はてなキーワード: 何だかとは
子供はイレギュラー要素が多すぎるというのに賛同だし、現代社会では出産して自分の子供を持つことはもはや贅沢な趣味の領域に入りつつあるという考えを持っているから。
母親は「私も昔はそうだったなあ。でもまあ若いうちはみんなそうだよ、産んだら何だかんだかわいいよ」みたいな感じだけど、恋人は体のコンディションとかもあって「実子を持つこと」にはとりあえず今のところは興味ないと言っている。この先彼が急に心変わりして「やっぱり産んでくれ」と言っても、少なくとも今の私は同意しないだろう。
他の人も言ってたけど他人にわかってもらう必要はなく、他人にわかる義務はない(それは誰かがあなたを説得しようとした時にも言えること)。しかしあなたにはあなたの身体、そして人生について決める権利がある。
別に感傷に浸るシーンなんてなかったし、別にファンでもないんだけど
前回の映画のPRで三浦くんや長澤さん、東出さんが番組に出てる動画が再生されて、
何とも楽しいやりとりを彼はみんなとしていた
そこでのコメント欄に
「スキャンダルあった東出さんにも気さくに話しかけていたんだろうなぁ」
と書かれていた
本当のところはどうだか知らないけど
妙に納得してしまったし、彼は本当に気さくに話しかけていたと思う
それは彼の人柄がそう思わせてるんだろうと、しんみりしてしまった
人柄なんてありきたりの言葉で考えもしなかったけど
亡くなった後にそんな言葉をかけてもらえたら素直に嬉しいよね
そんな人柄をもって生きていた彼が羨ましく思えてしまった
違う
親になった際に”たいていは”周囲から「子供が可愛く感じるのはずっと先」って教えてもらえるんだよ
「子供は無条件に可愛いもの」と教えるのは独身子なし向けの方便なの
それは方便でしたと子供が出来てから教えてもらえるの”たいていは”ね
”たいていは”つまり環境によってそれを教えてもらえない人が居る
教えてくれる人というのは何だかんだで子育てに関して何らかのサポートをしてくれる人だ
それは言葉だけのアドバイスかも知れないし、実際に身体動かしてくれるサポートかも知れない、例えば仕事の休み取りやすくしてくれるってのもサポートだな
教えてもらえない人の環境ってこういうサポートが一切ないんだろうなと予想する
そりゃネグレクトに至ったりするわと同情する他ない
もう書くことないしここみることもないです
仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校の同級生で、今も一緒に暮らしてる。
彼女は大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。
ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。
めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。
その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。
常連のクレーマーとかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。
多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那の会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。
お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっと、クリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。
バイト始めてからは仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達も不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。
ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。
行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。
そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)
その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達も自分のことみたいに喜んでくれた。
今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロのライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。
転職先はインフラ系IT企業。警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!
研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社で研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリで彼氏と出会ってお付き合いに至る。
なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするときは絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。
私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。
年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイトな現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……
初めての夜勤で最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。
夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナが流行りだしてからも通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。
それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。
夜勤は広いフロアに20人しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。
通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。
日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。
この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手に解釈して片付けてた。
食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。
これが、5月20日頃の話。
私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。
今までにないくらいの満員電車、職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。
コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所の現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。
6月10日の夜。
気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去の自分に言いたい。
痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。
そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社をメンタル病んで辞めた人だった。
日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINEの自殺相談チャットとか、自殺相談の電話とかを週に2、3回してた。
6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手に会社の中で泣きそうだった。
15日以降は通勤の電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。
確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。
22日はコロナの抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。
自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。
その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。
突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。
流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホームの椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。
先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。
その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。
やっと自分が限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科に電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。
最初に看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。
カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。
私は今までの人生、母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。
お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事を社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。
私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。
他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。
その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。
心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。
そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病の一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなたの場合はお母さんからの言葉があるのかも」と言われハッとした。
「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識に解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。
元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすいタイプなこと。今回は後者がきっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職の診断書を書いてくれた。
私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。
会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。
一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。
最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。
でも、彼氏や友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給や祝日は存在しない」と言われた。
そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。
薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。
何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏の言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!
今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。
外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。
当面の課題は電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。
徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。
最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。
高校時代から大学まで友達を相互フォローするアカウントを7年くらいやってたけど、急にできるだけアナログな生活をしてみたくなったから試しに辞めた。
・やっぱりどうしてもインターネットに書き込みできる場所を求めてしまう。
・Twitterを本来の目的であるミニブログ的に読めるようになった気がする(見てるんかい!)。
・落ち着いて物事を考えられるようになったと思う。
あ~父親が亡くなって遺産が入ったから、預金が一桁アップした件か。
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何故なら、母がぜ~んぶ使っちゃったから(笑
それでも尚、父に財産と言えるものがあったのは、母が先に亡くなり、母はその母親(私にとっては祖母)からの遺産を受け継いでいたから。
その一部を相続した某親族がすぐに売り払い、そこにマンションが建った、と言えばかなりの広さを想像してもらえるだろう。
夏休みに近所の子が単なる林だと思って迷い込むような土地の一部を、母も相続した。
そしてそれをいつの間にか換金していた。
その中には未だ換金出来ていないものもある。でも私は呑気なので、まあその内、と思っている。
通帳に数字になって記されていた金額は、正直想像を超えた金額だった。
これが、私の口座の預金額を一桁アップさせた原因だ。
ついこの間、趣味の小銭貯金の壺がいっぱいになったので、預金しにいった。
すると、窓口の女の子が言うのだ。
「定期預金にされませんか? 万が一キャッシュカードを紛失して悪用されたら、全部引き出されてしまいますよ」
それもそーだ、と承諾したら、別の窓口に案内された。
そこで対応してくれたのは、窓口の女の子ではない全くの別人。我が息子程ではないがそこそこ若いお兄ちゃん。
「〇円単位だと利率が上がります。そこの電光掲示板の利率より……交渉で10倍になります」
はいぃぃぃぃぃ!?
