はてなキーワード: 邪推とは
インディーゲームの周知をするアカウントでアクションがあったから存在を知ったのだが、どうにも世間的にはポケモンのパクりということで名を馳せているらしい。
モンスター(パル)を見ていると確かに既視感を感じるけれど、パルは100体もいるという。
そんだけいるならモチーフが似るのは仕方ないと思う。
とはいえアニメ調のディティールが似ている以上、カラバリや目の形、パーツの大小なんかを確実に変えなければパクりと言われるのも仕方ない。
パクりではなくても、参考にした事実はあるだろう。
まあそこまで参考にしたのならパクりと言えるのかもしれないが。
キャラデザ担当がいるらしく、巷ではキャラデザ担当が生成AIを使っているのではないかと騒がれている。
制作会社が公言しないことにはただの邪推でしかないが、これから既知IPの作品に酷似したデザインを発表すると「生成AIを使った」と騒がれる世の中になることは分かった。
デザイナーを雇った以上、生成AIを使わないと思っているが(デザイナーという仕事に誇りを持っているであろう前提から)(生成AIを使うなら社内で使って、清書だけ任せればいいことになる=相応の画力があれば誰でも良いということになるから)、話題を集めすぎたが故に件のデザイナーは名前を公表しづらくなることは間違いない。
とはいえ、パクりというのはどこからパクりと断定できるのだろう。
他社のふんどしで利益を得たのなら流石にお怒りの声が来るのだろうか。
それならばトレーラー時点で報告が来そうだが……。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/4x3ch/n/nb3ddd231bc8a
記事の要約
・多くの記事で「メルカリでは返品は拒否できない」と記載されていることを投稿主(出品者)は認識
・マイナビニュースの記事だけを根拠に、投稿主は返品を拒否することにした
・結局トラブルになったのでメルカリ事務局は送料事務局持ちで返品することを提案
・投稿主がゴネたのでメルカリ事務局は取引成立を決定し購入者に代金の一部保証を提案、決着
この流れを見てメルカリのどこが悪いのか全く分からなかったの俺だけ?
商品説明が不足してるとすれば明らかに投稿主の落ち度なのに投稿主に一切負担をかけない方法でトラブル解決してるので神対応だと思うんだが
記事に商品説明のスクショが全く貼られていないので説明が十分だったか判断はできないが、メッセージのスクショは大量に貼ってあるところを見ると、貼ったら説明不足というコメントが来る内容だったのではないかと邪推してしまう
いずれにせよ記事からは返品希望が正当なものか不当なものか客観的には確認できないので、メルカリが良いか悪いか断言することはできない
いくらジャンクとは言え記載のない瑕疵があれば返品希望するのは当然で、その対策としてヤフオクでもジャンク品には「記載以外の故障箇所があっても返品には一切応じない」と記載されていることが殆ど
出品者に優しく購入者に厳しいヤフオクのそのノリを返品拒否を記載できないメルカリに持ち込んだら通用しなかったのでムカついて記事書いただけでは?
メルカリは購入者に寄り添った運営をしてるからネットオークションアレルギーのあるユーザーにも広く普及したと思っている
そう考えるとメルカリの対応ははてブ民の思惑とは裏腹に世間的には評価されるものなんじゃないかな
少なくとも、匿名配送ができることも知らずメルカリ使うとリテラシー低いユーザに個人情報が流出するとデマを吹聴するような輩じゃなければ評価すると思う
出品したものがすり替えられて返品されるリスクがあるメルカリと、不良品が届いても泣き寝入りするリスクがある上はてブ民なんかに応援されてるヤフオクなら、一般ユーザは間違いなく前者を選ぶだろうね
端的に言えば「領収書そのもののデザインやスタイルで取引先が分かってしまうからマスキングしても女性保護の観点から無理です」
ってな感じなんだけど
https://twitter.com/himasoraakane/status/1747571359470014645/photo/1
でもね私見た事無いんだよね、「領収書を見たらすぐ分かる様な特徴的or特注デザインの領収書を使っているお店」って。
バイトしてた時や前職・現職含め、色々なお店の領収書を出したり経費で落とす為に貰ったり提出された領収書を確認したりしてるけどさ
領収書の形だけで分かる様な領収書ってマジで見た事無かったりする。普通に市販のヤツ使うでしょ…
形だけで分かる所って、例えばよっぽどの高級店やハイブランドのお店、あるいは超個人でやっててそこらのメモ帳にペラペラ書いた手書きの領収書(笑)を出す所ぐらいでは?
