はてなキーワード: 冷や水とは
> 英国在住研究者 「集団免疫獲得という出口は変わってない」
たぶん本気なんだろうな
[MIT Technology Review] 英政府、独自の新型コロナ「集団免疫」戦略を修正へ
https://www.technologyreview.jp/nl/the-uk-is-scrambling-to-correct-its-coronavirus-strategy/
報告書をまとめた。英国政府が出した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対する「集団免疫」アプローチは、結果として25万人もの命を奪う可能性があり、保健医療機関の崩壊阻止にほとんど役立たないと、厳しく評価している。
インペリアル・カレッジで感染症疫学を率いるアズラ・ガーニ教授は3月16日に、「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態に対処できないことがわかりました」と記者団に語った。新たな報告書は代替策として、他の多くの国と同様に、一貫して感染者数を低く保つ積極的な政策でウイルスを抑制することを提唱している。
[BBC]Coronavirus: UK changes course amid death toll fears(3/17)
なぜイギリスは方向転換したのか
https://www.bbc.com/news/health-51915302
https://www.bbc.com/japanese/amp/features-and-analysis-51996098
方向転換をするか、さもなくば25万人が死ぬか。このまま行けば新型コロナウイルスの「破局的な流行」で、国内でそれだけの大惨事になる。これほどはっきりした警告など、そうそうない。
新型コロナウイルスによる感染症「COVID-19」がどう伝染し、それによって国民保健サービス(NHS)がどうやってパンクして、その結果として何人が死ぬのか――。これの展開をシミュレートしてコンピューター・モデルを走らせていた研究チームが、イギリス政府にそのように警告したのだ。
そのためイギリスでの状況は劇的に変化した。平時において自分たちの生活がこれほど変化させられるなど、私たちは経験したことがない。
冷や水を浴びせられたような認識の変化は、 16日の政府発表 までの数日間であっという間に起きた。
しかしそのずっと前から、多くの科学者と世界保健機関(WHO)は、ウイルス対策には総力戦で臨まなくてはならないと警告していたのだ。
[BBC] イギリス独自のウイルス対策、「国民の命を危険に」と多数の科学者反対(3/15)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51894727
「なすがまま」的態度
公開書簡に署名している英バーミンガム大学のウィレム・ファン・シャイク教授(微生物学)によると、集団免疫の効果を目指すには、イギリス国内だけで少なくとも3600万人が感染し回復しなくてはならない。これが最大の問題になると教授は言う。
「どれほどの人的コストがかかるのか、予測はほとんど不可能だ。しかし、控え目に見ても数万人、場合によっては数十万人が死亡する」
「対策を成功させるには、NHSがパンクしてしまわないよう、数百万人の感染が長期間にわたり散発的に起きるように流行期間を引き伸ばすしかない」
ファン・シャイク教授は、「ウイルスに対して、なすがままのレッセフェール(自由放任主義)的な態度)」をとっているのは欧州でイギリスだけだと指摘する。
http://j.people.com.cn/n3/2020/0319/c95952-9670037.html
英政府主席科学アドバイザーであるサー・パトリック・バレス氏はこのほど、英政府の感染拡大を防止する策略の一つとして、十分に多くの人に免疫力をつけさせること、すなわち「集団免疫」であると述べた。鐘氏はこれについて、「コロナウイルスによる死亡率が高い。今回のウイルスが1度の感染で永遠の免疫力をつけられるという証拠は今の所ない」と述べた。
「急性感染症について、最終的に集団免疫を形成するにはワクチンが必要になる」。
(略)
鐘氏は、「どの国がワクチンを開発するとしても、全世界に供給する量はないに違いない。相互補完することで、全世界に供給できるようになる」と強調する。
免疫とはなにか?の説明をしても理解が得られる気はしないのですごくシンプルにお伝えしたい
○ 中国は武漢の封じ込めに成功、終息に向かっていますが、これは中国人の7割が感染したからですか?もちろん答えは、『いいえ』です
anond:20200323174138 anond:20200327223447 anond:20200328223821 anond:20200330123824 anond:20200406181442
正直言ってツイのフェミは八割方カスだと思ってるけど、それはそれとしてよもぎ団子やJADEの発言を全部フェミニストの責任にするのはどうかと思う。
俺だって声優にセクハラリプ飛ばす声豚の責任をオタクとして取れって言われても「いや知らんし・・・」としか言えんわ。— 沸騰する冷や水、宇津美洋 (@utumihirosi) 2020年1月31日
フェミニストの皆さんは、よもぎ団子氏を熱く擁護したり、今なおよもぎ団子氏と同様の誹謗中傷を直接リプしまくってるので、よもぎ団子氏一人の問題ではなくなってる。JADE氏はよく分からん。— まつうら姫🏖🍸🎋📕🍙☃️🍀🐕💫🍣🎧🎀🌼💗௵🍰💭🍆💛🦇🌸🐾 (@lyricalium) 2020年1月31日
私がパッと思い出せるだけでも、よもぎ団子のアレに加担したのはJADE、Maari、大野左紀子、シュナムル、アンダーバー、コニア、太田啓子、石川優実などなど(敬称略)。このそうそうたる顔ぶれを「一部の例外」としてフェミニスト集団から切り話せるかどうか。— まつうら姫🏖🍸🎋📕🍙☃️🍀🐕💫🍣🎧🎀🌼💗௵🍰💭🍆💛🦇🌸🐾 (@lyricalium) 2020年1月31日
タイトルの通り。3,4年前くらいにムーンライトノベルスに投稿していた。その時の知見を忘れないうちに書きたかった。そう思っているうちに時間が経って、忘れた。
覚えている範囲で書く。
おわり
……というのはさすがにまずかろう、というので、記憶を掘る旅に出る。
三人称。ファンタジー世界舞台、主従もの。敬愛エンドという意味では、BLとして邪道。1話1エロ。
オリジナル作品をちゃんと書くの初めてだった。なんならBL小説も初めて。拙い〜〜。エロ語彙がない〜〜。
初めて書いた割に読んでもらえた。みんな優しいんやね。
日刊ランキングに載ってから、PVが一気に伸びたっぽい。順位が上がってからは、伸びが顕著。
