はてなキーワード: HPとは
物心ついた頃、よく覚えていないけどきっと多分その頃から女の子になりたい、可愛くなりたいと思っていた。
背の順に並ばされると必ずクラスで一番前になる背格好や小学校に入って少し経つくらいまでよく女の子にも間違えられた容姿もそれなりに影響していたのかもしれない。
幼稚園に入る前あたりの自分の写真を見ると全部首をかしげてニコニコして映っている。そのポーズをとると可愛く見えると思っていたから例外なくそうしていた。
両親はそういう行動を取る息子のことをさして気にはしてなかったようだ。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言われるようなこともなかった。
しかし幼稚園に入ってから、どうやら男の子はそういうことをしては変に思われるのだということに気がついた。
でもぼくは最初はあまり気にしてなかった。18cmのお気に入りだった赤い靴を履いてたらなぜか色々言われたりもしたけど、そこまで気にすることは無かった。
その当時ぼくは男の子にしては少し長めの髪型にしていたのだが、ある日幼稚園の同学年の男の子がぼくの髪をハサミで切り落とした事件が起きた。
その時は悲しくて泣いてしまったけれど、その時に男の子が可愛くなりたいと思うのはダメなことなんだなとようやく理解した。
それ以来、ぼくは表向きには一切そういうことは考えないように、そして他の男の子達が好むものを好きだというようになった。
好きな色は赤より青を、好きなテレビ番組はカクレンジャーを推すようになった。
ちょうどその頃から好きなものが何なのかよくわからなくなってきた。いろいろどうでもよくなった。
そしてぼくも遅ればせながら中学校に入っていわゆる第2次性徴の時期を迎えた。そして好きな子ができた。相手は女の子だった。背が高くてちょっと同学年の中では少しませてて、ぼくの仲のよかった女の子だった。その時もしかしたら自分のことを同性愛者なのではないかと思っていたぼくは、差別的な言い方になってしまうけど正直少しホッとした。
かと言って、じゃあ告白するかとなるとそれほどでもなかった。一緒によく遊んだけれど。
付き合わなかった理由は、はっきりとしない。でもなんとなくその時にぼくは彼女の彼氏には似合わないなと思ったのは記憶にある。
他の男の子ならもしかしたらそこで釣り合うようになるべく格好良くなろうと努力するのかもしれない。
でもぼくはそれをする気が起こらなかった。格好よくなろうという気にならなかったのだ。
しばらくして彼女は他のイケメンの男の子と付き合うようになった。ああ、これはお似合いだなと他人事のように思った。
お察しの通り、その頃になっても相変わらずぼくの身長体重はクラスの一番前に並ばされるくらいの低空飛行を続けていた。
確か中学入学時は140cm37kgだったし、卒業するときも160cmまでしか大きくならなかった。
でもその頃のぼくは一気に身長が伸びてガタイがよくなっていく周りの男の子たちを見ながら、この低空飛行状態を望ましく思っていた。もしあんなにガタイがよくなってしまったら、可愛くなくなってしまう、それだけは避けたいと誰にも言わなかったけど内心はそう思っていた。
容姿ももちろんもう女の子に間違われるようなことはなかったけど、あまりゴツゴツしておらず中性的な顔を保っていた。
元から高かった声も少し声変わりした(と小学校の時から仲のよかった女の子には言われたけれど、一般的に言われるような声が出しづらくなるとかそういう明らかにわかる変声期というのはぼくにはやって来なかった)けど甲高いままだった。顔を上に向けるとなんとなく喉仏らしきものが見えるかなという程度で、喉仏が目立つということもなかった。足も23.5cmでそこまで大きくならなかった。
遺伝的要素に感謝する一方で、高校に入学してから一気に身長が伸びたいう母親の話を聞きながら、そのことを恐れる日々が続いた。
中学校に入学した時、ぼくは自分の部屋にネット回線を引き、パソコンを手に入れた。
そのうちぼくは夜更かしをして女装している人達のHPを観るようになった。可愛らしい人もそうでない人もいたけど、どの人も楽しそうにしているのが印象的だった。時々オフ会なんてものをやってて、友達もいるようでいいなと思っていた。当然ぼくにはそんな秘密を共有できる友達はいなかったから羨ましかった。
そして写真を見ているうちにこれはぼくのほうが絶対に可愛くなるとの確信をもった。単純に年齢の問題もあるけど、それを差し引いても。
そしてその日ぼくは初めて母親が若かった頃着ていた服を着た。やっぱりどうしようもなく古臭かったけれど、初めてのワクワク感で曇った目にはとても可愛らしく映った。そしてそのままぼくはオナニーをした。
そこからの転落は早かった。
中高とそんな生活を続けたぼくは、東京の大学に入学し一人暮らしを始めた。家族の目を気にする必要のない空間と恐ろしく持て余した時間と家庭教師のバイトで生活費とお小遣いを捻出しても少し余るくらいのお金を手に入れ、趣味に恐ろしく拍車がかかった。
ぼくはずっと欲しいと思っていたものをその時に一気に揃えた。
周りの女子大生が買っているような(安い)ブランドの洋服、バッグ、靴、メイク道具、ウィッグ…資金難になりながらも安いものを中心に通販で買い揃えていった。幸い高校生で急成長するという懸念はどこへやら、165cm52kgで成長は止まってしまい、足の大きさも24.5cmで止まってしまった。女性の体格としては大柄なほうではあるけれど、それでも普通のお店で手に入る大きさの服や靴を買えばよかったのでその面ではすごく助かった。
そしてある程度まとまった暇な時間が出来るたびに、ぼくは鏡の前に立って女の子になるようになった。
もちろん最初は鏡の前におてもやんが出来あがるだけだった。それも悲しくて、女性向けファッション誌を買って研究してみたり自分の顔に何度も塗りたくって練習するようになった。ちょっと痩せすぎててほっぺたに肉が無いなと思って笑顔を作る練習をしたり、ちょっとごはんを沢山食べるようにしてみたり、やれる範囲でいろいろやってみた。
そんなある日、奥二重の目をアイプチではっきりさせてやって黒髪のウィッグを被ってみたら、鏡の前に劣化版松井玲奈(ファンの方々申し訳ありません)が出来上がった。あ、凄く可愛い、と自分で思った。
その場ですぐにオフホワイトにブルーのボーダーが入ったワンピースにベルトをしめてカジュアルなバッグを持たせて帽子をかぶらせてみた。鏡の向こうの「玲奈ちゃん」はえ?って感じでちょっとポカンとしていたけれど、ちょっと顔が赤くて贔屓目だってわかっていてもとても可愛らしかった。
それから「玲奈ちゃん」はいろいろなことを経験した。ビクビクしながら外出もしたし、学校の大学祭でメイドさんになったりもした。酔っ払ってネットに少し画像を上げたりもした。知らない人に可愛いねと言われた。凄く嬉しかった。一人エッチもしたりした。「玲奈ちゃん」でいるとその間はニコニコしていられたし、幸せだった。
もう「玲奈ちゃん」とのお付き合いも5年くらいになる。ぼくも24歳になった。昔はある程度の年令になったら限界を迎えるだろうしその時には別れようと思っていたのだけれど、結局ズルズルと続いてしまって関係を持ってしまっている。むしろ、社会人になってお金に余裕が出てきた分、玲奈ちゃんも貧乏女子大生からそれなりな社会人さんって感じになってきて、これはこれで可愛いかななんて思ってる。なんというか、本当に業が深いなって自分でも思う。
結局今まで彼女を作ろうという気も起こらないまま、そして作ることもないままズルズルと来てしまった。いくら「玲奈ちゃん」が可愛くてもぼくの客観的なステータスは24歳男性・会社員であるということには変わりない。数年したら結婚したらどうかとかそういう話にもなるだろう。その時にはぼくは「玲奈ちゃん」に『ごめん、一緒にはいられない。別れよう。』って言わないといけないのだろうか。そうだよな言わないといけないんだよな。
その時に「玲奈ちゃん」はなんて言うだろうか。
「わかった、いいよ」って言ってくれるだろうか。「ずっと一緒じゃなきゃヤダ。一生玲奈になって。」って言うだろうか。
いつか言わないといけない時が来るというのはわかってはいるのだけれど、悲しくて向き合えなくてまだずっと言えてない。
追記
これ酢豚ちゃんに載せてほしい。
総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか
「成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、
顔をクシャクシャにした笑顔のポスドク・院生の画像と、自信に満ちあふれた教授の画像。
(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ)
予想通りだった。流行なんだろう。
話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。
昔はやんちゃしてましたタイプ、アメリカで修行をして独立したタイプ、
学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ。
この最後のタイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の教授達だ。