まさか保護女性の為の予算で超高級店やハイブランドで買い物しまくってた訳じゃあるまいし、女子供の言い訳というか
「は?私女性なんですけど?」みたいな態度でこういう幼稚な事をやられても困るんだけどね。お金の出処は公金な訳だし。
文春からの続報が続く中、「事実無根」と断定した吉本、そして、「特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」としたホリプロについて、改めて詳細に具体的にどのような事実を争い、どのような根拠をもって発表をしたのか、再度見解を出すべきであると考えている。
現状、松本、小沢側の事実関係に関する明確な発言は松本の「事実無根」というもののみであり、告発された女性についてのみならず、そもそもホテルの部屋を利用した小規模な飲み会の場に初対面の女性が招待されるというような事実があったかどうかさえ明示はされていない。当然、その飲み会において性的な行為があったのかどうかについても言及はなく、争点が、性的行為に関する同意の有無なのか、それ以前の性的行為の存在自体や飲み会の存在自体なのかすら、不明確である。
但し、松本がLINEスクショの件で反応を示したことや、吉本従業員のものとされる発言等で、主な争点は同意の有無であるかのような憶測がひろまっている。その憶測は、少なくとも松本小沢側で最も踏み込んだ正式な発言である「特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」というホリプロの発表とも整合している(性行為を目的とした飲み会のセッティングではなかったが、ホテルの部屋を利用した初対面女性との飲み会において性的行為が行われるということが別々の女性を相手に複数回あったことは認める、という読み方になる。)。
他方、現状では文春(被害者女性側)からの一方的な情報が出続ける中で、少なくとも女性側が性的行為を断りづらい状況を作り出し、女性の同意に経緯を払わず、セックスの相手としか見ていないような飲み会が複数回開かれたのではないかというところはかなり固まって来ていて、それに反する証拠どころか具体的な主張すらも松本小沢側からは一切出ていない状態である。この状況は、松本小沢両氏や、吉本及びホリプロにとっても極めて良くない状態ではないだろうか。現状の極めて限定された「同意」の有無がこのまま争点となるのだとすれば、いずれ名誉棄損の裁判等で勝ったとしても、強引な手段でも「同意」さえあればいいという危険な綱渡りの中でたまたま違法性が認められなかったのに過ぎず、本来性的行為の相手方に払うべき人としての尊重に欠けていた(仮に女性が心の中では「不同意」であったとしてもそこに敬意を払っていなかった)、という点については何らの反論もできていない状態になっていると言えるためである。
このような「性的同意」への軽視というスタンスは、当時の価値観であっても問題があったと私は思うが、仮に当時は問題とまでは言えなかったとしても、現代において維持できる価値観ではない。そして、そのように扱われた女性にとって、今と昔とで傷つき方に違いが生じるわけでもない。つまり、強引な同意を迫られたと捉えられかねない状況さえあるのであれば(それは、初対面女性をホテルに呼びつけてお忍び飲み会をしている時点でほぼ満たされているだろう)違法性や個別の事例で真摯な同意があったのかどうかはともかくとして、行き違いの中で傷つくことは十分にあり得るもので、そのことについてまずは謝罪するということが最低限必要になるだろう。
もちろん、松本や小沢の所属事務所が所属タレントを守る=自社の事業を守る立場として、不同意(あるいは強制)による性的行為がなかったことを第一に主張することは理解ができる面が全くないとは言わない。しかしながら、根拠を全く示さず、告発側への一切の理解も示さず全否定のみをした吉本やホリプロのスタンスは、同意さえあれば多少強引だろうと問題がないでしょう、という見え方をしている状態になっている。それどころか、法的措置にまで言及していた以上、女性側の証言を「真っ赤なウソ」、つまり、当時は同意があったのに同意がなかったという嘘をついていると自社のタレントの言うことのみを鵜吞みにして言っているのではないかと見られてもおかしくない状況である。これが、令和における大企業のスタンスとして受け入れられることはないだろう。少なくとも、初対面の女性をいきなりホテルに呼び出すような飲み会において、性行為を断りづらいと感じさせるような状況がなかったのかということを詳細に聞き取ったうえで、「と所属タレントからは聞いている」と留保を付けていうべきことであり、告発という、事実であれば大変な勇気を必要とする行動をとった被害女性に対して、万が一にもセカンドレイプとなってしまうことがないよう、万全の注意を払うべきであったものと考える。
なお、そもそもだまし討ち的なホテルでの飲み会への誘い方自体が存在しない等、本当にたまたま飲み会の中で盛り上がった中でしか性的行為は発生しなかったという争点の形成もあり得ないではないし、(かなり無理があるが)そもそも性的行為はなかったということもあるかもしれない。吉本やホリプロがそこまでの反応をするくらい、松本小沢側にとっては告発が真っ赤なウソであると言い切れる確かな証拠があるのかもしれない。しかし、そうであれば早期にその旨を発表すればよく、結果として看板タレントの休業などという大損害に繋がることはなかっただろう。
このように考えていくと、現状を放置することは、吉本やホリプロが現代において受け入れがたい価値観を持っているかと思われることか、所属タレントに余計な疑惑を持たせることの後押しになっているとしか言えない状態である。世間の「邪推」があっているにしろ、間違っているにしろ、現状についてのもう少し踏み込んだ見解を発表するべきであると考える。
同意なく性行為を強要されることと、彼が思い通りにならないから後で不同意扱いすることは、全く違うっていうのは分かるんだよ。
全く違うのなら、それをどう区別すべきかという基準が見いだせるハズだよね。
その基準が何なのかきちんと結論を出さなきゃ、「性犯罪に対して厳しくするのは、女側が主導権を握りたいから」などと邪推する奴はいなくならないんだわ。
友達の嫁さんと初めて会ったときに、「奥さんとは呼ばれたくない」と言われた。
そういう人たちがいるのは知っていたけど、実物には初めて会った。
後で知ったけど、そっち系でも知られた人。(国際的な研究業績もあり、掃いて捨てるほどいる単なる活動家ではない。蛇足だが、社会学者でもない。)
「それじゃ、何て呼んだらいいですか?」
ただ、意外なことに、明確な返事が無かった。
意外だったのは、「相手にとってはFAQだろう」と思っていたから。
即レスされる、と思っていた。
「夫の友人に返すような、穏当な返事の用意が無かった」というところかな、と思ったが、単なる邪推。
「友達の相方を、名前では呼びにくいですよね」と友達に向けて言った。
「だよね」と返される。
「奥さん」と呼ぶのは、「あなたは私にとって『友達の奥さん』です」という暗黙のメッセージ。
