はてなキーワード: 実行委員会とは
それほど裕福な家庭というわけではないけど、せめて晴れ着くらいはと両親は知り合いの呉服屋に頼んで一揃え買ってくれた。大学の卒業式の袴も無料でレンタルというオプションがあって、それも一緒につけてもらった。今思えば成人式用でそれほどいいものでもないけど、思い出として大切に取ってある。
成人式当日はこれも呉服屋のオプションで着付け会場が決まっていて、成人式の会場で朝の7時くらいから着付けが始まった。スタイリストさんが言うには「早い子は5時頃からやってる」ということで、あちこちに晴れ着姿や髪だけセットアップしてもらっている子がいた。
その後、成人式まで時間があるので一度父の車で家に帰り、写真撮影大会が開かれる。どこでポーズしてとかそこに立ってろと父母がカメラを片手にバシャバシャ撮りまくる。早起きして眠いのもあり、この時点で結構疲れてくる。
成人式の時間になり、再び会場へ向かう。会場には晴れ着姿の女性ばかりで、正直誰が誰なのかわからない。何人か中学の同級生を見つけて「久しぶり~!」などと盛り上がる。
会場では中学ごとに席が決められていた。そういえば仲の良かった子が成人式実行委員会やってるとか言っていたなと思い出す。式が始まって、最初こそシーンとしていたが会の進行がかなりグダグダだったため、祝辞などよりも隣に座る旧友との昔話に花が咲いてしまう。一応大人として話を聞こうかとも思ったけど、真面目に何を言っているのかよくわからなかったので聞くことを放棄してしまった。なんか話が終わった後にレクリエーションがあります、みたいなアナウンスがあったけどほぼ参加した人はいなかったようで皆ロビーへ出ていって昔話の続きをしていた。
今思えば敗因は「若い人の手で作るナントカ」というのが流行っていた頃なので若い人に任せた結果、かなりグダグダになったのではないかと思っている。実行委員会というより、それを丸投げした市側にも相当問題があったのではないだろうか。
ロビーでこれまた懐かしい顔に何人か出会う。中でも印象に残っているのが「今お水やってんのー!」と言っていた友人。彼女とはそれきりだけど、今は何をしているんだろう。
家に帰ってくるとお祝いとして親戚を数人呼んで軽い食事会になっていた。この辺は着物に疲れていたのであまり覚えていない。食事会のあと着物を脱いで、ぼやーっと違う自治体の成人式に出ている彼氏にメールするなどする。
夜はクラス会があるということで参加。仲の良いクラスだったので出席率も90%くらいで楽しい夜だった。高校卒業して働いている奴とか妊娠している奴とかいろいろあって大変な奴とか面白かった。ただみんなこうやってそれぞれの道で大人になって行くんだなと思った。
クラス会の後は自然発生的にカラオケになった。徒歩で行けるカラオケ屋では既に他のクラスの2次会が行われていて、カラオケ屋全体が成人式の2次会のようなものになっていた。そこで中学時代1番仲の良かった友達に再開し、カラオケ屋のロビーでアイスを食べながら駄べり、他のクラスの部屋に突入して「久しぶり~!」をかましたり、そんなこんなで駄べり倒したような気がする。
あんなにベタベタした夜はもう二度と訪れないと思っている。冬の寒さだけは身に染みるのに、気持ちだけ子供に返って、でも体はすっかり大人になってしまってそんな子供時代に別れを告る夜。今でもあの日食べたアイスの味は忘れられない。ただのソフトクリームなのに、すごく儚い味がした。ただそれだけ。
電王少女シロちゃんの生誕祭が豊洲PITで行われました。イベント自体は最高の盛り上がりで、
その場にいれた事を感謝してもしきれないです。シロちゃんそしてアップランドさんありがとうございました。
ちなみにポジティブな事とか会場の熱気とか書く気はさらさらないので、そういうレポ読みたい人は別の所に行ってください。
まず、第一に人が多すぎる。人が多すぎてそれだけで疲れる。
正直2700人をオールスタンディングで半日以上拘束するなんて正気じゃない。
これは最初から分かってはいたが、昼と夜同時にしか買えないってチケットの売り方を考案した奴らがおかしい。
せめてこれがどちらかイベント一つだけなら耐えられたと思うが連続は流石にきつすぎる。足が辛すぎて最後の方本当にきつかった。
しかも屈強な野郎たちが常に周りにいる状態っていうストレス。とてもじゃないが次は耐えられない。満員電車に慣れた都会の民なら耐えられるのかも
しれないが電車に乗ることすらあまりない地方民からするときつすぎる。
やっぱり500人ぐらいが最大値でそれ以上は中継で十分で十分だと感じる。
次、スケジュールの見通しが悪すぎる。最初が14時15分入場開始なのに会場に入れたのが、開始時間15時過ぎてからしかも観客は半分も入れてなかった。それで開始30分ぐらい遅れたと思う。これは一重に入り口が一箇所しかないのがまずい。2700人入れるのに、一箇所からしか入場させないなんてやったらそりゃそうなるだろうとしか思えないし、事前に分かっていたと思う。
素直にA席、B席逆側から同時に入れればよかったのに、やらなかったのは運営の怠慢だと感じた。
それで、ガリベンガーVのイベント終わって会場出たのが18時で次の生誕祭の入場開始が15分後。どう考えても間に合う訳がない。そんなのみんな分かっていた。それなのに何のアナウンスもしなかった。さっさと全体スケジュールの見直しして何分ずらして終了予定時間はいつになるか連絡して欲しかった。
そうすれば、別にあそこにいなくてよかったし、ご飯でも食べに行けた。結局全部終わったのは夜の22時。そこまでご飯食べれないって分かっていたら準備色々したのにってなる。
次、プレゼントボックスの場所が分かりにくすぎる。あれ、公演終わった後にぽつんとおいてあったけど、目立たなすぎて分かりにくすぎる。
あんなの公演前に置いておいてくれればいいし、そもそもあの人数で目立たつことすらしないって怠慢すぎると感じた。
意味がわからないし、許可出した奴らみんな消えて欲しい。マジでボツにしないといけないレベル。
バーチャル感のかけらもないし、リアルにパンツを履くって企画そのものが面白いって思った感性がおかしい事を自覚して欲しい。
おまけに本人の顔が見えないっていうぐだぐだ落ち付き。押してるんだからあそこカットでしょ。普通は。
