はてなキーワード: ぼんやりとは
艦これやアイマス、ウマ娘などのコンテンツって料理に例えられないか?と
艦これは素材の成形と史実やちょっとした性格などの塩コショウのような下味をつけて、味付けや調理の仕方を客に委ねるやり方
アイマスは味付けや調理の仕方を客と一緒に試行錯誤しながらやっていくやり方
他にもいろいろあるし、違う表現の仕方もあるが個人的にこう感じた
艦これのやり方はほぼ客主体で動くので運営も苦もなくやれるが、客の制御がしにくいので困ったときぐだぐだになってしまう
アイマスは一蓮托生、いわば共犯関係になるのでみんなで一緒にやっていく感はでるので余程のことが無い限り客はついていく
しかし、運営の方法を間違えたり客の暴走を制御しきれないと空中分解してしまう
ウマ娘はキャラの設定やその周りの齟齬を整えたりなど大変だが、それをうまくやっていればまずくはならない
でも、ある客が違う味付けを広めた時や運営が味付けなどをまるっきり変えた時に暴動が起きる場合があるし、定着してしまった場合既存の一部の客が
他にも、上から順にプレイヤーの顔が上から順に人に近づいていくというのもある
現在27歳無職、数年以内にまた働き始めようというぼんやりした目標しか無い。
当然彼氏なんかいない。この年齢で結婚に対する意欲が無い上にどのコミュニティにも属していないので、おそらく一生結婚しないだろう。
自分なりに頑張って社会復帰して、少しづつ貯金しながら、趣味の植物観察を楽しめればそれでいいと思ってた。
既婚者でもバリキャリでも無いまま歳を取ったら、何かとんでもない不幸が待ち受けているのだろうか。
何年も前の話。初夏の晴れた午前中、北参道駅を出てすぐのスターバックスで100%の女の子と出会ってしまう。
それは客先への来訪時間を気にしながらわずかな時間を使ってPCを開いている時だった。2人がけの向かいあった席の片方に座りキーボードを叩いていると、10人は座れるであろう大きなテーブルに荷物を置く人影が視界の端に見えた。
直感のようなものを感じて、レジへオーダーをしにいく姿を見届けた。「ああ、100%の女の子だ」とすぐにわかった。村上春樹の小説にある、短編の一節のタイトルだ。正しくは「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
好みということでも、取り立てて美人というわけでも、何かをカバーするほどの愛嬌でも、何にも当てはまらない。純粋に、自分の中の100%の女の子がそこにいた。驚いた。思わず開いていたPCを閉じて深呼吸した。
「すごいなあ、見ることが出来た、出来てしまった」そう感じた。存在を知ってしまった。だからと言って何か出来るわけではない。自分には家族があり何か行動を起こすことなんて出来ない。
自分に今できることは、目に焼き付けることでもなく、声をかけることでもなく、ただ視線を外すことだけだった。時間にして5分か10分か。残りの冷めきったホットラテをゆっくり飲み干して、100%の女の子の存在を視界の外に感じながら、何を見るでもなく「いたんだなぁ」と深く考え込む。
客先へ向かう時間になり、席を立つ。結局その女の子の姿をしっかり見たのは10秒にも満たなかったと思う。ぼんやりと思い出せるのは、鎌倉の海の近くに住んでいる大人の女性というラフであり自分をしっかり持っている、なんとなくそんな人だったような気がする。年齢は27-8というところ。髪はロングで洗いざらしのような。だが、そのファッションも見た目も、何でもよかった。ただ、ただ、100%だった。それだけだった。
入籍を控えている。
自分の実家からは、数年前から早く結婚をだとか孫の顔が見たいだとか散々言われて、うんざりしていたところ。
元々両親との折り合いが悪く、思春期真っ只中の頃に不登校だったり精神疾患だったり発達障害持ちなのが分かったり、この10年間ホント無駄に病気して勿体なかったな~とまで思うようになった。
幼少期から親にブスとかデブとか言われ、自分の性別もクソだな~20代半ばまでに死にてえと思っていたのに、プラスアルファ年生きるどころか普通に会社員をして、結婚まで視野に入っているのだから人生とは全く分からない。
そんなデブスメモリーを掘り起こされるような、親とのやり取りが先日あった。
親としてはイジリのつもりだったんだろうけど、こちらとしては全然嬉しくないと、文面でキレた。
"友達"のように、一緒にキャッキャやって遊ぶことは出来る。多分。
結婚相手も機能不全家族で生きていたというのもあり、仮に子供が出来たとして、子育てに漠然とした不安を抱いている。
以前自分の実家に挨拶に行った時に「孫は」と言われたが、経済的な面からも二人揃って「今は無理」と答えた。
というか自分が発達障害持ちなのに子供を持っていいのかとか、生まれてきた子供を不幸にしてしまわないかとか、考えることが増えた。まだ結婚すらしていないのに。
完璧な子育ても、正解もないし、当たり前だが経験すらないし、そこまで考えなくてもと思われそうだが。
離婚、旦那の悪口、不倫ネタ、果てには某革命家Youtuberのニュース記事をしょっぱい世の中だなぁと思いつつ見、そんなことをぼんやりと考えている。