逆に言えば、敢えて名前で呼ぶことは「あなたと直接の友達になりたい」というニュアンスがこもる。
少なくとも我々の世代は、そういうことは不躾だと感じるのが普通だと思う。
今後、直接の友達になることがあったとしても、初対面でそういう態度はとらない。
友達とは、日本語で話すときは「増田さん」、英語で話すときはファーストネームで呼び合う。
おそらくは奥さんとも、英語で話すときはファーストネームで呼び合うだろう。
英語で話すのにファーストネームで呼ばないとしたら、それにも特別な意味が生じる。
夫婦でマンションを買いに行ったときに営業から、子供の学校に行って教員から、「奥さんとは呼ばれたくない」のは理解できるし共感もできるし賛成もできる。
ただ、夫の友達に「奥さんとは呼ばれたくない」と言ってしまったのは、彼女のミスだったのではないか、と思う。
おそらく彼女はそのときすぐにミスに気づいたが、俺の方はこうして後で考えをまとめる段になって初めて気づいた。
恥ずかしい経験が、また増えた。
今般の能登半島地震について、共産党が救援募金を行うとのことです。
だが、それを受けて、共産党の募金は別の用途に使われるのでやめた方がいいとの意見が挙がりました。
また、さらにそれに対し、「共産党の募金に関するデマについて(https://note.com/hina_01/n/ne41074a58fe6)」という反論記事が出されています。
なお、当該記事については「これは党と無関係の私が個人的に書いたものであり、公式の見解ではありません。」とされています。ただ、JCPサポーター(公式)と名乗るアカウントが紹介しており概ね公式的な見解に準ずると考えていいのでしょう。(https://twitter.com/JCPS_Official/status/1743162063512584367)
そこで、これまでの共産党の救援募金がどのように集められ、また使われていったのか調べてみました。
香西克介氏は、募金について「熊本の被災地救援、北海道5区補選支援、党躍進のためにありがたく使わせていただきます」と述べています(画像は前掲noteに掲載)。
また、これについて共産党の小池晃書記局長は「被災地への募金は、それに限って集めるのが当然だ。普通に考えればやってはいけないことだ。こういうやり方はよくない」「こういうやり方はしない方向で全体にも徹底したい」と述べたそうです(https://www.sankei.com/article/20160418-3ATASTYVVNOWFOPTFAUVLLTZHY/2/)。
前掲noteでは、「ツイート主の香西さんが誤りであったと謝罪し、全額を熊本の被災地支援に充てている。謝罪して最終的に全額熊本に送っているという事実を無視してこのツイートのみを拡散し、募金詐欺だ!と騒ぐのは流石に可哀想である。この件については何度訂正されても長年同じデマを拡散し続けているようだ。」としているが、謝罪をしたことをもって行ったことが変わるわけでもないのだから、少なくともデマとは言えないのではないでしょうか。
また、小池書記局長が「全体にも徹底したい」と述べているということは、一定程度常態化していたと疑うに足る十分な根拠になると思われます。擁護するのであれば、香西氏だけに限ったレアケースであることを論じていただければと思います。
日本共産党では、東日本大震災の救援募金について以下のように使ったと公表しています。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-28/2012092804_02_0.html
▽救援活動用資材、郵送料、諸経費(注5)1897万円
(注1)党中央委員会、県・地区委員会に寄せられた募金の合計です。
(注2)中央委員会は、被災地の自治体、農協、漁協、商工会議所、商工会、消防団などに直接、義援金をとどけました。県・地区委員会からも被災自治体などに義援金がとどけられました。
(注3)全国の党組織から、お米や野菜、各地の特産品、毛布、湯たんぽ、その他の生活必需品が支援物資として届けられました。
(注4)全国からのべ3万人を超えるボランティアが被災地で救援活動にあたりました。救援物資の輸送、その他の救援活動経費です。党は、ボランティア活動を効果的にすすめるために必要な体制をとり、とりくみました。
(注5)救援活動用ののぼりやボランティアが身につけるゼッケンなどの費用、募金を寄せていただいた方々へのお礼状・預り証等の郵送料、その他の諸経費です。
(注6)ボランティア派遣、支援物資などの救援活動は、今後とも長期にわたるため、今後の支援活動に充当する分を一定程度確保しています。
では、具体的にどのように使われたのか見てみましょう。
しんぶん赤旗によると、「83の自治体と、22の農協、46の漁協、14の商工会議所、37の商工会、42の消防団などに直接お届けし、懇談、交流をつづけてきました。」(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-11/2011121102_03_0.html)とのことです。
自治体はまぁわかりやすいが、農協、漁協、商工会議所、商工会、消防団の選定はどのように行ったのでしょうか。ちなみに岩手・宮城・福島には商工会議所が28、商工会が81、消防団が134個ある(私のカウントなので誤りがあるかもしれませんが、少なくとも義援金の送金先よりははるかに多いことは確実です)ので、半分以上の団体には募金は送られていないことになります。「懇談・交流を続けてきた」とありますので、共産党と交流のない団体には送られないということなのでしょうか?まさかそんなことはないとは思うのですが・・・
後、集められた募金の送金先を共産党が決められるというのは良い事なのでしょうか。例えば、自民党や民主党(当時)は党として集めた募金を日本赤十字社に送っています。募金の送付先を党が恣意的に判断しているといわれないためには当然の配慮ではないでしょうか。
「全国の党組織から、お米や野菜、各地の特産品、毛布、湯たんぽ、その他の生活必需品が支援物資として届けられました。」とあります。
募金は直接被災地に届くのではなく、日本共産党によって現物を購入して届けられるものもあるようです。何故このようなことをしているのかは分かりませんが。
一番きな臭いのはここです。何故募金を「救援活動用ののぼりやボランティアが身につけるゼッケン」に充てなければならないのか。
「全国からのべ3万人を超えるボランティア」とありますので、ボランティア全体でないことは明白です(数が少なすぎます)。
ではどのようなボランティアか、ここは公表されていませんので推測でしか書けませんが、共産党の立ち上げたボランティア組織に使う、という趣旨ではないでしょうか?傍証はあります。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-09-17/2018091701_02_1.html
http://hasebe-atushi.sakura.ne.jp/wp/?p=4491
滋賀県と奈良県からのボランティアのみなさんが、きょうも住宅地の訪問と聴き取り行動に出発です。
