はてなキーワード: オリキャラとは
個人的には、現状は男性向け>>BL>夢>CPなし年齢制限なし>女性向け男女CPという認識。BL>CPなし年齢制限なし>男女CP≫夢のところもある場所もあるだろうとも思う。育ってきたジャンルで認識は大きく違うという感覚。男性向けと女性向け男女は違う印象。BL夢(男主)は観測範囲外のためよくわからないが、女主夢やBL、男女よりは下になる認識。感覚としてはCPなし年齢制限なし以外どこも殴り合っているため、きれいなヒエラルキーとは言い難いと思う。GL(百合)はよくわからない。属性としては女性向け作品によく入り浸っていて、男女が基本的に好きな夢やBLやGLもものによってはいけるタイプ。BLとGLだったらGLの方がよく見る、夢はCPなしのようなものの方が好き。乙女ゲームだと自分としてプレイするのではなく、ヒロインと攻略対象をヒロインの体からのぞき見する感覚でプレイする。プレイヤーがコントロールできる少女漫画として楽しんでいるともいえる。2010年くらいから同人を見るようになって、途中でpixiv一本になったROM専。認識にはpixivやツイッターの存在が大きい。
1、BLについて。乙女ゲームがきっかけで二次創作を知り、同じサイトで扱っていた少年漫画ジャンルも割と見るようになったりと同人サイトに入りびたりになった。乙女ゲームなのに攻略対象者同士のBLを見つけてしまったり、女性向けゲームの雑誌でBLゲームコーナーが多いのを知るなど個人サイト時代からBLの存在は知っていた。乙女ゲームがきっかけでpixivを知り、入り浸るようになった後に某少年漫画が流行し、ハマった。女性ファンばかりなのもあって、二次創作を見るとBLが圧倒的だった。主人公とヒロインにも萌えていたが、BL作品や作者に比べると圧倒的に少ないと感じた。それからというもの女性ファンが多めのジャンルだと、元がなんでもBLばかりで検索除外しようにもCP名しかつけてないのもあったり、女キャラをBLのために雑なキャラ崩壊させるのが多かったりするというのが閲覧者として多く感じた。原作での女キャラとの恋愛描写に文句を言ったり、想定以上の女キャラへのヘイト感情が高かったり、BL以外のCPにマウントしたり、単語の意味を乗っ取ったり、ネット上で暴れたりする人などマナーが悪いなと感じることや、それへの全体的な対処の雰囲気がないように感じた。おそらく人数が多いからマナーが悪いままの人もいるとは思うが、人数が多いからこそBLのヒエラルキーはかなり高いという認識。
2、夢について。個人サイト入りびたり時代に面白いと感じる夢にも出会えたが、ヒロインの存在乗っ取り系夢、年齢制限物でキャラ崩壊が過ぎるという夢もあった。利用していたサーチでは非ヒロインものが感覚としては多く、実質のところは夢の方が男女よりも多いと感じた。pixivを利用してからは夢に出会うことはなかったが、2015年の刀剣乱舞リリース以降よく見るようになった。夢とBLとのすみわけ論争が刀剣乱舞では起こり、それを見てBLは夢よりもヒエラルキーが上なのだなという感覚に陥った。現状では原作での恋愛描写やヒロインに文句を言ったり、ヒロインをうがった目で見たり、原作でのヒロインを無視したり、マウントとったりするなどマナーの悪い人が多く感じた。しかし、BLよりは性質上作者・読者が結びついているという感覚はない。BL夢(男主夢)に関しては非恋愛夢・友情夢を好んでいたために存在は知っているし見たこともあるが、男のオリキャラと原作キャラ(男)との恋愛夢に関しては存在だけは知っている状態。百合夢も最近知ったため、夢の同性間恋愛ものについては女夢主と男キャラとの恋愛よりはヒエラルキーが下という感覚。
3、男女について。ネットで悪名高い少年漫画の男女CPにはまることは少なく、感覚として苛烈ではない性質だと思う人に出会うことが多かった。基本的には公式で描写のある男女にはまることが多かったせいもあると思う。公式で描写のない男女にもはまることは多かったが、①人気があればそのルートが作られるジャンル、②キャラの恋愛描写には決して描かれないジャンル、③公式でフラグは立つものの作者のスタンスが公式化を狙ってないものが多い、と感じることが多かった。pixiv以降ネットで悪名高い男女CPをはじめとする男女CPの人のやらかし(原作メインヒロインアンチ、多方面でのマウントなど)や作品を聞いたり見たりするうちに、男女も性格が悪い人が結構いるのを知り男女CPは完全なるヒエラルキーの底辺とは言えないのだなと感じている。ただ現状のpixivでは夢やBLの人気がすさまじく、観測範囲の男女CPが夢と区別しづらいもの(主人公の個性が必要以上に出せないゲームでの女主人公ものなど)もあり、男女を名乗ってはいるが夢(女キャラの人間性を無視して、男キャラにしか萌えてないように感じるものなど)というものも感覚としてあるため、BLよりは下、夢よりも下という認識。
4、男性向けとCPなし年齢制限ありについて。男性向けは感覚として、オタクのイメージ=男性向け創作となっていると思う。商業的にも同人的にも女性向け作品よりも多大なシェアであるという認識。年齢制限分野の話になるが、性癖が男性向け方面というのを抜きにしても女性向け創作が生緩いものが多く使えないものが多いため、男性向け年齢制限>>>>女性向け年齢制限という感覚がある。女性向けがBL、夢、男女とシェアを複雑にしている中で、男性向けは一つのパイに集中しているという認識。CPなし年齢制限ありは、それ専門でやっている人をあまり見たことがなく、BL、夢、男女の人たちが書いているのを見ることが多かった。BLの人にマウントをとられたり、夢ではオリキャラ無双、男女ではヒロイン総受けの体のいい道具として、使われているのを見た経験はある。寵愛されるのがオリキャラか自分の好きな原作のある一人のキャラかであるという点が違うだけで、スタンスとしては同じだと思う。ただ二次創作が好きな原作を創造して書くものであるため、嫌ったり厭う人は少ない認識。BLが作品・作者・読者ともに多い分、人数差でヒエラルキーは負けるものの、夢や男女よりはヒエラルキー的に上だと思う。