まあ、経済的な面での諦めより自分の中の問題が大きすぎて、結果として子供を作らない可能性も大いにあるのだが。
そこら辺は二人でよく話し合おうと思う。
283: 名無しさん@おーぷん 2016/10/26(水)11:36:44 ID:BdD
秋のよく晴れた日になると思い出す。
3歳の秋の日、母が朝からおにぎりを作ってくれて、「お出かけしよう」と言って電車に乗って遠くに行った。
行き先は山も海も見える田舎町だった。
真っ白い堤防のようなところで、母がベンチに座らせて、「ちょっとお母さん飲み物買ってくるから待っててね」と言った。
「わかった、ママありがとう。バイバイね」と言ったら、母は顔をそむけて走るように去って行った。
私はぼんやり座ってた。山はまだらに赤くて、空にはトンビが飛んでた。
しばらくして母は戻って来て、無言で一緒に弁当を食べて家に戻った。
成人して家を出て行くという日に、母はあの日の話をして、「あなたを捨てようとしてごめんなさい」と詫びた。
私は当時気付いてなかったふりをしたけど、勿論気付いてた。
それどころか、母があんまりに私の存在を疎んでるのを知ってて、大好きな母が楽になるならそれでいいと思ってた。
捨てられた私は次はどこに行くんだろうとボンヤリ考えてた。
私を捨てようとした母と、他人にむやみに金貸すのが趣味で散々妻子を苦しめた父。
私も順調なら年末に初めて親になる。
出来れば良い親になりたい。
25歳頃、あまりにも男っ気なしの生活で「このままでは孤独死まっしぐらでは?」と気が付いた。
自分は中肉中背で地味なタイプ、正社員だけど当時年収300万とかで貯金もほぼないし、実家が太いわけでもない。
多分「20代」を逃したら結婚厳しいだろうなっていう自己分析があったので即動いた。
かつ、恋愛慣れしてない状況で結婚は失敗しそうだし、まずは恋人が欲しいと思った。
とりあえず意識改革で服装をフェミニン系に変えてみた。(メイクも毎日するようにした)
女性ほぼ無料の婚活パーティーでてみたけど、ピンとくる人いなかった。(30代までの制限のパーティーで40代後半が出てきたのは詐欺だと思った)
「男性との出会いの母数を増やしたほうがいいのでは?」とマッチングアプリに登録した。
変な男性(初回でカラオケにいき太もも触ってくるマン、飲みで席外したタイミングで財布から金抜くマン)にも出会いながら1人目の彼氏を作り3ヶ月で破局。
みたいなのを繰り返して25〜29までに6人と付き合った。みんな半年せずに別れた。振ったり振られたり。
(しかも別れる1週間前に「生でヤっていい?」とか言ってきた。お断りした)
29になるとマッチングアプリの「いいね」の数も登録始めた20代半ばのころより勢いが落ち着いてきて、女の婚活はやはりタイムリミットあるなって実感したよね。
正直アプリの写真はなんか遠くて顔もぼんやりしてたし、初回デートのお店も焼肉食べ放題だったのであんまり期待してなかった。
(アプリのプロフにオタクって書くと、オタク男性からのいいね率が上がるけど、今期のアニメの感想言い合って終わりになることが多いので書くのをやめた)
ピンときた。
そこからあれよあれよと3回デートして告白してもらって、付き合う、同棲、プロポーズ、今に至る。
マッチングアプリ利用して、彼氏1人つくるまでに大体20〜30人とデートしてる(メッセのやりとりだけならその3倍くらい)ので、それを7回繰り返したとすると計140〜210人くらい?
「ピンとくる」相手と出会う確率ってこんなに低いんだなと実感した。
婚活パーティー(20対20くらいのやつ)とか街コンにも参加したけど、デートに繋がることって少なかったし、マッチングアプリも出会いの母数増やすために使うのはありだなって感じ。
--------------------
--------------------
【追記】
思ったより反応がありびっくりしてる。
・行動力→受け身でいたら25年間ノーチャンスだったのでうごくしかなかった。
・場数→これほんとそう。コミュ力も多少は鍛えられた。
・とら婚→とら婚できた4年前はすでに婚活終盤だった。
ぼんやり暮らしてたら、ある日いきなり金持ちの女が目の前にあらわれて「私と結婚してください」って状況を想定しているのか?
これ、男と女を逆にしても、そりゃねーだろ、ってなるよね?
テストは大体100点だった。
ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったころから学校に居場所がなくなり、年単位の不登校になった。それはここでは省略する。
高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。
高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。
緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。
でも待てよ、と立ち止まった。
もし落ちたらどうなる?
