はてなキーワード: 中高一貫とは
中高一貫男子校→工学部→エンジニアみたいな、物理的に女が周囲にいない環境で生きてる男ってならまだしもさ。
まず最大勢力の看護師が女ばかりだし、それ以外のコメディカルも女率高いし、医者も年寄り世代ならともかく若い世代は女率高いし。
しかも女が多い職場に多い「女は若いうちだけ使い捨て前提or主婦パートだけ、上層は男ばかり」ではなく
女でも役職付いて定年まで勤めるのがごく普通で、女が権力も発言力もそこそこ持ってる世界なんだよね。
それなのにこの認識って本当だったら相当職場で浮いてると思うんだが。
女の同僚と全くコミュニケーション出来てないっぽいんだが。って事は同僚の大半とコミュニケーション出来てないって事になるわけだが。仕事大丈夫なのか?
南半球へ渡る。
21世紀!?よくわかんないけどなんかすごいんだな!?という思いでテレビを見ていた。
あと「いろぶん」っていう面白い文房具の紹介をしてるサイトがすきだった。
中学入学と同時にケータイを買ってもらう。直後にパケ死して3ヶ月ぐらい没収された。
すきなカップリングがあまりにも供給がなかったためにWordでホームページを作ろうとする。
(mixiは本当はだめだけどみんなやってた。友達に招待してもらって、一応15歳だか18歳っていう設定でやってた。)
たしかこの年に初めて「ネットで出会った人」と友達になる。オフ会にパンダ柄のニット帽を被って行った。
5年後ぐらいにめちゃくちゃバカにされた。
全然オタクがいなくてギャルとヤンキーばっかりで超びびってた。ナマモノ同人を知る。
FC2ホームページ上に自分のホームページを作る。フォレストページにケータイ用サイトも作った。(V系ナマモノ)
それとは別にmixi、前略プロフ、リアル(ケータイ用のブログのことね)、写メ日記をやってた。alfooとか、chip!とか。
みんな「だれでも見れるリアル」「10人ぐらいしか見れないリアル」「親友()しか見れないリアル」を持っていた。
初めて彼氏ができて、脱オタク脱バンギャして、「JK」をやってた。
mixiコミュを見て回って、リアルを更新して、プリクラ撮ったら前略を更新して、リアルを更新して、の繰り返し。
初めてセックスして、「なんか思ってたんと違う...」ってなる。BLはファンタジー。
とりあえず登録したけど全然面白さが分からなくてしばらく放置。
だんだんmixiの友達がTwitterに移っていってしまったので、わたしもモバツイでTwitter見てた。見るだけ。
センターの直前に「大丈夫だ、問題ない」のMADを頭がおかしくなるほど見てた。たぶん頭がおかしくなってた。
高校の卒業式の次の日が震災だった。布団の中でひたすらTwitterを見ていた。
(サーバーの下敷きになって死にそうみたいな某氏の自演って当日だったっけ?見た記憶あるよ)
Twitterすごい!って感動した。
たくさんの情報が自分から探さなくても自分の目に届くということは、わたしにとってすごくすごく新鮮なことだった。
入学式が1ヶ月伸びた。
その間に同じ大学に入学する人とmixiで知り合い、会って遊んで、Twitterで交流するようになった。
ある男の子にChromeやThunderbirdを教えてもらった。
まだdocomoにはiphoneがなかったのでガラケーをガラケーに機種変。(後でめちゃくちゃ後悔する。)
大学に入学して初めて自分のパソコンを持つ。MacBook Air。
Twitterばっかりやってた。デマもパクツイもまとめブログもRTしまくってた。
同じ教室にいた人をTwitterで見つけて(というかわたしが見つかって)、なんやかんやあって付き合う。
ギークだった。
その人に教えてもらってUSBメモリをUSBとは言わなくなったし、Wikipediaをウィキとは言わなくなった。
以来、お気に入りもお気に入られもほとんどないけどはてなは毎日見てるよ。すきだよ。
なにしてたかなぁ
どうでもいいことがめちゃくちゃにつらかった記憶がある。
プログラミングできない(Rubyの配列で躓いた)事とか、サービスやアプリを作れない自分は価値がないと思ってた。
つらい時はインターネットが見れなかった。
そういえばたまにやきとんオフ行ってた。
めちゃくちゃに精神を病んでた。
一度だけはてなブログに思いの丈をババババーッ!と書きなぐった。
それでちょっとだけ冷静になって、次第に元気になっていく。
Twitterで出会い厨したりした。得るものがなかった。(jizouさんではない)
色々あったし、今も色々あるけれど、生きててよかったー!って思うし、
こうして増田にこの記事を書いていることがとてもとても楽しいよ。
2011年頃と比べると全然Twitterに投稿しなくなった。けど見てはいる。
とうらぶ二次創作おいしいです!pixivも今年に入ってから使うようになったし、
オッスオラ相貌失認!
本日めでたく「ホントにやる気あるの?」って言われて接客業のバイトを首になったから記念に相貌失認だとどんなことが起きるのかを適当にかいていくぜ!
ちなみに今ググったら相貌失認テストとかいうページ(http://www.5lm.info/)があったけどこれは駄目だ!
名前も顔も分からねぇから間違えるとかそういうレベルじゃねぇんだ!誰だこいつらは!辛うじて認識できている人を正解にしたら正答率が100%になったぜ!そりゃあそうだよな!
最初に言っておくが相貌失認っつっても程度も個人差もあるからあんまこまけぇこと突っ込んでくれるなよ!
それじゃあいくぜ!
いや落ち着いて面と向かえばちゃんと分かるが人ごみの中に居られたりするともうさっぱりだ!
子供の頃は迷子になるともう母親を探し出せる気がしなかったぜ!
出かけるときは毎回親や兄弟の着ている服を頭に叩き込んでいたぜ!
次にクラスメイトだ!覚えられん!
