はてなキーワード: 敬遠とは
「美品・未開封を謳って販売が出来なくなるので商品価値が下がる、ゆえに転売屋が敬遠する」という理屈らしいけど
人気どころのガンプラが素組でさえ定価を超えてる現状を見るに、転売屋から買うようなユーザーはハナから完品・美品は求めていないし
そもそもフリマサイト使う人間がランナーだの店印だのバカ正直に書く訳ない 箱の写真撮って「未組立です」で終わりでしょ
まあ実効性より「転売対策してますよ」ってポーズの方が重要なんだろうけど
オタクがいっぱいほめてくれるしな
田端信太郎氏の最近の流れを見ていると、一人の優秀なビジネスマンがだんだん詰んでいく状態を見ているようでつらい。
俺の中で田端氏はロールモデルであり、著書も熱心に読んでいたファンであるから、メンタルに来てしまっている。心の整理のためになぜこうなったのかを書くが、誰か真剣にアドバイスがほしい。なお、本人が読めば誰が書いたか予測できてしまうため一部虚偽を混ぜている。
である。
そのギャップが人気の秘訣であり痛快だった。それを『ブランド人』と表現したのはかなりすごいセンスだと今でも思う。
大手企業の要職を渡り歩き知名度をあげていき、さらに好きに振る舞う。一介のサラリーマンからしてみると憧れる対象であり、かっこよくみえた。
しかし、ゾゾタウンをやめたあたりから様子がおかしくなる。田端大学というオンラインサロンをはじめたあたりまではよかったが、Youtubeにも手を出し、インフルエンサーが本業になった。
それでも彼本来の人気とキャラクターで人気が落ちることはなかった。しかし、Twitterでは攻撃性が高まり、Youtubeでも電通を標的にするなど、段々とおかしな方向に向かっていった。
結果として、炎上すら起きない人物になってしまった。有名企業にいた時はニュース性があったが、今では弱小のオンラインサロン主催者とユーチューバーにすぎず、過激なことをいってもその他大勢と同じ扱いをされる。はてなーからみたらもはや過去の人で、田端氏の最近の発言を目にすらしていない、という状態なのではないだろうか。
そして、今回の件である。詳細の解説は省くが、今回は相当まずいことになっている。病気の女性を揶揄しただけでなく、ANRIに対して粘着をし続けており、あの行動がかなり業界で問題視されてしまっている。
田端氏からしてみると、今までやった炎上に比べて、小規模であり問題は小さいと感じているようだが、SNS上の炎上ではなく、実際のビジネスの場で問題になっているのが危険だ。
まず、監査法人と、その周りにいる人物から、危険人物だと認識されてしまったのは大きな痛手である。とある監査法人のメンバーが集まるメッセージグループでも話題になってしまった。一言でいうと「田端氏が顧問の企業には要注意」である。
上場審査の際には、株主やキーマンはよく見られる。人物次第では上場申請が通らないが、東証が明確には基準は明かさないため、危険な可能性がある人物は敬遠されだ。堀江貴文氏と同じカテゴリにいれられてしまった。
ベンチャーキャピタルの間でも、今回の件でかなり怒りを買ってしまった。一部のベンチャーキャピタルだけならともかく、少なくない会社でなるべく距離をとりたい人物だというイメージになった。
又聞きなので本当かどうかは定かでないが古巣のLINEとゾゾタウンの中でも「田端を雇っていた」ということで一部から攻撃されているようで、かなり迷惑に思っており、役員などは怒っていると聞いている。
波及して、広告業界でも評判を落とした。Youtubeで電通を攻撃したことで再生数が大きく稼げたことを誇りに思っているようだが、電通はこういった自分たちに敵意を向けた人物は長く忘れないため、完全に虎の尾をふんでしまったといえる。
結果として、田端氏が会社の顧問や投資業をすることが難しくなった。リスクが高すぎるからである。まともなビジネスの場に出してはいけないというイメージになってしまった。このままいくと、イケハヤと同じ、上辺のビジネス論を語り再生数を稼ぎ、SNSで人を攻撃し、過激なことを言って炎上し、信者を集めて集金するポジションになっていくだろう。
俺は個人の名前で仕事が舞い降りてくるブランド人という考え方に憧れた。組織の中の一人ではなく自分の名前で仕事をできるようになりたかった。しかし行き着く先がこういう形なのか。
俺もしばらく前にやめてしまったが、田端大学の受講生も随分と減っていってしまっている。イベントにもいったが、ゲストも素晴らしく、知的でとても満足いくものだった。横のつながりもできた。ああいうイベントも今となってはもう実施できないだろう。Youtubeの再生数は未だ低くほとんど影響力がない。
「もくりで痴漢被害にあった」という旨のツイートがタイムラインに流れてきた
https://twitter.com/0shiya/status/1434281696719867904
これがずっと心の中に引っかかっている。
mocriというのは、主に同人作家の中で流行っている通話アプリだ。その性質上、非常に女性ユーザーが多い。それに目につけたか、たまたま知ったかはさておき、そういった場に性を求めてしまう男性が発生し、女性がそれを嫌がるという、典型的なセクシュアルハラスメントが発生しているようだ。実際問題として都会にはずっとナンパしてる謎の生き物がいるし、こういった問題は根深く枚挙にいとまがないなとおもう。
だが、「この漫画」の話は少し違うような気もする。痴漢に見られる嫌がらせやスリル、または性欲の押しつけというより、毛色としてはむしろ「喋りすぎてしまうコミュ障」に種類が近いような気がする。知らない人と話してみたい、通話で面白いことに出会うかもしれないという期待をいだく人間はやはり一定いて(自分には理解できないけど)、それがディスコミュニケーションを起こすと「ナンパ」「チカン」「いやがらせ」と区別がつかないという事例に感じる。
スマートフォンの普及、通信環境の向上、様々なゲーム機の台頭により、「特定・不特定関わらず話しながら何かをする」機会が増えた結果、そして社会の大きな動きも相まって、この「喋りすぎてしまうコミュ障」の問題は鮮明に可視化され、より深刻にとらえられるようになった。