○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。
「ビッグラボにした人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。
おそらく自分の学生に対しても「CNSを目標にするな」と言ってるのだろう。
しかし、「マザーテレサの本を読んで教授をめざした」って人は居ない。
一人残らず全員が、「CNSを連発して成長させた人」に感化されている。
その時点で「CNSが欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。
この教授達を刺激した本・人物が問題で、口では「CNSでは幸せになれない」などと言うし、書いてある。
教授達も「そうだ、CNSじゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから。
そして部下にも「CNSを夢にするな」と説いているはずだ。
それでいて、自分の目標を達成する意欲は揺るがないので「CNSを出せ」と口を酸っぱくする。
「CNSじゃないんでしょ?」と聞けば「ラボを続けるのに必要でしょ」と言い、
「CNSを目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。
挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識のステージが低い」という視線を向けて来る。
埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら
いた。
ジャンプの人気漫画「ワンピース」の主人公、モンキー・D・ルフィだ。
感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()
そう考えたら全てがシックリきた。
ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。
「ラボに戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。
「半年間ラボに泊まり込むなんて生物系だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、
おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。
「ブラック研究室」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。
俺は、ひとつカマを掛けてみた。
そこに居ない若手教授の名前を出して、「あの人ってワンピースのルフィみたいですよねー」
瞬時に周りの教授連中の表情を確認する。
居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw
その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞をはいたが
あの一瞬で俺は確信を得た。
こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。
そこへいくと、ロンダの教授達は判りやすい。「CNSだしたい」この一心だから。
現代科学の王道だ。幸せだの感動だのはラボには関係ない、と割り切ってる。
CNSを持ってるヤツが偉い。CNSを稼いだヤツの勝ち。winner takes allの精神。
だから、ポスドクに「CNSを出せ」と言っても矛盾は生じない。
「生かさず殺さず」の年収で働くポスドクがいるから教授がグラント持ちになれるという事実、
研究生で働くのが当たり前のラボがあるから旧帝のラボが成り立っているという事実、
「ピペドをピペドのまま」「バカはバカのまま」「地国は地国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実、
居酒屋、ラーメン屋が多かったか。まだまだこれから、という人達。
総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか
後日、それぞれのHPなどをチェックしてみると
「成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、
顔をクシャクシャにした笑顔の社員・バイトの画像と、自信に満ちあふれた社長の画像。
(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ)
予想通りだった。流行なんだろう。
話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。
昔はやんちゃしてましたタイプ、飲食業で修行をして独立したタイプ、
学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ。
この最後のタイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の社長達だ。
○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。
「金持ちになった人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。
おそらく自分の部下に対しても「お金を目標にするな」と言ってるのだろう。
しかし、「マザーテレサの本を読んで起業した」って人は居ない。
一人残らず全員が、「会社を興して成長させた人」に感化されている。
その時点で「お金が欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。
この社長達を刺激した本・人物が問題で、口では「金では幸せになれない」などと言うし、書いてある。
社長達も「そうだ、金じゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから。
そして部下にも「金を儲けることを夢にするな」と説いているはずだ。
それでいて、自分の目標を達成する意欲は揺るがないので「利益を出せ」と口を酸っぱくする。
「お金じゃないんでしょ?」と聞けば「会社を続けるのに必要でしょ」と言い、
「お金を目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。
挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識のステージが低い」という視線を向けて来る。
埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら
いた。
ジャンプの人気漫画「ワンピース」の主人公、モンキー・D・ルフィだ。
感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()
そう考えたら全てがシックリきた。
ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。
「仲間に戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。
「半年間店に泊まり込むなんて飲食だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、
おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。
「ブラック企業」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。
俺は、ひとつカマを掛けてみた。
そこに居ない人の名前を出して、「あの人ってワンピースのルフィみたいですよねー」
瞬時に周りの社長連中の表情を確認する。
居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw
その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞をはいたが
あの一瞬で俺は確信を得た。
こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。
そこへいくと、元ヤンキーの社長達は判りやすい。「儲けたい」この一心だから。
資本主義の王道だ。幸せだの感動だのは会社には関係ない、と割り切ってる。
金を持ってるヤツが偉い。金を稼いだヤツの勝ち。winner takes allの精神。
「生かさず殺さず」の月給で働く社員がいるから社長が金持ちになれるという事実、
月給1万円で働くのが当たり前の国があるから先進国の生活が成り立っているという事実、
「貧乏人を貧乏人のまま」「バカはバカのまま」「後進国は後進国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実、
自称モンキー・D・ルフィ達が活躍するのかも知れない。
