたんじゃないか

性質が悪いことに立花は全国どこの地方選挙でも同じような世論操作を始めかねないか

他人事じゃないと感じている人は少なくない

コストプッシュインフレ賃金増起こせると思ってるバカ

ガチ意味が分からない。

先に調達コスト等の支出が増えるのになんで給与まで増えるなんてバカ勘違いするんだろう。

国内経済殆どを輸入に頼ってる日本コストプッシュインフレ起こしたら支出の方が先に増えるのは当然だろ。

各種指標物価が上がり始めるのを眺めながら「後は賃金上昇が起これば経済は上向く」とか

ドヤ顔が透けて見えそうな頭悪いコメントする人多いけど、コストプッシュインフレ下の日本

物価上昇を上回る賃金上昇なんかまともに出来るわけないだろ。その原資どっから出てくる想定なんだよ。

金が湯水のように沸いて出て来て天から降ってくるとでも思ってんのかね。

アメリカの分断を他人事として眺めながら議論してる場合じゃねぇよな。

日本アメリカバカに出来ないレベルで分断が進んじゃってる。

上級国民は更に富み、下級国民は更に貧する。

貧するのは自己責任

下級国民のためを謳う減税で自治体の税収を削り、ただでさえ減ってる人口さらに削ろうとしてる。

消費税減税こそ上級国民のための施策だろうに。下級国民消費税負担してる額なんでゴミみたいなレベルでしょ。

でも目先の苦しさのせいでそういう現実が見えないんだよな。

消費税減税しても下級国民の苦しさは大して変わらんが、上級国民の消費拡大は喚起できるだろう。

でも都心はともかく地方そもそも上級国民割合が少ないから、収支は大幅にマイナスだよな。

地方の壊死と大都市圏への集中が更に加速する。

地方トリアージを加速させるための消費税減税なのか?

なんというか、無責任責任者がそのツケを正に今払わされてるって感じだね。

2024-11-16

anond:20241116021456

筆者やで

ちょっと読解力が足りなかったか確認したいんだけど、「クリエイター側の妥協と生成AIを裁く難易度考慮せずに『はよ訴えればええのに』と言うのは他人事理想論であり、訴えないクリエイターの非合理的な行動に疑念を呈すお前アホなん?」って言いたいんかな?

せやったら半分合っとるな。「司法判断を基に対応が変わるんやから訴訟は戦う手段として正当であり、SNS被害を訴えるだけでは解決は難しい」の考えやから外れてはないし理想論者やな。一方で、もう半分は「解釈上は有罪にできる生成AIによる被害が、その訴訟難易度クリエイターへの負担が原因で訴えを起こせない状態は、加害者である生成AIユーザと想定が行き届かなかった法律の設定の責任でもある」というのがやすゆきさんとこの記述で言いたかたことやな。

バカゴミカスが多いのは堪忍な、書いたらだいぶスッキリしたわ。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

彼氏結婚したくないってそんなにおかしい?

28OL生涯独身希望彼氏持ち。

社会人になってからは2人目の彼氏学生時代から数えたら4人目の彼氏だ。

彼氏のことは普通に好きだ。一緒に遊ぶと楽しいし、毎日ラインでくだらない話で盛り上がるし、もちろんセックスだってする。

でも、彼氏が好きなことと結婚したい欲があるの言うのは別だ。私はどんなに彼氏が好きでも、結婚したいと思ったことが一回もない。

私の親父はクソみたいな人間だ。外面だけ良くて、家では母親暴力暴言奴隷のような扱い。

そんな親父をずっと見て育ってきたから、男に期待したことなんて一回もない。どんなに好きな彼氏でも、どうせ結婚したら変わるんやろ?って思っている。

あと、私は男に本音を言うことができない。やめて欲しいこととか、嫌なこととか。結婚すると、そう言うことを言わざるを得ない場面も出てくると思う。本音でぶつかるのが怖いから、結婚したくないと思ってしまう。

でも、彼氏はいてほしい。私はお出かけが好きなのだが、彼氏がいればデートという名目でたくさん外出ができる。デートスポットにも行ける。クリスマスバレンタイン他人事じゃなくなる。貴重な20代を目一杯楽しむ一要素として、彼氏は必需品だと思っている。