5、GLについて。女性向けジャンル・女性ファンが多いジャンル(男キャラが多いジャンル)によくいるため女性向け百合は全然見ないか、BLのついでの処理の感覚がある。BLの処理とは原作で男←女だったり、まだフラグは立ってない良いなかの男女で、男キャラをほかの男キャラとくっつけるため別の女キャラとくっつけること。女キャラ同士に萌えたわけではないなという作品を見たことがある。BLっぽいということが、人気の要因となったGLCPもあるとは聞いたことがある。百合の意味をBL的な意味(受け×受け)に乗っ取られかけたりするなど、BLよりはヒエラルキーが下の感覚はある。男性向け界隈では、自分以外の同性(男)を見ずに済むためか重宝されているものの、本質としては男性向け男女(自分×キャラ)の代替の場合も結構ある印象。ただ同人作品としてみることは経験上少なく、一次創作のほうが多い。
BL、夢、男女どれかしか食べられない人、萌えるメインが存在する人、全部同じくらいに好きな人と様々だろうし、あるジャンルでBL書いている人が女夢主との恋愛を書いていること、男女を書いている人が女夢主を書いていることを見た経験もあるし、ジャンルによっては違うと思う。男性ファンが多く、女性キャラが多いジャンル(艦これやラブライブなど)だと、BLのヒエラルキーは男女(男性向け女性向け関係なく)よりは下に感じることもあるだろうし、女性ファンが多く、男性キャラが多いジャンルだとこっちみたいに男女のヒエラルキーをかなり下に感じるだろう。グラブルやfgoなどの両性をターゲットにしてどの層にもサービスを行うジャンルでは、ヒエラルキー差は強く感じないこともあるだろう。自分が被害を受けたことは忘れなくても、自分が攻撃をしたことは忘れているため、こっちがメインの男女のやらかしを過小評価、BLや夢のやらかしを過大評価している節も否定できない。
(何が大河の王道なのか、ってほど昔の見てないけど)コテコテ超王道感がある。
戦国時代で、毎回のようにチャンバラやって、時々戦やって、おっさん同士で腹黒政治会話して。
主人公はまだ若いから純粋まっすぐ君だけど、頭も良いし剣の腕も立つスーパーマンだよ!っていう。
(こういう人が歳食って歪んできたりしたら面白いけどそうはならないんだろうなー)
いだてんが視聴率取れないのは最初から分かってただろうから、その次としてど真ん中鉄板超王道企画ってことか。
事前知識ゼロなのでいまいち人物把握しきれない。でもどっかで解説読むほどはまりきれず。
かと言ってもう見なくていいやーってほどでもない。
びみょー。
ヒロインのオリキャラ駒ちゃんもちょっと天然純粋かわいい子というもろ「おっさんが描いた一昔前ヒロイン」って感じ。
微妙にウザいけど(水あめお前のじゃねーよ)、ウザいからもう出てくんなというほど嫌いな訳でもない。
でも可愛いとも思えない。今日のも多分胸キュンシーンなんだろうけどどうでもいい…
今日出てなかった岡村もどうでもいいけど、二人とも重要キャラっぽいのが。オリキャラは歴史と関係なく自由に動かせるから便利なんだろうけど。
こんなに闇のバーゲンセールをして最終話までに全部解決できるのか?と思ったら2クール目の枠が消滅したせいで何も解決しなかった衝撃作
あの最終回で終わるのはもったいないのでぜひ2期も放送してほしい
2クール目消滅ははまち3期の影響と言われているが真相や如何に
明らかにスケジュールやばそうな雰囲気だったが動かさないことで作画を節約してキャラの顔は崩れないようにしていたのは良かった
原作の知名度もあまり高くなく全く話題にならなかったが普通に面白かった
分割2期も楽しみ
+Ultra枠はBNAもGREAT PRETENDERも当たらなかったらやばそう
元々テレビ放送用スケジュールで作っていなかったので11月の7話で一旦終わって残りは年末以降という衝撃作
7話がしっかり話題になったので再放送で繋ぐというのは結果的に成功だったと思う
原作は正解するカドの野﨑まどで未完のまま放置中と放送前から嫌な予感しかしなかったがラストの落としどころとしてはああするしかなかったのだろう
今期一番楽しめた
一応アプリをプレイしているので見ているがはっきり言ってつまらない
星合、バビロン以外にも台風の影響か2回も万策が尽きた慎重勇者や最後の2話を3月に延期したアズレンなど、放送的な意味での衝撃作が多かった印象
あとスタンドマイヒーローズ、サイコパス3期、歌舞伎町シャーロック、バビロン、トクナナと警察系が異様に多かった
事前にテレビで総集編を放送したのも劇場版の成功に繋がっていると思う
冬アニメは少しずつ手をつけているが今のところ異種族レビュアーズが一番面白い
巨蟲列島の作画があまり良くなかったらしいのでこちらも若干不安
ブックマークコメントがいくつもついていてびっくりしたので軽く返信的なものを書く
この音をノーガンズライフと同じように書いてしまったがこの音の方が面白かった
あまり個人の好みに左右されない面白さだと思うのでこの中から人に1本勧めるなら確実にこれ
感想を載せていない2期系以外の深夜30分枠アニメは全て1話切り
自分が面白いと思ったのに人気が全く出なかったアニメも1話切りしたのに大人気になったアニメも今までにたくさんあるので自分の好みと売れ線はあまり一致していないのだと思う
メイドインアビスのところに「事前にテレビで総集編を放送したのが成功に繋がったのだと思う」と書いていたがこれだと総集編テレビ放送のおかげだけで成功したように捉えられるので修正した
多彩かつ高度な画風パロに加えて良質な演出・ストーリーパロから一部で人気の麻雀漫画「3年B組一八先生」ですが、11月3日あたりから講談社作品のパロ回が公開停止になったようです。憶えてる範囲でメモ。
