はてなキーワード: 不能とは
過去の道迷いによる遭難事例などhttps://toyokawa-ac.jp/map/map_sounan
Ⅴ-2-2 なぜ沢を下ってはいけないのか
① 「あれっおかしい」と思ったが、「何とかなる」と思ってそのまま進んだ。
② 途中で道がなくなり、戻るにも藪が深く、自分がどこにいるのか分からない。
③ 自分がいるところが分からないので、同じところをウロウロし、体力がなくなり、日が
暮れた。
④ 喉が渇き、沢の音にひきつられ、いつの間にか沢を下っていた。
⑤ 滝が出てきたが、無理を承知でそのまま降りた。
⑦ 動けない。
道に迷っても沢に降りてはダメ!(登山初心者用)https://www.yamareco.com/modules/yamanote/detail.php?nid=698
道に迷ってしまったらhttps://www.sangakujro.com/%E9%81%93%E3%81%AB%E8%BF%B7%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89/
さて、山で道に迷ったときの最悪な行動パターンといったら、沢を下っていってしまうことである。樹林帯に比べ、ヤブなどがない沢は歩きやすく、しか も下へ向かっているため、「このまま山麓まで下っていけるのではないか」と錯覚して、ついふらふらと入り込んでしまいたくなる。しかし、下っていくうち に、やがて崖や滝や堰堤に突き当たって進退窮まるのが沢というもの。それを無理やり下ろうとして転落しまう事故が後を絶たない。どんなに歩きやすそうに見 えても、絶対に沢は下っていかないことだ。
タイトルで落ちてるのだけれど、モヤモヤしているので書く。
シリアで長期間拘束されていた安田純平氏が解放・帰国した件について、彼の行為を無謀だとか迷惑だとかと批判する意見を見る。
発言が気に入らない・整合性がない、という批判はわかる。納得するかどうかは別として、筋はあるからだ。
ただ、彼の行為が無謀・迷惑とそんなに簡単に批判できるのか、が分からない。
無謀、という批判について、彼の行為を登山に例えた例を見た。
無謀な登山とは、思うに、登山者の技術と準備が必要なそれに全く追いついてない、ということだろう。
つまり技術的な評価であるから、批判するには知識・技術・経験が必要になる。
私は安田氏がしようとしたことに対して必要な技術と準備がどういったものか、全く知らない。これでは評価しようがない。
シリア内戦の知識すら十分じゃない。まして、どう潜入するのか、どのように安全確保するのか、それが氏のしようとした事に対して十分なものであったか、
なんて、どうやって評価すればいいんだ。少なくとも私には絶望的に無理だ。途方に暮れる。
確かに日本政府が危険だと警告していたわけで、技術も準備もなく素人が観光で行くのは無謀だろう。
だが、それを基準に批判するなら、8,000m級の山に登山するすべての登山者は無謀だ(それはそれで一理あるかもしれないが)。
迷惑、に関してもよく分からない。一個人のリスクが今回の件でどれくらい上がったのか、正直評価する知識がない。
国とか世界に対しての迷惑というなら、リスクとベネフィットを評価する必要が出てきてしまう。
ジャーナリストにしろ戦場カメラマンにしろ、彼らがもたらすベネフィットを事前に評価することは
ほぼ不可能だろう、なにしろ「分からない」からこそ行くのであるから。
となれば、素人からすれば、ある科学の基礎研究が巨大な実利を生むかどうかを事前評価するのとどっちが難しいんだか、というレベルである。
評価不能とばかり言って馬鹿じゃないのかお前はと思われそうだが、これが私の正直な現状だ。
「常識で考えればわかるだろう」と言われそうだが、そもそも「常識」が通用する話なのか分からない。
前提となる「常識」も定義されていない。そもそも私に多分「常識」が足りない。
批判しようにも擁護しようにも、全く知識がない、という事実が明らかになるばかりだだ。全く情けない話である。
となれば、専門家の知見を頼るしかない。実際、彼の行為が無謀で無意味な、ベネフィットがなく多大なリスクしかないものなら、
まっさきに同業者の方が批判している、とも思うのだ。風当たりが強くなって迷惑なのは彼ら彼女らなんだから。
こんなふうな捏造じゃなくしっかりした批判が、いずれ専門家から出てくるかもしれない(すでにあれば知りたい)。
そんなわけだから、安易に彼の行為を褒める事も批判する事もできない私に今できることは、「まずは、生きててよかったねえ」とつぶやくことぐらいなのだった。
今後の識者・同業者の評価と、なにより安田氏自身のアウトプットを待ちたい。
自分自身の哀しいほどの無知に関しては、ぼちぼち何とかしていきたいので、
良書があれば教えていただけるとうれしい。読む時間をひねり出す方法を考えるのが先な気はするが。
キモくて金のないおっさん論の人には申し訳ないんだけど、個人の間にある魅力の差異って、顔がキモいとか金の有無なんかより遥かに想像を超えて残酷で、それって例えばWebなんかでは可視化されるでしょ。匿名掲示板やらSNSなんて、顔の造形(アイコンで偽れる)や金の有無(有名スイーツの画像引っ張ってこれる)はごまかせるけれど、それでも、実際にははてなスターの数やRTの数には本当に天地ほどの差が現れるよね?