結婚を一ミリも考えてないから、付き合いは気楽だ。耳障りのいい会話だけして、楽しむだけ楽しんで、ほんとうに嫌になったら別れればいいから。食生活がガタガタの彼氏や、それは健康に良くないんじゃない?と思うことをやっている彼氏もいたけど、指摘なんてしない。怖いし、そんなつまんないこと言ったら楽しくないからね。でも、結婚となるとそう言うことも言わなきゃなんだろうなぁと思うと、なんかめんどくさい。

もし彼氏の子供ができたら、私は彼氏には告げずに別れるだろう。一緒に育てるなんて選択肢はハナから無い。とにかく、夫というものに恐怖心と失望感が大きすぎて、夫ができるなんて一ミリも考えたく無いのだ。あー、おぞましすぎて吐き気がしてきた。

でも、最近20代も終わりに差し掛かって、子供が欲しいと思うようになってきた。

今の彼氏に孕ませてもらって、シンママになろうかなぁと思ってる。自分1人の稼ぎでも十分やっていけるし、旦那のめんどうを見ながら仕事もして、、ってやってたら疲れそうなので。

追記

相手に伝えとけって意見あるけど、伝えるわけなくなーい?笑 子供できたら何も告げずにバイバイだよー👋

なんで伝える必要があるのか本気でわからないです。

追記)これ、なんでか考えたんだけど、子供を愛してる父親存在するのが信じられないからなんだよね。見たことないし。父親って、子供のこと愛してるもんなの?子供って、父親が欲しいと思うもんなの?

追記2

養育費取られないなら

自分遺伝子勝手に育ってくれてうれしいんじゃないか

←この意見、そうはならないと思ってます

だって自分遺伝子が育ってることを知る手立てありませんから笑笑

追記3

子供には死別と伝えます

結婚したくないけど子供は欲しいと強く思い始めたのは10年前からなので、金銭的にも環境的にもそれが叶うように進路選択をし就職しました。

異常者だと思うかもしれませんが、死別したと子供を騙すための嘘のシナリオをもう大体作ってるので、それを全力で演じるまでです。なんならダミー仏壇もおきます遺影も。狂ってるでしょ。狂ってるんですよ。

私は碌な家庭で育ってないです。生育歴は変えられません。親戚一同、私の親も私の祖父母叔父叔母も見渡す限りみんな毒親です。そのせいで叔母は変な宗教にハマったし従兄弟は✖️2だし従姉妹は中卒です。

もう、この負の連鎖止めたいんですよね。ここで止めたいんですどうしても。

から私演じたいんですよ母親を。私の人生かけてこの負の連鎖を止めたいんです。

じゃあ良い夫を見つければ良いじゃんって?無理なんですよ。こんな育ちをした人間が、人と本音でぶつかるのが怖い人間がまともな夫に出会えると思います?良い家庭を築けると思いますか?

だったら、ストーリー作った方が早いと思ったんです。あなたにはお父さんがいたよ、本当に素晴らしい人だったよ、でも死んじゃったんだ、それは仕方のないことだったんだよ。だから一緒に頑張ろうね。って。

私は人と接する時、基本的に嘘をついてます。嘘はつき慣れてます。だったら、得意の嘘で子供を騙して生きようと。

毒親連鎖を止めるにはこれしかないんだと思ってます

最近流行りましたよね、嘘はとびきりの愛。

私はその言葉を信じてます

anond:20241115000009

国会図書館80年代初頭の「マイコンブーム資料を漁っていたら、マイコン嫌い、マイコン拒否症、マイコン恐怖症などという言葉が頻繁に出てきた。これだけ見ると、日本人って新しものに対する拒否感って強いのかなと思ったりするけど、逆に産業用ロボットなんかは欧米では労働者抵抗で導入が遅れているけど、日本ではどんどん導入されてるみたいな話も書いてある

でも80年代以降だけでも作業自動化で多くの仕事消滅したり、労働価値が低下してきたことは確か

人員削減の影響で買った製品サポート窓口に中々たどり着けないなんて話があるけど、大企業なんか人事は歩合制の就職エージェント化、総務部経理ITは外部委託でほぼ中の人がいなくなって、自社の制度を知りたくてもAI自動応答しかなく全然回答にたどり着けないってこともずいぶん前から起きてる

他人事じゃないよね

2024-11-13

イラストを見るのをやめた

からずっと好きな漫画家がいた。

模写するほど絵柄に惚れ込んでいた。

そんな先生の行動を見て自分イラストを見るのをやめた。



とあるイラストに目立たないレベルで「AI学習禁止」というウォーターマークがあったのを見かけた。

イラストの色味的に拡大してやっと分かるレベルウォーターマークで拡大するまで気づけなかった。

気づきたくなかった。

先生が生成AIに対してどの程度の知識があるかは分からない。

でもLoRAなどで個人学習されないようにと警告する意味で付けたんだろうと思い込むには整合性が取れなくてモヤモヤしている。

なんで目立たないようにつけた?

