何年も前の話。初夏の晴れた午前中、北参道駅を出てすぐのスターバックスで100%の女の子と出会ってしまう。
それは客先への来訪時間を気にしながらわずかな時間を使ってPCを開いている時だった。2人がけの向かいあった席の片方に座りキーボードを叩いていると、10人は座れるであろう大きなテーブルに荷物を置く人影が視界の端に見えた。
直感のようなものを感じて、レジへオーダーをしにいく姿を見届けた。「ああ、100%の女の子だ」とすぐにわかった。村上春樹の小説にある、短編の一節のタイトルだ。正しくは「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
好みということでも、取り立てて美人というわけでも、何かをカバーするほどの愛嬌でも、何にも当てはまらない。純粋に、自分の中の100%の女の子がそこにいた。驚いた。思わず開いていたPCを閉じて深呼吸した。
「すごいなあ、見ることが出来た、出来てしまった」そう感じた。存在を知ってしまった。だからと言って何か出来るわけではない。自分には家族があり何か行動を起こすことなんて出来ない。
自分に今できることは、目に焼き付けることでもなく、声をかけることでもなく、ただ視線を外すことだけだった。時間にして5分か10分か。残りの冷めきったホットラテをゆっくり飲み干して、100%の女の子の存在を視界の外に感じながら、何を見るでもなく「いたんだなぁ」と深く考え込む。
客先へ向かう時間になり、席を立つ。結局その女の子の姿をしっかり見たのは10秒にも満たなかったと思う。ぼんやりと思い出せるのは、鎌倉の海の近くに住んでいる大人の女性というラフであり自分をしっかり持っている、なんとなくそんな人だったような気がする。年齢は27-8というところ。髪はロングで洗いざらしのような。だが、そのファッションも見た目も、何でもよかった。ただ、ただ、100%だった。それだけだった。
「さすがはお客様!オメガトライブ!」 「誰が1000%なんだよ」
客「メガドライブ?」
「年齢は27-8」を「女の子」って表現するのってアメリカかぶれした人の方言なの?
元ネタの小説では、僕は32で女の子は「30に近いはず」という描写になってる
責任のがれしつつステマして爽やかに応えたつもりなの? ねえ方言なの?差別なの?どっちのつもりで書いたの?
男の人って坂井泉水タイプが好きよねえ…