はてなキーワード: 中高一貫とは
東京に生まれて中高一貫・大卒と田舎高卒ってその時点で生きてる世界が違うよな。
東京のやつは「いまどき大学行かない奴とかいるの?」とか、マジで言ってるし。
俺の出身中学(田舎)で大学まで進学しているのは10パーセントくらいだし、田舎じゃ高卒デキ婚が当たり前。
でも、東京で生まれ育って就職してる人はそんな底辺の世界なんて想像できないし、逆もまたしかりなんだろな。
むしろ、田舎高卒は東京育ち大卒の世界を知らないで、ずっとその地元で生きて死ぬのが幸福なのかもしれん。
で、そのことを一番実感できるのは、田舎の底辺から東京の大学とか大企業とかに行った奴。
東京でのうのうと育って暮らしてるやつは、底辺を見て「自己責任」とかのたまう権利はないと思う。
東京という場所と、理解と経済力のある両親のおかげで、本人の努力はついでぐらいのものにとどめるべきだ。
田舎の底辺は単に運が悪かっただけ、生まれる場所が悪かっただけで、かわいそうなもんだとおもう。
そもそも田舎高卒は、自分が底辺ってことさえ知らないから、可哀そうというのはお門違いだけど。
自分は進学実績で名の通った高校の二年生だ。ここまで読んで「自慢か」と思う人がいるかもしれない。
だけど、一応私について書かせてほしい。
私が今の学校(中高一貫)に入学した時、親族にちやほやされた。
「将来は東大だね」とか「親族一の天才」とか言われて、正直うぬぼれていた。
で、私はこのころ周りを見下すようになっていた。
進学校へ行っている人はわかると思うが、入学していくらかは、学校の勉強をせずとも
受験知識でそこそこいい成績が取れる。学校の中でいい成績を取った私は、
同級生まで馬鹿にするようになった。私は勉強で手を抜くようになった。
学校の先生が「自分の力で勉強しなさい」と言う意味もわからずに、だ。
ちなみに私は中学の時は塾へ行かなかった。塾へ行くのを馬鹿にしていたからだ。
結果は言うまでもなく、悲惨だった。学校別の順位で、私は半分より下だった。
東大の判定は「D」だった。
勉強から目を背けようと部活に熱中した。気付いたら陰キャラになっていた。
ついこの間、私は塾へ行くことにしたが、
この間のセンター同日試験は900点中700点しか取れなかった。
同級生は750点とか800点とか取っているのに、
やっぱり同級生に追いつくことができない。
ふと立ち止まって、「なぜ東大を目指しているのか」考えてみた。
日本一だし、親が行けって言ってるし、同級生みんな目指しているし……
(ちなみにこのことを同級生に相談したら、「高卒で働け」と言われたorz)
それでもなぜか東大へ行きたいし、行かなきゃならないという気持ちが私の中にある。
多分「東大目指すのやめろ」と言われても目指してしまうと思う。
もうセンター試験まで一年を切ってしまった。東大の二次試験もあと400日くらいだ。
主要科目を固めて、副教科をやって……明らかに一年足りない。
http://anond.hatelabo.jp/20161215080543
今さらだけど、このエントリとおすすめに出てきた関連のいくつかを読んで愕然とした。
家族・親族に旧帝大卒はもちろん、東大卒も何人もいる家庭で育ちました。
おそらく、関連エントリーで描写されていた「高学歴の家の子」にあてはまるのではないかと思う。
正直に言って、関連エントリを読んだときの自分の気持ちは「悲しい」でした。
私は自分が勉強したことを知っているけど、決して頭がいいわけではないことも知っています。
高校受験のプレッシャーから解放された私は、中学後期から高校前期にかけてろくに勉強をしていませんでした。その結果、大学入試に本腰を入れて取り掛かる頃には散々たる模試の結果ばかりでした。