先生はどんな気持ちであのウォーターマークをつけたんだろう。

どのような葛藤を抱えていたのだろう。


先生SNSで生成AIに対する発信は一度もしなかった。

ある日突然イラストに「AI学習禁止」のウォーターマークをつけ始めた。

もしかしてAIの言うことをまんま信じてしまって、全く意味のない対策をし始めた?

ウォーターマークはなんのためにつけるべきで、アカウント名などのサインを入れる意味理解した上で、あえて目立たないようにしている?

AI学習されたくないならもっと目立たせていいんじゃないの。

ウォーターマークって目立たせてなんぼじゃないの?

しろ素材サイトのSAMPLEレベルで全画面に埋め尽くすべきだと思う、ウォーターマークってそのためにあるはずで。

そのくらいした方が学習妨害になれるだろうくらい目立たせれば理解はできた。

目立たないようにウォーターマークをつけて何をしたいの?

形だけでも対策して自分学習されないだろうと安心したいだけ?

そうだとしたら反AIに踊らされているだけに見えて滑稽だ。


ウォーターマークをつける行為のものが憧れの先生嘲笑対象にされるかもしれないという恐怖心を植え付けるには十分だった。

AIになった漫画家イラストレーターを見て他人事のように眺めていれたのは心から尊敬していたり、惚れ込んでいた人がたまたまいなかっただけなんだと痛感した。



漫画家イラストレーター全てのフォローを外した。

というよりこれ以上争うのを見たくなかった。

これ以上疑って自分も傷つくのが嫌だった。

そんなことしなくてもSNSから離ればええやんってのはそうなんだよな、今は見てないんだけど…



AIは反ワクだったり陰謀論と同じ思考停止一種から触れないようにしてた。

これが海賊版とかで注意喚起していたら自分も手を出さないようにとか気をつけてたと思う、何故なら違法であることを知ってしまたから。

しか学習すること自体法律的違法ではないのであれば自分には関係いからどうでもいい。

やけに騙される漫画家イラストレーターが多いな、クリエイターってそんなもんかくらいに思っていた。

そうやって自分には関係ないことだしどうでもいいやとスルーしていたのはよくないことだと今回思い知られた。

クリエイターはそういうものだと甘やかしてきたツケが今一気に回ってきただけだった。

無知漫画家嘲笑対象にされて一番嫌な思いをするのは本人だけじゃない、ファンもなんだ。

そのことに気づいた時にはもう手遅れだった。


AIのやっていることは無知漫画家イラストレーターを炙り出して嘲笑対象にしているだけなんだ。

新しい技術を嫌うだけで法律技術に歩み寄ることなど一切しない。

きちんと歩み寄ってくれるなら赤松先生の話も聞いていただろう。


漫画家イラストレーターもSNS相手が誰かもわからんポストを見て盲信できるのか分からない。

ファンが指摘しても全て「気に入らないかブロックする」と言い出す。

やっていることが陰謀論宗教と変わらない。

社会に適合出来ないからとか、理解力や読解力がないことを免罪符にしていい問題じゃない。

金をもらって仕事している以上そんな甘ったれた狭い常識通用しない。



ファンが一人消えても先生は気にしないでしょう。

自分先生にとって有象無象の一人でしかないのだから

でも自分あなたのしたことをいつまでも忘れることができない。

漫画家脱税問題だってそう、あの先生の関連作品を見るたびに嫌でも出てくる。

テレビのことで自殺した漫画家を嫌でも思い出される。

そうやって先生の身勝手な行動で呪いをかけられて一生背負わなければいけない。

漫画家イラストレーターだけの問題じゃない。

作家声優芸能人だって同じだ。


自分はその覚悟を持って先生をこれからも好きでいれるか自信がなくなった。

先生のやることなすこと全てに盲目でいれるファンになることはできなかった。

自分リプライ引用みたいに「素晴らしい、好きです」と言えたらどれだけよかっただろう。

先生はきっとそういうファンしか求めていないのだろう。

そうであるなら自分先生ファンになる資格なんてなかったのかもしれない。