夢小説はJavaScriptによる”圧倒的な不可能性”の実現だった | POYO NET – ねとぽよ http://news.netpoyo.jp/2013/06/646
があまりにも現実から離れていたので我慢できずにいくつか突っ込みをいれていきたいと思います。
妄想はしている人の勝手です。それを書き出すのも書き手の勝手です。
「脳内にとどめるべき」だなどと外野から言われたくありません。
「ドリーム小説 サーチ」で検索するとトップに結果が出るサーチサイト、Dream Scope - 夢小説(ドリーム小説/名前変換小説)非公式サーチさんで調べてみました。
50個の個人サイトさんの注意書きをすべての読みましたが、「BL読者の方は回れ右で」に類する文章を掲載しているサイトさんはひとつもありませんでした。
また、逆のBL二次創作でも、pixivをざっと見ればわかるように、「ドリーム小説読者の方は回れ右です」などと書かれているところには、少なくとも私は遭遇したことがありません。
無個性なドリーム小説主人公もいますが、きちんと設定されたプロフィールを持つ主人公も少なくないです。これについては統計しませんでしたが、「夢主人公交流」と呼ばれる、書き手さんがお互いのヒロインの交流を描くような作品もあります。「主人公が無個性の場合が多い」が間違いなのはある程度ドリーム小説を読めばわかることです。ドリーム小説がシチュエーションを重視するものばかりであれば無個性主人公でもかまわないでしょうが、実際には物語としての魅力がたっぷりのドリーム小説のほうが多く、そのような場合、無個性主人公ではストーリーが成り立ちませんし、キャラクターが主人公に惚れることに説得力を持たせようと思えば、無個性主人公ばかり書いていられないでしょう。
ちなみに、腐女子の中には、好きな男性キャラクターの名前を入力して、マイナーCPを求める気持ちを夢小説で紛らわしていた人もいるようです。
ここまで調べておいて話に出てこなかったのはすこし不思議なのですが、きちんとした「BLドリーム小説」というものがあります。一言にすれば男主人公のドリーム小説です。つまり、ドリーム小説を読む人がBLも読む場合も確実に存在するわけです。
腐女子が過去語りをしたり同性カップリングへの嫌悪を語ったりするだけであれだけ話題になるはてなですから、腐女子に謎のフェチというか、オリエンタリズムでも感じてるんでしょう。ドリーム小説についても同じこと。また、女子による女子の内輪の内部告発を好む、趣味の悪い方も少なからずいらっしゃるようですね。
ですが、腐女子についてはそれこそpixivでいくらでも誰かのフィルターを通した過去語りではなく実際の二次創作が見られますし、ドリーム小説だって検索すればいくらでも読むことができます。実態を知ることは簡単です。でも、それだけのことすらしようともしないで、目についたというだけで例の過去語りやらなにやらを読んだだけでお手軽に意見を言うくらいの人には、腐女子やドリーム小説のことにはほんとうは興味なんてないのでしょう。そんな完全に外野にいる人たちに腐女子やドリーム小説のことを知って欲しいとは思わないし、外野から、ねとぽよさんが言うところの「女の子文化」に対する勝手な批評も批判も欲しくありません。
今回のねとぽよさんのドリーム小説についての記事も、実態を知ってもらうという点では悪くないでしょうが、ドリーム小説やカップリング二次創作に対して一人一人が持っている感情は違うのに、それを無理やり実情とは離れた不確かなひとまとめにして上辺だけなぞった記事として発信するのはいかがなものかと思います。
ドラコレ以来絵柄を変えただけのポチポチゲーが生まれては消えていったが
たとえばレアの上にスーパーレア、その上にダブルスーパーレアが追加になり、レジェンドレアやウルトラレアなんてものも後から後から追加され
お金をかけて集めたカードが半年後には紙くずになるという文字通りのインフレが起きている。
同じようなゲームばかりが量産される中だからこそパズドラが流行ったんだろう。
一応課金要素はあるが、無課金でも十分遊べることが広い層から支持されてるけど、最近の流れをみてるとどうも雲行きが怪しくなってきた。
課金はしていないがかなり遊んでるゲームなので、パズドラの今後が不安だ。
無課金でもモンスターが集めやすい、虹の番人という強力なモンスターが使える、属性的に不利なダンジョンがない、
などの理由で序盤にまず目指すべきパーティとして注目を浴びた。
耐久力を伸ばすリーダースキルがなかったが、ルシファーの登場で耐久パを組めるようになった。
無課金でもモンスターが集めやすく、6.25倍という強力な攻撃力が得られるので人気がある。
ドラゴンタイプは育成に経験値が多く必要なので序盤は辛いが育ててしまえばかなり強い。
スキルに幅が出ないのと耐久性、回復力に欠くので高レベルダンジョンではきつい。
やられる前にやるというパーティだが、敵の耐久インフレの前には火力不足になりつつある。
不遇だったエジプト神の性能が修正されて攻撃力9倍、12倍、16倍という超攻撃型のパーティが組めるようになった。
攻撃力もそうだが、このパーティーの最大のメリットは属性さえかぶらなければ、どんなモンスターでもパーティーに組み込めるということだ。
有用性の高い威嚇、防御体制、ギガグラビティ、鉄壁など、「やられるまえにやる」という方針を最大までサポートできるスキルで敵に挑める。
攻撃力インフレによって、被ダメージは6万とか8万とかになって、どんなパーティを組んでも攻撃を食らってしまうと負け確定というゲームになってきた。
また、HPインフレによって敵のHPが200万とか300万とかになって、普通の攻撃力じゃ倒すのは不可能じゃないが、なんどもコンティニューするのが前提、という風潮になってきている。
よって、ボス戦の基本的な方針は
割合ダメージ技でHPを減らす→「威嚇」で攻撃までの時間を稼ぐ→緊急時には「鉄壁」で敵の攻撃をしのぐ
という、いかに攻撃を食らわずにこちらの攻撃ターンを稼ぐか、いかに少ないターンで戦闘を終わらせるか。
もっというと石(一個85円)いくつでクリアできるか。というゲームになってきている。
イシスでは力不足になり、発動条件は厳しいが攻撃力30倍をたたきだせるラーが見直されてきている。
エジプト神はガチャでしか手に入らない(一応無料で引けるが運が必要)ので、
無課金で目指せるパーティはHP満タン時だけ攻撃力9倍のゼウスパ、HP20%以下のときに攻撃力25倍になる五右衛門パが主流である。
ただ、最近敵がゼウス潰し(先制攻撃)、五右衛門潰し(火属性10ターンバインド)のスキルを使ってくるようになってきた。
結局、パーティ編成しながら戦略を考えるのではなく、「いかに石の消費(コンティニュー)を少なく抑えるか」が基本的なスタンスになってきているので
新しいダンジョンでもコンティニューを最小に抑えるためには特定のパーティで挑むしかなくなってきている。
今思えば自分で考えてパーティ組んで試行錯誤したり、「このターンで回復ドロップ消しつつ4コンボ以上しないと死ぬ!」というギリギリの戦いをしていた頃が一番楽しかったなあ。
日本人の有名な技術者たちが起業したとして話題のTreasure Data(トレジャーデータ)。最近日本市場に向けた販売強化をすると発表した。だが以前からずっと日本企業相手にビジネスやってきていたはずだ。過去にリクナビなどで広告記事も見た。なぜ今さら発表? と不思議に思っていたら、以前に比べて価格が大幅に値上がりしていることに気がついた。
現在の最低価格は2TB上限で月3000ドルだ(http://www.treasure-data.com/pricing/)。無料のメニューもあるが、1ヶ月に60クエリまでしか実行できないので、企業で使うなら事実上有料のメニューしか選択肢が無いと考えて良い。
だが実は、つい最近までTreasure Dataには月29ドル、月299ドルのメニューがあったのだ。Internet Archiveには4月11日時点の記録があった。これを見ると、500GB上限の月299ドルで、無制限のクエリが実行できる。だが今は無くなっている。
月3000ドルは決して安くない。使う容量が限られている企業なら、実質的に10倍もの値上げが行われたことになる。容量単価で見ても、2.5倍もの値上げだ。
有料サービスを検討している企業にとって、価格は最も重要なファクターの1つだ。数パーセント値上げしただけでも騒ぎになることが少なくない。それがこうも簡単に何倍も値上げされるようでは困惑する。しかも、サイトのどこを見ても、値上げの理由はおろか、値上げがあったことすらどこにも書かれていないのだ。プレスリリースの最新の日付は現時点で1月15日だ(http://www.treasure-data.com/press-release/)。これでは検討するにしても、また値上げされるんじゃないかと不安になる。
ここまで横暴とも言える値上げを何の告知も無く行ったのはなぜなのか。その理由が気になった。これまでの経緯をもとに真相を探ってみた。
フェアに売上も雇用も伸ばしているスタートアップの日本企業はいくらでもある。そういう会社にももっと目を向けてあげてほしいと思う。有名人がたくさんいることだけが全てではないはずだ。
(今回の店がそういう店だったとして)乙武だってそれが分かってたら最初から来店しなかっただろ?
