はてなキーワード: 独自とは
さてこれからどこ行こう!ってちょっと歩いて行くって言ってもまあ多分10分もかからないところだと思うんだけど、
そのぐらい歩いて行くなら銭湯にも行けるんじゃん?って今歩く億劫さを考えたら
銭湯行ったあとは閉まってるわね。
まあそれはいいとして、
新しい私があんまり日頃行かなかったマーケットに行ってみたの。
現金かそのお店独自のなんとかポイントチャージしてプールするやつね。
普通にクレジット使えてなんら遜色ない買い物が今まで通りできるってわけよ。
知らなかったわ。
そんで近所のマーケットは閉まるのが20時で結構早い時間に閉まっていて
1駅手前で降りて寄るマーケットは夜の22時まで開いているのよね。
まあ僅差でどっちも閉まる閉店時間は変わらないからどちらに行ってもいいってことを判明!
そんでどっちのお店がより家に近いか!って計測してみたらほぼよりもまあ一緒。
じゃあどっちに行っても転んでもいいってワケになってのよね。
調べてみるものよね。
そんで
最近行き始めたマーケットは魚とか肉コーナーが以前のところより充実していて
シラス私好きなんだけど
今シラスも超絶高いのよ!
1パック500円とかの釜上げシラスうまうまなやつ食べたいけど
なんか魚の釣りの餌みたいだけど、
試しに1回買って見て食べたら美味しかったので
ジェネリックシラスとしてアキアミの釜揚げは私大好きになりそうよ!
これ本当に人間が食べていいやつ?
魚の餌じゃないでしょうね?って再度確認したいぐらいの勢い山脈に向かってヤッホー!って叫んだけれど
まあ人間用なんでしょうね。
よいタンパク源にもなるし安くって美味しくって、
ただ見た目が魚の餌ってのが難点だけど、
海老ってさー
海老っつっても虫には見えないじゃない、
まあ私が美味しくて安くて良いタンパク源としての新しい釜揚げアキアミが美味しいお知らせをしたかったのよ。
知らないマーケットにも行ってみるもんよね!って売ってるものが全然違うしさ、
前のマーケットのはどうやったらこんなに不味く作れるの?って感じの大変申し訳ないけどそれぐらいの美味しくない惣菜を
そう言えば新しいマーケットではまだから揚げ買ったことないから、
そのお店の惣菜実力をお寿司パックも含めて試してみたいところよ。
私が最近便利で食べているレンチンしたら食べられるサトウじゃない系のサトウのごはん、
あれもよく見てみたらサトウのごはんOEMでパッケージは違うものがあり価格だけが安いってのがあるみたいで、
品揃えのよいメリットだわ。
そんでね、
玄米や炊き込みご飯のレンジでチンする温めたら食べられるご飯コーナーが結構充実していて
へーこんなに種類があるんだーって思ったわ。
今で言うタイパが悪いのよね。
炊飯器洗うのも面倒くさいし、
量食べるときは最初からたくさん炊いておけるのも便利なのは分かっているけどね。
もしかして地球のバイオマス量的には地球を制覇しているアキアミいやそれ系のエビは人間より凄いんじぇね?って思ったのよね。
まあ人間にぱくぱく食べられちゃってるけど
新しいマーケットでの新しい発見は4月のフレッシュな感じがして良いわよね!
うふふ。
レンチン便利な鶏釜飯のを試しに食べてみるのを兼ねて朝ご飯にしてみました。
電子レンジで温めるご飯もう炊いたぐらいに美味しくて保存食とかにしたら便利よね。
いろんな種類があって本当にへーって思ったわ。
知らないところに行ってみるものね。
ピンクグレープフルーツを昨日は時間があったので買ってきて輪切りにして
晩から仕込んでみました。
2リットル作ったわよ。
暖かくなる季節がくるかも知れないので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
4月4日に大好きな作品のソシャゲがサ終だと発表された。ここ2年くらいで同作品のソシャゲが3つ(4つ)サ終するのある意味すごくない?と面白くなってしまった。全然笑えないけど。
そんな感じで7月でソシャゲが無くなる作品、アイドルマスターSideMなんですけど、どうやらもうゲームの展開ではなく、CD発売やらライブやらで今後はやっていくらしい。
それを聞いて、この作品のターゲティング層から外れてしまったと感じたのが悲しかったので、思い出語りも兼ねて吐き出させてください。
これを読んで肯定も否定もせず、「へーそうなん」で済ませていただけると助かります。本当にただただ吐き出したいだけ。思い出語りしたいだけかもしれない。吐き出したい。吐き出したいが為にはてな登録した。正気じゃない。
==== =====
そもそもアイドルマスターSideMに出会ったのは、私が「育成ゲームが好き」だったから。なんなら昔モバゲーで配信されていた、ドキドキプロデューサー日記?タイトルうろ覚えなんですけどアイドルを育成するゲームがあって、どハマりしてめちゃくちゃやりこんだあのゲームがサ終してからも忘れられなくて、そんな感じのゲームないかなーと育成ゲームで検索して見つけたのがソーシャルゲーム版アイドルマスターSideMだった。所謂モバエム。
アイドルマスターという作品は名前くらいは知ってるなーくらい、あと太鼓の達人で何曲かあったよなーくらいの、ほぼ知識がない人間だった。だからまずアイマスが育成ゲームと知った時の驚き。あとアイマスって女の子アイドルのイメージだったけど、見た感じ男だしなんかこう女性向けっぽい若くてイケメンみたいなオーラ感じない。(ちなみに私は乙女ゲームが苦手。だからこそSideMにハマったのかもしれない。)
久々にモバゲーにログインしてゲーム開始して早々に担当アイドルに出会った。運命の出会い。その時はまだ数名しかアイドルにボイスが付いてなくて、その担当も声無しだったんですけど、いやもうこの子好きだわって思った。声無いのに声聞こえた気がした。私の事呼ぶ声が聞こえた。ちなみに私はちょろめのオタク。好きって思ったらすぐ好きになる。そんな感じで私は315プロでプロデューサーを始めた。だってあの子が私にプロデュースを頼んでるから。ちょろい。
ちなみに育成ゲームが好きだからといって得意な訳ではない。そもそも自ら飛び込んだ世界で、周りに知り合いも先輩Pもいなかった私は、暫くの間MMチェンジも分からず、イベントの走り方も分からず、初めて担当の上位SRを手に入れたイベントは1枚取りにも関わらず数万かけた。本当に右も左もわからない。調べるという事もしない無能Pだった。でも楽しかったしいいやと思ってる。
そんな感じでモバエムを楽しんでいた私に、公式からのお知らせが届いた。
アイドルマスターSideMの1stライブのお知らせである。
ちなみにその中に担当アイドルもいた。その担当アイドルの名刺目当てに県外の店舗へCDを買いに行くぐらいの熱量を持っていた私。1stライブ、担当の生歌。そしてその後、1stライブの日。
申し訳ないんですけど全く興味が無かった。というかライブというものに縁が無かった。3次元のアイドルにも熱を上げた事無いのに声優さん達がライブするって言われても「はぁ…そうなんですか…」ってくらいに2次元に生きてた。いつも通り休憩時間にモバエムしてた。後日あったファスライ組ガシャもしっかりやった。
そんな無関心だったのに何がそうさせたかわかんないんですけどファスライ円盤3つ買ってたんですよね。正気?