言ってしまえば、コミュニケーションが下手くそであるために痴漢呼ばわりされる世界がもうすでに到来している。我々は深刻にコミュニケーションの仕方について1からきちんと勉強しなければならない。コミュニケーションとは心の動きだけで行う動物的なものではなく、技術によって行われる理性的なものではならないというのを、もっと大きな声で警告していかなければならない。
■コミュ障側に向けての話
実際問題、「喋りすぎてしまうコミュ障」の被害は、残念ながら少なくなく、深刻である。「Among us」のプレイヤーたちなどは身近な話題じゃないだろうかと思う。特にこのゲームは制限時間内に話をまとめて人狼と思われる人を探し当てなければならない(人狼は必死にごまかさないといけない)という性質上「喋りすぎるコミュ障」が強い。したがって一方的に、「集団」や「会」の意図を汲まず、喋りたいだけ喋ってしまう人間がどうしても紛れ込んでしまい、時には誰かの胃をキリキリと痛めてしまう。「自分コミュ障なんで」と自虐できたのは残念ながら10年前のインターネットまでで、今後は確実に敬遠されていくことだろう。それだけネットワークは開かれたものとなってしまった。
コミュニケーションというのは料理における味付けの様なものだ。最初は薄味で出して、「好きな様にしてください」といってトッピングを持ってきてもらうのが無難だ。一口にカレーといっても、人の好みのからさはばらばら。だが我々コミュ障はここを見間違えてしまう。「私はなんでもいけますよ!」といって自分好みにめちゃくちゃ辛く味付けしたり、「自分は料理のこと全然わからないです!」といってレシピを無視して作ってしまえば、基本的には大変な事故を起こるのだ。
特にネットワークを介したコミュニケーションはその場にいる全ての人間に開示されてしまう特質があり、これはオフラインで行われる「会合」とはまた異なる。この点にも留意し、基本的には「発言に気をつけなければ」ならない。
第二に、とりわけインターネットで呼びかけられる「募集」に関していえば、そのお題目を厳格に守ることが求められるだろう。不安であればどういった主題に基づいて人を集めようとしているのか、それについてよく確認したほうがいい(後述するが、募集する側も極力明確にしておいたほうがいい)。そこに来る他の人々も「募集をする人」や「募集文」を中心にして集まってくるのだ。「建前」や「目的」というのはコミュニケーションにおいて一番上のレイヤーにあるべき便利アイテムだ。
これはゲームに例えると簡単で、「リオレウスから出る逆鱗が欲しくて出るまで行きたいのであと三人きてください」という募集に入ってきたのに、自分が行きたいのでといって別のモンスターのクエストを貼ったら、どうだろうか。募集主が気を使って「別に一度くらいならいいですよ」といってもその募集文をよんできた人は「別にリオレウスにしか用事なくてそのモンスターに行く義理はぜんぜんないんだけど」と思っているかもしれない。人が立てている募集で出しゃばるというのはそういうことだ。考えられないことかもしれないが、喋りすぎるコミュ障というのはこういうことをしてしまう。
あくまでも募集している人間が主役であり、自分が主役になりたければ自分で募集をかけなければならない。
■募集する側の話
インターネットというのはまさに「有象無象」と「玉石混淆」の象徴だ。悪意の有無を問わず、様々な人間がいる。知らない人が勝手にめちゃくちゃなコミュニケーションをふっかけてくる時もあるし、なんなら知ってる人間がその場合だって全然ある。嫌がらせだと思っていた行動がADHDの性質だった、悪意だと思っていたら単純に能力が低いだけだった、馬鹿にされていると思っていたら単純に生活レベルの違いだった。この様なことが平然と存在する(逆にいうと日常生活ではそういうものと自然と境界を置いていると思うとヒトの社会性ってすごい)。そしてもっと言えば、これらの事情が大衆の面前で明らかになってしまうことをが往々にして存在するのが、インターネットの恐ろしいところだ。「遅い!なにをやってるんだ!」と怒鳴りつけたら「すみません、実は生まれた時から足が不自由で…」と義足を見せられる様なクリティカルな状況を人がめちゃくちゃいる交差点でやる、みたいな現実ではあり得ないことをワンチャンやりかねないのがインターネットだ。
くだんの漫画で言うならば、「もくりは男性が使っているイメージがなかった」「知らない人が入ってくるとは思っていなかった」が正直に言えば甘い。運転免許の問題みたいなことを言うが、相手がボイチェンしている可能性もあるし、自分のフォロワーのコミュニケーション能力が最悪の場合もあるからだ。多様化する社会事情を鑑みれば、当然「性的被害は異性間に限る」という無意識も捨てたほうがどのみち安全だ。
正直に言えば、喋りすぎるコミュ障に対しての対処法は無に等しいと思う。基本的にこっちが強く出るしかないのに、彼らは出しゃばってくるからだ。
だが対処法といて、「建前を強く使うこと」と、それのために「建前をきちんと用意すること」は非常に大切だと思う。友達の主催するAmong usにいったときはギチギチに組まれたローカルルールのおかげですごく快適に遊べてびっくりした。これももちろん「ゲーム歴も付き合う歴もばらばらな人間と一緒に一つのゲームを楽しく正しく遊んでもらう」という強固な建前の上に成り立ったルールであり、その説明があるから納得がいくのだ。
この人の様に、自分のフォロワーがくるかもしれないという気持ちで待っていたら全然知らない人がきたというのであれば「初めて見る名前ですけど、ツイッターのフォロワーさんですか?」(ちがうなら)「ごめんなさい、フォロワーさんとやろうとおもってたので……」「これってフォロワー限定とかにできないんですかね、次からわかりやすくしますね」といかなんとかいってまず素直に追い出すべきだった(たとえ相手がチカンじゃないにしろ、男が入ってくるとは思っていなかったのだから)。それで食い下がってきてやっと「キック」というのが、やはり順序としても正しい。