一八先生とゲストキャラと生徒二人が中学で賭け麻雀打って、有名マンガ家ぽい画風の一八先生がインパッチ(親ハネ18000点)を和がって終わるのが基本展開。
画風パロが始まった衝撃回、またインパッツァン(18300点、親ハネの一本場)も初登場。
初期のためインパッチを和了っても一八先生は普通の絵柄。つまりオリキャラの画風パロ絵はまだ登場しない。
賭け麻雀で生徒から金を巻き上げる一八先生を懲らしめに来た同僚のGTO(グレートツモスジ鬼月)とのサシウマ対決。
鬼ヅキ+全ツッパでオーラス断トツトップの鬼月が一八(親)の先制リーチに「切りたい牌も切れないこんな世の中じゃポイズン」してインパッチ放銃して終わり。
忘れた
---
金八先生らしくクラスでソーラン節をやる回だったような気がする。
レギュラーキャラの中学三年生加藤くんがゴルゴ、丑島、一八と高レートで打って死ぬ。
(追記)
消されてなかった。まだ読める。
公開停止はこっちだった。
鉄雄がドラッグに手を染めて強い雀力を手にする話。3話のマスターもハードラックとダンスっちまう。打牌が童夢風にめり込む。
一八先生が「さんをつけなさいよ!」インパッツァンを和了って終わり。
オカルト麻雀に転向した闇ギャンブラー戸副露と対決。一八はボコられるが脇の加藤くんから
インパッチを和了ったらなんと裏ドラ4枚乗って三倍満。加藤をトバしてラッキーな逆転勝利。
基本的に一八は自分の浮きしか考えていないから、教え子からも和了る。
ジャンプ漫画だけど途中に木多康昭風の一八先生が「ボクはトビましぇん!」するので、これが原因で公開停止と思われ。
いかにもクッキングパパっぽい生徒と一八の麻雀に通りすがりの怒羅岩さんがアドバイス。クズ配牌をチートイツドラ待ち聴牌に仕上げるもリーチしたらインパッチ放銃、ドラは一八が暗刻にしているという鬼畜ぶり。
忘れた。
(追記)
一八先生、振田降部先生(だったか?)、室塚先生(ムスカ)、あと誰かで職員室で麻雀打つ話。
室塚先生の印象が強い。好形から2000点和了って「打牌はきわめて順調ですよ」
振田先生は国士無双聴牌から一八先生の口車に乗せられてオリ打ちした。
ガッツ風一八のドラゴン殺しのインパッチが炸裂するも水野は最終結果で浮きの二着なので、いい話。
梶和了さんが屍(ガン牌の隠語)を仕込み、更にそれをネタバラシすることで一八の動揺を誘い手牌を読む。
雀荘発芝でアメリカ帰りの個人主義なメンバーが代走で大三元の包しちゃってウシジマくんに詰められる話。
嵐の夜に麻雀を打つとオーラスの魔術師が現れ、オーラストップはラスに転落する...
「この何切るは絶対に解いてみせる!純全帯(ジュンチャン)の名にかけて!!」
近麻一の手牌読みが冴え渡るが「そんな難しいこと考えていなかった」一八先生のエル・カンターレ・インパッチに放銃して終了。
忘れた。
忘れた。
----
レス見てぐぐって思い出した。
自摸東風流 摸自九自摸と対決、劣勢の一八の先制リーチに逆に追い詰められた九自摸が四門を発動。
「なんだ!九自摸が四人に!?」のスキに一八の背後から手配を盗み見て一八の高め待ち牌を暗槓する。
逆転手を潰された一八は例によって脇からコインパチ(1800)を和がって浮いたところで、九自摸が謎のこだわりから敗北宣言して終了。
(追記)
闘牌については上は間違い、下のブコメが正しいと思う。ちなみに一八が待ち変えで捨てた一索で九自摸がロンできなかったのは同巡フリテンと九自摸は一八からしかロンしないこだわりで一応説明できるって論客が2chにいた。
Arturo_Ui 『修羅の門』回は、一八の待ち牌(嵌張の二索)を九自摸が暗槓、そこから二五索の両面に待ち変えしてコインパチ、なのでは? 一八が処理したはずの一索が九自摸の当たり牌(対々三暗刻)なのは、恐らく作者のミス。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4676907062030075042/comment/Arturo_Ui
普通にいい話だった。
以降は読んだこと無い。
私は二次創作で小説を書いている。ジャンルは人気だが、好きなカプは多分マイナーの部類に入ると思う。
投稿サイトはpixivだ。数年前、同ジャンルの別カプで書き、少しの間書くのをやめて(一次創作をしていた)読み手として二次を楽しんでいた。もちろん公式の供給にも一人盛り上がり、楽しいオタク生活を過ごしていた。
そして好きなカプが出来、また書いてみたいなと思って書き手に戻った。
pixivでの評価は、前カプで二桁、今のカプで三桁行けば良い方。はっきり言って人気はないし、陽も当たらない。でも、前カプのほうがメジャーカプなのに今の作品ほうが評価してもらえるのは嬉しかった。文字数が増えたし、あと自分で言うことではないけど書くのがほんの少しだけ上達したからだと思う。
前は「書きたいとこだけ書ければ良いや」みたいな考えで殴り書きに近かった。後から読み返して「よくこれで投稿したな……」と情けなくなったし、そんな作品でも読んでくれて評価までしてくれた人がいたのがありがたかった。
それも踏まえて今度は「せっかく書くならもっとちゃんと考えて書こう」と思った。それであわよくば評価してもらいたい。承認欲求を二次創作で満たすのはどうかと思うのだが、創作は創作なのでやはりそういう下心もわいてしまった。
"ちゃんと考えて書こう"という心がけは、一応成果を出した。前の作品で三桁の評価のものはないし、感想までもらえたのだ。スタンプも嬉しかったが、文章での感想は段違いに嬉しかった。
感想をもらう前はTwitterなどで「感想がなくて筆を折った」や「感想は創作者を救う」という呟きを見ても別世界の話で全く実感がなかったのだが、自分が実際にもらってようやく理解した。確かに読んでくれた人の感想は救いだ。これは誇張ではない。本当に本当に、救われたのだ。