世の中には面白くて魅力のあって、他人の感情の機微をとらえて会話をつなげたり、物事の周辺事情や本質を汲んで考察したり、つまりは言動によって他者に何かをもたらせる人間と、そうでない人間がいる。その両者の差は絶望的なまでに大きい。
増田は「Careの話をしようよ」というけれど、それは上記の魅力の話に接続しちゃうんだよ。
なぜなら自由意志の支配するこの社会において、だれにCareするかはCareする側が選ぶのだし、選ぶのなら魅力のある人にCareするのが当然だからだ。もし仮に自由意志のないCareがあったとしても、それは多くの人によってCareとして認識できない。格安の老人ホームで個人の尊厳とは無関係に行われる義務的なCareは「誰かに気にかけてもらい認められる」という文脈においてCareとは認め難いでしょ? 人は自由意志によって自発的に己に向けられる何かをCareと呼びたいのだから。
でもそれは前述の通り反対給付を払う能力という視点において絶望的な格差があるという話につながる。更に言うならば、Careが得られない個人はCareを求めるあまり、なんとか自分を売り込もうと、自分のことばかりを(自分の痛みばかりや、自分が思う自分のセールスポイントばかりを)声高に語ることによって更に支払い能力を落としていくし、Careが十分に得られた人間はその精神的充足や平穏を原資にしてさらなる人間関係を開拓してより多くの支払い能力を得ていく。残念なことに魅力という格差も拡大するんだよ。
顔の造形とか金の有無とか清潔感とか、まあ、本人にとって深刻ではあるんだけど所詮「説明がつく程度」の話題であるように思うんだよ。それらはたしかになるほど格差ではあろうし、たとえば「整形すればいいじゃん」「金稼げばいいじゃん」という指摘が理不尽であるゆえに事実上解決不可能に見えたとしても、理不尽とはいえ解決の理路が示される程度の絶望でしかない。
でもしかし、内面の魅力というのは説明不能で解決が不可能だ。自分が今不幸であるとき、その不幸を感じている自分は自分の内面なので、そこを交換してしまっては、交換後の味わえる「本来得られる幸福」さえ今の俺ではなく新しい俺のものになってしまう。「金持ちになった俺」や「イケメンになった俺」は俺自身かもしれないけれど、「俺という内面を捨てた俺」は俺ではない。
それは、内面に起因する貧しさはイケメンになっても金を得ても捨てられないのではないか? という恐怖だよ。その恐怖――つまり、人間の間にはとてつもないほどの内面の魅力の差があって、それはイケメンになろうが金持ちになろうがついて回り、その差異のせいでわたしはわたしが望むようなCareが十分に、しかも未来永劫得られないのではないか? そしてそれは内面に由来するので言い訳が一切通用しないのではないか? ――はあんまりにも激甚で、個人には耐えられない。
言い方は悪いけれど、顔が不細工だからだの金が無いだのは(家系や遺伝子が悪いなどの)言い訳がきくよね。でも内面はそれよりずっと逃げが効かない。Webでこの件についての話題や議論が少ないのは、誰しもが、この話題は鬼門でつついてもろくなことがないと、うっすら理解しているからじゃないかな。
そして、だからこそ個人の差異に由来しない代替品としてFairを求めているのでしょう?
だれもが内面とは無関係に、一律で、区別なく得られるものとしてのFair。わたしがどこの誰でどんな欠陥持ちだろうが得られるFair。すばらしいもの。
そういう理由でFairを求めているひとに「Fairは本質ではないから、Careの話をしようよ!」っていうのは、あまりにも残虐非道なのではないかな。本質じゃないのも代替品なのも承知の上で、でも、内面の魅力なんて言うアンタッチャブルな恐怖――わたしはCareを得るのに十分な内面を持ってないのではないか? ――と戦っている人に向かって、生存に必須な栄養素としての承認が足りないからあがいているある意味の貧困層に向かって、「自分の畑で育てればいいよね?」みたいな。その畑がないから苦しんでいるというのにさ。
まあ、「誰しもが一律で得られる」時点で、そんなものは前述の老人ホームの例でわかるとおり、Careの代替品にもならないってのも事実なのだけど。それどころか乾きに飲み干す海水のようなものであって、余計にCareが欲しくなり、なぜ彼らにはあったわたしにはないのか? という闇に取り囲まれるだけではあるんだけど。
ビデオゲームの進行で区切りとなる単位。登場している敵をすべて倒すなどすると次の面へ進む。
キャラクターが持つ指標。体力のアナロジーになっており、ゼロになると死んだり行動不能になったりする(プレイヤーキャラクターの場合残りが1つ減ったりゲームオーバーになったりする)
TRPGではすでに「HP」の呼称が使われていたとの指摘あり。
ゲームの進行が終了すること。アーケードゲームにおいては1クレジットで遊べる状態が終了し、さらに遊ぶにはクレジットを追加する必要がある。
(これに関しては、「なぜ『GAME IS OVER』ではないのか」という考察がウェブ上に複数あると思う…と検索せずに書く)
営業と自分の二人だけでまわしてる案件だから、今転職なり異動なりしたら引き継ぎも大変だよな、
引き継いだとて(現状でさえやっと自分で回り始めてきたのに)また軌道に乗せるのも大変だよな、
とか思ってもう少し機が熟したら・・・って思ってしまうタチなんだが、
そこまで考える必要あるんだろうか?
いざ転職したい、って時にみんなどこまで周囲のことまで気を配っているんだろう?