クラスメイトをきちんと分別出来るようになったころにはクラス替えとかざらにあったぜ!
中高一貫のバカ学校に通っていたが烈火のごとく顔が覚えらない上にみんな同じ制服だったせいで地獄のような毎日だったぜ!
ただし教授の名前とか顔は分からん!なんであいつらみんなおんなじようなスーツのおっさんなんだ!もっと個性を出してくれ!
向こうが覚えていてくれてこっちが覚えていなかった時の気まずさすげぇな!
こちとら毎日何百人と相手してんだ!
いや服とか毎日同じにしてくれたら覚えられるかもしれないけどちょっとそんな客には来てほしくない
あとバイト先で辛うじて覚えたとして街中で声かけられてもちょっと無理だ!勘弁してくれ!俺はカウンター越しのあなたしか認知できない!
スーパーで親しげに話しかけてきていつもと同じテンションを期待されても困る!誰だ!常連の田中さんか!そのクルックルの頭は田中さんか!すまん!わからん!
美人の女優とか軒並み分からん!同じような顔にしか認識できない!綺麗な造作してることは分かるぞ!
あとイケメンも大体全滅だ!印象が薄い!玉木宏は声で分かる!でも最近玉木宏あんま見ねぇな!割と好きだったから頑張ってくれ!
そして外人は壊滅だ!男と女と黒人と白人と黄色人種と大まかな年齢しか認識できねぇ!
具体的に言うとDr.パルナサスの鏡って主役の俳優がどんどん変わってく映画があったんだけどあれ俺見終わって解説見るまで人が変わってるのに全く気付かなかった!!びっくりした!!
だってみんな渋いイケメンだったんだもん!わかんねぇわ!吹き替えもずっと一緒だったし!
こんな感じだ!別に悪意があるわけでも人間に興味がないわけでもないぜ!
ただホントに覚えられないんだ!マジで!自分でもびっくりする!
お前らの周りにも「えっちょっとこいつ大丈夫?」ってくらい人の顔を覚えられない奴がいるかもしれない!
そんな奴ももしかしたらこういう相貌失認だったりするかもとか思って生暖かく見守ってやってくれ!
ムカついたら執拗に名前を名乗ってやってくれ!頑張って覚える!
以上!新しいバイト探しに戻るぜ!!
【追記】
オッスオラ相貌失認!バイト先に制服返しに行って昼寝して起きたらブクマとか俺史上最高でビビってるぜ!
とりあえずトラックバックにあった相貌失認のテストをやってみたけど英語の時点で大分心折れそうになった!
お好み焼き喰いながら適当にやったら38点だったけど本気出せば俺はもっと上に行けると信じてる!
つうかこれ本当に健常者でも80%とかいけんのか?!無理じゃねぇ?!
あとトラックバックのお前!お前!
突然の劣っている発言は止めろ!自覚はあるしお前の言いたいことも分かるがぱっと見の文面で動揺する!
俺相手だから良いが下手な障害者相手だとめっちゃ怒られたり後引かれたりする奴だぞそれ!気をつけろ!
あと方向音痴は俺もそうだ!何か行きと帰りで同じ道だと認識できない!困るよな!
あとブクマコメで大変そうだとかしんどそうだとか言われてるがぶっちゃけ言う程大変でもないししんどくもない!
生まれつきこうだったから特に変わったことをしてるとも思ってなかった!
きちんと覚えられたら便利だろうなとは思うが特別辛いとは思わん!すまん嘘だ!バイト首になったのはつらい!
ちなみに「何で接客業を選んだのか」って言うのは時給だ時給!
いわせんな恥ずかしい!ジャイロキャノピー欲しいんだよ!
向いてないとかめちゃくちゃ言われてるが別に顔が覚えられんからって相手の話が分からない訳でも声が出ない訳でもないから会話が出来んって訳じゃねぇぞ!
俺自身は人と話すの嫌いじゃないんでその場限りだけで客を接する仕事は結構好きなんだ!心配してくれてありがとうな!
ただ客と何度も密接に関わるような接客は向いてないな!
以上!
流石に暫く接客業は懲りたのでとりあえず新しいバイトは暫く倉庫の軽作業だぜ!
待ってろ俺のジャイロキャノピー!