HPにひとことそう書いとけばいいだろ?
今回の場合、HPに「エレベーター止まらないから気をつけてね」と、書いてあったそうだよ。
階段を使うことが自明なんだから、自力で登れないなら「車椅子なので自力で上がれないんですが、大丈夫ですか?」と事前に電話で確認するのが筋。乙武はそれをしなかった。
「何も書いていなかったら入れる店だ」と思っちゃいかんのか?
いかんね。
例えばアレルギー、重度のものなら料理に直接材料を使っていなくても調理場で使っているだけでアウトだったりするわけ。
誰がどんなアレルギーかわからないから、調理場で使っている食材を全て事細かに列挙しろというわけ? しがない個人経営の店で? 秘密にしたい材料とかもあるかもしれないのに?
規模の大きい会社とかチェーン店なら積極的に情報を公開できるかもしれないけど、その情報明記を店に強要するってのは小規模な飲食店は作るなと言ってるのと同じだよ。
飲食に問題を生じる可能性のある全ての事を把握してそれら全てに対応するorHPに明記する、なんてよほどの人員がいないと不可能なんだよ。
移動に問題がある人は数が多いからそいつらには配慮しろ、みたいな「マイノリティの中のマジョリティだから配慮しろ」論者?
身障者は必ず電話で確認しなきゃいけないのか。
店側の能動的な表示で確認できない場合はそうだよ。当たり前。そして店に能動的な表示を強要すべきではない。あくまで努力目標の範疇。気がついたところ、余裕があるところだけやればいい。
障害なりアレルギーなり、そういうのを持っている人の側が申告すべきなんだよ。
障害者の側が、積極的に表示してくれている店を探すか、そうでない店に行きたいと思ったときには確認すべきなの。
そうでないというなら、お前は自分が「小さい店は作るな」と言っているのだと自覚しておけよ。
アレルギーの人は大きい会社or特別アレルギーに配慮している会社のはっきり不使用表示がされているものを選ぶか、そうでない場合は店なり製造元なりに確認するよ。
「狭くて車椅子が入れない店」
うん、(今回の店がそういう店だったとして)乙武だってそれが分かってたら最初から来店しなかっただろ?
じゃあ乙武はどうして「狭くて車椅子が入れない店」だと知ればいいんだ?
HPにひとことそう書いとけばいいだろ? それが経営であるべきだと思う。
「何も書いていなかったら入れる店だ」と思っちゃいかんのか?
身障者は必ず電話で確認しなきゃいけないのか。
そういう「小さな気遣いの強要」が積もり積もってマイノリティを追い詰めるんじゃないのか。
べつに無理な対応をしろって言ってんじゃなくて、無理な対応をしなくていいように想像力を使ってもらいたいんだよ。
乙武なんてさ、気を遣いまくって、想像力働かせまくって生きてるわけ。たぶん実際には。
誰かが気を遣わなくちゃいけないなら、みんなで分担してもいいだろ?
2013/5/5名古屋市教育館にて鈴木邦男氏の講演会が開催された。
新右翼一水会の最高顧問でありながら、現在は思想的にはリベラルであると自他ともに認める鈴木氏。「右からの脱原発」をテーマに講演会はこの日14時に始まった。
ゲストは地球上で唯一人封建主義者を自称する評論家、氏の過去の著作名の如く「危険な思想家」である呉智英氏だ。
彦摩呂似の司会者の合図で先ずは鈴木氏が登壇、呉氏がゲストという事で近著「真実の名古屋論」、「吉本隆明という共同幻想」を紹介し話は呉氏との過去の逸話や他の作家の話などを織り交ぜ、終盤思い出したかのように脱原発の話をして30分ほどで鈴木氏単独の公演は終了。公演は3部構成、2部は鈴木、呉両氏の対談形式で話が進められ、3部は質疑応答の時間。参加者は30~40人程度といったところか。新右翼の代表的人物である鈴木氏の公演であり、過激な発言で知られる人気作家の呉智英氏がゲストであれば会場は満員になっても何らおかしくはない。しかし、この公演に関してほとんど告知がなされていないせいか、最大収容人数200人の会場で二人はマイクを置いて地声で話していた。それほどに参加者の数は少なかった。
筆者がこの講演会を知ったきっかけは毎週欠かさずチェックしている鈴木氏のHP「鈴木邦男をぶっとばせ!」の今週の主張という毎週月曜に更新される記事によってだった。しかもこの講演に関してはその長~い記事のそれこそ最後まで目を通さねばわからないほど下の方に告知が載っているだけ。筆者は知らないが鈴木氏はTwitterをやっている為、そこでは告知をしていたのかもしれないが…。他にも一水会のHP、会場の名古屋市教育館のHPを覗いてみたが、特に告知らしきものは見当たらなかった。因みに筆者はイチ鈴木邦男ファンとして今年2月同じく名古屋の日本キリスト教団名古屋教会で催された鈴木氏による講演「いま、“愛国”について考える−排外主義への異論−」に参加したがその時は会場は満員であった。あくまでその教会のいち催し物である為に信者がほとんどであったし、一概に比較出来ないが…。何より福島原発事故から2年以上経てそれは既に風化し、もはや「反原発」というスローガンに訴求力がない事の証明であったように思う。20代の参加者はおそらく筆者1人であったし周りを見渡すと皆頭に白いものが…、中には自ら朝鮮人を名乗る者もいたし、聴講者の多くが戦後民主主義・人権主義思想に凝り固まった、言ってしまえば絶滅危惧種のサヨクだったと見える。そうなると呉智英氏の天敵が集まったことになるが…。筆者は思想的には新右翼寄りと勝手に思っている者だが、少なくとも一般聴講者の中に右派、保守系の人は見受けられなかった。新右翼の代表的論客・鈴木氏の講演であるし題目は「右からの~」だし、呉氏が来るのだからてっきり右の人がたくさんいるのだろうと思っていたのに意表をつかれた形になった。
今回の講演会のテーマは脱原発。しかし、おそらく遅れて呉氏がゲストに決まったと思われる為、急遽テーマからの脱線は止む無し、むしろ脱原発は公演の一要素に過ぎないといったところだった。2部の両氏による対談形式の講演は1部以上に話題は多岐に渡った。呉史は現在名古屋在住、名の売れた作家であるにも関わらず今は家賃7.9万のマンションに住んでいるとか、ライフワークである儒教についてや思想から政治、氏の私生活までその著作と違わぬ軽妙で鋭い語り口で会場を盛り上げていた。中でも印象的だったのは改憲についてだ。9条は戦略的に活用せよというもの。メモを忘れた為うろ覚えだが、憲法9条が現行のままである限り安全保障は続くのであるから改憲せず、これまで日本がやって来なかった謀略戦に特化しお隣りの2つの国を戦争させて漁夫の利を得よといった内容だった。もちろん危険極まりないラディカルな意見ではあるが、常々自衛隊の国軍化は必要だと考える凡人右派思考の筆者はそんな考え方もあるのかぁと目からウロコだった。もちろん本旨の脱原発についても忘れていない。呉氏は反原発派でありながら既存の脱原発デモを批判し独自の方法論を提示していた。封建主義者の面目躍如とばかりに鈴木氏の出る幕もないほど冗舌に語っていた。筆者にとって2部の二人の対談はとても勉強になったし何より刺激的でとても楽しく拝聴していた。
