はてなキーワード: コレクションとは
http://anond.hatelabo.jp/20160818223901
絵葉書を集めるのが好きだったけど、これ一生かけても出しきれないなって思ったのがきっかけ。
切手は昔切手収集してた親からもらった。ひと昔前は切手収集は割りとポピュラーな趣味だったので、うちは両親ともに切手帳を持っていた。
コレクションとして価値があるものでもないし、どうせ死蔵するくらいなら…と快くくれた。
昔の20円とか15円とかの少額切手をいろいろ合わせて70円にするのが楽しい。
元増田はアニメは喜ばれないって書いてるけど、実際やった感想としては意外に「日本のアニメ・ゲーム大好き!」って人は多い。
セーラームーン好きには既に複数回当たってるし、NARUTOや進撃の巨人あたりも好きな人は多い印象。
もちろん、プロフィールにアニメ好きって書いていない人に送るのはNG。
やってるのは7:3くらいで女性が多い。
ロシアは郵便事情が悪くて届くのに時間が超かかるけど、可愛くて趣味のいい女の子が多いのでわたしは好きです。
ポスクロやっててよかったなーと思うのは、やってなかったら絶対知らなかったことを知れること。
自分が送るときも、もらったときも、相手の街のことをググるようにしているんだけど、Wikipediaの日本語ページがない街の名所とか名物を知るのが楽しい。
気合入れて選んだ絵葉書のレジストメッセージが「Thanks」一言だけだったりして肩透かしをくらうこともあるのもポスクロだけど。
元増田に限らず興味ある人はぜひやってみてください。
どれだけ頑張っても欲しいポケモンが手に入るかは結局運ゲーじゃん。
これまでのポケモンは、狙いのやつの居場所さえわかればあとはそれに向けて準備していくだけだった。そしてそれが楽しかった。
GOみたいにぜーんぶごった煮で確立ゲーだと、道筋が見えないから苦行感がすごい。ポケビジョンなんてものが生まれたのもそいうことでしょ。
ガチャ回す作業が移動することに変わっただけで、スマホゲーのキャラコレクションとなんら変わらない。しかもそれすら地方格差がある。それだったらせめて移動距離ごとに確定出現とかにしてほしかった。
さらには強化と進化が運ゲーというクソさ。誰だよアメとかいうシステム考えたやつ。レベル上げチマチマやる楽しみはどこいったの?その積み重ねが確実に力になるのがおもしろいんじゃねえか。レベル上げがないからポケモンへの愛着も薄くなる。メインに据えてるやつだって、自分のレベルが上がってより強い個体が手に入ったら養分になるだけだし、どいつも常に替えがきく存在という感じ。
CP10だろうが俺は最初に捕まえたやつを最強にしたいんだよ。MAX強化してCP650のピジョットはどこで戦わせてあげればいいんだ?ジムで負け戦やれってか?
仮に運が味方してゼニガメを捕まえたとしても眺めるだけになる。育てたいのに育てられない。「キミに決めた!」「強いポケモン、弱いポケモン~」あたりの哲学はナイアンティックには理解できなかったらしい。
http://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1014668.html
↑これを見て思ったことをつらつらと。
観光振興にちょこっとだけ関わった人間として、ポケモンを使って地域振興・観光振興というのは俺も考えたし、おそらく日本全国の自治体で遡上に載ってることと思う。
日本全国数百万人(?)のプレーヤーがすでにいるプラットフォームでPRができるというだけでも十分な広報効果が期待できるし。
で、ポケモンGOを地域振興に使うなら、カントー(関東)・ジョウト(関西)・ホウエン(九州)・シンオウ(北海道)とポケモンの舞台は日本の街がモデルだったことをもっと活用してほしいなと思う。
ポケモンは
・育てたポケモンを戦わせるバトル要素→ジム戦、対人戦は近々実装予定?
があったはずだ。
・子供のころ最初に選んで一緒にチャンピオンロードまで行ったフシギダネにまた会えた
・トキワのもりでピカチュウ探すため延々歩き回ったのと同じことを現実世界でできるようになった
と子供のころのポケモンの思い出や本当にやりたかったことを目の前に見せてくれている。
・ロケット団どこ?