学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間2時間が溶けてしまう。
コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。
だからもし浪人すると絶対にネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。
親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)
当然合格し、駅弁大学に入学。どうやら50人以上の学科で入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。
入学するとオリエンテーションやサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。
新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。
しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。
どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。
何せいきなり理解不能な単語や概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。
その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから「高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています(意味不明な説明)」と打ち砕かれる。
極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。
授業にもついていけないし、人間関係も、最初は同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。
次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしのアパートに引きこもってネットとゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。
土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。
このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。
これだ、これしかない。
私は文系学部の試験を受けた。普通の入試と似たようなもので、英語と小論文があったと思う。
無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフがスタートした。
この学部でも専門科目はわけがわからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。
また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっちの安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。
あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。
幸いなことにその学部は卒業要件がゆるく、ゼミはあるものの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。
かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。
ちなみに授業と並行して資格試験の学内講座も受けたが、そちらは教えるプロが試験突破を目的とした講義をしてくれるので非常にわかりやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。
大学を卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分が大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。
1.大学で講義をするのは研究のプロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。
2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)
3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプルな絶対的事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、
大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対的事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。
(よく考えたらお勉強ではなく学問や研究の世界なので当たり前である)
など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体がそもそも向いてなかったのだろう。
高校までのお勉強と大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。
ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。
しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。
お前らは本当の非モテをなめている
https://anond.hatelabo.jp/20201119191213
これって別にモテない非モテだと言っているだけで自分の事を低所得だとも言ってないし弱者男性だとも言ってないし界隈で語られる
いわゆる”弱者男性”のぼんやりとした定義にも掠らないと思うんだけど弱者男性だと認識している人がおおいのはなぜ?(もちろんそうである可能性はあるけど)
何でもできそうになった日じゃなくて、少しは何かできたかもしれない日の話。
母方の祖父母はどちらも素晴らしい人だ。いつも穏やかにしていて、人格者で、思慮深く優しい。みんなからも当たり前のように愛されていて、毎年昔の教え子(夫婦である芸事の教室をしている)からの年賀状や誕生日プレゼントが大量に届いてお酒が飲み切れないと笑っている。
そういう人が僕のおじいちゃんとおばあちゃんだった。そんな彼らから僕はまた当たり前のように愛されていた。会う頻度は少ないけれど、わかる。会うたびに見せてくれる笑顔や、優しかったり厳しかったりする言葉、とにかく彼らがくれるものすべての細部に愛が籠っていた。
当たり前のように愛してくれて、だから僕も彼らのことが大好きだった。