一人であーでもないこーでもないと悩み、一文一文もっと他に良い表現はないかと迷って完成させた小説。好きでやっているとはいえ、暗闇に石を投げてるような感覚だった。
前カプの時も、暗闇に石を投げてる感覚は同じだった。他所では人気の字書きがワイワイやっていて、他の字書きや絵描き、創作はしなくても同じカプが好きな人達と交流している。
あまり認めずにいたが、私は彼らが羨ましかった。向こうはとても明るくて楽しそうだ。
良いなぁと羨みながら、まあ私にはああいう交流は無理だなと思っていた。なぜなら、私は彼らのように自分から輪に加わろうとしていないからだ。小説が面白い面白くない以前の問題だ。
人気字書きは小説の面白さもだが、そもそも社交性があるのだ。Twitterも面白い。人付き合いが苦手そうな字書きでも、誠実に小説に取り組んでいるんだなと分かる人はいて、やはりそういう人のもとにもファンや同好の士は集まる。
しかし、私はコミュ障だ。Twitterも何も面白くない。ネタにしたいことを呟けば人に取られるのではと不安で呟けない。盗まれるような大それたものではないのに、被害妄想ばかり膨らんで何もできない。
もらった感想に対しても、ちゃんと感謝を伝えたいのにどれだけ頭を絞っても無味乾燥な文章になる。時間をかけて返信文を考えてもそれは相手には伝わらない。ただ"返信が遅かった"という事実しかない。しかも本当に嬉しいのか分からない文章だ。それでも何か返信しないよりはしたほうがマシだと思って返信する。
これは二次創作に関係なく、人から好意を向けられることに慣れてないのも原因なのだろう。自己肯定感が低い。好意に対する耐性がない。
だから好意を向けられてもどうすれば良いのか分からない。相手にしてみれば、ただなんとなく気まぐれで送った感想なのかもしれなくても私からすると初めて見る光のようなもので、救いなのに耐性がないからただただ戸惑うしかないのだ。
心の底ではあれだけ欲しいと思っていたのに、与えられたらこれだ。もっとそつなく対応できないのかと自分が嫌になる。
世の人気同人作家は私とは比べ物にならないほどの感想や好意を向けられていると思うと、彼らが別の生物に見えてくる。私より良くできた、なんか違う生物。
人気字書きと比べると憂鬱だ。比べるものじゃなくても比べてしまう。
二次創作は文章力より萌えるのが大事だとよく聞く。それは本当だとも思うが、萌えを伝えるにはまず文章力が必要だし、第一面白い二次小説は文章に長けている。
心理描写、情景描写、キャラクターのバックグラウンドを伝え、キャラ同士の関係性の変化やシチュエーションで読者を熱くさせる。これは並大抵ではできない。
しかも、pixivはどちらかというと絵を中心に据えたサイトだ。だから余計に、小説で評価されているのを見ると凄いと思う。
前もそう思っていたが、今はもっと強く思う。だって前より良いものを書こうと頑張っているのだ。読み手を意識するようになってから、見返りが欲しいと思うようになった。
当然、自分のために書いている。自分が好きなシチュエーションで、自分が好きなカプで。だが、書くなら上手に書きたい。自分も他人も良いと思える、納得できる文章が書きたいのだ。
承認欲求がどんどん大きくなっていく。それでも、まだ私は楽観視していた。書くためのエネルギーになるし、節度さえ守っていれば腹で何を考えていても問題はない。それに、何はともあれ小説を完成させなければならない。これが一番大事なことだ。そう言い聞かせてまた書いた。
Twitterで面白いSSをツイートする字書きがいた。仮にAとする。軽い気持ちでフォローし、SSを楽しみにしていた。
Aはpixivにシリーズ物の長編を投稿しており、これもまた軽い気持ちで読んでみた。
まだシリーズは完結していない。評価はブクマも良いねも多く、感想や続きを待つタグもあった。
TwitterでもAはフォロー数より遥かにフォロワーが多かった。人気も人気、ファンがたくさんいる。
Aの小説は人を選ぶ作風だった。オリジナルキャラクターが中心にいるのだ。内容も殺伐としている。読んでいてつらいが、それでも面白いのだ。表現力も構成も卓越している。
私は人気字書きに対して、別の生物だと思うことで精神の安寧を図ってきた。コミュ障の自分にみんなでワイワイ楽しくは無理だと諦めていた。万が一輪に入れても人間関係で消耗する。せっかくくれた感想に満足な返信一つ書けず疲弊するのだ。自分と彼らは違う。だから羨望は抱いても嫉妬まではいかなかった。
しかし、私はAに凄まじく嫉妬した。オリキャラで、シリーズ物。内容も暗い。なのに人気だ。コメント欄は感想で溢れている。多すぎるからか返信もしていない。面白いからそれが許される。
初めは自分ももっと小説が上手くなろうと意気込んだ。だが、私がまだ序盤すら書けていない時にAは新作短編を投稿する。それもすぐさま評価された。
Aはよく、「自分は書くのが遅い」と言っていた。SSをやりながら数万文字の小説を書いてそれを短編だと言って投稿するAが。
Aの物差しではそうなのだろう。Aが言うことに私自身の物差しを当てはめてはいけない。他人には他人の物差しがある。
Aはよく謙遜した。「誰得か分かりませんが」「ほんと自分しか読んでて楽しくないんじゃないかな」「◯◯×△△が好きな人から怒られそう」と。こうして投稿された小説も、すぐに評価される。私も読んだ。面白かった。
Aはよく質問箱で来る質問に答えていた。「どんな本を読みますか?」「執筆スタイルを教えてください」こんな質問が多い。Aは決まって「本はあまり読まないんです」「執筆スタイルと言えるほどのものはありません」と答える。
…………
嫌悪感を覚えた。この嫌悪感については上手く説明できない。嫉妬が源なのは確実なのだが、別の感情も含まれていると思う。