先に述べたとおり、参加者の多くは戦後民主主義・人権主義思想に洗脳された方々である。そんな彼等との質疑応答はまぁ無意味で退屈で不快なものだった。二人の質問者が、呉氏が講演の中で何度も口をついた「支那」という言葉を取り上げて「中国を『支那』と呼ぶことは差別でないのか?、石原慎太郎の真似でないのか?」(およそ60代の女性)続いて男が大声で「『支那』は不快!相手が不快に思うのなら中国と言うべきではないのか?」といった質問をぶつけた。呉氏はこれまで民主主義を否定し続け、ソ連解体で共産主義の崩壊とともに民主主義も終焉を迎えたと語る危険な思想家である。併せて氏は30年余り「支那」と呼ぶべき理由を、その正当性を、論理的に、何度も何度も口酸っぱく唱えてきた男である、石原なんかよりずっと前にだ!!その主張は呉氏の数々の著書に幾度も書かれている為詳細は省くが、中国を「支那」と呼ぶ事が差別であるかはともかく、氏は30年もそれを訴え続けているのである。何を今さら言うか!筆者は考える、参加者は今回の講演会に参加する限りは呉智英という男がどんな危険思想を持つ人間であるか少しでも知っておく、いや参加するには著書の2.3冊読んで予習しておく、それが無理ならさらっとウィキペディアでも覗いておく事が必要ではないのか?もちろんそれを強制するつもりはない。しかし知識人である呉氏への無理解、自身の無知を醜くさらけだし、それに気づかずにヒステリックに喚き立てる姿は憐れですらあった。他にも40代と思しき男が「反原発デモで左右連帯というが、グローバリズムを旨とする左翼が中国・韓国を非難する右翼と連帯するのは難しい、それについてどう思うか?」といった事を回りくどく長々と言い、鈴木・呉両氏を論破せんと意気込むも「じゃぁ別々にやれば良い」と冷ややかに返答されていた。当たり前だ。右翼が反原発に取り組む動機は、現在進行形で福島の大地が放射能に汚染され続けている現状を憂いての事であって最早ナショナリズムがどうとかそんな事は関係がない。サヨクの男は、今後中国・韓国を巻き込んでの反原発運動がどうたらこうたら言って、今そこにある危機を無視して下劣なイデオロギーの次元に落とし込む事を考えている。全く恐ろしい…呆れてものも言えない。右翼を非難し自分の論理を展開する事によって連帯の意味を履き違えている事を露呈し、さらには逆説的に左右連帯が不可能である事を自らが明らかにしてしまった。右翼は最初から反原発に限っては左右は関係ない、むしろ反原発の一点、そこだけ一致すればどんな思想の持ち主だって構わないという姿勢であるのに…。
そして最後の質問者の老婆は鈴木氏に対し「ウヨクってなんですかー!?全ッ然わからないんですけどー!!今日来た意味ないです!払った千円返してください!」だって。鈴木氏は最初はまともに返答しようとしたがとにかく態度と声のデカイ老婆の勢いに困ってしまい、封建主義者の呉氏がフォローを入れるという事態に。あぁそうそう、なんか8年前ぐらい前だっけ?騒音おばさんっていたじゃない、もうまさにあんな感じ…。両氏はもう顔を見合わせて苦笑い。そこでもう時間切れ、司会者が強引に中断して参加者一同二人に拍手。筆者はこれでもかってぐらい、もうババァ黙らせてやるって気持ちで拍手しまくってやった。それでも老婆は懲りずに怒声を発し続けていたけど。
今回講演会に参加して感じたことが幾つかある。先ずは主催者側の問題点を言いたい。やはり呉氏がゲストだからといってテーマは「右からの脱原発」であるからには、あくまでそこを中心に講演するべきであったように思う。脱原発の講演を期待して来場した人がほとんどのはずだから、その点で考えると参加者のほとんどが満足のいく内容でなかったはずだ。それに告知、今のご時勢ネットを活用すればもっと集客できたに違いないし、単純に参加者がもっと増えればより質の高い講演となったと思う。次に参加者について。まぁ誰が参加しても当然問題ないんだけど予備知識くらい入れてから来いよと言いたい。呉智英氏の事を少しでも知っていれば、氏が百万回くらい経験しているであろう不毛な「支那」問答に時間を取られる事も無く、参加者も不快な思いをせずに済んだのになぁ…。呉氏の思想を知っていれば来なかった人もいただろうに。まぁ本当に残念な講演会だった。最後の質疑応答さえ無ければ笑顔で帰り道を歩けたのに、あんな事になっちゃって全て台無し。参加者には文句言うまいという気持ちがあるにはあるが無知と無理解に無自覚なオソロシイ数人の人を前にして味わった事のない恐怖体験をしてしまったから、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるよ。
27歳。人付き合いは苦手。
月一のデリヘルで今日も抜くかとお店のHPをチェックしていたら
30代前半を中心に呼んでいた私は、たまには若い子もいいかな…
という軽い気持ちでお店に電話をした。
口内発射に△がついていたのに一抹の不安を覚えつつ
お店の人に聞いてみるとOKとのことだったので
安心しながら到着を待った。
嬢が到着、扉を開けると確かに若い。
ちょっと歯が出ているがそれでもいいやと思いつつお金を払った。
よく喋る子だった。
最近結婚した。相手はホスト。結婚前に300万貢いだ。そのおかげで借金を背負った。
本職はキャバ。返済のためにデリもやっている。チーママで経理もやっている。
笑いながらカッターで付けられた傷跡を見せてくれた。
相川七瀬が好きで、歌を歌ってくれた。
舐めて。
と言うと普通に舐めてくれるが、少しだけであとは攻めてほしい、と。
あぁこれどっちもまぐろだ。と残念に思いながらぎこちなく
攻めてみていると、嬢が袋とってと言ってきた。
どの?あれ。ん?ん~とねぇ
結局自分で持ってきた袋の中にはバイブとローターが入っていた。
やっぱり私の技巧じゃ物足りないんだろうな。これ後でオプション料金
とか取られないかな。と思いつつ使ったことのないローターを
おまたに押し当ててみる。
違う…ここがいい…違うよ…と言われながら頑張って押し付けてみたが
最終的には嬢が自分でして自分でイき、完全に置いてけぼりだった。
イッた余韻に浸っていたところ、したくならないの?