私は内郷(うちごう)・好間(よしま)地域のいっせい行動へ。20人のみなさんが、炊き出し隊と「原発ゼロ」署名・街宣隊にわかれ、行動開始。
また、のぼりやゼッケンが必要な意味もわかります。すでにあるボランティア団体に支援するのであればそんなものは不要ですが、これから立ち上げるのであれば必要になってくるでしょう。
すなわち、ボランティア組織一般に送金しているのではなく、共産党の息のかかった団体・活動に送金しているのではないか、またその活動は共産党の活動と一体ではないのかという疑いです。
仮に後者の「ボランティア活動」に募金が使われていた場合、反原発運動にも一部使われていたということになります。
これは共産党やしんぶん赤旗の公表資料を見ても、推測はできても明確には読み取ることができなかったので、私の邪推というのであれば是非指摘してほしいですね。
・共産党は募金を選挙や党勢拡大のために用いようとしていた過去があり、謝罪していた。この点についてデマとは言えない。
・自治体以外の団体へのも送金しているがその選定基準は不明である。政党が個別団体に金品を送るのはあまり好ましいことではないのではないか(自民党や旧民主党は日本赤十字社に一括して送付している)。
・ボランティア活動のために用いているとあるが、そのボランティア団体は共産党系の団体であり党の活動と不可分ではないか。また、直接活動には関係ないと思われる活動やのぼりなどにも用いられる。(未確認。分かる人補足してほしい。)
これらについてすべて承知の上だというのであれば、共産党に募金してもいいのではないかと思います。
今回調べてみて、個人的には、東日本大震災に募金したら共産党系団体のボランティアのためののぼりや反原発運動に使われていた可能性が高いことが驚きでした。
ほかの党についても同じ熱意で調べてほしいな
調べてみたところ、自民党、旧民主党ともに日本赤十字社に送っていて、個別の団体に送金したり自党関連団体で使っていた事実は確認できませんでした(増田の仕様上これ以上リンクを貼れないみたいなのでググってみてください)。
寄付された商品ではなく、寄付されたお金の使い道です。わざわざ現物に変えて送付しているということですね。
この辺の奴らも開示請求して、名誉棄損で訴えるべき。Colaboの件でもそうだったが、支援活動をデマで貶めようとする連中は、人間のクズとしか言いようがない。
とりあえずほぼ事実なのが
正直これはやり取りをはっきりさせなきゃ無理だと思う、でも強制わいせつ罪起訴は難しいんじゃないかな
強制性交等罪は2017年からだし、今の不同意性交罪ではAさんはアウトかもしれないけどそれは2023年からの話
文春では「脅された」的なことが書かれているが
良く読むと会合の前に「粗相があったら〜」と言ってるだけなのでギリギリ脅しにはならんと思う
脅しっていうのは「もし性行為を拒絶したら〜」と言わないと
法的に罰せられるかはかなり微妙だけど、イメージはかなり悪い(そもそも不貞行為)なので
松本の罪状は「センテンススプリングベッキー」と同等だろうし
大御所芸人は多かれ少なかれ書かれているわけで、スキャンダルで消してたらテレビ終わる
そういうシーンを記事にされたら大体の人はダサいしキモいと思うのと
別に信者でもないのでガッカリしたということもない(ただ面白くないのが致命的、浜田は面白かった)
ただ今段階で清廉潔白だと思ってるのがちょっと痛い、嫁子供居るんだから世間的にアウトじゃん
小沢が申し訳無さそうになってるのは責任感じてでしょ、黙ってるのは松本や吉本に同調するため
なんとも思わない
てかこれは予想だけど、タレコミはもっと前にしてたんじゃないかな?それか警察に相談済みでだめだったとか、8年は空きすぎ
騒ぎすぎ
・松本の「俺の子供産んでほしい」は生セックスしたいから方便でしょ、実際にうっかりできた子居そうだよね
・意外とMeTooが広がらなかった、この会の打率低かったんじゃないか?
・ジャニーズ問題とはだいぶ違う、年齢も違うしパワーバランスも違う。近いのは飲みサー大学生(それを52歳がやってるのは痛いが)
・小沢が交通費しか出さなかったのは、出したら売春斡旋になってアウトだからでしょ?ギリギリのところでやってたんだと思う
・この会は明らかにゲーム性を意識してると思う、小沢なら「松本とエッチしたい子」を連れてくるくらいできるでしょ
やれ広告代理店だのやれ政府・自民党に雇われた人間だの、一部の方々からはX(Twitter)のコミュニティノートの執筆者の存在が邪推されている。
そんな邪推はしないにしても、誰がこんなものマメに書いているんだ?と疑問に思う人も多いだろう。
あくまで一例に過ぎないが、コミュニティノート寄稿者1人としての増田の話を書いてみようと思う。
気になるニュースや事象があったらGoogle検索するだけで、必要であれば論文や公文書などを探し、ネットで見つからなければ国会図書館に赴く。国会図書館に無い本があれば古本屋を探すし、現地に赴けば情報が得られるものなら現地に赴く。
そうして得られた情報や知識を整理して体系化し、ブログや個人サイトなどで記事にする。もちろん媒体は人によるから、同人誌として発表する人も居るだろうし、最近ならYouTubeに動画として投稿する人も居るだろう。とにかく、これが趣味なのである。
陰謀論で儲けようと熱心な方々には想像もつかないだろうし、だからこそ「政府に雇われた人間がやっているビジネスに違いない」という発想が出てくると思うのだが、趣味として無償でこういう調べ物と発表をする人間はインターネット黎明期から現在に至るまで一定数存在することは知って欲しい。
増田はかれこれ10年以上、Wikipediaを編集している所謂「ウィキペディアン」である。
ウィキペディアは端的に言ってしまうと、執筆に際して出典の提示を最優先に掲げている。例えばあなたが非常に先進的かつ斬新な知識を持っており、それを正しいと信じていても、信頼できる出典がなければウィキペディアはそれを受け入れることはない。
(この出典至上主義とも言えるスタンス自体には賛否があるかもしれないが、ルールなしに寄せられた各自の主張が入り乱れる状態よりは遙かにマシだろうと自分は思っている。)
そうとはいってもウィキペディアは誰でも編集できるわけだから、出典のない記述が寄せられることは日常茶飯事である。そういった記述をメンテするのもウィキペディアンの活動の一つであり、「雑草取り」と呼ばれる。
これに関して最も簡単な方法といえば出典がないことを示す [要出典] を貼り付けることなのだが、時たま「これは恐らく事実で、単に出典を貼っていないだけではないか」という記述に出くわすことがある。
こういった場合、増田は調べ物に走る。つまり、その記載を裏付ける出典をできる範囲で探し、確認できたら出典を付与するということを行うのである。無論、本当に出典が確認できないものもあるため、残念ながら記述を削除したり [要出典] を貼り付けたりするという結末に終わることもある。
この営みはコミュニティノートの、「誤解を招く投稿へ情報を補足を行う」という趣旨で求められることと類似しているため、ノウハウがそのまま使える。
