はてなキーワード: 資質とは
まだ若者の範疇だけど、そろそろ女の子とも言いがたくなりつつある。
世にはアラフォーでもまだきれいなかわいいお姉さんって感じの人がたくさんいるし、
わたしもまだまだお姉さんで通る見た目だと思う。だってまだ23だし。
でも確実に老いは来る。そして、それに抗って若い見た目を保つ努力はめんどくさい。
おばさんは嫌だ。ババアになりたい。だから、見習いババアを自称しはじめた。
わたしの母親は適度にズボラで適度にサバサバしていて、いいババアみを持っていると思う。強烈な天然パーマもババアみにちょっと寄与している。
ただ、外見にはそれなりに気を使っているし、気遣いもすごくできるし、ババアっていうかマダムって感じ。
最低限の気遣いやマナー、身だしなみも生きていくうえですごく重要だと思うけど、マダムというのもなんだか癪である。
近所のガキどもにババアと呼ばれて慕われて、そのたび「ババアとはなんだババアとは」ってがなるけど怒ってはいなくて、だから子どもたちもババアって呼ぶのをやめないみたいな。
喧嘩している子がいたらかっこよく仲裁してやったり、休みの日には宿題教えてやったりとかして。
その子達の親が「○○さんに向かってババアなんて失礼でしょ!」とか言ってたら「ババアはババアだからそのままでいいんですよ~あ、でも他のババアのことはババアって呼ぶなよ!」とか言いたい。
今井絵理子の「批判なき」発言の場合は今井氏個人の資質、周辺文化や言語概念の問題として理解できる点はあったが、政策として基礎研究に注力されないのは政治全体の問題だ。
政治家全体、あるいは役所まで含めてこの指摘のような概念の齟齬を起こしているというのはさすがにちょっと無理があるように思う
俺が民進が嫌いなのは、税金、及び、経済政策については自民よりだいぶ新自由主義だからだ。
だから、消費税好き、法人税嫌い。景気悪いのに強引に財政均衡を目指す。
で、結果として景気を墜落させた。
景気を墜落させたのに「財政均衡目指せば景気が挙がる財政均衡目指せば景気が挙がる、、、」みたいな霊感商法みたいなことやってたのが一番。
そんな状態なのに、党首選とかででも何故か3人共消費税増税とか行ってて支持してくれとかアホかっての。
そういう根幹はあるから、正直いちゃもんとしか思えない最近の批判でもかばう気は失せてる。
逆に、民進もそういう方向はわかってるから、ほんとどうでもいいところでの論戦ばかり。
あるいは、民心の批判が調子に乗ったところで、自民の意見にころっと擦り寄る。そんなのばかり。
当然自民も完全に支持していない。
自民党内でもまともな議論ができなくなってるのわかるから中選挙区制に戻そうや。
小選挙区制は上が誰か割り振りするかで決めるので、日本の風土だと「批判せず上に従順に従うやつ」が選ばれる。
他人を「あいつ使えねえ」とか言ってんじゃねえよ。お前は自分を「使える奴」だと思ってんのか?お前が思ってるほどお前は有能じゃねえよ。少なくとも他人の能力や資質をどうこう言えるほどのものはお前にはねえよ。
「こうあるべきだ、こうするべきだ、何であいつらはそれをやらないんだ」って、わざわざ抜かしてんじゃねえよ。みんなそれをやった上で次善の策としてそれをやってるんだよ。お前が思いつく程度のことは、もうやってるんだよ。
周りの人間を馬鹿じゃねえのかって態度出してるんじゃねえよ。そりゃ、お前は賢いだろう。周りもお前が頭いい事は知ってるよ。わかるか?周りも、お前と同じくらい頭がいいんだよ。
自分が理解されないからって「それを理解できない奴は不勉強だ、教養がない、感性が古い」とか抜かしてんじゃねえよ。ハイコンテクストだがなんだか知らねえけど、だからお前のいうことなすことは辺境の好事家止まりなんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20170617024529
これに近い経歴のお方を、派遣会社からの紹介でお断りしたことが多々...
だって、急募即戦力ってオーダーに、PHPできるJSできるJavaもやってました!って触れ込みだったのに、CMS触ってたのがメインの経歴で、質疑応答も曖昧に「本読めばできます」「頑張ります」と言われても。
まあこの場合は単なるミスマッチでしかないし、こういう作業が今後なくなるかはよくわかんない。
つっても全く同じ経歴の人が2人いたとしていざ面接ってなったら、年齢とか、真面目そうとか、話が合いそうとか、本人の資質と全く関係ないところで選ばれてしまうと思うんだよね。
だってCMSやってただけじゃプログラマの資質わかんないもん。
逆にWordpressメインでやってきましたが、脆弱性回避のためにこんな事をやってきました!プラグイン同士相性悪いのをこう対処しました!みたいなほうが期待できそう。
今後プログラマとして飯喰ってくつもりだったら、先のトラバでも言われてたとおり家で趣味のプログラムとかしたほうがいい。
正直、CMS展開はプログラマの仕事じゃないと自分は思ってる。
もっとも書いてある経歴から察すると、ディレクターの方向に舵切ってみるのもいいんじゃない?