旧帝文系4年、内定はまだない。大企業の面接を自分なりに研究して8社受けて、全滅した。持ち駒が消えたので、あとは手当たり次第中小企業を受けていくしかない。旧帝だから中小のどこかは取ってくれるだろうが、俺の勝ち組になるという人生設計は終わった。
面接に落ちたのは、俺が非コミュだからだ。組織で動く会社は、コミュニケーションが取れる人を求めるのだ。
大学生活を通じて、友達は一人しかできなかった。サークルなどは5つくらいやりいい体験ができたが、人間関係に馴染むことはできなくて、どれも1年くらいでやめてしまった。
男子校の中高一貫の頃はまだ何人か友達がいて、その友達のうち7人くらいとはまだ付き合いがあるのだけれど、自分から壁を作るようになってしまったのだろうか、大学では人間関係が全然作れなかった。中高の友達は、皆大学でも友達ができているみたいなのに。
もちろん、「彼女いない歴=年齢」だ。大学に入った4月、同じ学科の女の子に一目惚れし、小学生のときにクラスの女の子に淡い好意を抱いて以来、TVや映画の女優以外の恋愛経験がなかった俺は、俺がこんなに好きなのだからその子と付き合えるものだと思い込み、だがとても可愛いその子は俺と笑って話をしてくれたものの恋愛的に相手にするわけがなくて、冬に告白したが当然振られ、でも諦めきれずしつこく付きまとい、その子のあの美しい、見ているだけで生きてきた中で最高の幸せを感じることができた笑顔を見ることができた関係性は崩れてしまった。
他の女の子とも、親しい関係は作れないまま、大学を卒業しようとしている。
あの大学に入った4月、あの子と付き合えるのだと夢をみた4月から振られる冬までの数ヶ月が、俺の人生のピークだった。外見がぱっとせず、非コミュで、年収も低い俺が、あの子のような可愛い女の子と付き合い、結婚することはできないだろう。それがわかってしまった今は、19歳の頃に抱いたような将来への希望はもう持てないのだ。私立中高から旧帝大に入ったときは、俺は当然勝ち組として大企業に入り高収入を得、可愛い奥さんをもらうのだと思っていた。それは儚い夢だったと、やっと今わかった。負け組は負けらしく、淡々と生きていくしかないのだ。
若い営業にまんまと乗せられ、
とうとう万策尽きた妻の両親が俺を頼って、
一緒に住みたいといっている。
親戚や友人に借りた金はご破算にできず返し続けている。
彼らの年金はその返済と仮住まいのボロアパート代2.5万に充てられ、
一方、我々は、中学受験を希望する小5と小2の子供がいる4人家族だ。
都心の職場まで30分圏、家賃14万の3LDKに住んでおり、小さい自動車を所有している。
決して贅沢はできないが、それなりに低空飛行を保ちながら生活をしている感じだ。
ジジババ2人がくると部屋が足りないので、同じ家賃でより部屋数を多くするためには
より郊外に引っ越すことになる。
弱体化していくことを考えると、一軒家か集合住宅なら1階のほうがいいし、
二人の生活費は、月7万かかっている塾習い事をやめれば何とかなるだろう。
もちろん中学受験は取りやめだ。
義両親は持ち家に住み、家の前に小さい土地を持っていた。
両親が亡くなった後、一人娘の妻が引き継ぎ、
それを売れば大学の費用分ぐらいにはなるだろうとあてにしていたのだかが
通勤時間が長くなるのはつらい。
なんてったって満員電車が嫌だから高い家賃をはらって会社の近く住んでいたのだから。
妻もようやく慣れてきたパートの仕事を辞め、新しく仕事を探すことになるだろう。
格差が拡大していく社会なだけに、中高一貫で比較的楽に上のラインに行ってもらおうと思っていたが、
世の中そううまくいかないようだ。
東大進学者数ランキング、この25年で、一気に『中高一貫私学』のプレゼンスが大きくなっている。
『中高一貫私学の受験指導スキルの向上に、公立高校がついていけなくなってるから』
の解説。
今では『桜蔭⇒東大』、或は『渋谷学園幕張⇒東大』『豊島岡⇒東大』という選択肢程度しか限られてしまっている
※所謂女子御三家の中でも、『雙葉』とか『女子学院』の東大進学者数って、実は大したことない。
そして、女子の私立一貫校は、渋谷幕張を除けば、全て東京都心に立地が集中しすぎている。
なので、多摩とか神奈川とか埼玉の『できる女子』は、1時間以上の通学で、桜蔭等に行くしかないのだが、
『ワンランクは落ちるが、通学時間が短くて安心できる女子私学』に通わせるケースも多い。
また、関西地区・名古屋地区には、『そもそも、レベルの高い女子私学自体が、存在していない』
この結果、『通学圏に、レベルの高い私立女子があるエリアに居住している女子』は、
これが男子だと、桜蔭・豊島岡レベルの男子私立は、都心以外の神奈川・埼玉・千葉・愛知・京都・奈良・兵庫・福岡・鹿児島と存在していて、
東大に代表されるような難関校進学に対する、男女の『性差』というのは、実はこの『中高一貫校の偏在』に起因する部分も、大きいのではないか?
日本の政界とか、官界とか経済界とか、医学界とか法曹界とか、で、
という目標を達成するには、
高校名重視とか大学名重視とか、そういう感覚ではなしに、伝統ある高校のほうが、なんとなく行きたいわけよ
大学だってさ、東大に行っても東北大に行っても同じ会社の同じ部署に勤務、とかは普通にあるじゃん
でも、将来になんら関わらない結果になるとしても、どっちの大学でも行けるなら東大に行きたいじゃない
高校だって同じで、県内二番手と県内一番手だと、一番手の方がなぜか行きたいって思うわけ
現実的な話でも、一番手のほうが偏差値も高いし進学実績も高いわけ
残念ながら県内二番手は中高一貫になったところで、県内の序列が覆らないわけだ
しかし、自分が県内一番手の高校に行ったって東大に行けずに地元の国立大に行くことになるかもしれないし、
だから、中学高校のシステムとか、高校名重視とか大学名重視とか、そんな話じゃないのよ
京大がどれだけいい研究して iPS で世界をリードしても、日本一の大学は東大じゃなくてもはや京大だな!とはならないわけ
それと同じく、地方の県庁所在地政令指定都市であっても、県内一番手の高校はいつだって一番だし行けるなら行きたい高校なわけ
だから県内二番手高校の中高一貫と、一貫じゃない県内一番手の高校だと、「今なら10万円あげます、三年後なら100万円あげます。どっちを選ぶ?」と言われてる感じだ
関西関東に行った人たちが戻って就職して初めて、地元でいろいろな大学名語れるようになるじゃない
それもいろいろよ
俺の前住んでた田舎地区は、地元一番の公立高校に一貫の中学ができたので、そりゃそこが人気だったようだ
しかし田舎なので、地元一番と言ったって大したことない高校だったし、かろうじてまともと言える高校はそこ一択だった
でも一応、学校でトップならその地方の旧帝大は入れるくらいだった
今住んでるところは、県二番手の名門公立高校が一貫の中学を作ったけど、どうしたって県一番手の名門公立高校は超えれてないね
地元の公立中学から、県一番手の高校を狙うのが本当のエリートコース
もっと言えば、その高校に入りやすい文教地区の公立中学は人気で、わざわざ引っ越してくる家庭も多いらしい
中高一貫の公立中学に受験させるのは、どっちかと言えば妥協に近くなる
街によっていろいろなんだぜ!