多分その頃はブクマ1000件くらいだったので、完結後もじわじわ読んでもらえている様子。嬉しい。
タイトルやあらすじで話の内容・傾向が分かるようになっていれば、読み手が作品を選別しやすい。読みたい人に読んでもらいやすい。
作品数多くて埋もれがちなネット小説では、意識しておいて損ではない。興味を引けそうなキーワードを含めるとなお良し。
一人称。ファンタジー世界舞台、好き嫌い分かれそうな攻めがいる。ストーリー割合多めエロラブコメ。
途中失踪してたのに、引き続き読んでくれる人優しすぎない? 完結祝ってもらえたの嬉しすぎるんだよな。
前作読んでくれた人が今作読んでくれる流れあったり、日刊ランキングに載ってPV伸びたり、週刊や月刊ランキングにもお邪魔したりした。
登場人物が気に入られた。その一方で、好き嫌い分かれるだろな、と思ってた攻めくんが感想欄で人格攻撃された。お、おう。普通にショックで執筆気力減った。
嫌われる理由は分かる、だがその属性があってこその攻めくんだったから、私も一緒になって攻撃するような真似は絶対しなかった。書いた人間として、生み出したキャラを否定するような真似はできなかった。
万人受けしないものを、受け容れられない覚悟で書いていたら、思いの外楽しんでもらえたようで喜んでしまっていたから。冷や水を浴びせられたようで。愚かさも含めて愛されるなんてはずがなかった、と現実を思い出して、何を期待していたんだろう、と惨めにも泣いちゃった。
まあ、安心して欲しい。
ブクマが伸びてね、PVが伸びるとね、当初ターゲットとして想定していなかった読者層にもぶち当たるようになるの。これはそういうことなの。
私は気にしちゃったし、説得力ないと思うけど、世の作家物書き小説家創作人さんは、気にしないで性癖に正直になっていいと思う。思った。
ランキング傾向から、その方が読まれやすいと勝手に推測していた。実際当たったと思っている。
ただ、書籍化まで視野に入れるなら、砕け過ぎない方がいい気もする。小説の質としては、文体が軽いより重い方が質の高い小説だ、と思う人は多い。
(尤も、売れる作品か、が書籍化のネックであろうので、人気があったり面白さが保証されるなら、文体なんて無視していい要素になるだろうな。)
多分主要な読み手層は、時系列バラバラの話を後で自分で再構成したりはしない。Tips集めて事件のあらまし推測しない。そういう楽しみ方を求められていない。
故に、素直に読んで分かる話になることを心掛けた。
それですら伝わらない。半分も伝わらないと思っておいた方がいい。人は自分の理解できるものを土壌にすることでしか、作品から理解を引き出せない。
書きたいものを書く、という芯はブレさせなかった。だって趣味で書いているんだぞ!? 好きなもの書かなくてどうするの!?!? という精神。
私が恥ずかしがったので、独りよがりな鬱設定は本編で語らなかった。エンタメ路線の方がみんなも読んでて楽しいでしょ。私もその方が楽しいし。
2作目攻めくんのえがきかたは、もっとやりようがあったのだろう、とも思う。力不足だった。
攻めくんのコンプラ違反を度々指摘するような形で、作品倫理はそれなりに真っ当さを維持して批判避けしていたつもりだったのだが。まあ、ダメな行いはダメだよな。それを存在否定に使う人間も世の中にはいるんだな、勉強になったよ。
は〜〜懐の深い受けが、頑なに頑なにしていたのに、いつの間にか絆されちゃうの、いいもんだな。
思い出した。
私にとって小説を書くことは、読みたいもの、自分の好きなものを自分の中から身を切って削り出して晒すようなものなのだった。苦しくて仕方ないのに、楽しさを知ってしまったから、今更辞めることもできない。呼吸だった。
だからこそ、伝わらなさを思い知る度、断絶を突きつけられた。それは、好きに解釈してくれ、と自分の作品を手放して諦めるようだった。断絶を重ねるうちに、それでいいや、と思えるようになってしまった。平気になったわけではない。
観測者のいない星は寂しい。読者がいて、作品が確立することを知ってしまった。だから、手放すことを覚えた。
あの頃と比べれば、息を止めることに慣れてしまって、息の仕方を忘れてしまった。
それでも時折呼吸が苦しくなって、思い出したように息をする。
ベッドに入って眠ろうとすると、会いたくもない連中が思い出したくもない場面を再現するから気分が悪い。あの時できなかったことや言えなかったことがあったけど、今度はああしてやろうとか、こう言い返してやれとか考えて、その完成度を高めたり、有効かどうかの確認をしたりして、どうにか気分をすっきりさせようとする。だけど、もう過ぎたこと。変えられないんだから、今さらやっても意味は無い。同じことなんて起きない。次なんてないって、冷静な自分が冷や水をぶっかけてくるから、ますます気分が悪くなって眠れない。
そういうときは布団をはいで、時間を確認して、それから気持ちを切り替えるため、リビングへ行くことにしている。温かいお湯を飲みながら、やかましくないテレビをぼうっと見て、苛立った気分が大人しくなるのを一人で待つ。そのつもりでリビングへ行くと、既に母がいて、こたつに入って、テレビを見ていた。母の「眠れないの?」の問いに「そう」と答えて、二人してEテレのドキュメンタリーを見たりして、気分が落ち着くまでリビングで過ごした。
翌日、昨晩の話題になって、母に体調を心配された。申し訳なかった。適応障害になって、退職して、実家に戻ってからずっと心配をかけてしまっているから。
必要とされる人になりたくて仕事に就いたけれど、実際は上司に怒られてばかりで、「薄情者。」「程度が知れるな。」「お前が人生でやってきたことは、何一つこの仕事に生かせない。」等々言われ放題で、職員からはもちろん施設利用者からもその家族からも他機関の人々からも関わる人々全員から役立たずと思われていたに違いない。だから世の中に自分の居場所はないと思った。職場の周りには高い建物がいくつも建っていて、昼飯を買いに外へ出るたび、それらを見上げて、想像で自分の分身をベランダとか屋上とか、とにかく高いところに置いて、分身を落としていた。そうすると少し気持ちが落ち着いた。それでもダメなときはこみあがってしまって、トイレや外で嘔吐した。だから昼食を食べることを止めた。でも吐き気は変わらずあったから、空ゲロを繰り返した。そのうち涙もこみあがるようになった。今までなら耐えられた業務上の圧力。それは毎日のことだから当たり前に押し寄せてきたけど、そのときは堪らなくなって、涙がこみあがり、溢れる前に建物を出た。できるだけ悟られないようにしたけれど、どうだったのだろう。それから涙腺がバカになったみたいで、毎日涙が溢れてしまい、その週の終わりから休職が始まった。