CMSや、PHPある程度でも判るWebディレクターって重宝するよ。プログラマからすると鬱陶しいけど。
こんな感じ?
http://anond.hatelabo.jp/20170608221303
http://anond.hatelabo.jp/20170609195742
この増田に乗っかるようで悪いけど自分も吐き出したいので増田に垂れ流す。どうせ流れるだろうけど。
今までの進路を簡単に書くと、普通高校→地方国立大→修士から地方旧帝大→そのまま博士課程(今ここ)
昔から自然の中でのびのび遊ぶのが好きで、小学校の時の将来の夢は「昆虫博士」で、そのまま「研究者になる事」が目標になっていった。
高校の時、とある生き物に興味を持ってからは自分で採集に赴き、標本をコレクションするようになっていった。
大学受験は、第一希望の旧帝大に落ちたが、大学院から来ればいいやと割り切って、後期で受かった地方国立大に進学した。
大学院からは予定通り旧帝大に進学し、行きたかった研究室に入って好きな生き物の研究を始めた。
こういう経緯があるので、元増田に物凄く親近感が湧いている。
ただ一つ元増田と違う点があるとすれば、俺は博士課程に進学するまで一度もブレーキをかけられなかったこと。
今更になってやっと「研究者に向いていないかも」とか思い始めているけど、今さら気づいても遅すぎると思う。
俺の対象生物は兎に角マイナーで、世界でも研究者が10人も居ない。ジャンルも基礎研究分野だしとにかく過疎っている。
この分野はとにかく若手研究者の不足が叫ばれていて、学会に行けば「将来が楽しみ」だの「期待のホープ」だの言われ
大御所の先生は色々教えてくれるし「俺が死んだらあとの事は全部お前に任せるからな」とか言ってくれるし
要するに俺はチヤホヤされて舞い上がっていた。この分野にとって俺は必要な人間だ!と思い信じ込んでいた。
今考えれば大馬鹿者だけど、つい最近までは「なんとなく研究を続けていれば研究者になれる」と思い込んでいた。
研究者がどんなものなのか、研究者に必要な資質は何なのか、なんて事はこれっぽっちも考えなかった。
ただ周りの人間がどんどん脱落していって、のこった自分が唯一研究者になると思っていた。
修士卒で就職するやつは全員研究者の道を脱落していったやつらだと思っていた。
しかし博士課程に進学して、ふと回りを見渡せば自分よりも優秀な人間ばかり。
論文数、研究スピード、テクニック、モチベーション、人間性。どれをとっても俺は負けていた。
特に研究のモチベーションは絶望的な感じがしている。今年はとうとう学振の申請書を書くのを諦めてしまった。
筆頭著者の論文も2−3本あるが、これも指導教員に散々尻を叩かれてやっと出た論文だし、未だ自分ひとりで論文が書けるとは思えない。
他の人がせっせと論文を書いている間、俺はゲームをしたりネットをしたり鬱で数ヶ月休んだり。
結果、優秀な人が論文を5本、10本と出す一方で自分はせいぜい2,3本。
脱落するべき人間は明らかに自分だった。いくら考えても自分が研究者になれる理由が見つからない。
研究者になりたかったけど、研究者になるべきなのは絶対に自分よりも優秀な彼らであるべきだと思う。
自分みたいな大したことのないグータラ院生が、彼らの競争相手になる事なんておこがましいと思える。
それに職探しをするにしても目の前には絶望感が漂っている。横を見れば自分よりも優秀な人たちがうようよしている。
上を見れば物凄い業績を残した先輩ですらポスドクのまま定職につけずにいる。
当たり前の事だけど俺をチヤホヤしてくれる先生方が俺に職をくれるわけではない。
親が貧乏だったこともあり大学院の授業料免除は全て全額免除判定を貰っているが、
大学に入ったときから日本学生支援機構の第一種奨学金を満額借り続けて400万ほど借金がある。
さらに非常勤講師のバイトをいくつも掛け持ちしている状況。かなりギリギリ。
もう無給ポスドクなんてやってられない。諦めて民間企業で職を探すしかないと思っている。
けど「せっかくここまで来て諦めるのか?」という思いも捨てきれない。
もう時間が無い。悔しい。
公共交通の陳腐化の現実がクローズアップされて以降、最近観光列車がやたら持ち上げられているけど、鉄道ってさ、本来は大人の玩具というわけじゃないからね。
車やバイクの世界なら喧嘩になって、そのまま取っ組み合いになるような行動でも、相手に投げ掛けたところで何も起きない。
しかし投げられた相手は晴らす場がないから、強烈な怒りを覚える事になる。
そして卑怯な鉄道運営者だと、それを利用して、公共交通としての資質を問われるような商売をやりまくる。
ほかの世界でやっていれば、銃弾でビルの窓ガラスが壊されるか怒りのデモ行進が起きるようなとんでもないことでもまかり通るし、そうやって本当なら何十回、何百回も脅迫が送りつけられていそうな迷惑を延々と繰り返し続けられる。
