はてなキーワード: キャリアパスとは
史学について詳しくない自分からすると何語をとっても良いと思いますが(話者のいる言語を覚えるなら言語が役立つかは個人の使い方の問題でしょう)、選ぶなら「この言語なら学んでやってもいいぞ」と思う言語を選ぶといいんじゃないでしょうか。言語習得は大変なので、ある程度しっかりやるつもりなら、自分のモチベーションが続く言語を選ぶべきです。たとえば日本語を覚えた海外のオタクたちは日本語に興味があるわけではなく、(速報性とか量の問題で)アニメを日本語でみる必要性があるから日本語を覚えている人が多いはずです。言語自体に関心がある必要は必ずしもありません。どの言語圏に自分が興味をもつものが含まれているか考えてみるといいと思います。
ただし、第二外国語のモチベーションがなかった自分も、卒論を書く際に必要にかられて未邦訳の文献を自分で訳しているうちに英語はすらすらと読めるようになったので、まあ関心の対象が特になければ研究分野で使うだろう言語を覚えるのはありかもしれません。
ところで必修クラスでは、大学を学問よりもサークルメインで過ごす人たちに多く囲まれると思います。比較的楽といわれる言語を選択すると、よりその傾向が強いです。授業に興味がない生徒が多い場合、教師も要求レベルを下げるので、つまらない授業がまっているかもしれません。大学では往々にして生徒が授業に関心をもっておらず、教師は生徒に期待していません。自分にとっては、生徒に期待していない教師の授業はひどく退屈でした。不毛な時間を過ごすことになりかねないので、どの教師が面白そうな授業をやっているかしっかり調べておきましょう。もしその授業のトピックに関心があっても、教師が教科書をなぞるだけの授業は拷問です。毎週一時間以上椅子に縛り付けられるなら、知的に面白いと感じさせてくれる授業かどうか、しっかりと吟味しましょう。
どの言語でも教師のあたりはずれはありますし、当たりの教師を選べればいいので、(担当を選べるなら)頑張って調べてみてください。個人の経験では、毎週重めの課題が出るなど厳しそうな授業はやる気に満ちた教員が多く、予習した内容よりも授業で学ぶ内容のほうが多かったです。課題にひいひい言いながら、楽しんで受けてました。語学以外だと少人数授業(演習型)とかもおすすめです。
史学のガチコースに行けるのは一握りだとはいえど、大学で本気で学んでいる人じたい一握りなので、大学が東大とかじゃなければいけるんじゃないですか?頑張ってみてから判断してもいいと思います。
もし大学で学問を学ぼうと思われているなら、他の人たちの多くは案外そういうつもりがないことにすぐ気づかれると思います。他の人が楽しそうに遊んでいる中で学問に打ち込むのは、いずれ孤独な戦いのように感じられると思います。向学心ある生徒と友達になれば、わずかに孤独は薄まるので、真面目な生徒が多めなドイツ語はちょっとだけおすすめです。自分が学びを継続できたのは、まわりに優秀な人がいたおかげでした。
ただ、アカデミックなキャリアパスは思われているほど魅力的なものではなかったりするので、もし研究者になりたいならしっかり調べてから進んでください。
仕事での成長が期待できない
クビにできない
この辺は多かれ少なかれどの会社にもあることだな。
誰々がこう言っているからこうなんだ
前回こうだったからこう
これまでやってきたのだから今回もやらなければな
このへんは省庁特有かもしれん。ただ組織の体質というよりは、変えたら変えたで「なんで変えたんだ!隠匿だ!捏造だ!」おじさんが現れるからでしょうがない面もある。
などなど、自分自身で考えることができていない人が多い。そもそも科学的な営みの経験がない人が圧倒的多数なので仕方のないことなのかもしれない。
少なくとも総合職ならば、必死に勉強するものだと思っていたのだけど違うの?
