はてなキーワード: 不能とは
こども全く欲しくない。
すると増えるんです。「子どもは早いうちがいいよ」と言われる回数。
「体力があるうちに産んだほうが楽だよ」という先達の想いから来ている言葉だとわかるからです。
とはいえ、、、なんというか。。。
「そこまでして欲しくないなあ」という気持ちが日々募る。
ずっと働き続けたいとか、キャリアアップを目指したいかというとちょっと違うけど。
自分もそもそも体力がある方じゃないから、妊娠している状態を想像するとほんまキツイ。
10ヶ月もPMS状態に近いとか想像したくない。動きにくいとか行動範囲が狭まるとかめちゃ面倒そう。
あとそんなに自分の遺伝子残したくない。いくつか自分の体質でこういうところが嫌い、小さい時大変だった、みたいなのがあるから、そんなに自分の遺伝子が優れているとも思わない。
3時間ごとに寝られるかどうかってほんま怖い。自分は寝不足になると幸せ度が絶対減るし、そんなときに予測不能事態が起こりまくるとか絶対ヒステリックになる。
あと男の子だった場合おしっこをオムツ替えの時に引っ掛けられるとか想像しただけで無理。
それでケタケタ笑われたら普通に反射で叩きそう。
それで子育てしていて「エゴで産んだんだから責任持って育児しろよ!」とか我が子に言われたら普通にキレる気がする。
うるせえこっちだって産みたくて産むわけじゃないんだ。って今の段階でも思っているから、産まない方が良さそう。
子の目線からすれば、母親が「なんで言うことを聞いてくれないの、今日はもう何もしない!」といった些細な愚痴?報復?ツイートから始まり、「主婦の仕事ほんま大変だから感謝しろ」といったエントリーがバズるのとか「あたしお母さんだもの」の歌詞叩きを見ると、「他者の共感が欲しいぐらい疲れしか見出せないなら産むな」と思ってしまう。周りにお気持ちを忖度して欲しいと頼むぐらいなら政府支援を頼れ。選挙に行け。
昭和時代によくある理想の母らしくしろとは言わないよ。でも子どもを産んだら当然色々な理不尽なことに遭遇するってのが、見えてなさすぎじゃない?様々なニュースもあるんだし、今はインターネットも普及しているし、ある程度の理不尽は容易に想像できたでしょ?
広告漫画もすごいよね。出産や育児に関する知見(知識とは言わない)がつけられそうなのが増えたけど、「なーんでそこまでして産むかね。見通しが甘くない?」って思っちゃう。
人のせいにするとかじゃないけど、育児のネガティブ要素ばかりピックアップされる世の中を見ると、普通に産みたくなくなる。今日のNHKのニュースも「名画で学ぶ主婦業」の本が売れてる、三人に子どもたち大暴れって見て、「なんなんだよもう」ってなった。明らかに日本で育てるのが難しいと理性が判断したなら、産まなきゃいいじゃん。本能に負けすぎでしょ。
○○な人に言われたくはない。
いやあ。見事な「決まり文句」ですね。あなたこの書き込みを見て、私は自分の前の書き込みの正しさを確信しました!