だと思う。
これに現実世界を絡めると、例えばマサラタウンのモデルになった下田にいけばオーキド博士に会えるとかそんな感じ。
個人的には別にレアポケモンが出るとかなくてもよくて、画面上にオーキド博士が出てちょっと喋ってくれるだけでもうれしい。
Ingressのアノマリーみたいなことするならぜひマサラタウンからトキワのもり、ニビシティへとゲームの中を追体験するようなイベントがほしい。
わざわざNianticと共同でやるんならそんなことしてほしいなあと思った次第。
現実的な話として前作のIngressは観光振興に役立ったかというと微妙なところ。
文化財とかがポータルになってる点やミッションの存在は観光に役立つかと思われたけど、遠くまで足を運ぶ動機には弱かった。
どちらかというと「地元の隠れた文化財を見つける街歩きをしよう」みたいな、部署で言うなら教育庁とか文化振興関係のほうが親和性が高かったように思う。
観光振興目指して遠くから人を呼びたいならやっぱりほかの地域で普通にプレイしてたらまず手に入りにくいものが何かないときついよねーと。
その地域だけのポケモン・アイテム・アバター・イベント・実績……。旅の思い出になるなら別にゲーム内で対して役に立たなくてもいいとは思う。(サンダーがでるむじんはつでんしょは福島の……と考えたがさすがに不謹慎すぎる)
誘客が目的じゃなくて客単価を上げることが目的ならなお難しそう、ゲーム内の要素と現実世界の要素がうまくリンクできればいいのだけど。
お買い上げ○○円ごとにもらえるバーコードを読み込むとゲーム内アイテムをもらえるとか? やり方間違えると若干炎上しそうだ。
スタンプラリーとかはこういうのでよく使うけど、意外と実につながらないパターンが多いし。
位置ゲージャンルにはすでに先駆者が多くいるけど目立って成功した事例がないのが難しさを物語ってるように思う。
あくまで位置ゲーは観光するときのプラスアルファ、それだけを目的に来るコアなファンも若干いるけど、普通の観光地としてのよさもPRできなきゃ一般の客はよりつかんよねと。
一番安価かつ無難な活用は町でポケストップが密集してて充電できる場所を観光地図に書き込むとかそんなんか。
とりあえず観光に活用しようとするなら、自治体にはポケモンをよく知った若い世代の人の意見はよく聞いてほしいところ。
アニメや漫画で町おこしと同じで、取扱を間違えると炎上するだけ。
↓このへんもお偉いさんに読ませたい。理解しないだろうけど。
http://ascii.jp/elem/000/001/173/1173185/
まあ、マスコミの連日の批判的な放送やらポケモンGOブームは終わったみたいな言説聞いて、そもそも上が否定的な態度を示すかもしれないけど。
一プレイヤーとしてはポケモンGOは最近のバランス調整うんぬんとか不満もあるけど、根本のところで「これが本当にやりたかったポケモンだ」というのを感じさせてくれるので、もっと長い目で見ていきたい。
もっとポケモン世界を現実に感じさせてくれるいろいろな仕掛けをNianticなら用意してくれるだろうと期待して、コイキングに逃げられても我慢して待ってます。
追伸
自分はプレイしてないんだけど、外伝で出てる「ポケモン+ノブナガの野望」はご当地武将ネタが地域振興の鉄板なので使いやすそうなネタだなーと思った。青葉城のジムにマサムネがいるとかそんな。
くまモンげっとさせろというブコメもあったが、遠野で妖怪とかはどうだろう。151匹集めるコレクション要素は意外とすぐ完了しそうなので、ジョウトのポケモンなりゆるキャラなり集める対象が増えないと面白くないよなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130809115823
上記URLと民主主義における多元論などに影響されいろいろ考えた(考えている)
世の中には様々な「常識」が存在する。その多くは所属するコミュニティによって形成される。
デービッド・R・キャメロンによるとコーポラティズム度が世界的に低い日本は多元主義国家と言っても過言ではない。つまり世界的に見て個人の自由度が高く多種多様なコミュニティ(「常識」)が存在するということだ。
国民の多くは生涯生まれ育ったコミュニティと同じまたは似通ったコミュニティに属するため形成された「常識」が揺るぐことはない。いや、なかった。
現在ではスマホの普及により知ろうと思えば自分がいままで関わることのなかったようなコミュニティにアクセスすることができる。
このような状況のなか未だ人々は「常識」に囚われ時には他人を否定するのだ。
日本では価値観が違って当然、考え方が違って当然であるから、それを肯定する優しい国になってほしい。文明の進歩とはそういうことだ。
僕はいまのいままで人を見下しているクズだった。国を動かす存在になって国を自分の考えでいい方向に導こうと考えていた。しかし自分が考えるいい方向とは必ずしも他人にとっていい方向ではないということを理解した。
そもそも国というシステム自体も必要ないんじゃないかとすら考えている。自らの選択で後悔したとしても勉強が足りなかったという自己責任で生きればいいと思っている。
すべての人々をコミュニティから解放しコミュニティやらなにやらを自由に選択できる社会というのが世にとっていい方向なのではないかと思う。何世紀先になるかわからないが人は分かり合えるようになると信じている。でも結局人は分かり合えないよ!というのがガンダムの作者富野由悠季氏の主張なのかもしれないが文明の進歩はそのためにあると考えたい。そのために僕は少しでも力になれればと思う
図書館戦争を読み、司書資格を取得した。(TSUTAYA図書館はいかんですよ)
最近思うのは「もうあの作品の図書館は必要でない」ということだ。
※図書館戦争のコラボCMで電子書籍とコラボしていたが、いかがなものか。
日本特有の文化にあるのかもしれない。「舟を編む」などを見ると、質感やビジュアル、物に拘る日本人らしい購入欲ともいえる気がする。
情報は電子化すれば良い時代になった。だから本も電子化すればいいのだ。
そうはいかない日本人の頑固なところではあるけれど、その価値観はいずれ若い人たちによって変革を遂げていく。
今30代の人が80歳まで生きるとする。あと50年くらいか。30代というと、電子書籍を理解しつつも、紙の本に執着してしまうお年頃だろう。
その人たちは、きっと死ぬまで紙の本が無くならないでほしいと祈る。また人口比率も多い世代ではないだろうか。
なので後50年以上は、紙の書籍は消えないだろう。
しかし50年後は「紙の本なんて見たことなぁい!」と言うギャルが増殖しているだろう。某理系ミステリィ作家が、近未来もので似たようなことを書いていた気がする。
対して「は?バカじゃないの?」と言う争いもネット上で起こっているだろう。人間は進歩しない。
まぁ、紙の本はコレクション的に売れるのかもしれない。
本は電子書籍にすることによって、出版社を通さずとも発売できる時代にもなった(出版社の未来も危うい)。
出版不況とも言われている。わざわざ自分の本を買ってもらえずに、タダで置こう。と、思える作家がどれだけいるだろうか。
図書館に本を置くことで作家に利益が出るのか、個人的にいろいろ考えてみた。現段階で言えることは、そういう仕組みは確立されていない。そして確立するのもまだまだ時間がかかりそうだということだ。色々と理屈はあるのだが全体的に見ると「図書館によって作家は損している」としか言いようが無い。新規読者を獲得しても早々に新作を入荷する図書館がある。その時点で購入意欲は収まり、作家は損をすることになるのだ。
