「宮城県沖地震」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 宮城県沖地震とは

2011-05-14

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1721207371&owner_id=18235986

それほど長い間公開されるとは思えないので、転載させていただきます

ビントロ巻きさんの日記

減額ナシは当然のこと 2011年05月13日22:26 東電 退職金など減額検討せず

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1600765&media_id=2

当たり前ですね。

今回は津波に起因した天災です

福島沿岸は14mなんて津波は想定されておらず、耐震はもちろん護岸関係も

国が策定した基準を遵守していました

外部非常電源も国の安全委の最新のデータでは1台で良いとされて

おり、それが機能喪失する確率は1/1000と評価されております

今回、東電福島第一において2台設置しておりました結果として、

それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった

ことになります。これはもはや想定外です

これをもし、想定内とするならば、三陸沿岸に国が09年に完成させた

防潮堤の損壊はどうなるのでしょうか?市町村も国も住民も「これほどの

津波は想定できない」と言っております防潮堤想定外原発関係が想定内というのは国民の支持を得られないでしょう。

さて、この国の電力設備の構築には戦中を除けば官の力は一切使われて

いません。

電力会社明治期に起こった各地域の電燈会社が由来です。その後、

電燈会社が統廃合を繰返し、大同電力、宇治川電力等が誕生しました

実は、この頃の電力会社は今のような地域独占性ではなく、乱立状態

した。ところが競争により過度なコストダウンが進み、設備

疲労劣化を招き統廃合が進みます。つまり、日本戦前は電力自由化

社会だったわけです

戦中は政府の介入により発送電を担う日本発送電と各地域の配電会社

再編されました公社時代を経ている沖縄電力を除けば、電力に官の力が

入ったのはこの戦中のときだけです

戦後日本発送電と配電会社解体され、1951年5月に今の電力会社

地域1社体制で誕生しました日本の電力の誕生純粋な民間資本

起こり、設備は民間力で築かれてきました。官営八幡製鉄所が元の

今の製鉄業、鉱業運輸業等、今ある大企業ほとんどは官に設備

払い下げ等、何らかの官の力で発達したものです

電力会社はまさに近代日本で最古の”ベンチャーです

さて、話を元に戻しますが薬害エイズ等、民間会社が起した事故であっても

国の基準や運用そのものに問題があれば、国も責任を負っています。

今回も同じでしょう。国の最新の基準を守っていたのは明白なわけであり、

今回はまずは政府が率先して補償する、つまりは税金を投入することが

先決です原子力事業とは安全に細心の注意が必要であり、そのような

安全を守らせるために国の基準があります。基準を守っておきながら、事が

起きたら「税金の注入は許さない」では、電力会社リスクだけ負って何も

ペイしない気の毒な存在と言えます。本来であれば免責でしょう。

税金投入に支持をしなければいけないのは国民も同様です

もし、反対するのなら公的資金で賄われる彼らへの援助、税額控除、補助等を

すべて剥奪すべきでしょう。

ベンチャー”を崇拝するこの国ですが、その国民が最古の”ベンチャー”を

つぶそうとするその不穏な動きに大変強い怒りを感じております

到底許されることではありません。

コメント

炎上師匠2011年05月13日 22:32

ニュースからです

とっくに変質していますし、想定内でもありますから

電気野郎2011年05月13日 22:36

ニュースよりきました

三陸沿岸に国が09年に完成させた

防潮堤の損壊はどうなるのでしょうか?

まったくもって同感だ。何度も高い津波に襲われている三陸

低い堤防しか造らなかった国の対応はどうなんだと言いたい。

もし、想定できることを全て対策できるとするなら岩手福島

沿岸に、今回の津波に耐えうる堤防を造らなかった国はその地域

住民を見捨てていたことになるがね。

>今回はまずは政府が率先して補償する、つまりは税金を投入する

>ことが 先決です

福島や浜岡の件もそうだが国の指針を守っていたのに、その法を超えて

事業者の負担を第一とした設備を止めさせるのは、民間への政府

不当な介入であり民業圧迫でもある。

なぜ現政権は法を超えた対応を考えるのか?

今回のような未曾有の災害補償、復旧に関わる費用国民全員

分かち合って負担するのが復興の原則だと思うがどうかな?

マロ2011年05月13日 22:48

ニュースから失礼します。

全く同感です

原発事故当初から政府の発言に違和感を感じておりました

国策」として運営されていて、万が一の事故のためにある原子力損害賠償法においても国の責任は免れないと思います。

しかしいざ事が起こった段において民間を前面に出すようでは「国策」の根幹も危ういように思います。

政府が信じられないのであれば進む道は他国の属国か亡国か…

低気圧(;・∀・)2011年05月13日 22:54

想定外」に対して何でもかんでも噛み付くのは勝手な思考の短絡以外の

何物でもない。

JALという会社の件は記憶に新しいところだがJAL経営悪化の

原因は多発した事故」だった。半官半民から民間へ移行し、

過度なコスト削減を求める外圧をかけた結果、航空業の

核心とも言える整備業を外注という事態になった。これにより

整備技術流出技術継承ができなくなり直営技術の低下を招いて

ミスが多発した

原発は高度な技術の塊でもあり電力事業とは発電(運転)と流通

連携がとれて初めて成り立つ。それを(事業者として)分離してしまったら連携能力が低下し、こと心臓部の制御技術組織によって維持されるがそれも低下してしまう。

そうしたJALと同じだろう。今度は世間の「東電いじめ」による世間による「人災」という名の深刻な事故が怒るね。

そもそも電力は同量発電同量消費が原則であり、メーカーみたいに

余ったから「在庫」とか、足りないから「追加」は許されない。

そんなリアルタイムで変わる高度な電力需給を支える組織人にそれ相応の報酬福利厚生は与えられるべきであり、そもそも今の減額された

給与体系ではとても釣り合わない。中小企業とは違うことを誰もわかっていないことが残念な限りだ。東電社員待遇保護は国としてしっかりやらねばいけないことと思う。

もっとも、この国の住民のほとんどは大企業に冷たい。派遣とか生産性の低い人には生活待遇向上をさせるべきと言っておきながら、エネルギー事業という国策を民間で行っている人には「全財産投げ打て」とか「リストラで処分しろ」と言うんだからな。

生産性の低い人が保護されて高い人が割りを国なんて日本ぐらいでは?