自分とは何もかもが違う。Aは多くの人から必要とされている。長編をコンスタントに投稿し、完成度も高い。そして文章やストーリーを長文で褒められ、謙遜してもすぐに否定してくれるファンがいる。
なんというか、皆に見守られている感があるのだ。見守られながら崇拝されている。
他にも、Aは作中に性描写を入れずにこれほど評価されているのだ。私は性描写のある小説を書いていて、性描写のない小説も投稿したがこれは全然評価されない。読んでももらえなかった。
もう一つ、Aが私の嫉妬や劣等感を煽る理由がある。それは、Aは一次創作でも人気を得るだろうなという確信だった。Aは一次創作をしていない。だからこれは私の想像というより妄想だ。Aは筆力がある。ストーリーに漂う空気感や思想も一貫しており、本人に確固たるテーマがあると伝わるのだ。
原作という確固たる軸をもとに、自己解釈を入れて物語を作るのが二次創作だ。対して一次創作は当然、作者が軸から作らなくてはならない。軸はストーリーを形作る上で作者の一貫した思想やテーマが必要なのだ。それが脆弱だとどこか掴み所のない、微妙な作品ができあがる。「文章は上手いけど……」とか「題材は良いんだけど……」とか言われるような作品。胸に訴えて来るものがない。
はじめに書いたが、私は一次創作もしている。一次は二次より苦しみながら書いている。「きっとAは、そんな苦しみもなく、あったとしても見返りのある小説を書けるのだろうな……」こんな感情がわいたのだ。
Aが書いてもない小説で劣等感を勝手に抱き、被害妄想を膨らませて勝手に苦しんでいる。滑稽この上ない。しかし理性より感情が勝った。次第に私はAに嫉妬や嫌悪感を通り越して憎悪すら感じ始めた。
Aのツイートを見る度に胸がざわつく。「書くの一生やめないかな」「消えないかな」などと考えるようになった。アカウントをミュートにしては気になって解除し、フォローも外そう外したほうが良いと思ってもできなかった。この時点で、私はまだAの小説が好きだったのだ。新作は読まなくなったが、シリーズ物の続きだけが気になっていた。新作を上げる度に、早く続きを書けよとイライラしていた。
こんな滑稽な人間いるだろうか。憎悪すら抱いているのに、その発端となった小説の続きが読みたいだなんて。我ながら馬鹿で笑える。
Aはマシュマロを始めて、またたくさんの人に褒められている。マシュマロには丁寧な返信をしている。謙遜して、自分の作品を"拙作"などと言って。心温まる返信だ。無味乾燥な返信文しか書けない私とは違う。
私は今日もpixivを覗いて、自分の小説の評価を気にしている。カプ名で検索しても、もう他の人が書いた小説に流されていくつもページを越えないと私の小説には行き着かない。新作を上げたいが、まだまだ書き終わらない。誰も褒めてくれない。一次も二次も。
書くのがつらい。やめれば良いのに、やめたら自分は価値がなくなる気がして怖いのだ。他人と交われない私にとって、小説を書いて評価されるのは唯一と言ってもいいくらい自分を満たす慰めだった。私が書いた小説を、誰かが肯定してくれる。これは私自身を肯定されたも同然なのだ。本当は違うと分かっていても、ほんの少し救われた。
このカプ、良いですよね。このシチュ、萌えませんか。この小説どうですか。私の小説、好きですか。
所詮趣味なのに、こんな思いを込めて書いて読む人に過度な期待を寄せてしまう。だから評価されないと無視どころか否定された気になる。私が駄目な原因だと思う。もっと軽く楽しめたら良かったのに。
読み手を意識して、感想をもらう喜びを知ったから脱け出せないだろう。何より、小説を書くのが好きなのだ。書いている最中ずっとつらいのに、書き終えるとまた書かなきゃとなる。
ただ、なんとかAへの憎悪を消したかった。どうでも良いと思えるようになりたかった。その方法が分からない。私が人気になれば良いのか。それも根本的な解決にはならない気がする。Aが私の小説を褒めてくれたら良いのか。私のことなど眼中になく、そもそも全く知らないA。多少承認欲求が満たされるかもしれないが、こういうのは満たされてもすぐになくなる。
他の人は、承認欲求が満たされたら本当にそれで満足できるのだろうか。欲求というコップがあったとして、まっとうな人は褒められるとコップに水が注がれてどんどん満ちていくのだろう。私の場合、多分コップの底に穴がある。自己肯定感のなさが穴の正体だと思う。はじめは穴がなかったのか、それとももともと空いてたのか、褒められて水が注がれてもどんどん落ちていく。全然満たされない。
結局のところ、Aがどうのとか評価がどうのではないのだろう。原因は自分にあり、自分でなんとかしなくてはならない。
自分が納得できる文章を書けるようにしたい。自分が納得できれば、評価は二の次になると信じたい。幸い、納得の基準はまだ自分の中にある。こんな文章でこんな小説を書きたいと理想や目標がある。これがある分にはまだ頑張れそうな気がする。そこから自己肯定感をつけていけば良いかもしれない。すでに評価に依存しているが、まだなんとかなるかもしれない。
理不尽を理不尽だと理解できているうちに、自分の小説をちゃんと書けるようになりたい。これで書くのをやめて憎悪に飲まれたら人として何か終わる気がする。荒らしなど惨めなことはしたくない。
私は小説を書いていたい。一次でも二次でも納得のいくものが書きたい。他の字書きへの嫉妬や憎悪が原動力では嫌だ。
嫉妬も劣等感もあり、とてもつらいが少しでも気が楽になれるよう、自分の面倒な諸々と折り合いをつけたい。
これはその一歩として誰にも吐き出せないためここに書いた。読みづらい文章だったと思う。でも、読んでもらえたらほんの少し救われる。小説が好きで、どんな文章でも大事だと再確認できた。それが嬉しかった。自分の小説にちゃんと向き合えそうだ。
読んでくれて本当にありがとうございました。
人の書いた夢小説を笑うな。
言い換えたらわかってもらえますか?