でも僕は傍目ではいつも彼らによそよそしくしていた。わざとしていたわけではなく、、つまり、話し方もちゃんとした甘え方もよくわからない、親の背中に隠れる子供のまま礼儀正しさだけ身に着けてしまったんだと思う。彼らはそういう僕を分かってくれているのかそうじゃないのかよくわからないけれど、とにかく驚くべきことにそれでも優しかった。当たり前だけど申し訳なかった。僕は受け取った分の 1mm でも返せているのかな? といつも疑問で、だからいつからか二人が笑いかけてくれるのもなんとなく気まずかった。
祖父母のことだけじゃない。何もかも勇気がなくて。先延ばしにして。僕はそういう人だって分かってたからもうなんでもいいかなと思うことも多かったけど、それでも祖父母のことだけはずっと僕を非難していた。多分、僕に本当に大事に思える他人は少ないから。大事になんてできてないけど。
何でもできそうだ思った夜が何度もあり、同じ数だけ何もかも無理だと感じた朝があった。
そういう日のうちに、あるキャスを聞いた。
「親みたいにずっとお世話になっていた人に会いに行って、ご飯を作ってくれたときに、お皿を洗えて(ほんの少しでも恩返しできたみたいで)良かった」という話だった(わたしの語彙...)。
こう書くとよくある話かもしれないけど、僕は彼女(キャス主)が僕のように何にもしてこなかったような人ではないことを知っていた。つまり恐らく彼女が会いに行ったのも、連絡を取ったのも普段の積み重ねの延長上にあって、、
でも普段からそうしていたとしてもまだ「お皿を洗う姿を見せられて良かった」なんて思うんだと、そう思った。それからたまたまそのとき彼女を少しだけ身近に感じていたのもあった。普段から尊敬する彼女の中に素朴なものを感じて、うまく言えてないけど、とにかく僕にも何かできるし、躊躇ってることがあるなら前に進みなよって言われてる気さえした(なにかこちらに語りかけてくれたわけではない。多分周囲にいい影響を与える人ってこういう人のことを言うんだと思う)。それでその日は遅かったので明日とりあえず祖父母の家に電話してみることを決めて寝た。
翌日よくわからない時間に起きて、頭が回りだしたのは午後。その日は休日だったけど夜にちょっとしたプレゼンをしなければならず、その資料作成をしていた。
正直めちゃめちゃ忙しくて、明日でいいかなーと思ってた。ぼんやり考えていたけど電話をして何を話したらいいかいまいちわからなかったし、ちゃんと話すことを考えてまとめる時間が欲しかった。
ただ、キャスの彼女がまたお世話になっていた人に連絡を取ったっていうツイートを見たとき(確かにまた連絡を取りたいと言っていた)、見て、作業に戻ろうとしたけど、うまくできなくて、スマホを手に取ってたまたま充電がなかったことに気づいて逡巡した挙句財布を持って公衆電話に向かった。
一度、電話番号を覚えてないことに気づいて戻った。話すべきことは歩き出せば意外にもすぐ決まった。国道沿いのコンビニで車のうるささに辟易したけど一度深呼吸して、右耳を袖で塞いで左耳に受話器を当ててダイヤルした。僕から祖父母彼らに掛けること自体は初めてはなかったけど、自発的なものは初めてだった。
正直すぐには意味があったのかどうかもわからなかった。言いたかったことは1割も伝わったかどうかわからないし、そもそも僕が電話を掛けた意味を相手はすこし取り違えて理解したようだった(大学を辞めたことの謝罪をしたかったのだと思われたみたいだった。もちろんそんなことが一番言いたかったことではない)。
こんなんで僕は少しでも彼らを大切にできたんだろうか? その片足でも上げられたのかな。そういうことをぐるぐると考えていた。
でも最終的に、少なくとも僕がこのきっかけを後悔することを彼らは望まないよな、と思った。僕は間違いなく愛されていて、それには自信があったから。
やっぱり人生30年でいい
ほんとにつらい 30歳のときにもう少し生きるか死ぬか選ばせてほしい
30歳で終わるなら思い切って29の誕生日に仕事なんかやめてあちこち旅行に行くのに
やば!あと一年しかない!あれとかこれとかやってみようかな、とわくわくするのに
「そんな下らないことにカネ使ってたら老後どうやってホームに入るの」となり
何やったって一年も続かないのにバカみたい、独りで出掛けてどうすんの?wとなって
ただただ金の無駄にしか思えなくて部屋でずうっとぼんやりしてる
たまにストレスでお菓子とか買っても無駄遣いしたな、身体に悪いな、そればっか
お世話になっております、去年に「両親が不仲だった自分語り」( https://anond.hatelabo.jp/20200211234011)を書き起こした増田と申します。
実はあの日記を書き起こしたことで自分のボトルネックになっていたことがハッキリ浮き彫りになり、拗らせて、寝込みました。
意識はあるのに体が起き上がらず会社に頼んで1週間休みをもらい、なんとか回復するまでに至りました。
みんなが当たり前に持っていて自分には無いものをどう補うか、屈折しすぎた性格をどうするかを寝込んでいる間ずっと考えていました。
そもそもなんだか調子が悪く、体力的に疲弊すると過去の嫌な思い出に尾ひれがついた妄想や、起こりえることのないネガティブな妄想をするようになり既に病んでいたようにも思えます。
自分はホームドアの無い駅までふらっと行って、ホームのベンチで1時間ほど座り込む生活をしていて、その合間にスマホのメモに自分の過去の話をぽつぽつと書き起こしていました。
今思えばもしかしたらそれは遺書で、誰か宛ての手紙で、誰かが言うように私小説になっていました。(書いていた当時は私小説だと思わずに書き起こしていました。)
それが「両親が不仲だった自分語り」だったわけです。死ぬ前に書き起こした内容が両親の話だと思うと、表面上そんなに気にしていなかったはずなのにやっぱり根に持っていたんだなというのが自分でわかりました。
今回は前回投稿した「両親が不仲だった自分語り」を投稿した後の話です。
投稿後、たくさんのコメントを何度も読みました。稚拙でダサいと自分で思っていた文章を褒められてた事が何より驚きました。
自分で気づけなかった事に気づかされた気がしました。ありがとうございます。
ボトルネックは結構重い話らしいのでまだ見ていません…。今は全くその気はないけど何かの拍子に結婚して幸せだなぁと思うようになったら見ようかな…?
そのあと1週間寝込みました。徐々に声が小さくなっていって、職場の人に心配されており、ちょっと休みたいですというと職場は問題ないから休んでいいよと言ってもらえて丸々1週間寝込みました。
コロナが日本でも話題なりはじめ、外に人が出なくなっていた頃の話です。
薬を飲んで、ご飯を食べて、寝て、ゲームをして、絵を描いて、ゾイドを組み立ててまた寝る。という生活をしていました。
投薬をするとだいぶ楽になったのもあり、声が出るようになったので職場に復帰。
1週間もすると、本格的にみんな外出しなくなったのか仕事(接客)は軽かったので、仕事をこなしてさっさと寝る。というルーティンになりました。
夏頃、妹が鬱になったと母から報告がありました。
状態は1週間寝込んだ自分より酷く、二人目を産んだあとのノイローゼから来ているようです。
自分が鬱になっていたのは母には伝えてなかったので、妹が鬱になったという報告があった時点で伝えました。
自分の子供二人そろって鬱になったという報告を受けて、母がどう思ったかは分からないままです。
遺伝的なものもあるらしいので、自分はあまりそこで深く考えませんでした。
妹には二人の娘がいるので妹の旦那が楽になれるよう、仕送りをしたりもしています。姪っ子たちには不自由をさせたくない一心でした。