公立至上主義な地方だけど公立中高一貫ってのが出て来たから教育熱心な家庭の優秀な子はそこ受験するよ。
公立中高一貫>>>>>>>国立中>評判の良い学区の公立中>私立中高一貫、って感じ。
高校は私立=公立に落ちた子が行く所扱いだから、私立中高一貫だと付属高校上がっても高校のレベル低いし
だったら評判良い公立中行ってトップ公立高校狙った方が良い、と言う考えの親が多い。その為にわざわざ引っ越したり、越境入学するのもいるらしい。
でもトップ公立中高一貫も女子生徒の方が多いそうで、今時は女子の方が優秀(或いは女子の方が親が教育熱心)ってのは本当なんだなあと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150404214436
の元増田だが、
『経済的理由で、地方の優秀層は、東大(というより東京)の行きたがらない』
とか
だから
『地方の優秀層が、東大より地元医学部を選んでいる』のでは?との反論を多数いただいた。
そういう側面『も』あることは否定しないが、そういう理由よりも
『首都圏中高一貫校の受験対策のスマート度が、地方トップ公立高校の受験対策を、はるかに凌駕している』
という要因『の方が』結構大きいと思う。
自分が東大に入った28年前と比較して、首都圏の中高一貫校の『充実度』は、相当加速していると感じる。
以前なんか聞いたことなかったような『渋谷学園幕張』とか『豊島岡』とか、東大常連校に仲間入りしている。
一方で、自分らの頃は、結構『熊本高校』とか『札幌北高校』とか、地方の名門公立から東大理1に来ていた人と
友人になってたりしていたが、最近はこれらの高校の東大進学数も、相当減った、と聞いている。
『東大に「行かない」のか?「行けない」のか?』と水掛論を戦わすよりは、
『この30年間の、首都圏中高一貫校と、地方トップ校の、駿台模試の偏差値推移』という客観データで検証した方がいいのでは?と思う。
あと、
『理1理2より、国立大の医学部の方が高偏差値でしょ?』な意見もあるが、
そして、『首都圏の中高一貫校から、地方の医学部へ行く人も結構多い』ということも言っておく
『日能研』が、
『過去30年間を比較すると、確実に首都圏中高一貫校のレベルが上がり、地方のトップ公立のレベルが下がってます』
『難関校への対策スキルが、首都圏中高一貫校はどんどん進化しているのに対し、地方トップ公立校では変化してません』
『その結果、東大ランキングはこの30年で様変わりしました。今や東大へは、首都圏中高一貫でないと、事実上入れません』
という調子で、保護者説明会で散々『中高一貫の躍進をアピール』していたりする。
100%日能研の主張が正しいとも思えないが、ある程度は当たっていると思われる。
滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしのアパートに引きこもっていた。
親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。
仮面浪人して慶応って中高一貫の進学校の連中からはバカにされるのだろうけど、
田舎の公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。
2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。
もう10年も前の話になるのに、転職の面接でも中退の理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。
親がにくい。
そんなわけがない。
悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、
スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。
滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしのアパートに引きこもっていた。
親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。
仮面浪人して慶応って中高一貫の進学校の連中からはバカにされるのだろうけど、
田舎の公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。
2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。
もう10年も前の話になるのに、転職の面接でも中退の理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。
親がにくい。
そんなわけがない。
悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、
スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。
会社勤めを始めて4年目の冬、今日どうしても辛くなり、今まで初めて会社を病欠した。
連休と連結したりとかで有給は使ったことがあるが、今日みたいに病欠するのは初めてだった。
朝起きた時、体は元気だった。
ふと、自分が休んでもいい状況か、何かこうなった原因があるのかが気になり、Evernoteにメモしているタスクリストを眺めてみた。タスク的には休んでも影響が無かった。やることでイライラすることが多く、並んでいるタスクは数は多いが、1つ1つのタスクの難易度自体は重くはなかった。
簡単に言うと「すこし頑張ればこなせるもの」だった。
これまでも、鼻風邪をひいたり頭痛とか腹痛で遅刻したことはあったものの、会社には行っていた。それで効率は多少落ちるものの、仕事は問題なくこなしていた。
「辛い」「会社に行きたくない」「毎日苦痛だ」「辛い」「休みたい」「プログラマ特有の面白いと思ってやってるクソみたいなジョークとか聞きたくもない」「行きたくない」「何も考えたくない」「辛い」「会話ができない人を相手にするのはもううんざりだ」「vimなんかもう見たくない、とか増田に書いたらどうせ『じゃあemacsにしよう』とかいう意味のわからないコメントがつくんだろうな、みんな死ね」「苦しい」「苦痛だ」「みんな死ね」「毎日辛い」「悲しい」「会社のメールボックスなんか見たくない」「もう嫌だ」と、労働を拒否していた。