ゴミの山からゴミを生成する簡単なお仕事。最近では上司の前任の前任が作り始めたゴミをまた今年も生成している。国民の役に立つことをしたいなぁ。
諸先輩方と似たようなキャリアパスを辿ると考えたら通勤中に吐きそうになった。その日は仕事に行けず休んでしまったのでいよいよ重症。キャリアパスの幅が広い省庁とか羨ましい。
何度キーボードをクラッシュしようと思ったかわからないくらいゴミ。なお、一般的な職員のITリテラシーもゴミの模様。ワード、エクセル、パワポ、ワード、エクセル、パワポ、ワード、エクセル、パワポ・・・。ワード、エクセル、パワポも使いこなせていないのにAI・RPAとか言い出すお年寄りたち。せめて本屋で平積みされている本を何冊か読んでからお願いします。
補佐クラスがマネジメントをまるでしていない。できていない。誰が何をするのか整理しようよ。その上は言わずもがな。
4年目の総合職係長と、15年目の二種係長が同じ役職ってなんなんだろうと。できる一般職の人はさっさと昇進すべきだし、自分が賢いと勘違いしているアホな総合職・一種を昇進させるのは周囲に迷惑をかけるのでやめてもらいたい。
残業が長いこと自体はそこまで気にしていない。これまので過去最長は平日のみで月120時間なのでそこまででもない。なお、国会のせいではなかった。残業時間が長いことについては、初めから覚悟していたし、年間平均を取れば大学院の方が労働時間が長かったので正直余裕。研究室での実験と比較すれば当社比でホワイトまである。
何が問題なのかと言われれば、7時間以上残業して生成されたものがゴミであり、私はwordの使い方以外何も成長しておらず、残業代が支払われれば私の口座に振り込まれることで税金が消費されていくという徒労感。国民のための仕事なんだと、自分が成長していっているんだという実感を心から持てるのであれば、1日くらい寝なくても別に構わないと思って職を選んだし、これは今でも変わらない。残念なことに心からそう実感できたのは、今までて3日くらいしかない。
幸いにして、セクハラ・パワハラの被害には自分は遭わなかったと思っている。ただ、怒鳴るアホとかチクチク文句を垂れるお姉様(ババア)とか、いまだにいらっしゃるので、自分がそうならないための記録も兼ねてデスノートに記録したりはしていた。パワハラで辞めてしまった人もいた。官房の人事課に不快な案件について詳細をメールするなど細かい作業は怠らなかったこともあってか、私は異動で考慮してもらえたのかもしれない。個人的に一番辛かったのはスメハラです。息をしないのは流石に不可能だった。
動いた結果、想像の斜め上を超越してしまう出来事が最近生じまして・・・。周りを変えるとかそんなこと言わずに自分を守るためにとっとと去ろうと決心したところ。転職活動のためにいろいろと勉強する時間も作りたいし、もう言われたことだけを超速で終えるマンになってしまった。
然り。昔の自分をひっぱたきたい。
コロナの状況で転職市場がまるで読めないけれど、次の異動までに転職するつもり。仕事もコロナもそうだけど、何より京都に帰りたい。転職できたらこれに対するアンサーを書きますので、楽しみにしててください。
レールに乗っかったつもりで漫然とドクターまで進み、オーバードクターになってしまったとしたら戦略ミスだろう
左派が支配的な日本の大学で左派に従順なボスの下で徒弟をやってたなら、金儲けなんか考えちゃだめで、准教授、教授と昇進していく以外のキャリアパスは提示してくれない
ポストがないやつは負けたから指導的地位につけなかった、あとは平等な労働者として汗水たらして働くのがあるべき姿と思われているのかもしれない
社会ではなくて自分が報われるために、金儲けにつながるテーマを見つけて就職ができるかは自分次第ということになる
目端のきくやつはとっくに留学してるだろう
アメリカでphdの待遇がいいのは産学協働、産軍協働にお金が回ってくるってことなのに、左派アカデミズム(学術会議とかね)はそれを拒否するんだから、お金が回ってくるわけがない
派遣SESを何社か転々としていると、どこもかしこも大抵休日出勤でスキルアップの取組みとやらを社員にやらせていることに気が付く
実際、社員の9割9分はせっかくの休日を会社に出勤したくねーよと思っており、
モチベーションは限りなく0に近いため、スキルアップなどしていない
かといって管理職連中も、所詮は派遣SES勤めの低能なので、成果の分析などしないしできないし、
より効果が出る取組み方を検証したり改善など行われず、ダラダラと有名無実な制度だけが続いているだけである
しかし、なぜ派遣SESはどこもこの無意味なスキルアップとやらに取り憑かれているのかと考えた
派遣される大手企業などでは、無意味な形だけのスキルアップの取り組みなんてやっていなかった
答えは簡単で、まさに派遣SESの仕事には明確な指針がないからだ
派遣先の状況によって割り振られる仕事、めちゃくちゃなキャリアパス、
社員に要求されるのは将来降ってくるランダムな仕事に対応できるような能力なのだ
こんなふわっとした注文では、そりゃ解決策も何に対してかはわからないけどスキルアップします。というふわっとした回答にしかならないのは
■30半ばで年収900万円達成したんだけど、向上心が失われて行って辛い
新卒時は大手SIer(プライムコントラクター)に就職、30手前でユーザ企業に転職して今は上流・下流工程を知ってるITシステムの発注者側の立場にいる。
新卒でIT企業に就職した時はまだ自分がこれからどうなっていくのか明解なキャリアパスは描けていなかったが、
30歳に近づくにつれ、ユーザ側(発注側)に転職してITエンジニアを指揮する立場にならなきゃダメだと思い転職活動を頑張り、結果望み通りユーザ側の企業に転職して現在に至る。
新卒当初はSIerの中でチームメンバー(システム設計・実装・テストをする人) → チームリーダー → PM → 統括PMのようなキャリアパスを描くのが王道だと思っていた。
だが、元請けとは言えどんなに非合理なシステムでも客に言われた通りに作らなきゃいけない下請け企業でPMになったところで大して意味がないことに気づく。