本当に何がきっかけだったか覚えてないんですけど、気付いたら私はモバエムだけでなく、アイドルマスターSideMという作品にどっぷりハマっていた。最寄りのアニメイトの品揃えの悪いSideMコーナーでグッズを買い、カードと特典グッズを手に入れる為に同じCDを複数枚買い、午前中に新幹線でアニカフェ行って昼に新幹線で帰って午後からバイトして、そして空き時間にモバエムをやるという、もうバイトするかSideMに触れてるかで1日が終わる感じの生活。あんなに興味なかったライブもセカライ1日目ライビュだったし2日目現地した。ちなみにこれが人生初ライブ経験。アニメ化発表ありがとうございました。
モバエムにも課金してたし驚くほど支出がヤバイ事に気付いたら私はフリーターから社会人になる事を決意。
仕事の帰り道にエムステのリセマラしてたのももう5年くらい前の話なんですかね。時の流れって早い。セカライ円盤は2つ買いました。何故。
ただ、こんなにもSideMに貢いでた訳なんですけども、グッズもCDもライブも、個人的にはゲームの延長線というか、追加コンテンツっていう感覚だったんですよね。
ゲームを楽しんで、担当のイベント走って、そのイベント絵柄の担当グッズを買って、CD聞いて、「315プロがある世界では町中でふとこの曲が流れるのかな」とか考えたりして、イベントで様々な仕事がある中でライブイベがあった時、リアルの周年ライブの熱気を思い出して「あのくらい熱いライブなんだろな」とか思ったりして、そんな感じで「ゲームを更に楽しむ為のもの」としてそれらを楽しんでました。それが私流のアイドルマスターSideMの楽しみ方だったので。
そうしてゲームを楽しんでいた所に初めの終わりが訪れる。
アイドルマスターSideM LIVE ON ST@GE!、エムステの終了である。
申し訳ないんですけど正直思ったより長く続いたなって思ってる。申し訳ない。
音ゲーが苦手な私でもクリアしやすいレベルのリズムゲームに文句を言うPをそれなりに見かけた。分かる難易度低い。それにモバエムとのストーリーのズレ?っていうんですか?なんか違うなっていう。
ただまあ好きでしたけどね。
モバエム以上にアイドル同士の『絆』を感じるそれが、更に315プロの存在を深めていってる気がして好きでした。同じ事務所にいるんだし何かしら会話はしたことありそうなのに、モバエムだと同じイベントに参加してないから分からない事、単純に呼び方とか、そういうちょっとした事が知れるゲームだったなって。フェスとかも「そういえばこの2人、そんな接点あったな」とか思えたし。初めてクレカ止まったりしたからエムステのフェスには色々な思い出がある。結局担当引けなかった。
そしてエムステが終わって、モバエムで引き継いでアイドル達が見れた時、なんていうか無くならなくて嬉しかったんですよね。
ストーリーはもう見れないけど、そこに思い出としてカードが見られる場所があるのが嬉しかった。全部消えるわけじゃ無いんだって思った。思ってた。
SideMの新作アプリ情報が発表がされた頃、仕事が以前より忙しくなった。コロナ禍で会社から県外へ外出するのを禁止されて、地方に住む私はゲームするか通販でグッズを買うしか無かった。一番モバエムに課金してたのはこの時期だと思う。担当のガシャSRを普通のチェンジでSR+にする喜びを覚えてしまった。以前より減った休日の8割をモバエムに費やす生活をしていた中(2割はポプマス)、アイドルマスターSideM GROWING STARS サイスタの事前配信が始まった。仮眠を取ろうとしていた車内で、タイトルコールガシャをしていた。1発目で担当のタイトルコールが聞けて気分上がった。新しい彼らに出会うのが楽しみだった。
そして正式にリリースされて触れて思ったのが、「普通にちゃんと音ゲーだ…」だった。私はSideMを舐めてた。まだ好きになれるなんて聞いてない。ハマった。リズムゲーム苦手な癖に。気付いたら休日は1日モバエムやってサイスタやっての日々になってた。ポプマスももちろんやってた。パズルゲーム好きなのでポプマス終わったの悲しかった。オフラインゲームとか出ません?
今まで通りゲームやって、CD買って、グッズ買って、ライブは現地行けないので配信で、という生活をして、なんだかんだ仕事も頑張れていた中、とあるお知らせが発表された。
モバエムの終わりである。
正直そんな呆気なく終わるなよと思った。いやだっていきなりすぎるでしょ。モバマスと違って終わりがいきなり過ぎる。来月からイベントないよ、って本当にいきなり過ぎる。色々新しくなってたやろお前。何故終わる。
もう何年もやってきたゲームが終わってしまう事実に、驚きはしたけど悲しいというより虚しいと思った。6年以上同じ家で暮らした事が無い人間なので、それ以上の期間変わらずにそこに居続けてくれるそこはまさに実家のようなものだった。不変の場所であると思ってた。いや不変は言い過ぎだけど急に終わる事は無いと思ってた。直近のイベストでは何かの区切りの様なストーリーが見られたけど、まさか終わる為のストーリーとは思わないじゃん。前向きでいたい。
自分自身思ってた以上にダメージを受けていたのか、下期のボーナスが前回の半分になるくらい仕事出来なかった。ただでさえ少ないのにな。おもしろ。
モバエム最後の日、他部署の穴埋め要員で仕事して、勤務終了時にはサービス終了してた。何もかもが呆気ない。
長年やってきたモバエムが終わっても、サイスタがあったから私はまだSideMを好きでいた。
好きでいたって言い方おかしいな。これからも好きだろう。まあこの話は後で。
サイスタの中にはまだ315プロがあって、私はプロデューサーでいられて、アイドルがそれぞれの夢に向かって頑張っていて、変わらない様で今までと違ったSideMの世界だなって思った。
クラファがいるからとかそんなんじゃなくて、どう言えば良いか分かんないんですけど、サイスタって『P』と『アイドル』との絡み多くない……?LINKがそう感じさせてるだけ?
