ひとつ嫌になると何もかも嫌になる僕はまた家から出られなくなった。
4限の授業はおそらく中間テストがあるので行かなきゃまずいなあと思いながらこれを書く。
大学生になった今、中学高校を思い返しては「あのときああしていれば」「ああするんじゃなかった」と思っている。
思い返せば、高校生の頃は「中学の時ああしていれば」中学生の時は「小学生の時ああしていれば」と思っていた。
そんな考えは何も生み出さないことはよーくわかっている。
だけど、そう考えずにはいられないんだ、いつも、なぜか。
毎日30分くらい弾いていた。嫌いなわけではなかったけど特別好きなわけでもなかった。
たぶん親にやるように言われていたからやっていたんだと思う。
中学生の部活で、オーケストラ部に入った。そこでバイオリンを始めた。
オーケストラ部の中には、ピアノが上手い人がたくさんいた。自分なんてヘボだった。
それまで近所や自分の出身の小さな小学校の中では多少うまい自信はあったけど、そんなの比べ物にならなかった。
聞けば毎日2時間とか練習していたらしい。絶対音感もある。和声やなんちゃらもよく知っている子ばっかりだった。
好きで、楽しくってやっている感じだった。
でもそのとき僕はそんなことには気がつかなかった。
そのとき僕は「小学生の時もっと真面目にピアノを練習していたらなあ」と思った。
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」と思った。
それからオーケストラ部で5年間(中高一貫だったのだ)バイオリンを弾いた。
大学オケの中ではそこそこの伝統がある方からなのか、(アマオケなんでたかが知れているが)レベルが高い良い環境なオケだ。
中高では比べ物にならないくらい、すごい人がいた。ほんとに学力でこの大学に来たの?と思うくらいの人が普通に居る。
自分は13歳の頃から部活でこのバイオリンを弾き始めたけど、高校始めとか、大学はじめの3年生のとかの方がよっぽどうまかった。
そう、お察しのとおりここでもまた僕は思ってしまったんだ。
「中高生の時もっと真面目にバイオリンの練習をすれば良かった」
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」
「あの5年間もっと真面目に取り組めば良かった」
自分のために言い訳するならば、確かにこの5年間も真面目に練習していたわけではなかった(と思う)
オーケストラ部は小さなゆるい部活で、はじめの1年こそ先輩に時々見てもらえたものの後はただ個人で練習して合奏をして発表をしていた。
大半の部員は部活より趣味やらほかの習い事と両立したくてこの部活に入っているようなもんだったから、切磋琢磨する雰囲気なんて、正直なかった。サボりたいやつは勝手にサボり、練習中もお話している方が楽しかった。
だけど、たしかに友達の中にはぐんぐん上手くなったやつもいた。上手くなりたいやつはレッスンに通ったり地元のジュニアオーケストラに入ったり、独学で上手くなっている奴もいた。
僕はたしかにバイオリンの練習をするのは好きで、部活にも真面目に参加していた方ではあったと思う。
でも、そういう積極的な人たちを「すごいなあよくやるなあ」と思いながら何もしなかった。
…なにか矛盾している気はするけど、自分はそういうスタンスだった。
僕は、そういうぬるい環境の中で生きていた今までとは違い、真面目に練習したくてこの大学オケに入ったのだ。
実際入部してからもう半年以上経ったわけだけど、それなりに真面目にやってきたのだ。
だけど、練習するにつれ、他人とのレベルの差に嫌気がさしてくる。
そのたびに思うんだ。「中高のときに真面目に練習していれば」って。
過去を考えてもしょうがない。いまできないから、できるようになるために、練習するのにね。そんなことは分かっている。
だけど、どうも、そんなうまくいかないのだ。
そうしていま家に引きこもっている。
タイトルは広く付けちゃったけど、書くにつれ音楽の話に偏ってしまった。いま自分の心を占めている話題がこれだからだろう。
だけどこの話題に限らず、僕はどうも「ああしていれば」と考えてしまいがちのようだ。
今うまくいかない原因を、全部過去のせいにして、逃げている。
だから僕はいつも自分の過去を肯定して生きることができない。どうりで生き辛いわけだ。
…音楽に関していば、もっと楽しむということをしたほうがいいんだろうけど、どうやったら楽しめるのか全然わかんないんだよな。
まあ、単に、向いていないのかもしれない。
いくつはてブ稼げた?
プログラミングだけじゃなくピアノもやってたなんて結構多才だったんですね。