「友人」を無くした息子に「母親」が言葉をかけるとき、その「母親」は「顔で笑って心で泣いて」いる…わけはないですよね。あるいは、母親は自分の息子に「顔で笑って心で泣く」をしてもらいたいため、あえて自身の考える「儀礼的振る舞い」をしてみせた? それもずいぶん奇妙な仮定です。
なぜなら、この場合どう考えても「母親」は「息子」ほど悲しいはずがなく、自分より悲しくないはずの人から「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本を見せられたことで何かを得ることは期待できないのですから。仮にこれが、母親が親友を亡くし、息子から気遣いのメールが来て、その返信に「心配してくれてありがとう。私も彼女の分まで精一杯生きていこうと思います。」とあったという話なら何も分からないことなどないし、「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本であるという話は成立するでしょう。でも事実はその逆です。最初の増田さんがご自分の母親のメールを「全く意味がわからなかったし、失意の息子を励ます言葉としては意味が通らない」と感じ、いったい何を考えて言ったのか? と問うのは当たり前ですね。
さらに、これに対してたとえば「言葉が足りなくて悪かった。親友の死に落ち込むあなたを見て、私までまるであなたを失いそうな不安にかられ、ついああいう言い方をしてしまったのだ」なりの説明があったというなら、まだ分からない話ではありません。しかし「よく言うから言ったのだ」では台無しです。控えめに言ってもやはり意味が通りません。正直、最初の発言よりもこの言い訳の方がずっとヤバさの度合いで言うと大きいような気がします。元増田の違和感もそこが出発点で、私はこの違和感は十分理解できるものだと思います。
にも関わらずあなたは、増田に対して「大人になればそういうこともある」的な、ズレた、しかも恐ろしいほど定型の決まり文句で返しましたね。私は、最初は単にあなたが読解力のない人なのかと思いました。しかし、文面を見ても、それなりに整っており、特に疑うべき部分はありません。あるいはタイトルだけを読んでレスを書くタイプの人なのでしょうか。その割には、ずいぶん丁寧に(上から目線で)元増田にお説教をしておられます。ただの煽りとも思えません。
そこで考えました。確かに、「決まり文句」に拭えない違和感を覚えた人へのレスを、違和感のぬぐえない決まり文句で返す、というのは、考えようによってはなかなか洒落が効いた行為と言えなくもありません。そこで、私はあなたのレスを「高度なジョーク」と仮定することにしました。それが前回のレスです。
そしてその結果、あなたから返ってきたのは「恐ろしいほど定型口調のレス」でした。素晴らしい! あなたが、ディープラーニングのためのデータ収集中のAIではないとするならば、あなたは「何もかも分かった上で、意味のない定型文回答をしている」と仮定するしかありません。すなわちあなたは、いかなる場合も「場にふさわしい定型文を言うことが、自分の意見を述べることだと考えている」……という「自分の主張する内容をそのまま実践している」と言わざるを得ません。そうでなければあなたはただのAIです。つまり、一見もっともらしいことを言っているように見えるのに、普通に読めば「全く意味がない」言葉を機械的に書き連ねるような存在です。今回は、どうも後者の疑いが強くなってきましたね。
いいですか?「定型文しか書けない人に言われたくありません。どんなに辛くても、哀しくても、真面目に相手を尊重して振る舞う事が大人には必要なのです。」こんな言葉なら、百でも二百でも書けますよ。「ただし民主的な社会のルールに生きる人は、自分の頭で考え、ものを言うことを身につけないと、容易く信用を毀損してしまうことだってあるのです。」「今でなくても遠い将来にでも、あ、この事だったんだなと判って下さることがあればいいと思って書きました。」そこらにあふれているでしょう? こういう言葉。相手に寄り添っているかに見せつつ、中身が無い分反論不能な、マウントするための言葉。あなたの話には、まったくあなた自身の論理というものがない。結局のところ「それはそういうものだよ」以外のこと言ってないじゃないですか。もしあなたが、本当は人間だ、というなら、元増田はあなたのような人や態度をこそ問題にしている、とせめて分かってあげてください。
それから、ついでに質問です。いま私は、どういう気持ちでこの書き込みをしていると思いますか? …真面目に? or ふざけて?、 笑って? or 怒って?