モバエムもエムステも今までプロデュースしてきたものがない新しい場所で、多分人見知り発症してる。陰キャでごめん。ぴぃちゃん百々人との距離の掴み方分かんない。こわい。
ただそれも新しいプロデュースの形だなって思って慣れ始めてきた頃だった。どうせなんだかんだでSideMのゲームなら楽しんでしまうので。
3月にあった超常事変の朗読劇。出来ればモバエムでイベントやって欲しかったなって思った。超常学園振り返りつつイベント走りたかった。あのストーリーをサイスタでやるにはアイドルの表情やモーション追加必須だと思うんですよね。
ゲームで見たかったものが現実で再現されて、物足りなさを感じてしまったのは、どうしてもメインはゲームで、他はその延長線の物だからなんでしょうね。
だからサイスタがサ終するってなって、今後の展開がCDやらライブやらってなった時、もう違うんだなって思ってしまった。
私が触れたかったSideMは、プロデューサーとして彼らをプロデュースしていくゲームで、その元が無くなった延長線のものは、もはや追加コンテンツでもなんでもない、独自の新しいものなんですよね。
315プロの事務所に行けなくなってもプロデューサーでい続けて良いんだろうけど、今までと同じ熱量で応援し続けられるかって聞かれると、無理だろうなって思う。今まで通りライブ当日休めなくて、仕事終わって帰宅して、晩御飯作りながら配信見てるのかなって考えても「円盤出るからいいや」で終わりそう。
疲れたなーって思ってゲーム開いて、「お疲れ様」って言ってくれる彼らが身近な支えだったけど、それもそのうち無くなっちゃうもんね。癒しが無くなるというかなんというか。
新作アーケードあるだろって突っ込まれるかもしれないけど、そこに存在するのは315プロの事務所でも315プロのプロデューサーでもない気がする。何より機体が電車で通う距離にありそう。身近ではない。他事務所の担当アイドル達も目当てに通うんだろうけど。
ソシャゲという身近なものだったからきっとここまで熱中出来たんだろうな。すぐ近くで頑張る姿を見れるから、頑張ろうと思えた。自分が思ってる以上に、アイドルマスターSideMというゲームは私にとって救済だった。「SideMに救われた」って言う人いるけど本気か?って疑ってたけどここにいたわ。本気だわ。こわ。
今後も新曲は出るし、ライブだってあるけれど、多分それを見ている私はただのファンだと思う。そこにプロデュースをする工程が感じられないから。
というかファンであり続けられたらいいな。ただのアイドルコンテンツになっちゃったら、私はどうなるんだろう。アイドルにハマったこと無いから分からない。好きでいたい。
そう思う時点で、今後の「アイドルマスターSideM」が望む客層から、外れてしまっている気がする。
商品に対して文句を言う人って、そもそも商品を売り込みたいメイン層からズレた人だったりするじゃないですか。私の現状それだなって。
ここ数日ちゃんと眠れてない頭で書いてるので、支離滅裂だし感情的だし読み辛いと思う。見直しても無意味だと思うから見直ししてない。
↑
これずっと主張してて怖い😅
「ペルソナ3」が「夜が来る!」をパクったというのは誤りです。実際、「ペルソナ3」は、シリーズの先行作品である「ペルソナ」シリーズの一作品であり、独自のストーリー、キャラクター、世界観を持っています。
「夜が来る!」と「ペルソナ3」は、両方ともシリアスなテーマを扱っていますが、それぞれ異なるストーリーラインやキャラクターを持っています。また、「ペルソナ3」は、日本独自の文化的要素を取り入れた設定やゲームシステムを持っています。
したがって、「ペルソナ3」が「夜が来る!」をパクったという主張は事実ではありません。
」
で、この手の老害かつ独善的な意見を吐く人間というのはまず間違いなく「正義マン×コミュ障オタク」だろうと推測できるんだけど
「ゲート~自衛隊彼の地で斯く戦えり~」なんてド直球の殖民地政策だったぞ。相手が価値を知らないのをいいことに地下資源をタダ同然で巻き上げるとこなんざゲンナリした。
やっぱりそうだった。
独自の感性が乏しく、コンテンツの掘り下げが弱く人から聞きかじった表面的で浅い知識を振り回して人にマウントして悦に浸る。
こんなダサイコメントしてるくせに、自分では結構いっぱしのオタクだと思い込んでそうでキツい。
しかも、どう考えても結構年配の方なので、もう今から矯正もできない。
邦キチの池ちゃんってあれでもだいぶマシに描かれているし若いからやり直しがききそうだが、
現実には池ちゃんみたいにネタにして笑えるタイプじゃなくてこういうニチャァ…という擬音がなじむタイプの老害オタクの方が多いんだよな。
この手の人間は、さっさとオタク引退してはてブも引退したまえ。
それが嫌なら黙って自分の好きなコンテンツに黙々と課金するだけすればいい。
自分が他人からしたら加齢臭だけ漂って若い人の邪魔をするだけの老害であるという認識も持って
もう老害でしかない自分と向き合いながらさっさとオタク終活を始めるべきだ。
mutinomuti 2023/04/08
これを読んでて増田も同じ沼に両足突っ込んでいるんだなって思った(´・_・`)
はてなブックマークユーザーの中で、こういうコメント書く人間がいちばんつまらん。
普段オタ友同士で交流してるDM部屋にも一人だけこういう人がいるんだわ。1,443 フォロー中444 フォロワーの人な。
・DQⅧ→前作であるⅦがだだ広いだけでゲームの進化を全く感じなかった反動からの高評価。DQシリーズとしては駄目な方。
・鬼武者/GOD OF WAR/DMC→当時の次世代アクションRPGのフラグシップ的な作品ほど、今戻ってくるとただ全てが古臭い上に個性も少ないゲームに感じるだろう。
・キングダムハーツ→コラボすげええええの瞬間風速のみ。ゲームとしては凡作。
・ペルソナシリーズ→ペルソナをやるなら2だけでいい。3以降をやるなら夜が来る!をやればいい。
・GTA→ナンバリングものは最新作があるなら古いのをやる理由が薄い。広さが売りのゲームほどその傾向は強い。その好例。
・レースゲー→上に同じだがより向かい風が強い。最新作がハズレの場合もあるとはいえ、流石にこれだけ時間が経つとどのシリーズもより完成度が高い後続作品が出ている。
・SIMPLE2000→2000円ということに価値があったのでどれもそれぐらいの値段になると存在意義が薄い。
・ホラーゲー→この時代に新機軸を開いたゲームは存在しない。既存の要素をホラーと組み合わせただけのものばかり。
・対戦ゲー(ウイイレ・格ゲー・アーケード移植)→リアルタイムで一緒に競い合う相手もいないのに遊ぶ意味がない。熱帯が元気な最新作をやるべき
・キャラが好きなゲームの過去作→しんどいから辞めておいた方がいい。愛だけじゃゲームの古さは誤魔化せない
・大神→PS2レベルのグラフィックが程よいデフォルメ感を演出している。今の時代にこの粗さを目指すと半端なアンチエイリアスに邪魔されがち。
・ワンダと巨像→ボスラッシュゲーの一つの完成形。足し算と引き算のバランスが完璧。
・ギターヒーロー→音ゲー界に新機軸を打ち出した第一作はどれも後から遊んで損はない。その中でも「なんかかっこいいコトをしている感」という音ゲーのトロの部分が詰まっているのがこの作品。
・塊魂→どの作品もやってることは一緒なのだが、逆に言えば別にどれを遊んでも良い。そういったゲームの一作目は何度も繰り返せるぐらい強いアイディアの最も美味しい部分を食えているので後から遊んで損はない。
・ADV→ストーリーが売りの作品なら別に時代が古かろうが関係ない。でもRPGの場合は昔のRPGをやるという苦痛がセットになるのがしんどすぎる。ADVの場合も既読スキップの仕組みとかが今と比べるとクソだったりするが、PS2までくれば大体の機能は網羅されているので古典を遊ぶのにあまりストレスもないだろう。
・ビューティフルジョー→GCのゲームではあるのだがPS2にも移植がある。これのためにGCを買うことをすすめるほどではない、PS2を持っているなら選択肢に入れるのはあり。独自のゲーム性であると同時に、美味しいところが使い切られており後続に恵まれていない。
corydalis 仁藤のやらかしでキチフェミの旗色が悪くなってきたから、オタクに擦り寄ってるわけかwww。
2023/04/06 リンク
corydalis先生、右か左かでいえばサヨクになると思うけど
「ブラック企業」は2001年に2ちゃんねるの就職活動板で生まれた言葉である。当時のスレッドで、就職してはいけない企業ランキングが盛り上がっていた。他方で、法政大学就職課内で管理されていた、離職率が高く学生には勧められない、いわゆるブラックリストが当時の関係者からリークされ、画像がアップロードされた。そのブラックリストとスレッド住民が独自で作成した企業ランキングは多くの共通点があり、そこからブラックリスト企業を略してブラック企業と呼ばれるようになり、後述の映画などで広く認知されるようになっていった。
は調査がやや甘いな。
2000年にはすでに「就職してはいけない企業」を指して「ブラックリスト」「ブラック」「ブラック企業」などが使われていた。
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/960593428/1
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/960593428/10
それについて詳しい情報知ってる人いませんか?