今時珍しい、人間関係は良好なチーム(「職場」というくくりでは知らない)だからゆえに、悩むのか。
いっそ戦闘不能状態になったほうが、話が早いんじゃないかとすら思う。
人のことなんて気にせずにやりたいことやれ!って図太い神経を持ちたい。
というが、マジの人にとってはそうではないということをわかって欲しい。
本当はそうではないのに鬱病という病気に逃げたい人が甘えであって、鬱病は鬱病だ。
鬱病のそのときは、過去の記憶がなまじあるだけに辛く、悲しい。
特に私の様な躁鬱にとっては。
同じ状況で同じことをするだけなのに、気分が重く生産性はとても低い。
だが、明確に鬱というものを定義できていない医学上の問題もある。
鬱を厳密に定義して救う仕組みは早く作って欲しい。
それを甘えだとか、それを解消するためにがんばって娯楽施設に行ったら
「遊べるじゃないか」
そうじゃないんだ、そうなれるように頑張っているんだ。
この記事は少し前置きが長いが読んでくれ。NY市場の歴史的株価下落により、世界的なリセッション入りは近い、多くのアナリストはそう考えている。しかし、長期金利上昇以上に問題なのが(2つは関連しているものの)失業率だ。アメリカではもう失業率は下がりそうにない。ギグエコノミーなどの構造的要因によってNAIRUが上昇している可能性がある。U-6失業率を見ると、アメリカ経済は完全雇用に近いが、以前の水準から言うに、ケインジアンは完全雇用ではないと言うだろう。原油価格は上昇しており、ギリシャ危機当時のインフレ対策としての緊縮(当時ほど過激ではないにしても、ギリシャはやりすぎたが、ベルギーなどは適切だった適度な緊縮)が必要になるかもしれない。スタグフレーション対策としてだ。中国の経済統計は悪化しており、グローバルな貯蓄バランスの不均衡によって国際通貨市場の不安定化、新興国(途上国)からのドルの逃避(アジアは比較的貯蓄率が高いためリスクは低いだろう)、構造改革の余地の減少、石油、穀物価格や株価下落に伴うコモディティへの投機により、中央銀行はスタグフレーション回避のためにさらなる引き締めが必要になるかもしれない。全世界でレジームチェンジが必要になりそうだ。具体的にはシムズ理論による財政出動(拡張的緊縮論にはシムズ理論で対抗)、投資減税(資本の利潤率低下の法則と金融緩和の代わりにリスクプレミアムに働きかける政策)、穀物投機を減らすための利上げと新興国(途上国)への一時的な融資、バイオマス燃料の規制、トービン税、中小企業の金融円滑化のための財政支出としての支援が必要だろう。また、国有化された金融機関の役員報酬の規制法も必要だ。政府は、学資ローンを買い入れるべきだ。新卒者の消費が増えないバランスシート不況を阻止するためだ。投資減税、雇用補助金によるリストラ阻止、長期的には過剰資本解消と合理化計画、(アメリカ民主党の主張するしかもインドで実験された)雇用保障制度と福祉分野での雇用創出、ワークシェアリングの柔軟な対応(所得税などの控除なども盛り込まれるかもしれない)を行い、長期的成長に配慮するコーポレート・ガバナンスの推進(ドイツ型に改革)、401kやヒラリークリントンの主張していたプロフィットシェアリングを支援する必要がある。また、国際的な穀物およびエネルギー支援の枠組み協定も必要だろう。IMFのSDRのような制度かつ現物に裏付けられたIMFの保証する国際仮想通貨ベースで現物で短期融資するのだ。インフラ投資を推進し、石油を(あまり)使わない分野での雇用創出(製造業の国際分業による世界的レベルでの石油生産性の向上)、おもに途上国への石油生産性向上のための技術支援、投資ファンドの設立、一帯一路の推進によるグローバルサプライチェーンの再編、輸送の効率化、現地雇用推進と輸送コストを抑える手段としての薄く広い国際合意に基づいた関税によってコモディティ価格上昇によるコスト・プッシュ・インフレおよびスタグフレーションを阻止できるだろう。(特にアメリカではトランプ減税の延長ともに)株式の所有構造の再分配、株式保有への課税もおそらく必要だ、金融のイノベーションと金融市場のダイナミズムを維持し、債務を持続可能性を高めるには、資産や貯蓄の不均衡の是正が必要だからだ。とくにアメリカでは、貯蓄率が低すぎる。家計のバランスシート改善と不況のクッションとしての貯蓄が必要なため、定額給付金という画期的な政策は必要である。底辺層への支給は、再分配にもなる。合理的期待形成論によれば、消費は生活必需品のみで消費を減らし貯蓄を増やす(逆に言うと、必要以上の消費が抑制されるので資源や食料価格が低下し、貧困層には良い)(有効需要の下限を管理し、スタグフレーションを防ぐにはちょうどよい)。また、貯蓄率上昇による金利低下や穀物価格上昇のリスクはトービン税や金融引締めで対応すべきであり、自営業者向けなどの金融円滑化、地方自治体の債務負担軽減のための補助金も必要だ。政府の進める生産性向上促進税制や障害者の労働参加率上昇のための支援(スウェーデンのサムハルのような)、職業訓練プログラム拡充により、生産性向上(潜在成長率上昇)で、世界的人口増とオイルピークと戦う必要がある。また、サブサハラアフリカでの農業生産性向上への国際的支援、土地なし農民などへの国際的な支援策、先進主要国はアフリカなどの農民を失業させないように、棲み分けなどで農業生産性を向上させるための各国の強み、地形や気候にあった政策を国際的協調のもと、行なうべきだ。過度の農業のグローバル化はサプライチェーンの冗長性を損なうため長期的には東日本大震災のようなサプライチェーンの分断、気候変動による凶作などによる飢饉の発生など、長期的には政治的安定性の低下(それによる経済政策の整合性低下)、グローバルな秩序の不安定化、長期的な潜在成長率の低下や、構造改革の遅れなどの問題が生じるため行うべきではない。また、牛肉などの需要抑制のための消費税の見直しや石油税についても国際協調をもって行うべきだ。ニート対策として、欧州諸国などは徴兵拒否の対価としての労働をふやし、労働供給の安定化、人手不足の解消を行うべきだ。韓国のように、中小企業に就職した場合、補助金を支給することもよい。