こうなると、図書館は誰のためにあるものかという話になるだろう。
お金を払えない人のために存在する。これで間違いが無いだろう。
しかしお金が払える人も借りている。本が売れない。図書館だけのせい、とは言わない。でも悪循環は止まらない。
このままだと作家団体にボイコットされても仕方がない(既に抗議はされていたり…)。近い将来の図書館存続のために必要なのは「作者」と「図書館」のwinwinな関係であろう。
しかし考えなければならない。もっと遠くの未来。紙の本に必要性が無くなった時代の話。
著作権が切れたものは、電子書籍で無料配信される。作者が本の金額を定めることも可能になった。無料~300円程度で永久に手に入る状況だ。
もっといえば月額金を払うと、図書館に置いてないようなものもレンタルできる時代だ。
それはつまり、『図書館』の必要性が無くなることと同義である。
勉強する場所なら、静かで、もってきたコーヒーが飲める施設でもあればいい。つまり公民館など。
なかなか手に入らない本といえば、専門書だろうか。分厚いし、高いし、そういうのは図書館が必要になるのだろう。
しかし専門書だって今は専門ごとがほとんどネットに載っている時代だしなぁ。困ったもんですね。
はたして少し遠い未来に図書館を必要としてくれる人が居るんだろうか。みなさん図書館は好きですか?
ああ、こりゃー日本の図書館は生き残れないって思ってしまう。海外の図書館は「ここに行きたい」と思わせる。博物館化している。
日本の図書館は公民館の延長のようなものがほとんど。そして今から図書館を増設しようという時代でもないので、世界の素晴らしき図書館を模倣し新たに作ることもできない。
図書館が無くなれば、リファレンス能力を持った司書の行き場もなくなるのだ。
書いてることがまばらになっている。これが今の自分の感情である。
「紙の本はもう古い。しかし愛着を持っている。でも電子書籍の方が圧倒的に便利だし、電子書籍の時代はあっという間に訪れる。図書館は好きだけど、このまま図書館が存続するとは思えない。どうすればいいんだろう。わからない。しょうがないのかもしれない」
冷静になったら、収集行為に熱中できる普通の人って殆どいないと思うんだよね。
ネトゲソシャゲ歴10年超で各地を転々としてきた私の意見では、
データをコレクションすることに異様な執着を見せる人たちは怖い。狂気だ。
私は自分の上達を感じ楽しむことが主軸になっているゲームが好きだ。
試行錯誤を重ねる苦味と、心身が鍛えられていく清涼感があるもの。
あまり考えなくても簡単な作業を続ければ確かなフィードバックが貰える。
その楽しみは確かに甘美だ。
でも、気づくと甘さ漬けにされて、甘さ中毒になる。
そうなると、甘さを求めて際限なく課金するようになる。
甘さの「上限」が引き上げられたり、
以前は甘かったものが渋く感じられるようになったりもする。
だから最近のソシャゲは、甘さ漬け路線がベースではあるけれど、
手応えを感じる苦味を混ぜたものが増えつつあると思っている。
そこに来たコレ。
傍から見ると薄くて甘いだけの水に見えるのだけれど。
プレイしている人はコクを感じているのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160701172732
アニメが終了して半年以上になり、モバマスは自分にとってとてもくだらないコンテンツに成り下がった。
なので個人的に嫌いな部分をあげたいと思う。
意識の高いプロデューサーの方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも想像してくれればよろしいかと。
しかしながらCDやライブと言った重要な部分に関しては平等である。
ところがモバマスはCDやライブを行うために必須とも言える声優が当てられているアイドルが半分にも満たないのである。
さらに言えばその声付き全員がそれらに恵まれたかと言うとそうではない。
もっといえばカードコレクション系のソシャゲが本体でありその中ですら適当な扱いを受けるアイドルが大勢いるのである。
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界。
ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまうものでもある。
人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として正しいあり方なのだから。
全アイドルに声優を付けたり、出てくるカードが全アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか返ってマイナスになりかねない。
ぶっちゃけこのコンテンツが生まれた時点でのやむをえない欠陥といってもいいだろう。
人気=待遇=出番が基本のコンテンツであるが人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。
現在のモバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NGのメンバーの一人としてデザインされている。
ところが運営の予想と反して、渋谷凜と島村卯月がある程度の人気を確保した中、本田未央は総選挙で2回連続圏外となってしまった。
さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。
その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」
20位~30位、少なくとも50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。
結果はなんと総合5位。
多くのプロデューサーが賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。
赤城みりあ | 第1回圏外 | → | 第2回37位 |
---|---|---|---|
フレデリカ | 第1、2回圏外 | → | 第3回40位 |
及川雫 | 第2回圏外(中間49位) | → | 第3回19位(第1回23位) |
島村卯月 | 第1、2回29位 | → | 第3回4位 |
本田未央 | 第1、2回圏外 | → | 第3回5位 |
確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。
NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である。
なお、この後の本田未央を含めNG3人は必ず総選挙上位者になるようになり、アニメや外部展開によって本田未央の人気は本物になっていった。
しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。
それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところである。
しかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドルの立場もない。
そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。
余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