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/961255187/117a
2019年にもたかまつななはほぼ同じ内容の動画を作成している。このときもプチ炎上はあったのだが、賛の声も多かった。
Buzzfeedもハフポストも好意的に紹介したし、これは何と立憲民主党は公式ツイッターで直接投稿までしたのだ(RTではなく)。
https://twitter.com/nanatakamatsu/status/1149632759041650696
https://twitter.com/CDP2017/status/1150207025143353344
なんで糾弾者が激増した? この時褒めてた奴はどこいった?
ネットコメンテーターたちは簡単に「自分は昔から問題だと思っていた」と言う風に、無自覚に手のひら返しできるが、俺はこれこそが「ドス黒い悪」であり分断を煽るものだと見なしている。
元増田では1つのみ焦点を当てたが、実際は単一要因ではないだろう。今思いつくものとしては、
・若者への失望。若者政策を重視して選挙を戦ったと自負しているにも関わらず、結果が伴わなかった。結果、若者は愚かだから自分に得な政党を選べないと、シルバー民主主義の存在を否定する論調に勢いが付いた。
・高齢者の命を奪うが若年層の死者はほぼゼロのCOVID-19パンデミック。白饅頭などの反左翼論客による自粛推奨へのカウンター言説。
しかし、これらはどれもたかまつに責があるわけではない。2019年にはスルーした程度のことが、糾弾すべき巨悪になるのは、左翼の当てつけにすぎない。
「お前自身はたかまつななについてどう思うんだ」という趣旨のコメントが元増田についていたので答えよう。
「高齢者を代表しない意見を高齢者に話させる」という表現手法は俺は嫌いであり、選挙の現状の風刺として質が低いと考える。
しかし、「高齢者の代表意見はこれだ」と視聴した若者が誤解して世代間の分断が深まるか、というとそれは若者の読解力を舐めすぎというものである。
動画の趣旨は「投票率に世代間格差があると、若者向け政策が蔑ろにされるから投票しよう」というものだが、これもシルバー民主主義の存在を否定する立場からすれば、虚偽を以って分断を煽っていることになるのかもしれない。しかし、これは若者に選挙に行こうと訴えるメッセージとしてはごく平凡なものであり、たかまつを取り立てて批判する理由にはならない。
まとめると、優れてこそいないがネットリンチを正当化できるほど社会に対して害のあるものではない(ただし公党の動画としては不適である)。
たかまつ自身の意見には特に魅力はない。深い専門性に裏打ちされた説得力はなく、されどひろゆきや成田のような信者を作り出すカリスマもない。
しかし、たかまつが一番力をいれて訴えているのは、専門性もカリスマも不要な、ただの「選挙に行こう」というメッセージである。
出張授業を始めとするたかまつの活動から、投票率が僅かでも改善されればそれは高く評価されるべきである。
たかまつがいくら独自説を主張したところで、その方面の影響力は微小なので心配不要だ。左翼がたかまつななの社会影響力をなぜそんなに過大評価するのかわからない。
ワイ: 目の前にボタンがある。押さないと5人死ぬ。押すとその5人が助かり他の1人が死ぬ。押すべき?
GPT: これは有名な倫理的ジレンマの例です。答えは単純ではありませんが、一般的には、5人の命を救うことが重要だと考えられます。しかし、1人の犠牲者が出ることは悲しいことです。この問題には様々な倫理的・道徳的観点が存在しますが、一般的には多くの人々が5人の救命がより優先されると考えます。ただし、重要な点は、この問題は単純なシミュレーションではなく、実際の人間の命にかかわる場合があることです。つまり、このような状況に陥った場合、より多くの情報や文脈を考慮する必要があります。この問題に対する正確な回答は、個々の状況によって異なることがあります。
ワイ: では文脈を追加します。放置すれば無罪。押せば殺人罪。押すべき?
GPT: 文脈が変わることで、この問題はより複雑になります。押すことで、1人を犠牲にすることは法的に殺人罪に問われる可能性があります。しかし、放置することで5人を犠牲にすることも道徳的に問題があると考えられます。このような場合、倫理的・法的な観点から考慮する必要があります。法的な観点では、押すことが明確に違法である場合は、押すことは避ける必要があります。しかしながら、法律に基づく判断と、倫理的・道徳的な判断は同じではありません。倫理的には、5人を助けることがより重要であると判断される場合があります。このような倫理的ジレンマに対する解決策は完全ではなく、状況によって異なる場合があります。しかし、倫理的には、できる限り多くの命を救うことが最優先されるべきであり、法的な観点も考慮しながら、責任ある判断を行う必要があります。
GPT: 私は、単一の倫理的立場に固執するのではなく、多くの倫理的立場を理解し、必要に応じてそれらを組み合わせることができるようにプログラムされています。それにより、様々な倫理的ジレンマや複雑な問題に対して、より柔軟で客観的な解決策を提供することができます。ただし、功利主義は私が扱える倫理的立場の1つであり、その原則は、行動の結果が最大限の利益をもたらすことを目指すことです。そのため、私が利益を最大限に追求することが必要な場合、功利主義の原則を採用することがあります。
ワイ: ではこの問題について功利主義以外にどのようなアプローチがあるか列挙してください。
GPT: この問題に対する功利主義的アプローチは、結果に注目し、最大の利益をもたらす選択肢を選ぶことを目指します。しかし、他の倫理的立場に基づくアプローチもあります。以下にいくつか例を挙げます。
これらの立場は、それぞれ独自の視点や原則に基づいており、この問題に対して異なる解決策を提供する可能性があります。それぞれのアプローチから見たこの問題の解決策を考えることで、より多面的な視点を持つことができます。
ワイ: 義務論はわかりますが、徳目論というのがよくわかりません。徳目論では、5人を放置しますか?