半年経ち、休職の期限を迎え、退職することを選んだ。その旨を伝えるため、理事長と話したとき、話の流れから少し前に就職希望で面接に来た人についての話になった。
「この間、面接にきたのは、履歴書見たらころころ仕事を変えてて、(胸を指でトントンしながら)ここやってるわけだ。ここにある自分の考え方の問題を解決しないで、職場を変えれば問題が解決すると思ってる。そうじゃない。お前みたいに精神やって休職する奴は、また元の職場に戻れば良いんだよ。そうすれば仕事が続くのにな。」
そう話す理事長は、これから離れる元職員へ向けて、はなむけの言葉をくれてやる良い上司だろう、俺。みたいな笑顔だった。だけど俺の気持ちは励まされなかった。休職の半年間、職場に戻れる気はまったく感じられなかったが、戻らない選択をしたことで、この先、お前の未来は真っ暗だと告げられたようで、とても不安になった。退職の意思を告げるために職場へ行くくらいには回復したつもりだったが、その日からまた体調を崩した。
それで実家に戻った。布団に入ったり、風呂に入ったり、一人になったりすると、いつの間にか嫌な記憶に取りつかれている。
そんなわけで母は、眠れないでいた俺を心配してくれていた。しかし母もまた十数年にわたって鬱を患っているから、俺としては、母が昨晩リビングにいたことの方が心配だった。
こんなことってある?と母はぽつりぽつりと話しだした。
「今さらそれを言った人に『なんであんなこと言ったんだー!』って言いたいわけじゃない。」
「けど自分の嫌なところを言われて、それが言い返せないくらいその通りで」
「こういうのっておかしい?」と母に訊かれたから、「そういうことってあるよね」と答えた。
俺からも訊きたいことはあった。“誰から?”“どんな状況で?”“何を言われたの?”それらを訊こうか迷った。けど、なんのために?
聞いた上で、あーしたらいい、こーしたらいいなんて解決策でも提示しようっていうのか。それは本当に必要だろうか。話している相手がそれを欲してるとは思えなかった。何か言ってもうまくいくイメージは湧かなかった。それに話を聞いてほしいんだろうなとも感じた。逆の立場ならそうしてもらいたいし。そしてその上でできることを探した。同じ理由で眠れなかった俺にできることは、共感しかない。そう思って答えた。
だけど、怖さも感じていた。還暦をすぎてもこの苦しみを抱え続けていることは恐怖だった。俺が今抱えているものは、俺が母の年齢になっても抱え続け、怖れ、苛立ち、苦しむのだとわかってしまったから。若い頃に受けた苦しみの処理の仕方は、老いてもわからないまま。かといって苦しみのうまい抱え方も知らないから、耐えて、耐えて、死ぬまでやり過ごす。きっと俺もそうなるのだろう。これから先も嫌な記憶ばかりはっきり思い出され、リアルタイムで傷つけてくる。なのに幸せな記憶は、そのあったはずの幸福感が再生されず、過ぎ去ってしまったことの悲しさに取って代えられてしまう。
とても憂鬱だ。
しかし母は泣いていた。安心したら涙が出たそうだ。俺が共感したことに救われたと言って。
それから、もし父に言ったならば「いつまでもそんなことでうじうじしているんじゃない。そんなだから病気も良くならないんだ」と怒られてしまっていただろう、と。そして母の父親(俺にとっての祖父)であれば、口だけではなく、手も出てきたかもしれない、と話した。
彼らは己の価値基準で、相手の話に勝手に善悪の判断をつけ(それも語られる苦しみの背景も考えずに)、相手の苦しみに目を背け、見なかったことにしようとしてきた連中だ。周りがそんなだから母は疲れてしまうのだろう。
「あんたも病気で休んでるのに、こんなこと喋ってごめん。」と母に謝られた。そして「でも話を聞いてくれるのは、あんただけだよ。ありがとう。」と言われた。
ないと思ってた居場所は、実家にあると、今はそう感じている。家族にそれを感じられることは、恵まれているとも思うけれど、家族に甘えっぱなしの脛かじりな今の自分をみっともないと感じているから、このままではいけないとも思う。だから家の外に居場所を作りたい。それをやる体力気力は、まだないけれど。
イジメが増えるから、テレビでボクシングやめて欲しいし、贅沢なご飯食べてない人もいるんだから、「ゴチ」とかやめてさ、結婚出来ない人もいるんだからタレントの結婚も報道無し、恋愛できない人もいるんだからドラマも駄目。
あと世の中ブス、ブサイクいるんだから可愛い子だけが出る番組とかジャニーズとかテレビ出すのやめよう。
誰も傷つかないし、みんな嬉しいねって
甘ったれた事言ってんじゃねーよ、
あのな世の中お前の為にあるわけじゃねーんだよ
生きるってのはなあっ痛いんだよ、苦しいんだよ
大変なんだよ! それでも生きていくんだよ
みんな辛い事苦しい事あるけど必死に生きてんだよ。
それなのにお前はなぁ、自分だけは大丈夫と根拠のない自信と、嫌なことがあれば全部周りのせいにして、 なのに周りから優しくされる事を期待してる。
いつまでも、親のせいにしてんじゃない
お前は自分では自分のこと優しい奴だと思ってるかもしんねーけど、お前は臆病なだけだよ。
声に出したりや行動に移したり出来ないでいる怯えてる子羊だよ
なのにネットじゃ、得意げな顔して他人の粗を探して批評して裁判官気取りのクソ野郎だ。
で周りが同意してくれないと怒る
自分は隠れて、頑張って努力してる人に冷や水かけて同じような人達と嘲笑して情けない。
一番ダサいぞ。
素直に凄いって言えないもんな、周りを否定することでしか自分を肯定できないもんな。
もうやめよーぜ そういうの、自分と向き合えよ。
Twitterなどで今回を最後にスタッフをやめるという報告が相次いでる。原因は様々だがどれも上層部と現場の意識乖離が根本にあるように見える。一方で我々サークル参加者や一般参加者とも離れていっていると感じざるを得ないところも確かにある。
米やん(米澤前代表)が亡くなってから3代表制に移行したころから、崩壊の序曲は始まっていたと思う。
米やんは確かに独裁的ではあったけど、「コミケの理念」に沿って多くの参加者が納得できるような行動をしていた。たまに納得できないこともあったけど、それでも説明責任は果たしていたと思う。それが三拡(現在の拡大準備集会)であり反省会であった。私が参加し始めた30年前位は、三拡の質問コーナーは質問したい人がマイクで直接米やんに質していくスタイルで、質問だけじゃなく意見表明もあったり、米やんなどの返答に対してさらに疑問をぶつけることも多々あった。だから質問した人も納得できたり、納得できなくても彼の意見には一定の評価をしていた。対話はとても大切である。だけどこんなのを何人もやっていたら時間が足りないので質問用紙形式になってしまったのだが、それでも彼は回答に対して更に再質問されることも見越して答えていたのはさすがだと思う。何よりもすごいのは、おそらく用紙形式になってからすべての質問に答えていたこと。つまらない質問、コミケと関係のない質問、既に前半で説明した内容、そういうのも省略することなく時間を多少オーバーしてでも回答していた。