吐かれた側は強い怒りを持って、晴らせずに、溜め込んだまま消えるか、あるいは八つ当たりして、リアルで誰かが被害に遭う。電車での痴漢事件や反原発男などによる鉄道放火事件や性の喜びおじさんの狼藉なんかもそんな感じで起きてるんだよね。
本来だったら、それをわかっていて鉄道にはまる奴って、道路社会で言えば他のドライバーやライダーと口論を起こしたり、もしくは暴走族みたいな連中と口論になって、ろくでもない目に遭わされたり、精神・知的障碍者認定を受けたり、最悪の場合だと、社会的な地位を失ってワルやナマポのお世話や穀潰しになってしまったり、社会に狙われたり、生物的に殺されるかの行為がまかり通り、二度と同じことができなくなるはずの集団。
なかなか分かりにくい国会の委員会の開催のルールについて少しご説明します。
これが大前提です。閣法の場合は、政府が提出する法律を、国権の最高機関である国会に審議をお願いすることになります。与党は勿論、野党もそういう位置づけです。なぜかというと憲法第41条で定められている通り、国会が唯一の立法機関だからです。内閣は、国会に頭を下げて審議をお願いしているわけです。そして基本的には過去のどの内閣も、野党にも議論に参加してもらうための努力をしています。なお国権の最高機関という言葉の意味に関しては優先説は美称説で、国民に一番近いという意味で単に名称上そのように読んでいる、というのが多数説だと思われます。統括機関説は現在では多数見解ではないので、別に国会が政府より偉い、という訳ではないとするのが一般的。これは当然に政府、内閣が国会より偉いことも意味しません。
規則上委員会の開催日程を決めるのは委員長です。しかし慣例上委員長は、公平中立にふるまう事とされており、実際は委員の互選によって(実際には議院運営委員会で定められた割振りに応じて各会派が決まった人数を推薦する)選ばれた理事によって構成される理事会が委員会の開催を協議します。ここも慣例上、委員会の開催は、理事会の全会一致によって決められることになります。これはただの慣例ですが、与野党が互いに「貸し借り」をすることで、全会一致の努力をします。たとえば与党は、野党が追及したい総理大臣入りの質疑、野党理事の地元での地方公聴会の開催などの提案をしながら、委員会の開催を打診します。それに対して野党は、参考人招致や証人喚問、集中審議などを要請して、理事の間でお互いの条件を出し合いながら開催を模索することになります。特に大事なのは、与野党の筆頭理事間の交渉です。これはいわゆる取次ですから、お互いの立場を尊重して、お互いのメンツを立てあいながら慎重に交渉が行われます。「森友の事を聞くな」という条件で首相入りをお願いした田村憲久厚生労働委員会の筆頭理事と、柚木道義筆頭理事間の例でいえば、田村さんとしては、お願いベースであっても、首相入りについては譲ったのだからわきまえてほしかった、というような気持ちが出た結果だといえますし、柚木さんとしては「常識的な範囲で行なう」と答えたと報道されていましたが、これはすれ違ったまま拙速に審議入りしたので、お互いの信頼関係が崩れたわけです。いったんこういう状況が起きると、委員会の開催は普通はいったん止まります。お互いの信頼関係が正常化するまで様々な交渉を行う訳です。また今期の中川政務官の不倫や今村復興大臣の失言のような、政務三役の不祥事があった場合も慣例的に、質疑が止まります。政務三役というのは法案を委員会に付託し、法案の審議をお願いしている立場なので、常にその資質が問われている、という理解です。
普通はこういう時は国対委員長同士で交渉が行われます。森友の事を聞いたので強行採決したあの件に関しては、結局国対委員長の竹下亘議員が、謝罪することで、野党のメンツをたて、さらに野党案の審議をするという譲歩を行うことで、審議が再開されました。こういう貸し借り、というのが政治の世界では大事な話になっています。国会対策委員長というのは大事なポストで、各委員会の日程も含め、実質的な国会の運営を決めています。規則的には議院運営員会が担っているのですが、国対委員会という党の機関が「本国」と呼ばれ、議院運営委員会は「出先」と呼ばれるように、本質的には国会対策委員長同士の交渉が一番大事になっています。ちなみに国会対策委員会の基本的な役割のもう一つのものが、議員の派遣です。これはバカみたいな話なんですが、委員会の開催は委員の過半数がいないといけないことになっています。しかし委員を務める国会議員も複数の委員会に出席していたり、その他の政治日程により参加できないこともありますので、その空いたスケジュールに一年生議員を中心とした暇な議員を派遣する役割を担っています。国対委員長の管理が甘いと、頻繁に定足数割れが起きます。今国会はすでに3回ほど定足数割れを見た気がします。委員会審議の際に、野党委員から「定足数は足りていますか」と聞かれることがよくありますが、出席率わりーなーという嫌味なわけです。実際に割れていたら委員会が成立していなかったとみなされますので恥なわけです。話がそれましたが、国対委員長同士でもうまく交渉がまとまらないときは幹事長の出番です。幹事長が出てきても話がまとまらないときに、審議拒否が起こる土壌が生まれるわけです。