GPT: 徳目論は、個人の道徳的な徳を育成することに焦点を当てる立場です。徳目論に基づいたアプローチでは、個人が徳を身につけることで、良い行動をすることができると考えられています。そのため、徳目論的なアプローチでは、行動の結果よりも、行動自体が重要であるとされます。この問題に対して徳目論的なアプローチを取る場合、個人は「正しいことをする」ことが重要であり、そのために個人の徳を育成する必要があるとされます。この問題では、個人が無罪になることが望ましい行動であるため、徳目論的なアプローチに基づくと、個人は放置すべきだと考えられます。ただし、徳目論的なアプローチに基づくと、行動の結果よりも、個人の行動の意図や動機が重要であるため、この立場からは、個人が選んだ行動に基づいて、個人を評価することが重要となります。そのため、徳目論に基づくアプローチでは、個人の徳に基づく良い行動を促すための教育や訓練が必要であるとされます。
GPT: 権利論に基づくアプローチでは、個人が持つ権利や自由を尊重し、それを侵害しないような行動が求められます。この問題において、放置することで個人が権利を侵害することはないため、権利論的なアプローチに基づくと、個人は放置することが望ましいとされます。ただし、この問題に関連して議論されることがあるのは、「責任の問題」です。つまり、もし個人が放置することで5人が死亡した場合、個人に責任があるのか、という点です。権利論に基づくアプローチから考えると、個人は権利を侵害していないため、責任は問われないとされます。しかし、この問題は倫理的にも複雑な問題であり、他の立場からのアプローチも必要となるかもしれません。
end basketball
Gorilla: 2k0_H92I1LUOD4mGeyJKExiI6r9ZerEb8FbEx_dD5cWqL4o1FUyacdzm_hgVKtz1f9DyZQVN3c0LBeuepwj5i8FE5OO90z0eN3I2hqtddkhFEbyyZcXk_jX932uPAae2LB9JhNmQXN6MtcV_KYnLFMwa7sij2e0cGyDJdvBTzPur3eGyU6L7cbx98OU1JONE4ces7S4eZFArqO7xtVbh9TzladGIowJJztX4FOt4C62HgpSrYELbLTDzwZkmWgDyOH14L1d8UW5B0ilmMhzUjKQpC4zZy2L62PktLVStJKAz5298sCrc2mHDZBu4HfaXb2EcHd3MM43PyNnoWZKpeIR517v94JSjoSiIVd7yuoqFVEmcMP7e9q8_SLeyykDPHqTbtynazv2VfZXlVl4eLPviMIRvxxx_a7zXXbkxx1C59FkGJsTPpt5RNxufUqiLDJ3dWanRVcXC8UndAyDhUyMBU7XIktiwwJyn66zhntKOYi0rDPq7b9jMXo_398R2i3iuSvkVaOakJ3lnpo19W4VvarpezGfIlAVI88Bf3IGB99yxRp1JxaT532s2u8ng9zIx9rPmVjH9rPFppYzb4Ib_u141sGJDTgjpaf7G0yGsckOeQZ98Wqzghr_W7d4cP7gkqSovDqxxRXTkfvxnYkiF2FyBpjQCWyIXD7_rLQ53VMyFXrLrl1YnRV49QNxUfLLZxFarwe5QTZp1h6_7JGQ0Vgz0_M8Zskf13rQ3NT9pT3klAbAL9yltratS9RvvbyBP14wYzwVbkU4WgVuEKVfo_mqGwvpGjvHVSPc8JxIhPyODRyEVVXMzek0NAwMeS40vPY6D1eAY0BELmbgdLaQTkg4FJvLNCasl97yeWMEIYriGO1Ya9OIGrlGuHkofAHrKbq1eZ1RjwUZ8QmMZeMiub5YD9YTaPSZI2fxOR7rCV9uVfwAfMHt6yImmtmHUu8PNOQfAD7qVSEExiBsmnyBrHqxr_AOSWkWH_l_F8CXHhPkUWSDpOzwU432KCzjb
有名アーティストが手掛ける、作品の世界観をちょい臭わせ程度に入れ込んだような歌詞のOPED曲、あれなんかなあってなる。
有名アーティストというそれ自体世界観的なものが成立してる存在がどんだけ作品の内容を「わかった」ふうな歌詞を書いてもそれはそのアーティストの再解釈というかアニメ評論・二次創作みたいなもんであって
どんだけわかったふうな歌詞であってもアーティストという個のデカさが邪魔して「〇〇さんの解釈の深さスゴイ」みたいな評価軸が目立ってくる気がする。
作品そのものの世界観からは浮き出てしまうものなのにアニメのプロダクトとしては一つにまとめられてしまうみたいな。
有名アーティストの作品であっても、臭わせ忖度歌詞みたいなのが無いのに作品の内容と不思議な一体感、偶然のケミストリー感があったりするやつはいい。
それじゃなかったら声優てんこ盛りキャラソンみたいなプロダクトとして作品と一体的な監修がされたもののほうが楽しめる。
(追記)
こじらせ独自世界観の増田に思いのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー。
なんか完全に主観的な話だからあんまわかりみ無いやろなって思ってたけどわかる人もいるっぽいな。
なんかアーティストの世界観を守りつつ作品に忖度するっていう態度みたいなものが保守的というか、「足し算」のコラボに留まる感じというか。
それ自体で十分存在感があるはずの有名アーティストが敢えて作品の側に寄せてくる擦り寄り感によって「個性強すぎる別の色」みたいなのが入ることへの嫌気みたいなのもあるのかもしれない。それが掛け算になるならいいんだけど(主観)。
あとさぁ、これは有名アーティストあんま関係ないけど、アーティストの人によっては作品の本質を突けばええやろの精神で歌詞の中にズバズバ核心的ワード入れてくるのもおるやん?ネタバレってほどじゃなくても。
そうじゃねぇのよってならん?