しかし3代表制になってから徐々に「同様の質問」という枠でまとめられたり、コミケと関係ないからと省略されることも出てきた。集会終了後に質問に触れられなかった人がスタッフに詰め寄ってるのを目撃したことも1度や2度ではない。それでも最初は12時終了という時限があったから仕方がないと自分を納得させていたと思う。しかし運営に関わる自分の質問が他の質問とかぶっていないのにも関わらず紹介されないことが出てきて代表に対して疑念を持ち始めた。
サークル参加していると一般参加のときとは違ってじっくりスタッフを観察できることもある。(弱小なので暇(滝汗
例えば突発的な待機列の発生。昔は階級役職関係なく、むしろ古参で役職についているような人が積極的に整理にあたったりしていたこともよく見かけた。全員が汗をかいて動くのが当たり前だった。そうした中でOJTによって後輩に技術が継承されていく。コミケに限らず組織が継続するための基本だ。
ところが先日の夏コミで見かけた光景はまるで違っていた。無役、おそらくほとんど初心者のようなスタッフが外周大手サークルの大行列を試行錯誤しながら切ったりつなげたり弄り回していた。その様子を何人もの上級スタッフがすぐそばのテントで涼みながら指差し笑ってくつろいでいる。休憩かと思ったら何時間もテント内で待機している。連絡係なんて1,2名もいればいいのにおかしい。たまに下部スタッフを呼んで列整理かなにかの指示をしたりしているが、彼らは何のためにコミケにスタッフ参加しているのだろうと疑問に思った。人身御供以外でスタッフの経験はないので組織の内容は知らないが、半日テントでのんびりできるほど人が足りているのか。
列の整理方法も、以前なら横移動は厳禁だったのに今回は何度も経験した。おかげで崩壊しかかったこともあった。中堅らしきスタッフがハラスメントばりのきつい口調で指示しているのも見た。その他いちいち挙げないが、とにかく空気が悪い。この原因の一端は、Twitterで書かれていたスタッフ待遇の改悪にあるだろう。
サークル参加していても、参加費の値上げは仕方がない部分があるにせよ、参加証の発送方法の変更で不達や遅延が増えたり、前述のような三拡の対応など、徐々に不満を積まらせる要素が増えてきたが、なんといっても黒バス事件での準備会の対応は、コミケの理念を自ら曲げてしまった悪手だったと思う。三拡では「場を維持するため」と言い訳を繰り返していた。長くなるので書かないが、あのような措置をとらなくても場は維持することが可能だった。もしくは場の維持はコミケの理念には元々入っていなかった。「年2回開催の維持」こそが黒バス事件や今回の夏コミにおける諸問題の元凶である。もうちょっと言えば年2回のコミケで生計を立てている人(企業)が増えてしまったことが問題。
「オリンピックがあるから1回(2回)パスします」と準備会が宣言すればそれでよかった。
(もしくは「黒バスで脅されて特定のジャンルだけサークル参加させないように警察などから言われたけど理念に反するので拒否したら会場借りられなくなった」とでも)
メインの東館が使えず西と南に無理やり詰め込み、中途半端にリストバンドを売ったり(これも理念に反する行為)東駐車場待機列の事故も「年2回」のための無理が祟ったと言わざるをえない。こんな状況で冬はともかく来年の春に他のイベントと共催してまで無理やり行うのはどうかと思う。オリンピックじゃなく災害で会場使えなくなったらどうするんでしょうね。それでもどこかで無理やり開催して「年2回」を意地でも通そうとするか。ちなみに詳しくは言わないけど津波でビッグサイトが浸水する可能性は十分ある。来年夏か冬まで休んで万全の態勢で再開することを検討するのはまだ遅くない。特に東駐車場では危うく死者を出しかねない状況だった。それを報道されたら
コミックマーケット準備会 @comiketofficial 8月12日
コミケットには「お客様」はいませんが、一方で「運営」もいません。我々が、そしてみなさんが参加者の一人として、それぞれの声に真摯に耳を傾けて対話していきたいですし、互いに新たに協力をお願いすることもあると思います。
などと自らの責任を放棄する始末。真摯に耳を傾けるのなら、まず三拡の質問に全部答えるところから始めたら?運営じゃないのならリストバンド売るのもおかしい。こんなちぐはぐなことしていたらスタッフが離れていくのも当然の成り行き。昔のような分裂騒動が起きてもおかしくない。もしかしたら3代表はもう割れているかもしれない。そう思わせる場面を何度か見たことがある。
冬までに問題が収束するとは思えないし、春は更に大きくなっていよいよ存続問題に発展するかもしれない。そうなったらクールジャパンとか言ってる連中もオリンピック前に冷や水浴びせられることになるかも。そうでなくてもスタッフだけでなくサークルや一般も準備会の態勢が嫌になってコミケから離れていくことは十分予想の範囲。未確認だが今回徹夜組が大幅に減ったという情報もある。これは企業ブースが青海に飛ばされた影響だけじゃないだろう。
高齢化、若い世代の人口減少、ネットの普及、頒布手段の多様化など、何もなくても近い将来参加者数が減少傾向に転じることは予測できる。
(一方で外国からの参加者が増えているのでまだ伸びしろがあるという見方もあるが)
同人誌自体も、アニパロなど二次創作の規制が進む流れがいつ厳しくなってもおかしくない。残念ながらそういう時代になりつつある。準備会は「場」を守ったけど参加者や同人界を守らなかったというオチが見える。
どうしても自分の中で抱えきれない出来事があって、昨日初めてはてな匿名ダイアリーに投稿した。
男友達と浮気関係に陥った。そういう内容だから周囲に話すことはできなかった。けれど、吐き出させてほしい。通りすがりの他者の批判を受けたい。冷や水を浴びせてほしい。という思いから文章をしたためた。
数名から反応があった。わたしに対する批判はなかった。彼に対する批判もなかった。ただ文章の色、読後感に関する感想を頂いた。
思いも掛けなかった。
わたしはこの「はてな匿名ダイアリー」を「ある文章の内容を受けて自分の意見を展開し、投稿主にぶつける場」だと認識しており、自分の文章に関して反応があるなら当然わたしへの批判であろうと想像していた。文に人を議論に焚きつけるほどの熱量が足りなかったのかもしれない。感想をくださった方、あるいは感想を残されなかった方はわたしの脆さを鋭敏に感じ取られたのかもしれない。それでも書き手に直接を意見をぶつけられない構図は想像していなかった。