そして、数年のブランクをたった一年でとり戻せるような頭の持ち主でもなかった私は当然のように浪人しました。浪人中に必死に勉強したからなんとか今の大学に入れたわけです。
兄弟も同じです。そして、高校時代の友人も、大学に入ってできた友人も(努力しなかったから成績が悲惨だった時期があったのかはともかく)、大多数はものすごい努力をして成績を取ってきている。
私は高学歴の世界とやらに生まれた特別な人ではないし、優れた何かを持っているわけでもなく、ただ愚直に勉強しただけです。
高学歴の世界だなんて、そんなよくわからないものをいつのまにか背負っているのだとしたら、怖すぎる。
先日大好きな友達が結婚した。結婚式にも呼んでもらった。真っ白いウエディングドレスを着て、新郎と微笑み合う彼女はとてもきれいだった。その光景を見て私は涙がとまらなかった。
中高一貫のキリスト教の女子校で、地域で一番偏差値が高いということもあり、個性的な生徒が多かった。
彼女は、その中でもひときわ冗談を言うのが得意で、愛嬌があって、私はたちまち彼女の虜になった。彼女と同じ部活に入って、いつも彼女と一緒にいたがった。彼女はカースト上位のキラキラ女子、というわけではないが、おもしろくてチャーミングだったので、みんなに好かれていたので、隣をキープするのに必死だった。放課後、マクドナルドで駄弁ったり、休日に買い物に行ったり、好きなバンドのライブに行ったり、お互いの家に遊びに行ったりした。
高校に上がってからも、仲の良い友達だった。親友だったと言っていいと思う。私から見て、彼女はとても素晴らしい女の子だったが、彼女はたくさんのコンプレックスを抱えるようになっていた。成績が良くない、だとか彼氏ができないだとか、思春期特有のものが多かったと思う。
彼氏ほしい、と冗談めかしていう彼女をみて、悔しいな、と思ったことを覚えている。
世界で一番だよ、と言って抱きしめることができたのに。
私では彼女の恋人にはなれない。女の私が何を言っても意味ないんだろうな、ということはなんとなくわかっていた。
その時の私は「私も欲しい〜!大学入ったら絶対作ろうね!」と言うしかなかった。できたら一番に教えてね、と言いあった。
大学進学のため、私が地元を離れてからは年に数回しか会うことができなかったが、帰省の際は必ず会うようにしていたし、何度か旅行にも行った。
彼女は大学で彼氏を作った。惚気も愚痴もたくさん聞いた。一通り自分のことを話すと、「彼氏できた?」と私のことを聞いてくれた。
まず、ブスでコミュニケーションが苦手、と言うのがあったが、誰と喋っても「彼女といたほうが楽しい」と思ってしまっていた。
私に彼氏ができないまま、彼女は旦那さんと出会い、結婚にいたった。結婚前の彼女の話を聞いていると、旦那さんは素晴らしい彼女にはふさわしくないように思えた。何度そんな男やめなって、まだ若いんだからもっといい男がいるよ!と言ったかわからない。
しかし、結婚式の彼女は幸せそうだった。旦那さんも誠実そうな、いい人に見えた。親族と友人たちに祝福されている彼女を見て、涙が溢れて止まらなかった。
高校生のとき、コンプレックスで泣いていた彼女はもうそこにはいなかったし、彼女を幸せにできるのはやっぱり私ではなかったのだと、身に染みた。私は10年以上彼女のことを知っているけれど、まだ知り合って2年もたたない旦那さんには一生勝てないのだ。
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
学生時代、サークルの一つ下の後輩男子で、おそらくはてな界隈的に典型的な非モテ男子が居た。中高一貫男子校で背が低くてひょろくて、本当に非モテかは分からないが自分はモテないと嘆いていた。