と聞いてきた。その頃にはなんか冷めていた自分は、どうだろうねぇ
と曖昧な返事をしていた。本番しない?えっ。
何言ってんだこいつと思いながらも心は傾いていた。
挿れる場所に戸惑いながら、もうちょい下、の声に導かれながら
なんかヌルヌルしてる。あ、もっとくっつきたいかも。抱きしめちゃえ。
そ、そうだ腰を振らなきゃ!うわ気持ちいい。出ちゃうな。いやでも早くね?
でも気持ちいいしな…。出しちゃおう。うん出しちゃえ。
ちゃんと抜いて…と、出たー
こんな感じだった。最初半分ぐらい入れたときは、あれ?こんなもんなの?
という感想だったが、密着して奥まで挿れた時の感触はとても良かった。
出ちゃったなぁ…と思いながらティッシュを取って体にかけた液を拭く。
職安はとにかく数受けろ!数出せ!で、執拗に量を求めてくるけど
言いなりになって出しちゃダメ。選別すべし。
給与額低すぎるのは地雷。一般的な給与すら払えない会社はアウトに決まってる。
給与高いー♪と思ってたら、交通費を給与に組み込んでる会社あるけど、アウト。
交通費なんて人によって違うのに、給与に入れるとかアホだろ。微妙な会社のことが多い。
意図的なカサ増しだしあれ。
健康食品系は、事務募集しといて、テレアポの募集だったりするから、覚悟しとけー(2度経験済み)
上記でアウト書いてたけど、自分の金額範囲内ならOK。
すんごい安い場合は、近所の人に来て欲しいわけで、遠方で自費でかまいませええん!って人でも
この企業は大学卒で短大のあたしには無理だな・・と諦めてる事務経験豊富なおねいさん。
経験年数が5年以上とか10年とか長ければ、応募できるのであきらめずにアタックすべし。
低学歴からガンガン送られないようにする、フィルターだからアレ。職安の人に電話で聞いてもらおうぜ。
あと、地方だと多い車の免許って書いてあって、駅近い場合持ってなくてもOKなこと多いよ。
交代制の所は、覚悟すべし。理想の勤務時間なんかまず無理である。
給与高くて、休日少ないとかだと、結局安い給与だったりすることあるから気をつけろ。
うっかり見落とすこと多いよ。きをつけてええ!
履歴書に書く志望動機ってのは、企業理念からひっぱってきて書くってのが前提で物言わせて
貰うと、それすらない会社は基盤がしっかりしてない場合があるので、営業さんとか希望の人
はちょっと注意していた方がいいと思う。
志望動機はHPからと、求人書類から参考にして必至こいて書くべし。
若い会社です!の表記について。(←なのに年齢制限幅広い場合)
社員の平均年齢に近ければ、受かりやすい。前後5歳違いだと思っておいた方がいい。年増は不要の代名詞である。
あと、職安の人に、年齢いくつの人が応募してるかによって、チャンスがあるなしが分かるよ。
自分が一番若かったら、チャンスあるよ。めげるな!
資格で有利なのがある人なら出すべし。開封するのだけでも大変なので、ろくな資格や学歴ないと二度見すらして
貰えない。せつねえ。あと、社員数20人程度の所に高学歴で行くと、まず落ちるから。せつねえ。
最後に。
当たり前だけど何度も募集かけてるところは、職安の人はぜったい知ってるから必ず聞くこと!
気に入る子が来るまで、テキトウに募集かけてる所あるから。空募集とかマジ屑。
あと、酷いとこ入った人は、必ず職安にチクること。あんまり酷いところは、しばらく受付停止することあるらしいから。
タダで使える職安だからって、胡坐かいてる会社に小さな一矢報いようぜ!
そのうち面接編かく。
現場の声をありがとうございます。「ヤバい求人」を書いた者です。
求人サイトのライターは、取材メモを元に書いているんですか…。それは悩ましいですね。
なるほど。「きれいなオフィスです♪」などの、そこが売りなの?写真見たらわかるよ!という謎のコピーも、
製作時間15分なら仕方ないかもしれません。取材メモ次第ですよね。
決まったら給料の一月バックとかそういう条件でやってるわけでさ。
そうなんですね…。超ブラックじゃないですか!
てっきり雑誌媒体取り扱ってるとこ(大手)はお金がかかっていると思っていました。
逆に「ここは金かけてて信頼出来ますよ」という媒体はありますか?ぜひ知りたいです。
カラ求人も嫌ですが、自分はハロワトリップにイラついています。結局はハロワのHPへ飛ばされるし、
遷移先では募集が終了していたりして無駄に時間を食ってしまう。あと掲載企業のブラック率が高い気がします。
その理由から、ハロワ掲載サイトとキャッシュバックを謳う知名度の低いサイトはスルーしていました。
エン・ジャパン、リクナビ、マイナビ。あとFindJobあたりが手堅い印象ですが、
でも、大手求人サイトのライター募集している制作会社が多々ありますよね。
http://anond.hatelabo.jp/20130329203456
自分はラノベとか隣接ラノベ本(ちょっと大きいヤツとか)を出してる増田です。
かれこれ20冊くらい出せていますし、目下専業ですので食えてる方に分類されると思います。
ただ、大前提として、健康で社会常識がある人向けのサイトだな、とは感じました。
というのは作家志望さんは不健康で社会的常識がない人もいたりするからです。
健康だの社会常識だの、そんなの誰でもあるだろ? そんな事今更いってどうすんだよ……と思われる向きも多いかと思いますが、このふたつ、大事です。加えるなら、コミュ能力で3つですね。
肉体精神がタフであるって言うのは、これはもう、武器です。手入れの必要がある能力だって認識して、自覚的に管理すべきです。
フットワークを軽くして、病気しない程度に身体を鍛えた方が絶対によいです。
本が出れば嬉しいことも沢山ありますけれどへこむことだってやっぱり沢山あります。
ぐっとこらえなければならないことだって沢山あります。心を固くして無感動になればそういった雑音はスルーで来ますが、あんまり無感動だとそもそもエモーショナルな物語が書けなくなります。ラノベ周辺のキャラクター小説は間違いなくエモーショナルな物語の一派なので、困ります。
普段肉体を健康に保つことと、一緒に騒げる友人がいるってのは、大事です。
社会的常識に関していうと、出版業界自体が一般社会に比べれば、格段に緩いトコなんで、付け届けだ歳暮だ時候の挨拶だなんてあたりまでしゃちほこばってやる必要はありません。(そこまで気の行き届いた人もいますが、周囲にもプレッシャーを与えるので、善し悪しはケースバイケースです)。
しかしその一方、Twitterで他の作家さんともめ事起こすとか、絵描きさんDisりはじめるとか、洒落にならないです。ずばっと言ってやった俺格好良いぜ! とか、面倒くさいことにしかなりません。あと同人書いてくれてるクラスタの飲み会に突入して酔ってセクハラとか。まじ勘弁して下さい。近くで見てると寿命縮みます。わたしのHPはもうゼロなのよ。
学校で学んだこと、バイト先で、就職先で学んだこと「普通であること」は、作家にとっても変わらずに重要です。奇矯であったり奇人変人である作家さんはいますが、あれはごく一部の大成功をした作家さんが、結果論的に「そう」なだけであって、普通のラノベ作家がそういう「俺は変わってるんだぜアピール」をしたところで、なんの益もないばかりかデメリット満載です。