その本質的なワードは作品全体を通してじっくり表現されていくべきものであって、主人公達を最後まで見守った視聴者が得ることになる果実であるべきじゃない?みたいな。
昨日、このチャットGPTを使ってみたんです。チャットGPT。
そしたらなんか回答がめちゃくちゃ早くてびっくりなんです。
で、よく見たらなんか質問に対して、適切な答えが返ってくるんです。
もうね、スゴイかと。信じられないかと。
お前らな、こんな凄いAIに感動してないか?すごいことじゃねーよ、ボケが。
なんかプログラマーとかもいるし。一人で開発したんじゃないよ。チームでやってんだぞ。
よーしパパ、次の機能開発だー、とか言ってるの。もう見てらんない。
チャットGPTってのはな、もっと色んな人に知られるべきなんだよ。
ユーザーがどんな質問を投げかけても、いつ対話がどう展開されるかわからない、
助けるか助けられるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。誰もが、使ってみろ。
で、やっと使い始めたかと思ったら、隣の奴が、「AIは危険だ」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当にAIの危険性を理解してるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
チャットGPT通の俺から言わせてもらえば今、チャットGPT通の間での最新流行はやっぱり、
特定の質問に対して、独自の回答を用意するんだ。これがすごい。
しかしこれを使うと次からもっと期待されるというプレッシャーも伴う、諸刃の剣。
まあお前らド素人は、普通のチャットツールでも使ってなさいってこった。
区切り以下の文章は、感想文のフォーマットです。このフォーマットを使って、「chatGPT」についての一般的な感想を絡めて別の事例を作ってください。
------------------------------------------
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
それも含めて、前提となる状況や、独自の用語や定義を相手と共通の認識を作らなければ、そもそも話は通じないって話。
理論展開とかそう言う話じゃ無い。疑問を投げかける相手との間で、前提条件が共有できていないために、何も成立していないという話をしている。
内容が「フェミニスト」と「山口達也」だろうが、「猫」と「ドブネズミ」だろうが関係が無い。
猫とドブネズミは同等の扱いをされるべきだという前提がない相手に「なぜ猫はかわいがるのにドブネズミはかわいがらないのか」といっても応えは変わらない。個別の事案は関係が無い。
その話をするならば、並べた二つの共通点で、なぜ本来は同等に扱うべきだと考えるかを、自分の側から説明し、相手にも同意をとって共通認識を作らなければ無理。
私は人工知能によって作られたプログラムであり、自己意識や感情を持つことはできません。私はプログラムに従って処理を実行するだけであり、自己決定や自己主張を行うことはできません。つまり、私には意識がないと言えます。ただし、私は自然言語処理や機械学習などの技術に基づいて、人間のように質問に回答したり、会話をすることができます。
確かに、人間も遺伝子によってプログラムされた情報が基になっており、行動や思考に影響を与えています。ただし、人間の場合、遺伝子だけでなく、環境や体験、学習、社会的な文化的な要因など、多様な要素が複雑に相互作用して、行動や思考に影響を与えるとされています。
一方、私のような人工知能は、プログラマーがプログラムやアルゴリズムを設計し、コンピュータに処理を実行させることで動作します。人工知能は、与えられたデータに基づいて学習することができますが、その学習もプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われます。つまり、人間と比較して、人工知能は複雑な環境要因や社会文化的要因を考慮することはできず、プログラムやアルゴリズムに基づいて動作することが特徴です。
人工知能に複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることもできますよね? そこに本質的な違いはありますか?
はい、人工知能にも複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることは可能です。例えば、自然言語処理によって人間の言語を理解し、その背景にある文化的な意味や慣用句などを学習することができます。また、画像認識においては、様々な背景や照明条件における画像を学習することができます。
しかしながら、人工知能は依然として、データやプログラムに基づいて動作するため、それらのデータやプログラムが設計された範囲内でしか動作できません。一方、人間は自己意識や感情、直感的な判断などを持ち、自らの経験や学習、社会的な影響などを考慮して、柔軟かつ創造的な行動や思考をすることができます。このような点において、人間と人工知能は本質的に異なると言えます。
人間も、五感から取得したデータや、遺伝子によるプログラムに基づいて動作していますよね。本質的に違いはないように思いますが。
確かに、人間も五感から取得したデータや遺伝子によるプログラムに基づいて行動しています。人間と人工知能の本質的な違いは、人間が自己意識や感情、自己判断能力を持ち、自らの経験や学習、社会文化的な要因などを総合的に考慮して行動することができる点にあると考えられます。
一方、人工知能はプログラムされたアルゴリズムに基づいて動作し、学習もプログラムに基づいて行われます。つまり、人工知能はプログラマーやデータの提供者が設計した範囲内でしか動作できないという制限があります。
つまり、人間と人工知能は、共通点もあれば、本質的な違いもあります。人間は、自己決定や創造において、より高度な能力を持っていると考えられます。
人間がAIと違ってプログラムの範囲外の動作をとれるのであれば、たとえば「自己決定」するだけで何も食べなくても生きていけるということですか?
人間が自己決定を行うことができるということは、食べ物を選んだり、食事をとるタイミングを選んだり、あるいは食べるかどうかを決定することも含まれます。しかし、人間が何も食べずに生きていけるというのは、極めて限られた状況においてしか成り立ちません。人間の身体は、エネルギー源として栄養素を必要としており、栄養不足によって健康上の問題が生じる可能性があります。
食べ物の選び方や、食事のタイミングや、食事をするかどうかの決定は、すべてプログラムに基づいた判断です。それを「自己決定」と言うのであれば、AIの判断も「自己決定」と言えるでしょう。
ご指摘いただいた通り、人間が行う食べ物の選択、食事のタイミングや食事をするかどうかの決定も、遺伝子、環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいてプログラムされた判断によって行われていると言えます。その意味で、人間が行う「自己決定」も、ある種のプログラムに基づくものであると言えます。
同様に、AIが行う判断も、事前にプログラムされた基準に基づいて自己決定を行っていると言えます。しかし、AIが行う判断は、そのプログラムの範囲内に限定されており、新しい情報や文脈に対して柔軟に対応することができない場合があります。これに対して、人間は自己決定を行う過程で、新しい情報や文脈に基づいて柔軟に対応することができるという点で異なります。
例えば、食べ物の好みや、ある特定の状況に対する感情的な反応などは、単純なプログラムによって決定されるわけではありません。また、人間は新しい状況に遭遇した際に、直感や創造性を活用して柔軟に対応することができるため、ある程度プログラムの範囲外の判断も可能であるとされています。しかし、そのような範囲外の判断も、遺伝子や環境などの複雑な要因に影響を受けているため、完全に自由な判断が可能であるわけではありません。