当然だが、世にはきちんと「悪意」が存在している。この相手にすべきでない悪意を排除したい時に「悪意ではなかったケース」が邪魔するのが、最も避けるべきことである。また相手に悪意がないにしろ、自分が不快に思ったその感情自体はかわらない。そのためにはやはり「強固な建前」が必要だと感じる。「目的や趣旨と異なるため」「ルールに反するため」もちろん「私が主役の会なので私を不快にさせるなんて意味わからんでしょ」でもいい(言えるなら)。必ず作ったほうがいい。
作業通話相手や一緒にゲームをする相手を募りたいという簡単なことなのにそこまで覚悟しないといけないのか?と言われれば……「そうです!」としか言いようがない。なぜなら気の合う友達とわいわい話しながら何かをすると言うのは、通常ほとんどの人間にとっては難易度が高く尊いものなのだ。新しく得ようとすれば難しいし、すでにあるなら必死に抱きしめて大事にしなければならない。「知らない人とのやりとりがおもろかった」みたいな話は、当人、もしくは相手のコミュニケーション能力の上で成り立っている。この二つをどうかゆめゆめわすれてはならない。
そもそもの
「安全が確保されている状態ってのがあって、それを満たしてたら派遣してOK」
とか
とか、そういう無理矢理な歴代自民党の海外派兵の理屈自体がずっと左派から批判されてきたのに
なんでみんな今回はその自民党の「派兵そのもの」の理屈に全乗っかりした上で成功だ失敗だってことの議論してるのか?
外務省の失策は攻められるべきだけど、同時に派遣自体がおかしいはずだろ?憲法違反だろ?
俺には巧妙に黙るところと攻める所をコントロールしてるように見える。
地対空ミサイル用のフレアばら撒きながら離陸するようなところが「安全が確保されてた」のかよ?
※これに対して外交力の差の話をしてる人がいるが、そこは否定してないんだよ。外務省の対応に問題があり叩かれるべきだってのは同意してる。
で、同時に法的問題として(ある種切り離された個別の問題として)自衛隊も飛ばすべきではなかっただろってことを言ってんの。これまで言われてきた通り憲法違反なんだから。
そこを言っちゃうと、そして飛ばさないという判断が実現しちゃうと、外交力の差「だけ」が要因っていう理屈が維持できなかったから黙ったんだろうけどな。
※野球の例えで言ってるやつもいるが、敬遠か勝負かなんていう次元じゃなく「ルール違反すんな」ってレベルの話であり、この極めて重要な点をみんなしてスルーして作戦どうこう言ってる光景はなかなかおかしいと思うぜ。スポーツ観戦でも、ルール違反のプレーが展開されてたらまずそこがツッコまれるだろ常識的に考えて。
※フレアは象徴的な例として出しただけだけど、一応言うとフランス軍が(21日〜22日くらいに)撒きながら離陸してる動画がある。テロ後の米軍もやってたかな。
今回はそういった所について改めて整理していきたい。
・上下関係
・ローテーション
・コスト
・フェイズ
昨今は風潮として「同じコストのカードなのにレア度で性能が大きく違うのはゲームバランスが壊れている」という考え方が広がっています。
しかしMTGでは実際に同一性能でコストが全く違う・同一コストで性能が全く違うカードが複数あるわけです。
・ローテーション毎のバランス調整
・拝金主義
まず、ローテーション毎にバランスは大きく変わるということです。
これは単にインフレのみを意味せず、強力なカード群のスタン落ちに伴うデフレ等が実際に存在しています。
またローテ毎に特定の傾向が持たされており、その結果として過去に出たカードの上位互換・下位互換が多数生まれます。
次に、MTGでは他のTCGでおまけとして扱われがちなリミテッドが盛んであり、むしろ誰でも強いデッキをコピペすればいい構築戦よりリミテこそがメインのモードだとも言われています。
リミテッドにおいてはレア度ごとにカードの数が決まっているため構築のような「同じコストで性能が違うならレア度が高いほうだけ入れればいいじゃん」といったことが起こりにくくなります。
この「レア度が高いカードは性能が高い」といった部分が「それぞれが数枚だけ切り札のようなカードを持って試合に望む」といったゲーム性を生み出すことがリミテの売りとも言えます。
リミテのバランス調整が極端に働くと「このカードが何枚もデッキに入るようになるとリミテッドのバランスが崩れるのでレア度を上げる。が、同時に似たような性能のカードがこの色において少なすぎても駄目なので下位互換を低レアに入れる」といったことが起き、その場合は同じパックの中でほぼ完全な上位互換・下位互換の関係となるカードが出ることもあります。
最後に拝金主義ですが、これはもうMTGが商売で作られているのでレアカードめっちゃ強くしてめっちゃ売りたいという話ですが、まあこれはもう商売なんで……はい……。
これについて「2年でカードが使えなくなるからクソ」という意見もありますが、心配ありません。
スタン以外にも下環境と呼ばれる2年以上前のカードも使える環境がございます。
ただしこちらの環境では過去に出た数多くの凶悪カードが猛威を振るうバランスのぶっ壊れた世界となっております。
逆に言えば、そういった凶悪カードの跳梁跋扈を食い止めるために2年毎の制限で邪悪な組み合わせが制限されているのです。
MTGプレイヤーからすれば一度出たカードがずっと使え、同じデッキだけが勝ち続けるのを防ぐのはインフレのみという環境のほうが世紀末に思えます。
MTGの土地システムはいまや古典的なコストシステムとされており一部プレイヤーからは敬遠されています。
確かに、あと1枚分の打点で勝てそうな試合が土地を連続で5枚引いて負けるとガックリ来ますし、土地がずっと1枚2枚のままで試合が終わるとキレそうになります。
ですが土地というシステムが生み出すギャンブル性こそがプレイヤーに状況に合わせて動きを変える柔軟性を問うのだと私は思っています。
今、多くのTCGにおいて「ネットから持ってきたデッキで、同じような動きをするやつだらけになっている」ことが問題視されています。
MTGの土地システムは多くの事故を生み出すことでこのような状況に対してプレイヤーに様々な負荷をかけ真のプレイングを問うていると思います。