増田は正直なところ、「雑草取り」の趣味の場が広がったと思ってコミュニティノートを書いている。
増田は以下の2つに絞っている。
特定されたくないので詳述は避けるが、増田の専門分野をメインにしている。調べ物が趣味とは書いたが、専門分野以外に関しては情報源の勘所がわからないことも多いあるため、余計なことはしないようにしている。
その分野の単語で検索したり、タイムラインに流れたり、何らかの形で目にしたもののうち、誤解を招くものに関しては情報源を確認した上でコミュニティノートを投稿している。
専門分野以外では、明らかなフェイク画像・フェイク動画にはコミュニティノートを投稿することがある。
正直なところ、自明なものにノート書くのは野暮だと思っているのだが、それでもリプライや引用で釣られてしまっている人が多いものに関しては積極的に投稿するようにしている。
これは重視していない。もちろんフェイクを流す勢力の政治信条には偏りがあるため、ノートを書く分量自体には偏りが出てしまうが、右派・左派などは関係なく、誤解を招くものを見つけては書くようにしている。
露悪的な言い方をすると「調べ物をして誤解を招くポストを撃破するモグラ叩き」だと思っている面はあり、それが一番楽しいので特に特定の政党や勢力を利するつもりはない。
閲覧数が多いもの、あるいは多くなりそうなものを選ぶようにしている。
これはコミュニティノートのアルゴリズムに由来するもので、閲覧数が少ないポストにノートを書いても反映されないためである(より大きな影響を与えるポストに優先してノートがつけられるべき、というのがX社の理屈なのだろう)。
最初はこれも気にしていなかったのだが、このアルゴリズムを確認してからは、なるべく表示される機会が多いものを選ぶようになった。趣味とはいえ調べ物をする時間は有限であるため、それくらいは許して欲しい。
【目次】
・私のスペック
【スペック】
・20代大卒
・簿記2級
低学歴の社会不適合者は多種多様だが、高学歴社会不適合者は1種類しかいない。
精神科医の書いた本※曰く親子関係が歪だと発達障害よりの健常者、所謂グレーゾーンになりやすい。
他責をしたいわけじゃない。自分を守れなかったのは自分の責任だ。
高学歴なんだから親がちゃ当たりだろ?と言われるかもだが、私が勉強を必死に頑張った理由なんて
「高学歴にはまともな人間が多い」という噂を信じて、「高学歴になれば親のような気狂いとは関わらずに済む」と
本気で思ったから死ぬ気で勉強したんだよ。小中高は公立だし、家が裕福なわけでもない。
私の周りの高学歴社会不適合者を見ても、大抵の場合親と仲が悪く虐待の後遺症を抱えている。
高学歴社会不適合者の典型的パターンが毒親育ちだという私の個人的認識と精神科医の意見が合致したので書いた。
一番身近な大人の頭がおかしいため、人間に対しての不信感があり、おまけに狂った人間と暮らすため心が疲れている。
普段から正常な人間と関わっている人は「正常な人間が人類の基本でたまに変な奴がいる」という認識なので、
まず正常な人間と関わる前提で人と接して、不都合があれば(何この人、キモっ)となる。
対して、毒親育は普段から異常者と接しているので「異常者が人類の基本でたまに良い人がいる」という認識なので、
異常者と接する前提で人と関わる。つまり、他人との人間関係形成の初動が狂っている。
義務教育時代に作った昔からの友達と高校進学で縁が切れてからが孤立しやすい。
自己肯定感が低かったり、精神が安定してなかったり、問題は山積みである。
他にも親と似て自他境界線が曖昧になっていたり、白黒ハッキリしていたり情緒の健康とは別の軸で思考回路も歪である。
こういった精神構造は自分の異常行動を言語化していくと減っていく。
最近は友達が増えたし、他人に対して自他境界線が曖昧な人間特有の干渉の仕方とか距離感のバグり方は何とか治した。
当たり前だが何かを人に教える人は、それについて一定以上の技能が必要である。
例えば数学教師は数学に詳しいし、英語教師は英語に強い必要がある。
これと同じで社会性の高さを正当に評価できる人間でないと、子供に社会性を教えられない。
ただ、多くの大人が自分の社会性の有無に関係なく、他人の社会性を評価できると誤解している。
お宝鑑定団という番組をご存知だろうか?文字通りお宝の価値を専門家が鑑定する番組である。
この番組から学べることは「何かを正確に評価するのには専門技術が必要である」という事実である。
一般人はゴミをお宝だと思ってたりして、お宝をお宝と評価できないのが普通の人だと思い知らされる番組だ。
当たり前だが毒親に社会性はない。社会性のない人間に社会性は教えられらない。
なのに私の親は過干渉だから自分の価値観を子供に押し付けようとする。
毒親に育てられると、社会性の定義が「理不尽に耐えること」もしくは「他人の機嫌をとること」というものになってしまう。
「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」のことを社会性と言い、
キチガイのご機嫌を取れば「社会のルールを守る」もしくは「適切な社会生活を営む」のいづれかに支障をきたす。
つまり、「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」は社会性ではない。
社会生活を営む上で仕方なく理不尽に耐える必要がある時もあるが、仕方なくやっているだけである。
上司が明らかに間違った指示を出しても指摘せずにずっと間違ったことをするとか、こいつは雑に扱っても良いと認識されやすいとか。
正常に働いている人を見ると「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」を社会性と定義していた。
仕事ができる人は正常な社会性を有していた、今まで社会性の低い親に対して正常な社会性を出すと怒られていたから、
「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」を社会性だと思っていたが、自分の社会性が低すぎて社会性が何か分かっていなかっただけだ。
会社に入社して、周りの対してビクビクしてたら腫れ物扱いされて放置された。
何とか3年目でシゴいてくれるタイプの上司に当たった。これは本当に有り難かった。
シゴいてくれる上司の元、1年は必死に働いたが、発達障害グレーゾーン(注意欠陥)の私はケアレスミスを連発。
おまけにシゴいてくれる上司が転職し、元の腫れ物扱いした上司が戻ってきた。
元の上司が戻った途端「お前を採用した時の面接官は誰?」と聞いてきた。
「社長です。」と答えると「もっと地位の低い人で」と言われた。
邪推だが、私を採用した人間を「なんでこんな奴を採用したんだ」と罵倒するつもりで聞いたのだろうと思った。社長に文句は言えないからね。
「忘れました」と答えておいた。嘘も方弁だ。
無職や精神異常者、現実で会えない人間から「だからお前はダメなんだよ。」みたいに言われる。
本当に人生論を聞かせてほしいようなレベルの高い人は、人生しくった経験がないから私のような人間に適切なアドバイスをできない。