もう一つ思い違いをしていたことがある。文章における匿名性である。名前・年齢・性別さえ明かさなければ、文章の内容がどうあれアノニマスな存在になれるものとわたしは考えていた。しかし前述した数名の方が文章に対してくださった感想は、わたしの人間性をぴたりと言い当てたものであった。文章における匿名性とはあってないようなものなのだなあと途方に暮れた。
「はてな匿名ダイアリー」という媒体、「文章における匿名性」をわたしは誤解していた。
悪ぃ。前半4分の1くらいしか読まねーで書くけど、批判されてるヤツ(もちろん読んでない)も、してるヤツも真面目過ぎるわw
あのな? 候補だの政党だのってもうどーでもいいワケ。(ちな俺一応極左な?)
**党の**候補って言った場合、党として本人として一貫してぶれずに主義主張がスジが通ってる必要ってねぇと最近思ってんのよ俺。
もっと言や『どこの誰だろうと、使えそうな党の使えそうな主張だけ支持すればそれでいい』と思ってて、逆に1から100まで**候補の主張に賛同する! とかってやつはダメ。
たぶん現役政治家かその周辺だろうと思うけど、旧2chで候補側の意見として言ってて感心したんだよ。
当たり前なんだよコレ。
「私たちは国や社会を良くしようと思って意見を述べているので、賛同したらそこだけ支持してくれればいいんです」
って言い方だったのな?
全人格全主張を肯定してくれなんて一言も言わないし、そんな事あるハズないから有権者として好きに使って下さいって立場なのよ。あの人ら。
そうじゃねーヤツもいるかしんねーけど。
だからな?
喧々諤々するのはいいけどここが違うあそこが違うとかオマエは本当は**だろう、とかもうやめろ。つーか、嫌になるからやめてくれ。
不毛だし全部一致するまで話してたら何もできないだろ?
そう言われたんだよ。完璧な政治なんかないから少しづつ擦り合わせて良くするしかないって。
イデオロギーも結構、党利党略も多少は仕方ない。時には冷や水ぶっかけたり皮肉ったりもあるかしんねーけど、それでも他人を潰す為に立候補して主義主張してたら疲れるだけで何も産み出さないだろ?
テキトーでいいんだよ。もう少し楽に語れ。……な?
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」なんて、マリー・アントワネットは言っていなかったらしい。
なんで彼女のセリフとして広まったかというと、“あいつなら言いかねない”からだ。
俺たちはそんなフンワリとしたイメージだけで信じてしまえるわけ。
冷静に考えてみれば、そもそも本人に確認を取っていない情報を信じるなって話ではあるけれど、そんなこと言い出したら歴史上の人物はほとんどがそうだろ?
いや、今でも似たようなものかも。
俺たちは信じたいものを好きなように信じて、気をつけて使うべき階段を踏み外して怪我をする。
階段を使うことを決めたのも、気をつけなかったせいで怪我をしたのも自分のせいだけど、そのことについて反省しない。
その日の俺も深く考えないまま、学校の階段を一段とばして上っていた。
朝のチャイムが鳴る前に教室に入っとかなきゃいけないから急いでたんだ。
登校だとかの面倒くさい日課はギリギリまでやらないことがモットーなのさ。
「よっ、ほっ、はっ」
階段を上るたび、背負っている鞄がユサユサと揺れる。
その振動で体のバランスは不安定になりやすく、ちょっと危なっかしい。
さっきの例え話とかけるなら、俺はここで階段から転げ落ちるんだろう。
けど、あくまで例え話は例え話で、フィクションのフラグなんて存在しない。
こんな余裕のないことをしておいてナンだけど、俺だって遅刻したいわけじゃない。
焦るものは焦る。
実際、それで遅刻しかけたこともあるので、ここで走るのは危険を伴う。
急いで歩くことが求められる。
「急げ、急げ、急げぇ~」
そう呟きながら自分を鼓舞しつつ、競歩選手並にクネクネしながら教室へ向かう。
スピード的には走っているようなものだったけど、常に足のどちらかは地面に接しているので問題ない。
だけど、それでも残り数秒あるかどうか。
頼む、間に合ってくれ。
朝のチャイムが鳴り響く。
これまでにないほどバッチリのタイミングだったので、思わずガッツポーズをした。
「客観的に見れば、ただ遅刻しかけただけなのに。よくそんなに喜べるな」
「偉そうなこと言うなよツクヒ。遅刻しなかったのも、遅刻しかけたのも同じ。つまり俺とお前に何の違いもないんだ」
取るに足らないやり取りだ。
むしろ俺が気になっていたのは、仲間のタオナケ達が珍しいネタで盛り上がっていたことだった。
「う、うん……みた、き、きいた」
俺たちガキにとって、ニュースは占いとかミニコーナー目当てに観るものだ。
だってニュースの話で朝から盛り上がるなんて、イキってるみたいじゃん。
だから話題になっているということは、よっぽど気になるネタがあったってことの裏返しでもある。
これを読んで気分を害する方もいらっしゃると思います。申し訳ありません。
新海監督の作品を観ると謎の体調不良を起こすため現在映画館に行くのも億劫になっています。(予告で流れるので)
この感情は本当にもったいないと自分でも思ってるし万人に受け入れられ賞賛されている作品に否定的な思いを感じることが正直辛いので、ここで吐き出させてもらいます。そして、ここで吐き出したことでもう一度新海誠作品にチャレンジしたいという気持ちになれたらいいなと思っています。
私が嫌っている理由
それは『一番最初の見せられ方が気に食わなかった』というだけです。
当時付き合っていた彼氏の家で『秒速五センチメートル』を彼氏に勧められて一緒に観ました。
それはそれは綺麗な背景に切ない恋愛模様。男女のすれ違い。星がとても好きなので種子島が舞台になっていることも好印象でした。そして、最後のシーンはグッとくるものがあります。ペラッペラな感想ですがあの瞬間感動し他の作品も是非見てみたい!!!!と感情をひどく揺さぶられたことを覚えています。
私は立ち上がれないほどの感動と切なさを感じていました。
一瞬で冷や水を浴びせられました。
すんなり立ち上がり「あーいいねいいね(棒)」というなんとも言えない反応をなんとなく合わせて言ってました。
その動画自体はとても再生回数が伸びてますし、このブログを書くにあたってもう一度聞いたのですが、よくできてるなぁと思いました。ラップというジャンルにあまり興味はないのですが、魂を感じることができました。
本当に動画投稿主様に申し訳ないのでここで謝らせていただきます。申し訳ありません。
私は今、本作を観て、悲恋つら、、、でも人の出会いっていつ巡り会うかわからないから大切にしよう…とかなんか思ってたと思うんですよっ!!!でもその記憶が全部ラップのリリックにやられちゃうっ!!!!!!(ごめん!!ぶっちゃけリリックとかわからないんだけど使いました!!!ごめんなさい!!!勉強します!)