参考にしたサイト:http://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html
相手の主張を一部分だけ引用したり、極端な形に言い換えたりして、反論しやすいかたちに改変してから論破してみせること。
多くのデータの中から、自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて、都合の悪い例は無視すること。
そっちこそどうなんだ主義。
自分の行動が批判されたときに、それ自体には反論せず、「お前も同じことをやっているじゃないか」と相手の過ちをあげつらう論法。
「最近の漫画がつまらないのは出版社のせいだと思うか?」という質問は、「はい」と答えても「いいえ」と答えても「最近の漫画はつまらない」という前提を認めてしまうことになる。
最近の漫画を面白いと思うなら、そもそも前提が間違っているということを指摘しなければならない。
実際には他にも選択肢があるにもかかわらず、0か100かの極端な選択肢だけを提示し、相手を回答不能にさせること。
滑り坂論法。
いちどでも要求を認めれば、次々と要求を認めなければいけなくなるので、最初の要求を認めてはならない、という詭弁。
たとえば「いちどでも賃上げ要求に屈せば、どんどん給料は吊り上がって、会社は倒産してしまうだろう」といったようなもの。
迫害を受けたガリレオが結果的に正しかったように、私が批判されているのも私の主張が正しいからだ、といった論法。
ガリレオの代わりにセンメルヴェイスやヴェーゲナーが引用されることも多い。
複数の仮説のなかで、間違っているという証拠があるものを除外していき、最後に残ったものが(どんなに信じられなくても)真実である、という誤謬。
言い換えると「間違っているという証拠が見つかっていないから真実だ」と言っているに等しい(未知論証)。
「ad nauseam」はラテン語で「いやになるほど」という意味。
何度も何度も何度も何度も同じ主張を繰り返すことで、批判者を疲弊させて撤退に追い込み、第三者にはそれが真実であるかのように刷り込む。
「嘘も百回繰り返せば真実になる」。
ある主張に反対するために「子供たちのことを考えろ!」というフレーズを用いること。
ここでいう「子供たち」は主張者に都合の良い架空の存在である。
インターネットでの議論が長引くほど、ヒトラーやナチスを引き合いに出した不適切な比較が行われやすくなる、という法則。
あるいは、ヒトラーやナチスと比較した時点でそれを言った側の負けだ、といったルールのこと。
ヒトラーとの不適切な比較は「ヒトラー論証」と呼ばれる詭弁であるが、ゴドウィンの法則自体にも「適切な比較すら封殺する」という批判がある。
常識的な主張と過激な主張を使い分け、過激な主張を批判されれば「私が本当に言いたいのは常識的なことだ」と弁解し、常識的な主張の同意を得れば「過激な主張が立証された」と強弁する論法。
本来は「小高い丘(モット)に建てられた天守」と「平地を外壁(ベイリー)で囲った曲輪」で構成された城のことを指す。
No true Scotsman。「本当の○○は××しない」。
「スコットランド人はそんなことをしない」という主張に対し、「俺の知り合いのスコットランド人はそれをしていた」と反例を挙げられたとき、「その人が真のスコットランド人ではないからだ」と定義を変更することで反例を排除する。
相手の主張に対して根拠を要求し、それに回答があると、しれっと要求を変形させて「これでは根拠になっていない」と言う。
「醤油ラーメンがいちばん人気があるという根拠はあるのか?」「ラーメンの人気ランキングはこれだ」「俺は東京のラーメンについて聞いたんだ、東京に限ったランキングを出せ」といったもの。
専門家でさえリアルタイムでは答えられないような細かい質問を次から次へと投げかけて相手を回答不能に陥らせる手法。
ギッシュ・ギャロップを繰り出し、相手がひとつでも答えられなければ「彼はこの問題について無知である、よって議論に参加する資格がない」といった結論に持っていくコンボ。