人生しくじってるやつにわざわざ近づいてくる人間は、自分より下を見つけて偉そうにしたい、精神がすり減った限界の底辺だけだった。
人生を詰んだ時の問題は、自分に問題があるから落ちぶれたのに、周りの人間も問題児ばかりになるから、自分を信じて道を切り開くしかない。
という点である。
一般的な事例から外れた苦しみ方をしている場合、一般的な事例から外れた解決策が必要になる。つまり、勇気とセンスと根気が必要になる。
女と金(稼ぐ力)だ。自分でもびっくりするほど安っぽい結論にたどり着いた。
こんな安っぽいものではなく、人生で苦しむと、精神的なものを求め始める。
しかし考えてみて欲しい、精神的なものを求めるのは物質的な豊かさに余裕があるからで、物質的な豊かさに余裕があるのに不安を感じるのは自分の実力で手にした豊かさじゃないからだ。
自分の力で金を稼げたら、自分の存在意義とかなぜ産まれてきたとか、人生で何を成したいかとか、そんな大雑把な悩みはなくなる。
会社辞めた後、無職なのを隠して出会い系で女とデートした。無論、職歴を騙すのもアレなので1日で関係を切った。
セックスはしていない。流石に肩書きを騙して付き合った相手を抱くのは詐欺にも程がある。気が引けた。
女とデートするのは楽しかった。母親と仲が悪かったので、女性と一緒にいるのが楽しいと言う現象が起こるとは思わなかった。
今まで生きてても楽しくなかったから、何やってもエネルギーがなかった。
苦しみから逃れることがモチベーションだったけど、楽しいことがなかった。
商学部卒で経営の知識があることと、へっぽこだが経理の経験があること、飲食店でバイトした経験を活かして飲食店を起業しようと思う。
これからくる円安の波に乗っかるため、外国人観光客をターゲットにするつもりだ。
最初は個人店で勝負するがいづれはチェーン展開して行きたい。まぁ飲食なので激務になりそうだが、社内ニートよりマシだろ。
あと売上が立ってきたら並行してマッチングアプリで女をあさる予定だ。
金と女があれば、男は満足できる。金があっても心が満たされないのは、それは自分の実力で正当な方法で稼いだ金じゃないからだ。
女に関しては、訳分からん楽しさがある。浮気はしないようにするつもりだけど。。。
「この表現を使ってるからコイツはこの世代に違いない」みたいな言及をたまに見かける。
釣りを鋭く見抜く分析力、みたいな自負があるのかもしれない(邪推かもしれない)けど、そういう発想自体がなんというか年行ってる人のそれだと思う。
ドラゴンボールの放送翌日はクラス全員がその話をして、ゲームといえばコンソールかACで、同世代の話題がかなり固定されていたような時代の。
まあそうでなくたって、その人の年齢や世代からして珍しい固有名詞が飛び出るなんていつの時代でもありそうなもんじゃないかって気もするけど。
最新ハードを買えなくて兄弟の世代がズレたゲームだったり、家に置いてある両親の世代の漫画だったりで退屈をしのぐガキだっていくらでもいるだろうに。時代独特の表現だとかを漫画で見聞きしたり、内輪で敢えて使ったりして癖になったりする事だってあるでしょうよ。
社会的な人生の経緯だけを辿れば山月記とか車輪の下に共感する余地は大きくあると思う。このまま死にさえすれば。読んだ時は自意識を突っつかれたような気分になった。
境遇とはまた別に、プライドがめっちゃ高くて中途半端に頭が良い人間の大きすぎる理想とそれに対する強すぎるこだわり、というより手放し難い憧れ。それを人生の芯に据えてしまったがための苦しみみたいな内的な部分でも大いに共感は覚える。そこも作品のかなり本質的な部分ではあるのだろうけど、努力の限界や世界の広さに打ちのめされたという所が自分の人生と決定的に違う話なんだろうなって思う。
人の生の有限性と無意味を自覚した上で、何かしなくてはという焦燥感だけがある。でもそこで抗っていくための何かがない。他人の輝きにあやかって憧れるばかりで、実際に手を動かすのが心底面倒臭い。面倒臭さに抗って続けてみても、喜びは少なく面倒臭さだけは変わらない。辿り着きたい所まで行くために、これから感じなければならないであろう面倒臭さを思うと気が滅入る。
よしんば最後まで手に入らなかったとて、ここまで面倒臭くなかったのなら人生の希望を持ち続ける対価としてちょっとくらいは耐えられたかもしれない。
憧れではない、心の底から湧き出るような喜びや情熱のような原動力が無いために人生に対するやる気も失せていく。どうしようもない面倒臭さ、怠惰さだけが募っていく。
大きな理想なんて諦めてささやかな喜びを拾い集める人生なんて、光も差さない真っ暗な絶望だとしか思えない。そして実際そういう生き方をしてみれば案外悪くないもんだなと思ってしまいそうな事が異様に恐ろしい。
それこそワナビとか真面目系クズみたいな言葉で揶揄されるような人間そのものだと思う。
あの手の言葉のニュアンスって理解と言うより実感の問題だし、罵倒の言葉として成立すると思っている、実際に使う人間ってやっぱそういう方面で同族嫌悪じみたものがあるんだろうなって思う。自己紹介に近い。邪推が過ぎるか。
その駅でどの道びっしり埋まるのに、それでも一応可能な限りは一席飛ばしで座ろうとするのってなんか茶番じみてて面白い。当然数秒も待たずに隙間は埋まるし。
でもおれもそうする。どうせ埋まるからといってわざわざ人の横に行く道理もないし。
それに、後から来た奴に対して「お前が来なければ一席飛ばしの均衡は保たれてた訳だけど?後から来たのはお前だけど?」って精神的なイニシアティブを取れる。隣の奴が寝て寄りかかって来ても心置きなく肘で押し返せる。
自分が後から座って隙間を埋めてしまった場合は後ろめたさがあるので、寄りかかってきても軽く身をよじる事でしか抵抗出来ない。
ただのマイルールでしかないんだから、別に先に座ってようが後からだろうが寄りかかってくる奴を押し返すくらい一般的な対応の範疇だろうけど。でもやっぱマイルールに従ってたい。
一席飛ばしが可能な状態になったけど席移った所でまたすぐ埋まるような状況で、それでも移るような人もたまに見る。おれはそれはやらない。感覚的な問題ではあるけど流石に無意味すぎる。隣に座ってた奴に対しての意思表示なんじゃないかって邪推しちゃう。
基本的にコラボ側も暇側もツイートが目に余る人間が多いので基本ミュートしているのだけど
やはり一都民としては疑惑が真実か否か、団体及び団体周辺の人物の活動に対する疑問に対しての答えが
東京都側が最終的にどう回答するのか、裁判でどう判決が下るのかは気になる所ではある。
なので住民訴訟の進捗については都度見守るしか無いのだが、どうにも暇アノンアノンというかリベラルサイドは相変わらず戦うのが下手だよね。
単純に信頼を失って彼らにとっての「敵」を増やし続けているのが寧ろ見てて歯痒くなるレベル。
住民訴訟及び暇空の活動・言動に対し「信頼が置けない」「裁判には勝てない」というのは「議論」「論評」の範囲だと思うのよ。
寧ろ議論はどんどんやれって話だしそこまでに至らない感想だって自由だろう。
しかし「絶対に裁判には勝てない」とか「敗北を続けている」とか言うのは、議論というよりは「願望」では無いだろうか?