自分に裁量などほとんどなく、理不尽な客に怒られたりバカにされたりする頻度が増えるのに比べて給料は大して上がらない。
担当していたプロジェクトは超大企業のサービス開発。なのだが、ユーザ側の担当者のレベルがびっくりするほど低い。発注担当者は中学生の作文みたいなクソRFP書いてよこしてくる。納期も費用も工数もめちゃくちゃ。しかもやりたいことが全く分からない。多分発注担当の上の奴がテキトーに言ったことをそのまんま真に受けて左から右に流してるだけなんだろうが、有名な大企業にもこんなおバカな社員が堂々と給料もらって平気で定年まで安泰なんだなと思ったら複雑な気持ちになっていた。
だけど、幸か不幸か、そのダメな担当のおかげで20代のうちにユーザ側へ転職しないと仕事のレベルも上がらないしスキルも上がらないことに気づけた。30半ばになって思い返すと、本当に感謝しかない。
まだ30半ばで成功とか失敗とか書くのは時期尚早だとは思うが、給料も大幅に増えてフルリモート・フルフレックス・コアタイム無しの環境を手にしている現状は控えめにいっても成功だと思わざるをえない。
年収も30半ばにして900万円を超えた。
ユーザ企業に転職して思うのだが、ユーザ企業ではITのスペシャリストというのは新卒ではほとんどいない。ゼロとは言わないがSIerのレベルから見ても平均から下のレベルしかない。
なので業務を改善する社内システムの開発や、売り上げに直結するWebサービスのバックエンド・フロントエンドの開発プロジェクトが検討され始めると必ず声がかかり、システムのアーキテクチャを選定する段階から意思決定で主導権を握れる。
こちらとしてもそういう役割を期待されて中途採用されたというのもあるし、何よりこういう会社は新卒採用時にITのスペシャリストを採用することもないので、社内の新卒の誰かと争って主導権をようやく握る、などのようなこともなく、自然と企画、設計、実装、運用まで全て意思決定に関われる。
まさかSIerから転職した身で、自分でTypescript, React, Firebase, Java, C#, C++, SQL, Python, TensorFlowを駆使してゴリゴリ開発して企画を実現し、それがプレスリリースされて正式に会社のサービスとして世に出るようなことになるとは20代の頃は想像していなかった。
ここまでは20代の頃に目指していた理想の30代のキャリアパスそのものだと自負していて大変満足している。
だが、30半ばにして20代の頃ギラギラとした向上心が次第に失われつつあるのを日々実感している。
30前半までは自分で目標設定してそれを達成するのが楽しかったが、30半ば以降は金と評価が欲しくなってくる
30代前半までは日々成長し、技術の選択肢も勉強する度に着実に増え、サービスの企画が持ち込まれるとそれを実現するためには~すればいい、などとパッと浮かんで日夜シミュレーションしてPoCして…というサイクルが楽しくしょうがなかった。
今でも楽しくはあるのだが、これまでとは違って「ただ楽しい」だけでは到底満足できなくなっている自分に最近気づいた。
これまでは金になろうがなるまいが、依頼された仕事は自然と全力で取り組むことができた。報酬はやりがい、のようなところは正直あった。
だが、30半ばを超えてくると物の価値がだんだんとわかってくる。
仕事が忙しくなった時に皆さんはタスクに順位付けをするだろう。
これまではその優先度は難易度で昇順ソートかけて上から順に消化していく方式をとっていた。
すぐできるものから片づけることで、仕事の見かけのスループットが上がる。客観的には仕事が早く進んでいるように見える。
だが、今では、そのタスク・プロジェクトが将来金になるかならないかでタスクの優先順位を検討するようになりつつある。
結果が魅力的でなければそもそも仕事のやる気すら湧き上がってこない。
年収900万円
これは30代半ば、理想のキャリアを追い求めて突っ走ってきた人間の向上心が奪われてしまうような大きな金額なんだろうか。
このへんで満足してあと20数年まったり定年まで過ごすべきなんだろうか。
20代の頃あれだけ将来のキャリアについて真面目に考えていたのに、30代になって40代の理想のキャリアパスが描けない。
うちの会社は年功序列なので、年収も40代になれば自動で1000万円を超える。
このへんで走るのをやめてジョギングに切り替えても、多分未来はそう暗くない。
なのに、アクセルが減速しかかっている自分を冷静に見つめると、何か、本当はもっとできるのに手を抜いている、みたいな罪悪感が湧き上がって止まらない。
はてなを読んでいると、自分と同じ30半ばくらいの年代の人が多くいるように感じる。
30半ばでようやく安定を手にしつつある自分と似たような境遇の人がいれば、
40代に向かってどのような準備をしているのか、さらに上を目指しているのかそれとも今のポジションでの安定を取るのか、それとも会社を辞めて起業を考えているか、など、
恐縮ではあるが共有してほしい。
30半ばでクズになりかかっている自分に、勝手ながら発破と刺激を与えてやってほしい。
よろしくお願いしたい。
「f84w1dqd60j 漫画家でもアニメーターでもYouTuberでも、黎明期は若い人しかいないのは当たり前では?」
というブコメがあるけど、今のゲーム業界と昔のゲーム業界の大きな違いのひとつとして、1本のソフトの開発期間が長くなり、そのために若手が場数を踏めないっていう問題があるんだよね。
昔で言えば、大卒1年目で有名作に新人プランナーとして関わり、2~3年目で続編作でメインプランナーの役割を持たされ、4年目でいよいよ新規タイトルのディレクター任される、みたいなキャリアパスが存在した。
今は下手すりゃ1本のゲームの開発にかかりっきりのうちに4年が経過する。これでは試行錯誤もできないし、失敗もできない。
外山氏:(略)ただ、当時はバッターボックスに立って空振りしても、せいぜい数千万円の赤字で済んだんです。ここが難しいところで、今や開発費は億単位以上です。億レベルの赤字を許容してバッターボックスに立たせるのは、だいぶ勇気がいる行為ですよ。