ちなみに普通の定期預金だと、その時0.01%だった。普通口座なら0.001と、もう一個0が増える。
当分使う予定もないし、預けておくか。
「0.1%になりました!」
……はいぃぃぃぃぃ?
その時私は思ったんだ。お金持ちはこういう優遇がある所為で、もっとお金持ちになるんだ。
と、こう書くと私自身がめっちゃお金持ちになったように読まれてしまうが、本人に自覚はない。
自分の考えをこうやって文字に起こすことすらごく最近まで出来なかったし、未だに喋って自己表現するのは苦手なレベル。
参考になるか分からないけど、自分が母に対して思ってたことを書いてみます。
中学の頃メンタル落ちて不登校になった時、母に「今何を考えてるの?」ってとても優しく聞かれて、なんて答えたらいいか分からなくてずーっと固くなって俯いてたなぁ……って思い出したな。
増田は「何でも言ってごらん」って言うと娘さんのプレッシャーになるかな……って考えて自分を抑えてて偉いね、いいお母さんだと思います。
人間の社会ってコミュニケーションで成り立ってるから、それがまともに出来ないのって本当にコンプレックスだし辛いんだよね。
血の繫がってるはずの母親は喋るのめっちゃ得意なのに、何で自分は出来ないんだろう……って自分を責めたり。
病院に付き添ってくれて、自分の代わりに医師と勢いよく話しているのを聞く度に、感謝はしてるんだけど、自分のダメっぷりを見せつけられているようで同時に悲しかったりもしたな。理不尽な話だけど。
将来のことを考える時、同性の親の姿を見て自分の未来を想像することも多いと思うんだけど、母が余りに自分と違うので(自分はまともな大人になれないのでは……)って思ってたっけ。
てか今でこそ「あの頃の自分はこんなんだったなぁ」って言語化して振り返れるけど、当時の自分の感覚としては、なんか胸の真ん中にギューッと締め付けられるような痛みが常にわだかまっている……って感じだったな。
今の自分は駄目だ、正しくない、何とかしなきゃいけない……っていうプレッシャーと一緒に、何だかよく分からない辛くて悲しい気持ちがグルグルと回ってる……そんな感じ。
思い出語りは程々にして、自分の経験から学んだことをまとめてみる。
一つ目は、娘さんの言語化能力が今とずーっと同じとは限らない、ということ。
人は時間や環境といった様々な要因で成長するものだし、ある時突然声変わりするみたいに時期が来ればいつの間にか出来るようになってた、ってことも起こり得る。
てか自分がそうだったかな。ある時ふと「あれ?前より出来るようになってるな」って気付いたみたいな。まあ今も苦手なんだけど、苦手なりに成長はしてる。
ただ、上に書いたとおり私は「喋れない自分を責める」ことに長年労力を割いてしまったので、そのせいで必要以上に遠回りしたかもしれない。
二つ目は、自己肯定感を落とさないように……ってそれが簡単に出来たら苦労しないんだけどさ。
長い間苦しんだなりに得たものはあった、って思ってるつもりだけど、貴重な若い時間を自責の念に費やしたのは勿体無かったのかな……って後悔することもある。
当時の自分に何て言ってあげたら自信が持てたかな……「喋りが不得手でもちゃんと社会で生きている大人は沢山いるから大丈夫だよ」って分かったら安心したのかな……。
一番いいのは「この人は自分に似ている」と思える大人に出会って、その人がちゃんと社会適応していて、「ああ私もあそこを目指せばいいのかも」って思えたら少し自信になるのかな。
最近読んだ女性ASDの体験記にはすごい共感したので、もしかしたら参考になるかも。
長い上にまとまりが無くてごめん。
母と私は余り似てなかったけど、母は私を見捨てずに奮闘してくれて、そのこと自体が一番の支えになったと思う。
文章から増田が娘さんの辛さを何とかしてあげたいっていうのはめっちゃ伝わってくるので、その想いがあれば大丈夫と思います。
大したアドバイスになってないけど、ほんの少しでも参考になれば。
アラサーの既婚女。元彼がどんどんどんどん人生失敗していくのですごく楽しくて嬉しい。
今は私の半分の年収で実家暮らしで独身らしい。そして不満を抱えているらしい。それを聞いてシンプルに笑えてしまった。
元彼とは大学〜社会人最初の方にかけて付き合っていた。大学は早慶、入社した会社は日本で知らない人がまずいない大企業。もちろん給与も高い。だが元彼は「合わない、もともとやりたい仕事じゃなかった」と言って1年未満でその会社をやめて、やりたいことができるらしい小さな会社Aに転職した。
私は会社を辞めなかったので給料の差ができた。それからはしばらくデートやお泊まり代をおごるなどしていたが、元彼はまた半年も経たないうちに「給料が低い」と言ってグチグチグチグチ言い出した。
あまりにもうるさいので、元の会社に近い仕事の会社Bならワンチャン転職できるんじゃないか、給料高いし、と言ったらその気になって転職活動をし始めた。ここ数年で気づいていたが、元彼は勉強はそこそこだが地頭が悪く調子だけいい体育会系だった。採用試験のための勉強をみてやった。実技試験中にも電話をかけてきたのでアドバイスしてやった。元彼はその会社Bに受かったが、私たちはそのあたりでうまくいかなくなり別れた。
その後何年も経って、私も別の会社に転職した。給与は据え置きくらいだが休みの多いいい会社だ。結婚もした。
そんな中つい先日、元彼から電話があった。会社Bの忙しさや転勤が嫌で、地元の市の公務員に転職して1ヶ月だが、給料が低いからもう辞めたいという。私はそれを聞いて何故だかとても嬉しくなった。なんというか、自分が着々と人生のコマを進めている中、付き合っていた頃と全く変わらず、同じような愚かなことを続けている元彼のこれまでとこれからを想像すると、暗い喜びが私の中を満たした。