以下、名前が見つからなかったけどネット上ではよく見かけるやつ。
「反対をするなら対案を出せ」というもの。
具体的な問題を解決しないといけないときに、出てきた対策に反対ばかりしている人に対しては成り立つが、余計なことを始めようとするときに現状維持を望むのは、それ自体が対案となる。
「TINA(There is no alternative)」と呼ばれることもあるが、TINAは「他に道はない」と言って押しとおすことなので、微妙に違う気がする。
何かを批判している人に対して、まったく別の領域の類似問題を挙げて、「これも批判しなければダブスタだ」と言うことで、際限なく戦線を拡大していき、相手が対応できなくなることを狙う。
Whataboutismの仲間か。
集団内でも意見が異なることはあるものだが、集団をひとつの人格とみなすことで、異なる意見が存在することを矛盾とみなす。
右翼Aが「天皇を守れ」と言った、右翼Bが「今の天皇は左翼だから退位させろ」と言った、それを見て「右翼は天皇を守ると言っていたのに退位させようとしている」と主張する、といったもの。
勝谷氏が死んだニュースのトップブコメがそんな感じの論評だった。自分の考えを整理したい。
これは Noだろう。たとえ酒に利がないとしても存在を否定してよい理由にはならない。ゲーム・タバコ・大麻などがそう。より強い規制が不要かと言われれば一考に値するが。
また、酒を犯罪と並置するべきでもない。もし並置するとすれば、ナイフ・鈍器・ハイエースといった犯罪の手段だろう。そして、ナイフの存在を悪とする人がいないように酒もまた悪とするべきではない。
医療的な観点から酒の弊害が見なされる、という意味でも酒の存在を否定するのは変だ。徹夜だって体に悪い。酒が肝硬変などの健康障害の主因となりうるとしても、依存しなければ直接的な健康を阻害するとまでは言えないだろう。少なくともその存在を全否定できるような類のものではないはずだ。
酒が気晴らしの手段ではなく、酒自体が好きな人は一定数いる。そのために死んでしまうのは許容できる。酒に限らず「X を好きすぎて死んでしまう」みたいなのは愚行権の範囲だろう。X には酒が入るかもしれない、冬山登山が入るかもしれない。酒自体が目的であればそれで死んだのなら本望だろう。
酒が好きすぎて飲んで肝硬変になって死んで、残された家族の気持ちはどうなるの?という反論はあるかもしれないけれど、それは酒のせいではなく、酒を選んだ人のせいなのだ。家族を残して死ぬかもしれないというリスクを承知の上で酒をのんだのだから。
話は冒頭に戻る。酒を目的ではなく 気晴らしの手段として用いる機会がある。「酒でも飲まねーとやってらんねーよ」という定型句もある。なぜか人間は、酒を飲むと気晴らしになるのだ。コミュニケーションの手段になるのだ。現実を逃避することができるのだ。
この世界には多くのモノで溢れている。現実逃避の手段としてゲームもあれば、スポーツもあれば、小説もある。そんな中で酒を選ぶ。
気晴らしのために飲酒を習慣にするのと、気晴らしのためにフットサルを習慣にするというのは同じ構造を持っている。ならば気晴らしのために酒を飲むことを習慣にすることはいいのだろうか?ここに私は No と主張する。酒やフットサルは手段であって目的ではない。だったら他の何かでもいいはずだ。目的は代替不能だが、手段は代替可能であるはずだ。もしそうでないなら、それは手段ではない。であればそれは酒でなくてもよいではないか!
確かに「手段としてたまたま酒を選んだ」と抗弁する人や、「手段として酒が選べないのはおかしい」と自由を謳う人も出てくるだろう。そして何より「酒ぐらいしか手段がないんだよ」と追い込まれている人もいよう。それでも私は、酒を手段にするなといいたい。
「酒ぐらいしか手段がないんだよ」という人は、酒がよくない手段であることは重々承知なのだろう。ならば視野をもっと広く持ち色々なことにチャレンジして、酒ではない別の手段を見つけるように うながす社会であってほしい。追い詰められた人の逃げ道としてアルコールが簡単に手に入るような社会であってほしくない。