次、観客いじりの多さ。
そもそも観客いじり好きじゃないって言うのは置いておいて、大学の学祭じゃないんだから素人ステージに上げる企画が多すぎると感じなかったのか
今一度考え直して欲しい。
いくらなんでも多すぎる。ほとんどすべての企画観客ステージに上げていたのはおかしいと思う。
仮にもプロなのに大学の学祭実行委員会みたいなノリで運営されても困る。
それらを加味しても最高のイベントだったよ。でも、次はいかないかも。パリピ臭きつすぎるし、あれがいいってファンばかりなら肩身狭すぎるしね。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告
さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークやイベントコーディネートのスキルは文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。
この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人の言葉の引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上のキーポイントでもある。
辞書的な意味で検閲とは、公権力が表現物を検査し発表を禁止することである。
https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273
しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。
(3) キュレーター
(4) アーティスト本人
(5) 一般市民
このうち公権力によるクレームや強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。
主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものやデメリットがメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性に意見する自由はあって当然。
キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないかの権限を任されているので、それを行使するのが本業。
アーティスト本人の意向。ときとしてキュレーターの意思よりもアーティストの意思は尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。
声の大きいのが実は一般市民。ネガティブ、ポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。
そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。
実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社からの脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフの安全性が確保できない、という判断を主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。
「表現の不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。
https://censorship.social/artists/
ちなみに「《平和の少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉が津田氏のエントリーにも作品のキャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦を表現したものであり、日本政府に慰安婦問題の謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F
https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81
https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace
これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーターが公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社(右翼団体)による脅迫が契機となっている。
表現の不自由展実行委員会は、表現の自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭の主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断も現在の体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである。
そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。
現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現の不自由展実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C
ここからは完全に余談。
津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子《デコまん》シリーズが挙げられている。
鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズドな場所に展示するのはOKかNGかという議論は見たかった気がする。
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf
ろくでなし子作品が展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ(実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦や天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか。
掲示されていた「年表」にそれらが含まれているか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。
「あいちトリエンナーレ」は、神田真秋弁護士が愛知県知事選の公約として掲げて当選、発足した、最初から官費ありきの、極めて公的性質の高い国際展 わかる
主催は「あいちトリエンナーレ実行委員会」実行委員長は大村秀章・愛知県知事ですが、大村知事は農水官僚出身の元自民党代議士 わかる
不自由展は今回が初めてではない わかる
撤去されたものを取り扱ってるので不謹慎なものがあるのはむしろ当たり前 わかる
過去に撤去されたものを集めてるはずなのに左派に都合のいいものしかない わからない
「男女平等」など芸術そのものの内容とは別の切り口でのPR わからない
ってお思ってたのでこの記事はとても参考になった
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247
こんな事態にしてしまったのは、芸術監督の判断と行動に原因があることで、明確にそれを指摘しておく必要がある
アマチュアが間違った椅子に座り、面白半分で打つべき対策を打たずに徒手していれば、人災を招いて当然です。
率直に言って不謹慎、興味本位で面白半分な、キュレーションをおもちゃにする様子
内容以前に、こうした「隠し玉」を準備して「炎上」させる意図があった時点で、官費執行に責任を持つ芸術監督としての大前提に瑕疵があった
「隠し玉」として炎上を狙うなど、芸術の母屋に両足の着かない、無責任な野次馬の発想
国内のごく一部で内輪受けする程度の「芸術」判断基準と、地域振興動員数向上あたりに照準を当てたお役所との利害が変に一致して、グローバルな人道と文化を感じ考える芸術のオリンピックが、弄ばれていた
「決定」に際して、芸術監督であるはずの津田大介氏は、作品「平和の少女像」の作者、彫刻家のキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻と、直接対話して納得を得るプロセスを経ていない、と報道されています。事実なら、あり得ません。展示作品を、自分自身がそれを依頼し、決定した作家や関係者に確認を取らず、「展示中止」つまり「撤去」などということをしてしまったら、それは芸術監督でもなんでもない。子供がおもちゃを弄っているのと変わりません本来なら、足を運び、土下座でもなんでもしてやることは山のようにあるわけで、ただ徒手していただけなら、意味のない素人ということになる。
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。
・検閲
今回発生した問題は検閲の問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利を侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家、自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事な問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫、犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末と理解している。
芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間のギャラリーを経由した売買や、流通操作で伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場で販売する程度であったが、バブル期~90年代の大型公共投資の連続からハード面での地域振興策が資金、コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存のインフラを活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的な知名度を上げることができる。」ツールとして、この10年雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化の担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙な作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合。自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出で泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金を使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続が煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能、批判を招く場合がある。税金は芸術より生活政策に資金が回されるのは当然である。所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。
今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアートは政治と不可分であるが、極端な扇情(アジ)を行わなくとも、その行為がそもそも自由を行使しなければ表現できない、自由で平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由を行使する媒体と手段の衝突という背景が見えてくる。