今助けなければならないのは被災者と電力会社(従業員)ですな。

アルト2011年05月13日 23:10

栞…つけさせて頂きます

東電叩きは目に余るものがあります

なごやん2011年05月13日 23:13

結果として、

>それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった

 こういうことはなかなか表にでないですね。

世の中には確実に予想できることと、計算可能な不確実な事象が

あることが切り分けられていないことが問題かと考えます

14mの津波現場に来たわけですがこの津波こそ計算可能

不確実な事象でしょう。東北では14mを超える津波三陸海岸しか

来ていません。その三陸にはさらに高い津波が押し寄せてビントロ巻きさんの

おっしゃるとおり最新の防潮堤をも破壊してしまったわけですが。

これも計算可能な不確実な事象でしょう。

何か物事が局所的に捉えられて全体を見渡した議論がされていないことは

気がかりです

ZYX@まも~2011年05月13日 23:27

あの…電力喪失津波が原因じゃないって事は、既に語られてるんですが?

保安院も認めてますよ?

そんな中、東電清水社長は何故、津波が原因~と

最初に語ったのでしょうかね?

とりす2011年05月13日 23:35

何点かご見解をお聞かせいただきたく。

震災直前に、33機器の点検漏れ(しか半年から11年もの漏れ)に関する報道がありましたが被害拡大の要因としての可能性はどのようにお考えですか。

ステーションブラックアウトの後の電源車手配(の不足)、および作業の失敗が伝えられましたがこの点についてはどのようにお考えですか。

・ベントの指示から実施までの時間についてはどのようにお考えですか。

海水注入についても東電の判断の遅延を指摘する向きがありますが、この点はいかがでしょうか。

・かつて2002年にはシュラウドのひびさえも隠蔽する事件がありました(発覚しました)。今回のステーションブラックアウト以降の被害拡大について、国民のどれほどが東京電力を尊重するとお考えでしょうか。

・法的責任以外の道義的/社会的責任についてはどのようにお考えですか。

尚、くれぐれも邪推はないませんよう、文章そのままにご理解いただけますようお願いいたします。裏は一切ありません。これらの点について、ご見解をお聞かせ願えますか、とだけ申しております

ビントロ巻き2011年05月14日 00:38

炎上師匠さん

根拠のない暴言はやめてもらいたい。

電気野郎さん

貴重なご意見ありがとうございます

三陸防潮堤との比較について補足ありがとうございます

もともと2009年防潮堤自体はもっと高さのあるものが計画

されていました。が、どこかの○主党とかいう党(別名・公共事業

アレルギー党)のせいで潰れたのですが。

・低気圧(;・∀・)さん

お越しいただきありがとうごいます。

JALもそうですが本来、公共インフラを担う場合、一組織が運転・保守

設備運用・営業まで一貫して担うのが理想かと思います。

電力の場合も電力流通門(特に給電)は発電部門との連携

必要です。一見関係なさそうな営業も供給の受付には配電線容量や

引き込み電柱の調整など流通部門、設備保全部門との調整が必要に

なります。つまりは全てが繋がっています。それを切り離そうなんて

言語道断だと思います。これでは設備のわかる営業や、発電のわかる

設備屋が育たず、結果として未来の電力需要供給力の刷り合わせが

できず設備保全計画にも多大な影響を与えます

なごやんさん

お越しいただきありがとうごいます。

計算できない不確実な事象との切り分けと言う話は新鮮でした

今は物事が一方的な視点から強引に検証させられている気がします。

でも、一番問題なのはハード面の対策(原発の安定化)を鋭意行ってい

東京電力の支援をしっかり政府ができていないことが問題です

東電福島第1原発の復旧および運転再開(廃炉前提の5・6号機の再開は

必須だ)で手一杯なので、避難住民への補償といったソフト対応政府

主導となって迅速に行わないといけないと思いますが。

ビントロ巻き2011年05月14日 00:40

ZYX@まも~さん

発端は津波ですよ。

まだ検証も途中なのに、非公式な談話を持ち出すのですか?

それは東電政府統合本部の公式見解ですか?

それと、私は「結果として、それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった 」と書きました。1/100万という確率飛行機墜落事故で死ぬ率より低いんですよ。

仮にこれが津波が原因でないとするならば、偶然にもこの確率が当たってしまった東電にとって不幸な出来事になりますな。ならば、

なおさら公的資金による補償をしていただかないと国民世論はおさまりません。

・とりすさん

ステーションブラックアウトの後の電源車手配(の不足)、および

>作業の失敗が伝えられましたがこの点についてはどのようにお考えですか。

原子力発電所の第一関門は「止める」です。まずはこれに注力ですな。

電源車不足といいますが、電源車は足りていました。ただ、原発

外部を結ぶ特高送電鉄塔が損壊したことにより外部電源が絶たれました外部電源が絶たれたので所定の電源車では足りなかったわけですね。

ところで近年中に発生するとされていた宮城県沖地震の想定Mは最大で

7.5でした。つまりは阪神大震災のチョイ上ですな。この程度なら

鉄塔は損壊しません。が、今回はどの地震学者も予想していなかった

M9でしたエネルギーに換算すると阪神大震災の1000回分です

このような予想不可能な現象の発生により外部電源が絶たれ、これこそ

1/100万 という確率の的中の真髄といえるでしょう。

なので、電源車の配置や初期行動には問題ありませんでした

>・ベントの指示から実施までの時間についてはどのようにお考えですか。

適切ですな。放射性物質外部に出すのは相当慎重な判断を要求されます

ベントの指示の時間を言及される方がいますが、これは政府の周辺地域の説明等の手際の悪さなどが原因です東電はとばっちりを喰った格好です

もし、根回しに時間がかかるのなら、「放射性物質拡散についてのいかなる損害や補償も現政権公的資金の活用によって責任もって対応する」と事前に東電確約を行えば良かっただけです

>・海水注入についても東電の判断の遅延を指摘する向きがありますが、この点はいかがでしょうか。

海水注入は炉内に塩分を固着させることにより、その後の冷却系統接続等に支障をきたします。そもそも非公式とはいえ、政府に事前に淡水をろ過する大型ポンプの提供の申し出を行った企業があったにも関わらず、海水注入にこだわった現政権手際の悪さが原因です

淡水による注入を上空もしくは地上から行っていれば、水素爆発も

免れたでしょう。残念です

>・震災直前に、33機器の点検漏れ(しか半年から11年もの漏れ)に関する報道がありましたが被害拡大の要因としての可能性はどのようにお考えですか。

>・かつて2002年にはシュラウドのひびさえも隠蔽する事件がありました(発覚しました)。今回のステーションブラックアウト以降の被害拡大について、国民のどれほどが東京電力を尊重するとお考えでしょうか。

さて、この2つですが、今回の事故と関係あるんですか?