人格がどうだの言動がどうだのオウムだの余命だの、レッテルを貼って貶めるのは(左翼の常套手段ではあるものの)もはや「誹謗中傷」の域だろう。
「暇空は住民訴訟をやる気が無い、興味を失った」とまで言うのは、もう「嘘・デマ」ですらある。
「そういう事にしたいんでしょうね」という、リベラル側の人間の願望が見え隠れ(隠れてない)しているのである。
怒らないで下さいね、まだ住民訴訟すら全然終わって無いじゃないですか。せめて結果が出るまで待ちましょうよ。
堪え性の無い犬じゃあるまいし。
よっぽど後ろ暗い所があるのか、逆張りアンチ精神で騒いでいるのか、などと邪推してしまいます。
(裁判の進捗については寧ろこのぐらいが普通だろう。通常のしょうもない裁判ですら
数ヶ月~一年以上かかるのは当たり前。せめて一般的な法的知識を学んでおいて欲しいものである)
左翼は「議論」「論評」や「感想」と「誹謗中傷」「レッテル」「嘘・デマ」を巧妙に織り交ぜて世論を誘導しようとし続けている。
一昔前からネトウヨネトウヨ、昨今では統一教会認定、壷壷🏺🏺連呼し続けている左翼の常套手段ではあるのだが
陳腐かした党派性運動を飽きもせずやり続けた結果、大衆からの支持を失った事実にいい加減向き合うべきでは無いだろうか?
人間は、「こいつは自分を騙そうとしている」「(騙す気で)悪意を向けられている」と感じた時に、他者への信頼を失う。
左翼やリベラルやフェミニストは、一般市民の大半を愚民だと見下し、口汚い罵倒と薄汚いレッテル貼りとしつつ
都合の良い「事実」とやらを突きつければ、一般市民は嫌々ながらも従い支持するのだと思い込み常套手段を繰り返してきた。
しかしいくらDVしながらオルグをしようとしても、殴られてる方がいい加減「こいつ(左翼)はヤバい、信頼できないし関わり合いになりたくない」と思う様になる。
自分が殴られなくても、他人が殴られながらオルグされているのを客観的に見ると、どちらがより「社会的に正しい」かは余程の馬鹿でも無い限り自ずと理解するのである。
左翼によるDVオルグは少数の味方とその他多数の「敵」を生み出した。
実際には敵対しているというよりは、暴力的な癖に知的を気取っている自称リベラルの事が信頼出来ずに嫌悪しているだけなのだが。
暇アノン(とされる)連中は、時代に適応・アップデートし、従来の左翼やフェミの闘争手法を取り入れながら大衆からの支持を集めようとしている。
けれど左翼はどうだろうか?
暇アノンアノンに代表される様に、相変わらず昔ながらの思想的暴力を振るって世間にアピールしているだけでは無いだろうか?
結果、デマも含めた誹謗中傷や個人に対する暴力も否定しない姿勢が、より左翼やリベラル界隈への信頼を地の底の更に底まで貶めてはいないだろうか?
余命事件をあげつらい愚弄する連中がやってるのは、結局余命カルトと大差無い手法(嫌がらせ)を繰り返すのは
もはや笑えないブラックジョークとでも表現すべきなのだろうか?
暇空が信頼出来ない以上に、暇アノンアノンの方が余程信用出来ないので、相対的にマシに見える。
自ら勝手に野蛮を晒し評判を下げていくのだから、数と権力の圧力にさえ負けなければ、これ程戦い易い相手も無いだろう。
進化も出来ずに寧ろ退化している左翼・リベラル(暇アノンアノン)が、既得権力の差を見せつけるのか
「ネトウヨ」(とされてきた人間・集団)のアップデートされた戦い方が勝つのか。
先週関西行く機会あったんだわ。
Twitterの友達にその話したら「じゃあうち泊まったらいいじゃん」
って事を言ってくれた。
リプでやり取りは良くしてたけど、完全におっさんだと思ってた。
用事済まして待ち合わせ場所に行って、そこでLINE交換して連絡したら女の声なのよ。
一瞬奥さんか何かかと思ってまぁまぁテンパった。
ちゃんとご本人らしくて、車に乗りこんだ。
車にのって最初は緊張したけど、慣れるとリプやDMのノリで話せる。
なんか俺の分の夕飯を家で用意してくれてるらしい。めっちゃ良いやつ。
途中で酒買いにコンビニへ降りたのよ。
ぶっっっさ!!