ラップすげー!!!全ての記憶がラップに塗り替えられた!!!!威力ぱねぇ!!!!
結局その彼氏とはこの後別れたんですけど、新海監督の作品見るたびに思い出してしまうんですよね。ラップに作品のイメージを全て塗り替えられてしまって虚無になってしまう感情を。
これ恐ろしいものでさっきまで『うう、、私たちは幸せになろうね』的な乙女心だったのが『こんなもんよね!!!ありがとう夢!』ぐらいの心境の変化。
私の気持ちを一瞬で変化させるラップの強さ。ヒプマイが流行り始めた頃に「あー、私ラップで倒されたことあるから分かるわぁ」なんて思ってました。
多分なんですけど、見る時間が違っただけでだいぶ感情が違ったと思うんです。
作品を見て、デートが終わって、家に帰り着いて、落ち着いてからラインだので『この動画見てみてよ』と言われて見てたら「ラップ?意外だけど見てみよ。(涙腺崩壊)」ぐらい行けたんじゃないかなと思います。感動系CMとかでも一瞬で泣けるので確実に落ちてたと思います。
人に何かを勧める時は順番に気をつけようと思いました。てかその人が見たいと思ってるときに見せるべきかな……難しいや。
ということで、その後新海監督の作品を観るたびに謎の体調不良がなぜか出るようになった女の話です。
これを機にヒプマイ勉強してみようかなぁとか思いつつ新海監督の新作をとても期待しています。
『君の名は』の時は映画開始5分で退場してしまったので、次こそ完走をっ!!もしくはレンタルかな……(ハードルを下げる作戦)
ってできない
Twitterでフォロワーの意見とか最近のTL見てて、ちょっと思うことあったんだけどチキンだから言えずじまいなのでここに投げる
私は実際に行動に移すかどうかはともかくとして、性根がゴミクズだから焼きマシュマロ送る人間の気持ちがわからなくもない
嫌いな人間に自分のこと知られずして嫌いですって言えてしまうツールがあるんだもん
自分はその人のこと嫌いで見たくなくても考えたくなくても考えてしまって悶々としてんのに、まさにその嫌いな人間が周りにチヤホヤされながら楽しそうにツイートしてたらゴミみたいな言葉投げてちょっとくらい不快な思いさせたいって思ってしまう気持ちは何となく想像できる
お前のこと嫌いな人間もいるんだぞって
取り巻きに対しても、お前がチヤホヤしてる人間には本当はこんな嫌なとこがあって、実際に嫌ってる人間もいるんだぞって見せたい。
そう、だから?で?って話しだけど、ただ知らしめたい。
なんだろう、
水をさしてやりたい
って感じなのではなかろうか。匿名なら、たぶんハードル低くそれができちゃう
送られる側からしたらいい迷惑だし傷つくし嫌うなら外に出さずひとりでやってくれって話しだけど
お前のこと嫌ってる人間もいるんだぞって知らしめてあわよくば傷つけることが送る側の目的なんだから、それこそ本懐を遂げられるわけで
この人を傷つける目的でそんな言葉送ってくんな!って怒ってる人(特に被害者本人でなく被害者の周囲の人間)に関してはそもそもが若干違うんだよな
怒っていいしそもそも焼きマシュマロ送るなって話しなんだけど。
送る側だってリスク負わずに批判できるから匿名ツール使ってるんであって、
名前出して正々堂々と言って来いって人もお門違い感ある
こういうことする人間は、自分勝手な事情で人を不快な気持ちにさせようとするのは悪いことだって分かってるけどやっちゃうんじゃないかな
焼きマシュマロ送る人を庇いたいのかっていうとそうじゃないんだけど
それとは全く別の問題として、
批判は単純に「それどうなの?」っていう投げかけであって、攻撃ではない
一方的に謂れの無い中傷をされたんなら声を上げて反論すべきだけど、批判されただけでものすごい勢いでへこんで周囲がものすごい勢いで庇うパターンは最近よく見るし、すごく違和感がある
注意されたら冷や水かけられたみたいに感じる気持ちもわかるけど、そこに感情を持ち込んで周囲やマシュマロ送られた本人が
「妬みがあるからそんなこと言うんだよ…」とか「こんなこと言われて傷つきました」とかって思考停止するの何にもならないと思う
傷つく前にまずその指摘に正当性があるか判断しなくちゃ論点がずれたままじゃない?