ここに裏技があります。慣例を破って、理事会の合意抜きに、公平中立に運営するという与野党の申し合わせを無視して、委員長が開催を宣言することです。これをやると与野党の信頼関係は最低ラインまで落ちます。与党がどうしても通したい、なんとかあと数回の開催をしたい、というときに使われます。ふつうこれを使うと野党はヘソを曲げますので、割と奥の手です。通常でいえば、国対→幹事長まで行く話です。ベジータ戦での3倍界王拳ぐらいには。4倍程ではないと思う。今回の共謀罪法案では、衆参両院の法務委員会では、職権ではない開催は衆院の最初の2回だけです。残りは全て職権で開催されています。これは異常事態です。普通なら審議拒否一直線コースです。
野党が何を求めても与党が反応しないとき、信頼関係は地に落ちているけれども、それでもどうしても法案を通したいとき、与党は委員会質疑を開催し、野党は出席を拒否します。これを「空回し」といいます。何の質疑も行われず時計だけが進んでいくからです。これが狭義の審議拒否です。今期民進党は、参考人招致をしても無視され、資料請求しても無視され、集中審議を要求しても無視され、予算委員会の開催を求めても無視され、委員会は職権で開催され、政府参考人の登録を委員長に行われ、かつてないほど愚弄されているわけですが、それでも出席拒否をしていません。例えば自民党が野党時代に、特例公債法を人質に審議拒否をしたときは、当時の野田政権は空回しをやりました。安倍政権でもTPPや安保法制の時にありました。私は出ても出なくても同じなら、出席拒否して、同メンバーで国会前で演説をする、市民との公開討論会をする、などでもやってみればいいじゃないかと思っているので、別にそのことを褒めるつもりはないのですが、先日の安倍総理のラジオ発言に反発して、「審議拒否も議論の妨害もしていない」と言いたい気持ちはよくわかります。現民進党執行部は審議拒否をしてみても、与党は屁の河童で空回しして来るだろうし、そうした時に読売、産経などを中心に大きく非難されることを恐れているのだろうと思います。しかし無抵抗で審議に出席して、「十分な審議をした」というアリバイ作りに加担しているということも自覚していただきたいし、そういう意味で厳しい目で見ている人もいるとは思いますよ。
保守速報やら痛いニュースやらが「審議拒否」と言っているのは、先決事項である不信任案の採決による休憩、流会、与党側の不祥事に伴う、竹下国対委員長の出した譲歩条件による流会、さらには交渉段階での発言しかありません。このレベルを仮に広義の審議拒否としましょう。今期国会に関しては、そういう意味での広義の審議拒否は与党側の方が多く行っています。野党側は3月からずっと予算委員会での集中審議を求めていますが、与党はほぼ全てを無視をしています。また重要な参考人、昭恵夫人や前川次官などを交えた集中審議も無視しています。さらに質問にまともに答えない、資料を提出しない、和泉補佐官や北村滋明内閣情報官らの政府の高官の参考人要求も理由なく拒否しています。また財政金融委員会も野党が求めているのにもかかわらず、森友学園のことを聞かれるのを嫌って開催が流れ続けています。ここで大事なことは、与党が法案を通すために、審議を要求することと、野党が法案の疑義や政府要人の資質をただすために必要な資料を要求したり、参考人を招致したりしたうえでの審議を要求することの間には本質的な差がないということです。ですから野党の「審議拒否」をあげつらう方々は、ぜひぜひ与党にも「資料を出せ」、「参考人を呼べ」、「集中審議で方をつけろ」とおっしゃっていただければと切に願う次第であります。
あくまで過集中も発想力も完全にはコントロールできないし、優れた学者やアーティストに必要な資質として「持続力」が挙げられるが、ADHDはそれがからっきしなんだよ。
だからADHDが抜きん出るパターンとしては、優れた定形のコーチやパートナーがついて、持続力って言う部分について補助を受けられるパターン。「ADHDは起業に向いている」ってよく言われるが、実は「経営には向いてない」んだわ。
経営に向いてる人は逆に起業に向いてない。だから、「起業家タイプと経営者タイプがタッグを組んでお互いを補い合う」という形のチームを組むのが、ADHDの勝ちパターン。