数日後、何ヶ月後、何年後か分からないいつか、この気持ちに整理がついて先生作品を心の底から楽しんで読める日が来るのだろうか。

漫画家でさえ最初は反AI仕草だったのに今や反AIに向かって「馬鹿なことしてんじゃない!」と怒るほどに色んな知識をつけてきた。

この先生もそうであってほしいと願うしかできない。



自分の好きだった漫画家イラストレーターが反AIになった時自分はどうするのが正解なんだろう。

かわいそうに、学習されたくないよねと寄り添うだけじゃ甘やかされるだけなのと変わらない。

憧れの漫画家無知であることを見て見ぬふりはできない。


どうしていいかからない。

先生を恨むことも、反AIを恨むことも、作品ごとを恨むことも間違っている。

恨んだところで憧れだった先生はきちんと勉強しようってならないから。

でも自分のような有象無象先生に「やっていることは間違ってますよ」と指摘しにいくのも難しい。

実際そうして先生は考えを改めてくれるのだろうか?

そうしてくれるならこんな馬鹿たことに騙されることはないはずで。

どうすればよかったんだろう。

黙って離れてあげるのがファンのせめてものの矜恃なのか?


自分にできることは先生がかけた呪い自力でどうにか割り切るしかない。

何のために法律があるのか、モラルを求めるのか、ルールが作られるのか自分はずっと考えていかなければいけない。


今もまだ混乱していて気持ちの整理がついてない。

たかAI学習禁止ウォーターマークイラストに載せただけで?と笑う人がいるかもしれない。

さなきっかけでその信頼が一瞬で崩れるんだってことを知ってほしかった。

作品に罪などない、先生の絵柄だから買った、作品ごと惚れ込んだファンからこそこの気持ちをどう受け止めればいいかからない。



こんなスラムみたいなところで投稿しても笑われるか見向きもされないだろう。

そういう場所だとわかっているから。

このやりきれない気持ち言語化しなければ先生を恨むかもしれない。

嫌いになるのも嫌だ、先生を好きなままでいさせてほしい、ずっとずっと憧れの先生でいたかった。

実際書く前はとても苦しかった。

書いてみて先生のことがどれだけ好きだったか、何故こんなにつらいのか少しだけわかってきた。



先生、行動にきちんとした整合性をつけてほしい。

学習されたくない気持ちはわかったよ、ウォーターマークをつけることは気にしないよ。

でも意味のない対策だけして満足しないでほしい。

あなたの綺麗なイラストがその意味のないウォーターマークのせいで心の底から楽しめなかった。

それがとても悔しくてすごく悲しかったんだ。



きっと自分のように同じ呪いをかけられたファンはたくさんいると思う。

どうやって割り切ったんだろう。

嫌いになったり、恨んだり、作品を見るのをやめることで割り切れた?

それとも自分けがそうなだけでみんなはそこまで気にならない?

この苦しみもつらさも共有することすら許されない?


ご飯を食べて寝てケロッと忘れてまた先生作品を心の底から楽しめる人間になればよかったのかな。

anond:20241113010840

そうやって他人事の顔してる内に、物語だって大筋と設定放り込んでAIが出力するようになる

創意工夫を凝らした構図も絵作りも知らん間に取り込まれて、適当に出力した100枚の中から「お、この構図いいな」なんて労せずピックアップして「私が創作しました」ヅラされる日が来る

 

追記

何が問題だも何も、文字書きにはノーダメだの凝った絵作りをするイラストレータノーダメだの、

要は「本物のクリエータAIノーダメアンチ AI は二流クリエータ」みたいな方向に持っていきたそうだったか

んな訳ねーという事を書いただけだろ

2024-11-12

anond:20241112000410

あなたは女でしょう。

女というのは風潮でしか生きられない動物です。

田舎から出たのもそういう風潮があなたの周りにあったからです。

帰ってきたのも親に従うべきという風潮に流されたからです。

 

今までの人生で気が付きませんでしたかあなたには自由意志というものがないと。

あなた人間ではないんです。

そしてそれはなんと素晴らしい事だと、そう思いませんか?