もし本当に批判・注意・指摘であるならそれは誹謗中傷ではなくて、傷つく必要もほんとはなくて(どうしても気にしてしまうとは思うけど)
注意された部分を改めればいいし、謝罪してもうしないぞって思ってそれで終わり
誤解から注意を受けたんなら誤解を解けばいいし、
改められない事情があるならこれには事情があるんですって弁解すればいい。
非難だって、「欠点やあやまちを咎めること」なんだから、もし非難されたとしても自分に間違いがないと思うなら自分なりの意見を主張すればいいだけでしょ
もし「非難の皮をかぶった誹謗中傷」であると判断できたのなら、ここではじめて言い返すなり周囲を巻き込んで声を上げるなりして注意喚起すれば良い
必要以上に傷つかなくてもいいっていうこと。
謂れの無い誹謗中傷を受けた人は特に、相手は完全なる妬み嫉み恨み辛みで言ってきてるから、負け犬の遠吠えだから、どうかどうか些事は早く忘れて楽しいことしてください。5000兆円奢りたい。
反面、フォロワーで、あなたがされたそれは指摘なんだからそんな被害者ヅラするのはちがくない?って件があってすごくモヤモヤした。
取り巻きとしては慰めるのが正解なんだろうな…
と思いつつ結局なにも声かけしなかった
ここまで書いたけど匿名ツール悪用する側が100%悪いっていうのは大前提
Twitter使える年齢になってもまだ自分の感情を自分で面倒見きれない大きな乳幼児が100%悪い。
ただ、これも言いたい
周囲の人間は自分が「外野」であることを弁えるべきだし、被害者がもういいって言ったらやめようよ
私刑は違うでしょ
人のために自分のことのように怒れる感性は素晴らしいけど、そこに自分のストレス発散が混ざっちゃまずいじゃん
人を傷つけた出来事に便乗して勝手に湧いた自分の感情を加害者側にぶつけるってつまり、見方によっては「自分の感情を自分で面倒見きれない大きな乳幼児」
で焼きマシュマロ送る側と一緒じゃない?
手出ししていいのは被害者が依頼した運営や弁護士なり警察なりきちんと対処できる人たち
外野は何か意見を言いたいのなら、きちんと何が起きたかを把握するべきで、中途半端に聞きかじった出来事に正義感を持つもんじゃない
調べるのが面倒くさいなら口出しないほうが良いんじゃないかな
書いてたらモヤモヤしてたのがちょっとだけ整理されたかもしれない
・落ち込まなくていいんだよ
保険のために言うと、私は匿名であっても「悪口を本人に突きつける行為」そのものに罪悪感があるから焼きマシュマロとか絶対できない。悪口自体も絶対関わりが存在しないおじいちゃんとかに聞いてもらう。
チキンで良かった。
ただほんとに匿名ツールで心無い言葉を浴びせられて傷ついた人たちが一刻も早く回復して楽しく活動できますように
揺るがないのはこれ。
話に出てくるプログラムが具体的にはどんなものかは知らないけど、ロクなもんじゃないことは確かだ。
ルビイ先生はそのプログラムの違和感に気づいて、最初の内は反対していたんだろう。
だけどそれが分からない他の大人たちは、先生に圧力をかけて最終的に従わせた。
その環境と、そのプログロムが、先生から心の余裕を奪ったんだ。
―――以前、兄貴が言っていた。
「余裕ってのは、窓の通気と一緒だ」って。
あんな息苦しい場所で淀んだ空気を吸い続けていたら、誰だって心の余裕がなくなるに違いない。
そしてタイミング悪くブリー君とツクヒの一件が重なり、ルビイ先生はプログラムと化学反応を起こした。
それをきっかけに、周りの大人たちはルビイ先生を更に追い詰めるという悪循環。
「なんだよ、それ……ブリー君の件がイジメだっていうなら、ルビイ先生がやられていることは何だってんだ!」
「私、イジメ対策は結構だと思うけど、これは変よ。『イジメはよくない』だとか、『自分がされて嫌なことを相手にするな』って口を酸っぱくして言ってる人たちが、あんなことを平気でしている時点で失敗だわ」
みんなフツフツと怒りが湧いていたけど、その矛先をどこに向ければいいか分からなかった。
プログラムを考えた人たちなのか。
それに疑問を持たず、「イジメ対策だから」と手放しで賛成した人たちなのか。
「へっ、結局のところ皆イジメが大好きなんだよ。自覚がないのか、認めたくないのか、否定したがるけどな」
行き場のない怒りに震えていたその時、ツクヒがいつもと変わらない調子でネガティブ節を炸裂させる。
それは、まるで俺たちの頭に冷や水をかけるようでもあった。
「イジメが良い趣味じゃないことは分かっているから、“理由”をつけて正当化するんだ。“許されるイジメ”にしようとしている」
「“許されるイジメ”って……『どんな理由があってもイジメていいことにはならない』って、そう言ってたのは先生たちだぞ」
「はんっ、理屈の上では間違ってないだろうな。だが―――」
「『間違ってないだけ』。ツクヒはそう言いたいんだ?」
「ふん、分かってるじゃないか。綺麗に見られようとする人間ほど素顔は醜い。薄い化けの皮でそれを隠しているんだ」
ブリー君までツクヒの話に乗り出した。
二人は少し前まで知り合いですらなく、ペットボトルで叩き合っていた仲なのに。
波長が合うってやつなのだろうか。
「で、その“理由”って何?」
「とどのつまりは“愚か者”さ。みんな愚か者が嫌いだからな。そして嫌いなものをイジメることほどスカッとして、正当化のハードルが低いものはない」
「誰だって愚かな面はある。その面に照準をあわせて引き金をひく。そうして愚か者の弾痕をつければイジメられっ子の完成だ」
「なるほど、“愚か者”ってそういう感じで決まるのかあ。それが“許されるイジメ”になるわけだね」
「その通り。イジメっ子がイジメられっ子になりやすいのも、そのせいだ。だから皆イジメられる者がいないか常に目を光らせ、逆に自分がイジメられないように毛を逆立たせる。この世はそんな獣たちで溢れたディストピアなのだ」
ツクヒの軽快な毒づきと、ブリー君のぬらりくらりとした相槌が、俺たちの調子を崩していく。
だけど、そのおかげで俺たちは冷静になれた。
そうだ、ただ怒っているだけじゃ意味がない。
その怒りを無闇やたらとぶつけるのも違う。
大人たちがあんな調子なんだから、俺たちが動かなければならないんだ。
「クレバーかつクレイジーに、俺たち子供の悪知恵を有効活用しようじゃないか」
「先生たちを説得して、か、改心させる……とか?」
「通じるとは思えないな」
いい歳した大人が、子供に『お前がやっていることは間違っている』なんて言われてマトモに聞き入れるとは思えない。
もしも俺たちに言われて聞き入れる程度なら、あんなことをする前に自分で気づくはずだ。
「私の母、PTA関係者だけど、こういう件には一枚噛んでると思うわ。つまり容認済み」
一体、どうすればいいんだ……。
「ミミセン、何かないか?」
俺はミミセンにアイデアを求める。
こういうとき知恵を授けてくれたり、考えをまとめてくれるのがミミセンだ。
「そうだなあ……うーん」
それでも、うんうん唸りながら知恵を搾り出してくれた。
「解決の糸口があるとするなら……話に出てきた『新・イジメ対策プログラム』……そこに何かある気がするんだ」
この学校社会のバランスを崩し、ルビイ先生、他の先生たちを狂わせている原因。
それは『新・イジメ対策プログラム』にあるとミミセンは睨んだようだ。
最近宇予くんの間では俺たちは是々非々で政策を判断してる!っていうストーリーが人気だけど、こんなに非難轟々なサマータイムですら、
サマータイムを実施する自民党の方が、サマータイムを実施しない野党より上なんでとか言ってる。
消極的自民支持なら、選挙で今まで通り自民党に投票すればいいだけ。各政策はそれこそ是々非々で判断して、サマータイムみたいなやばいことを言いだした時は支持率下げてやればいいじゃん。
経団連ガー森元ガーとか言ってるけど、その意見を積極的に採用し続けてるのは自民なんだから、それを支持してたら何も変わらないのは当然。是々非々が聞いて呆れる。