でもこればかりは、業界の悪弊だとか、上が詰まってるとかじゃなく、ゲーム自体のボリュームがめちゃくちゃ増え、グラフィックもめちゃくちゃリッチになり、それに伴って工数が増しているのだから仕方がない。
大手だとスマホゲームの開発で経験を積ませたりできるみたいだ(聖剣3リメイク版のメインスタッフが以前はスマホゲームやってたスタッフらしい)。
https://anond.hatelabo.jp/20201201184650
当方も20代後半、地方生まれ地元国立大学卒からの大手メーカー総合職入社。
入社当初は東京配属で適当な借り上げ寮暮らし、よくいる上京民である。
年収500万程度で高給にはないにせよ家賃負担も少ないので不満のない暮らしではあった。
最初蹴って転職でもしてやろうかと思ったけど、片道切符ではないと言い張るので箔でも付けに行くかと行くことに。
まぁ地方の暮らしは分かってるので車は東京で買ってからお引越し。ナンバーも田舎の付けなくて済むしね。
(関係ないけどディーラーってほんとアクセス良くないとこにあるのを実感した…車買いに行く車が本当に欲しくなった)
そんなこんなで始まってしまった縁もゆかりもない土地での暮らし。
東京と違って駅まで歩けない。駅まで行くバスは一日数本。そこの駅の電車も一日10本ちょい。
が、全く困らなかった。乗らないからだ。
仕事に行くとき以外は車のボタンを押して出かけるだけ。重いもの買っても東京と違って延々と歩かなくていい。
あんなにどうやって行こうか悩んだ数キロ先のホームセンターでも行こうと思えば毎日通える。
東京だと週末の渋滞情報を見た瞬間、どこかの観光地にという気持ちも消え去る環境だったが、絵になる観光地なんて近所そこらにある。
連休に一度親兄弟も来たが、「こんな県一生来ることないと思ったが、こんな良いとことは知らんかった」って満足気に帰ってった。まぁそれなりに課金もして良いとこしか見せてないしな。
さすがに飲み会とかは困るかと思いきや、繁華街で飲んで代行頼んでも1000円だった。なんだこの神。
引きこもるにしても部屋が家賃半額で倍の広さになったので快適の極み(家賃に関しては元々あんま払ってないが)
部屋が広いとIoTや便利家電の使い甲斐もあって楽しい。食器洗い乾燥機まで手を出しかけたが、ギリギリのところで踏みとどまっている。
あえていうとネットがNUROからフレッツになったのがマジで痛い。1Gpbsに張り付いてたのが混んでると200Mbpsもでない環境に逆戻り。きっつい。
ちなみに東京では家賃より高かった駐車場代もこっちはタダ。持ってない人なんて想定してないんだろうな。
どうでも良いけど餞別代わりか昇給したので年収は600万程あるが、モテはしなかった。転勤族は要らんらしい。仕方ないね。
最近の悩みは東京への帰りが近づいていること。また狭い部屋にしか住めない。もはや増えた荷物が入らない。詰んでいる。
まぁ、社の方針でこっちにキャリアパスはなくて、実家から羽田で飛行機乗り継がないと帰れないような距離なのでいつまでいる気もあんまない。
どうしたものか…
最近東京生まれ東京育ちの同期も追って飛ばされたけど、どうも車は買わないらしい。金は∞にある癖に。
話を聞く限り買い物も近所ですべて済ませて(15分も歩けば概ね揃わなくもない)、どうしても出かける用事があったらバスに乗るらしい。
要は自分が何を言いたいかというと「健康診断の検査つらい」なんですが。
それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。
日本人の寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金の負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見・治療しているからなのだろうか?人類の医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。
でも、トシくって様々な検査がちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、
「検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」
積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。
会社員でいる以上は、自分を労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社側から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点からの論理と言えるだろう。
なんか、「自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社や社会の共有物かのような感じがする。
あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定の権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。
その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族の意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。
医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。
そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムのroot権限は誰が持つのか。
それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?
人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。