サークルの代表をやっていた私の同期も、彼と同じように中高一貫男子校で背も彼と同じぐらい低かった。私が見る限り、男ぶりも同じぐらい冴えない感じだったと思う。人のことは言えないけども、ごくありきたりの一山幾ら程度の容姿。
変な顔でも気持ち悪い顔でもないごく普通の冴えない男子大学生だった。
ただ当然だけど、二人は性格は違う。同期は義理堅くかなり寛容な性格、悪口や噂話は好きな邪悪さはあったがあまり酷いことは言わない男だったが、後輩はそねみが強く悪口も粘着質で自分を卑下する。飲むたび人を嫉み自分を卑下する悪酔いをしていた。
酔わなきゃそれなりに明るいし面白いやつだったし後輩としてかわいがってたんだけど、単に飲み癖の悪いやつだという認識で飲み会の席はなるべく遠くになるようにしていた。
ある時、飲み会で、私の隣に割り込んで来て「同期さんと僕とのあつかいに差がありすぎる」と絡み出した。
でろんでろんに酔っぱらって曰く、同期さんと僕はスペックは同じむしろ僕の方が良いぐらいなのに、私さんは同期さんとばかり仲良が良い、僕とも同じぐらい仲良くしなきゃ話がおかしい、と。
友人を選ぶ基準に容姿やスペックの良し悪しを考えたこともなかった(もっといえば彼氏にもあまり要求しない)ので、謎理論に茫然としつつ、悪酔いした後輩がのしかかってこようとしたので、取りあえず手に触った居酒屋のメニューでひっぱたいてやった。
お前酔いすぎだ、友情や愛情を一方的に要求するのはストーカーだぞと、取りあえずその場でその話を聞いていた者から袋叩き状態になって、その後別の後輩に家まで護送されていった。私が4回生の時の話。
護送された後、送ってくれた親切な彼の友人に「俺と同程度の低スペックな先輩には気安くやらせてくれそうな感じでいつも一緒にいるのに、俺には触らせもしない」「アイツ(私)が好きなのかと言えば分からないけど」と涙ながらに語っていたらしい。
私と同期には友人以上の関係はまったくなかったし、飲み会で同期といつも近い席になってたのは、非モテ後輩が隙あらば触ってきたり絡んできたりすることを相談した結果のことだったので、こいつばかじゃねって本気で思った。
そもそも私にはずっと付き合ってる同じサークルの先輩の彼氏がいたし、同期にもその頃人生初の彼女ができて初めての春を謳歌していた時期だったのだ、そんな関係になるわけがない。
非モテな人たちの言い分を聞いていると、この後輩のことを思い出して心底気分が悪くなる。
彼らは相手と自分の距離を測れない。なぜなら、彼らは、相手がどう思っているかに興味がないから。どんな気持ちでいるのかどころか、相手がどういう人であるかすら意識が向いていないように見える。
非モテな自分を拒否しない=告白→セックスできる・結婚したい、に謎な直結をしてしまうのは、今この瞬間から将来に至るまで、相手がどんなことを考えているのかに思い至ることがないから。
自分の中に作り上げた感情ストーリーにしか興味がないからだ。人が誰かを拒否しない理由にはいくつもあって、例えば、酒癖は悪いけど悪いやつじゃないから、ということだってあるわけじゃないですか。
悪いやつじゃないから嫌いはしないけど、触られるのはイヤだから距離は180cm以下には詰めたくない、ってだけのことだ。なのに奴らときたら自分の頭の中のストーリーとは違うからか、まるで裏切られたかのような逆ギレをする。
もっと言えば、変に気を持たせるようなことして悪かった、誤解されるのも本意じゃないから、本当に好きな人以外にはそもそも近づかない方がいいのかな、って防御すると
今度はキミたち、これだから女どもは俺ら低スペックは見向きもしねぇ!イケメンがお好きなくせにって、また勝手な脳内ストーリーで逆ギレしだすじゃないすか。
わたしら、好きな人を選ぶ権利もないですか?普通に気の合う人と楽しく過ごしちゃいけませんか?飲み会で誰の隣に座るか決める権利もないですか?
