社会的な人生の経緯だけを辿れば山月記とか車輪の下に共感する余地は大きくあると思う。このまま死にさえすれば。読んだ時は自意識を突っつかれたような気分になった。
境遇とはまた別に、プライドがめっちゃ高くて中途半端に頭が良い人間の大きすぎる理想とそれに対する強すぎるこだわり、というより手放し難い憧れ。それを人生の芯に据えてしまったがための苦しみみたいな内的な部分でも大いに共感は覚える。そこも作品のかなり本質的な部分ではあるのだろうけど、努力の限界や世界の広さに打ちのめされたという所が自分の人生と決定的に違う話なんだろうなって思う。
人の生の有限性と無意味を自覚した上で、何かしなくてはという焦燥感だけがある。でもそこで抗っていくための何かがない。他人の輝きにあやかって憧れるばかりで、実際に手を動かすのが心底面倒臭い。面倒臭さに抗って続けてみても、喜びは少なく面倒臭さだけは変わらない。辿り着きたい所まで行くために、これから感じなければならないであろう面倒臭さを思うと気が滅入る。
よしんば最後まで手に入らなかったとて、ここまで面倒臭くなかったのなら人生の希望を持ち続ける対価としてちょっとくらいは耐えられたかもしれない。
憧れではない、心の底から湧き出るような喜びや情熱のような原動力が無いために人生に対するやる気も失せていく。どうしようもない面倒臭さ、怠惰さだけが募っていく。
大きな理想なんて諦めてささやかな喜びを拾い集める人生なんて、光も差さない真っ暗な絶望だとしか思えない。そして実際そういう生き方をしてみれば案外悪くないもんだなと思ってしまいそうな事が異様に恐ろしい。
それこそワナビとか真面目系クズみたいな言葉で揶揄されるような人間そのものだと思う。
あの手の言葉のニュアンスって理解と言うより実感の問題だし、罵倒の言葉として成立すると思っている、実際に使う人間ってやっぱそういう方面で同族嫌悪じみたものがあるんだろうなって思う。自己紹介に近い。邪推が過ぎるか。
語彙が多けりゃ中味が充実するってワケじゃないのね文章表現って😅