「心の底から本当に辛いし、逃げ出したい」という感情がここ数週間前から最近芽生えていた。
大学受験以来忘れていた感情だった。そして、その感情は当たり前で、甘えであるとして蓋をして向き合わず愚痴を言いつつも黙々と仕事していた。
でも、ここまでいっていても休む勇気が無かった。
どの程度で休んでもいいのか明確な基準がなく、サボるのが怖かった。熱があればもちろんそれは別だが、体は元気なのだ。タスク自体はできないものじゃないし、もしかしたら月曜だから単にベッドから出たくないだけかもしれない。
そう、この気持ちを掘り下げるとただ1つ、ただ「行きたくない」だけなのだ。
毎日毎日、仕事は辛いと感じている。だが仕事は死ぬほど辛いからお金がもらえるし、その金で土日に美味いもの食ったりできるわけだ。
大学時代に学んだ労働経済学でも労働は苦役だと教わったし、実際に大半の日本の会社員もそう考えていると思う。
だから辛くて当たり前だし、辛いから休むのは甘えだと思って休めなかった。
でもそれはなかなか無いし、ある人にとっては仕事は楽しいし好きなことでお金がもらえて嬉しいとしても、同じ仕事をしている別の人はそうではないことは多いし、だいたいそういう時は「仕事が好きな人」はそうではない人に「仕事は楽しい」ことを前提に話をしてくる。
身体は元気、仕事はきつくはない。だから休むべきじゃないし、無理にでも起き上がって着替えて電車に乗るだけで全てが進むはず、難しい話ではない。
でもなぜか本当に辛かった。
思えば今まで病欠したことがなかった。中学生や高校生(中高一貫だった)のときは6年間壮絶ないじめに遭い、鬱病になりながらも実は休んだことが無かった。もちろん休むべきだった。
中1のとき「6ヵ年皆勤賞とるぞ!」と意気込んでいたのでそれを曲げる勇気が無かったのと、休んだことで皆勤賞が無くなるのが怖かったのだ。
結果、6ヵ年皆勤賞は取れたが、その時は精神的にボロボロで失ったものは大きく、今も生きる上で大きく足を引っ張っている要素になっている。
子供の時は病気以外で休んだことが無いし、今も年末年始や夏休み、インフルエンザとかそういった「休め!」と強制されるもの以外で、自分の判断で休んだ経験が無い。
だから今でもどれぐらいのレベルから休むべきかがわからなかった。
仕事自体も、辛いという事に対して誰も理解してくれなかった。一番身近な相談相手であるはずの同期は全員が意識が高く、好きでこの仕事をやっているという感じだった。その中で「仕事だから仕方なくやっている」という大変低いモチベーションでやっている自分には、辛いという感情自体が許されなかったのだ。
「仕事が辛い、辛くてたまらない」ということを同期に漏らしたら
「それはお前のワクワク度が足りないんだ」というアドバイスを貰った。正直意味がわからなかった。自分の意識が低いのが一番悪いのは知っている。だが、それ以前に同期に仕事の悩みを相談するのは間違っていた。
そんなこんなで、休もうと思ってもなかなか踏ん切りがつかないので、休む根拠や休んでも問題ない保証が欲しくなった。さっきも書いたが、タスクリストを見ると、今日休んでも明日十分巻き返しが効くレベルだった。
東京都のこのページ(http://www.kenkou-hataraku.metro.tokyo.jp/mental/self_care/check.html)を見て自己診断してみたらその1は36点、その2は9点。総合判定は7だった。一番悪い奴だ。そういえば常にイライラしているし、最近はよくモノに当たるし、どうでもいいことで松屋の店員にクレームをつけて怒鳴っている。
色々休むための根拠や自信をつけるためにやっていて、気がついたら、目を閉じ勇気を振り絞って体調不良で会社に休むメールの送信ボタンを「うりゃー!」と言いながら押していた。
見事会社を休んだ瞬間、それまでの重くのしかかっていた気持ちがふっと一点の曇も無く晴れ上がって、ベッドから出た瞬間清々しい気持ちになった。
「こんなんだったら休まないほうがよかったのでは…」と罪悪感を感じた。でも多分休んだから気が楽になって元気になったんだろう。
ふと外を見たら、綺麗に冬空が晴れていた。
久々に心の底から綺麗な気持ちで
「ああ、空が綺麗だ」と感じ、それを実際に声に出した。
「うわー空が綺麗!」という感情や表現は、フィクションの中だけの現象だと思っていた。空を見て綺麗だと思う余裕が、子供時代以来に久々に生まれていた。どうやら、物質的なものや、性的なもの以外で気持ちよさを感じる事は、フィクションの世界だけの現象じゃなかったらしい。
その後は、一日じゅうラーメンズの動画を見たり、平日しかやってないようなテレビ番組を見ていた。
そんなことをしながら夜(ちょうど今ごろ)になると、
「明日から仕事がんばるぞ!」という、なんだか根拠のないやる気が数年ぶりに湧いてきていた。そう考えることってあるんだな、と思った。
結論としては、休んでよかった。多分休まずいつものように会社に行ってたら、今頃は耐えきれず1人トイレで泣いていた。
熱があろうがなかろうが、辛い時は勇気を出して休むべきだ。
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その後
なんかいつの間にかホットエントリー入りしてたので、その後の報告も兼ねて追記。
昨日は↑みたいな感じで休んだけど、今日起きたら「あー会社いやだなー」とは思った。
でも、今までの「嫌だ」は
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ仕事辛い仕事辛い仕事辛い仕事辛い」って感じだったけど、
今日は「あーめんどくせー」って感じだった。
「辛い」が「めんどくさい」に変わった。
普通(?)になったのでよかった。これは大きい。
皆様のブコメは1件ずつ読みました。今後は辛い時はスパッと休んで、無理せず仕事頑張ります。