支持する理由は経済政策だからサマータイムはどうでもいいって言う人もいるけど、だからサマータイムは経済に打撃を与えるから問題視されてるんだって。
導入に莫大なコストがかかるのはもちろん、年二回、二時間もの時間調整が行われるから体調への影響は避けられない。労働者への負担は確実だし、その結果事故が増えることさえ懸念されてる。
さらには麻生閣下自身が、サマータイムを導入したら残業が増えるはずって見解をポロっと零してる。
サマータイム導入を進める側が残業が増えることを見込んでるのに、公式には残業が減る、余暇で消費するから経済が活性化するって発表は不健全極まりないだろ。
労働者の体調不良を促進した上に残業が増えて余暇も消費も減るって、それこそ自民党が今までやってきた経済政策を無に帰す行為じゃないの?
経済政策を支援してるんだったら絶対にサマータイムは阻止しなきゃだめでしょ。
そもそも酷暑対策が目的なのに、日照時間を増やすサマータイムが「解決策だと思う」なんて正気とは思えない発言をする首相様には、絶対に冷や水をかけてやった方がいいって。
タカラヅカの世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人のFC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位がそもそもの始まりだった。
しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたのファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバスの時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいたものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからきたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。
無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。
公演の入り待ちに出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。
そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。
いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。
そして迎える退団公演。最後だからといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場で最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後だからと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女のファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティの足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間でおひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後だからとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。
過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分の立場を自覚した。私はお金も時間も費やしていないただの茶の間なんだから。現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカの世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業の最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとう、ファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人の世界に存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。
そして千秋楽のチケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。
私の中で何かが失われた瞬間だった。
もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。
大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっとは落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間は大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。
みんなはクラスメートとか仲間内で雑談をするとき、傾向とかなかったか?
例えば俺たちの場合は、ウンコ味のカレーかカレー味のウンコかみたいなことに思考リソースを割くのが多いかな。
弟のマスダたちの場合は、思春期ということもあってかエロ関連の話が流行みたいだ。
「僕がエロいと思うのは、この曲線だと思うんだよね」
「胸! 大は小を兼ねる! 安定需要!」
さて、弟たちのしている話が最終的にどこに向かうかは大した問題ではない。
俺だってこのテの話は別に嫌いではないというか、こういう話で学校の隙間を埋めていた経験も人並みにはある。
しかし、何度も聴いていた名曲が騒音に聞こえるように、同じことは繰り返せば繰り返すほどツマラナくなり、最終的には嫌悪感すら抱くようになる。
そうならない内に、一時的にその話をしないようにして、忘れる必要があるのだ。
「お前ら、いつまで同じ話をしているつもりだ。いい加減に次のステップに進んだらどうだ」
「ちゃんと進んでいるよ、今はエロ度をランク分けしている最中なんだ」
「私、女だけど、その理屈だと結局は骨って結論になってくるよ」
「それが同じ話だと言っている。結局はエロいかエロくないか、そしてどの程度エロいかを話しているだけじゃないか。場所がちょっと変わっただけで、お前らはグルグル回っているだけなんだよ」
俺の指摘は間違ってはいなかったが、弟たちはそれが逆に自分たちへの無理解だと受け取ったらしい。
「これはとても大事な話なんだ、兄貴。そんなガワだけを見た評価をして、俺たちに冷や水をぶっかけないでくれ」
「私、女だけど、料理にも使われている言葉だから、この場合はその料理がエロいかも審査していく必要が出てくる」
「いい加減にしろ。お前ら、このまま同じ空気を吸い続けて皆がエア性行でもしていると俺が言えば満足なのか? くだらん、不毛なことにエネルギー割くのは程ほどにしろ」
俺が思っているよりも、弟たちがその雑談で背負っていたものは大きかったらしい。
「ふざけんな!」
「トマホーク! ちょうな!」
「おいおい、やめろ、暴れるんじゃない。ここは俺の部屋でもあるんだぞ」
十数分に及ぶ私闘は、開き直った俺が木刀を用いた演舞を披露することで決着となった。
とはいえ自分たちの部屋に大きな傷を残すという、誰も幸せにならない決着だったが。
それから、弟たちの雑談場所はもっぱら近所のカフェになったらしい。
まだエロいエロくないかで盛り上がっているのかは知らないが、弟たちが出禁になるか、それまでに雑談内容が次のステップに移行するのが先か。
そんなことをクラスメートたちと雑談しながら昼休みを過ごすのが、最近の俺たちの流行だ。