かわいそうな非モテくんからだったら、突然降ってわいたように告られても無条件で受け入れろと?近づかれるのは怖いなと思っても慈母のようなほほえみと共に受け入れろとおっしゃるか。
勝手に脳内にかわいそうな俺ストーリー作って勝手に劣情をかきたてたり勝手に逆ギレしたりしてっから、いつまでたっても非モテなんだ。
君らがキモイとしたら、勝手な俺ストーリーを無理に押し通そうとしてるからだ。ストーカーと同じメンタリティ。イケメンも、そして女にも同じようなキモイのがいるから見た目の問題じゃないぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/103434
都市部において両親が高学歴の富裕層か教育熱心な家庭に生まれ、中高一貫の名門私立学校出身者にとっては最底辺の進学先であろう。
それでも私にとってそこに入学できたのは強運と努力と才能の結実した成果であった。
私は中学校では50人中だいたい2番だった。
高校は地元の相対的にはいちばんいい進学校にいき、成績は控えめに言っても360人中だいたい5番以内だった。
その進学校は地域全体で約2000人のうち上位360人が集まるので、合わせると5番/2000人で上位0.25%ということになる。
地方出身者は、首都圏や関西の金持ちなら鼻で笑うようなFランク大学に上位0.25%しか入れないのだ。
日本の大学入試制度は一見すると平等な試験選抜であるが、それに特化した訓練を受けられるかどうかという点で大きな不平等があることを、エリート達は知らない。
塾で真ん中より上なら開成とか灘に合格できて、高校で真ん中より上なら東大法学部なんか楽勝だった奴らが国を仕切っている。
私も上述のように田舎の出身ではあるが、それでも普通科の選択枝が複数ある時点でだいぶ恵まれていたし、両親もいちおう大卒で教育意欲は高かった。
ちなみに中学までの同級生のうちで両親が大卒なのは私だけだった。
ちなみに私が通った大学では、入学後の成績順位が試験のたびに開示されるが、成績上位者はのきなみ地元ローカルトップ高出身で、
成績下位者は一流進学校出身者が占める、みごとなまでの「高校偏差値との逆相関」が見られる。
極限までお受験マシーンとしての能力をブーストされた者と、田舎で競争相手にも欠くような者たちが、
大学入試で結果的に同じ成績を残したのであるから、伸びしろは言わずもがなというわけだ。
しかし田舎の貧乏人に進学のチャンスを与えることは、ポテンシャルの高い人材を上に引きあげるある種の効率を改善することに繋がり、その余地はまだ残されている。
日本の学校教育では「不平等に見えること」が何よりも嫌われ、成績の開示や成績優秀者の表彰などを大々的にすることはないし(運動会で運動音痴の公開処刑はするくせに)、
公立校では進学校ですら進学実績を売りにして生徒を募集することがタブーである雰囲気すらある。
しかしそうした消極的な姿勢によって、塾や私立学校などの有料コンテンツでブーストした層が大学受験を勝ち抜きやすくなり、
格差と階級の固定という、より好ましくない事態が生まれている。
よりチャンスの公平な社会と効率的な人材育成のために、初等教育から徹底した到達度別のクラス分けや飛び級・留年を採用するなど、学力と家庭環境の相関度を下げる改革が望まれる。
詳細は他にゆずるが、階級流動性の高い社会では教育予算が多く、人口に対する教師の割合が多く、公立校でも能力に応じた授業が提供されるなど柔軟性が高い。
(出典がすぐ出せない、たしかシノドスか何かで読んだ、あと森巣博の本とか)
ちなみに私の出身大学は失楽園の著者と同じで、出身高校は極楽とんぼの太ってない方と同じだ。
あと学歴社会の是非は問わないでください。高学歴を是として、高学歴が高収入を得られるのを前提にしないと話がややこしくなるんで。