なんだろうな、ドクロにカツラと皮膚被せたような、目のギョロっとしたおばさん出てきた。
Twitterで太らないアピールしてイキッてたのはそういうことかぁ〜
一人暮らしみたいで、そいつんち上がり込んで夕飯頂くと、しきりにコンビニで買ったお酒を勧めてくる。
まぁ次の日帰るだけだから、飲むわけですよ。
しみじみ顔見ながら
(ほんとブスだな……)
と思ったけどどんだけ酔っても流石に口には出さなかった。
なんか勘違いして照れてたし、好意的な誤解はそのままにしておいた。
俺はもう誰も反応してくれなくても2時間とか3時間とか話しちゃうタイプのコミュ障なんだけど、そいつも俺と同じタイプでな。
俺が勝手にビール開けてる間もそいつはずっっと1人で喋りまくってて、気を使って話題考えたりしなくて良いから気楽に聞き流してぐびぐびできた。
話したりは普通に楽しいんだけど、結構ボディタッチ多いんだよな。
まぁまぁ鬱陶しいけど拒否するのも悪いかとスルーしてたら、なんか抱きついたりもしてくる。
いやでも全くチンピクしない。というかもう触られるのも結構嫌だ。
本人なりに可愛く振舞ってるのかもしれないけどしんどい。見てて痛々しい。
30こえた女性がまだ可愛いつもりで可愛いアピールしてくるのはキッッツイ。美人なら許されるんだろうけどな。
若さが武器になった時しか男と付き合わなかったのだろうな、とか邪推してしまった。俺は童貞だけど。
ずっとベタベタしてくるから、俺からもなんかしなきゃいけなさそうでベタベタとちょっかい出してた。
「やだぁ〜」
でももうマジ無理、おばさんキショ。
どさくさに紛れて、俺の魔法使い見習いをおばさんが骨だらけの手でさわさわしてくんだけど、オレの魔法使い見習いはまだ魔法使いへのランクアップ狙ってる。
おばさんが「増田は疲れてるの?」
ってすごくかなしそうな顔で聞いてくる。
多分疲れてると言えば寝かしてくれそうな感じはあるけど、ほんとに悲しそうな顔してたから
「こういうの初めてだから緊張しちゃってさ」
って返答をしといた。
そしたらなんかひっついて耳とか首とか舐めてくる。
意図不明でめちゃくちゃ怖かったんだけど、そいつなりに誘ってんだなと少しタイムラグがありながらも理解する。
「シャワー浴びさせて」
って女の子みたいなこと言って、風呂場にスマホ持ち込んでエロ動画みてうちの見習いを叱責してなんとか事に及んだのよ。
中折れしたけど。
脱がせると裸が痛々しいし、抱きつくとシンプルに痛いし、息がなんか合わなくて魔法使い見習いがへし折れそうになるしでもうひたすらしんどい。
いっちゃん気持ち悪かったのが、俺が撫でたり突いたりすると喘ぐわけよ。結構大袈裟に。
向こうも気持ち盛り上げる為だったり、俺に恥かかせない為だったりって事情はわかるんだが、やっぱ気持ち悪いもんは気持ち悪い。
なんもかんも大袈裟なんだよな。
無言でやってんのもなんか感じ悪そうだから、俺も動画で覚えたワードを囁いてたんだけど、思い返すと俺も相当気持ち悪いな。
すんげぇ気疲れしながらも、終わってから話しながらイチャコラっぽい事をしながら「もう寝ようよ」を連呼して寝かしつけた。
朝起きたら朝ごはん用意してくれて、一緒に食べて、2人でアマプラを仲良くみた。
俺が戦争映画たまに観るって話したら、プライベート・ライアンを流してくれたんだ。
車だしてくれてメシも用意してくれて、酒はそいつの奢りで、ベッドにも入れてくれて、至れり尽くせりなんだよな。話してて気楽だから何時間でも一緒にいれる。
男欲しくなったらちゃんと俺みたいな弱者男性で妥協できる偉いやつなんだけど、悪いけどほんとにブサイクなんだよな。
他人の手料理何年ぶりだし、異性の手料理はたぶん初めてじゃないか?
パスタ出してくれて、俺がTwitterでチョロっとしゃべった事覚えててくれてて、海苔かけてくれたんだわ。
朝ごはんも卵焼きの好みを俺に合わせて、甘いやつ作ってくれたし、味噌汁もなんか分からんけど好きな味だった。
朝なんかやる気だったっぽいけど、誤魔化して逃げてしまった。
世の女の子がおじさんの性欲嫌いがちなのも、一応理由のある事なんだなって思いながら、そいつに駅まで車で送ってもらった。
なんか俺とそいつ付き合ってるらしい……そうなのか……
追追記
ブコメの「賢者モードで印象を遡及して〜」ってのも決してゼロとは言わんが、やっぱチンピクしなかったのは間違いないからな。
北海道の味噌バターラーメンとか仙台の牛タンとか、名物として「用意」されてる感を感じるとなんか冷めてしまう。
例えばドラマで会社員が一服してるような、室外機が雑多に置かれた雑居ビルの屋上に上がってみたい。でも百貨店とかの屋上ではその気持ちを満たせない。ベンチなんか置かれちゃったり、芝の上でガキが走り回ってたりして、「ここでゆっくり過ごしてくださいね〜」と言わんばかりに用意され過ぎてるみたいな、そういう……
あとはもっと単純に、土地の差違を楽しみたいのに、楽しむための差違がわざわざ用意されてるんじゃないか?と思ってしまうと冷めてしまうというのもある。
さわやかとかセコマみたいなローカルチェーンが観光地として選ばれるのって、そういう我々が日常生活でファミマに入るが如く「本当にその地域で慣れ親しまれているもの」への欲求を適度に満たしつつ、しかもローカル展開なのでそこでしか楽しめないという欲求も満たせるバランス感みたいなものが決め手になってるような気がする。金沢や小樽で敢えて回転寿司に行ったりするのも然り。
さわやかも今は吉村家並みに混んでるらしいし、そういう点とは別な部分で観光地感(≒おれの言う用意されてる感に近いもの)を感じてしまうかもしれないが……
でもおれはさらにそこで疑ってしまう。それらはホンマに愛されてるんかと。静岡県民は本当に他のファミレスを差し置いてさわやかを選ぶのか。北海道の中高生は本当にコーラよりもガラナを選ぶのか、ごつ盛りよりも焼き弁に手が伸びるんかと。
別にそればかり食べている訳でもなくて、それが選択肢として当たり前に存在するのが馴染まれているという事なんだろうとは思う。でもそこでちょっと肩肘張ってる部分がないだろうかと邪推してしまう。
レモン牛乳は本当に自然体で愛されているんだろうか。栃木といったらこれだよな、という余所者の視点が内面化されて気負いとなってはいないだろうか。
まあ実態なんて分からんし邪推ばかりしていてはパラノイアになってしまうので、程々に収めておくようにしている。と言いつつ関西土産にどん兵衛を買ってきてしまう。ごつ盛りと焼き弁では少々不公平な所があるかもしれないが、どん兵衛(W)とどん兵衛(E)ならそこで確かな土地の差のようなものが感じられる気がする。