役に立たない職業訓練をへらし、見習い雇用を支援し、正社員化による精神的安定や安定的な消費拡大を目的とした正社員化促進税制、ESOPの推進、また、雇用拡大として内部留保を減らすため法人税を大幅に増税、そして、社会保険料をかなり軽減(廃止)により中小企業の負担を減らすといったことも重要だ。また、投資減税や401k年金の推進などにより資本市場の活性化と(過度な内部留保によるゾンビ企業)淘汰も行うべきだ。間接金融と直接金融はゼロサムゲームではなく、補完し合うように政策的に金融機関再編をすすめるべきである。投資のための内部留保も課税し、資本市場により調達することを税制上促進し、投資の効率化や過剰投資抑制(不良債権抑制)、時限的な消費税、投資税の減税により、消費と投資のリバランスをすすめ、マクロ経済環境の安定化をすすめるべきである。R&D予算には競争的メカニズムを導入し、政府の研究所ではなく民間のR&D控除を推進すべきだ。特許などが会社に帰属するような改革は働き方改革(ポストフォーディズム的労働需給の柔軟化としてのフリーランス化)に逆行し、インセンティブやマクロ的な労働生産性向上に悪影響を及ぼすため、行うべきではない。教育のきめ細かな支援と、ゾンビ大学の淘汰や整理、合理化が求められる。航空宇宙産業は民営化すべきである。(予算を減らせとは言ってない)安定的な消費がなければ(消費期待)、企業経営の消極化により潜在成長率が低下するため、好ましくない。産学連携や起業家育成を推進すべきである。(社会的流動性の保全)消費税増税と保育無償化は一見矛盾するように思えるが、インフレや労働需給、国債金利(金融抑圧)、消費の安定化にともなう企業投資の安定化(そして民間委託による消費の国有化)としては一定の合理性がある。小泉進次郎の言うように、ゼロサムゲームではない(幼児教育無償化)。高齢者就労控除制度を創設し、高齢者障害等就労不能最低保証年金制度を創設し、いまある年金制度をマクロ経済スライドのアルゴリズム見直しにより、年金給付の実質抑制を図るべきである。失業手当(給付期間を延長し、給付額が段階的に減少)に職業訓練や就労インセンティブを課し、失業用貯蓄口座を創設するべきである。手厚く細かい職業訓練プログラム(生産学校など)とそれよりも強い雇用インセンティブ(見習い雇用)拡大、再就職や新卒者の就業祝い金支給、給付付き税額控除(EITC)を推進し、大学や専門学校を無償化(もしくはかなりの低料金)(予算の少なすぎるリカレント教育、いわゆる生涯学習の拡充)、社会的包摂のための協同組合などへの税優遇強化なども必要である。職業訓練はブッシュ政権で試みられたバウチャー方式がインセンティブ強化のために一般的に良いと考えられるだろう。わたしはローレンス・サマーズとおなじバブル必要論者なので、ドットフランク法廃止を支持する。わたしは完全雇用は履歴効果を阻止し、労働力を維持し、長期的な労働生産性向上と潜在成長率向上を引き起こすと信じる。また、マイナス金利や量的緩和などの金融緩和策が失業率を低下させ(賃金は下がるだろうが)、心理面の改善や消費拡大による雇用拡大、最終的には家計所得押上げに繋がると信じる。最後に
日銀は株価ターゲット政策を採用し、ETF、国債買い入れ額を増やすべきだ。貸し渋り貸し剥がし防止のため金融機関に法人税などを特例として減税(免除)し(ただし免除の条件として役員報酬の上限を法律で定める)GPIFは民間投資家と日銀や産業革新機構、預金保険機構などを株主とした機械化自動化AI開発投資ファンド(仮称)に投資し、技術革新の果実を年金の原資とする富の再分配(現役世代には保険料や消費税負担の軽減)をおこない、リスクマネー供給策とあわせて行うべきである。また、ベンチャーキャピタルの投信などに所得制限付きの税額控除を行い、持ち株政策と富の再分配、市場形成を推進すべきである。なにが言いたいかって、政府はこの内容を盛り込んだ経済緊急安定化法を成立させるべきだ。ありがとう、広めてくれ。
弾数は階級では特に決まってない、持っている銃と部隊内の役割で決められるな。
例を挙げると、米軍の歩兵は基本的に30連弾倉×6個で180発のアサルトライフルの弾を携行してる。
ただ、分隊支援火器の担当(車の上からバリバリ撃ってるようなヤツ)は1,000発~500発の弾が入った専用の弾倉を持ち運ぶ分、アサルトライフルの弾を持たない、なんてこともある。
弾切れになった場合は基本的に部隊内で融通しあうのが常識なので、弾切れになったら戦闘不能、ということは基本的に無い。
(部隊全員が弾切れになったら流石に撤退するけど、基本的にそうなる前に撤退する)
正式化で高くなるかもしれないというので買って遊んでみた
チュートリアル終了直後にネズミが発生、3人いたコロニー住人のうちAさんが噛まれて逃げ周り唯一の治癒技能持ちの身で出血で重傷レッドカード
Aさんを医療用ベッドに運ぶ方法に手間取っているうちに重体になり、Bさんに指示してアホみたいに遠い箇所からコロニーに運んだもののAさんは重体化し意識不明
同時期に遠くで資源を採っていたCさんもネズミに襲われる。ライフルで応戦するもこちらも重傷で移動不能に
グロッキーで寝ていたBさんにCさんの救助運搬を指示し移動開始させるも意識不明だったAさんがコロニー内で死亡、同じ部屋にいたペットのハスキーが発狂し、救助に向かうBさんを全力で追いかけて襲い掛かり重傷を負わせる
たまたま通りかかった不審な黒服の男を追尾しハスキーは消えるものの、噛まれてショック状態のBさんが間に合わず意識不明になり死亡、噛まれた最後の一人はショック状態で昏倒
政府機関による規制でなく、合理的な言論の交換によってあるべき姿が生み出される公共空間を創出する、ってのはこういうことで、これは「規制」とは真逆な発想なんよ。
非合理的かつ矯正不能な思い込みの代表格であるフェミニズムの旗の下にいる千田がこんなこと言うわけないじゃん。
よく読みすぎ。
実際にはこうだ。
(ある程度の論理が求められる)政府機関の規制よりも合理的(と決めるのは我々フェミ)な議論の交換(ただしイエスウーマンのみ)によって(私達にとって)あるべき姿が生み出される公共空間を創出したい
違うって?