それは765アニメが放送終了後、アニマス風の絵が増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。
ただし出来に関しては2期が酷かった。
途中の本田未央の「私、アイドルやめる!」問題も物語として十分考えられる、内面を描いたストーリーの起伏として楽しめていた。
ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの崩壊。
さらに内部の人間、ライバルとして描こうとしているはずが敵にしか見えないという状態に。
ポエム合戦とも言われる掛け合いもあり、もはや美城常務の評価点はユニットを組んだ事とも言われるありさまである。(これに関しては賛否が激しい)
また、渋谷凜のTPへの葛藤や島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいくのには共感や涙どころではない。(しかも泣きの演技力の低さ)
765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く続く。
暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれはアイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせいなのだからアイドルアニメの物語として入り込む事ができないのである。
もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・
武内Pについては「オタクが喜びそうな寡黙だけど優しい不器用なイケメンとまでいかないキャラ」と当時17歳の声優という話題性がマッチしてでた人気だったと思う。結局は二次創作の肥やしになった程度の存在だろうか。
そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の百合豚」が増えたことがもっとも顕著だろう。これに関しては下記項目と合わせて執筆したい。
ざっくり説明すると「プロデューサーの存在が薄れ、アイドル同士の絡みが中心になってしまった」という状態にモバマスは陥っている。
アニメ終了後の、「新田とアナスタシア」のコンビがその代表とも言えるだろう。
その他にも出たカップリングはTwitterやpixivといった媒体で百合百合しいイラストとともに蔓延していったのだ。
さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素がプロデューサーの存在と引き換えに分泌され始めた。
このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである。
さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。
彼らが守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。
モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には「○○好きな自分が好き、もっと皆自分を見て触れて構って」というのがある。
(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)
ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。
なにせアイデンティティや他人と付き合うためのセールスポイントを美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざるをえない・・・
それが大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。
自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。
まあこの記事を見た方にはバカが癇癪を起こして自棄になっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。
デレマスプロデューサーを名乗る皆様、どうか自分の持っている「今まで持ってきたアイドルとプロデューサーの関係像」を大切にして欲しい。
成り下がった。なので個人的に嫌いな部分を
方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて
強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界。
ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまうものでもある。
人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として
正しいあり方なのだから。全アイドルに声優を付けたり、出てくるカードが
全アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか
返ってマイナスになりかねない。
欠陥といってもいいだろう。
・運営による贔屓
人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。
現在のモバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NGの
人気を確保した中、本田未央は総選挙で2回連続圏外となってしまった。
さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・
そして城ヶ崎美嘉だった。NG揃いかと思いきやまさかの除外である。
その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」
50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。
結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである。
多くのプロデューサーが賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。
赤城みりあ 第1回圏外 → 第2回37位
フレデリカ 第1、2回圏外 → 第3回40位
及川雫 第2回圏外(中間49位) → 第3回19位(第1回23位)
島村卯月 第1、2回29位 → 第3回4位
本田未央 第1、2回圏外 → 第3回5位
になるようになり、アニメや外部展開によって
本田未央の人気は本物になっていった。
しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも
関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。
理解に苦しむところである。しかも声付けただけでその他展開がない&遅い
そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。
という運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
・アニメの出来と影響
増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。
ただし出来に関しては2期が酷かった。
起伏として楽しめていた。
ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの
崩壊。さらに内部の人間、ライバルとして描こうとしているはずが
敵にしか見えないという状態に。ポエム合戦とも言われる掛け合いも
あり、もはや美城常務の評価点はユニットを組んだ事とも言われる
また、渋谷凜のTPへの葛藤や島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいく
765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く
続く。暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれは
アイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせい
できないのである。
もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・
そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の
下記項目と合わせて執筆したい。
ざっくり説明すると「プロデューサーの存在が薄れ、アイドル同士
の絡みが中心になってしまった」という状態にモバマスは陥っている。
アニメ終了後の、「新田とアナスタシア」のコンビがその代表とも
言えるだろう。その他にも出たカップリングは
Twitterやpixivといった媒体で百合百合しいイラストとともに
蔓延していったのだ。
さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素が
積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」
コンテンツになろうとしているのである。それはもうプロデューサーではなく
さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」という
プロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。彼らが
守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。
モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には
「○○好きな自分が好き、もっと皆自分を見て触れて構って」というのがある。
(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)
ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。
なにせアイデンティティや他人と付き合うためのセールスポイントを
美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざる終えない・・・それが
大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。
・最後に
自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。
なっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。
「今まで持ってきたアイドルとプロデューサーの関係像」を大切にして欲しい。
自分がその世界にいなくなった時、多分あなたは「プロデューサー」
ではなくなるのだから。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
元増田です。あんど、かなり私見に満ちたレスになるのでそこは最初に申し訳ないと言っておきます。
ところで本題とは離れるが、「興味を持て」というアドバイス。これ、小さい頃から折に触れて言われるけども。
「他人に興味を持て」っていうのと「好きになれ」ってのは別のことだよ。
最終的に結果として好きになるってことはあるし、そうなると情報収集がはかどるってのは事実なんだけど、好きになる必要はない。むしろ、好きになろうとすれば面倒くさい(よって嫌気がさす)ので、好きになろうとしないほうが結果はうまくいく。
「他人に興味を持て」ってのは「好きになれ」という意味であるという前提で増田は悩んでるみたいだけど、「興味を持て」は、文字通り「興味を持て」でそれだけの意味なんだ。好悪とは関係ない。感情というよりも、実は、かなり技術的問題だ。今回はその技術を私見べったりで説明してみたいと思う。
まず、一番最初にチェックすべきなのは、自分の心身の健康だ。興味を持つってのはエネルギーを使うので、新進が健康じゃないと実行できないし、途中で疲れる。健康は大事だ。健康的でそこそこ余裕のある生活を送るべきなんだけど、それはほかにもたくさん記事があると思うので、そっちに譲る。いえるのは、週一くらいで目的もなく散歩だの自転車お出かけだのできる程度は、キープすべきだと思う。
次にマインドセットだ。
相手の人格とか性格とか個人に興味なんて持たなくていい。それは価値が低いし応用範囲も狭い。そもそも、好きな相手だったら、ノウハウも何も必要なく、魂の命じるままに相手に詳しくなっていくでしょう? 「興味を持とう」ってのは相手や物事に関心が無い場合か、どちらかといえば嫌いや苦手なものばかりな時に使う技術だ。にもかかわらず、行為を出発点にするなら、増田のはまっているワナ同様身動きできなくなるだけだ。
重ねて言うけれど、相手の人格や性格は入り口として不適当だ。同様の理由として、相手の趣味や、好きな芸能番組や、そういうのも、全部不適当だ。
じゃあどういう風にすればいいのか? ってことだけど、別の切り口から興味を持つべきだ。「やっている仕事(学問でもいい)」「出身地」「家族構成」だ。この三つは汎用性があって、興味をもてるし、広がりがある。
この切り口の素晴らしいところは、相手の人格と(とりあえずは)切り離されているという点だ。最初のとっかかりとしてはフラットともいえる。
たとえば「Aさんが嫌い。だけど(社会生活や人間関係を考えると)興味を持ってみるべきだとおもう」という状況で、「Aさんは布団の販売員」だったとして「布団の販売員は嫌い!」とは、普通ならない。たとえAさんが嫌いでも、全国の布団の販売員全員が嫌いなんてことは、ふつうないだろう。
布団の販売員という仕事にはそれなりに興味深い部分や面白いところは見つけられるはずだ。自分のやってる仕事と全く重ならない新しい発見かもしれないし、業界や業種を超えて似たような苦労をするという教官かもしれないけれど、ちゃんと話を聞けば布団の販売員は面白い。
どんな仕事でも、この世に存在するってことは、それなりの需要があって、そこに人間を配置する意味がある。ベルトコンベアの上で倒れたドモホルンリンクルを治す工場員だって、意味があるし、聞いてみれば、それなりのエピソードがあるはずだ。自分の知らない仕事の話は、たいてい楽しいし興味深い。もちろん全部が全部楽しいわけじゃないけれど、どこかしら、小さな部分であれ、興味が持てる部分がある(ないとしたら掘り下げが甘いとこの段階では思っておこう)。
似たような発想で「出身地」もある。例えば増田が東京生まれの東京育ちだとして、新潟出身の人の地元話は、知らないことや知ってることがあるだろう。給食や修学旅行の先が全く別かもしれないし、田舎暮らしという面白い経験を持ってるかもしれない。