設定、文章としての体裁、そういうものが拙かろうがどうだろうが関係ないです。
人の創作を笑う権利なんて、これを読んでいるあなたはもちろん、他の誰にもありません。
誰かが楽しんでいたものについて、誰かが現在も楽しんでいるかもしれないものについて、誰かが書いたものについて誰かが書いているかもしれないものについて、古傷とか黒歴史とかあるあるとかそういう言葉で馬鹿にするのをやめてください。
馬鹿にしている意図はないんだという人、どうか自分が使っている言葉の意味をもう一度考えて発言してください。
自虐であって他人を攻撃する意図はないという人、あなたの自虐があなたの知らないどこかの誰かにも当てはまり、巻き込まれている側にとっては自虐どころかただの中傷になっていることに気付いてください。
私は夢小説を愛し、これからも目一杯楽しんで、気力の続く限り書き続けていくつもりの人間です。
腐女子が夢を過去の物として笑うRTが回ってくる度、不快な気持ちになります。
悪意がないつもりだから救いようがない。
人のマシュマロに投げられた中傷コメントにはそういう人だって憤慨したりしているのに、どうして黒歴史とか言う表現を使って、あるある大喜利なんかをして、過去あった他人の創作物のことなら笑うことはできるんですか?みんなでおもちゃにすることができるんですか?
マイルドな表現を使っているから、自虐の形を取っているから、あるいは数が多いからでしょうか?馬鹿らしい。
夢小説に現在も親しみながら、昔流行った創作傾向をネタにして笑う夢小説好き、あなたたちのことも私は大嫌いです。仲間みたいな顔をしている分ずっと質が悪い。
自分を含めた多くの人が、あの頃確かに楽しんでいたものを古傷などと言って笑うのは楽しいでしょうか?
今それをしていない自分が大人になった気でもしていますか?勘違いも程々にしてください。
どちらもきっと悪意はないんでしょう。想像力がないだけで。あとすごく鈍感で無神経なだけで。そうですよね?
これも自分の中では似たようなカテゴリなので書いておきますが、
夢の分類について話題になったときに出てくる強固に自分はオリキャラ派だと主張する人たち、自己投影してないと主張しないと気が済まない人たち。
自己投影だと思われると何か都合の悪いことでもあるんですか?その主張をどうしてもしたい根幹にはどんな感情があるんですか?
自己投影の有無にしろ、夢は恋愛夢だけではない!って主張にしろ、あまりやりすぎるとそこにあてはまる人たちを蔑ろにすることに繋がりませんか。
夢小説は創作形態として一段下で、なのでおもちゃにして構わないという風潮、本当になんなんですかね。
おもちゃにされて傷ついた、迷惑した人による防衛反応のようなものも合わさって、見る度辟易としています。
夢小説を好きになってほしいとか、広まってほしいとかそういった贅沢は言いません。
人が書いたものや楽しんでいるものに関して、からかったり下に見たりをしないという、ごく普通のことだけを、一介の夢小説好きとして望みます。
死なせてくれ
数年前から死にたいと思っているが、このオリキャラ達の存在がどうしても引っかかり、踏ん切りがつかなくて困っている。
自分にとってオリキャラは、いない友達よりも冷え冷えの現実の家族よりも大切な存在だ。
オリキャラ達の掛け合いを考えてる時が何より楽しい、漫画描くのが好きってわけじゃないしどっちかっていえば苦手だけど、キャラ達が楽しそうに話してる場面を映し出せるなら喜んで描く。飽き性なんで超短い1〜3ページの話しか描けないけどそれでも楽しい。
言ってしまえば現実逃避だけど、現実逃避しないとやってられないくらい社会に適合できない。中学どころか通信高校すらリタイアするほどに根性がない引きこもりニートだし人とまともに話せないし要領悪いし、あと何回恥をかいて迷惑をかけるんだろうって考えたら、絶対死んだほうが楽だ…でもオリキャラ達を捨てるということになる、と考えるとやっぱりまだ死にたくない…と思ってしまう。何もできないくせに。
腐媚びガー腐媚びガーって言ってるのって月曜夜に金田一(犬夜叉)→コナン→まる見えのゴールデンタイムを過ごした子どもの頃の思い出を汚されたくないアラサーあたりの年代の人たちなのかと思ってたら
松田のことを知らないっぽくてええ??ってなってる
佐藤刑事と高木刑事のラブコメに絶対欠かせない重要人物であの時代にアニメ見てたおっさんおばさん世代ほど印象に残ってるキャラだと思うけど
松田を掘り返すな!あの神回に余計な後付けするな!って怒ってるんじゃなくて腐媚びのためだけにイケメンの新キャラを作って出してると勘違いしてるっぽい
いったい何を知ってるんだ
安室だって登場は2010年くらいで赤井はそれよりさらに10年くらい前のキャラなのに「2016年に腐媚びのためだけに新しく出した映画オリキャラ」と思ってる人も多そうな感じで
少し愚痴を言わせてくれ。
特定は怖いので、時期とか数字とかにフェイクを入れて話していく。
2年前の冬。私の所属する漫研で部誌を出すことになった。部員が2~3人ずつのグループに分かれて作る、グループごとに何を描いても自由な合同誌だ。
私はそのグループ分けの日は病院に行く用事があったため、要望だけ伝えて欠席した。
グループ分けにおいて、部員それぞれが己のスペックや希望を伝えて話し合ったらしい。「背景苦手」とか「普段は物書き」とか。私の要望は「漫画を描きたい。原作担当でも作画担当でもいい」と伝えた。
おそらくそれを加味してくれたのだと思う。結果、私はとある部員(Aとしておく)と2人組で漫画を描くことになった。Aは漫画を描いたことがなく、イラストを描くのが得意だと言った。ほぼ初対面なほどあまり話したことが無かったが、私がネーム、Aが作画というのが二つ返事で決まった。