妹は姪っ子たちを母に預けて入院をしたり、実家に帰って母と過ごしたり。
自分の性格からわかってはいたけど、自分は母に甘えられないと思っているので深く触れずにただ姪っ子たちに仕送りだけしています。
向こう十数年、連絡の無い父は死んだことにしました。
養育費の件は法律上でももう無効になっていて取り立ても出来ない状態でした。
それを知らなかった自分にも落ち度はあったので、責めることも憎むことも出来ないように父は死んだことにしました。
みんなに文章を褒められたので、文章を描いてアウトプットすることを始めました。絵は描けるので挿絵付きで。
これはまだ成果は出ていませんが、思っていること、考えていることを校正しつつ続けています。
格ゲーも本格的に本腰を入れて勝ちにこだわるようにしました。来年あたりにグラブルVS部門でEVOにも出ようと思います。
ストリートファイターVも少しやっています。好きだったダンが妙に強くて笑っています。オロもすごく楽しみです。
好きだった魔界村シリーズの新作「帰ってきた魔界村」の発売も燃えました。
RTA(リアルタイムアタック)も始めました。格ゲーのトレモ(トレーニングモード。ひたすらコンボ練習をしたりする。)と似ていて突き詰めることが楽しいです。
コロナ禍で仕事が早上がりになり、自炊を始めたら案外自分の料理がおいしいことに気づいて体重が増えたり
学生時代の友人(専門学校を自分に進めてくれたゲーセン仲間)と久しぶりに連絡が取れたり。
原因はセクハラとストーカー行為でした。加害者側はなんとも会社的にいないと困る人というのもありましたが何より妻子持ちでした。
父が仕事をしていないと困るのは身をもって体験しているので、鬱から立ち直り始めているとはいえあれからぼんやりすることの増えた自分がだらだらここにいるのも気持ちが悪く
あまっちょろすぎる。自分でもそう思います。それ以上に関わりたくなかったのもありますが、加害者の娘さん(彼女は6歳。あったことある。)が
何も知らずにそのまま居られるのであればと真っ先に思ってしまい、職場に疲れていたのもあって辞めました。
寝込んでから低気圧の影響をモロに身体で感じるようになったし、昔の家庭環境を思い出して泣き出したり
せっかく専門学校に行かせてもらったのにそれなりの仕事すらしていなくて勝手に申し訳なくなったり。
これ書いていたらなんだか楽になってきました。本当は昨日、「なぜ自分は自殺しないのか」というタイトルで文章を書こうとしていたところでした。
木曜朝、通勤電車に乗りながら
何かエサを金曜の終わりに仕込まなければ」
と強く思い、仕事が終わったらスーパー銭湯に行くことを決めた。
今回はとくべつ感を重視したいので、普段行くところではなくちょっとだけ遠くにして、部屋を朝食付きで予約したった。
たのしみ。おかげで無事に起きられた。
金曜の仕事帰りに温泉旅行というのも過去にやったことがあるのだが、わざわざ移動したのに夜遅く宿について風呂に入って泊まるだけ、というのが貧乏性なのでもったいなく感じてしまう。
なにしろMPが足りないので翌日早朝からばりばり観光するバイタリティがないし、そのせいで自己嫌悪に陥ったりする。
また、自分の場合、MPが足りないとぼんやりすることさえできず、気が付くと嫌なことばかり考えて自分で自分を削ってしまうので、長時間移動や風光明媚な温泉宿は逆効果なことがある。
その点スパ銭宿泊は、遠出と言っても旅行ほどではなく通勤電車の延長で行け、風呂さえ堪能できればコスト分を十二分に楽しめる。
漫画があったりサウナ室にテレビがついていたりと雑多で気を紛らわせるものがたくさんあるし、せっかく来たんだから、きれいなものを見なければ、みたいな強迫観念にとらわれることもなく、入りたいだけ風呂に入って疲れてすぱんと寝ればそれでいい。
それでいて部屋を取ると旅行気分だけは味わえる。きれいにメイクされたシーツがあるだけで癒されるし気分が変わる。
なお、宿泊までするのは数か月に一回くらいのぜいたく版で、
普段は仕事帰りや土日に日帰りで行く銭湯のストックをいくつも持っていて、1~2週にいっぺんくらいは行っている。
昔から風呂自体は好きだったが、すぐにのぼせて結果的に烏の行水になってしまうのが嫌だった。
しかしサウナと水風呂を覚えたらゆっくり時間を過ごせるようになった。
はいってる間はサウナ・水風呂・露天・ジャグジー系・炭酸泉、とかの組み立てを考えるので結構忙しく、余計なことをさほど考えなくてすむ。
そのうち2連泊をやってみようと思っている。
◆「飲み会一回ぶん」でいいもん食べる
個人的に勢いで罪悪感なく払える目安なので、そのくらいのお金をかけて美味しいものを食べる。
これは私の好みの問題だろうが、
食事よりも嗜好品、日常より非日常、たくさんよりいろいろ食べられる方が好き。
椿山荘のハイティー(分厚いステーキみたいなローストビーフが一人一枚ついてきて最高)、
インターコンチネンタルのアフタヌーンティー(お茶がフリーフローでいろんな味があってお菓子が美味しい)、
日比谷Barのアフタヌーンティー(バーテンさんが作るカクテル飲み放題)などがとてもよかったやつ。
いずれも「私は!これから!私の機嫌を取るぞ!!!」という自分への暗示が大事な気がする
だからわざわざ予約したりするやつが好き
今年4月から高卒で働き始めたライン友が仕事やめたい…というので、ちょっと話を聞いた。
学生上がりの新卒が考えがちなムカつく思考だったので、この中堅社会人様がガツンと言ってやろうと長考してメモ帳にまとめて、メッセージを送った。
【☆☆☆さんの言い分】
高卒で正社員入社したけど、辞めたくて仕方ない、でもせめて1年は耐えないとねと思ってる、大手だから研修しっかりしてて辞めにくい。
同期がいなくて話せる人いない、先輩は仕事できる人ばかりでついていけるか不安。
人間関係は優しい人多い、仕事を覚えられない自分が嫌、足を引っ張って申し訳ない。仕事辛い。
☆☆☆さん1人に感じることではなくて、学校卒業して働き始めた人に「仕事が追いつかない、できない、申し訳ない」と言う人が多くいるので、私がよく伝えることです、分かってほしいので語気が強めです、少し聞いてくれる?
1.新人が数日で完璧にできる仕事内容だと思ってんのか!?なめんな!!
2.先輩は長年かけてやっとこのレベルの仕事できるようになったんだから、自分も今すぐ同じになれると思うな!なめんな!!
3.未熟者が落ち込むな!「自分は優秀な才能がある“はず”なのにできない」と、自分の姿を有りもしない高い位置に想定してるから現実との差を感じて落ち込むんだよ、そのくだらんプライド捨てろ!「できない」を理解して「できる」に変換することに集中しろ!
4.会社も先輩も、新人の君を仕事デキる奴だと思ってないから!!
だから1週間前に出来なかったことができるように、1ヶ月前より少し早く仕事こなせるように、と時間かけて育ててるんだよ。社会人歴数週間のお前ごときが自分の社内評価を判断すな!!素人は黙っとれ!!
…それに、「ついていけなくて申し訳ない」って、まるで遠慮がちな発言だけど、内容は先輩の成長に対して敬意ないし、自分のこと高評価しすぎだし、なにさま?失礼です。
会社が新入社員を雇うには教育が必須で、教育するってことは長いスパンでその人の成長を見ていて、それ全部分かった上で雇ってるんよ?
それを自信過剰で失礼な思考の奴のせいでぶち壊されたくないんですよ。だったら他の人を雇っておけば良かった!ってなるじゃん?