家族構成もそうだ。兄弟姉妹の有無や、祖父祖母との同居など、誰もが抱えつつもバリエーションがあって、新しい発見があるというポイントが重要だ。
Aさんが嫌いだとしても「行き遅れの妹が家でニートしてる人全員キライ」とは、ふつうならない。その部分に興味を持つことはできるはずだ。
一方で「趣味の話」や「コレクションの話」なんてものは、一般にはお勧めの話題のように思われているが、実は相手に興味を持とうという段階では役に立たない。語ってるほうは気持ちいいかもしれないが、こちらはそもそもAさんに興味がないわけで、そこで趣味の話をされても、よほど話し上手でもなければ楽しめない。自分がその趣味の知識がなくてもつまらないし、たとえ知識があったとしてもわかってるうんちく語りなんて楽しいものじゃない。必要なのは「理解は十分にできるが実地の部分は知らない好奇心を持てる話題」なのだ。なので、お勧めは「やっている仕事」「出身地」「家族構成」だ。誰でもその三つは持ってるし、話を聞いてる最中、自分の似た経験と比較して考えたり質問したりできる。
一般的な仕事の人間関係や、学生のサークル関係、ご近所づきあいなどにおいて「相手に興味をもってよく見てみろよ」なんていうアドバイスの射程距離は、上記のレベルの好奇心や興味で十分だ。個人にたいする好き嫌いなんて関係ない。完全に社交技術とかマインドセットの問題で、やり方わかってれば確実にできる。
でもその先にももちろん道は続いている。
たとえば「いまいちいけ好かないAさん」がいたとしても「新潟出身の話をしてるAさん」や「布団販売員の話をしてるAさん」は、さほど嫌いにならないで済むかもしれない。
興味を持てるとっかかりが入手できれば、新しいAさん像にたどり着けるかもしれないのだ。
これは重要な点だ。そもそも、人間、ない面でも外面でもそんな一枚岩でぶれない存在じゃない。挨拶するたびに中身が入れ替わるけど顔が同じだから同一人物判定してる程度の、もやもやあいまいな存在だ。Aさんは嫌いだとしても、その一部分くらいは好きになれる。嫌いなAさんっていうのは、「まだ接点をうまく探せていない」だけだ。嫌ってるAさんは、Aさんの一部でしかない。
Aさんが自慢たらたらでおっぱいをじろじろ見てくる髪の毛の薄いハゲであるってのも、それはそれで事実であるかもしれないからだ(架空の人物に対してひどいなすみません)。
でも、だからといって、その理由で「Aさんのすべてが完全に興味の持てない最悪の屑である」保証はない、むしろ、どこかしらは面白い何かも含んでるんだろうな――って思ってたほうが、精神衛生上もいいし、話しかけるときのストレスも下がって得だ。「得だからやる」程度でいいんだ。好きにならなきゃいけないとか、いい子でいなきゃいけないとか、誠実でなきゃいけないとか、そんなの後回しでいい。最初は技術オンリーの人間理解でかまわない。
好きになるとか友人になるとか、この段階から見れば、まだまだずーっと先の話でいい。
まとめ
・興味を持つと好きになるは違う
・好きにならないまま損得で興味を持ってよいしそのほうがいい
・仕事、出身地、家族構成、世代あたりを切り口に相手の部分部分に興味を持てばよい
・全体としては嫌いでも一向にかまわない
以上です。
上野 東京国立博物館 「生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠」 -5/15
上野 東京藝術大学奏楽堂 「サティとその時代 世紀末からベル・エポックへ 今日は一日、サティの日」 5/15
渋谷(神泉) 渋谷区立松濤美術館 「頴川美術館の名品」 -5/15
新宿(初台) 刀剣博物館 「鈴木嘉定コレクション寄贈品展」 -5/15
清澄白河 無人島プロダクション 「小泉明郎展『空気』」 -5/15
銀座 教文館ウェンライトホール 「偕成社子どもの本とあゆんだ80年」 -5/15
銀座 メゾンエルメス・フォーラム 「YÔKAÏNOSHIMA シャルル・フレジェ展」 -5/15
両国 江戸東京博物館 「近代百貨店の誕生 三越呉服店」 -5/15
http://anond.hatelabo.jp/20160421212118
ほかにも地震日記や被災者によるレポートが色々あったので、リンク集を作ってみました。
http://astrayroad.hatenablog.com/entry/2016/04/17/080502
http://toyokeizai.net/articles/-/114254
http://mcs.world.coocan.jp/kumamoto_zisin01.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mwfpt049/14852723.html
http://ameblo.jp/mattalina/entry-12151708269.html
http://aspergersyndrome.hateblo.jp/entry/2016/04/25/201222
http://uranai.nosv.org/u.php/novel/1126moka1/
http://kotoizumi.exblog.jp/i20/
http://kyo-bento.at.webry.info/201604/article_36.html
おまけ
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
むきゅー!
ヘトヘトです。
ふええ、課金したいよお。
課金。
課金。
課金。
いやでも、我慢だな、我慢。
今月はクァンタムブレイク買うので我慢だ、我慢。
○欲しいもの
今まで、キネクトアニマルズの完全版とかHalo4の完全版も欲しいものリストに入れてたんだけど、
冷静に考えると、限定版とかプラコレとかは収集対象じゃないんだから、無理して完全版を買う必要はないな、と気づいた。
とか言いつつ、Forza3の完全版は中古で買ってるから、ゲームコレクション棚がちょっと不完全ではあるけどね。
(基本は実績ベースで完全版と不完全版を判定、旧箱ゲーは多分該当するのがゴーストリコンだけなのでまあ買うことにする)
あと、トゥームレイダーどこまで買うのか問題と、CoDどこまで買うのか問題も自分の中で整理してた。
トゥームレイダーはリブート後のやつ、つまりトゥームレイダーとライズの二つだけ、
ゴーストリコンは悩み中、特にDSとかで出てる奴はどうしようね。
まあでも、ブルードラゴンのDSで出た続編二種はもう買っちゃってるしなあ。
つうか、ゴーストリコンがMSパブってのが最近調べて知ったから、全然そういうイメージないんだよねえ。
なんか棚に並べる気力が失せたなあ。
あと、脱MSした奴、ボーダーランズとかマスエフェクトとかトップスピンとかもどうするか悩み中。
ただ、マスエフェクトはもう3まで全部買ってるので、棚にどう置くかを悩み中。
ボーダーランズは、2と外伝はセットの完全版のOne版を買うことにしようかなあ。
トップスピンは3と4の中古の値段がやたら高いのがネックだなあ。
ダンジョンシージは……
そもそも、Windows時代のMSゲーをどうするか自分で整理しきれてないので、保留。
(ホライゾン2、ズータイクーン、スクリームライド、ファンタジア、マインクラフト)
これはもう本当に趣味の領域だから、お金に滅茶苦茶余裕が出来たときかなあ。
新モード「侵入」がアツイ!『バトルボーン』発売直前プレビュー&ハンズオン
http://www.gamespark.jp/article/2016/03/23/64607.html
滅茶苦茶楽しそうじゃん!