お前らには信頼なんか無いんだよ。
その証拠にコレを書いた千田自身が、キズナアイ侮辱ばかりをRTし、擁護の意見などまるで聞く気がないことを身をもって表してる
b:entry:twitter.com:sahoobb:status:1047061214176661504
データの紛失と配付資料コピーの件は(マンガの主張の通りなら)相手(M山氏)がクソだね、で終わりだけど、肝心の会場キャンセル料のギャラからの天引き埋め合わせについてどうしても公務員として引っかかる部分があるので。
役所の支払いとして絶対にありえないんですよ。公務員やってたら冗談でも思いつかない発想なんです。
①すべてM山氏の冗談で最初からギャラは全額払うつもりだった。
②M山氏は区の職員だが、マンガ教室は区の事業ではなく、区職員M山氏個人の資金による個人事業だった。
③M山氏は区の職員ではく、ギャラの支払いも区役所からではなかった。((M山氏は役所から教室開催を委託された業者・団体の従業員で、「役所の事業でマンガ教室をやります」と言うのをさほ氏が「役所職員なのでそう言っている」と勘違いした。))
のいずれかしかあり得ない。個人的には③の可能性が高いと思います。
①はそんな冗談を言っても相手を不快にさせるだけで実行不能で意味がないし、②は役所職員がそんな資金豊富だとは思えないので。
役所(に限らず県庁や省庁でも基本は同じ)の何の創造みもない予算執行・契約業務の説明なので面白くもなんともありません。①~⑤は飛ばして⑥だけで結構です。いや全部読まなくてもいいんだけど。
役所の中ではこんな事やってんだな、こんな世界があるんだなってことで。
そのために確保しておくお金の枠を「予算」と言います。(マンガでもこの言葉が出てきますね)
役所がやりたい事業の計画を立てて、必要経費の見積もりをとって足し上げたものが「予算」額になります。
ちなみに「予算」は使途ごとに「費目」が決まっていて、費目ごとに金額を決めて予算を作らなければならず、今回の場合は「マンガを子どもに教える」事を役場から個人・団体に委託するので、「委託料」になります。
委託料として確保した予算は、委託する事以外には使えません。(たとえば会場借用料とかキャンセル料とかには使えません。「使用料」とか「補填・賠償金」になります。)
縛りガチガチですね。公金ですから好き勝手に使えたら困りますからね。
(費目間流用という例外処理もありますが、非常に面倒な手続きが必要だし、事前手続きが必須で「当日現場でいきなり」できることではないので省略します。)
事業を執行する部署(今回でいうと文化振興課かこども育成課か)が好き勝手に予算額を決めることはできず、まずは役所内で「(予算を決定する部署である)財政課による査定」を受けます。
財政課は常に「財政赤字を減らさねば。予算を削減せねば、部署に節約させねば。」と考えてますので、事業や経費の必要性を説明しても根拠資料不足だと差し戻しされたり、事業全部が不要だと却下されたりして、何度も査定室に足を運び、ようやく認められたものが「予算案」になります。
「案」です。
(財政課内でも査定担当VS上司のバトルがあるんですが省略します)
議会の予算決算委員会で委員から細かく審議されたあと、問題なければ本会議にかけられて可決されたら正式な「来年度予算」として成立します。(これは首長と議会が激しく対立してない限り、否決されることはまずありません。委員会で審査されるのも事業そのものの必要性で、積算まで見られることはありません。良くありませんね。でも議員さんが役所の全部署全事業の予算案を積算レベルまで細かく分析するのは現実的ではないでしょう。)
(事業に関わる予算要求~支払までの文書は公文書であり公開請求すれば見られるので、オンブズマンがチェックしてる部分もあります。)
さあ、新年度になりました。さっそく予算を使って事業を始めましょう。
これも事業担当職員で好き勝手にはできません。なんせ使うのは公金ですからね。
まずは「予算執行伺」の決済を取らなければなりません。「こんな感じの事業でこのくらいの金額を、この予算のこの費目から使いたいんですが、いいですか」という伺いを文書化して、契約書の案(印鑑が押して無いだけで実際の契約書と同じ)を添付して、担当→係長→課長と審査をうけて決済をもらいます。だいたい文書を回すだけですが、目新しい事業や大きな事業だとデスクの前に呼ばれて口頭説明も必要になります。(金額によっては部長とか首長レベルまで決済をもらわないといけないが、だいたいは課長決裁。)
まあ前年度に予算案を作る段階で課内でも財政課でも厳しくチェックされてるので、今更なんですが。
次は、事業のためお金を出す人・団体と契約します。今回でいうと、さほ氏や会場店ガリレオですね。
契約相手はどうやって選ぶ?なるべく費用を抑えるために原則は入札。
だけど細かい契約まで入札・開札作業してたら大変なので、限定された使途と一定以下の金額に限り、担当職員が契約相手を選ぶ随意契約をして良いことになっています。
その場合は相見積もりと言って、複数の相手から複数の見積書をもらって最も安い相手を選ばないといけません。