そうなりたくないし、『この子なら教えたら覚えてもらえそう』って感じてるから教育するんじゃん?ちゃんと期待してるよ。
こいつなにも覚えないってやつには空気でわかるよ、教えてくれなくなるし、できない奴はクビが待ってるだけよ、でも今そうじゃないでしょ??☆☆☆さんには教育する価値があるんよ。
会社は「できない→できる」を何度も経験した人の集団を作りたいんだから、足を引っ張って辞めたいって理由だったら、1年どころか5年くらい我慢したほうがいい。
お前ごときが仕事の邪魔できてると思うなよ、足の引っ張りがたらんよ、しっかり逆張りできるくらい仕事のこと理解しろよ、それができるときには一人前になってるから!
でも、辞めたい理由が、仕事内容以外に心がすり減る理由があるなら、転職を我慢しなくていいですよ。休職でもいいよ、権利あるんだから。その時はまた声かけてね。
働くって、本当は楽しいものなんですよ、嫌な事多いけど、嫌な事だらけだけど楽しいものなんです。
『私さんが言ってた働くは楽しいってこれかなー?』と、ぼんやりでもいいから、わかってもらえるくらいまでは頑張ってほしいなーってのが私の気持ち。
新人に期待されてることは「仕事ができること」だけじゃないよ、「新鮮な価値観」や「成長」もあるんよ、あなたの成長が会社の利益につながると信じてるから教育するんよ、自分が悩んだり出来ないなと感じてる事もぜーんぶが会社の役に立つと思って、頑張ってみてよ。
頑張ったけどダメだーってなったら辞めていいんだから、ひとまず1ヶ月前より成長してるかどうか確認しながら頑張ってみなよ?
【実際の返信したメッセージ】
気にしちゃうよねー(困り顔 絵文字)どの先輩もみんな通ってきた道だよー!
私なんて(2桁)年目なのにまだ仕事で怒られてるよーーーーwwwww
https://anond.hatelabo.jp/20210414001604
この件、2つ思うところあり。
1:しずかちゃんはのび太の憧れの美少女、ジャイアンはいじめっ子、スネ夫はその子分…と一見わかりやすいキャラ設定に初期の『ドラえもん』はなっていたかといえば実はそうではない。あとから時代の要請でそのようにキャラクターがひん曲げられていったわけで、宗教も同じである。キリスト教も仏教もイスラム教も、原初の姿をとどめているものはほとんどなく、宗派によって解釈が大きく曲げられて原型をとどめていないことも少なくない。使っているツールが「神」だったり「仏」だったり「イエス」だったりするからその宗教の一派とみなされているだけなのだ。例えば浄土教系の「ひたすら阿弥陀如来に祈る」などというのは本来自分で悟りを開くというシャカの原始的な教えからすれば、めちゃくちゃなところへぶっ飛んでいる。ああいう絶対神の設定はもうキリスト教とかイスラム教に近い。だからどんな宗教を作っても、(科学のような客観的基準がないので)原初の姿はとどめておくことなんかできないし、時代やコミュニティの要請に応じてどんどん変化してしまうのが宗教というものである。
2:そういうときに現代に必要な宗教をさあ作ろうぜ、っていうときになんで「天地創造」から入っちゃうのかなあ。客観的な世界創造は科学に負けてしまう。そうじゃなくて、やっぱりここは「願えば叶う」という、世界=自分、つまり世界は自分が創造したというセカイ系こそ最強の宗教だと思うんだが。この世界は他でもない、私たち一人一人が創り出したもの。私たちが強く願えば、叶えられないことはない。「言霊」という考えが昔からあるように、言葉にして外に出ることで、それは疎外されて自分に対立し、客観的な力になって、自分を縛り、他人を縛る。例えば作家になってしまう奴はみんなそうだ。強く願ったんだ。「どうしたら作家になれますか」なんて他人にぼんやり聞いてるやつは作家になれるはずがない。私は作家になりたい、なりたくてたまらない、そんなやつだけが、めちゃくちゃなことをやって、どんなことがあってもとうとう作家になってしまうんだ。あきらめたらそこで試合終了だぜ? 限界は自分の中にあって、その限界を作り出す、つまり世界は自分が創造しているんだ。
いやいや、そんな日常生活に影響がでるレベルではないんですよ。
だから異性と付き合うしセックスだって普通にする。大体男性の肌は私達よりずっと汚い。特に背中汚いやつ多い。そんなのはちゃんと分かってる。
エロ画像やグラビアが修正されまくってるのは知ってるし、なんなら仕事でその修正したことある。
男性側が「この子はちょっと醜い身体なんだな」って思ってるんだろうなと考えて、心がチクチクするなって話ですよ。
=========
いい歳して、いまだに自分の身体は変なんじゃないかとか、醜いんじゃないかとか思う。
よくあるエロ動画広告、セクシー女優のあられもない裸体と局部、陰茎を舐める顔がアップで表示されるあれ。
私あんなに痩せてないのにおっぱいは無いし、なんか乳輪もあんなに綺麗じゃないし、小陰唇ももっと左右非対称でビラビラしてる。
おしりにおできとか肉割れの跡もあるし、脱毛しきれてない無駄毛あるし、あれ?私の身体ってめちゃくちゃ醜いんじゃない??