また、土地という足枷があるからこそ複数の色を組み合わせた混色デッキがゲーム的に成立するのも事実です。
ハッキリ言って、「デッキの色(クラス)毎に入れられるカードが決まっています」というタイプのTCGはバランス調整とデッキ構築性の間にある難問を全て投げ出した怠惰なゲームのように思えます。
『フェイズはフェイズでしか表現できない効果だからフェイズなのです』
もういっそ理解を諦めてコンピューターゲーム版だけで遊びましょう。
あらゆる状況をコンピューターのジャッジに丸投げしてしまえば楽ちんです。
2004年のはてなアンテナから参入し、今年で18年目の古参と言ってもいいと思うのだが、自分には一才の文才がないと思っているし、過去いくつかブログをやってきたが文章でバズったことは一度もなく、ましてや見ず知らずの人の心の琴線に触れるような情緒的な文章や、披露するに値するような専門知識もない自分にとっては、増田に投稿することをずっと敬遠していた。
昨年9月にふと何の気無しに投稿をしてから、気が向いては適当な文章を書くようになった。
ちょうど一年が経過したので、どのくらい読まれたかを振り返った。その成果は以下の通りである。
エントリ数:96
0ブクマ:79
野球に例えて、1ブクマ以上を安打とする場合、96打数17安打で打率は.177で二軍落ち間違いなし。直近は16打数ノーヒットで復調の兆しも見えず。
1ブクマを安打、2ブクマ〜9ブクマを二塁打、10ブクマ〜99ブクマを3塁打、100ブクマ以上を本塁打とする(激甘判定基準)と、長打率は.404で散々たる成績である。
全エントリの半分くらいはブクマもコメントもされておらず、ネットの海に漂う藻屑と化している。
定期的に増田に投稿している他の人もどうなのか知りたいところである。
個別データは以下の通り。数字ははてなブックマークのブックマークされた数を示す。ちなみに、セルクマは一切やっていない(えらい)。
↑古い
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↓新しい
今日は家にこもってるわよ。
いや多分コロナのたぐいではないから安心してほしいんだけどちゃんと履いてるわ。
ひどくなったら薬を飲むってやつを繰り返しているんだけど、
痛みが辛くて夜も寝れなくて、
でもだんだんと薬を飲んだら
どのぐらいの時間で効き目が出始めるとか、
どのぐらいの時間で効き目がなくなってくるか、
なんとなくわかってきたので、
よく寝れるように逆算して就寝時間に痛みの無いようにしているわ。
でもあとお薬が5錠しかなくて、
それまでに改善してくれることを願うけど、
こればっかりは待つしかないみたいなのよ。
とりあえず薬が切れることが恐怖だわ。
籠もってるからこそ
ゲームやりたい放題、
なんかそんな気力はなく、
ただただじっとして過ごしているだけよ。
これしか、
チャンスタイムってことにするわ。
あと常備食も常にやっぱり常備しておくことも大切だわ。
インスタント食品とか、
意外とお米はあっても炊くまでの気力がなかったり、
やっぱりカロリーメイトとかそういうのもある程度常備しておいたほうがいいわね。
今日の教訓よ。
常備したほうがいいわねって
冷蔵庫の食料もそろそろ底をつきそうよ。
今日はこのぐらいにしておくわね。
ひっそりと残っているリソースを削りながら過ごす感じもたまにはいいわね。
いや!
よくない!よくない!
それかけて食べたら美味しかったわ。
味の濃いものが恋しいわ。
あれは強力すぎて今は敬遠したいところよ。
それをガブガブ飲んだわ。
飲んでるつもりでも
体内は水分不足担っているようで、
まあ気をつけるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
コロナウイルス:世界はニュージーランドの封鎖の動きにほぼ1週間反応します
ニュージーランドが封鎖されて6日目に入ると、世界はCOVID-19の発生の中で国を閉鎖するというアオテアロアの動きに反応しています。
現在、発生は107件あり、そのうち35件が月曜日に報告されました。
ジャシンダ・アーダーン首相は月曜日に、ニュージーランド全土が少なくとも金曜日の午後11時59分までCOVID-19アラートレベル4の封鎖に留まり、オークランドは火曜日の少なくとも同じ時間まで封鎖されると発表しました。
オークランドで1件の事件が見つかった後、先週の火曜日に国は警戒レベル4の封鎖に入った。それ以来、世界は、単一のCOVID-19症例に続いて封鎖するという決定について、当惑に反応してきました。
GBニュースのマーク・ドーランは、ニュージーランドを封鎖したことでニュージーランドとジャシンダ・アーダーン首相を狙った。ドーランは彼のイブニングショー、マーク・ドーランとの今夜のライブで独白を制作し、封鎖とニュージーランドが「通常に戻る見込みがない」と批判した。
「ニュージーランドでは事態は悪化の一途をたどっています」とドランは言います。「聖人の首相、ジャシンダ・アーダーンは人々に隣人と話をしないように注意を促した。
「ニュージーランドを2つに分割して、インディアンデルタの発生と戦うという話もあります。これは、ニュージーランドが21件の待機を記録しているためです。
「オーストラリアとニュージーランドは、今後数年とは言わないまでも数か月間は正常に戻る見込みがないため、COVIDのようなウイルス、特にデルタ亜型を阻止しようとするとどうなるかについての有益な教訓です。
「このウイルスと一緒に暮らすことは、町で唯一のショーになるでしょう。ゼロCOVIDは、ゼロ経済、ゼロ社会、ゼロ自由、ゼロ民主主義につながります。」
UKTelegraphのLouisAshworthも、現在のCOVID-19アプローチは「過去への一歩を踏み出す」ようなものであるとアーダーンに狙いを定め、ニュージーランドがその排除戦略を将来も継続できるかどうかを疑問視しました。