ミーハーだけど、羽生結弦がGPシリーズでやっている「ニジンスキーに捧ぐ」の元ネタが見たくて、プルシェンコのDVDを買った。
いやーすごいの何のって。完璧な演技とはこういうのを言うんだろう。羽生結弦じゃなくてもフィギュアスケートやってる人ならみんな憧れると思う。もはやプルシェンコ本人ですら再現不能ではないかと思われる若き日の超絶技巧の数々。そしてこの頃は20代前半ぐらいだったのか、若くて肌も美しい。(見るとこはそこじゃないか(^-^;)
あと、エドウィン・マートン(元は英語なので読み方が正しいかは不明)というヴァイオリニストと共演しているんだけど、音楽もやたらとカッコいい。プルシェンコ以外の人の演技も収録されているんだけど、アクロバティックな演技の数々を音楽がさらに盛り上げている感じ。
私はあまり動画が好きじゃなくて、たとえ気に入っても一回見て終わりにしがちなんだけど、これはプルシェンコの演技だけ選んでリピートして見たよ。アマゾンで売ってるので、フィギュアスケートが好きな人にはお勧め。
・レース5周目、コース3つめのカーブ「リスボアベンド」手前の直線でソフィア・フローシュ選手のマシンがユアン・ダルバラ選手と接触、コントロール不能のまま高速でスピンし、後ろ向きのまま前方の坪井翔選手と接触、そのままフローシュ選手は飛び上がってしまい、キャッチフェンスとコース外のカメラマンやぐらに接触して落下した。
・なお、ダルバラ選手との接触を含め裁定としてはどのドライバーにも違反性のないレーシングアクシデントとして処理されている。
・フローシュ選手は最高速計測地点では276km/hを記録していた。他の選手は255km/h前後で通過している。
これは他車がブレーキを踏む地点ですでにノーコントロールに陥っていることを示している。
(計測地点は離陸地点から100-200mほど手前)
・クラッシュの当事者となったソフィア・フローシュ選手、坪井翔選手、カメラマンやぐらに居て吹き飛ばされた日本人カメラマン、フェンス脇にいたカメラマンとコースマーシャルの5人がすぐに病院に搬送された。
怪我の状況などの発表はここを参照
http://www.as-web.jp/overseas/432006
・コースマーシャルはコース上の危険を知らせたりなどをする旗を振ったり、クラッシュした車両やパーツの回収をするスタッフ。
・フローシュは翌日朝に手術を受ける予定。
・離陸してしまった原因の一つとして「ソーセージ」縁石と呼ばれるコース上の障害物がある。
これは、コースの内側をショートカット出来るようなカーブに意図的に設置され、カットを防ぐ目的がある。
形は半円形の筒が埋まったような形状で、高さは普通の縁石(赤白で塗られている)よりも高い。
これに乗るとレーシングカーは姿勢を乱してしまったり、最悪の場合はマシンが破壊されてしまう。
・以前から「ソーセージ」縁石の安全性には疑問が投げかけており、他のレースでもこの特殊な縁石によって空中に飛び出してしまった事例がある
Formula e 北京 ニック・ハイドフェルド
クラッシュの実際の動画に注目すると、フローシュの車が飛び上がる直前に乗っかる青いものがソーセージ縁石。
・離陸してしまったもう一つの原因はフォーミュラカー・オープンホイールカーと呼ばれる形状の車特有の問題がある
これらは一般的にF1で思い浮かべるようなタイヤがむき出しの車のタイプと考えて良い。
・今となってはかなりの高速度でのクラッシュでも打ち身や打撲で済んだり、酷い場合では骨折などをしてしまうが、命に関わるような出来事にならないほどの安全性がレーシングカーには備わっている。
ドライバーもこのような衝撃に耐えるために必死にトレーニングをし、衝撃に筋肉で耐えうる身体を作っている。
・しかし、フォーミュラカーの場合、高速で回転するタイヤ同士が当たったり、乗っかったりするとカタパルトのような状態になりマシンが飛び上がってしまうというものがある。
過去にもこれが原因で重傷を負ったり、亡くなったドライバーが多数いる。
・F1も含め、フォーミュラカーのタイヤをカバーすべきという議論も昔から繰り広げられているが、基本的には見た目上を重視していたり、「伝統的なもの」として片付けられている。