今、僕は中2でホモです。さっきまで将来ホモじゃなくなることができると思ってましたが、ずっとホモのままなんだって分かりました。
3歳か4歳くらいから男の人好きって思ってました。でも家族も友達も先生もみんなホモとかオカマとかが嫌いとかキモいって思ってる感じだったので、まず自分が男好きになるって分かって受け止めるのに時間かかりました。
だけど、ホモはトラウマがあってそうなってるだけでいつか女好きになれるってネットで見て確かにって思って1回ホモを認めました。
最初、ホモになったのはお父さんが厳しくて愛情が向けられなかったからだと思ってました。
だけど、中学入ってからお父さんと仲良くなって好かれてるって分かるようになったのにホモのままでおかしいなと思ってました。
最近、議員の人がホモは異常動物って言っててそれが気になってホモになる原因調べました。
そしたら、生まれたあとにホモになるのは性的虐待を幼いうちに受けたらみたいな過酷な理由がないとならないとか遺伝子のスイッチみたいなものが母親から受け継がれるとホモになるとか書いてありました。
ネットだから嘘とか書かれてるかもって思って今日図書館とかでも調べました。
ホモは性的嗜好ではなく性的指向で生い立ちに何かあってなるものではないとか、世界保健機関がホモは病気とかじゃないから治らないっていってるとか、転換療法っていうホモから普通の人になれる治療もインチキばっかりみたいに書いてあるのみて、もうホモを辞めれる方法とかないんだってわかりました。
もうホモがやめられないって聞いて悲しいとか苦しいとか悪い気持ちが全部ごちゃまぜになってます。
神奈川県とか岐阜県の議員が異常動物って言っててるの見て、僕もそう思うって賛成してましたが自分が異常動物でした。
淫夢ネタとかホモネタをネットで見てみんなが気持ち悪がってるのと同じようにキモがってたけど、全部自分にキモいって言ってるのと同じでした。
男子校でクリスマスだからみんな彼女ほしいって言ってて、僕も言ってて、でも僕だけがすごい嘘ついてます。
僕のことを友達だと思ってくれてる奴のこと好きになってしまって、すごい嘘ついて裏切ってて辛いです。
相手はホモがキモいって言ってるから絶対バレないようにしなきゃいけないけど、中高一貫だからあと4、5年は隠さなきゃいけないと思うと狂いそうです。
好きな人にホモになってほしいとは思わないけど、せめてホモのことなんとも思わないようになって欲しいです。
クリスマス彼女と一緒じゃないのってお母さん聞いてきてまた嘘つきました。
これからもっといっぱい嘘ついていかないとだめで本当の自分をずっとずっと隠して生きていくことができるか不安です。
まともな人間になりたいです。嘘つきたくないです。
もう本当に苦しいです。生まれつき異常動物であるなら生まれてきた時に殺すとか、安楽死とか、処刑とかなんでもいいからこの世から抹消するように法律変えて欲しいです。
共学出身者です。
「男の子に慣れてていいよね」と言われたことがある。
女子校出身者から見ると、大学で同級生の男は誰でも彼氏候補として見てるのかなと思った。
なんであんなに彼氏欲しいんだろうね。近くで見てたけど、積極的に彼氏を作りに行ってる。
やり方が強引すぎる人が多いから、正直ひいてた。
男が多くいても、彼氏候補になるなんてそうそういないのが共学出身者。
女子校出身者から、少し話していただけで、「あの人の事、好きなの?」とよく聞かれた。
男に慣れている(この表現があっているかどうかわからないけども)から彼氏を取られちゃうって思っているんだろう。まあ、気にすんな。
もちろん、人によるとは思うけど女子校出身者の彼氏獲得にかける情熱はすさまじいものがあるから距離置いてほうがいいよ。
嫌な思い出を思い出したので書き込んでみた。
これよく聞くけど、実際は公立に行く子の方が多いでしょ?