意図的に結び付けようなんて考えないでくださいね33機器の点検漏れがあっても、原子炉の停止および冷却系統地震発生当初稼動していました。件の発電機も稼動試験では正常動作しています。

よって関係のない事案には一切コメントしません。

2つ目も同様。02年の件のときは私は高校生したね。

大きく報道されました。これも原子炉等の稼動、保全、運転には

影響はないものです。微小なヒビであり安全に影響のないことも

国より補足で出ていますが。私個人としては、こんなことを攻め立てる

国民はおかしいかと思うね。機能や時点で最新の基準と照らし合わせた検証で事実上問題なければ、法令の逸脱による説明を東電に求めるのは

ありですが、それを処分までして原発を全部停止なんてのはありえない判断だと思います。

これについては当時の旧福島県知事対応諸悪の根源した。一地方県知事意見によって国策原子力を止めさせるなんて暴挙以外の何物でもない。

ところで、たしか、この知事って汚職か何かで逮捕されませんでしたか?

今日はここまで。

2011-04-13

東日本大震災から一ヶ月 過ちを繰り返さない為に。

まず最初に、今回の地震と津波に際して早くから支援体制を敷いていただいた

食品メーカーの方々

それを高速も動かない間にも届けてくれた運送関連の方々

販売をしていただいたスーパーの方々

本当にありがとうございました

現在も被災地への物資提供・医療支援・ボランティアを続けて頂いている

企業や個人の方には感謝してもしきれません。

未だ満足にインターネットや連絡手段が取れない被災地の方に代わりまして

御礼を申し上げます。

また、地震発生時から燃料不足など困難な状況でありながら

昼夜問わずインフラ復旧の為に当たっていただいた電力水道ガス道路関連の方、

市ガスに関しては現在も名古屋ナンバーや大阪ナンバーなど遠方からも

現在も支援を頂いている状態です。

余震による新たな再点検を求められるといった苦境が続いておりますが

自身の安全も含めて無理を成されないように。

市ガスに関しては仙台の天然ガス施設が被害を受け、新潟からのパイプラインで提供されています。

下水についても今回の津波で破壊されたり電子系統がやられた関係で2~3年は簡易処理しか出来ない状態です。

宮城県に限らず被災地を抱える県の方で処理場が機能してない地域の人は

自分たちは水が使えるからと今までのような使い方をしてしまいますと

疫病が発生する可能性も否定できませんので節水に努めましょう。

津波で下水処理場、ゴミ焼却施設に大きな被害、想像を超える宮城県内各施設の被災状況(2)

http://www.toyokeizai.net/business/regional_economy/detail/AC/6cce509478eb9164e8311792de9d52d3/page/2/

下水道復旧は数年かかる見通し 沿岸部に集中、被害深刻

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104020353.html

>下水管や処理場が復旧しないと、汚水が路上にあふれ疫病を引き起こす恐れすらある。このため新潟、札幌、大阪など自治体下水道事業者からのべ2600人が応援に駆けつけ、被災状況の調査や簡易処理での復旧の手助けをしている。

過ちを繰り返さない為に。

私が住んでいた地域は幸いにも地震から2日後という

早期に電気の復旧が行われた為、

手元にあったIS01ワンセグテレビと充電池でギリギリ間に合わない程度で

情報難民にならずに済んだという綱渡り的状態だった。

その間もワンセグで見ていた、地震だ!津波だ!何人が死んだ!