あと、「松屋の店員がかわいそうだろ」っていうコメントがちらほら見られますが、自分も全く同感です。
ただただ申し訳ないし、以来自分の人間の小ささを痛感してます。自己嫌悪しかない。
あとは「根本的な部分を治さなければまた再発するのでは」というコメントもいただきました。その考えは昨日休んでハイになった時に完全に抜けてました。とりあえず、会社内、あるいは社外に「何でも相談できる人」を見つける所から始めようと思います。
色々書きましたが、自分がここで言いたかったのは「大人はサボってもいい」ということに気がつくまで本当に大変だったけど、実際休むのは本当に簡単でメリットがありまくりだったので、同じように悩んでる人は一緒にサボろうぜ!ということでした。
ひとつ嫌になると何もかも嫌になる僕はまた家から出られなくなった。
4限の授業はおそらく中間テストがあるので行かなきゃまずいなあと思いながらこれを書く。
大学生になった今、中学高校を思い返しては「あのときああしていれば」「ああするんじゃなかった」と思っている。
思い返せば、高校生の頃は「中学の時ああしていれば」中学生の時は「小学生の時ああしていれば」と思っていた。
そんな考えは何も生み出さないことはよーくわかっている。
だけど、そう考えずにはいられないんだ、いつも、なぜか。
毎日30分くらい弾いていた。嫌いなわけではなかったけど特別好きなわけでもなかった。
たぶん親にやるように言われていたからやっていたんだと思う。
中学生の部活で、オーケストラ部に入った。そこでバイオリンを始めた。
オーケストラ部の中には、ピアノが上手い人がたくさんいた。自分なんてヘボだった。
それまで近所や自分の出身の小さな小学校の中では多少うまい自信はあったけど、そんなの比べ物にならなかった。
聞けば毎日2時間とか練習していたらしい。絶対音感もある。和声やなんちゃらもよく知っている子ばっかりだった。
好きで、楽しくってやっている感じだった。
でもそのとき僕はそんなことには気がつかなかった。
そのとき僕は「小学生の時もっと真面目にピアノを練習していたらなあ」と思った。
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」と思った。
それからオーケストラ部で5年間(中高一貫だったのだ)バイオリンを弾いた。
大学オケの中ではそこそこの伝統がある方からなのか、(アマオケなんでたかが知れているが)レベルが高い良い環境なオケだ。
中高では比べ物にならないくらい、すごい人がいた。ほんとに学力でこの大学に来たの?と思うくらいの人が普通に居る。
自分は13歳の頃から部活でこのバイオリンを弾き始めたけど、高校始めとか、大学はじめの3年生のとかの方がよっぽどうまかった。
そう、お察しのとおりここでもまた僕は思ってしまったんだ。
「中高生の時もっと真面目にバイオリンの練習をすれば良かった」
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」
「あの5年間もっと真面目に取り組めば良かった」
自分のために言い訳するならば、確かにこの5年間も真面目に練習していたわけではなかった(と思う)
オーケストラ部は小さなゆるい部活で、はじめの1年こそ先輩に時々見てもらえたものの後はただ個人で練習して合奏をして発表をしていた。
大半の部員は部活より趣味やらほかの習い事と両立したくてこの部活に入っているようなもんだったから、切磋琢磨する雰囲気なんて、正直なかった。サボりたいやつは勝手にサボり、練習中もお話している方が楽しかった。
だけど、たしかに友達の中にはぐんぐん上手くなったやつもいた。上手くなりたいやつはレッスンに通ったり地元のジュニアオーケストラに入ったり、独学で上手くなっている奴もいた。
僕はたしかにバイオリンの練習をするのは好きで、部活にも真面目に参加していた方ではあったと思う。
でも、そういう積極的な人たちを「すごいなあよくやるなあ」と思いながら何もしなかった。
…なにか矛盾している気はするけど、自分はそういうスタンスだった。
僕は、そういうぬるい環境の中で生きていた今までとは違い、真面目に練習したくてこの大学オケに入ったのだ。
実際入部してからもう半年以上経ったわけだけど、それなりに真面目にやってきたのだ。
だけど、練習するにつれ、他人とのレベルの差に嫌気がさしてくる。
そのたびに思うんだ。「中高のときに真面目に練習していれば」って。
過去を考えてもしょうがない。いまできないから、できるようになるために、練習するのにね。そんなことは分かっている。
だけど、どうも、そんなうまくいかないのだ。
そうしていま家に引きこもっている。
タイトルは広く付けちゃったけど、書くにつれ音楽の話に偏ってしまった。いま自分の心を占めている話題がこれだからだろう。
だけどこの話題に限らず、僕はどうも「ああしていれば」と考えてしまいがちのようだ。
今うまくいかない原因を、全部過去のせいにして、逃げている。
だから僕はいつも自分の過去を肯定して生きることができない。どうりで生き辛いわけだ。
…音楽に関していば、もっと楽しむということをしたほうがいいんだろうけど、どうやったら楽しめるのか全然わかんないんだよな。
まあ、単に、向いていないのかもしれない。
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
大学中退で職歴無しで世間知らずの私が初めてアルバイトをしてみた話。
・どれくらい世間知らずであるかについて(ここから読みとばし推奨)
小1までは呉に住んでた。近くに住んでた女の子と毎日一緒に学校に行ってたと思う。
小2の時は大阪市に引っ越し。転入生は私以外に2人いて一人は中国から来た女の子で、もう一人はアメリカから来た男の子。
この女の子はおんぶしてもらったりとかしてもらったことがあったけど周りの大阪の子は男女がおかしい!みたいな目をしてたと思うけど当時の私は、なにがおかしいのかなぁって感じていたと思う。
またこの男の子の方は私と一番仲良くなった人であったが、その後中学受験塾の公開テスト総合1位を連発してN中トップ合格している。
彼の存在は小学生の私の中では比較する対象としてすごく存在感のあった存在であったと思う。