新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念を文章化し、権利と自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手を文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である。表現はしているが、アートではないと。
アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。
アートという行為、物質/空間/映像/音楽で意図が伝わるよう、意識を特定のベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場のジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。
「文脈を追うのが現代アートだ」という解釈の誕生である。一面では事実だが、全てではない。
ビジネスの世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国の企業、セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨なものであった。
・何が問題だったのか
①監督が芸術キュレーターの経験がなく、自身の分野であるジャーナリズムの文脈で解釈した表現を、芸術祭にねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。
②食傷を起こしてしまった後の対応が、構造を理解している人の不足で収まっていない。
①食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たちが表現の自由の最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまうキュレーション(自由の世界におけるジャーナリズムの優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組で発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。
表現は自由であるから、闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。
不特定多数の威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪な暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。
②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪と対策を行っているのかよくわからない状況だからである。
・誰が最も被害を受けたのか
昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターがバランスを取らず、独自にプレイヤーとして創作活動を我田引水した結果。必要のない状況で、自身の作品を見てもらうという重要な事柄を達成されないまま原理原則論の確認や主張を行わされたのは、イベントの主催者として責任が重大である。表現の自由は大事だと言うに決まっている。また、作品を撤収せざる得ない状況に追い込まれた海外からの参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的な人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発と解釈してしまった訳である。撤収した2人は、必要のない場面で・積極的に日本側の行為に抗議を行う・無視した場合に自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一の判断に迫られた。
昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターのミスによる騒動に対してのスタンスは作家ごとに異なるのは当然である。
・なぜここまで注目が集まったのか
芸術は本質的に生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得と余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本、問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧や脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなたの感性に突き刺さる力を持っている。
https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158333013446418432
津田「ただー、これの炎上はね、男女平等(あいちトリエンナーレのアファーマティブアクション)とかじゃないくらいの炎上がおそらく起きるとおもうので、大変なことになるだろうなーと思ってます。ま、今から・・どーしようかな?みたいな。今だから僕、アマゾンにいって、防弾チョッキとか(笑)あのー、ナイフでブスッと刺されても大丈夫なように、いちおそういうの、やっとくかなーみたいな」
聞き手の女「備えあれば憂いなしみたいな」
https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158323058651758592
津田「まあ現物を、公立美術館で撤去されたものを、表現の不自由展っていう展覧会を持ってくる体にして全部展示してやろうっていう(笑)そういう企画で。おそらくこれみんな全然気づいてないんだけどこれが一番ヤバい企画になるんすよ。政治的に」
東浩紀「・・やっぱりー、・・天皇が燃えたりしてるんですかぁ?」
津田「まー天皇というのが一つタブーになって撤去されるという事例がある。それは広く知られているので、それはこの展覧会のモチーフになる可能性は、(小声で)あります」
東「ええええっ!こんな令和でめでたい時に!?」