・ 他のフォーミュラカーのレースでは、タイヤを上部のみむき出しにしているが、タイヤの前後にバンパーや突起物を設置し、直接タイヤ同士が接触しないようにするデザインも出てきている
ただし、タイヤがカバーした車でもカバーが破壊されて飛び上がる事例もあるので完全ではない
・サーキットのフェンスはキャッチフェンスというマシンを捉えてマシンやパーツなどを外に飛び込ませない意図があるが、今回はフェンスの上部まで飛んでしまったため、ほぼ意味がなくなってしまった上に支柱等が倒れてしまった
・レースを行う際にはフェンスを完全に修復しなければならないため、レース中断中にすべて修復された後らレースが続行された。
・同じくフォーミュラカー特有の問題としてドライバーの頭部、ヘルメットがむき出しになっているという事がある
・クラッシュまでの一連の流れを書くと、
フローシュ選手のマシンは直線上でダルバラ選手と接触、スピンして高速状態のままカーブに突入、後ろ向きになりながら内側の縁石で飛び上がり、縁石と前を走っていた坪井選手のマシン、タイヤに当たり飛び上がってフェンスと後ろカメラマン用のやぐらに当たってしまった。
・ガードレールで防御されているカメラマンのやぐらにドライバーの頭側からマシンが接触してしまったが、「非常に運がいい」ことにちょうど穴が空いている部分にドライバーの頭部が入ったように見える。
これがやぐらの硬い部分やフェンスの支柱に頭部が接触していたら、最悪の事態はまぬがれないだろう。
・今年F1では「HALO」と呼ばれるドライバー頭部にマシンやパーツ破片などが直撃しないように設けられた安全バーのようなものが設置された。
数年前にタイヤが頭部を直撃して即死した事例や、雨でスピンしたマシンが別のマシンの撤去中の重機に当たって頭が潜り込んでしまい、後に死亡するなどの重大なクラッシュが起きたことから開発され、導入に踏み切られた。
HALOは高速度で発車されたタイヤのような重量物を弾いたり、二階建てロンドンバスと同じ重量にも耐えるという強度設計になっている。
・ここ1-2年で設計されたフォーミュラカーにはHALOが設置され、実際にHALOがなかった場合には頭部に直撃してしまうかもしれないというクラッシュが数件起きている。
・初めはデザインの悪さから導入直後には非難の声が多数ファンから発せられた。
ドライバーの視野の正面に縦の支柱が入る特殊な形状なため、視野の懸念が発生したが、実際にF1ドライバーがテストをしたところ特に気にならないという。
HALOが防いだクラッシュなどが起きてからは多少声が静まった感がある。
・しかし、今回のレースで使われているF3はHALO導入以前に設計された車でHALOは搭載されていなかった。
・フローシュ選手に後ろから追突された坪井翔選手のマシン頭部後方のロールバーと呼ばれる部分にはフローシュ選手のマシンが接触した跡があった他、坪井選手のヘルメットにも破損が見られたという報道がある。
・レースは中断中に怪我人の搬送とキャッチフェンスの修復ののち約1時間後再開、無事レースは終了した。
モータースポーツに100%の安全は無いが、積み重ねてきた安全性の結果、これだけの大クラッシュで生命が奪われるという事が無かったのは非常に幸いである。
最近は学生時代に借りた奨学金が返済できなくて困窮してる人とか、その奨学金システムを運営してるJASSOの取り立てが鬼すぎるってニュースよくみるからちょっと調べてみたんだけどさ、みんな今のJASSOの学生ローンの金利しってる?最大で0.33%だってよ!2%とか3%じゃないんだぜ?いくら何でも低すぎでしょ。神すぎる。
仮に学費で500万を15年ローンで借りたとしても、0.33%じゃ利息分合計金額がたった25万円よ?1割にもいかないんだぜ???社会人になっていろんなローン組めばわかるけど、こんな良心的システムほかにないよ。
一部の馬鹿が「利権」とか叩いてたけど、こんな低金利じゃ職員の給料とか団体の運営費でほとんど消えるじゃん。てか足りなくね?足りない分は税金で運営してるんかな?