元彼は何のために連絡してきたかと言うと、私が今勤めているか会社に紹介をして欲しかったらしい。「助けてくださいっ!」元彼は電話越しでもわかるヘラヘラした声でそう言った。会社Bへの転職を手伝ってやったから今回もいけると思ったのかもしれない。私は「あなたこの会社に向いてないからやめたほうがいいと思うよ」と伝えた。これは本当のことだった。ここまで考えなしな人、これまで他に見たことがないので……。
粘られたが、バカと一緒に働くのも嫌だったので断り続けた。元彼は諦めた。最後に何故か近況報告になり、元彼は「結婚したんでしょ?おめでとう」と言った。「ありがとう、あなたは?」と聞くと、「俺は会社Bの7つ下の後輩と付き合ってる」と言った。少し誇らしげだった。7つ下といったら新卒入って2〜3年目の女の子。うげー。
新卒に手を出すおじさんは女性界隈では大体地雷扱いをされているので、元彼はとうとう地雷おじさんにまで降格したのかーと思うと何だか感慨深かった。自分もおばさんになるはずだなあ。
発泡酒500缶2本、栄養ドリンクみたいなサイズのシャンパン1本、既に十分酩酊していた。
過去の失敗やこれからの不安が次々浮かんできて、アルコールの作用で思考が鈍っているはずなのに何だか冷めた、すっきりした気持ちだ。ふと、素晴らしい考えが頭の中に浮かぶ。
処方された二週間分の睡眠薬、残りを全て飲んだらどうなるだろう。
もちろん、死ねないことなど分かっていた。自殺企図を繰り返し、夜は気持ちが乱れて寝付けないことを精神科医に打ち明けるとそんな患者には薬は出せないと断られた。しかしでは、毎日苦しみ続ければ良いのかと食い下がると渋々といった風に安定剤と睡眠導入剤、レンドルミンを処方してくれた。
言っておくけど、と鼻で笑いながら彼は忠告した。この薬をいくら飲もうとせいぜい2日くらい目が覚めないで糞尿を垂れ流して眠るだけだ。変な気は起こすなとのことだった。
糞尿の処理をするのは嫌なので、オムツの代わりに夜用のナプキンをつけ、フローリングの床に枕だけ用意する。
レンドルミンをシートからプチプチ取り出して、酒のつまみみたいに飲み下していく。2日間眠るだけ。苦痛がスキップされるなら望ましいことだ。それとも、過剰摂取によって頭の中をシンプルにしてくれやしないだろうか。既にアルコールによる酔いでは多幸感も、離人感も得られなくなっているから。
吸収されるまでは時間がかかるので、急に様子がおかしくなることはなかった。心配していた、吐き戻してしまうこともない。同じ体験者がいないかネットで調べていた。記憶があるのはこの辺りまでだ。
粗相があってもいいように床で眠るはずが、気付くとベッドで目が覚めた。今では記憶が曖昧なのだが、恐らくこのときか、眠るとき転倒したらしい。人差し指に血がついている。トイレに向かおうにも真っ直ぐあるけない。便座に座り、下着を下ろすはずが体の制御がうまく行かずズボンを履いたまま用を足してしまった。
これはマズい、と考える力はあった。浴室に行って汚れた服を投げ捨てる。そこで洗面所の鏡を見ると、鼻の回りから出血していた。これが指についていた血の原因か。もう乾きかけているものの、まぁまぁな量だ。何だか面白くなって写真を取り、元彼に送る。
時刻を見ると午後2時、薬を飲んだのが深夜1時だったから、昏睡と呼べるような時間は経過していない。なんだ。こんなもんか、というのが正直な感想だった。顔を洗うと出血はほとんど鼻血だったのか、傷は小鼻の横の小さなものだった。その後も2時間ほどふらつきは残り、2度ほど転倒したが頭ははっきりしたので怪我には至らなかった。
顔の小さな傷と、転倒した際の痣だけが残り、気分も変わらず晴れない。こんな下らないことを繰り返すのも、死ぬ勇気がないからだ。たった一つの勇気さえあれば。
自分はとても臆病で死ぬのが怖い。今でも時々死ぬのが怖くなり眠れなくなることがある。
死が怖いのに、うつ病になると、ふとした瞬間に「死ぬ」という選択肢が浮かぶようになった。
ベランダに近づけなくなった。電車のホームや踏切から距離を取るようになった。油断したらふらふらと飛び降りてしまいそうで怖い。
ゲームで言うなら、「戦う」「魔法」「道具」「逃げる」の中に急に「死ぬ」という選択肢が表示されているような感じだ。強烈な存在感で常に表示され続ける。
「死ぬのは怖い」「死ぬのは嫌だ」と思っているのに、「今一歩踏み出せば死ねる」「ここで死んだら苦しみから解放される」という思考回路に何故かなってしまう。
うつ病中は全てが辛いので、解放されるという選択肢は妙に魅力的に見えてしまう。それを思考で違うだろうと否定して何とか回避した。
運よく数ヶ月でうつ病は治ったが、もし希望の見えない底なし沼の状態が何年も続いていたら……。
うつ病の再発率は高いらしい。治ってから、再発が怖くてストレスのかかることから逃げるようになった。他者からは甘えに見えると思う。たまに自分でも甘えなんじゃないかと思うこともある。
一度膝を痛めたら、常に膝のことを気を使って生活するようになると聞くが、それに近いと思う。
今日も巨人戦(対中日)見ようとしたら何故か放送していない。放送しないのは諸事情?ある広島戦だけだと思っていたのに。何か不確実。
今、ヤクルト対横浜見ているが、7回表の東京音頭のときに突然daznの謎の意識高い系セルフCMが流れてきてイラッとする。前回の甲子園の阪神戦でも東京音頭がカットされた記憶がある。各回ごとにCMが入るわけではないのに、何故わざわざ7回にCM流す?