コミュニケーション能力も重要です。編集さんは通常、その業務にコミュニケーションが含まれていますが、コミュ能力が高いとは限りません。
また作家側の業務にコミュニケーションが含まれていないという事実はありません。
打ち合わせを高密度で行ったり、相手のいっている意向を受け入れて試行錯誤の精度を上げるためには、コミュ能力が高いにこしたことはありません。
そもそも書いた文章というのは「読者の人との遠隔コミュニケーション」なので、気持ちを届けようとするならば、コミュ能力は編集さん云々以前に最初から必須です。
(打ち切りだとか、返事が来ないとか)担当編集さんを信じられなくなって疑心暗鬼になるくらいなら、はじめの頃から呑みに行ける程度の関係を成立させておくべきです。そのためには担当の人に「こいつは、ある程度売り上げやレーベルの希望、読者の反応などを、ぶっちゃけても平気だな」という程度の信頼をしてもらわないとなりませんし、それは最初に述べた「精神的タフさ」も必要になります。
まとめるのならば。元増田氏が書いた「文章力いらないよね」とか「絵が描けないんでラノベ書くわ」なんてのは、(努力すれば)なんとかOKですが、一方で「他人と一緒に働くのがいやだから」「俺は社会に縛られたくないからラノベ書きになるわ」というのは、かなりNGです。
といってもここ一年ぐらい出版出来てないので、正確には『売れないラノベ作家』という言い方のが正しい。
更に言うと、現在の収入源はゲームシナリオの外注作業がほとんどなので、零細シナリオライターと言ったほうが(ry
まぁ、俺はそんなどこにでもいるようなラノベ作家の一人なんですが
最近、大学の後輩達が異様にラノベ作家になりたがっているのを見て、ちょっと危機感を覚えまして。
というのも、どいつもこいつも一様に
「文章力いらないよね」
とか、とにかく楽な職業だと思い込んでる輩が多いこと多いこと。
確かに、本屋でラノベを立ち読みすれば分かるが、書いてある文章は一人称で誰でも書けそうだし
展開は良くも悪くも萌えればいいと言われて、あながち外れではないし、今はレーベルが乱立してるから
デビューできるチャンスも非常に多い。
就職だるいからラノベ作家に(ry とか言ってる奴の口には、刺付きパイナップルをぶちこみたくなるね。
3年ほど頑張って投稿してれば、実力もそこそこついて、どこぞの賞に引っかかるだろう。
俺は受賞までは2年ほどでした。
だが、生き残るとなると話は別だ。
生き残るっていうのは、定期的に本が出せて収入が途切れず
正直、これは、かなり難しい。
詳しい理由は後述する俺のHPを見てもらえれば良いとして
売れる人:1% そこそこ売れる:10% 売れない:残り全部
累計20万文字ぐらい書く。文庫本260ページの二倍っすよ。心折れずに書けますか?
ここで、しがみつける人と諦める人でふるいがかけられる。
印税は出版されなきゃ入ってこないし、編集者と意見が合わなければ
いつまでも改稿が終わらずエンドレスサマーよろしく終わらない夏休み状態。
生き残る可能性あると思う。
もちろん、ラノベは当たれば大きい。夢もある。
考えを改めなさいということだ。
ホヤホヤで右も左も分からない人のためにHPを作ることにした。
http://ranobebook.sakuraweb.com/
こんなくだけた口調ではないが、
思いつくまま書いておいた。
ラノベ作家向けのマニュアルサイトがねーじゃねーか、ゆとりなめんなと
常々思っていたので、自分の経験(失敗含む)を活かして作った。
俺と同じようなミスをして恥をかく人が減れば良いなと思う。
「そんなに早くチェック出来るわけないでしょう?(怒)」
って怒られた事とか)
一応、ライトノベル作法研究所さんやラノベ関連のサイトさんにリンクしてもらったが
いかんせん、HP運営は素人なので、どこでサイトをPRすればいいか分からなかったので
もし、お近くに新人ラノベ作家もしくはラノベ作家志望者の方がいたら
ひどい人になると、ツイッターで堂々と
プレイし始めたきっかけ は App Store で売っていたのを見たのか、ネットの記事を読んだのかどちらかだと思うが覚えていない。
ただ人気が出ているということは知っていた。
人気の高さから当初2011年頃にリリースされたものだと勘違いしていて、購入時点でリリースされてから1、2ヶ月しか経っていなかったことを知ったのは大分後になってからだった。
まさか1年間ほぼ毎日ゲームを開くことになるとは思わなかった。
何がこのゲームをここまで魅力的にさせるのか?
自分なりに考えた結果をここにまとめておく。
本当は自分のブログに書こうと思ったが、最近のブログの方向性とかなり異なる内容のため増田に書かせてもらう。
長文を読みたくない人は以下の要約だけ読めばいい。
実力と運のバランスがほどよく、課金により圧倒的優位に立てるわけでもないのでユーザは公平感を感じてプレイできる。
覚える要素が少ないため、少しブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できる。
魔法石という課金通貨を頻繁に配布するため、ユーザは常に課金時と同様のユーザ体験をしている。
そのため実際に課金したときに期待するユーザ体験と実際のユーザ体験にギャップがなく、不満を感じることがない。
システム障害時にもお詫びとして魔法石を配布するため、普通は大きくユーザ体験を損なうようなシステム障害が逆に良質なユーザ体験を提供する機会に変わっている。
常時開催されるイベントにより、単調になりがちなパズルゲームを飽きさせない運営の工夫がなされている。
著者のスペックは以下の通り。
このゲームのいいところは、あまりモンスターが強くなくても、パズルの腕と、落下してくる玉の色の運次第では割と勝ててしまうところにある。
実力だけでもそこそこ勝ててしまうからパズルの腕を上げて勝ち上がるというプレイも可能だし、運だけでもたまに勝ててしまうのであまり頭を使わないギャンブル的なプレイもできる。
パズルの腕がよく、かつ運がいい場合だとかなり難しいエリアでもクリアできてしまう。
逆に若干格下のエリアをプレイしていていも、気を抜くとたまにやられてしまう。
札束で殴るゲームなど揶揄されるように、ソーシャルゲームにはとにかく課金すれば誰でも勝てるという印象があった。
パズドラは課金だけでは勝てないようなゲームバランスになっている。
例えば課金専用のモンスターガチャ(ランダムで強力モンスターを入手できる仕組み)でしか入手できない「神」タイプという種別のモンスターがいる。
これらは確かに強力だが、決して最強ではない。
パズドラではモンスターでパーティを組むため、やみくもに強力なモンスターだけを使うよりも相性のいいモンスターで編成した方が強力なのだ。
また、たとえ強いパーティを作るとしても、ある程度のパズルの腕がないと結局勝つことができない。
実力のみのゲームだとプレイヤーとしての腕を上げ続けなればならないのでずっとプレイする必要がでてくる。
逆に運のみだとただのくじびきと変わらないので、ギャンブルに興味がない私はすぐ飽きてしまっただろう。