在京キー局主体報道が並ぶ。

そして思った。

それを今、報道してどうなるのだ、人一人も助けられないじゃないか。

家族や親戚が居ても津波の被災地に行く手段は無いのだ。

津波による第一報の大切さはわかる。

でも、それが終わったら次の事を考えなきゃいけない。

死ななかった人の命を如何に助けるかだ。

まずは

車での移動はしないでください、

ガソリンスタンドも人工呼吸器で発電機が必要な人など

不要不急な人には売らないでくださいとマスメディアは伝えるべきだった。

緊急車両だけに、と。

実際、兄は帰宅困難者自動車で幹線道路が大渋滞する中で

進まない自動車を置いて3時間歩いて我が家に立ち寄り、

更に30分歩いて帰宅していった。

自宅の電気が13日夜に復旧した翌日の14日、

電気が復旧したテレビで見た情報が計画停電発表による東京での買い占め、

ガソリンスタンドへの行列との報道である

計画停電の影響で弁当やパンなどがいつも以上に売れる事は別におかしくないと

最初、連日の報道に何やってんだかという呆れがあったが

次の瞬間、恐ろしさに気づいた。

そのガソリンや軽油が届かない事で間接的に救える人を殺しているのではないかと。

共に千葉のコンビナートが被害を受けたことによる需給バランスが崩れた為だ、

それにすぐ届く訳じゃないと思いながら軽い怒りと

コンビナートがやられたという事による燃料不足の長期化と

地震が起きる前に石油精製の設備が余ってるという情報を報道で知っていたから

どちらなんだろうという不安が感じた事を憶えている。

後に撮影した写真を確認しながらに

仙台でも地震発生後に冷静さを失い

自分が良ければ、家族は大丈夫だろうかという感覚で

多くの自動車ガソリンスタンドに並んでいた事を思い出すと

間接的に人を殺したかもしれないという意味では

仙台も同じだなと人の事言えないじゃないか思い直した。

仙台港石油コンビナート鎮火 「在庫配分、被災地優先」宮城知事

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110316_39.htm

この15日緊急車両優先と宮城県知事が指示するまで

仙台で起きた事は地震発生翌日後ガソリンスタンドが自主的に行なった

一般車ガソリン5L10L規制+

整理券受け取りまで朝方から4時間待ちで受け取り午後3時といった

自主規制だった。

次に重要なのが生活情報だ。

給水車は何処に出てますと行った情報もテレビのL字に載り始めたのが13日か14日

スーパーマーケットの営業情報については17日である

後に知ったがラジオの方が生活情報を流すまで早かったとの事。

震災時に必要なのは発生時のみ映像で確認が必要なテレビ

後は生活情報を放送しているラジオの方が重要だ。

そして情報を得る為に重要な電池。

準備はしていたつもりが充電池の自己放電で3セットの内1セット、

しかも半分程度しか残量が残っていなかった。

これが今回の最大の危機であり、認識の甘さが露呈した格好となった。

頑張れ日本、がんばろう日本、日本の力を信じてるへの違和感

日本テレビ系の3秒キャッチCMで

頑張れ日本、がんばろう日本と言い出したのは3月20日

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=20110320hochi169

http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110320dog00m020025000c.html

ACジャパンサッカー編はYoutubeの日付を見ると22日

http://www.youtube.com/watch?v=Pre2YcOROnk

サンスポによるとSMAP編が23日サッカー編が24日

ACが新CM制作!SMAP、長友ら出演 

http://www.sanspo.com/geino/news/110324/gnj1103240505012-n2.htm

その頃の仙台のガソリン事情 ブログ報知

http://weblog.hochi.co.jp/tajihouronn/2011/03/post-8942.html

青葉区北仙台のあるスタンドで前日の夜9時から並んだ男性は、

>翌朝7時半の開店と同時に10リットル制限の給油に成功。

>しかし、11時前には完売となりました

>この日給油ができたのは約300台。

>後続の200台以上の人々は徒労に終わりました

その頃の仙台のスーパードラッグストアの様子

仙台の物資状況 3月21日

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/post_d3bf.html

仙台の物資状況(震災から2週間 

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/15_d5e5.html

>昨日3/26のスーパー (市中心部からバスで20分ほどの周辺部)

POPからみるにミヤギ生協です。

ミヤギ生協はそれでも全国から商品をかき集めていて商品が充実してる方でした。

高速が一般開放された3月24日がターニングポイントで3月26日から商品が徐々に入ってきました

それまでは大根一本300円、キャベツ600円、タマゴ400円といった状態です。

それでも商品が買えた仙台はまだ良い方です。

この頃、津波の被害を受けた被災地は悲惨です、

一日1食や2食、一日おにぎり一個コッペパン一個の世界です。

仮にお金があっても禄に買う所も水も電気もガスもありません。

それで計画停電したから東京目線でがんばろう日本、頑張れ日本なんて言ったら

被災地は見捨てられたと思うでしょう。

それ以前にがんばろう日本、頑張れ日本って誰に言ってるの?

食事も無く、ろくに暖房もなく、薬もガソリンが無く届かなくて

避難所だけで30人以上亡くなってるのに。

被災者に頑張れって言うの?命を繋ぐ事に精一杯なのに

頑張れる人はもう限界まで頑張ってのに。

意味が分からないよ。といった状態でした。

そんな状態で頑張れなんて言われたら鬱状態になり、

下のような言葉が被災者から出てくるのは仕方がないじゃないですか

それなのに

>何でこんな態度でかいの?鬱病つーかただのクズ

とか、他にも叩くような事がはてブに書かれています。

はてブで書けるなって、

人として本当のクズをはてブでこれだけの数同時に見るとは思いませんでした、

ただただ怒りしか湧いてきません。

「『頑張って』と言わないで…」被災地からの悲痛な声。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110320/Techinsight_20110320_50513.html

3月19日の『ニュース 深読み』(NHK総合)では、被災者から次のようなコメントが寄せられた。

>「電気が復旧し、避難所から自宅を片付けるため家に戻った。あまりの惨状に呆然としていると

テレビから、“頑張ってください。”との声がしてきた。何度も何度も。

>“これ以上、どうやって頑張るの?”と悲しくなった。」

>「“頑張ってください。”って言葉を聞くたびに、落ち込んでしまいます。」

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

>すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。

>ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。

>いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

>仕事もあるじゃんって。

>「正直、不幸になってくれたら嬉しい」

>と言われた。

CMについて思っていた気持ちを書いてくれたID:nakamurabashiさんの記事です、

これを読んで今回の事を書く気になりました

[雑文]なんかいろいろおかしいなーと思った話

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110410/1302373143

>なんていうのか「だれが」「だれに向けて」「なんのために」言ってのかまったくわからなかった。

>あれ、サッカーの日本代表応援してても同じじゃねえかな、って。

>で、さっき不意に気づいた。まず、被災地の人たちはがんばれない。がんばれるわけない。

だって、家とかなくなって、体育館とかで暮らしてて、がんばれるはずないじゃん。

>じゃあ「がんばれ」のメッセージはそれ以外の人たちに向けられている、と考えられるんだけど、

>じゃあ、あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。

ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージけが大量に出回ってる。

>善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?