なんて、毎回思う。もちろんセクシー女優さんの身体は一般人よりメンテされていてずっと綺麗なんだとは思う。
でもどんな映像も広告も、やっぱり自分の方が醜いし、今まで付き合ってきた男性や、今の彼氏も「この女の身体は醜いなぁ(けどまあ立たないほどではないからいいか)」とか思ってるんじゃないかと、被害妄想してしまう。
その辺の道歩いてる一般女性のあられもない姿なんて見る機会ない。
日光に弱いので海やプールには行かないし、温泉も貸切露天に行くか、大浴場でもお母さん世代やおばあちゃん世代の人しか滅多に合わない気がする。
時折、行為が終わったあと「わ、すごい醜いぞこの身体」とハッとして、布団にくるまってしまう。
今の彼氏がキャバ嬢やセクシー女優と付き合っていたことがあると聞いて、尚更それが加速した。
私より身体の綺麗なひとなんて、ごまんといるだろうし、同じぐらいの人や汚いひとも沢山いるんだろう。
美しい裸体を持ってない人は、どうやって折り合いをつけているんだろうか。
思春期は自分と他人の体の違いなんてあまり気にしていなかったけど、いざ性行為というものをはさむと、コンプレックスに苛まれる。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
ダラダラと書き連ねますのでお時間があり且つ読み終えてからクレームなどはお控えくださると幸いです。
「生きるのが向いてない」という言葉が浮かび検索をする。これは小学生時代と高校2年とかそんな時期にも浮かんできたワード。再来している現状。
20代後半の社会不適合者でバイトを続けていた女がようやっと正社員になって1年目を迎える手前で鬱になりました。理由はある程度分かっていて冬場の繁忙期による激務に加えて本社の今やる必要ないですよね?案件、定時に帰れるのが少ない日々、などなど。そしてデカかったのはそれらのタイミングで休職者が出たことだった。新卒の女の子。私の仕事のモチベーションであった。
「そりゃそうなる」って気持ちと「他のみんなは頑張ってるのに私がこんな1人で苦しんでるなんておかしい。私の頑張りが足りないからだ」という気持ちでぐちゃぐちゃになっているにも関わらず、まだ耐えられるしもう親に迷惑かけたくないと思いながら仕事してたらいつのまにか仕事に出れない日が何日もできたり、仕事中トイレから出られなくなったりした。
そして見かねた優しい上司から休もう!と声をかけてくれて1ヶ月という名の本社の不手際かはよくわからないが伸びに伸びて2ヶ月の休職をする流れとなり今は短時間の勤務で復職して書き出しの文章へと至る。
つまり短時間勤務であれまともな復職が叶ってない。家から出られずご迷惑をおかけしてる自覚を持ちながら今現在自宅のトイレで下痢と胃の熱さに苦しめられながら奏でられる腹鳴と共にこの文章を書いている。もう2時間ぐらい真っ暗闇のトイレの中、スマホで書いてる。汚いとか言わないでください。もう切実だしちゃんとスマホもアルコール消毒します。
話が少し逸れるが私の仕事へのモチベーションが保てていたのは職場関係が比較的良好なのも勿論だが一番は同期と新卒ちゃんにあった。
ほわほわとしている年上の同期、控えめでおどおどしながらも頑張る可愛い年下の新卒ちゃん。この2人のおかげで慣れない仕事も辛いことも比較的ニコニコしながら業務できていた。しかし同期は勤務開始後すぐに人手不足の場所に異動。そして復職した現在、休職していた新卒は辞めていた。
話は戻り、最初に書いた文章を覚えていればわかるかと思うんですが鬱はもう何度も落ち着いては再発経験しているわけで「ええ歳こいてお前はなんやねん」っていう気持ちから逃げられない。理由は経験した人ならばよくわかると思います。わかって欲しい。
心療内科に現在通院し「調子はどうですか?」と聞かれたら今は「食事をする気力がない」「風呂にまともに入れない」としか言えない。なんならここ数週間ゴミ捨てにも行けてない。
先日に簡単で比較的栄養も取れるであろう食事を確立したので食事についてはまぁなんとかなったがそれでも面倒になる時だってある。昨日はなんとかなってたが今がそれ。毎日ちゃんと1日2食とか3食を食べれる人は普通に凄いし偉い。あれだけ好きだった食事が今や「人間はなんで食事がいるんだよアホンダラ」である。人は変わりますね。風呂についてはもう小学生時代からの恐らく鬱であった時期からよくあることで再び再発しているので目も当てられない。風呂が一番ネック。
掻い摘んでお話ししたこれらを聞いて先生も頭を抱えてらした。そりゃそうだ。復職してすぐこれで良いわけあるかいって気持ちだろう。客観視し、他人事のように心中お察ししながらも本社からは「1ヶ月で復職不可能であれば自然退職」と勧告されていた訳で戻らない理由がない。戻りたくないけど転職する気力すら無いのだから。
趣味のために働がなければならないのもそうであり、仕事を辞められないのもある。趣味はあります。「趣味だけはできる」と言うあれです。かと言いつつもできる日できない日はあるので「趣味だけはできる」に当てはまってるのか?みたいなところはある。でもやれば胃の不快感も食べたくないご飯も忘れられるしずっとやり続けるので恐らくこれだけが本当の趣味だけはできるであり、唯一の逃避なんだろなって思います。オンラインゲームとソシャゲなのでこれからもお金はいるし働かないとな…と思いつつも戻れないのだからいつか趣味も消えて無くなりそう。過去にもそれがあり趣味が全て消えた時期があったのでなんとなく予感がする。
実家の話をします。実家との仲は比較的良好、他の家から見れば完璧なのではないかと。実際、休職中は実家で生活していました。