「この付近にはこの会場しかない」とか「この技能を持つのはこの人しかいない」と合理的な理由がある場合には一業者・一人だけ選んで見積もりを取っても良いことになっていますが、これは例外処理なので本当にその相手しかいないのか起案文書できちんと説明しておかないといけないし、上司からも細かくチェックされます。
次はまた決済です。今度は「支出負担行為」の文書を回さないといけません。
使う予算の費目(今回なら使用料と委託料)、使途、実行月日、円単位の金額、支払い相手先名、振込口座情報(役所の支払いは原則口座振込です。研修参加費を現地受付で払うとかでない限り、職員から現金払いする事はありません。)を記載した上で、イベント関係書類と見積書を添付して、また職員→係長→課長と決済を回します。今回は課長で終わりません。
課長から決裁印をもらったら、今度は役所の対外支払機能を一手に担う会計課からも決済をもらわないといけません。
首長から独立した「会計管理者」が役所の資金口座を握っていて、会計管理者の部下である会計課職員が役所のお金の出入りの全てを行っているんです。
会計管理者は「部長」並みの偉い人なので大きい金額の契約を見ていて、今回会計課に持ち込んだ「支出負担行為書」は、会計課担当→係長→会計課長で決済されたのでしょう。(会計課にいたことがないので細かい内部処理は不明)
そうやって初めて、相手と契約できます。「依頼」ではありません。「契約」です。
役所の契約行為は極一部に限定された例外(職員が出張で使うJRきっぷとか航空券とかの購入)を除いて、必ず文書契約です。口頭での契約は絶対にできません。(お金を出す証拠が残らないので不正支出になる。)
契約書はだいたいテンプレートが決まっていて、支払い相手、金額がきっちり明記されています。
これを2部用意して、2部ともさほ氏に渡して押印してもらい受け取って、役所では総務課に行って総務課員のチェックを受けたうえで公印(首長印)を押印し、1部をさほ氏に渡して1部は役所で保管して契約成立です。
そうして無事契約が成立して、ようやく「役所から依頼された」ことになります。
契約を結んではじめて役所はさほ氏に「教室で子どもにマンガを教える債務」を負わせることができます。
そして教室開催当日を迎えました。
ん?担当者が会場を2カ所抑えていて、キャンセル料が必要になった?一カ所は有料のところ(ガリレオ)で、もう一カ所は無料のところ(公民館とか)だったのかな。
キャンセル料は「費目・使用料」では払えないので、帰庁して急ぎキャンセル料の支払いのため「費目・補填賠償金」の支出手続きをしないといけません。
でも、一店だけ予約していたのが講師の都合で急に開催できなくなってキャンセル、なら支払う理由も成り立つんですが、担当者個人のミスで2会場予約していて、しかも当日までキャンセルしてなかったからキャンセル料が必要になった、なんて理由は上司や会計課に説明しづらいし、公金の支出としても市民からツッこまれそうです。(自分だったら、ダブルブッキングは無かったことにして自分の財布から出します。それが一番簡単なので)
ここでM山氏が言った「さほ氏へのギャラからキャンセル料を差し引いて払いますね」は可能でしょうか。
まず「決まった報酬(委託料)から急に発生した別費用を差し引く」というのは不適切な支出です。相手に委託する業務内容に対してこの金額で委託すると一度決めたのですから、業務内容が変わらないのに減額するなんて役所内の決済で絶対に認められません。
これまで支出するために役所内で行った支出負担行為書には支払相手・支払口座・支払金額が明記されています。契約書にも相手・金額が記載されています。
後から支出負担行為書を二重線で消して訂正印を押して見え消し修正する・・・無理です。訂正が効くのは誤字脱字くらいで、支払金額とか支払相手先とかの重要項目の修正はどの役所でも認められてません。契約書の訂正も必要です。
役所保管の契約書を担当者が首長印をコッソリ使って勝手に訂正したとしても(今はどこも公印の管理は厳重になってるので難しいけど)、会計課はそれによる支払を認めないし、さほ氏の持っている契約書には修正前の金額が記載されている(双方の合意に基づいてない)ので、奇跡的に会計課チェックをスルーして(ありえない)減額した金額でのギャラ払いが成功したとしても、後からさほ氏保管の契約書を提示されて不足分の支払請求をされたら、口座振込による支払金額記録が残ってますから、役所は追加払いしなければなりません。
追加払いするためにはまた一連の予算執行手続きがイチから必要になりますし、M山氏はいずれにせよこの段階で不正支出・公文書偽造により懲戒処分です。金額という重要項目の訂正・契約書の片方印だけによる訂正を見逃して支払ってしまった会計課の担当や上司も処分を受けるでしょう。(まあ会計課はどこも細かいのであり得ないけど)
教室が無事に終わりました。
相手が債務を履行したのを会計担当が確認してからでないと支払えません。(例外もあるけど省略)
帰庁後、担当者は会計課にお金を支出してもらうための書類「支出調書」を作ります。文書仕事ばかりでウンザリですか?公金だから仕方ないんです。
ここでもまた、予算の種類、費目、支払相手名、支払金額、支払口座、支払予定日、債務発生日(教室実行日)、支払内容、等を記載して、(システム化されてて支出負担行為と紐付けられてるので、ほぼ自動入力)