「トイレットペーパーの不足。強制マスク。単一のCOVID-19スプレッダーの動きに夢中になっている国。ニュージーランドの現在のニュースサイクルを見るのは、過去に一歩踏み出すようなものです」と彼は書いています。「いわゆる「オークランドクラスター」は、世界最南端の国でのウイルスのほとんど信じられないほどの制御の期間を終わらせると脅迫しています。
「この国は現在、近隣のオーストラリアと共有されている「ゼロCOVID」戦略の最後の真の支持者であり、同様に低いワクチン接種率の中で独自の努力が崩壊しているのを見てきました。」
Telegraphはまた、ニュージーランドのワクチン接種の展開が遅いことを例外とし、私たちの「待って見る」スタンスの不足を説明しました。
「接種率が低いことは、ジャシンダ・アーダーン首相の政府が昨年取った「待って見る」スタンスの不足を示しています。昨年秋に線量を確保するためにスクランブルをかけたコロナウイルスに国際的な仲間がさらに窮地に立たされたため、ウェリントンはより慎重になり、試験情報を待っていました。最悪の影響を受けた国々を優先するよう呼びかける」と述べた。
テレグラフの別の作家は、ニュージーランドをレベル4の封鎖に移行するというアーダーンの決定について残忍な意見記事を書いた。マシュー・レッシュはこの決定を「詩的な正義」と呼び、ニュージーランドのアプローチは「恐ろしい結果」をもたらしました。
「私たちは今ワクチンを持っています」とレッシュは書いています。「独創的なジャブは、ウイルスによる入院と死亡のリスクを大幅に減らします。それらは、リスクがゼロであること、さらに言えば、症例がゼロであることを意味するものではありません。
「しかし、彼らは計算を変えます。排除は非常に限られた利益で費用のかかる戦略になります。ワクチンが混在していれば、もはや個々の人々にそれほど害を及ぼさないウイルスの封鎖と閉鎖境界の維持のポイントは何ですか?
「ニュージーランドはこの実現に至っていません。過去17か月間、「ゼロリスク」を崇拝しており、戦略の更新にはほとんど関心を示していません。
「ニュージーランドのゼロCOVID戦略は恐ろしい結果をもたらしました。
「かつて歓迎されていた国は孤立したディストピアに変わりつつあり、そこでは自由が鼓動で奪われ、部外者は敬遠されます。破壊的で心理的に破壊的な封鎖の絶え間ない脅威の下で生きています。
「市民の旅行能力が制限され、外国人の入国が大幅に妨げられたため、世界に閉鎖された。アーダーンが計画した開かれた、歓迎的な自由主義国家にとっては、これだけだ」
世界はニュージーランドを批判しているかもしれませんが、キウイはユーモアのセンスを失っていません。ハッシュタグ「#NZHellhole」は、当初、ドナルド・トランプ前米大統領がCOVID-19の対応でニュージーランドを呼びかけようとしたことに対する対応でしたが、先週火曜日にニュージーランドが封鎖されて以来、再びトレンドになっています。
あるツイッターユーザーは、「4か月前にオーストラリアからここに引っ越しました。ひどいです。この#NZHellholeに近づかないでください。嫌いです!」
Google翻訳による
まず可愛いは作れる同様にモテは作れる、この前提は誰でも知ってると思うが大事なことなので一応。
基本的に、男らしければモテる。ジェンダーロールにガンガン忠実にいけ。
昨今多様性とか叫ばれてるしそれを否定もしないが、多数派は圧倒的に多様性とは正反対のガチガチテンプレが大好きだ。
チビでも気にすんな、ブサイクでも気にすんな、デブは限度はあるがそれでも気にすんな、メガネは店員に選んでもらうかコンタクトにしろ。(ちなみに増田もメガネだ)
むしろチビデブブサくらいコンプされてると明るく自虐できる。自虐で場を盛り上げるのは敬遠されがちだが、それは心のどこかに「それでもあなたは素敵」とか「いっそ笑い飛ばしてくれ」と求める気持ちがあるせいだ。そのくだらんプライドはぶん投げろ、オナニーでもしてティッシュと一緒に捨てとけ。
自虐に見返りを求めなければ不思議なことにモテる。求めない場合こそ見返りがあるってのは皮肉なもんだが、見返り求めまくりの男が男らしくないのは非モテでもわかるだろう。
大体の男はそこまで酷かないだろう。
けど結局、チビだろうがブサイクだろうが貧乏だろうがなんだろうが気にすんなってのは変わらない。
ただ堂々としてろ。優しくしようとか変に意識する必要はない。人並みに良識があれば過度に気を使うことはない。そもそも女にヘコヘコへりくだる男は好かれない。さっきも言ったがジェンダーロールに忠実になれ。女は俺の後ろをついてこいって気持ちを持て。
堂々としろってなんだよ!ってやつもいるかもしれないが、とりあえず姿勢を正しておけ。あと、肩幅よりも大きく腕を広げる癖をつけろ、とりあえず腰に手を当てるとかだな。孔雀かなんかにでもなった気分でいとけ、少し邪魔にも見えるだろうが良識の範囲で通行の邪魔をしなければ問題ない。
もし不安になることがあったり緊張することがあったら、その時点で「ちょっと不安だから、少し調べるね」とか「俺緊張してるよ」とか言っとけ。
内容は何であれデート中に起きた何かは隠そうとするな。何か隠そうとコソコソするとそれだけで男らしくない。
ところでさっきここまで書いたところで一度誤爆投稿した。チラッと見た人も居ると思う。なのでこの増田は一度削除したやつの加筆再投稿だ。
とまぁ、何か不安な事とかはこういう具合に言ってしまえ。それがカッコよく見えるってことはないだろうが、マイナスになるのを防げる。
男から見るとマイナスだと思うやつもいると思うが、男の非難なんてモテの前では無価値だ、気にすんな。
男らしく堂々とするってことが出来てれば、そこらへんのイケメンよりモテる。
無論、男らしく堂々としたイケメンにはかなわないんだが、意外と男らしいイケメンってのは少ない。まぁイケメンってだけでモテるから、上を目指す必要があんまないんだよな。
少し話が逸れた。
↓↓
「ん~~~、俺はこう思ってるんです。人々の出会いは先手必勝だと。
どんな魅力的な女性でも、出会いが遅ければほかの男と仲良くなっている可能性もある」