っていうかやっぱりなんか、オーバーウォッチの情報とバトルボーンの情報が自分の中でごちゃ混ぜになってたくさい。
こっちの方がストーリーモードがあって楽しそうなので、こっちを買いたいな。
ついにゲームのディテールが明らかに! 「Quantum Break」体験レポート
http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/20160323_749642.html
楽しみすぎて胸が痛くなるぐらいテンションがあがってきた。
ジェシーと仲間達のさらなる冒険を描く「Minecraft: Story Mode」の追加エピソードが発表、EP5の発売日も決定
http://doope.jp/2016/0352469.html#more-52469
そろそろローカライズしてもよくね?
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
ただ、昨日書いた
深堀さん(に、似ている人)と一緒の職場に移るか、一人だけで今の職場に残るのか。
という選択は今も悩み中。
正直、別に仕事上で彼女に頼り切りってことはないので、問題ないかもしれない。
ただ、精神的には結構頼ってる気がするので、やっぱり問題ありそう。
ちなみに、彼女のお茶目さを表すエピソードを一つ紹介しようと思う。
昨日の帰り道、駅まで一緒に帰ったんだけど、
この「ゲートキーパー」ってのは、自殺防止のための活動をしている団体?の広告なんだけど、
その広告を見た深堀さんは
一応補足すると、それはゲートキーパーズというアニメのオープニングの歌で
ゲートキーパーとゲートキーパーズが似てて、昔のアニメのネタが懐かしくてつい歌ってしまった。
ということらしいのだが、40代の女性として考えると、あまりにもお茶目すぎる。
このゲートキーパーズに関しては僕もたまたま知っていたので付いていけたが、
彼女が大好きで、同人誌やWeb小説を書いていたらしい、サムライトルーパーズを始めとする80年代アニメのネタはさすがに全て拾えるわけではないので、
「意味わからんこと言ってるけど、きっとアニメのネタなんだろうなあ」と思い、話を聞くことが度々ある。
そんな感じの、お茶目なオタクエピソードに、仕事とは関係ないとはいえ、僕は支えられているので、出来れば一緒にいたいなあ、とも思っているのです。
悩ましい。
「ポケモンバンク」で隠れ特性を持ったレジロック,レジアイス,レジスチルがもらえる。受け取りは3月4日から可能
http://www.4gamer.net/games/198/G019893/20160303060/
レジスチル以外の二匹は中々有用な特性だけど、バング配布って厳選無理なのがシンドイな。
まあ、悪ポケしかバトルで使わないという誓いは七世代も継続する予定なので、
コレクションとして有り難く貰っておこうと思う。
Nintendo Direct 2016.3.4
https://www.nintendo.co.jp/nintendo_direct/20160304/index.html
結構久しぶりなニンテンドーダイレクト。
僕が気になってるのは、
まずポケモン関連んだけど、
ポケモンダイレクトでサンとムーンが発表されたばっかりだから、
今回は無いかなあ。
ポッ拳の発売日が近いから、ポッ拳対応のアミーボカードの続報辺りが欲しいかな。
あとサードパーティーのタイトルだけど、モンハンストーリーズと逆転裁判6の発売日が知りたいかな。
ぐらいかな?
えーっと
高円寺女子サッカー3ってどうなってんだろ? ぶっちゃけ買う気は無いけど、アイドルと電話したい。
雷子ってちゃんと完結まで全部出るの? 完結してからまとめてプレイしたいです。
牧場物語新作に同棲婚はある? あるなら買います、ただしFEifみたいな同姓婚のために誰かを異性婚させる仕様は勘弁。
世界樹5にどんな変態行為もNGじゃない貧乳ビッチダンサーは出る? それは同人誌の設定? 知るか! 俺の知ってる世界樹の迷宮は薄い本の中にあるんだよ!