この時期に必要な言葉は被災者に向けてなら

いつになったらこの状況を抜け出せるのかという希望です。

頑張ろうという言葉も最低でも食、衣食住が足りて

そして被災者被災地域の方からの声として出るべき言葉であって

その地域以外からの頑張ろうの強制ではないはずです。

被災地域以外であれば酷い被害状況ですが、

今も命の危険に晒されてながらも助けられる命があるのです、

その命を助ける為にも〇〇日まで我慢してください。というべきだったはずです。

また、どんなに平凡な表現であっても伝えるべき言葉は

頑張れ日本やがんばろう日本、日本の力を信じてるではなかったはずです。

フジテレビひとつになろうと言ったって情報共有が成されなければ

その言葉だけでは思いをひとつになんかなれないのです。

頑張れ日本やがんばろう日本といった被災者を傷つける言葉や

日本の力を信じてるという意味のない言葉より

まだテレ朝テレビで、日テレホームページで言ってるつながろう日本の方がまだ伝わります。

「被災に遭っても頑張ってる姿、助け合う姿、必死に生きようとする姿に感動しました

「過酷な状況なのに物資の奪い合いも強盗盗難の類も少ない」

何を言ってるんですか、非常に厳しい状態でこれ以上誰も死んで欲しくないと

思えば誰だって助け合い支えあうはずです。

命があるだけでいいのです。

私も今回の震災で叔父を亡くしました

今、命がある被災者を全力で支えることができるのは生きて無事な人間だけじゃないですか

被災者を頑張れる環境まで持っていく事が今できる我々の責任じゃないんですか。

死んでしまったらどうしようもないんです、取り返しは効かないんです。

また日本では同じように大震災といわれる事が起きるでしょう。

その状況の時に今回と同じ事を繰り返してはいけないのです。

備蓄について

今回の地震で分かった事は在庫を抱え込まないかんばん方式やコンビニの単品管理に代表される

在庫最小化は物流が途絶えた途端に近所のコンビニスーパー

「近隣地域お客様冷蔵庫」の機能を失うということです。

今回は地震が起きた時が午後3時に近い頃でまずはみんなが自宅に帰宅して

家族の安否確認をすることに必死で何かを買って帰ろうという余裕も無く、

停電したことから店側の準備も整ってなかったことから

翌日からコンビニスーパーガソリンスタンド

普段は賞味期限が切れた商品を売ってた個人商店でさえも

長蛇の列が出来ることになる。

イオンヨークベニマルイトーヨーカドー系列)などは2時間待ちにもなり、

開店している店の商品は一日で底を突く。

更に翌日は開くかどうかもわからない店に皆が並び店員が大慌てで

仕方ないとばかりに繰り上げ開店を行い、商品は消えていった。

まるで食欲旺盛な大蛇があるだけのエサを丸呑みして行くようだった。

この時に大切なのが

平時に普段、自分の家で消費する一ヶ月分の物を備蓄しておくこと。

そして出来るだけ買い占めなきゃ不安だという気持ちを周りに起こさせない事である

ちなみに私は自慢じゃないが貧乏だ、貧乏人には貧乏人らしい

備蓄のやり方がある。

その家によって違うと思うが

米なら楽天辺りで30kg買って米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kgになったら

一袋10kg買い足して20kgを割らないようにするだけでも主食は確保できる。

基本的に精米した米は賞味期限が短い、

3ヶ月も持たないというか食べられなくはないが風味は落ちる、

虫が付くかもしてないと米屋さんなら言うだろう。

また、備蓄向きと思われているインスタントラーメン賞味期限一年持たない。

特にフライ麺の賞味期限切れは食あたりの可能性があるので賞味期限は守った方がいいです。

2chのスレなどを見ると麺を茹でてお湯を捨てれば

メーカーが余裕を見て設定してるであろうマージン分3ヶ月ぐらい過ぎても食える的な話もあるが、

かやくやスープダメになるらしく

災害時で最も重要な水を捨てるという蛮行を働けば下手すりゃ死にかけます。

止めておきましょう。

日清食品 よくお寄せいただくご質問

http://www.nissinfoods.co.jp/utility/customer/faq.html

弊社で販売している製品の賞味期限は通常製造日からカップめんで5ヶ月、袋めんで6ヶ月となっています。

スパゲッティと乾燥大豆は涼しく風通しのいい所に置くと3年間持つので

スパゲッティを500g入り20袋=10kg用意しておくと飽きが起きにくい。

また乾燥大豆はどうしても起きやすい野菜不足タンパク質不足を解消できる

備蓄のマストアイテムと言ってもいい。

いっそのこと避難所に備蓄して欲しいくらいだ。

イタリア軍の逸話を知ってる人はスパゲッティは水を大量に必要になるじゃないか!

と言うかもしれない。

それはあくまで茹で汁を捨てるという事を前提にしている。

スパゲッティを茹でる時は塩を入れないで茹で汁を味付けし直せば

スープにもスープスパゲッティにもなるのだ。

乾燥大豆は30kg単位で買うのが一番安い。

楽天などのインターネットショップ

国産大豆でも1万円、アメリカ産大豆でも6000円程度であることから

お米と変わらないぐらいの安さだ。

30kgを買ってみたが二人分と考えると一合カップで量ると150g程度で二日分になる。=400日

一袋で一年程度、多すぎると感じたら知り合いと分ければいい。

大豆ダイエットで有名な大豆イソフラボンの影響か、大豆を食べて自転車で移動するようになったら

一年で100kg→70kgになった。ダイエットにもおすすめである

地震があった時点での備蓄は

米が米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kg

スパゲッティ500g入り25袋 12.5kg

乾燥大豆 10kg程度

中国産わかめ100g×5袋

賞味期限が切れた いりゴマ1kg5袋=5kg

賞味期限が切れた 札幌味噌ラーメンスープの素1kg7袋

賞味期限が切れた インスタント味噌汁250個(一袋100個入り)