他にも、打者に関するデータが少ない、カメラアングルの種類が少ない、試合によっては投手の球速が出ない、等々何か中途半端。スポーツ専門ならばもっと攻めて良いのでは?里崎チャネル等の元プロ野球系youtuberで色々知識付けてきているからか何か物足りない。
今週金曜日からMLB始まるらしいけれど、やっぱりプロ野球中継を高いクオリティーで見たい。あと、何だかんだチャンピオンズリーグもツールド~~とか他のスポーツは見ていないので少し高いと感じる。
近々、中学生のころ私を散々にいじめて、不登校からの自殺未遂そして精神科入院にまで仕立ててくれた女子に会う機会があるかもしれない。
噂では婚活中との事なので、この機会に復讐したい。お互い30歳。
「全然、私なんてギリギリ結婚できたんだよー。なんせ27歳だったから」
「専業主婦させてもらってるの。でも何だか申し訳ないから、最近テレワークできる仕事始めたんだ。細々とだけどね」
「〇〇ちゃんなんていくらでもモテるでしょ?今までの彼氏じゃ駄目なの?」
「30過ぎて結婚してない人って、やっぱちょっとおかしいよね。あ、〇〇ちゃんは別だよ?」
他に何かあるかな。
婚活女性に恨みはないが、その子には15年間消えなかった恨みと傷を受けたから。
追記です。
「あ、だから結婚できないのかw」くらい直接的な方がいいのかな…
でも、煽ってやる気出されてすんなり結婚されるよりも、いい気にさせて婚活を長引かせる方が復讐になる気がしてきた。
「結婚しなくても幸せになれる時代だって、ゼクシィも言ってるし!」
とかもありか。
また追記です。
これです。
結婚できて幸せだけど、それで過去にあったことが全てなくなるわけじゃなかった。
ご飯作ってる途中に急にいじめのこと思い出して涙が出てきたり、
夢の中でまたいじめられたりして本当に辛い。
私は金遣いと貯金が不得意だった。
30近くなっても貯金は10万~30万が精一杯だった。理由は前職の給料が安く昇給率も低いこと、また、ストレス発散で散財した。
大学卒業し社会人になってから趣味のカフェ巡り、本の大量買い、自己啓発セミナー、交友関係などにお金を使いまくった。「20代前半は貯金よりも経験に自己投資しなきゃ☆仕事を頑張ってるんだし☆」と自分を言いくるめていた。
給料が安いとしてもこれはまずい。今更ながらに家計簿を付けて、月々の費用を決めた。ストレスマッハな職場からの転職も決めた。それからはお金の遣い方が変わり、少しずつだが貯金が出来るようになった。これでようやく安定する…かと思えば、次は結婚ラッシュが来てしまい少ない蓄えはお祝儀に消えていった。
ああ、私には金運が無いのかしら…と思っていたら父からお金を貰うことになった。定年退職したため退職金を少しくれるらしい。父が汗水流したお金だ。貰えないと何度か断ったものの父が私にあげたいと言ったので貰うことになった。
その額、50万円。
ATMで見たとき一度見間違えたのかと思った。もう一度見る。50万円。間違いない。
てっきり5万か 10万位だと思っていた。50万円って。父に確認すると喪服を買いなさいと言われた。全部揃えたとして45万位余るわ。社会人になってお金を稼ぐ大変さが分かる。この50万円は父に何かあった時のために預かることにした。
50万円を貰ってから私の金運が上がって来た。まず、特別停学給付金10万円を貰った。ありがたく遣わせて貰うことにした。また、夏のボーナスを貰った15万円。こちらも半分は父親へ、半分は貯金に回すことにした。コロナの影響で売り上げが下がっているのにありがたい。
そして、なんと昇給した。9000円。前の職場の昇給金は2000円だった。約4.5倍である。コロナの影響があるため昇給を諦めていたので驚いた。税金を引かれるので9000円丸々は貰えないだろう。でも、給料が増えるのは嬉しい。
色々と計算すると全部で約80万円位になった。今年の1月は貯金10万円だったのに今は80万円。ありがたいものの何だか畏れ多くて遣うのが勿体無く思う。
今は無印良品で欲しいものがあるものの、良品週間を狙って買うか悩んでいる。お金が沢山あるからと言って、自由に遣う気にならなくなった。今の自分の方がお金を大切にしていると思う。