ワーキングメモリについては、説とかじゃなく事実だよ。お前ADHDについての本数冊でも読んだか?俺は論文読める立場じゃないからソースが本になってしまうのが申し訳ないが、少なくとも論文読める立場の人が書いた本を選んで手にとって情報収集してるから、少なくとも全く情報収集してないお前より正確な情報は持ってると思うぞ。オススメの本は「ヘンテコな贈り物」と「ADD/ADHDという才能」
あと、東大生で論文読んだりとか出来るだろうに、他人には「説」とかエビデンスを求めておいて、ソースが「自分自身」「ADHDの友達がいないからわからない」ってちょっとやっぱ抜けてるな。ADHD以前の問題だと思う、それは。
少し昔話をする、IT業界に関してクリエイティブな印象しかなかっった学生の頃に専門を卒業して客先常駐メインの特定派遣会社(当時は100人規模)に就職した。
そこは足りない知識は客先で学んで来いと言う管理職の声の元、新卒を単独でどんどん派遣したものの生存確率が低く
10人中8人が3年以内に辞めていくために社員の大半が中途採用かリーマンショック以前からいる中堅社員だった。
辞めてから今を通して解雇規制緩和って実は会社が得するだけではないか、とモヤモヤした気持ちがなんとなく整理できたのでここに書く。
現行の法律に関する知識は皆無なので、あくまでチラ裏として読んでもらえると幸いである。
まず特定派遣とは正社員を客先に派遣する客先常駐をメインとする自称SIerに多い、中には客先常駐であることを求人段階で隠すか別の言葉でごまかす会社もある。
まっとうな会社として新卒を受け入れている所が過半数を占めるが新人教育は1か月足らず後は客先に丸投げ、ダメならクビと言う流れの会社が多い。
そんな中小が占めるSI業界は解雇規制がほぼ機能していない・・・・ダメなら退職を促すメールを社員に送り自己都合退職させる行為が業界全体で行われている。
特定派遣会社の正社員なのに、まるで派遣社員のように扱われている、請負メインの中小の正社員でもダメと烙印を管理職から押されたら社員自身に非がなくても邪魔だから辞めろと遠まわしに言い放ち退職届を出させる。
抵抗すれば、特定派遣会社は派遣先を紹介せず別の会社に業務命令扱いで紹介派遣し社員が嫌がった場合は業務命令に背いたとして懲戒解雇にすると脅して辞めさせる。
請負メインの中小の場合は、業務をさせずひたすらシュレッダー係りか雑務処理をさせてミスすれば叱責して精神的に追い詰めて退職に追い込む。
ここまでされてなぜ、訴える事例が出てこないか不思議に思った人が多いのではないだろうか?
上記の事を見てきた自分は労基署に相談してみたところ「IT業界は横の繋がりが強いから訴えると後の転職活動に影響が出やすい、まだ転職できる年齢なら騒がずに退職奨励にさせてやめたほうがいい」だった。
実にクソである、もう少し詳しく聞くと営業は営業仲間のネットワークが管理職は管理職仲間のネットワークが社長は社長仲間のネットワークがあり辞める際に騒ぐと注意するべき社員として情報が業界に流れるとのことだった。
評判を打ち消すレベルの技術力があればいいのだが上記の会社では教育がなく技術者のレベルが個人の資質に依存するため、辞めた社員の技術力はかなり低い事が多く難しいのが現実とのことだった。
そもそもなぜ低いか、私が見てきた事をネタに説明すると新卒の新人教育は1か月足らず後は客先に丸投げする会社は派遣先に「優秀な子」と伝えるため派遣先は教育は必要ない人と理解し派遣契約を結ぶ。
いざ派遣されると案の定、派遣先の責任者は怒り心頭で新卒の人は何も悪くないのに怒られ最悪できる仕事は掃除か書類整理だけになる事が多いため技術力は一切身に付かないまま契約打ち切りになる。
この時に新卒は知らないだろうが、営業と派遣先の責任者が裏で手打ちをして「新卒が虚偽の経歴を経歴書に書いた」として派遣先から新卒個人の責任と扱われ新卒個人を出入り禁止にして新卒を派遣した会社とは
今まで通りの関係を続けると言う事になって幕引きとなる。そして会社に戻っても受け入れてくれる派遣先が見つからずクビになるため技術のレベルが低いまま新卒が第二新卒として転職市場に放り出されるのである。
請負会社の場合はもっとひどい、中学生かと思うようないじめでダメと烙印を押した正社員をいじめて精神的に追い詰めるため業務に触れる事なく社員が転職市場に放り出されるのである。
こんな事例を見ていると「解雇規制緩和は正しいか?」と思うようになる、ITのSI業界が無法地帯化してるのに解雇する会社に法的ペナルティーがないままホイホイ切れる緩和をしていいのだろうか。
解雇規制がなくなれば労働者は陰湿な嫌がらせも理不尽な対応もされる事なく、経営者は面倒臭い事をせずにクビに出来るから日本の労働環境が明るくなるのか?