この賞味期限が切れたものは賞味期限間近の商品を格安で売ってくれる所を

見つけたので買い貯めしていた物だ。

乾物や熟成が見込めるもの、アルミパウチな上調味料ラーメンスープなどであることから

多少、賞味期限を超えても大丈夫だと思って買った物、

どれも賞味期限が半年は過ぎているので気になる人にはオススメしかねる。

今回の震災を乗り越えられたのもこの備蓄でバリエーションが増やせたから

という気がしないでもない。

長期戦の場合に野菜+肉不足で抵抗力が落ちる可能性が高い。

ビタミンCコストを考えるとDHCなどのカプセルで、

ビタミンAはレバーを下茹でして冷凍庫に入れておこう。

レバーは5gで一日に必要なビタミンAが得られる。

災害時は水分も大切だ。

普段は飲まないがお客さんように特売日に100円で買ったジュース

備蓄してあった。

ジュースは意外と賞味期限が長く9ヶ月ぐらい持つものもある。

ただし、炭酸入りだと賞味期限近くなると微炭酸になってしまう、

その点は注意。

バヤリース1.5L×2本

伊藤園天然水ソーダ1.5L×2本

本当ならば給水所ができる3日間に必要なペットボトルの水を準備しておいたほうがいい。

一人当たり一日2Lペットボトル1本が目安だ。

備蓄ではないが他にあった水分は

ヨーグルトを作る為に買って置いた低脂肪牛乳1L×4本

電気ポット(1Lタイプ)+魔法瓶エアーポット(2.2Lタイプ

うちでは小型の電気ポットで沸かしてエアーポットに入れるようにする事で

保温時の電気を使わないようにしている。

と同時にお湯を移して空になった電気ポットに常に1Lの水を入れておく事で

断水時に最低1Lの水を確保できるようにしている。

LPガスという状況下での苦肉のエコ+災害対策という訳だ。

エアーポットのお湯が温くなれば電気ポットに戻して沸かし直したり、

もう1L沸かしたお湯を入れればいい。

エアーポットは空気が多ければ多いほど冷えやすい、

朝2L入れて徐々に使ってぬるくなったら料理に使ってもいいのだ。

 燃料や電池の備蓄について

今回、問題が出たのが電池だった。

準備していた物が単三12本。

しかし、自然放電と昇圧機能のないUSBコネクタ付きバッテリーケース

BP‐1だった為、充電が直前まで使っていた1セット分しか使えなかった。

USB出力付電池ボックス2種を試す 【起】

http://mast.cocolog-nifty.com/main/2010/03/usb-e306.html

電池の備蓄を考えた場合

エネループか普段使いの100円ショップ充電池+アルカリ乾電池の二択だろう。

電池は時間が経つほど残量が減って行く。

使用推奨年月日が製造から5年の物が多い物を考えると

一年目に5セット買って一年毎に1セットづつ買い換えるという事がよいのではないかと思う。

余震の事を考えるとロウソクよりLEDライトの方が安全だからだ、

ラジオ+LEDライトと考えるとそのくらいは必要だろう。

100円ショップアルカリ乾電池 性能評価実験

http://www.kansai-event.com/kinomayoi/battery/alkaline.html

>上位のほうが消費期限が長い = 製造から日が経っていない。

>という考察もできるのではないでしょうか。

グラフに載せている「オーム電機(参考) 消費期限04-2005」や

>「富士通7300(参考) 消費期限 08-2003」の電池はかなり性能が落ちています。

燃料の備蓄について

今回、電気が二日後に回復したという奇跡的な状況が起きた事や

地下埋設型のLPガス事で安全ピンが作動する事もなく当日から使えた事が

他の方と比べて非常に楽な展開になったは間違いない。

ガスが使えない状態であったとしたら

カセットコンロか石油ストーブ

+余裕があれば電気があれば使えるIH卓上コンロを準備する必要がある。

カセットコンロカセットガスを最低限用意する事は

必要としてカセットコンロに載る鍋やフライパンサイズは28cm、

ミニサイズカセットコンロは18cmが標準的なので注意しよう。

カセットガスは高いので電気が復旧したらIH卓上コンロに切り替えたい所だ。

両方使えるIH対応の物を普段から使っておきたい。

石油ストーブは暖房と料理両方に使える凄い奴。

しかし、備蓄の事を考えるとエアコンがある家は持っていないケースが多いかもしれない。

また、地震での転倒による火災発生などに気をつける必要がある。

灯油に限らずガソリン軽油といった石油類は使わずに一年間置いておくと

劣化してしまい煤が不完全燃焼が発生する可能性がある。

どうやら燃料劣化防止剤スタビルというものがあるらしい。

よく分からないが調べてみてはどうだろうか。

http://minkara.carview.co.jp/userid/355641/car/259411/1470407/parts.aspx

http://item.rakuten.co.jp/yusayusa/10000460/

トイレットペーパーラップフィルムの備蓄について

トイレットペーパーシングルで12コ入りのものを3セット準備しておくとよい。

これも最低2セットは維持しておくこと。

鼻紙から食器の汚れを拭き取るのにも使える。

水が重要な時に力を発揮する。(特に汁物を食べた時)

ラップフィルムは100m巻を使っていたが

備蓄としてはそんなに必要ではないかもしれない。

ダイソーイオンで売ってる40M巻を2本買って一本維持する形でいい。

水汲み道具の準備

折りたたみの水を入れるウォーターバックみたいなものもありますが

常日頃から水を貯めるということを意識して

ゴミ捨て場に捨ててある4Lの焼酎ペットか20L焼酎が入っていたキューテナーを保存しましょう。

焼酎が入っていたものなのでジュースペットボトルと違い、

衛生状態がいいので使いやすいです。

水専用のポリ管を用意してもいいです。

最高気温が20度以上(スプレーで黒く塗っておくと15度以上)