岩手で就職した俺は、何度か転勤をして長野に腰を据えることとなった。
軽井沢という洒落た別荘地の近くに勤務する俺は、独身ながら小さな庭付きの家も購入し、ずいぶんと浮かれていたのだろう。
小さな庭はまだ何も植えられていなく、少し寂しい。何か、食べられるものを植えたい。そう思って先輩に相談すると、先輩は静かに言った。
ラズベリーだけはやめておけ、と。
いつも笑っていた先輩が突然無表情になり放った言葉に、俺は困惑した。どうしてと問うと、先輩は答えてくれた。
奴らは繁殖力が恐ろしい。一度根を張ると、他の植物を食らいつくす勢いで増えていく。何も手をかけていないのに、だ。
世話をしなくていいなんて、まさに俺向きじゃないですか。そう茶化したのだが、先輩は無表情に首を振った。
何だか怖くなり、とりあえず俺は先輩の言うとおり頷いた。
その日の帰宅途中、煌々と明かりをつけている園芸店が目に入った。
軽井沢の店は閉まるのが早い。まだ営業中の店があるのかと中を覗くと、気のよさそうな男が出迎えてくれた。
聞き上手な男に促されるまま、最近転勤してきたこと、ここに住むことを決めたこと。そのために庭付きの家を買った事、園芸を始めようと思っていることなどを話した。
植物を育てる才能に乏しいと笑うと、男は一つの苗を取り出した。それは、ラズベリーの苗だった。
「長野はね、ブルーベリーの産地の一つなんですよ。でもね、ブルーベリーの苗は一種類だと受粉しない子が多くて。けれどね、ラズベリーなら一本でも十分受粉するんです。暑さにも寒さにも、虫や病気にも強くて手間がかからないんですよ」
鮮やかな緑色の葉を持つ細い茎の苗は、どこか頼りなさそうだ。こんな苗が、先輩の言うほどの繁殖力を持つのだろうか。
「ラズベリーの実には便秘解消や老化防止なんかの効果があって、彼女さんにも嬉しい物じゃないかな」
男の言葉に、俺はその苗をかごに入れた。たった一本の苗が、小さいとはいえ庭を覆うことはないだろう。
俺はその苗といくつかの野菜やハーブの苗、それから肥料などを購入して店を出た。
数日後、先輩に家庭菜園を始めたことを報告した。いくつかのハーブをプランターで、季節野菜を庭で育てていると伝えた。ラズベリーを買ったことは、言っていない。
余った苗と共に裏庭にそっと植えられたラズベリーは、他の苗と共にゆっくりと成長している。今年の収穫は無理そうだと思っていたのだが、五粒ほど赤く甘酸っぱい実が生った。二粒ほど腐らせてしまったが、栄養になるだろうと木の根元に捨てた。
それから三年の月日が流れ、徐々にラズベリーの苗は大きくなり、太くしなやかな茎を広げながら実をつける。
記録的な豪雨にも連日の猛暑にも、ラズベリーは負けなかった。ある時は他の植物たちが雨で腐ってしまったが、ラズベリーだけは生き残ってくれた。
よかった、お前は無事だったんだな。そう言って笑ったあの日、なぜ気が付かなかったのか。あれほどの豪雨にも猛暑にも耐えれる植物が、可愛いだけではないことに。
九州の支店、倉庫、取引先に大きな打撃を与えた地震。役職についていた俺は対応に追われ、時には出張で一ヵ月以上家を空けることもあった。
地震が落ち着いたころ、今度は豪雨での被災。度重なる災害の対応に、気づけば五年もの月日がたっていた。
ようやく一息つける状況になった俺は、枯れてしまった庭を見てため息を吐いた。
そういえば、裏庭はどうなっているだろうか。表にある庭は忙しくても多少手入れをしていたのだが枯れてしまった。何も手を入れていない裏庭は、もうとっくに枯れているだろう。そう思って裏庭を見て、俺は驚愕した。そこには、小さな森ができていた。
青々とした葉を茂らせる、木と呼ぶには細い緑の幹。蔦よりも硬くしなやかなそれは、間違いない、ラズベリーの枝だ。ラズベリーが、裏庭を覆いつくすかの如く増殖していた。
一緒に植えていた大葉や桔梗、百合の球根が埋まっていたはずの場所ですら、ラズベリーで覆われている。
震える足で裏庭に降り、俺の肩ほども高さのある茎をかき分ける。
俺が選んで植えた植物たちが、すべてラズベリーに覆われてしまっている。あれも、これも、そっちも、全部全部全部!