ただでさえ会社がやりたい放題の状況を悪化させるのではないか?優良企業も業務経歴と技術力による足切りと定員がある、解雇規制緩和で労働者の流動性が上がってもスタートで失敗した人は延々と解雇される事になるだろう。
解雇されるかされないかは会社の考え次第となる状況が現状の労働環境を改善しないまま生まれたら、ブラック企業が廃れても会社の意向に反する態度を取って解雇された人が巷に溢れることになる可能性の方が大きい。
この時だけ、経営者視点を嫌う人たちがいきなり経営者視点になる現象が起きるのだが経営者視点に立つほど権力を持った人たちなのか疑問に思う。
父:(現在63才なので定年が65才ならば)公務員。実は元々は大阪の公立大学卒業後民間企業にて働いていたが、中途で関東の公務員になって現在に至る。知性とオタク度はよいが男としての資質は(お察しください)
母:(現在61才なので定年が65才ならば)金融界隈。京都の大学を出たらしい。親戚がアレなので、元ヤンよろしく怒らせると怖い。
妹(高山沙織):国大学卒で、半リア充。兄いわく「怒らせたくない女」。一応いい仕事(民間系)をしている。
そして兄(高山直人)は…公立大学卒業でライター。高校生以来熱心なオタク。じつは7年間いい役場仕事をしていたが辞めてしまい…
http://anond.hatelabo.jp/20170522132625
について
http://q.hatena.ne.jp/1495428314#comment
でコメントを書いたので転記+追記
他論を述べます。
今は、発達障害者は定義がすごくひろがっており、自閉症スペクトラムの「非常に薄い」部分も治療対象になるのではないかと検討にくりいれられています。
極言すれば「リア充」すなわち社交性で生き残る性質が100点満点の人でなければ発達障害の要因があるとされます。
私にとっては、発達障害とは、新しい形質ではなく、昔からの、座業職人、百姓や鉱夫のような、自然から直接資産を汲み出す産業に必要だった性質にみえるのです。それが今となっては機械に職場を追われ、ゲームやコンピュータという資産を汲み出すしかなくなっているわけです。
その意味ではミアキスのような「古い」存在だというのは納得いきますが、犬猫すべての可能性を含むとかいうふうにはちょっと納得がいきません。それは遺伝子プールそのものの性質であるはずでしょう。
人間の適応能力が広いから、育て方によっては発達障害者の範疇にも、範囲外にもなり得るし、社会の変化スピードによっても定義がかわるのだというほうがまだ納得がいきます。
さらに極論すると、字を早く読ませよう、小学校入学までに50音と足し算くらいは、と早期教育が常識になっている(教育は憲法に定められた国民の義務ですからね)と、子が発達障害になりやすいのかもしれません、というほうが、遺伝子プールを引き合いに出されるよりはずっとわかりやすい。
でも元益田がいいたいのは、日本マスコミは美談依存症で「不自然」を悪者にするキメツケがひどい。差別行動などをひき起こしやすい局面だから、とにかく何を引き合いにだしてもいいから、穏やかに共存の道を探ろうという最後の部分だけだとおもうのですけどね。ミアキスを犬ネコが攻撃したかどうかなんてダレにもわからんわ。
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今リア充が非常にもとめられているのは、福祉国家の最大労働者である介護者に必要な資質が「うたれづよいリア充」だから。
(口さがないのがあたりまえだった。差別用語を日常で平気で口にしていたし今でも口にする)ので、
「適応障害」程度なら、介護を経験すればだれでもなるといっていいくらいだ。
そのなかで「どうやら生まれつき介護や対人サービス業に向いていない性格」の人は「発達障害の気がある」とされる。
(自閉症さえも、遺伝子レベルで特定はされてないのに、発達障害=生まれつきと扱うべしというキマリはへんだけど、「疑わしきは生まれつき」とあつかったほうが社会の無理解によるいざこざは少なくなるだろうということだね)
(まあ、仮に早期教育はよくなかった、なんて判明したって後天的生まれつきだ、直せないからそのまま扱うしかないという結論になるんだし)
昭和後期生まれ(団体ジュニア)が食い止めている間に早く逃げろといいたいが、
粉ミルクが最先端のはやりの育児だったし、排ガス大気汚染最悪期で育ったから肺は弱いし。
ちびまるこでいうまるお。へたれ。
もうずっと食事が喉を通らない。