まともな子がみんな私立行って公立は学級崩壊デフォなんて、都内の中でも限られた地域の話じゃないの?
んでそんな所に住んでいる時点で、やっぱり限られた階層の話では?
そもそも金が無いのにそんな所住むなよと思うんだが。
少しぐぐったが
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1401166034372.html
文科省の「平成24年度学校基本調査」によると、東京の中学校の生徒総数のうち、公立中学は約74.2%で、私立中学は約24.9%。
なんてのを見つけた。
中学生ですら7割以上(まあ一部は受験必要な中高一貫とかも入ってるだろうが)が公立に進学しているのに、それはまともじゃないと言われてもなあ。
あの学校、「地アタマがいい生徒が、多数在籍してた」というだけで、学校自体は、そんなにカリキュラムを工夫してなかったんだなあ、と最近思うようになった。
というのは、今子供が中学受験を控えていて、首都圏のいろんな中高一貫校の説明会を回ってるが、各校の取り組みが、数十年前の某校と、全然違うのよ。
ネイティブの英語教師の在籍なんて当たり前だし、「高校2年の時に、全員が2週間、アメリカにホームステイして、アイビーリーグの研究室をセッション」なんてのが、
当たり前のように行われていて腰抜かした。
「キャリア教育」ということで、社会人のOBを呼んできてセッションしたり、或いは医学部志望な生徒のために「医学部体験」ということで、手術室立ち入り体験したり。
中1の4月の時に、仲間意識を高めるために「オリエンテーション合宿」するのが、当たり前になってるのね。
在校中に「論文」を書いたり、ゼミ形式の討論授業なんてのも、当たり前にように行われている。
一方、数十年前の某校なんて、英語教師は日本人だけだったし、授業は日本語だったし、修学旅行は国内(自分達は九州、上の学年は東北)だったし。
中1の冬休みにスキー合宿はあったケド、オリ合宿なんて、なかった。
授業は「一方通行」が当たり前で、ゼミ形式なんて存在してなかった。まあ教室の後ろで有志が放課後にゼミ的な議論やってたりしていたが。
それでも東大に100人近く合格できてたから、特に問題なかったのか?
というわけで、この数十年で、すっかり中高一貫教育が進化してるなあ、おみそれしました、というのが本音だが、今の母校は、教育どうなってるのかね?
料理が好きです。というより幼少期から親が仕事の関係で家で空けることが多かったため自然と
料理が好きですというと、同年代の女性から敵意をむき出されること(男性受けを狙っていると勘違い?)
敵意をむき出してくる女性に対しては、なんで料理できないの?と聞きたいし
男に対しては、女に作ってもらおうと依存するのではなく自分で作ったらと言いたい。
日々の糧となる食事を他人に作ってもらおうとしすぎだと思う。特に男性。
なので、履歴書には書くが公の場では「料理すきです」と言えない。
特に敵意をあらわにむき出してくる女性には、閉口するものがある。
フライパン買おうとしただけで、切れるなよw
敵意を剥き出してくる料理ができない女性においては、中高一貫の女子校(特に関東圏)
が多い気がする。日本の女子教育ってどうなってしまったんか?色々と間違っている気がする。
私は共学出身者だけど、女子校ってもっとおとなしくてつつましやかなイメージがあるのだけど。
だって入学案内のパンフレットにも書いてあるじゃん。良妻賢母とかさ。
そして世の男性よ、結婚してから奥さんが毎日作ってくれるとは限らないから、
幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。
父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。
父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。
兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。
近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。
私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。
兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。
高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。
私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。
成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。
ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。
金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。
お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。
そのとき初めて、父に不信感を抱いた。
学校で友達に相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。
高校で学年1位の子は、東京大学も合格圏内なのに地元の公立の女子大しか認めてもらえないと言っていた。
彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。
担任の先生や進路指導の先生に相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。
成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。
地元にはいわゆる難関と呼ばれる大学がひとつあって、父はその大学を勧めてきた。
でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。
そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。
兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。