ぽとりと、何かが落ちた。それは真っ赤な実だ。ラズベリーの、熟れて腐った実。足元にはいくつものラズベリーの実と、おそらくそれらから発芽したのだろう苗。
一本でも十分受粉する。それなら、これだけの量があればどれほど受粉し、実をつけるのか。足元には落ちた実と、瑞々しいほどの苗。
気がつけば俺は、あの園芸店に向かっていた。俺が店に駆け込むと、男はあの日と変わらず穏やかな顔で迎え入れた。
ラズベリーが育ちすぎていること、実が山のように余ってしまっていること、新芽が次々と出て裏庭が覆われてしまいそうなこと。まくし立てる俺に、男は笑った。
「それの何がいけないのですか。実が余っているのならジャムにすればいい。嵩は減りますよ。冷凍して保存もできます。もし種の触感が気になるのなら裏ごしして、牛乳やヨーグルトドリンクに混ぜて飲んでもいい」
呆然とする俺に、男はそうだ、と手を打った。
「ラズベリーは手をかけてあげないとすぐに拗ねて他の植物にちょっかいをかけるんです。きちんと手をかけてあげてくださいね」
男に送り出され、俺は裏庭に戻った。
放置されたラズベリーは裏庭を覆いつくす勢いで成長している。俺の手には、真新しい剪定ハサミが握られていた。
あの日から六年。恋人もでき結婚した俺は、部下を持つようになった。
賑やかな食堂で、後輩は妻が作って持たせてくれたマフィンを頬張っている。
「それにしても、先輩の奥さんは料理上手ですね。このマフィンも、甘酸っぱいジャムが最高です」
「はは、ジャムはうちの庭で採れた新鮮な果物で作ってるから格別だろう」
「はい!そうだ、俺も家庭菜園を始めようと思うんですけど、なにかおすすめの植物ってありますか?できればあんまり手がかからない奴がいいんですけど……」
「そうだな、色々あるが…………ラズベリーだけは、やめておけ」
そうね、だいたいこんな感じだろうか。
最後に、元の増田や多くのトラバブクマで不動産屋は信用ならないという意見が多くて、まぁそういう業界ではあるのは確か。特に賃貸仲介は余り質の良い人材は流れてこない。
ただ一方で市場構造を理解せずに市場に流通してる情報の質は測れないというのもある。元増田はその辺がいまいちぼんやりしていると思う。株式投資などではアルゴリズム投資も可能だが、残念ながら不動産は現物投資なのだ。条件を全て網羅しても、取引成立までに地震が起きてひびが入ったらどうだというのが現物投資である。更に言えば不動産は一点ものでその対象不動産に対する取引回数が株式などと比べて圧倒的に低い。一つの不動産が「取引の場」に晒される回数は多くても2、3回がほとんどだろうと思うし、全国規模でいえば一度も市場で取引されたことが無い不動産も多いと思われるので、アルゴリズム投資向きではない。条件をどれだけ並べてもむなしいというのはそういうことが理由であると言える。
また、例えばお買い得や掘り出しものの不動産も実際にはあるわけだが、何千万円もする値段の「掘り出し物」が知識もなく全く縁もゆかりもない自分に転がり込んでくるわけがないだろうとも言いたい。あれだけの条件を並べないと市場における良し悪しが分からない人が一点ものの掘り出し物を見つけるのは実際無理だろう。掘り出し物はみんなが欲しいからだ。当たり付きの自動販売機で当たることを期待して缶コーヒーを買う人はまずいないだろうと思うが、なぜ不動産買うときだけそういうラッキーを当然のように期待するのだとも思う。
知人の不動産デベロッパーは昔、耐震偽装問題があった時に「一番いいのは、問題が起きた時に賠償能力がある超大手のデベロッパーのマンションの新築を買うことだよね」と身もふたもないことを言っていた。マンション開発だけしかやってない会社は資金余力は小さいので注意が必要。ただし瑕疵担保責任とかアフター補償には適用期限とかあった記憶。リフォームも当然同じと考えていいと思う。逆に最近は仲介業者が1年ぐらいの補償を付けてたりもする。この辺は増田は仲介や販売実務をぜんぜんやったことが無いので分かりませんので各自調べてください。
ほな。
不動産や建築関係の事業者は本当に玉石混交。不動産屋だから全て信用できないわけじゃなくまともな会社もあるわけでAll不動産会社is悪と言うのは職業差別する馬鹿である。一方で、身もふたもない話だが、お金を持っている人ほど「まともな業者」にあたる可能性は格段に高くなる。ダメな業者かまともな業者か見分ける一番分かりやすい方法は「手数料無料」である。無料をうたってる業者は、まともに対応してほしいなら絶対避ける。一般的には売買仲介で手数料は不要、というケースはまずないが、賃貸仲介・売買仲介を両方扱っていて賃貸の方は「手数料無料です」と謳ってるならその業者は避けるぐらいでもいい。ちなみに、売買仲介で手数料不要ですというケースで代表的なのは、その業者が売却客と直接つながっていて売却客から仲介手数料(法定上限3%)を満額でもらえる話になっていて、かつ調査などの費用や負担がほとんどない場合、などに限定されるんじゃないかと思う。仲介手数料は上限が法律で決まっているが下限は決まっていないのだ。
仲介業者は仲介手数料が収益になるし建築業者は建築費の何パーセントかを利益として取る。基本はすべて一点ものなので「生産するほど儲かる」という概念はない。ブローカーなので当然労働集約産業である。したがって、扱っている不動産の金額が大きいほど彼らの取り分は大きくなり、その代わり取引におけるリスクも大きくなるから、ちゃんと躾けられて知識が確かな社員が多くなる傾向がある。そして扱っている不動産の種類や顧客の種類が多い会社の従業員ほど現物である不動産の状態確認の精度は上がる。会社としてのバックデータが豊富にあるからだ。