だってあなたには意志が無いのだからあなたの行いは全て他人事として捉えられるからです。

そう、あなたがこうやって増田に書いているのがまさにそうです。

クワしませんか?残りの人生ずっとグジグジと自分人生他人事として叩き続けられるなんて。

 

ところで、なまじ自由意志を持ってしまうと悲惨ですのでお勧めしません。

あなたはずっと風潮に流されていた方が幸せになれますよ。

anond:20241112054539

皆んな朝っぱらからよく他人事で熱くなれるねェ・・・浮気も、萌え消費も、個人的なことでしょ、

勝手にすればええがな

2024-11-11

松本人志という自分勝手餓鬼

自分社会構成要員とは全く考えておらず、謝罪たからすべて自己完結して復帰できると思ってるなら本当に糞餓鬼である

こいつを慕ってたモノマネ芸人モノマネできなくなり、かばった後輩は干され、仕事がなくなった状態になってもなお、他人事である

まさしく糞餓鬼である

何も解決してないのに、どの口で復帰とか抜かしてるんだろうか。

ふるさと納税なんてなくなってしま

うちの町は山奥の限界集落人口も少なくて、地元の人たちはほぼ外に出て行ってしまう。

残るのはおじいさんおばあさん、たまに仕事の都合で帰ってくる中年のおじさんくらい。

税収なんて知れてるし、毎年予算がカツカツらしい。

ふるさと納税お金を集めるには必要不可欠だけど、観光客が来るわけでもないし、売れるような名産品も特にない。

「うちはもう終わりなんじゃないか」なんて話を、幼子だった私の耳に何度も貼り付けてきた。

そんなとき町長が思いついたのが、ふるさと納税の返礼品としての「温泉券」だった。

温泉といっても、うちの町には本物の温泉なんてない。

町長が考えたのは、ある意味での「入浴体験」だ。

まり、町の娘たちが返礼品として、納税者たちと一緒に風呂に入るというもの。俗に言う“人柱”ってやつだ。

これが決まったとき私たちの間でもざわざわとした噂が広がった。だって、誰もが自分人柱になるんじゃないか?ってそう思えたから。

特に、私のように20歳を迎える子たちはもう気が気じゃない。だって、この町の掟では、20歳になった娘が人柱の役を担わなきゃならないからだ。

役場に呼ばれる日が来て、私は恐る恐る町長と話すことになった。

町長は優しく微笑んで、まるで祖父のように話しかけてくれる。けれども、その目の奥にはどうしようもない町の現状への焦りと、「生き延びるためには仕方がないんだ」という決意が透けて見える。

「うちは温泉のようなものを出す必要がある。いや、温泉を出さなきゃならないんだ」

町長はそう言うが、もちろん私にはその本当の意味がわかっている。温泉というのはただの隠れ蓑で、実際には「お風呂時間」という名の人柱必要だということを、はっきりと知らされる。

その日の夜、私は自分の家の小さな鏡の前で自分の顔と身体をじっと見つめた。この身体が「温泉券」として、他人提供される。

それが町の存続のためだとわかっているけれども、やはり自分が「人柱」にならなければならないという現実に、心が震える。

自分犠牲にならなければ、この町はもう終わりだろう。他人ならいいかもしれないが、でもここにはお父さんもお母さんも、弟も居るのだ。

翌日、私は人柱として選ばれた他の子たちと集められ、町長の指示を受ける。

その顔は硬く、決して「喜んで」というようなものではなかったけれども、「町のためにやらなきゃならない」という一種覚悟が感じられた。そして町長は言った。

「これはただの『ふるさと納税』」の返礼品だからね」

けど私たちは知っている。本当は違う。

身体が震えはじめる。

その瞬間。咄嗟に、真剣に思った。

ふるさと納税なんてなくなってしま

2024-11-10

もうすぐ結婚するけど

自分人生からメンタル病んだら仕事を辞めて何もかも放り出してどこか遠くに現実逃避する」っていう選択肢が実質消えるのが結構キツい。自分の方が高収入を得てる、いわゆる大黒柱だし。

前の会社メンタル調子崩して逃げるように辞めたし、今の会社でも仕事うまく行っていた時期がそんなになかったから、いつまた働けなくなるかという不安を「最悪逃げればいい」という気持ちで軽減してた部分はある。