その日は全く話し合いにならなかった。
兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。
私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。
でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。
兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。
そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。
ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。
全部、兄は禁止されていなかった。
それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。
父は私を縛り付けたかったのだろうか。
そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。
毎朝の行ってきますのキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。
本当はずっと嫌だったけど、ルールだからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。
兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。
そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。
父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから。
親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。
でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。
父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。
2月、受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。
理系のキャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。
いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。
父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。
高校を卒業して、3月中旬、友達と卒業旅行に行くと言って東京に行った。
もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。
東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。
もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。
合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。
認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。
後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。
そのとき初めて、父を怖いと感じた。
宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。
私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。
支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから。
3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。
しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。
2度目の父の激昂だった。
でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。
帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。
後日、同じく上京していた高校の友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。
父も休日に上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。
入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。
自由になったような気がした。
熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。
いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。
兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。
私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。
だからと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。
結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。
成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。
ただただ自分が恥ずかしい。
あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。
親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。
でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。
このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。
鹿児島県知事の発言から始まる一連の流れを眺めてて思うんだけど、中高では一般的にどんな科目を教わるんだろう?
私はずっと公立育ちだけど中高一貫だったからたまに認識のずれを感じる。
高校二年までに最終的に私文に行った人も全員数Ⅲまでやってたし、私(理系)も地理日本史世界史倫理政治経済全部やった。
まあ日本史は江戸時代まで、世界史は19世紀くらいまでで終わっちゃったんだけど。
(どっちかっていうと近現代史をやった方が良いと思うんだけどね)
私は(理系にもかかわらずw)数学物理苦手で国語英語社会が得意で得点源だったな。
一番好きな科目は倫理だった。
倫理だけ定期考査が150点満点で、100点分は普通のテスト、50点分は800字小論文。この小論文のお題がいつも面白くて好きだった。
物理化学は終わらなかったけど生物は高二までで範囲完了したから、高三のときの生物選択者はフィールドワークしたりマジックフルーツを食べる実験をしたりしてみんなの怒りを買っていた。
というか文理分けが遅かった。他校の友達は二年からで私は三年から。
国語の授業は高三でも文理一緒だった。正確に言うと文理一緒に4コマ+文系だけプラスで2コマ取れる、みたいな感じ。
理系で必要ないと思う人は自習可だった。でもなんだかんだ言ってみんな授業受けてたな。
私は二次試験で漢文までばっちり出たから普通にガリガリやってたけど。国語好きだし。
私は勉強って好きでいろんな科目教われるの楽しかったなーって思うから科目減らすのには反対だな。
今でも将来的な専攻に関わる科目と同じくらい哲学とか英文学の講義が楽しくてしょうがないし、
私と逆パターンで数学好きすぎて経済に行くつもりだったけど理転して数学やることにした人も知ってるし、
可能性は狭めない方が良いと思うんだよね。
会った状況を場所や状況を綿密に説明すると身バレするから、詳しくは書かない。
その日の前日に従兄弟と祖父と夕食を取ろうと父親から言われていたから、どこかで会うことはわかっていた。
そう、会社で会ったのだ。
会社の人間の誰かが従兄弟を見て、「全然違う」と言ったような気がした。
従兄弟の顔を恐る恐る見たらイケメンだった。綺麗な顔をしていた。
二重で目が大きいし、髪は綺麗なストレートだし、肌は何もしてなくても綺麗な真っ白な肌だし、鼻も綺麗に通っている。背は自分と同じくらいだけど、顔と体の比率は向こうの方が体の比率が多く占めている。つまり、顔が小さい。少し顔が大きいけど、男ならこれくらいだし、普通だ。自分は異常に顔が大きい。
女装したら可愛くなる顔だ。
自分のような酷く醜い顔ではない。
実は彼は自分のおじさん。つまり従兄弟の父と従兄弟は一緒に住んでない。昔、離婚したのだ。
彼の美しさの元となった母と一緒に美しい従兄弟は住んでいる。
彼の元の父側についた従姉妹二人は、不細工な一重で腫れぼったい顔をしている。つまり自分と同じ系統の顔なのだ。
そして二人ともマイルドヤンキーで、一人は解体工と結婚して一重の子供をポンポン生んでいる。
初めて会った従兄弟が美しい顔をしていたけど、僕はあまり嫉妬しなかった。いや、激しく嫉妬してたかもしれない。
嫉妬しなかった原因は美しい顔しているのに、自分より出来が悪い部分があるのだ。
美しい顔をしているくせして、高校受験に失敗して、滑り止めに進学し、1年間いじめられ、不登校で2年間ひきこもりになったのだ。
そして、1年大手予備校に通った挙句、頭がとてもわるいのか福祉の専門に行ったのだ。
自分の母親の遠い親戚が田舎の中高一貫の進学校の理事をやっていた。少し下駄を履かせてもらって自分はとてもいい中学高校に入学した。
持病の薬のせいで顔が滅茶苦茶になったりしてヒドいことを言われても自分は通ったし、あんまりにも球技ができなくても通ったし、勉強ができなくても通ったし、キモがられても通った。
とても同じく顔が醜いK君もひどいことをされても通った。自分の学校でいじめられる人間は全て顔がわるいものだったけど、みんな通ったし、自分はうまく回避しながら通った。
放課後に美しい顔をした、最終的に慶応にいったハルカちゃんの夕日がかかった汚れのない白くて美しい肌を見たあと、家でずっと泣いていたけど通った。
彼は自分より一歳年上なくせして、金には困っていないのに専門で、バカなのだ。
彼と祖父と自分の父とまずいテリーヌやらを食べていたときに、彼は関西に住んでいるというので、京都の話をたくさんした。
「大学のあたり〜」という言葉を乱発させた。普段は財布の奥深くに突っ込んである楽天カードみたいなゴミ学生証を一番財布の前に入れた。
無駄に財布を開いた。彼の前で。
どうでもよくなると自分は黙って肉に食らいついた。
「お前と違って、こっちは現役でとりあえず関関同立いってんだぞ」と内心ずっと思っていたし、彼の発する言葉全てに「バカだな」と軽蔑していた。
自分の方が深い話ができるし、頭もいいと思った。彼と違って醜いけど。
顔がいいのにいじめられて不登校は甘えだ。自分は容貌障害、内臓障害だぞ。それなのに生きてるんだぞ。
パンのためのオリーブ油に小さな虫が浮いていたから、従兄弟に虫入り油をパンにつけることを勧めようと思ったが、やめた。
自分の父は自分が見てきた中の福祉業界の奥深さと希望を喋りながらも、4年生大学に行くことを遠回しに遠回しに従兄弟に勧めたりしていた。
彼が男ではなく、美しい女だったら自分はどんな対応をしていたか考えた。
おそらく、勃起して、怒り狂って、トイレで泣きながら抜いて、ただただ勇気がないからそいつの顔にフォアグラを塗ったりもせず、黙って自分の口に肉を詰めていた。
彼が自分と同等、もしくはそれ以上の大学に通っていたり、女でなくてよかった。専門学校でよかった。優越感を感じることができた。
彼を擁護するようなことを言う人間はたくさんいるかもしれない。自分はバッサリと甘えといいたい。
今日、妹に禿げていると言われた。髪が後退している。父親の髪型は孫正義みたいなのだ。それほど金を持っていないけど。
容姿差別をする人間を自分は憎まない 自分だって容姿差別している。容姿を醜くしたものと、醜く産んだものと醜いものを憎むだけだ。