「なら出会った瞬間に自分が相手に興味があることを即座に伝えたほうがいい、速さは力です
興味をもった女性には近付く、好きな女性には好きと言う、相手に自分を知ってもらうこと
から人間関係は成立するのですから。時にそれが寂しい結果を招くこともあるでしょう、
かの有名な兄貴のセリフだ。あいにく速さが全てを解決してくれることはないものの、大幅に勝率は上がる。
↓↓
「お口にあいませんか?」
(中略)
「それより、食事を楽しみましょう」
「食事は人の心を豊かにし、エネルギーと明日への活力を生み出してくれます、ここに速さは
必要ありません、味を堪能するために歯で噛み砕いて食べ物を胃へと流し込む」
要は、相手の好みを探りつつ、自分との食事が楽しいことだと印象付け、そして女との食事をゆっくり楽しむ。
このゆっくり楽しむってのがキモだ。食べるペースを合わせてみたり、相手が食べている時に少し話を聞かせてみたり。
こういう時の話題は、イエスかノー、あるいは首を振るだけで答えられる同意を求める系がいい。
んで、本題というかタイトルなんだがそうやってモテ始めると、やっぱスクライドって神だわという真実を本当の意味で理解出来るんだ。
自分は女だけど、TwitterなどのSNSで流れているフェミニズムには賛同できないなと思った話。
とあるラジオでパーソナリティがセクハラめいた下ネタを発して、一部のリスナーの間で物議を醸した。
その発言はネット上で公式にアーカイブとして残っていて、当初、コメント欄にはクレームがひとつふたつ入っていた。
そのひとつに「BPOに通報しました」というコメントがあった。
公式サイドに直接クレーム入れるんじゃなくていきなりBPO? ていうか、わざわざここに通報したことを書き込む意味……。
色々ツッコミどころは多かったが、色んな段階をすっ飛ばしてBPOに通報したことに引っかかった私は「いきなりBPOではなく、まずはラジオ局やパーソナリティ本人に意見を出した方がいいのでは?」とコメントしてみた。(パーソナリティはSNSをやっているので、個人でコンタクトを取る方法はある)
それに対して、こういう返事が来た。
「どうせラジオ局は聞く耳持たないし、パーソナリティにDMを入れても見てもらえるか分からない」
いや、ここに書き込んだら何か変わると思ったの? あと、なぜ「聞く耳持たない」とか「見てもらえない」とか勝手に決めつける?? 相変わらず、ツッコミどころは多い。
「どうせラジオ局は聞く耳持たない」という文章が気になった。内容から察するに、以前にもクレームを入れたことがあったが聞き入れてもらえなかったようにも取れる。
しかし、よくよく聞いてみるとその人はラジオ局に直接意見を送ったことがないらしい。これからも直接意見するつもりは無いという。
また、パーソナリティへクレームを送ることに関しても、「個人がパーソナリティに対して直接DMするなんてあり得ない(※非常識という意味?)」とのことだった。
その時点でこの人とやり取りするのはやめた。
理由は2つある。
何を言っても屁理屈で返してきそうな人だったので、これ以上やり取りしても場を荒らすだけだと思ったのがひとつ。
そして、「この人は自分の主義主張に責任を持ちたくないんだ」と思ったのがもうひとつ。
そのうち、陰でこの様子を眺めていたのであろう人たちが先の人に連なるように「パーソナリティの発言でどれだけ自分が嫌な気持ちになったか」というお気持ちをコメント欄で表明し始めた。
後からぞろぞろと現れた人たちもおそらくラジオ局やパーソナリティ本人に直接クレームを入れる気は無いのだろう。ここに書いておけば見てもらえるかもしれないと思っている。
ただひたすらアホらしいと、私は無責任な人たちを冷めた目で見ていた。
Twitterを始めとしたSNSではフェミニストの活動が盛んになっている。
私も女性だし、「これからの時代、女性はどうあるべきか」といったことには少しは関心がある。
この流れに与してる人たちの中で一体どれだけの人が本気で声を上げてるんだろう。
本気で世の中を変えたいと思っているなら、誰かや何かを隠れ蓑にしないで真っ向から声を上げるはず。そして、自分のお気持ちだけを主張するのではなく、相手と対話を図ろうとするはずだ。
それをしないのはどうせ本気じゃないからだ。「誰かが変えてくれる」と思っている。
こういう人ばかりだから、ネット上での「フェミニスト」という言葉は蔑称の意味を帯びているのだ。
誰かがお気持ちを表明しては、他の誰かが臭いものに蓋をするようにフェミニストを敬遠する。
このループはまだまだ続くのだろう。
球児2「バブル方式で開催する。感染拡大の恐れはないと認識している」
球児7「『野球をするな』ではなく、『どうやったらできるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
球児8「もしこの状況で高校野球がなくなってしまったら、大げさに言ったらデッドボールかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて試合する為に朝日新聞だけじゃなく試合を期待する高野連はやってきている」
球児9「視聴者に感動を与えたい。高校野球はコロナ禍における新聞社の収入源」
球児10「我々は野球の力を信じて今までやってきた。別のファウルラインから
見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
球児11「(高校野球中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。
そういう形でキャッチさせていただく」
球児13「高校野球が感染拡大につながったエビデンスはない。敬遠のサインは出さない」
球児14「(高校野球について)国民は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
球児15「スイングすることで緊急事態下でも得点されるということを視聴者に示したい」
球児17「野球をプレイするという認識。ベースボールをするという認識ではない」