 

自分なんかと結婚して夫婦になってくれるって言うんだから頑張るけどさ、こうやって気持ちが追い込まれた結果死んでいった人もいるんだろうなと他人事とは思えない気持ち

これもマリッジブルー一種なのかね。

おい、統合失調症人間差別してるそこのお前。ちょっと聞いてくれ。

俺の兄貴統合失調症なんだ。昔は優秀な会社員で、家族思いの良い奴だった。ある日突然発症して、仕事家族も失いかけた。でもな、必死治療受けて、今じゃ何とか普通生活送ってる。

お前さ、そんな苦労してる人間を見下すのか?自分絶対ならねーとでも思ってんのか?

統合失調症ってのはな、脳の病気なんだよ。ガンや糖尿病と同じだ。明日は我が身かもしれねーんだぞ。

それにな、こういう病気人間差別する社会じゃ、誰だって安心して生きられねーだろ。お前の親や兄弟子供がなったらどうする?他人事じゃねーんだよ。

俺も最初は分かんなかった。でも兄貴の姿見てたら、あいつらが普通人間と変わらねーって気づいたんだ。むしろ病気と闘いながら生きてる分、たくましいくらいだ。

からよ、そういう差別的な態度は今すぐ改めろ。ちゃん勉強して、理解しようって努力しろ。そうすりゃ、お前だって分かるはずだ。みんな同じ人間なんだってな。

これ以上、統合失調症の連中をバカにするような真似したら、社会から後ろ指さされるぞ。分かったか自分の身近な人がなったら、お前だってそう思うはずだ。考え直せよ。

AIの人たちのXデー「15日以降」

たぐち

@okammm3

15日以降、Xに投稿した全ての画像はXに権利譲渡することになるので、絵描きだけの問題では全くないです。

誰も他人事じゃないです。

画像

https://pbs.twimg.com/media/GcAMUV0aMAAMyBc.jpg

https://x.com/okammm3/status/1855497570321371227

これが3万いいね超えて、「15日以降」をキーワードちょっとしたパニックが起きてる。

さっき間違いを指摘するコミュニティノートがついていたけど、腐女子を中心に絵師界隈は画像全削除や移転先探しで右往左往していて、おさまりそうにない。

こういう人たち、利用規約について常識がないのももちろんなんだけど、そもそも自分無料サービスを利用するときに「何を対価として差し出しているか」という意識が抜け落ちてる気がする。

莫大なお金がかかっているSNS無料で使えるのは、広告の閲覧だけでなく、自分の行動履歴を渡したり、自分投稿したものを利用する権利を委ねているからで、それは今のAIブーム以前から変わらない。

例えば、投稿内容は提携企業が利用できるし、公式の埋め込み機能で外部のサイト自由にまとめられるし、動画は他のユーザー引用機能転載できる。

でも、知らない人が多いようで「勝手に使われた!」と腹を立てたりする。

ギブアンドテイクというだけのことなんだけどね。

もし対価を払いたくないなら、古の†ホームページ†を自分で作ればいいんだけど、まあなんだかんだ言って15日以降も、来年も、再来年も、みんなX使ってそう。

DAN DAN 心惹かれてく」の歌詞がなんとなく怖い

今でもあいつに夢中なの?

のっけ、女性意思尊重されないところから、なんか強引さを感じる…😟

愛と勇気と誇りを持って闘うよ

恋のライバルと戦うのを正義勇者だと思い込んでる、怖い…😟

Dan dan 心魅かれてく

この宇宙希望のかけら

きっと誰もが永遠を手に入れたい

Zen zen 気にしないフリしても

ほら君に恋してる

果てない暗闇から飛び出そう

恋のライバルを果てしない暗闇とか言ってるし、宇宙希望のかけらとかクスリやってるか妄想レベルだろ、やっぱ、怖いよ、この人…😟

怒った顔も疲れてる

君も好きだけど

あんなに飛ばして生きて大丈夫かなと思う

こういう余計な心配する人って、信頼関係がある人じゃなくて、まったく関係ないストーカー気質の人とかに多い印象がある…😟

あと、ヒモとか(どっか他人事なんだよね…😟

それでもあいつに夢中なの?