真のロックマンの発売日は? One版買う予定だから3DS版は買わないけどさ。
遊戯王のゲームはタッグフォース基準? それとも、デュエルカーニバル基準? どっちでもいいけど、魔界劇団がOCG化してなかったらオリジナルでよろしく! プラネットシリーズの残りも欲しい! あとゼアル後半のオリカも欲しいです、ドンサウザンドとかの。それと僕以外誰も望んでなさそうなんだけど、遊戯王Rのリッチーのガンマンモンスターたちもオリカで欲しいです。(普通に原作再現で十分ですからお願いします、1600のダイレクトアタッカーが強すぎる? いやいや、EMなんとかと比べてよ)
アムジーの飛べドラゴンの特集よろしく! でも、3DSに移行したときにコロぱたのセーブデータ消したこと未だに恨んでるからな!(アムジーのせいじゃない)
レイトン7はもうモバイルオンリーなんだっけ? 3DSに移行してからやってないけどさ!
あとまあ単純に、WiiU売ってない問題があるので、ポッ拳までに何とかして欲しいね。
新型は無さそうだけど。
VC版ポケモンで自作バイナリエディタの起動に成功した人がいるらしい
お、おう、まじか。
技術的に凄まじいし、そもそもこういう抜け道を潰せなかったゲーフリが悪いって話なんだけど、
なんだけど、正直、DP時代の謎の場所バグを解析したせいで、ダークライのアイテム配布イベントがぽしゃった件を思い出して、もやもやする。
現状、閉じた世界でかつ、そもそもセレクトバグとか色々なバグでほとんど操作しまくれるVC一世代だから別に良いのかもしれないけど、
将来的にはサンとムーンとバンクを経由して連動できることを考えると、
これに起因する何かしらの非正規手段で、謎の場所ダークライみたいなことが起きないか不安で不安でしょうがない。
世の中は性悪説で、プログラマはセキュリティを考えなきゃいけない、っていうのはよくわかるし、
現状不都合が起こってない以上、こういう解析をしてる人に
「辞めなくてもいいから、せめて鍵垢でやってくれません?」って言うのは間違ってるんだけど、
間違ってるんだけど、
うーん、もやもやするなあ。
「いや別に謎の場所ダークライがあるから、DPでは新月島ダークライの配布なかったけど、その分劇場配信ダークライがあるんだからええやん」
っていう意見もあるけど、
僕的にはニックネームを付けられるか否かは、とてもとてもとてもとても重要なポイントなので、
やっぱりもやもやするんだよなあ。
うーーーーーん、僕が過剰反応なだけかなあ。
そもそも、サンとムーンに悪影響を及ばすか否かなんて、まだ誰にもわからないんだし、別に気にしなくてもいいのかなあ。
そもそも、解析がなかったら、種族値とか努力値とか個体値の仕様を解明することすら出来ないんだよ、
解析は必要悪だよ。
っていう意見もありそうだしなあ。
うーーーーーーーーーーーん、メチャクチャ難しい。
難しくて、自分の中ですら線引きがちゃんと出来ない。
キリがないし、そもそも自分の中で線を引いたところで、
オンラインで繋がるシステムがある以上、誰かが使う可能性はあるし、
自分自身だって、対戦中に相手のポケモンの種族値や実数値をグーグル検索することは普通にする。
うんよし、とりあえず、自分の中の線引きは
「その非正規の動作の結果僕自身が不利益を被ったときにのみ怒りを表明する」ということにしておこう。
なので、現時点では
「謎の場所の解析によって、DPの新月島ダークライを不正に捕獲した人が居た影響で、DPにメンバーズカードが配布されず、NNを付けられるダークライを捕獲する機会が減った」(当時プラチナがメインロムで、かつ回収用サブロムとしてプラチナを買う余裕がなかったため)
というこのことにのみ怒りを表明して、
それ以外は穏やかな気持ちで接しよう。
乱数も、コードフリークも、仕様解析のためのソフトデータぶっこ抜きも、等しく穏やかに接しよう。
あと、このNN付けられるダークライが、リメイクDPでORASのデオキシスのように時期に縛られない無限回収が可能になった場合、
手のひらを返す準備はできています。
「ちちこれ?」
「ちちこれってなんや?」
「ちちうえコレクションやろ」
「狂気を感じる」
「N+酒癖悪いおじさん」
「悪い人じゃないねんきっと」
「育てたらアル中になるけどな」
「なんでそっちに育っちゃったかなあ」
「将来性Sランク!」
「日本代表ぐらいは入りそう」
「大物政治家パパ!」
「認知を勝ち取ったんやね」
「闇が深いよお」
「 フ ァ ラ オ 」
http://blog.livedoor.jp/rinjinyabai/archives/39707446.html
息子は独立して実家には年数回帰る状態、実家の自分の部屋に漫画コレクションを保管
親が漫画がいっぱいあってと井戸端会議で話して、近所の親が仕事中に子供を預けにきて子供好きの親が引き受けていた
子供は息子の部屋で乱雑に漫画を読んで、漫画を塗り絵がわりにして遊んでいた
息子ぶちギレ、親は漫画くらいで、近所の親も漫画くらいでな対応だが息子は漫画が高い事を伝えて二度と来るなと頼む
今度はコレクションが結構なくなっている、親が持っていっていいと許可を出して近所の親が持っていってブックオフに二束三文で売っていた、弁償を求めてもブックオフでの買い取り価額以上は出さないと言われる
また家に帰り泣き寝入りで許せないと怒る息子漫画コレクター熱と親への心が冷める
反応は様々で大きく分けて報告者を責める派と親を責める派があり相容れない様子