先に決済済みの予算執行伺・支出負担行為書・役所保管分の契約書原本・相手が委託内容を実行した証拠(マンガ教室の写真等)と検査調書を添付して、
課内で担当→係長→課長と決済をもらって、会計課に持ち込んで会計課内でもまた会計課担当→係長→会計課長と決済を経て、
はれて会計課が銀行に口座振替依頼データを送信して、さほ氏の口座にギャラが振り込まれることになります。
もちろん課内でも会計課でも、事前に決済を受けた支出負担行為書や契約書に記載された金額・相手名と、支出調書に記載された金額・相手名は照合されますので、「こっそり減額した金額で支払い」しようとしても「書類間不一致」でハネられます。
まあ、減額したとしてもガリレオさんへのキャンセル料の支払い手続きはされて無いので、予算が余るだけで意味ないんですけどね。
これで「事業」としては終わり、なんですが、担当の仕事はまだあります。
年度末の決算作業。決算書ができたら決算特別委員会の想定問答の作成。
翌年度に行われる部内監査((事業執行課の総括課が行う))、定期監査((外部から任命された弁護士や有識者の監査委員会の下部機関である監査事務局による、昨年度に誤った処理がなかったかの検査。支払関係は特に細かくチェックされる。こっそり書類書き換えとかしてもここでまずバレる。))、監査委員自らによる委員監査の監査資料作成や当日の対応。
もし予算に国庫補助金が入っていたら、補助金の実績報告書提出や受け入れ手続き、国の会計検査院による検査の受検((非常に細かく厳しい。ここで不適切な支出とされたら国庫補助金返還となり、返還金の予算確保のために予算流用手続や補正予算編成作業や議会対応が出てきて死ぬ))。来年度の補助金の事業計画や交付申請、等々・・・
と長々と説明してきましたが、帰宅してからずっと書いてて誰が読むんだこんなの。
役所の担当が持ってる事業は1つではありません。複数分野を担当していて分野ごとに複数の事業があります。
教室も1回で終わりではなく年間に何回かやるんでしょう。
教室開催ごとに講師をやってくれそうなマンガ家を探して、コンタクトを取って、ギャラ交渉して、日程調整して、契約して・・・
広さと場所が適した会場を探して、見積もりとって、後払い振込払いの了解もらって、予約(契約)して・・・
講師から教材データをもらって内容チェックして、コピー製本して必要部数を用意して、当日会場に教材持ち込んで様子を写真撮影して・・・
そして毎回ごとに講師と会場に②~④の予算執行・契約・支払手続きもせにゃいかんわけです。
ということで、役所がこの手のイベントをやる場合、教室・講師の手配などイベント開催をまるごと民間業者やNPO団体などに「業務委託」 Permalink | 記事への反応(0) | 21:42
https://lmedia.jp/2017/05/07/78894/
とは書かれているが、
「ただし、結婚後に肉体的・精神的理由で性交不能になったとか、単に年を取って性交不能になったような場合には、離婚事由として認められないでしょう。
夫婦間で性交渉を求める権利・応じる義務というより、円満な性生活を求める権利と言った方が適切かもしれません」(渡邊弁護士)
と書かれている。
講師は京都・沖縄・東京でカウンセリングを行ってきた博士(教育学)・臨床心理士の東畑開人氏。
「感じのいいエリート」が、鬱を排除するための躁的防衛、慢性的な虚しさ疲労感、神経症症状、親密な関係の難しさなどを抱えているケースについての話だった。
貧困層のカウンセリングでは「今すぐに治して」等の無茶を言われることがあったが、新自由主義に適応したエリートのクライエントは行儀が良い。治療者のことを専門職として丁寧に扱う。自主的に認知行動療法を実践しておりエクセルにまとめて報告してきたりする。カウンセリングを利用するという依存的なシーンですら、相手に迷惑をかけないことを重視する。こうした様子に、パーソナリティが自分自身のCEOにジャックされ、たゆまぬPDCAを励行している印象、あらゆるところに透明性・公平性を求める監査が入りアカウンタビリティを要求されている印象がある。こうしたタイプのクライエントの治療過程について、クライエントが行儀の良い状態→小さな依存が徐々に形成される→治療者に対する不信感・怒りが生まれる(希望があるから怒る)→治療者に対して軽視・軽蔑したり身勝手な振る舞いをする→気持ちの良くない関係を生き残る・やり抜く→クライエントの子供の部分が動けるようになっていく→自己や他者の不純(リスクマネジメント不能な部分)に耐えられるようになる、というものらしい。この内容について書籍が出たりしないだろうか。東畑氏本人がまとめるのが一番正確で良いだろうけれども、私はこんな風に受け取り、要約した。
エリートのクライエントは社会的に成功出来ているが自分の中の子供の部分が死んでいることによる問題が出ている。それを治療者との依存関係構築によって治療する。依存心が強すぎて社会的に失敗するタイプには認知行動療法が効果的かもしれない。「認知行動療法は効かない、精神分析が優れている」という話ではなく、クライアントの状況に合わせた治療法を提案すると、質疑応答で東畑氏は言っていた。