ちなみに仲介業者はどんな仕事をしているかというと、「お好みの物件を見つけてきました!」は彼らの仕事のうちの本当に少ない部分でしかなく、「対象の不動産についての状況確認」が不動産仲介業者の主な仕事の一つである。元増田のように全部自分で調べなきゃ気が済まないのんびりした人も居ようが、適切な金を払い、専門知識がある信頼できる人に外注すれば話は早い。なぜなら前項にも記したが不動産は一点ものであり、かつ所有者がいる「私物」である。その一点ものの過去の取引経緯は少ないのが一般的で私物なので調査は勝手にできない。そこでブローカーが間に入って必要な情報を調べるのだ。こういう作業をしているから手数料がかかる。スペックを比較するのはデータで机上でも可能(だしそういう取り組みをしてる不動産テック系の会社は山ほどある)なのだが、それによって分かる情報は実は不動産取引においては実は些末な情報でしかなかったりする(例外はあって、例えば、そこそこ築年数が経過した人気が高い大規模マンションだと、同じマンションの建物の同等スペックの取引例が多くあるので、市場価格やリスクがが類推しやすかったりする,、初心者向けにお勧めなのだが当然割高ではある)
例えば離婚することになり子供の養育関連や財産分割の取り決めなどをきちんとしようとなったら、弁護士を挟んで協議書類を作る方が、子供にとってより安全な養育環境を作ることが容易になる。夫婦だけで協議書を作るのが簡単ではない理由は、離婚する夫婦は利害が対立しているから、というのと、多くの一般の人にとって民法に沿って家族全員が納得できて子供のより安全な養育環境を確保する取り決めを作ることはそれほど簡単ではないからだ。離婚に関する法律は民法を理解しておけば何とかなるが、不動産に関する法律はもう少し多い。民法は大前提として、都市計画法、建築基準法、その他環境関連法や地元自治体が定めている建築や不動産に関する規制条例も複数ありこれらは不動産の価値に大きく影響する(その土地の用途≒利用価値を制限する法律だから)。関連法規が多い一点ものの取引をする専門の資格として宅地建物取引士という資格があるわけで、昔は猫でも取れるが鶏では取れない(暗記が多いから)などとも言われたらしいが、一応国家資格である。
実際には、日本はかなりの比率で法治国家なので、問題がある不動産はあまり多くない、特に住宅に関しては。だから仲介業者はアホでも出来る、不動産業者は客を騙そうとしてると決めつける人は割といる。だがそれは仲介業者が問題をスクリーニングした後のものを紹介されてるとか、市場で適正化されてる(怪しい物件は不当に安かったり)中から選んでいるから一般の人がババを引かずに済むわけで、そのリソース自分で賄える?とは思う。お金がある人ほどまともな不動産業者と出会えるというのは、こういう理屈である。
増田は宅建一応持っているが使ったことがなく、不動産仲介の人たちは頼りになるビジネスパートナーなので悪徳とかバカ扱いされてるのを見ると悲しくなる。また例えるが弁護士業界。昨今の過払い系弁護士なども割とアレだったり、人権派弁護士が逆方向にアレだったりするが「All弁護士is悪徳」と言う人はあまり多くはないわけで、職業(に限らず)差別するやつって浅い思考だなと感じ入る。話は逸れるが、不動産会社がゴキブリのように嫌われる理由の一つに「地上げ的なアレ」「立ち退き的なアレ」を脳内に思い浮かべる人も多いかもしれないが、立ち退き交渉業務は所有者または弁護士しか行えないと法律で決まっている。立ち退き交渉を行う弁護士は業務費用と成功報酬を割とがっつり取っていく。
元増田はまぁ、まず買わない方が良いタイプだと感じる。最近はお金を出せば賃貸でも十分ハイスペックな家を探せるしね。当増田については、築30年の分譲マンションを競売で落としてフルリフォームした。超快適。仕事で知り合った専門家たち(仲介さん、建築士さん、施工業者さん)にお世話になった。対価は当然支払ったわよ。
今週はずっと泣いていた。あることがきっかけでそれに対する負の感情がどんどんどんどん大きくなって、いつのまにか私なんか生きてても仕方ないしにたい消えたいという方向性に変わっていった。ふとした瞬間に涙が出て、頭の中がしにたい消えたいでいっぱいになって、苦しかった。部屋で寝込むことが増えた。
風邪ひいた?と聞かれるとそうじゃないけど、自分から心が弱っててとは言えなくて(何だか自分から言うのは恥ずかしいことな気がして)、家族にはそうじゃないけど……などと濁しつつ、部屋に戻るとベッドで泣いた。
今日も夕飯を食べながら泣きそうになったのでサラダと味噌汁をかきこんでおかずを少しだけ食べ早々に部屋に退散した。泣いている間はしにたくて気持ちが落ち込んでばかり……かと思ったら壁を蹴破りたくなるような暴力的な衝動にも襲われ頭の中はぐちゃぐちゃだった。クッションを握りつぶしながら激しい感情に耐え、時には泣き疲れてぼうっと天井を見上げたりもした。
そんなこんなで夕食を終えてから一時間ほどベッドでのたうち回っていると、不意に、鼻水でパンパンになった鼻がむずむずし始めた。
くしゃみだ。
その瞬間、しにたい気持ちも何かを壊したい衝動も私の中からポーーンッッ!!!と飛んでいった。全身の意識がくしゃみに向かった。数秒おいて詰まったようなくしゃみが出た。そこそこ大きかった。自分でも驚いて、くしゃみ後特有の爽快感を覚えながら、ぼんやりと思った。
こんな時でもくしゃみ出るんだ……。
馬鹿馬鹿しいけどこう思ったとき、妙に晴れやかな気持ちになったのだ。くしゃみ一つに謎の感動を覚え気がつくと涙は止まっていた。しにたくて苦しくて泣いていたのに体が元気なくしゃみをするものだから、何だか拍子抜けしてしまった。くしゃみ一つで泣き止む自分がおかしくて、万が一読む人がいたら何だこれと呆れてほしくて、後こんなことでも楽になれるよと自分のためにも残しておきたくて、はてなブログを書いた。
終わり
コメントの返し方が分からなかったからここに書くけどほんとありがとう。あなたのコメントでもっと元気出た。💩まで完璧すぎる。ありがとう。