(中略)
津田「(ニヤニヤしながら)二代前じゃん!」
「俺は芸術監督として指名されただけで決めるのはあくまで実行委員会だ」という責任逃れとも取れるふやけた弁明を先週末ラジオに電話出演して話していた津田だが
この動画を見て記者会見の時の憔悴した津田とだいぶイメージ違って浮ついてるなあと思った。この展示をぶっこむことのリスクを本当に正しく把握はしてなかったんだね。
ネトウヨを挑発できておもろいやんくらいには考えてたことは上の動画から明白
電話対応に追われてメンタルがやられつつある職員を見てこれは無理だなと津田は思ったそうだが、正直これくらいの抗議が来ることは当然予想しておくべきだし、そのつもりでやってたのだと思ってた 3日で引っ込めたというのもそのへんの腹のくくり方の甘さから来てたのだと苦言を呈されてもしかたないんじゃない?
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」に河村たかし名古屋市長が口を挟んだ件についてつらつらと書く。
そもそも、自分の知る限り、河村氏は、慰安婦問題にそこまで興味は無い。国会議員時代に議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」会員ではあったが、氏の興味はどちらかというと父親が軍人として進駐していた南京のようだ。そちらに関しては「南京事件はなかった」発言で騒動を起こしている(2012年)。
では、なぜ???…という話をしたい。
前提として、あいちトリエンナーレは「あいちトリエンナーレ実行委員会」の主催である。会長は大村秀章愛知県知事で、他のメンツは→らしい(昨年3月の運営会議の参加者)。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/190223_445551_misc.pdf
名古屋市の河村たかし市長はここに載っていないが、「会長代行」であることが報じられている。愛知県が8.5億を出資する一方で、名古屋市も2.8億だしてるので、その肩書きは自然だが、運営会議参加者として名前が載ってないことからもわかるように、あまり積極的ではないように見える。あのオッサンは、自分が目立てないことには興味が無いのだ。
河村市長と大村知事は、ある程度、共闘したりもしていたけれども、最近は、何かと対立している。
近いところでは、名古屋市が手がける名古屋城天守閣の木造復元工事について舌戦を繰り広げたりしている。つい半月前の話だ。 https://digital.asahi.com/articles/ASM7J3K6FM7JOIPE009.html
また、政策としては、「国際展示場」問題があった。「東京五輪期間中のビッグサイト代替/日本の展示場の国際競争力不足/愛知県内産業(自動車)の振興」といった目的で、愛知県と名古屋市で国際展示場を作る話があった。ところが、市と県が折り合えず、最終的に県単独で中部国際空港島に建設することに(2017年)。その展示場は「Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)」として今月末にオープン予定。かっきり五輪に間に合わせた。恐らく河村氏としては面白くないだろう。
この8月。あいちトリエンナーレは、基本的には県の事業だ。名古屋市は目立てない。そして、月末にはAichi Sky Expo開業。名古屋市にとっては関係がないどころか、屈辱的ですらある。ついでに、当初は河村氏だけだったコスプレサミットでのコスプレも、大村氏もやるのが定番になってしまった。
ここまでが前提としての状況。
そこに、ある連絡が入る。「日本維新の会」の松井一郎氏から、あいちトリエンナーレでの『少女像』展示が伝えられた。維新は、河村氏の地域政党「減税日本」にとっては共闘相手である。先の参議院選でも維新公認で2人の候補を出している(2人とも落選)。つまり、どちらかというと借りがある側。
維新との協力関係・愛知県(大村知事)が目立つ事への嫉妬・自分が目立ちたい・南京を介した歴史修正主義への親和性。
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オナーズヒル白庭みなみ丘、リンクタウン西野中野山など ミサワホーム
日本橋室町エリア防災高度化実行委員会 三井不動産、Cisco
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けいはんなエコシティ「次世代エネルギー・社会システム」実証プロジェクト 京都府けいはんな学研都市
上智大学教授・ 水島宏明氏 @hiroakimizushim ホテル予約キャンセルの不手際で相手のホテルを晒しあげる記事を書く - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1258807
落胆するよなぁ…もうちょっとホテルの担当者への思いやりを持っていれば、
こんな騒動も起こさないでしょうに、ゼミ生への示しも付かないんじゃないかと。
日テレのドラマ「明日、ママがいない」への抗議問題。施設の子どもに対する「想像力の欠如」と「加害性」
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20140118-00031720/
誰ひとり傷つかずに済む放送を目指すべきだ。
テレビだけではなく、ニュース媒体でも誰ひとり傷つかない記事を目指すべきではなかったか。
真摯に対応して半額返してくれたのに、ホテルの人が傷つかないとでも思ったのでしょうか。
http://blackcorpaward.blogspot.com/
従業員に理不尽なクレームにも全部応対させるようなホテルがもし出てきたら、それはどれだけブラックな職場でしょうか。
そういう職場の存在が当たり前の社会にならないよう、有識者には知恵をしぼっていただけないのでしょうか。
「オレたち、すごくね?」キー局内定者飲み会での傲慢トークの一部始終
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20140612-00036301/