これらの時代認識には共感しかなかった。これ自体を解決したい人は政治運動に向かうのだろうか。私は政治運動をしたくない(政治が悪いというより産業構造の変化・人口動態によるものなので根本的な無力を感じる)ので、新自由主義への適応を選んでいるんだと思う。社会は助けてくれないので、自意識過剰でいられる・自己実現を求めていられるゆとりがなくなっており、望むこと自体が身の丈に合わない贅沢に感じている。消費と投資についても、弱者だからこそ将来の資産価値を考えて不動産の購入を検討しなければならず、強者なら純粋な好き嫌いだけの消費的感覚で住む家を建てたり買うことができる。弱いからこそ投資、余剰たっぷりの強者だからこそ消費する余裕がある、そういう世界観。
経営者にとっては正社員よりフリーランスの相手のほうが楽だろう。自立しているし、解雇規制もない。そうして誰も依存先を引き受けなくなった結果、ケア・依存先の供給が不足する。というよりケア供給者、依存先供給者の価値がこれまで不当に軽く扱われていたのではないかと思う。依存先の供給が無くなり、精神的な問題が噴出したことにより、今やっと価値が発見されている。
市場のロジックに適応して経済的にうまくいっている人間の価値を評価しない、妬むだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。深い重いつながり、ケアや依存先の供給を行っている人間の価値を評価しない、使おうとするだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。自分の苦労にだけ関心があって、自分とは環境も能力も全く違う他者の苦労への関心が根本的に無いこと。
そういった、人間の素のわがままさに対して、子供的に・動物的に・自動的に他者を軽んじる態度に対して、私は割と狭量で、嫌って憎んでしまう。私がある価値に気づいておらず軽んじていたことに気づいたときも私は私自身に対して狭量になり嫌って憎んでしまう。業務や人生の経営に必要な価値判断は、感情面では不幸を産む姿勢ではあるんだけど。
「商取引の脱価値化」言説は私を疲弊させてしまう。家庭において稼ぐ役割を担わされており稼がなければならない立場の人はいる。感情的な極論は対立する勢力の持ち物・貢献の価値を無いものとする。東畑氏は市場のロジックを取り入れたり自分を経営する目線が無さすぎると収入面で上手くいかないことや、自分を支配するCEOが市場適応的で強力だと勝てる、鬱を排除するための躁的防衛が人をバリバリ働かせるので勝てる、という本人の利益にも言及していた。ケア・依存だけに肩入れする治療者とは違うバランス感覚が感じられて、そのバランスになんだか救われた。既婚男性は一家の大黒柱として稼ぐ義務を家族に負わされていることが多いし、未婚女性である私も稼いで自分を養う義務から逃れられるとは思えない。
アナルが感度100倍で出来てるんだと30年間生きてきて最近気づいた。
愛想良い人がちょっとブスッとした感じでアナルバイブの伝達にくるだけで動悸がひどくなる。
「俺、何かしたかな?」
「何で感度が悪いのかな?原因は振動かな?」
「でも思い当たる節がないしな、アナルのせいではないな」と自分に言い聞かせてもケツアクメに苛まれ疲れきって家につくなり狂ったようにストレス解消のエネマグラ。そして爆睡。
それと会話でのやりとりがとてつもなく苦手なのが社会生活を送る上で酷くストレスを感じている。
相手が何を言っているのか頭に入らない事が多く、一人会話に取り残されることが多い。
その上道筋立てた説明がとても苦手で、しゃべっているだけで、ここで何を伝えればいいのか、どう表現すればいいのか、適切な言葉が出てこない。頭が真っ白になる。
俺にとって会話というのは突然ハイスピードで落ちてくるアナルのパールを突然手渡されて「この続きをやれ」といわれるようなもので、すぐにキャパティシが超えててんてこ舞いになってしまう。
伝言も酷く苦手だ。相手の行ってることが「りんごは赤いので○○さんに赤いと伝えてください」という内容だったら対応できるのだが
「○○部署の△△ですが、□□の件でご相談がありまして、☆☆の条件で××だった~~~~」みたいな話があると頭の中が「イクぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」ってなって「あん」「あん」しか言えないあんあんロボットになってしまう。一昔前の人口無能のがよっぽど優秀である。
どうして皆平気な顔して普通に人と会話を楽しめるんだろう。
どうして皆○○の情報だけで××も理解して言われていない△△のことまで推定して処理できるんだろう。
僕は前世はリモコンバイブかなんだったんだろうか。自分の人生を自分のケツで歩いていけてる気がしない。泳いでいるのか浮かんでいるのか、最近生きててよくわからなくなってきた。
ちんぽが不能で悩んでる人の書き込みは沢山見かけるけど、アナルが感度100倍の人の書き込みとその解決策ってみたことがない。
括約筋の悪さはどうしようもないとしても、せめて他人に何を言われても、何を思われてもなんとも思わず自分の成長にだけフォーカスを当てられるような、そんな図太く地道に成長していける人間になりたかった。
早く人間になりたい