こんな神システムでお金かりておいて途中で返せなくなって踏み倒そうとする奴がでたら、そりゃガンガン差し押さえするっしょ。保証人にも催促するっしょ。だって1000人のうち1人でも返済不能になったらもう回らんないじゃん。そりゃ返済不能になっても貧困だったら返済免除&税金で補填しますよーってなったら聞こえはいいけど、けど、そしたら今度は真面目に返済してたやつらがバカみたいじゃん。モラルハザード極まりない。
JASSO側にとってこんな返済踏み倒しのトラブルを避けるのは本来なら簡単なんだよ。貸す前に各学生をちゃんと吟味して成績低かったり音楽とか哲学とか明らかに金にならない学部専攻の学生だったり就職実績が最低な底辺大学の学生を全部却下すればいいんだから。就職に強い有名大学か理系専攻の学生に特化したローンにすればこんな騒ぎは起きないんだよ。でもそれじゃ学生差別になるからできないんだよ?
本来ならそもそも論として学費がたけーよとかどうでもいい底辺大学潰せよって話になるんだけど、そうなったら今度ははてな村のポスドク連中が「俺たちの職場がなくなる!」って騒ぎだすんだろ。これでJASSO叩くのって筋違いじゃねーの。お前らとりあえず気軽にサンドバックが欲しいだけだろ、大した給料もらってないのに学生のために働いてるJASSOの事務員の皆様が泣いているぞ。
活用されていないこの資源を市場に供給すると 経済ルールが変わるぜ.
■1. 親が子を支配できなくなる
一般論として 子が親の指示に従うのは,親から生活費をもらうため.
もし子が性を売った場合,即座に親と同等以上の収入を得られる.
子にわがまま生活を与えてでも 親同様に独占契約したい大人も多いでしょう.
よって親子の力関係が成人同等に均衡し,親は子を客同様に接待するようになる.
■2. 女が結婚できなくなる
売買春の禁止も 性的価値の希少性を上げ,結婚制度を維持するため.
男女とも性的価値は若い人ほど高いため,子供の売春を認めると 多くの男性はそれに集中する.結果 大人の女の性的価値は暴落し,結婚できなくなる.
■3.家族制度を維持できなくなる
1で子が親を必要としなくなり,2で男が大人の女に大金を払わなくなる.
子が勉強をするのは「将来 高い給与をもらうため」.だが売春は今すぐ,それを超える大金を生む.勉強のインセンティブは消え,このまま性的労働者でいいじゃん,と思う人が増加して教育レベル・技術レベルが低下.特に女とイケメンは生産活動からエグジットする.
■5.政府の税収低下
政府は税金で成り立っており,企業と個人のカネの動きの一部が税金になる.
ここで,売買春によるカネの動き(特に現金)は政府が補足できない.
電子マネー化したところで,プレゼントとして物を与えてしまえば補足不能.
いろいろ書いたけど.
なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130619155614
生意気な新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署のメンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。
ありがたいことにこの醜い罵詈雑言にブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。
**
あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。
なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。
特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃な敬語はいつしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。
これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。
そうなると自然に仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。
そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通のチャラ男になった。
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親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子はお茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職へ格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署に配置転換、という選択を迫られることになった。
一応、専門知識の必要な部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。
こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れの差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバーと仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さらに上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。
私がいたらあんな空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまうものかと思って茫然とした。
私が転職することになって、元部署のメンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。
最後の送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分の仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場の人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。
結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分の日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。
江戸しぐさかな?
時どろぼう
http://net.keizaikai.co.jp/archives/5358
江戸の町も年の瀬となると商家は書き入れ時でした。嫁いだ娘は実家の前を通りかかっても親の商売の多忙さを気遣って、立ち寄らなかったとか。商売相手に対しても「ちょっと近くまで来たから」という気軽な訪問は遠慮するのが当たり前。事前に一筆、書面でことわりを入れてから出向くのが礼儀だったと言います。
「時泥棒は弁済不能の10両の罪。借りたお金は返せるけれど奪われた時間は取り戻せない-。」
これは、人や物と同じくらい〝時間〟を大事にしていた江戸町方に暮らす人たちの心構えです。10両は現代の金額でおよそ100万円に当たります。江戸で10両を盗む大泥棒は死罪にも値するといわれ、相手の都合も考えず一方的に自分の用件を押し付けて貴重な時間を奪ってしまうことは、それほどの重罪だとみなされていました。