小3でも無駄に大阪市内で転校した。当時も少子化が言われる中であったが3番目の小学校は1学年156人いた。
私は中学受験塾に通うようになって、塾で算数は1位で国語はビリをくりかえした。
その小学校からは大阪星光に合格した人が8人いて(うち4人が進学)東大寺に3人が合格してて他は省略。公立の小学校から3人以上が同じ私立の中高一貫に行くのはうちの小学校だけかと思う(すごくどうでもいい話をした)
中学デビューとか無理だよって話にしようかと思ったけど元々中学受験で一緒だった人が大量にいるので関係なかった。
その後いろいろあって、中学で学年ビリで追い出されて高校を受験して兵庫の高校。
兵庫の高校で学年ビリのまま3年で追い出されて、1年間の空白の後に東京の工業大学入ったけどそのまま学年ビリを6年続けてやっと中退した。
大学を卒業して、いい環境で育ったんだねと思われるのだけは嫌だしそんなの耐えられないので、すごくめでたいと思っています。
大学進学率は知識としては100%ではないことくらい知っていますが、自分の周りだけで言えば100%なので、大卒ではないという世界を全く知らない。
親は医師であり、親子関係は死んでいるが経済的な繋がりだけはあって、スーツ等も含め、私は未だに自分で服を買ったことがない。
私が初めてはてなダイアリーを見てたのは同世代の情報オリンピックに出てた麻布の人とかの日記でした。
学歴が全く関係のないアルバイトとは一生無縁の人も世の中には存在するわけで、経済的環境だけで言えばそういう環境にいた。
でも、親ではなくてお手伝いさんとかに育てられる方がまだましだと思う。
親は子どもと全くコミュニケーションできていないのに、親はそう思ってない状態が一番子供を苦しめるのだ。
ずっと親を殺すか殺さないかの状態だった私の中学時代はなんだったのか。
理不尽な扱いを受け、涙まみれにしたチラシの裏紙は何枚生産しただろうか……。
たまたま殺さなかっただけなのに。東大寺の子は親を殺したけど、私はたまたま殺さなかったってだけの未来なのだ。マンションだし。
(読みとばしここまで)
私は親との会話が死んでいると思っているけど、親はそうは思っていないので、そういう。
会話は相手の認識を信用できないと成り立たないのだけど、一切認識が信用できない関係である。認識が違うのがつらい。住んでる世界も言語も違う
私であれば私に投資するのであれば小学生の時から呼吸つらいって体が言ってるので病院につれていくけど、
困ったことに中学生の時に私が殺したいと思ってた親は医者なのだ。面白い。
親がなんでそれで満足できるのか全く理解できないけど、親が満足なのであれば子供としては親の満足に従うように体ができてるというか。
私も小学生に算数教えたいだとかは言ってはいるが、だいたい否定されるので(絶対やりたいわけでもないしそれ以上は言わない)
(また増田に何度か書いたものは親に送ったメールなのだけど、何が言いたいの?って反応しか得られないので信じられない)
(自分が親だったら子供が考えてることを知りたいと思うのだけど、なんで全く興味がないの?信じられない。ただそれだけなのだけど。)
(子供なんて親のおもちゃなんでしょ。大学卒業したらそれで満足だったんでしょ。私がずっと親を殺したいと思ってたことくらい知ってるでしょ?なんで親はまだ生きていられるの?)
よく新聞とかに入ってる求人情報誌から適当に選ぶ。別にどれでもいいよ。どれでもいいでしょ。
・面接
学歴不問であったし、奴隷ロボットのように働きますという振る舞いをすれば落とす理由がないよね。
応募した時間帯は昼~夜であったが、深夜で間違いありませんか、と聞いてきたのでそこだけは否定した(ちゃんと否定できるかを見たかったのだと解釈している)
あとははいはいはいはいって言うだけだった。志望理由も、働く必要があるため、程度にした。そんなにアピールする必要もないであろう。
不採用にした方がお互いにとって幸せだったと思うし、採用は誰も幸せにならないようにも思うけど。
最後に軽いテストがあって、紙に数字がバラバラに印刷されていて、1から順番に○をつけていって制限時間以内にどれだけできるか、で著しく適性のない人を落とす理由にするためのものであると思うが、数字の数はそんなに多くなくて、順番無視して全部○をつけようかなとも思ったりはしたけど、全部○ついてたところで特に誰も幸せにならないのでふつうにやった。
(私から面接官の手元が見えないように机の上についたてがあったので、面接官からも私の手元は見えない)
・研修
業務上横領、郵便法違反等の犯罪をしたら一生後悔しますよとかのビデオを長々と見させられたりする。
4時間やってて4時間後にテストやって丸付け。問題文読めば○つけて下さいか×をつけて下さいってはじめから書いてあるようなやつ。
信書の秘密は退社後もだけど「これひっかかったひといるでしょ」→ひっかかるとかいうレベルじゃないと思うのだけど、なんで手を挙げている人が複数人いたのか全く理解したくない。
自分は最前列に座りながらも寝不足でずっとあくび連発しててあまり後ろ覚えてないけど。
解釈はするもので、テストとかいう問題作成者とのコミュニケーションに慣れているか慣れていないかの環境の違いだと思うけども。
・仕事を通して思ったこと。
まず所属はゆうパック。私個人に関して言えば使ったことがないのだけど、全国にある郵便局で30キロ以下の荷物が集められる。小さな郵便局で集まられたものは大きなところに集めて、そこで100通りくらいに区分して全国に配る。一番大きなハブは新東京郵便局と新大阪郵便局で、全国に飛ばすのは100通りくらいあって、もちろん東京にも大阪にもその地域に配るものもあって。
人間が犯罪を犯すかは確率で、人それぞれ固有の状態にある。その視点で研修は行われる。
防げない人は防げないが、防げる可能性のある人は防ぐのが狙いなのである。
私自身は研修は暇であるわけだが、会社が作り上げてきた儀式の意義は積極的に賛成である。
誤送を防ぐためにいちいちハンコを押している。基本的に目に入る物すべてに対して、それまでの歴史は分かるのである。
ただ私に関して言えばハンコ押すのは時間と体力の無駄使いである。