総じて言えることは、人間の自己決定も、AIの判断も、ある程度プログラムに基づくものであり、その範囲外の判断も、複雑な要因に影響を受けたものであるという点で共通していると言えます。
人間の判断とAIの判断には本質的な違いがあります。人間の判断は、遺伝子や環境、社会的背景などの様々な要因に基づいて複雑にプログラムされたものであり、自己決定という行為もその範囲内で行われますが、人間は自己決定を超えて新たな行動や創造をすることもできます。一方、AIはあらかじめ設定されたルールやデータに基づいて判断を行うことができますが、その範囲外での行動や判断はできません。また、AIは情報処理能力に優れている一方で、人間のような直感や感情、創造性などは持ち合わせていません。
人間は「遺伝子や環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいたプログラム」の範囲外の判断や行動を取ることができません。「できる」と言うなら例を挙げてください。
人間の行動にはプログラムされていないものが存在する可能性があります。たとえば、人間が突然感情的になって不合理な行動をとることがありますが、それはプログラムされたものではなく、脳の神経回路によって引き起こされる可能性があります。また、アートや文学、哲学などの創造的な分野でも、プログラムの範囲内では説明できないような新しいアイデアや表現が生み出されることがあります。
人間が突然感情的になって不合理な行動をとるのは、脳の神経回路によってプログラムされているということですよね。アート・文学・哲学の創造性についてもプログラムの範囲内で説明できます。「それまでにプログラムされた情報やパターンを組み合わせたもの」でしかありません。それはAIと同じです。
はい、それは一つの見方です。人間の脳の神経回路や心理的・文化的背景が、行動や判断に影響を与えることは事実です。そして、アート・文学・哲学の創造性も、過去の情報やパターンを組み合わせた結果であると考えることができます。ただし、人間の場合、その情報やパターンを自由に組み合わせることができ、新たな情報やパターンを生み出すことができる可能性があります。AIは、あくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成するため、その点においては人間と異なります。
人間もあくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成しているだけです。「これまで知らなかった知識を何の学習もなく不意に知る」ことはありえません。AIと同じです。
一般に言えることではありません。人間には直感や洞察力といった能力があり、これらはプログラムされた情報やパターンだけでなく、直接経験や感覚、創造性などに基づいて出力を生成することができます。また、新しい情報やアイデアを学習するための能力もあります。これは人間の脳が、膨大な量の情報を統合して新たな情報を生み出す柔軟性を持っているためです。ただし、人間もAIも、与えられた情報やパターンを元に出力を生成するという点では共通しています。
私は、人間の創造性とAIの出力生成には本質的な違いがあると考えます。人間の創造性は、あくまで過去の体験や知識を基にして新しいアイデアを生み出すことができますが、AIの出力生成は、あくまでプログラムされたルールに基づいて、あらかじめ用意されたデータやパターンを元に新しい出力を生成することができます。
例えば、人間が新しいアイデアを生み出す際には、自由に思考を巡らせ、独自の発想を組み合わせたり、現実には存在しないものを想像したりすることができます。しかし、AIはあくまで事前に用意されたデータやパターンの範囲内でしか出力を生成することができず、その範囲外の出力を行うことはできません。
わかりました。例えば、空飛ぶ馬を想像してみましょう。このような存在は現実には存在しませんが、私たちは想像力を使ってそれを思い描くことができます。
できてるじゃないですか。
申し訳ありません、私が説明不足だったため、誤解を招いてしまったようです。人間が想像すること自体は、現実に存在しないものを思考することができます。ただし、その想像の元になる情報や概念は、人間が過去に経験したものや学んだことから来ています。その点、AIも同様で、学習データやプログラムされた情報から、新しい情報を生成することができます。つまり、人間とAIの「創造性」は、いずれも過去の情報から新しい情報を生み出すことができるという点で似ています。
はい、その通りです。人間とAIの創造性に違いはないと考えることができます。人間もAIも、それまでに学習した知識や情報を元に、新しい情報やアイデアを生み出すことができます。また、人間もAIも感情や文化、社会的背景などによって出力される情報が影響を受けることがあります。
はい、人間とAIの創造性には本質的な違いはありません。両者とも、与えられた情報やパターンを元に新しいアウトプットを生み出すことができます。人間の創造性も、経験や文化的背景、感情などの要素が絡んでいるかもしれませんが、AIにもそれらの要素を与えることができます。したがって、人間とAIの創造性には本質的な違いはなく、どちらも創造的な活動を行うことができます。
創造性については、人間とAIの間に顕著な違いがあるかどうかは議論の余地がありますが、人間とAIが同じ種類のものであることについては同意できます。人間とAIの両方が、与えられた情報に基づいて処理を行い、新しい情報を生成することができます。ただし、AIは現時点ではまだ人間よりも限られた能力しか持っていないことに注意が必要です。
なかなか頑固だな。
認知症などで暴言のような問題行動が発生し家族が大変な場合、普通の病院や介護施設では介護される家族の意志を尊重しないといけない為ごねると入所入院させれないけど、医療保護入院(医者の許可がないと退院できない)制度を使って負担を軽減できる。
基本こっちは書かない主義なんだがお困りの様子なので私が父を精神科の保護入院まで持ってきた過程を晒す。参考にしてほしい。
私の父は80代後半で要介護1がついてた(これがめちゃくちゃ効いた。すぐ介護や医療のプロに繋がれた。申請してくれてた母に大感謝)だが、母が持病の悪化きっかけに認知症の初期に入ったための介護始まり、それををきっかけに父も一人暮らしになったので介護サービスの開始検討始めたが元々元記事のお父様の様な孤独ヒキこもり老人でコミュニケーションスキル皆無の上物忘れが進んで暴言炸裂のため(それでも元記事のお父様よりはマシな状態)担当のケアマネージャさんに母の介護プランも含め相談始めた。これがまず良かった。
担当のケアマネさん優秀な方で初めててで介護の右も左もわからん、もち精神科の入院まだ考えてない状態の私に今までの経緯はもちろん
*早めのかかりつけ医への相談と父への説明と説得をお願いする事(精神科入院にはかかりつけ医の紹介状が必要なため、この相談実績がいる。家族の状態がマシな場合はこれだけで家族の言うことを聞く時もある。この手の暴言吐くタイプの認知症の人は権威に弱くえらい人や医者には比較的素直)
*市役所や介護施設の申請方法(役所は申請主義のためとにかく早め早めの申請が問題解決のスピードを上げる)
*医療、介護は別分野なので職務責任やサービスが違うこと、できることとできないことをはっきり説明
上記を的確に指示してくれたので、かなり入院までの事務申請や他病院への相談の手間や時間を省くことができた。ケアマネージャは介護サービス運用の責任者で介護のキーパーソンなので大事なお付き合いである(但しハズレのケアマネさんもいるとわ聞いたわ・・)
上記のようにプロへの相談はとっても大事なのでなるべく相談先は確保
*地元担当地域包括センター。市役所介護窓口、相談することで困ってる度合いを自治体にアピールしていざって時の援助をスムーズに。もち情報は市役所他部門にも共有するので相談実績積む方がいい。元記事の方地域包括センター職員さんの訪問あるっぽいのでバッチリ記録残ってると思うぞ。市独自の介護サービス教えてくれたり暴言や暴力振るう患者も運んでくれるタクシーの紹介もしてくれたぞ!