その後、漫研の部室で、私が頭の中で練っていた大体の流れをAに説明し、Aはそれに賛同してくれた。私は自宅に帰り、ウキウキしながらネームに取り掛かった。10ページほどの短編だが、Aと相談したその日のうちにネームを完成させてLINEで送った。
Aは翌日、私のネームにOKを出してくれた。セリフの調整や服装などのやり取りも終わり、これで私の仕事は終わった………と、思っていた。
私はもっとAのことを知るべきだったのかもしれない。Aが時間にルーズなことを全然知らなかったのだ。
Aも私もあまり漫研の部室に顔を出すタイプではなく、互いに顔を合わせることは殆どなかった。
なので、今私たちの漫画の進捗がどうなっているのか把握出来なかった。そのうえ、Aはネームを確認した日以降、LINEを全く見ない。未読無視されるのはあまりいい気分ではなかったが、そういうタイプなのだろうと思って放っておいた。ネームに書かれていること以外の質問や提案も無いし、順調に進んでいるものだと思っていた。
そんなある日、私はたまたまAのTwitterアカウントを見つけた。そこでAは毎日どころか毎時のように呟いていた。
LINEは無視でTwitterは常時運転かよ、と少しイラついたが、それよりも驚いたのはアップしているイラストだ。Aはかなり筆が早いことが分かった。ラフやアナログも多かったが、結構な頻度でオリキャラや、私の知らないゲームのキャラの絵を描いていたのだ。
そのイラストの中には、私と合同で作る漫画の一部分もあった。かなり序盤のシーンだったが、確かに作業を進めてくれているみたいだな、とこのとき私は安心していた。
だが、事件(?)が起きたのは、漫研全体で決めている部誌の提出締切日。同じ漫研で特に仲が良い私の友人(Bとしておく)から連絡が来た。
内容は、意訳すると『Aが締切に間に合わなかった』『締切は5日間延長』『○○ちゃん(=私)もAを手伝ってあげた方がいい』『漫研の部室内で○○ちゃん(=私)が嫌われかけている』といったようなことだった。
Aが締切に間に合わなかったのは衝撃的だったが、それよりも、私が漫研の部員から嫌われかけているというのに驚いた。
Bの話によると、グループ内でネーム/作画で役割分担したのは私たちだけらしく、他のグループではそれぞれが数枚ずつ作品を作って15ページ前後のものに仕上げるのだとか。
私たちの役割分担を知った漫研の部員たちが「Aの負担が多すぎる」「Aが可哀想」「Aはネーム担当(=私)に文句言うべき」などと話しているのを、Bが聞いて私に忠告してくれたということだ。
色々と信じ難いことだらけだったが、私はその日は特にやることも無かったので、急いでAにLINEで連絡した。
「Aさん、何か手伝えることある?ベタとかトーンとか、なんでもいいから言って!」と。
すると、この時ばかりはAはすぐに返信した。「部室に居るから来て欲しい」と。幸い私は学校の近くに寮を借りていたのですぐに向かうと、Aは人物の線画をようやく終えた状態だった。
Aはデジタル派で、液タブを用いてクリスタで作業をしていた。私は板タブで無料ソフトしか持っていなかったため、Aに合わせてクリスタの期間限定無料版をインストールし、原稿をairdropで受信して、セリフ打ち込みやトーン貼りを手伝った。使い慣れていないソフトに難航したが、それでも適宜使い方を調べながらなんとか作業を進めた。
Aは思ったよりも自由奔放な人間で、締切を過ぎているにも関わらず、作業中にも別のイラストを落書きしたり、Twitterを覗いたりと好きに過ごしていた。私は昔からビビりな性格で、課題や宿題は締切日よりかなり余裕を持って提出しなければ落ち着かないタイプだったので、Aの行動が理解できなかった。
Aが自虐的に「私の絵はココがダメだ……」などと言う度に、「そんなことない!私はすごくいいと思う」などと言って励ましていた。今なら言えるが、私はAの絵のタッチが嫌いだった。そのうえ、そんなやり取りがその日の作業中頻繁に行われた。八方美人とは程遠い私にとって、この日は苦痛だった。
しかし、この日の頑張りあってか、作業はかなり進んだ。セリフも入れたし、トーンもベタも大体貼った。Aも背景やらその他の線画を描き終えた。あとは私の担当した部分のレイヤーを繋げればめでたく完成──と、思われた。パソコン上でAのメールアドレスを教えて貰い、その場でデータを送信した。そしてAと別れた。
その日の夜も私は家で残りの作業をし、終えた分をまたメールで送信した。延長した締切日のうち、私はこの日以外はバイト漬けでAの作業に付き合えない。私が手伝える部分は今日中に終わらせたかった。
表紙にペンネームを入れないといけないので、「私のペンネームは□□でお願いね」ともLINEで伝えておいたが、返信無し。
次の日にAのTwitterを覗くと、Aは友人と遊びに出かけていたらしい。その次の日は、また別のところに遊びに行っていたのだとか。
私は本当にAの行動が理解出来なかった。部員みんなで作る部誌の締切に遅れ、部長に締切を延長してもらったうえで、まだ完成していない作品を残してよくそんな所にいけるものだなと。
断っておくが、私は最初にネーム内容の相談をしたその日のうちにネームをAに渡した。その日から締切日までは2ヶ月以上もあったのだ。なのにAは原稿を提出できず、負担が大きいと他部員に思われ、私が嫌われる。こんな理不尽なことがあってたまるか。
結局、Aは締切日の午前三時頃に提出できた……らしい。Twitterでその呟きを見つけた。
一応一段落したみたい。と安心していたのも束の間。数日後、AからLINEが来た。
「○○さん(=私)のペンネームって何?表紙に何も書かなかったから部長に指摘された」
…………は?