固形物を口に入れた瞬間、それが喉に詰まって窒息したりあるいは気管に入って誤嚥性肺炎を起こすことを想像するからである。いままでモチを詰まらせたことも魚の小骨を引っ掛けたことも無いというのに不思議な話であるが、おれの頭の中では食事と死のイメージとが鮮やかに直結しており、視界に映り込んだ鼻の頭のようにあるいはピンク色をした象のように、意識しだすと止まらない。おれはやがて経腸栄養剤しか口にできず糖分を採りすぎて糖尿病になって失明し脚は壊死して腎臓を壊して透析で苦しんで死ぬ。親が大手病。年収が×××万円以上でなければ、なんとかと云う結婚紹介所におれを登録できないのだと云う。収入の不足分を補うためにかれとかれの母がもつ不動産を相続させるとも云った。過干渉。おれが未婚で長男でキモオタで身の回りの支度ができない無職のプー太郎で優良企業就業済既婚の弟がいるものだからそういう余計なお節介をされるのであろう。自分はその紹介所で妻との縁ができたのでお前もそこに入会せよと云う。おれくらいの年齢の頃、かれはすでに一と三分の二流くらいの企業に勤めていたからかれはその相談所に入会できたわけだが、28歳無職就業経験ゼロという現状そしておれのもつ素質たとえばわが指導教官にそれゆえにお前は研究者に向いてないと直々に云われるほどの社会性の無さなどの資質を鑑みれば、おれがその年収を達成することはとうてい困難なことに思われた。だからおれは早く家を出て住所も電話番号も秘匿して蒸発してしまいたいくらいなのだがおれの学費と生活費と住居費の××年分および奨学金の返済にかれの収入の大部分が充てられているという事実がある以上そういうわけには行かない。ところでかれはおれが野良博士という現代の不可触賤民であるにも関わらず一流有名企業に入れる実力を持っていると勘違いしているようで、どこぞの某大電機メーカーが博士卒を重点的に募集しているなどと有難いタレコミを呉れる。あるいは予備校の講師などしながら企業の研究職を狙えばどうか、などとも云う。博士の就職がいいと云っても景気がいいのは人工知能関連の分野だけだということをどうもかれは理解しておられないようである。おれはと云えば研究室にも行かず×年間も自宅に引篭もってノートの上の数式を弄っていただけの人生だったから、プログラミングのスキルも各種資格もろくに無く、きょうびどこの企業からも御呼びでない。頭の回転も遅く某社のSPIでは酷い点数を取ってしまったために面接すら受けさせてもらえない。これでは受験数学の問題など到底解けないだろう。登録していた就職斡旋屋からは貴方にはシンクタンクなどが向いているでしょうなどと調子の良い言葉をもらったが一か月経ち二か月経っても音沙汰が無い。当たり前である。何かの手違いで某外資社から研究内容を紹介する機会をもらったこともある。おれの能力を試すためにあえてそういうポーズを採ったのかもしれないが、かれらはおれの話を理解するそぶりを全く見せなかった。ショックを受けた。明らかに企業側の需要とのミスマッチが感じられた。おれのプレゼンに問題があった可能性は否定しないが、要するに世界でも十人くらいにしか価値を認めてもらえない仕事を延延黙黙やっていたということは、おれも同意するところである。その十人のうちの一人がわが指導教官だったのは幸運だったのか不運だったのか分からない。もともとおれは数学などで分からない問題があるとイライラが募り便通が悪くなり院試の頃は特に最悪で原因不明の腹痛で入院するくらいで、睡眠時間も食事の回数もゴリゴリと減っていき、歯ぎしりが止まらなくなり、かと思えば今日はサボりの日だと云ってネットサーフィンに明け暮れるものの心はまったく休まらず、夜中唐突に呻きながら自転車で遠出をしたり、風呂も洗濯もせず、機嫌は最悪で周囲に怒鳴り散らし、ただでさえ無口な性格だというのにいっそう塞ぎこんで誰にも相談できなくなり全て自分の力だけで問題解決したくなる人間だったから、博士課程に進学することは当然の帰結であった。おれが天才数学者だったなら上記のエピソードは天才の微笑ましい奇行としてウィキペディアの埋め草にでもなったのだろうが、悲しいことにおれはアホでマヌケでIMOメダリストなどからは程遠い知能の持ち主だったから学位をとるのに結局◆年もかかり(思考速度と問題解決能力が研究能力のすべてではないという当たり前の事実に気づけたことが大学院における唯一の収穫である)今では無職である。元から変だった自意識は余計に拗れメンタルは不調をきたした。食事が怖い。面接が怖い。唐突に脳血管の破裂が怖くなる。あれほど楽しかった学力試験が今では恐ろしい。自分の劣等具合を再確認させられるから。大学院など行かなければよかった。博士課程など行かなければよかった。満期取得退学しておけばよかった。学位など取らなければよかった。高卒で就職すればよかった。以上。
雑感
もともと文科省は獣医を増やしたくなさそう。新しい要請に対しても、今の定員・体制でやってくれという態度。
それをふまえて、「ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野」だけでなく、「既存の大学・学部では対応が困難」という条件がついた「日本再興戦略改訂2015」があったのだと思う。
その視点で見ると、京都は新たな分野の主張や、鳥インフルエンザ研究センターなど強い基盤を持つといった利点があるものの、「既存の大学・学部では対応が困難」へのアピールに欠けるように感じられた。たとえば、「地域振興に資する産業動物獣医学教育の実施」として、「1.産業動物獣医学に重点を置くシラバスの設定」「2.京都府農林水産技術センター畜産センター、碇高原牧場を活用する実践教育の充実化」「3.自治体、農業団体、生産農家でのインターンシップ」とあるが、これらは他の大学・自治体で提案する場合でも同様に書けることではないだろうか。その一方で、四国には獣医系大学がない現状で「危機管理発生時の学術支援拠点」を作り、四国ゾーンとして家畜の感染症の1次封じ込めを目指すというのは地域性に根ざした説得力があるように感じる。