なので別に帰れない訳ではないのだがなんせ私が長女であり、兄弟たちもまた社会に生きることに向いてない子たち。
実家は田舎、私は軽度発達の診断を受けたことも原因にあるからなのかはわからないが車の運転が路上に変わった瞬間地獄に早変わりし、それらの出来事への職員からの態度や発言に対して鬱になりやめたので田舎生活で1人になった時にまともな生活を送ることが叶わなく、そして親にこれ以上の迷惑かけたくない上に父親と娘の間には仲の良さはあるが少しばかりのズレがある。どちらかと言うと父親とのその少しのズレに酷く問題に感じている。
父親はいわゆるアスペルガーという診断を過去に受けたそうだ。まぁなんとなくわかるし「娘の私もそういうとこあるのかね」ってぼんやりと思っていた時期があった。でも蓋を開けると私はむしろHSPの傾向があって「そりゃアスペルガーとHSPの2人は高確率で分かり合えないのでは!?」と答えを比較的最近たどり着いてしまったわけです。少し調べたらマジでそういうわかりあえない部分はあるようですね。心配されつつも無自覚で何かを言われて落ち込むのが目に見えて帰れない。気を揉んでいる。
立ち直って立ち直ってを繰り返してるのに今立ち直り方がわからない。いい歳した女が何いうとんねんである。本当にそう。けれども軽度だからとか相手がアスペルガーだからと人のせいにする前に出来る部分を我が身を振り直せである。治し方どころか押さえ方も20年近く生きて何もわからないのに?どうしたらいいんだろうか。
「見合いでもする?」と心配と冗談まじりにも親に言われたこともある。他者へ頼れたり仲良くなれたらこんな気持ちも抑えられるのかなとも思うのは小学生の頃から続いていて、思うけど人を不快にする言葉を父親のようにするっと吐いてる気がして長年付き合ってくれてる親友としか関係性を続けられない。しかも弱音はあまり見せたくないし「みんな頑張ってるから」と静かにしている。ツイッターなんかは結構吐いているので本末転倒すぎて今誰もいないところで書くようにしているが。
こんなんで見合い結婚して子供なんて産めばそれこそ私も子供も自殺まっしぐらだろなって思った。それはとてもとても悲しい。そもそも特定の他人と生き続けるとかセックスだとか何やら全部が怖いし煩わしいので前提から無理です。許して欲しい。
やはり生きるのを辞めたい。やめられないものを抱えているつもりで実の所抱えてないのではないのかという気持ちがあったけど「でも死んだらテレビに出ちゃう要因が割とあるし急な話で友達にショック与えたくないなぁ…」「親に電話入った時どんな反応されるんだろな」みたいなことになるのでちゃんと抱えてるんだなと噛み締めたのでなんとか耐えてる。かといってこないだ久々にタオルで首を力を込めて泣きながら締め上げて気持ちを落ち着かせたのでもうどうしようも無い。
全てが楽にならなくてもいいけどせめて忙しさに息苦しくて呼吸できなくて倒れそうだとか腹鳴だとか胃が熱いだとかキリキリ痛むだとか下痢だとかそういうのがなくなって欲しい。薬を試してもこのぐらいなら許容できるレベルに症状が抑えられずにもいる。好きなものもかなぐり捨てても辛くならずに他者や身内にも迷惑をかけずに世間が考える健全な終わりが早く来ないものかと今か今かと待ち続けている。
ここまでダラダラと書いた頑張って推敲しつつもヘタクソな文章を読んでくださった方、ありがとうございました。同じ気持ちで生きてらっしゃる方にはここに同じ人間もいると安心してもらえたら幸いです。また「私よりもマシだし救いがあるじゃないか!」と思われた方にはその幸せが備わっていたとしても苦しんでる人間が存在してしまうと心の内に留めていただければと思います。
29歳、もう30手前だが
親は金持ちで自分も物欲が無く、特にコロナで海外旅行に行けるわけでもなし
食事は自分が作ったパスタが一番美味しく、高級外食に行っても面白いと思うだけで美味しいと思うわけでもない
友達は自分の事をニートだとしっていて弄ってくるが、その友達が仕事の愚痴しか言わないので働く気が起きないばかりか
社会人になり誰とも時間が会わない友人がニートという事で遊びに誘ってくれて普通にたのしい
顔も良い方に産ませていただいたので、マッチングアプリで女をつまみ食いしつつ毎日趣味をだらだらして
仕事は在宅系をしていると嘘をついている
確かに将来の不安や成長しない自分への悲観はあるが、結局そういう体裁の為に就職する事の無意味さを感じる
結局体裁に関しては嘘をつけばいい
確かにこのまま死んでいくのは嫌だ、俳優か何かに成ってなんか名を残して死にたいとは思いつつ
細かいことは面倒だからここで言う対案を求めているのは政府であるとして、
これは否定だけでOK。否定意見があることを認識してもらい、政府に案の再考をしてもらえばよい。
これは否定だけではNG。政府が「その問題点はすでに考慮したうえで、現行案がベストだと判断しました」と言われたらそれ以上の反論ができなくなるから。
現行案より勝る案があることを示すしかない。それが対案。
そしてどちらがより良い案であるか議論し、最終的には選挙などを通して国民に判断してもらう。
おそらく誰しも反対したいときは自分の心の中にぼんやりした対案があり、それが現行案より勝ってると思うから不満を持つわけだけど、それが具体化しない限り現行案より勝ってるのか第三者からはわからんのよ。
例えばぼんやりと現行憲法に問題があるな、と思ってる人でも、自民党草案を見て、「これには賛成できないわ、これなら現行憲法のほうがマシだわ」って思うじゃん。
具体的な対案があるっていうのはそういう話ができるってことなのよ。