もっと聞きたいことがあったのに

二人の会話が車の音にはばまれて通りに舞うよ

いや、もうこれ、絶対相手女性の眼中にないでしょwww

そこまでしてもナルシズムに浸って、俺は正義勇者から、みたいに思ってる主人公男性暴走っぷりに若さを感じはするけど、いまどきだとちょっとマジで怖いです…😟

2024-11-09

モテなくていいって誰に聞かれてるわけでもないのに

こんなとこで長文書いてる時点でいいと思ってないじゃね

本気でモテなくてよかったら他人事から反論する気にはならん

2024-11-08

anond:20241108194552

良し悪しの正解を出したり勝手他人否定したりする事と、たとえ他人事でも理想を描く事は全く意味は違うと思うので。正直、理想を描く事がどれほど身勝手で横暴でも時と場合場所を守ってるならそれでいいと思う。

anond:20241108105731

ま、結局ムネオとかが言ってたことの方が正しかったんやな

他人事みたいに言うけど、戦時下における全体主義ってこんな感じなんやろうね

2024-11-07

社会的負け犬の連中が野球オタクやるとどうしてこんなに害悪存在になってしまうのか

https://www.youtube.com/watch?v=OTKy5ZGMkEY

これ、野次の内容あながち間違ってなくてですね…

野球観戦ってそれなりにお金かかるんです。

バイトパート家族がいてファミリーで席買ってたり、なけなしの小遣いで見に来てる人は1日分のお金使って見に来てる。

ゆえにキレる

事情を知らぬ他人からすると

「怒ってる人ってなんか嫌だな」

と言う理由野次ってる人・ネットネガティブな人は文句言われるけど…話はそんな単純じゃない。

負けるのは仕方ないにせよ、1日働いた分を使って見に行った試合がブザマだったら…やりきれない気持ちにもなりますって…。ガチ

負けて怒ってるファン

「結果に怒るのはお門違い。一番強いチームだって40〜60試合ぐらいは負けるのがプロ野球だぞ」

と思うよ?

ただ、

どう見ても打てなそうなフォームが変わらない

からさまな緩慢プレイや、ゆるい雰囲気で負ける

みたいな内容だと日当返せよって話にもなりますって…

そもそも、キレたくてキレてる人の方が少数派。

納得いかないことや、理解できない上に結果もよろしくないことにキレてるわけでして…。

ネット大衆意見可視化されてから思うのは

「この部分を見落としてる人多すぎない?」

ってこと。

昔は今ほど草食な人ばかりじゃないけど、今は…ね

「しょせん他人事です」の7巻の野球オタクも同じこと言ってた。

こいつらが喋れば喋るほど、野球オタクってやっぱり自分害悪性を全然理解できてないんだなってのがわかるだけなんだよな。

ここで書かれてるような感情を覚える人はたくさんいるけどTwitter徒党になって実名だったり相手に見えるところで野次飛ばすやつって、競馬オタと野球オタクれい新党議員くらいしかいない

ということがマジでからないらしい。

こんなだからお前は負け組になるんだよ・・・ではなくてもしかして逆なのか?

負け組で失うものがないからこそ野球オタクになるのか? 

野球オタク福祉にすら繋がれない弱者男性最後の聖域かもしれない。

勝ち組の人でも野球ヲタクの人はたくさんいる

その人達野球に熱くなってもこういうことを言わない・・・こともないな。

やっぱり野球オタク自体がだめなのかもしれぬ。

参考までに東野篤子さんに誹謗中傷していた警部コメントも載せておきます

https://bunshun.jp/articles/-/74653?page=2

A警部ウクライナ侵攻をめぐってX上で専門家を次々と罵倒しており、東野教授に対しても、昨年5月に〈見た目からしてバケモノ〉と中傷した上、東野教授代理人から損害賠償を求める通知が今年1月に届いた後も、〈ウクナチ(注・ウクライナナチスの略称擁護ヒステリーババアスラップなんかに怯んでいられない〉などと投稿を続けていた。

「ほかの人の発言に乗っかっちゃった。私の不徳の致すところで謝罪してます

アノンってその他大勢っていう意味トランプ大統領は大好きですが、Qの投稿事実と符合することがあって面白く見てただけ。私が警察官として何かをしたっていうことは一度もありませんよ」

他人の話を鵜呑みしたこと申し訳ないと思いますが、私だって捜査も受けてる。それなりに社会的制裁を受けているとは思うんですけど、少しかわいそうとは思いませんか」

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