まあでも、「日本再興戦略改訂2015」で「現在の提案主体による」と言ってるのはまあ気になりますかね。諮問会議では「地域での感染症に係る水際対策」とか「現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」としているし、それなりの目論見つけた上での言い方はしてるよね。
笑いが止まらんwwwついさっき↓の記事で「現職勝利決定の静岡県知事戦が三つ巴で面白くなる」と書いた直後に自民静岡県連が独自候補者を出さないことを決定したんだとwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20170502150217
昨日自民県連幹事長(地方議員のトップってこと)が出馬表明とか記事出たばかりなのにな。「必ず代表を立てる」という前言撤回しての勝負前の敗北宣言となった。
でもまあ前言撤回は現職川勝の「投票率50%切ったら当選してもその場で辞職する」発言もあったからイーブンということで。
前回(http://anond.hatelabo.jp/20170502150217)は、「川勝VS溝口(自民支持)だったなら川勝が勝っていた」と書いた。
じゃあ自民が棄権して川勝VS溝口の一騎打ちになったんだから川勝が勝つと思っているんじゃないの?とかいうとそうとも思えない。
前回書いたのは、溝口紀子が自民が支持表明した候補であったなら、という仮定での一騎打ち予想だからだ。
今回自民は独自候補擁立断念したからといって、反川勝の溝口紀子を支持するというわけではないらしい。溝口紀子は浜岡原発再稼働に消極的な見解を出してるっぽいのでそういう点でも相容れないだろう。
ということは自民党票は川勝、溝口、棄権票の3つに分かれる。投票率も50%切るまでに落ちるだろう。現職川勝知事が「投票率50%切ったら知事辞める」宣言を撤回してなければ自民の戦略的勝利であった。
投票率が低いともちろん現職有利となるが、溝口紀子はどれだけ自民党票を棄権票にさせずに自分のものにできるかにかかっている。県知事の資質批判や県営野球場建設批判に争点を絞って投票率の底上げを図るしかない。
「言い間違え」が問題となっているけど、本質は功利主義的な視点から震災被害の「結果」を天秤にかけたところが問題ではないか。義務論的な視点から批判すべきではないかという話。
マスメディアが報道する「単なる言い間違えでは済まされない」という批判には「言い間違えであっても被災者を傷つけた」という被災者に対する情や思いやりといった「想像力」が問題とされている。この視点も大臣の資質という点において、もちろん大事ではあると思う。
ただ、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」という発言、「首都圏に近いようだったらもっととんでもない災害になっているだろうという意味で言った」と釈明について「想像力の欠如」だけではなく、倫理学的な批判もできるように思われる。
今村大臣の発言(釈明も含む)には、一貫して「東北」と「首都圏」を天秤にかけるという視点が見受けられる。すなわち、「結果として、どちらの方が甚大な被害だったかということである」。これは倫理学理論でいう「功利主義(帰結主義)」的な解釈であるといえる。
ただ、この「天秤にかける」ということ自体が問題視されなければならない。今回は功利主義的な量的な比較は必要なかったからである。
震災の被害はどこで生じたとしても「ここで良かった」と結論づけることはできない。こうした倫理的な正しさ自体について問う場合には、功利主義的な視点はバツが悪い。(もちろん、功利主義が有効な場合もあり、功利主義自体を批判している訳ではない)
今回は「義務論」的な視点から批判することが必要であったのではないか。「正しさ」とは何かを考えた上での批判、「天秤にかける」視点自体への批判が必要であるように思われる。
発言の撤回、最終的には辞任となったが、今回の騒動から「功利主義」と「義務論」という倫理学理論について学びとることは有意義であるように思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1921517.html
これ見る限り常連ないし有名ブクマカが一人もブクマしていない。
これは非常に良い傾向だと思う。
痛いニュースは捏造虚構校舎裏の落書き程度のデマを既成事実かのようにやってくるからね。
そんな所をブックマークするという事ははてなブックマーカーとしての資質や沽券に関わってくる。
上手く晒し上げれば、彼らはもう当分痛いニュースにブクマする事がなくなるだろうか。
いやならない。
何故なら彼らはアホだからだ。