私は一応もう一度「私のペンネームは□□だよ」と伝えた。LINE画面上では、
A:○○さん(=私)のペンネームって何?表紙に何も書かなかったから部長に指摘された
私:私のペンネームは□□だよ
こんな感じだ。本当に訳が分からない。
そして最も訳が分からなかったのは、出来上がって刷られた部誌を見たときだ。
確かに原作は私の漫画だが、セリフは所どころ違うし、トーンも私の貼ったものではなかった。──つまり、Aは私の送ったデータを使っていなかったのだ。いや、もはや見てすらいないのかもしれない。
メールが届かなかったかもしれないと思われるが、それは絶対にありえない。A自身が私のパソコンに直接メールアドレスを打ち込んだし、1回テストとして送ったのを、その場でAは確認して受け取った。
つまり、私のやった作業は全て使われずに無視されたということ。そして、Aは私の手助け無しに5日たらずで原稿を完成できたということだ。2ヶ月間もの締切を守れずに、その後のたった5日間で仕上げたのだ。
つらつら書き連ねて思い返すことはあったが、どうせもう過去のことだ。漫研の人数は非常に多く、出入りも活発だった。私がAと特別に仲良く接することはこれ以降無かった。
ああ、漫研で私が嫌われていた件についてだが──漫研は人数が多く、人の顔と名前が一致していないことがよくある。悪口を言っていた部員は、本人が目の前に居るにも関わらず、「Aにあんなに仕事押し付けたネームの人ひどくない?!」と私に言ってきた。ネームの人=私だと思っていなかったらしい。
「あはは、本当にそうだよね」
私は乾いた笑いしか出て来なかった。
これが、私の2年前の冬の苦い出来事。
俺はずっとマンガ「キングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。
地元、都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムのフォーマットはそれだ。
だからオリキャラ、史実キャラ問わず量産型なやばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。
と言うわけで自分の中で整理はついた。
それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代の英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。
いやー、項燕は強敵でしたね…。
この3つだ。
この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。
そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。
そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。
それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ的文法から脱することも容易だ。
ヤンキーマンガを揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。
さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物が存在することも非常に大きい。
原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。
後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治の問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶」であることもポイントだ。
そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃん陽ちゃんである。
特に信は様々な事件で後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。
そして、政治や戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。
ベルセルクのバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダムの宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外どもの共演が魅力だ。
そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から表舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。
テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。
キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しかも人格は高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源は結構いい意味)、知名度もエピソード的にも隙がない。
理想のためには己の手を汚す、歴史に汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中編ラスボス。
ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。
荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。
闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。
荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。
また、結局のところ最後の最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高と荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。
主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリームの世界なので面白くないわけがない。
クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国の重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白いものになる。
政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい。
最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交を見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。
賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場で対峙するギャップもいい。
テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場でストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。
そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。
秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点(商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。
領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験が戦場でも生かされることになるだろう。
なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。
ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。
また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。
信は王子にどうかかわるのか。
そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。
蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。
この政治編のサブ主人公は蒙恬と言える。李斯、趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。
個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。
むしろ扶蘇は女の子でもいいぞ。女の子だから継承者から廃された、とかね。
蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。
宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。
そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。
誰が至強か!?
誰が至強か!?
汗 明 !
大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダムの戦場である。
宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人のステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。
ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。
ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。
それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。
上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。
ラスボスは当然のごとく項燕。
カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。
後の覇王・項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。
というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。
蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。
そして、歴史系作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味。
ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。
それは、
でOKだ!
楚は国土がでかい。長江もある。ゆえに他国からあまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。
なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。
ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利の布石とする!
みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。
そうならば、「泥臭い役もこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。
王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。
で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかいう若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。
「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。
そんな内情を、何となく兵士たちは察したとき、キングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である。
歴史を見ると、李信の一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。
李信の子孫である飛将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死
その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。
しかし一族は決して衰退することなく繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。
つまり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。
その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。
李白が始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーンは李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。
結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。
最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である。
そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。
そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。
李信の大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。
それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。
王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。
キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。
かなり難しい気はする。
まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。
焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教の経典。
これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思は統一しなければならない。
そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教の経典については、はっきり言って法治国家に儒教は邪魔なので、致し方ないといえる。
なんせ、儒教は「徳のある君主が統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。
その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。
あくまでも実利、実学、法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。
あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代に中華思想が完成するわけで。
まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。
そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師・張良だ。
なんとこの張良、史書にデビューしたのは始皇帝の暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリームな暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中に軍学を学び、史上最高の軍師が誕生するわけだが、
割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。
むしろ張良が始皇帝を暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。
後は妖術師徐福だな!
格はだいぶ落ちるが!
まぁいいか!
余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。
俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。
バーチャルユーチューバーって、自分で考えたオリキャラのコスプレをしてるみたいなもんだなと気付いた
こちとら大好きなんだよォ久美沙織の癖がありまくりのゲームノベライズがよおォ!!!!!
お前らの小説ドラクエ(精霊ルビス伝説でもMOTHERでも何なら天地創造でもいいぜ!)愛を久しぶりに聞きてえんだよォ!!!!!
例の訴訟があったのも幸いに小説DQ5のここが好きって所を率先して一部だけ語らせてもらうから自分が語り足りてない所をお前らが語って聞かせてくれよォ!!!!!!!