医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。
医療が進歩して検査の負担を減らす改善も継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるときの不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射で麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間で麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラでトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。
若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というものが無限であるかのように錯覚していた。
言い方を変えれば「有限なリソース」という概念そのものが頭の中になかったのかも知れない。
健康も時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。
でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。
そして30を超えると、「自分の健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。
若いころはモノを買うとき、お金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。
それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。
トシを取ると自分の寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。
「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分の寿命のほうがなくなっていくからね。
たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。
経済の話でいうところの「機会損失」って、商品の在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分の健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。
「健康が不足していて機会損失」も大いにあり得るわけです。「大切な推しのイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。
これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。
だから商売するのって、「ちょっと健康に不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。
ゲスいですが。足元見てる。
そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。
「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラクに死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。
日本における安楽死の議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死の自己決定を促されてしまう」危惧をドグマにしてますけど、
すでに「健康診断の圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます。
「自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。
どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分だけが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険で治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。
他者の圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、
どっちがマシなんですかね?
「勝手に生きるな」
介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、
人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。
面倒なことにならないように、自分の生死を他者の人為的なコントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。
やっぱ自分がコントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死が理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手な自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。
自分が死ぬときはVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。
臨床宗教師の仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期の映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。
だからVR業界から法曹界・医療関係に転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。
塞翁が馬。
みとりびと、おくりびと
案ずるよりも産むが易し
でもしばらくは安定しないからそのつもりでいた方がいいよ
http://ninaite-ikusei.jp/Portals/0/images/committee/img05.jpg
ウォーターフォールとか知らなさそう
上流工程だけをやるようなSIerは廃れていくだけなので増田の落胆もわかる
でもSIerの就職経験がエンジニアとしてダメかというとそんな事はない
SIerと言われる受託開発を経験してWeb系と言われるサービス系企業に転職しておどろいた事がある
それはみんな設計はできないしプロジェクトを上手くまわせない事だ
モダンな技術や流行りの技術を取り入れたりテストコードを書いてカバレッジを計測したり
「まだ安定していないその技術使うの?」 って思ったり、「それ個人開発のライブラリですよね? メンテ大丈夫ですか?」って思ったり
とりあえず「流行ってるから使ってみたい」で使おうとする人が多い
サービス立ち上げ初期のスタートアップなら理解できないでもないけど、そうでもない規模でもよくいる
コードを書く時も自分の見える範囲でのみ使えるコードを書くので、他の仕様と整合性がとれなくて再利用性がなかったり
技術者上りのマネージャは大体が技術についていけなくてマネージャになったような人が多いので、自分の中で理解できる知識に落してくるので説明するのも大変だし言ってくる事も古くて意味がわからない
そういう人に限って技術者だったって言うのを誇りにしてるから自分の中の技術を間違ってると認められなくて頑固だ
技術者上がりじゃないマネージャは大体がディレクターやってましたという人でUI/UXとか言ってくるけどバックエンドは一切わからなくて設計なんてできない
そしてどちらもマネージャとしての知識がないのでマネージメントは上手くない
たまにスーパーエンジニアがいて、その人が開発をしつつマネージャー以上にマネージメントをしてプロジェクトをまわしている
SIerで設計を学びつつ開発は個人でやっていき、数年たったらサービス系の会社でスーパーエンジニアとして無双すると良いとおもいます
トラバに日記を貼った者です。私の拙い増田が参考になったのなら幸いです。
もし、構わなければ、その時の話を書こうと思う。今まさに引きこもりかけてるので。
あの後、3月末日をもって大学院を中退した。そして4/1に入社したのでタイプとしてはAが近い。指導教員が提示したのは「4月以降も大学に籍を置き仕事と研究を両立させて秋卒業する」というものだったが、物理的にも精神的にも不可能だった。
最終学歴は学部卒で給料やキャリアパスもそれに準ずるものとなったが、それ以外は他の同期と変わりなかった。私と同じく、3月末に院退学した人もいたくらいだ(あちらは教員とガチでやりあったくらい優秀なので私と比べるのもおかしいが)。
そちらとは業種は違うが、大学の研究とは別の分野から来る人もいる。自分はそもそも研究がアレだったので興味ドリブンで探して運よく引っかかった。そういう道があったから逃げられたというのもある。
研究室を去る日、つまり最後に先生と話したとき。私は「研究会で学んだことを少しでも活かしていきたい」と言った。
先生は「ここで学んだことは何もない。だから活かせるものはなにもない」と仰った。随分前のことだから細部は違ってるかもしれない。
自分は締切ギリギリまで手が着けられないタイプで、そういったものはクオリティが低いから見せられないし、質問やヘルプを求めようにも「出せる品質ではない」と求めず、そのままにしてしまう。だって遅延の理由が「自分の怠慢」だからね。求められればすぐやれる、すぐわかるものは(たとえ時間をかけてでも)やるのに、とっかかりのつかないものはなかなか始めない。
困ったときはアラートをあげて……とはよく言われるのだけど、あげかたがわからない。「発声練習」さんのブログにもあるが、適切な質問のプロトコルがわからない。
本当はメンターがいて逐次確認がとれる、或いはとられるのがいいのかもしれないが、とりたくないくらいに怠け者で、とられたくない(評価されたくない)くらいにええカッコしい。
人間、何事も頼れるものがなくなったときがヤバいと思う。評価や周りの目は正直怖いししんどいけど、頼れるものは頼っておく。それくらいしかアドバイスできない。
あと、M2時代に逃げ回ってるとき、図書館で「喜嶋先生の静かな世界」という小説を読んだ。あれはいい。研究とはなにかという事を教えてくれる気がする。こないだ文庫になって本屋にあったので。それだけ。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
自分はEU圏でソフトウェアエンジニアとして働いているが、夜間でコンピューターサイエンスを学んでいる同僚なんて普通にいる。なぜならチームの大半は学位を持っていて、知識がないと辛い場面もいろいろ多いからだ。
そして、アメリカやEUでは大学卒業後、大学に入り直すなんてことはザラ。なぜなら目指す方向性なんていくらでも変わる可能性があるし、興味の幅が広ければ、さらに大学で学ぶなんて当たり前のことだからだ。
勉強を始めることに遅いなんてことはない。その変わり、なぜ学ぶのかという強いモチベーションが必要だ。学歴がほしいだけって言うんだったらやめたほうがいい。まともな組織であるならば「あなたは何ができるのか?」を問うことになるだろう。どこの学校を出ましたなんてどうでもいいことだ。
これからの時代、長期的なキャリアパスを描く必要がある。年金はどこの国も厳しいが日本だと団塊世代ジュニアに年金支給するあたりにいっきに引き上げが行われ、それが加速度的に悪化するだろうから、元増田は最悪80歳までは働いていくイメージでいたほうがいい。まだ50年も働き続けるのにもう勉強やめちゃうの?AIなどの実用化によって、そんな時代の過渡期で将来仕事を失うことになる人は絶対にいる。失ってから勉強していては遅いんだよ。