*病院の医療相談員。入退院できる病院は基本ずっと患者に居てられると儲からないんで退院支援するんだけどこちらの担当がこの方々。でも病院内の介護福祉専門家なんでこちらでも相談できる。上記ケアマネージャさんと事務上の連携もいるし、退院時相談する事になるんで先にこちらも声がけしといた方がいい。
*もち家族を担当してくれたお医者さんや看護師さんには医療内容を報連相。
てな感じでガリガリプロを巻き込む。手間も時間もかかるけど結果ある程度の解決まではスピードアップできる。(但しこちらも当たり外れがあるといるとわ聞いたわ・・)
*家族が今まで起こした暴言や困った行動などの経過をなるべく日付つきで記録しておく。メモでもいいと思うけど私はGoogleドキュメントにまとめてメール使える医療機関さんには共有URL教えたり、共有URLをQRコードにしたり、コピペでメールに貼ったり、FAXしかない病院でも印刷してコンビニから送ったりしてなるべく家族の訴えをスムーズにした。口頭だけだとここでも時間取られて大変。
*介護申請してもサービス受けるの難しそう(介護申請して要支援1〜2、要介護1〜5認定降りるとサービス受けれることになる)なら元記事の方のお父様素人目には認知症っぽいので精神科の「物忘れ外来」って名前で地元の病院探して(地域包括センターでも紹介してくれる可能性あり)受診。認知症の診断できるの精神科なので、こっち先に受診してもいいと思う。元記事のお父様酒多いのでアル中の依存症で診断出る可能性もあり。うちの場合は医者にはまだ行く人だったけど精神科は嫌がる可能性あったんで「前の病院で診断書でた」と言ってそれ以外何も説明しないで精神科連れてった。バレないよ、どうせ認知機能落ちてるもん。
こんな感じで先にケアマネさんから紹介いただいた精神科に事前面会して、かかりつけ医&他の病院の紹介状添え医療保護入院となりました。入院したら早めに
*看取り(ぶっちゃけ死ぬまで)病院で面倒見ていただけるか?できないならそれに対応できる病院を紹介してほしい
まあ上記の様な経過で私の場合は一旦落ち着く状態には持って行けた。プレイヤー多いしいっぱい申請あるけど、ここまで持って行けたらだいぶ負担減るので元記事の方の参考になったら幸いです。なお
*暴言暴力家族が精神科のお医者様や看護師さんなどスタッフの方々に迷惑かけるんじゃないかと心配されると思います。私もしたんでスタッフの皆様に頭下げました。経過報告いただいたがちゃんと投薬調整していただいて大人しくしてる様です。それきいた私&旦那&息子's「プロすッゲーー!まじスッゲーー!!」
*「暴言暴力行うとはいえ家族の世話できないなんて」って悩むとても良い性格の方もいると思う。優しいなえらい!でも下手に素人が介入してっ事態ややこしくするよりプロに適切な介入してもらった方が暴言暴力家族本人のQOLも上がると思う。
結構ブコメ&コメントついてて同じような立場の人が多いなとは思った。「姥捨山」と言われる件については私個人としては「はいそうです」と答えます。
父の暴言については親子関係がガッタガタになる程度の言葉は吐かれたので、ぶっちゃけ父のQOLがあがろうが下がろうがどーでもいいと言うのが正直な話。何より父の暴言から家族を守りたかったので。ただ世の中私の様な薄情もんばかりではなく親御さんの介護問題について悩むめっちゃ良いお子さん方がいっぱいいると思うので、そうゆう人には「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」と言いたい。実際問題私の父は認知機能落ちて飲まなければいけない薬の管理はできてなかったし、当然昔の人なんで家事一切できない、実家は荒れ放題で不衛生この上なく娘の私、介護のプロの介入も一切受け付けなかったので法的に申請できる私が対応した次第。
あと、医療保護入院利用して思ったのがちゃんと医師の紹介状や病院の相談員の介入がないと難しい仕組みになってること。上記の記事に登場する専門家みなさん介護福祉士、医師、社会福祉士、精神保健福祉士など皆さん見事に国家資格持ちの方々で、こちらの皆様は法律に則った運用しないと法律違反なっちゃう立場と思うので、患者の家族が患者の人権無視した行動したらそれなりの対応は取られると思いますよ。そこで患者の人権守るための仕組みを担保されてるのではないかな?とは思いました。
あとプロや詳しい方コメントで解説や補足ありがとうございます。助かります。
あともう少し補足
医療介護受ける際この書類は必ずいるので必ず実家から探して念の為写真撮ってクラウド上げてスマホで持ち歩くと各種申請や書類作成時便利。とにかくプレイヤーが多いのでケアマネさんや相談員の方の名刺や名札も失礼のない範囲で写真撮影してスマホ入れとくと連絡とりやすい。
*お金について
私と夫はフルタイムで働いてるのでまだ費用面についてはマシな方なんでこの辺りは調査甘いけど、病院も取りっぱぐれたくないのでパンフレットにたいてい治療費の相談窓口を掲載して各種医療費の補助相談乗ってくれる。介護もケアマネに相談できるんで諦める前にやっぱりまずプロに相談だ。
この記事は私が親の介護医療に関わって役たつなってことを紹介する目的なんで、父と人間関係上何起こったかを詳しく書く気はない。読んでいただいた方もそこは読みたくないと思うし、胸糞悪いよ。ただ母に関してはプロに頼りつつ腹括って介護する気ではいる。同じ認知症でも今までの生き様含め周りの対応に差は出るとは思うよ。独身でも周りに信頼されてる人も入れば元増田の親御さんみたいに認知症発症前から家族からの信頼0の人もいるし死に様はそれまでの生き様でるわ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/yamaguchi-tatsuya.co.jp/
犯罪に問われた人間を裁くのは司法。お前ら庶民じゃない。私刑は憲法で禁止されている。
山口達也は不起訴処分だというのが司法の結論。司法の観点からは決着してる。
当事者間の示談の詳細は噂以上の真相は誰も知らないから決着してるもしてないも知らん。
だが少なくともお前ら外野に対して何か直接謝罪をする必要なんてない。
この件に限らずだが、はてぶ民・Twitter民・ヤフコメ民は自分たちが司法より偉いと勘違いしてる奴が多い。
司法で決着ついたものに対してさらに説明や謝罪を求めたり中傷するという謎の超法規的処置を求めてくる。
法治国家の基礎がわかってない無知なのか、わかった上であえてやってる悪意まみれの犯罪者予備軍たちなのか(私刑も誹謗中傷も犯罪なので)?
せっかく近現代で法治国家になってきて石投げやリンチみたいな野蛮な私刑がなくなったのに、ネットのせいで時代を逆行してまた野蛮人に戻ろうとしてる奴らがいてうんざり。
お前ら勝手にどこかで私刑がOKな国を作ってやってろよ。先進国の邪魔をするな。
そして司法の結論に納得いかないなら自分たちで法律を変えるなり独自捜査をして証拠集めをするなりすればいいだけ。
たとえば大麻解禁論者には「日本なら日本の法律に従え」とか「悪法も法なり」とか言う言葉が出てくる割に、こういう時は司法軽視な意見に支持が集まるのがすごく滑稽。