課金したからといって実力も運が無関係にならないというところも魅力的だ。お金で簡単に強くなれるゲームなら努力してプレイしようと思わないだろう。
このあたりの「公平さ」も魅力の一つである。
パズドラは覚えなきゃいけないことが少なく、ちょっとブランクが空いてもすぐに遊べる点が魅力だった。
大作RPGや複雑な話のノベルゲームは途中でブランクを空けると設定や伏線を完全に忘れるのでもう話についていけなくなる。
シミュレーションゲームはパラメータの意味や敵味方のユニットのスペックなどについて全て把握していないとまともなプレイができない。
FPSはスポーツと一緒なのでプレイし続けないと腕が落ちてやっぱりまともなプレイができない。
そういう「ゲーム疲れ」を感じて近年あまりゲームをプレイしなくなった。
かといっていわゆるカジュアルゲームのようなあまりに単純なゲームだとすぐに飽きてしまう。
このゲームで覚えるべき情報量は自分にとっては楽に記憶しておくことができるレベルだったので、仕事で忙しくブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できた。
パズルの方法と所持モンスターの能力、あとは目標とするプレイフィールドの難易度を把握するだけでプレイができる。
モンスターの能力も、HP、攻撃力、回復力、スキル、リーダースキルの5つしかないので覚えやすい。
ガチャやコンティニューなどを行うには、「魔法石」と呼ばれる課金用通貨が必要となる。1個60-85円ぐらい。
私が驚いたのは、この魔法石をこれでもかというぐらいばら撒くことにある。
まず、毎月のように行われるイベントで魔法石がプレゼントされる。
1日1個が1週間から10日ぐらい続くので、月に大体5-10個近く入手することができる。
それだけでなく、パズドラではシステム障害時にもお詫びとして魔法石をプレゼントする(通称詫び石)。
障害の規模にもよるが、大きな障害のときは10個もまとめて配布する。
私にとって何より衝撃的だったのがこの「詫び石」システムである。
この運営方法により、ユーザである私はシステム障害を期待するようになってしまった。
こんなことは業務システムでは全く考えられない。
通常業務システムにおいて障害が発生した場合、ユーザは苛立ち、怒りの電話やメールを運営者にぶつけてくる。
ユーザにとってシステムが稼動し続けることは当たり前のことであり、障害などもっての他なのだ。
運営側は障害により若干の収入が減るかもしれないが、UX(ユーザ体験)を下げるどころか上げるということに成功しているのだ。
私のような無課金のユーザでも、常に手元には魔法石が余っている。
だから、課金ガチャを回したりコンティニューしたりということが気軽にできる。
これが何を意味するかというと、課金した状態のUXがゲームプレイにおける日常として組み込まれているということである。
もし私があるとき気が変わって課金をしようとしたときでも、課金したらどういうユーザ体験が待っているかを課金する前に十分把握しているのだ。
期待するUXと実際のUXのギャップが非常に小さいため、課金しても不満を覚えることはないだろう。
もっとも、この驚きをゲーム開発会社に勤める友人に話したところ、「今のソーシャルゲームでは当たり前」と言われたので昨今のゲームに詳しい人には驚くことではないのかもしれないが。
もう一つ、私が驚いたことで友人に「それも普通」と言われたことがある。
パズドラでは常にイベントを開催していて、イベントが開催されない期間が存在しない。
現在だと常時最低でも2つのイベントを同時開催していて、これらは月曜に開催され、2週間行われる。
開催期間は2つのイベントで1週づつずらされているため、ユーザからは毎週新しいイベントが開催されているようにみえる。
ゲーム自体はパズルを行うだけのシンプルなものなので、こうして工夫で飽きさせないようにしているのだろう。
先述の友人の話によると、ネットゲームにおいてはイベント開催が非常に重要らしい。
特に日本は文化的に年間行事が多いため、これらに合わせて緻密にイベントスケジュールが組んでいるようだ。
パズドラはゲームデザインだけでなく、運営も驚くような工夫がなされている。
私がこのゲームをプレイしていたのも、この運営の方法を研究したかったからという側面もあった。
運用・運営という側面はゲームだけでなくITシステムやレストラン・ホテルのサービスなどあらゆる場面で重要ではあるが、あまり一般の人には注目されない。
こうした「舞台裏」にこそ成功の秘密があるのだということをあらためて認識した。
なぜ丸一年が経過したタイミングではなくこの時期にこんな文章を書いているかというと、最近プレイしていないからである。
引退というわけではないが、気持ちとして一区切りついたのでこうしてまとめてみた。
理由はすごく単純で、ここ1、2ヶ月でモンスターのドロップ率とスキル成長率が大幅に下がった(と感じた)からである。
ドロップ率2倍でもほとんどドロップせず、スキルアップ率2倍時にスキルが全く上がらないと、さすがに砂に水をかけているような気分になって急速にプレイに疲れてしまった。
・一番重要な点として0歳で入園させる事が必須。0歳は10人前後の枠があるが、それ以外の年代だと1~3人程度の枠しか無い。事実上入れないと思ったほうがいい。
・しかし、生後間もないわが子を預けるのはかわいそうだと感じだろう。また、産後すぐだと入園活動や復職へ向けた活動もしんどい。子供も首が座る程度に成長してくれないと色々しんどい。よって子作りは7~8月頃に開始し4月か5月頃生まれるのを狙おう。これでだいたい10ヶ月程度は育児を満喫出来る。
・杉並区の場合はすべてが点数制。よって市のHPの募集要項をよく読み事前に知識をつけておくこと。在宅勤務だったりすると絶望的である事が事前にわかるのでそれに応じて無認可を探す等、路線変更も事前に出来る。
・労働時間が長い事も点数の一つ。どっちかがフルタイムで働いてないなら入園出来ない可能性が高くなる。可能であれば夫婦共に入園前の1年間は長時間残業する事。
・役所の担当者への陳情は全く無意味なのでそんな事に時間をかけるのはやめよう。保育所自体の増設を目指したりするなら別だが。
・一人目を入園させるのに成功したら一人目が在籍中に兄弟を作ること。同一保育園に兄弟がいる事で点数が1加算される。1とはいえこれがバカにならないので決め手になる可能性がある。
・ひとり親・障害者は最強らしい。よって最終手段として離婚すという裏技もあるとか無いとか。(真偽不明だが急にやめた園児の親が偽装離婚だったとかいう噂もあった。)
ここ、まったく逆だよ。デザイナーは見栄えを創ることによって情報を浮かび上がらせる。デザインすることによって、そこに誰も見出していなかった価値が立ち現われてくる。
プロ(フェッショナル)のデザイナーはこの辺を感覚でやるから、素人の作った「情報整理して見やすくしました」とかのヘボヘボのデザインとはまったく違う。
もともとある情報を整理してキレイにするだけなら、別にデザイナーじゃなくて市の職員にだってできるし、アルバイトの女の子にだってできる。