の気温になって晴れの日に4Lペットを日の当たる外に置いておくと

体を洗うのに丁度いい温度になります、一人が全身を洗うには16Lは必要です。

日頃から近くのゴミ捨て場でカンビンペットボトルの日にもらっていきましょう。

4本置いて温まったら翌日が雨でなければ新しく水を入れたペットボトルと交換して置いておきます。

一人当たり8本あるとスムーズに使えます。

これもLPガスが高いから考えついた方法ですが

夏場などで備蓄の水が多く必要になる季節にマッチしています。

今回は原発の影響で放射性ヨウ素水道に含まれていました

放射性ヨウ素131は半減期が8日ということで

テレビで学者さんが言うには一日10%ぐらい下がる的な事を言ってたので

それ対策と地震後に白濁が発生しやすいので

それを避ける為に貯め水用としても4Lペットは便利です。

ですが、大きすぎて蛇口から水を入れられない場合があります。

その場合は醤油などに使われている取っ手付き1.8Lペットに入れてから移すか

瞬間湯沸かし器の目盛を水にして入れましょう。

津波や計画避難など家を離れなければいけなくなった時に持って行けるもの

リュックサック一つ分と考えたほうがいい。

数日分の着替え、500mlペット2本、クッキーや飴玉などの最低限の食料

貴重品、モバイル機器 歯ブラシ等衛生用品 トイレットペーパー1個 ゴミ袋

赤ちゃんのおしりふき(体を拭く為) 使い捨てマスク トランプ双六ポータブル将棋

皮手袋 軍手

他にもあるかもしれないので教えて欲しい。

軽登山に必要なものを参考にするといいかもしれない。

災害に強いスーパーマーケット、災害に弱いコンビニ

今回思ったことがスーパーコンビニの差である

スーパーコンビニの一週間以上早く商品が入荷し始めたのに比べて

コンビニは遅く入荷数も少なかったのである

更にチェーン毎の復旧度合が明らかに違ったのだ。

具体的に書くと

スーパーの開店情報については河北新報で17日から掲載されるようになってきているが

26日時点で

ローソン 食品なし

ファミリーマート 山崎菓子パンコッペパンソーセージパン)、東洋水産緑のたぬき赤いきつねのみ

セブンイレブン おにぎり賞味期限が長い弁当(4日間ぐらい)業務用の牛乳、タマゴ、食パン

サンクスは閉店の所が多く比較できなかった。

同日にヨークベニマル、みやぎ生協、ウジエスーパーと回ったが

ヨークベニマルとみやぎ生協は頑張っていた記憶がある。

つまり燃料不足な状態では店舗数が多いコンビニは不利で

また最小ロットを1個からという必要な分を必要な分だけ

送る為には合同配送センターが必要となり

スーパーのように箱買いで直に送ってもらう事ができない構造が

立ち遅れを招いたと見ている。

スーパーには惣菜加工のキッチンが付いてることから

原材料が手に入れば加工出来てる違い

2011-04-11

一か月

3月11日

都内にある会社の、自分の席に座っていた。

 

自分就職するまで宮城の沿岸部に住んでいた。

宮城県沖地震は、近いうちに必ず来ると言われ続けていた。

携帯はつながらない。

  

つけっぱなしになった会社テレビからは、悲惨な状況が映し出され始めた。

地面にパラパラゴミが散らばっているのかと思えば、

それらはすべて貨物用のコンテナだった。

燃えながら流されていくものは、段ボールはなく家屋だった。

映画たいだな」と、誰かが言った。

 

見たこともないようなすさまじい映像は、まさに映画のようだったが、

その舞台となっていたのは、自分にとって見覚えのある土地ばかりだった。

 

台風で午後の授業が中止になった教室のように、

非常事態はどこかワクワクするような、高揚感をもたらすのかもしれない。

集団下校のように外に列をなし歩いて行く大人たち。

家族、あるいは恋人に会うため、帰宅していく人が羨ましかった。

悪意を込めた言い方をすれば、このときはだれもがこの世紀末のような「映画」の、ヒーローヒロインになることができたのだと思う。

 

それは自分も含め、東京にいる人々にとってはこの災害対岸の火事からである

ただ自分の温度がみんなと少し違っているのは、その対岸に家族がいるためだ。

 

ちびまる子ちゃん』で、クラスメートの永沢君の家が火事になるストーリーがある。

みんなが励ましの言葉をかける中、永沢君は最後にこう言う。

「みんなはいいよな、家が火事にならなかったんだから

同じ言葉が頭に浮かんだ。

みんなはいいよな、家族地震津波に遭わなかったんだから。と。

 

だが、その後の被害を見れば「東京も被災した」のは確かである

ただしこのとき自分東京で「被災した」などとは全く感じていなかった。

原発停電液状化震災による事故プラスしてもなお、

その当事者以外、東京など向こうに比べればたいした被害ではないじゃないかと思っていたのだ。

 

夜が更けるにつれ、あきらめの気持ちを持つようになった。

いざという時に、心が折れてしまわないように、である

 

最悪、家族津波に飲まれてしまっていたとしても、

自分は幸い「対岸」にいるのだ。

  

インターネットは、twitterタイムラインがすごい勢いで流れていた。

twitter、あるいはSNSを通じて家族の安否、地域の状況を知ったという人が多いようだった。

でもそれは、インターネット回線電話回線が通じている地域での話だと思った。

実際、宮城の友人のアップデートは一切なかった

 

第一、60を過ぎた田舎の父や母、ましてや90近い祖母が、ツイッターなど知る由もない。

やっていたとして、今彼らが決死のつぶやきができるとは思えない。

こんな時にモバイル端末を握りしめて逃げ、

限られた充電で、奇跡的に電波がつながり、ツイッターメッセージが寄せられると気付き、

さらには「ここにいます、助けてください」と書き込むことなど不可能だと思った。

twitterを通じて家族の安否が確認できました!」というような

ツィートが次々と流れていくのを見たときには、

だんだんtwitterが疎ましく思えてきて、モニターを眺めるのをやめた。

 

24時を過ぎたころ「仙台市荒浜に2~300人の遺体」というニュースを見た。

荒浜は、学生時代によく行った。友達を連れ立って、海を見に行った。

海と海岸があるだけのとても広いところだった。

あの場所のすべてを奪うほど、津波は大きかったということだ。

ああ、もうだめかなと思った。

 

その時、電話が鳴った。

からだった。

何度もかけて、ようやくつながった、とのことだった。

生きていたのだ。

 

それだけで十分だった。

うれしかったし、ほっとした

それなのに、なんだか悪い気がした

 

 

今日4月11日

 

あれから一か月が過ぎる。

いろんな事があった。

 

たくさんの人に助けられ、疎遠になっていた地元の人との関係が復活した

一方で、普段ならなんとも思わない「東京の人」の言葉に、必要以上に怒り、傷つける言葉で返した

温度差がどうしても許せなくて、自分からたくさんの絆を壊した

 

今になって思えば、自分が悪かった。温度差があるのは当然だし、仕方ない。

自分のことしか考えてなかった。

 

今はもう「みんなはいいよな、地震津波に遭わなかったんだから」とは思わない。

ましてや自分は、家族が生きていたのだ。自分の不幸自慢などとるに足らない。

家族、家、仕事、すべて失った人たちからすれば、自分は十分「おまえはいいよな」と思われる立場でもあるのだ。

 

東京は、日常が戻りつつある。

当然のことだし、歓迎すべきことだ。

自粛なんてしなくていい。それが日本のためだし、被災地のためにもなる。

なのに、自分はそんな温度にどうしてもついていけなくなる時がある。

 