制作会社の「正社員」だったら上記の通りだが、実際には「契約社員」など1年ごとの不安定な非正規契約も少なくない。それがテレビ局という職場におけるピラミッド構造だ。
こうした構図がテレビから発信されるニュースの「上から目線」ぶりの背景になっている。
非正規で働く人たちがどんなに増えても、自分の回りには非正規の人たちが多いにもかかわらず、自分は「努力して勝ち組になった。高収入をもらうのは当然」という意識になってしまう。
今やメディア業界はもちろん、大学業界も私立国公立を問わず、非正規職員や非常勤講師の献身的な働き方によってどうにか現場が回っています。
水島先生も両方の現場を熟知しておられるなら、そういう上から目線の人々を反面教師としていただきたかったです。
今回の騒動は非常に残念でした。
そもそも何十年も前から芸術は外見的な美醜だけで評価してはいけないもんでしょ。
それなのに仮にも国内有数の芸術大学である東京藝術大学が外見の美だけが評価基準のコンテストを開催するのはどうなのって話。
表の藝大ミスコンでも外見的な美じゃなくて総合的な美、それに「ミスコンとはなにか」を問いかける要素もあるでしょ。
なのに裏ミスで普通に学内一の美人を公式に選んじゃうと藝大ミスコンどころか、芸術を教える立場にある大学が芸術自体を否定していると見られてもおかしくないわけ。
他の大学ならともかく、少なくとも芸術大学が主導してやっちゃダメ。だから中止したんでしょ。
だからポリコレ棒が〜って言ってんのは間違い。そもそもそういう問題じゃない。
やるとしたらやりたい生徒だけでで非公式に表に出さない形でやらなきゃ。
もしくはなんでもありのミス藝大で外見的な美だけで参加すればいい。他にも評価する項目があるだけで別にそこは否定してないでしょ。
赤字問題で話題になっている阿波おどりの公式サイトが、「200万円」で徳島市内の広告会社に制作委託されたという記事を見つけた。
https://megalodon.jp/2018-0608-1616-47/www.topics.or.jp/articles/-/57935
では実際のサイトを見てみよう。
これを見て、Web制作に携わっている人やアフィリエイターならひと目で分かったかと思う。
素材を作ることができれば、あとは比較的簡単にポチポチするだけで、Webサイトが出来上がるテンプレート「TCD」の「VENUS」というテンプレート。
http://design-plus1.com/tcd-w/tcd038
いまのことろ、複雑なカスタマイズを行っている形跡はなく、テンプレートに素材をポチポチしただけのサイト。。。
正直なところ、どう考えても「200万」かかっているとは考えにくい。
「実行委の予算200万円で市内の広告会社に制作を委託した。」
と書かれている。
・TCDテーマを使用して第三者のためのサイト制作を有償で請け負うこと
・クライアントへの営業行為(サンプルサイトなどでの提案)にTCDテーマを使用して作成したサイトを利用すること
「第三者のためのサイト制作を有償で請け負う」場合、「特別ライセンス」が必要となる。
特別ライセンスを取得者はTCDのwebサイトで紹介されているので、一覧を見てみよう。
http://design-plus1.com/tcd-w/license_extended_list
徳島の会社はこのライセンス一覧には掲載されていないのである。
http://seocheki.net/whois.php?w-url=awaodori-kanko.jp
赤字で問題になっているにも関わらず、「200万円」で発注する「阿波おどり実行委員会」の感覚を疑うとともに、テンプレートを利用して「200万円」で制作を請け負う企業に対しても、やはり「徳島県」というのは何かおかしい県なのだろうか。。。
http://world-childrens-summit.com/
小木曽健登「映画「かみさまのやくそく」を見たことで、前世の記憶を思い出す」
羽生すみれ「胎内記憶を持ち、生まれた時から「かみさま」「天使さん」「お腹の中の赤ちゃん」「見えないけれど暖かく見守ってくれる存在」と会話する」
→ググったけど特に変な記事は見つからず。改革者として報道 https://gunosy.com/articles/RhSB7
参議院議員 二之湯武史
→日本会議国会議員懇談会 あっ(察し
『無意識と対話する方法: あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』
『仏教と科学が発見した「幸せの法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』
龍馬プロジェクト→日本会議的な復古主義+「ロックフェラーやロスチャイルドの~」みたいなセミナーの受講をしているという記事もあり。
http://ch.nicovideo.jp/amanomotoyasu/blomaga/ar1138157
池川クリニック 池川明
コミュニティ館湊 菅沼奏香
→「講演会 出口王仁三郎の経済学 世界大破局後の経済への処方箋方箋」
https://ja.eventbu.com/city/event/9311500
著者出口恒は王仁三郎思想により言霊学や医学天文学経済学などを統合したホントの真実の学門の確立を仲間とともに目指している。
ひょえ~~~
司会
→ お察し
あった。本の雑誌社の杉江由次氏だ
http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-67ed.html
賞創設に関わった本屋大賞実行委員会理事の杉江由次さん(本の雑誌社)は「いろいろな批判はあるが、出版社の推薦に関係なく面白い本を選んでいる」と反論する。「我々の賞も直木賞への不満から始まった。不満がある人がまた新しい賞を作って出版業界全体が盛り上がればいい」
http://www.cyzowoman.com/2015/02/post_14992_1.html
また、大手書店の書店員らを招いた“決起集会”まで主催し、『清き一票をお願いします!』と政治家さながらの演説を行ったそうです。