球児19「試合しないのはより悲しいこと。COVID-19に負けたということは
国民に知らしめたくない」
球児21「実際大会をしたら、大会に反対していた国民もやっぱり実施して良かったと言い出すに違いない。」
球児24「安全、安心な大会を実現することにより、希望と勇気を視聴者の
皆さまに届けられると考えている」
あまりにも視聴者が少なすぎるんよ。せっかくのアイマス新作なのにさ
https://live.nicovideo.jp/watch/lv332853278
15,225人
https://www.youtube.com/watch?v=23nd1miGSWQ
37,484 回視聴
youtubeは視聴回数=人数としても、ニコ生と合計して5万人しか見てない
というかアイマス生放送は親和性の高いニコ生のほうが強いかと思ったけど、みんなyoutubeでみるようになっちゃったね
んで、前回はどうだったかというと
https://live.nicovideo.jp/watch/lv332573144
23,874人
(アーカイブ削除済み)
47,357 回視聴
合計7万人。
タイムシフトやアーカイブ視聴があったとしても、こんなにも前回と今回の違いが出るのかと。
この辺からyoutubeのキャッシュも辿れないのでニコ生のみ
https://live.nicovideo.jp/watch/lv330233813
33,507人
さすがに発売日の告知とあっては視聴する人が多かったか
https://live.nicovideo.jp/watch/lv329674124
28,573人
まぁ3回目よりは多いので期待がもたれているか
https://live.nicovideo.jp/watch/lv328226558
42,475人
ニコ生だけで4万は強い。発表されてから音沙汰がなかったところからの生放送での発表なので興味があった人が多かったのではないだろうか。
しかし、今回の生放送視聴人数の3倍となっており、今では興味がある人もいなくなってしまったのかもしれない。
・据え置き機ゲームのプロデューサーのしゃべりや進行がヘタすぎる
・アイマス4ブランド合同のゲームなのに、各アイマスブランドからアイドルが5人くらいしか登場しないので、好きなアイドルが登場しないことに怒った人が離れた
・上記にはSideM(女性向けアイマス)が含まれていないので、女性が離れた
※女性と男性で3Dモデルの骨格が違いすぎるので、主にダンスモーションをあわせるのが辛そう。女性曲が中心なので、男性が女性歌唱の曲のダンスをするとなると……
・初期の頃の見た目からかけ離れていて好きではない人が離れた。
※この場合の初期とはアーケード版やXBOX360版ではなくアイマス2やアイマスOFAのことを指す。最近のプラチナステージやステラステージの見た目も好きじゃない人が離れたようだ
・ウマ娘のほうがライブ演出が良いのでアイマスではなくウマを応援する人が増えた
※スマホレベルでの演出としてはウマはすごい方だけど、据え置き機のほうがスペックぶん回してステージギミックの演出をしているので個人的にはアイマスのほうが好き
・直近2作の据え置き機版アイマスゲームが失敗していたので敬遠している人が多い
僕はコンシューマ、モバイルゲームのプランニングをかれこれ10年ほど仕事にしてきた。
コンポーザーやサウンド関係者ではないが、ビデオゲームとゲーム音楽を愛するものとして、
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
もちろんゲーム開発者の総意ではない。僕と正反対の考えを持つ人もいるだろうから、
記事全体を通して、あまりに政治色が強いことは言うまでもない。
「ハードコアゲーマーのためのWebメディア」を標榜できる記事か?主目的が選挙活動になってないか?
と思わなくはないが、メディアとしての方針はひとまず置いておこう。
さて、多くの人が指摘する「開会式エアプ」問題も確かに引っかかるのだが
故意か意図せずか、突っ込みどころの多いこの記事で、僕が一番に問題だと感じるのは
同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたこと
この部分だ。 "恥ずかしげもなく" "振りまきだした" 。
つまり、記者はオリンピック開会式に使われたゲーム音楽を楽しんだ人々、喜んだ人々は恥を知れと。
多くのゲームファン、ゲームクリエイターたちを愚弄し、侮辱し、見下す、許しがたい、呪いに満ちた1文だ。
不祥事や問題点の多いオリンピックなのは事実だろう。コロナ渦に悪影響がなかろうはずもない。
しかし、オリンピック開会式に選手の入場曲としてゲーム音楽が使われたことを
数多の素晴らしい音楽を差し置いてゲーム音楽が採用されたことを、純粋に喜ぶゲームファンに
僕自身、開会式を見ていて安直なゲーム音楽の採用という懸念を感じなかったわけではない。
他の演出にゲーム的要素が無く、文脈的に浮いていたように思う(全体的にちぐはぐだが)。
しかしそれはそれ、これはこれ。ゲーム音楽とオリンピックの是非は分けて考えるべきだ。
必要以上に政治的な意味合いを「一方的に」含ませ批判するのは、マッチポンプに等しいのではないか。
また、この記者はオリンピックに関わった全てに政治的関連性を見出し、憎み、批判しているのだろうか。
開会式の大工、タップダンス、ドローン、ジョンレノン、パントマイム、マンガ……。
スポーツ、各スポンサーの商品を買う人々、なんなら東京都民全てを呪っているのか。
結局、「ゲーマーは簡単に論破できそう」「ちょろそう」だから政治色の強い記事をぶちこんではいないか。
ゲーム音楽の政治利用と批判しているが、僕にはどちらかというとこの記事の方がゲームの政治利用に見えて仕方がない。
別の箇所を引用しよう。
そんなことはない。
開会式で採用されたゲームシリーズだけ見ても、反権威的な作品もあれば、権威迎合的な作品もある。
ここらへんから、ビデオゲームというあまりに漠然とした概念の中に反権威的な自己の理想を投影している記者が
