2024-10-25

anond:20241025173725

これは、いけない(ネットリ。

そもそも民主主義というものが、ただの「数の論理」や「勝ち負け」だけで片付けられるほど簡単ものではないということを、少々歴史に遡って理解する必要があるのです。

民主主義の原点は、古代ギリシャにさかのぼますアテネ市民たちは、ポリスにおいて一人ひとりが意思を表明し、集会議論し、多様な意見が集まることで決定が行われていました。当時の市民の参加は限られたものでありましたが、それでもなお、個々人が意見を表明することで、集団意思形成されていた。このように、民主主義とは始めから「数の優劣」ではなく、むしろ「多様な意見を集め、話し合いによって合意を築く」というプロセスのものが重視されていたわけであります

さら歴史を進めると、17世紀から18世紀ヨーロッパでは、市民革命が起こり、絶対王政が崩れ、王の独裁から市民一人ひとりが権利を持つという、今に続く民主主義の原型が確立されました。イギリス名誉革命アメリカ独立戦争フランス革命などにより、王権に対する人々の抵抗民主主義の根幹を支える考え方として広がっていきました。そしてここでも、ただ「数の勝ち負け」だけが重要視されたわけではなく、「いかにして多くの市民意見を反映させるか」「いかにして少数意見無視しないか」が模索されていたのであります

日本でもですね、明治維新を経て大日本帝国憲法が制定され、大正デモクラシーを経て市民政治参加が求められました。そして、戦後日本国憲法の成立に至り、やっと国民主権を持つ民主主義が完成したわけであります。ここに至るまでに、いかに多くの犠牲と苦難を経て、現代民主主義が作られたか、これは我々が忘れてはならない歴史なのであります

このようにですね、民主主義は単なる「数の論理」ではなく、歴史を通じて「多様な意見を反映し合意形成するプロセス」にこそ価値が置かれてきたものであります。ですから、たとえ立憲民主党過半数を取れないからといって、それを即座に「負け」と断じるのは、民主主義本質に対する深い理解を欠いた見解だと言わざるを得ません。過半数を取ることだけが重要なのではなく、その過程でどれだけ多くの意見議論され、真に国民生活利益寄与する政策が追求されているかが問われるべきであります

からこそ、民主主義の意義を単に数で判断することは、到底、許されない。

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