私は完璧主義者であり、完璧主義者というのはだいたいミスを極端に嫌がり慎重で丁寧にしか作業ができないので。
区分機にかけることができる荷物と区分機にかけられない荷物があったりする。
区分機によって分けられ、専用シュートにたまった荷物の場合、シュートの中で荷物の軽い整理をして、
シュートからロールパレットに美しく積み込む人と別々の二人用意した方が早そう。
というか、人間があって方法論があるわけで、方法論があってから人間があるわけではないアレでして
センスのないであろう人間の集まりの方法論だなぁとは思うのであるが、無駄が多いと言うか
何を効率的だと思うかが人によって違う。
もし自分が分身したとしたらこうやるし、もし自分が奴隷を雇うならこうやるし、というのがそれぞれの人の頭の中にあって。
忙しそうにすることが正義なのではない。無駄で美しくないことはしたくないのだ。
専用シュートからロールパレットに直接荷物を積み込めおじさんもいたけど、どんな種類の荷物が何個来るのかとかわかんないし、ロールパレットに積んでから美しく整理し直す方が美しくないでしょ。美しくない人間嫌い。
そしてこんなの人間のやる仕事じゃないのだ。将来的にロボットがすべてやるであろう。
なんでこんな仕事をわざわざしようと思ったのかそこにいる人たち全員に聞いて回ってやりたい
投げやりになったので後でまたもう一回書きなおそう。
正直、日本のぬるい中学お受験競争なんて、それなりの塾代を払える親なら十分に勝機がある。それは筑駒でも桜蔭でも変わらない。
それをエリートと言うならエリートなのかも知れんが、東京で言うなら上位3割程度は軽く含まれるし、子どもの才能に+αがあれば5割の人は戦える。
結局、半分くらいの社会階層から選ばれた人が平均的な美貌を持ってるだけでしかない。
『偏差値の低い学校ほど、美人は多い。』はサンプル少ないが故の誤解だ。
こちらだって全員調べていけば『1割は根っからの美人がいて、1~2割ほど磨けば美人かもしれない(結局磨かない場合も多い)ぐらいだ。つまり磨いてもどうにもならないブスが大半だ。』となる。
まあ、こっちは磨く人が多くて2~3割ほど美人、残りブス、となるかもしれんが。
桜蔭、雙葉、女子学院など、東京都心のトップクラスの中高一貫女子校に通う生徒の親は、大抵がエリートでお金持ちだ。それはそうだ。高い学費を払うだけの経済力と、娘の頭が日本最高レベルに良いこと、この2つが揃っていないと通えないからだ。結果として、医者、官僚、法曹、経営者、外資系企業勤めなど、高スペックの持ち主ばかりになる。高スペックの持ち主は美人を嫁にする。そんなことはない!顔よりも頭の良さや性格をとるはずだ!などと叫び出すポジティブ馬鹿がいるかもしれないが、美人は馬鹿ばかりではないし、性格も良い場合が多い。頭も良くて性格もいい美人を選ぶことは高スペックにはたやすいことだ。
もし高スペックにイケメンとブサイクが半々ずついたとしよう(実際は高スペックは顔も良い場合が多い)。その8割が美人と結婚し、両方美しい場合は子も美人、片方美しい場合は子も半分の確率で美人、ブサイクならブサイクとする。
親が高スペックイケメンの場合は、50×0.8+50×0.2×0.5=45% 結果45/50の確率で美人が生まれる。
親が高スペックブサイクの場合は、50×0.8×0.5=20% 結果として20/50の確率で美人が生まれる。(野球選手などを見るとわかるが、実際は嫁が美人だとゴリラでも美人が生まれる確率は高い。)
つまり、最低でも65%以上の確率で美人の娘が生まれることになる。ここから、=トップ女子校の生徒は65%以上の確率で美人だ、という結果が導きだせる。すごいぞ。お嬢様学校の名に恥じない美人っぷりだ。こんな高スペック美人達に足蹴にされたいと感じる男は全くもって正しい。ああ、輝かしい青春の日々よ、麗しの華の女子校よ、青々と繁る美人たちよ、、、
現実はブスばかりだ。同じく都心の男子校に通っていた者ならわかると思うが、頭の良い女子校ほどブスが多いのは間違いないことだ。この現実を知らないものが、「いやいやいや化粧とかしてないからそう見えるだけで、磨けば美人ばっかりでしょ」とか知った口を聞くかもしれないが、そんなことはなくブスばっかりだ。正確には1割は根っからの美人がいて、1~2割ほど磨けば美人かもしれない(結局磨かない場合も多い)ぐらいだ。つまり磨いてもどうにもならないブスが大半だ。そして偏差値の低い学校ほど、美人は多い。なぜだか分からないが、実際はそうなのだ。あの当時、僕の股間は間違いなく反応していた。
「馬鹿校は皆容姿を磨くことしか考えてない馬鹿。しかも元はブス」
「女子校は容姿を磨く気がないだけ。磨けば皆美人。しかも多趣味」
そうミスリードさせようとするアナタは性格までブスだよ!ブスは磨いても光らない。ブスはブスのままよく磨かれたブスになるだけ。それに、もし仮にブスが磨かれると美人に進化するとしても、磨かなければブスのまま。ブスのまま人生を終えたらつまりブス。やーいやーい、ブスやーい!
p.s.ていうか、「高スペックの子が美人とは限らない、不思議だな」が主旨なのに、なんでみんなそんなにプンスカしてるの。トップ女子校にも2〜3割美人がいるって書いてるし。それで十分じゃん。トップ女子校は磨けば全員美人!万歳!って書かないと満足しないの?恐ろしい、恐ろしい。
id:qiaffle ほぼ全ての前提がおかしいが、仮にそれらを全て認めても 45% + 20% = 65% とする論理が根本的に間違ってる。イケメン親だけ集めても5割超えないのにブサイク親を合わせると美人率が上がるだなんて驚きのクソ理論だね。
なんか馬鹿が1人いるから説明してあげるが、高スペックが100人いて、その内訳をイケ50人ブサ50人とする。で、高スペックの8割が美人と結婚し、2割がブスと結婚する。イケ×美人の子は100%美人、ブサ×美人もしくはイケ×ブスの子は50%で美人、ブサ×ブスの子はブスとする。ここまでが仮定。次から計算。
イケ50人のうち40人が美人と結婚し、10人がブスと結婚する。そうすると、生まれる美人は40人+5人で45人。
ブサ50人のうち40人が美人と結婚し、10人がブスと結婚する。そうすると、生まれる美人は20人。