たとえば三角関数なんか教えても、それを使う人は全体の0.1%もいないだろう。
そもそも、ほとんどの生徒や学生は積極的に教育を受ける気がない。
こんなものに税金を費やすのは無駄である。生徒にとっても教員にとってもメリットがない。
こんなことは、誰もが感じていることのはずなのに、反対意見が根強い。
一般大衆が教育の必要性を説く理由なんて一つしかない。そっちの方がかっこいいからだ。
たとえば、科学技術を批判して自然環境保護を主張したり、人権や民主主義の名のもとに政府や警察を批判するのは、何だか進歩的でかっこいい。しかし、こういうことをしている連中の大半は、それを専門的に論ずるだけの知識を持っていない。要するに、インテリぶっているだけなのである。
を読んだ。この増田に影響されてガンダムについて書きたくてたまらなくなる。ガンダムは良い物だ。
一昔前はμガンダムがνガンダムのプロトタイプではないかと言われていたのを見た事がある。μガンダムが最も話題になったのもナラティブ公開前の事だろうな。
無限に作れるというのは正にその通りで、今存在するガンダム作品の殆どはそのパターンで作られている。それをファンも望んでいる。
そもそも逆襲のシャアからF91の時代まで「大きな戦乱も無く平和な世界が続いた」って基本設定はどうなった?いつまでジオン残党を連邦軍がボコる話を続けるつもりなんだよ
逆襲のシャアからF91までの30年間は戦争がなかったという話はある。閃光のハサウェイで描かれたマフティー動乱はあくまでテロであり戦争ではないのだろう。同じようにUCやNTで起きた事件も規模としては小さく戦争ではない。
クロスボーンがフロンティア・サイドに侵攻した事から始まったコスモバビロニア建国戦争以前にしてもF91の前日譚であるF90、フォーミュラー戦記0122、シルエットフォーミュラで戦いは描かれている。ここは昔から何も変わらない。
結局また逆襲のシャア周辺の掘り下げと隙間埋めを連発するんじゃいつか飽きられるっつーの
初代ガンダム周辺の掘り下げと隙間埋めだけで30年以上戦ってきたガンダムで何を今更という話である。ポケットの中の戦争は初代から10年後、08MS小隊は20年後、MS IGLOOは30年後に作られた。
この時はまだガンダムに飽きていなかったから良かったが今は駄目だ、というガンダムファンも多いがそれはあんまりに身勝手だ。ガンダムはウルトラマンのように半世紀以上愛されるだろうし、これからも番外編は作られていく。
綺麗に完結した機動戦士ガンダムという作品の続編を描いたZガンダムの時点で既に余分だった。アムロとシャアの決着を描いた逆襲のシャアで一度ガンダムは終わったのに、アムロもシャアもジオンも出て来ないF91とVも余分だ。
その次はガンダムという顔の兵器が出てくるだけで、宇宙世紀とは直接の繋がりを持たないアナザーガンダムが作られてきた。Zからの全てのガンダムは余分であるし、ガンダムの歴史は余分の歴史だ。その余分を楽しんでいる。
RX-78何機はあるんだよっていう。
正史への介入はともかくそのポケ戦にもニュータイプ専用ガンダムことRX-78NT-1「アレックス」が居る事を忘れたのだろうか。
RX-78シリーズの内ガンダム1号機から6号機までとそのバリエーションであるFA-78-1、FA-78-2は機動戦士ガンダムからZガンダムの間に企画されたMSVとMSXに登場した物だろう。
それ以外のRX-78なんて精々0083に登場したガンダム開発計画に作られた三機くらいではなかったか。ガーベラ・テトラがガンダム試作4号機であるとか最近は試作0号機が作られたという話は詳しくないので保留する。
ポケ戦の時期は設定がゴタゴタしていたのかアレックスが4機目のガンダムとして扱われてMSVの設定と矛盾していた事がある。RX-78が多すぎるのは30年以上前からずっと変わらない。それがガンダムだ。
ところで何だかんだ言って皆ガンダムから離れられない所を見るとガンダムとはまるで地球の引力のようだ。あれだけガンダムから離れようと努力した富野監督が、今でもバリバリ元気にガンダムの劇場最新作を作っている事からそう思う。
知らなかった。完全にガンダムだと思っていた。GにGundamというルビが小さく振られていたけれど、 劇場版『Gのレコンギスタ』が公式の名称であるらしい。
かつてガンダムと呼ばれた物が「ガンダム」から脱却出来た事が他にあるのだろうか。富野監督と『Gのレコンギスタ』はガンダム40周年目に新たな偉業を成し遂げた。ガイア・ギアとG-SAVIOURについてはよく知らないので保留する。
考えたってわからないし
暗い部屋、感想を待った
ねぇ、これからどうなるんだろうね
バズり方教わらないんだよ
神のツイを見た 何も言えず僕は歩いた
旬ジャンルはハマれないし
辞めた筈のSNS、通知を見る癖が抜けない
ねぇ、将来何してるだろうね
困らないでよ
どうしても消えなかった 今更なんだから
なぁ、もう思い出すな
間違ってるんだよ
わかってないよ、あんたら読み専も
考えたんだ 175のせいだ
将来何してるだろうって
大人になったらわかったよ
何もしてないさ
幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ
満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感
間違ってないよ
どうでもいいか おパ島のせいだ
考えたってわからないし
原稿するのも苦しいし
字書きとか儲からないし
どうでもいいんだ
間違ってないだろ
間違ってないよな
間違ってるんだよ わかってるんだ
あんたらオタ共も
どうでもいいや 僕のせいだ
僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな萌えだ
売れることこそがどうでもよかったんだ
本当だ 本当なんだ 昔はそうだった