勝手に裏切られたと感じて癇癪を起こしている稚拙な文章だと言わざるをえない。
全てのゲームが同じ思想のもと作られているわけがない。それは記者の認識よりも自由でカオスな存在なのだ。
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ。オリンピック開会式が本当にゲーム文化をリスペクトしたものであったか、そしてそもそも東京オリンピックがこのまま行われるべきなのか、今一度考えてみてほしい。
おそらくここが一番主張したい部分なのだろうが、ご覧の通り選挙活動である。
投票数の中のゲームファン比率など集計されるわけがないので、これは卑怯な詭弁だ。
開会式やオリンピックを楽しんだとしても与党・野党どちらに投票しても良く、そこに矛盾はない。
ゲーム文化云々ではなく、税制や政策を見てそれぞれが決めれば良いことだ。
余計なお世話かもしれないが、このような煽り文章で記者の支持政党が有利になるとは僕は思えない。
行き着く先は分断と争いであって、改心と一致団結ではないだろう。
この問題の根が深いところは
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
宮崎 紘輔
婚活において、「普通の男がいい」は良く聞くが、女verはあまり聞かない。軽く調べても「それは理想では」という記事が目についたので、自分が考える(≠求める)普通の女性を書いてみる。なお、都内を想定している。
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■年齢:±3歳、男が35超えると±5くらい。若ければ若いほどってのは、理想の話だろう。いや、本当にそれ理想か?大抵の男はそんなアホではないと思う、思いたい。
■容姿:容姿において、女性が求める男性の普通は「清潔」「痩せすぎず太り過ぎず(標準体型がいいのではなく、恐らく極端な体系は好みが別れるだけだろう)」あたりで、自分もこれは異論ない。が、女性だとここに化粧が加わる感じか。スッピン婚活は大抵の場合厳しいように思うというか、スッピンで大丈夫な女性は、普通ではないだろう。
■性格:言語化難しい…が、なんだろ、会社で言えば社内外問わず変な軋轢作らない人?
■学歴:うーん、専門卒以上?
■年収:年齢によるが、仮に30歳なら400はあって欲しい。
■経済感覚:一人暮らしで家計を回していれば。一回も実家出てないのはちょっと怖い。ブランド買い漁るのとかは×。そんな類型的な奴にあったことないけど。
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上記であれば大抵の男は付き合いたい、と思うかはわからないが初対面からNGってことはないだろう。
難しいのは年収か?2021年の女性の年収中央値は30代で283-289万円らしい。男性とは80万くらいの差がある。ただ、地域差が激しく神奈川と都内でも平均で80万くらいは違うようだ。都内勤めなら30歳・400万は、そこまでムリな数字でもない気がする。仮に上記条件の女性が結婚相談所行ったらどうなるんだろう。「普通の男性」は引く手数多らしいが。
東京五輪が開催され、五輪について賛成か反対かで世論は真っ二つになっているようだ。しかし、意見の異なる両者が現実空間で真向からぶつかることはあまりない。どちら側の人もお互いを敬遠し合っているか、その場の空気を読んで波風立てずにいるのだろう。そこはそれ、我々は良くも悪くも日本人ですからね。
では現実空間を離れ、ネット空間における限界集落、そのはずれの庭石の裏に棲みつくダンゴムシ、こと増田たちの間では東京五輪についてどのような見解が交わされているのだろうか?ここ数日でブクマの付いた増田記事を、賛成/反対/傍観にざっくり分類、列挙してみた。
■賛成派
思考停止派 【金メダルの威力が絶大すぎる。もう同僚と昼飯食ってても五輪面白い、あの試合は凄いって話しか出てこない。】
https://anond.hatelabo.jp/20210726141309
https://anond.hatelabo.jp/20210725153418
https://anond.hatelabo.jp/20210723225938
ttps://anond.hatelabo.jp/20210723223439
■反対派
https://anond.hatelabo.jp/20210726181224
理性派 【オリンピック楽しむことは悪いことじゃない←そんなわけがないだろバカ】
https://anond.hatelabo.jp/20210726190351
https://anond.hatelabo.jp/20210725204842
■傍観派
https://anond.hatelabo.jp/20210726124449
https://anond.hatelabo.jp/20210725225651
靴擦れしない靴ってこの世にあるのかしら? と常日頃思っていたのだけれど、ついに運命の出会いを果たしたのがひと月前のこと。
水商売のキレイなお姉さんしか似合わないでしょう、と思って敬遠していた""ESPERANZA""のヒール、これがとっても歩きやすい! それにヒールが7.5センチもあるの!
私はいつ何時でもヒールしか履けません。ヒールを履きたがらない女の子はよく見るけれど、案外同士には出会ったことがない。
なんて他人に語ったら馬鹿にされると分かっているので、普段は口にしません。
でもね、これは嘘なんかじゃないの。私の眺める世界はいつだって+7.5センチに広がっている。ヒールの高さは私が臆病者である証。ありのままの世界と向き合えない、弱さの証。
おとなになればなるほど新しいものに触れることを拒むと言うけれど、どうやら私もその一人らしい。一度はじめてしまった背伸びをやめて、±0センチで生きてゆくのって、世界が根底から覆ってまっさらなスタートを切るみたいで、怖い。
街中の風景に溶け込む私は、今日もフラットシューズで軽やかに走る女の子を目で追っていた。私もあんなふうに、ぺったんこの地面を蹴り上げてみたいものだ。