一か月経った今も、あの時の気持ちが、簡単によみがえってしまう時があるのだ。

たとえば仕事の合間に、友人や親戚の遺体が見つかったと知らされる。

遺体の損傷がひどいため、葬式家族だけで行う、などと聞いて、また仕事に戻る。

 

そのたびに「自分と周り」の温度差を、どうしようもなく感じる。

 

そして「被災地自分」にできてしまった温度差を、本当に申し訳なく思う。

2011-04-04

全然報道されないんだけど、

仙台中心部の現状です

http://sendaipics.fc2web.com/wadai/report150.html

見れば分かるとおり、ほとんど損壊が無い。

1978年宮城県沖地震以降の建物はほぼ大丈夫

また、仙台市の小中学校は、2010年度で耐震化を終了させていた。避難所として有効活用できたと思われる。

http://www.city.sendai.jp/manabu/kyoiku/gakko/__icsFiles/afieldfile/2011/01/13/22-23taisinka_1.pdf

ほんとに、今回の地震津波けが悔やまれます

亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

2011-03-15

ネットが繋がった

ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。

しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。

ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員場合

■3/11以前

地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。

■3/11

その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常はない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社ビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新連合会という右翼街宣車が自慢の拡声器交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節ヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議した予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこから上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚ギターパソコンモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時情報を得る手段がラジオツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリン無駄したはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。

■3/12

7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官交通整理をしていた。父曰く倉庫しまわれていた新車両パトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニ携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニ開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器キーンという音がした電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫電子レンジ炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社カップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。

■3/13

この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出した会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞スーパーコンビニガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかいごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンションはところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道ネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在スタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。

■3/14

この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパー情報や給水所の情報ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件震災で中止になったが、スーパー広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事仕事から」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気水道が通り、そこかしこ炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司たまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円カレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをしたネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽ情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報ほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談たいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災過去の話ではなくて、現在進行中だ。

■3/15

そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい原発に関する情報も、政府報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-12

youtube地震

YouTube - 地震 千葉県北西部自宅の様子 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震

http://www.youtube.com/watch?v=871E8_DJ-rw

YouTube - 3月11日地震 越谷レイクタウン

http://www.youtube.com/watch?v=LjfXbx2UFsY

YouTube - 2011/3/11 東北地方太平洋地震(宮城県沖地震)の東京都中野区の揺れ

http://www.youtube.com/watch?v=oQVPfQu50yY

YouTube - 2011/3/11 Earthquake in Japan 地震 震度5強 埼玉県久喜市その1

http://www.youtube.com/watch?v=CBRDmor_nkM

YouTube - 東北地方太平洋沖地震 石油コンビナート爆発の瞬間

http://www.youtube.com/watch?v=SRUpJ3CAcYA

YouTube - 地震によるコスモ石油千葉製油所の爆発(2011年3月11日)

http://www.youtube.com/watch?v=2wzZq1j8Xo0

YouTube - コスモ石油燃料タンク爆発の瞬間(3月11日地震

http://www.youtube.com/watch?v=uc7kIKI6baM

YouTube - 2011年 3月11日 東北地方太平洋沖地震 福島県会津若松市 Earthquake

http://www.youtube.com/watch?v=3pkSKHPoEUs

YouTube - 東北地方太平洋沖地震 M8.8 2011/3/11 茨城県牛久市 ibaraki japan Earthquake

http://www.youtube.com/watch?v=gDRx8Wmty-4

YouTube - #odawara 地震後の様子 #tsunami alart2011.3.11

http://www.youtube.com/watch?v=EkG8-E2soQU

YouTube - 東北太平洋地震M8.8 発生の様子(首都圏にて)

http://www.youtube.com/watch?v=HwbUJs787jM

YouTube - 【HD】2011.3.11(Fri)14:46大地震 茨城県取手市山王にて earthquake occurred in Japan

http://www.youtube.com/watch?v=qizfq0xZabM

2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 発生時

http://www.youtube.com/watch?v=j3fUqdGXLbM

YouTube - 千葉県地震情報 高校生の家 ゲオの状況It is a large earthquake in Japan. PDS

http://www.youtube.com/watch?v=Gm35h7bKD7s

YouTube - 東京地震3月11日揺れる瞬間を撮影 Earthquake in Tokyo Japan

http://www.youtube.com/watch?v=51bQrT30Mtk

YouTube - 【3/11】  東京地震の戦慄の映像 【14:46】

http://www.youtube.com/watch?v=FUeuoydQEnA

YouTube - 東北地方太平洋沖地震 緊急地震速報地震発生

http://www.youtube.com/watch?v=epanWKVRAK8

YouTube - Terremoto japon / 日本地震/ escenas impactantes 日本地震衝撃的なシーン

http://www.youtube.com/watch?v=Eot-Ndzo2tM

YouTube - 東北地方太平洋沖地震 緊急地震速報地震発生

http://www.youtube.com/watch?v=epanWKVRAK8

YouTube - 3月11日 東北地方太平洋沖地震

http://www.youtube.com/watch?v=E9AMFEPiu-E

YouTube - 東北関東大地震。揺れる新宿高層ビル 2011年3月11日

http://www.youtube.com/watch?v=JhJzdtzl6KY

YouTube - ■東北太平洋沿岸地震 液状化や噴砂の様子その6(千葉県浦安市

http://www.youtube.com/watch?v=VSl_RodfWaI

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724194543

いや・・・正直慣れる。

兵庫人の宮城県3年目だけど、地震に慣れてしまうし、みんな慣れてる。

いろいろ被害は出てるから、あんまり不謹慎なことは言えないのだけれども、

先月の内陸大地震も、「宮城県沖地震30年の防災訓練・防災キャンペーン」ってのが

あった直後に大地震が来た。震源は別だったけど。

ここ数日に限っても、土曜・月曜・水曜と、仙台市は1日おきに3回の震度4を経験してる。

ここまで中??大規模地震がしょっちゅうあると、

「あーいまP波だなぁ、このP波ならS波はこんぐらいだなー」

とか、

「とりあえず避難路確保して物が落ちて来ないように待機すっかー」

とか、

フツーに余裕を持って考えながら行動できてしまう不思議

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん