はてなキーワード: 考察とは
本日はシンデレラガールズ総選挙の結果発表もあり、狂喜乱舞するプロデューサー様もいらっしゃればそうでない方も多いと思われます。声実装の4人と未央のPの皆さんはおめでとうございます。
そんな中、私は非常に嬉しくて悔しい、そんなTig-hugな思いを抱えています。なぜなら私はすべての票を漏れなく梨沙に捧げたひとりだからです。しかし何があろうとそれは結果なので問題なく受け入れることは出来ています。思ったよりメンタルが削れていないのは10位というけっこうえげつない成績を残せたからでしょうか。
まあそれはそれとして。
それで今日よく見たのが、と言うより前からよく見ているのが、「ヴァリサにはそのうち声付きそう」という呟きです。
言ってしまうと、そんなの誰にもわかりません。
梨沙Pの中には「ありえないから票を入れて」と言っている人もいますし、今だから言いますが一部のPaPが「つくから○○○○○に投票して」と言ってる人もいました。
今はどっちも正しくないです。今は。
選挙中はどちらかと言うと梨沙Pの方が正しかったと思います。でも今はどっちとも言えない状況です。
そこで私の出した結論が、
「誕生日までに無かったらまず来ないと考えてほしい」
です。
まず、次の年表もどきをご覧下さい。
Co 2015 11/29
2016 4/7-5/9
乙倉悠貴
早坂美玲
結城晴
棟方愛海
2018 4/10-5/9
白菊ほたる
2019 4/16-5/14
これは新アイドルを除いたアニメ後のサプボ7人の発表日と総選挙のスケジュールを順に並べたものです。見ればわかりますが見事なまでにCoとCu、というか過半数がCuでPaはいないという状況です。
それもその筈、逆にこの時期に総選挙で声が付いたアイドルは、今回を含めると
Co三船美優
Co森久保乃々
Pa依田芳乃
Co藤原肇
Cu関裕美
Co佐城雪美
Pa夢見りあむ
Paナターリア
そしてそう、サプライズボイスとはこの差をうまく修正するために運営の発動する一種の手と考えられます。Cuが裕美とこずえしかいないことからもこれは非常にわかりやすいです。
なお、一応言っておきますが、確実にそう、と言える訳では無いです。運営の方に質問した訳でも無いので、証拠はどこにもありません。妄言と吐き捨てられてもいいような仮説ですが、現状からしてある程度信じても可笑しくはない程度のものでしょう。
といったことが、「ヴァリサには声がつく」という意見への反論となります。
さて次に、なぜ「梨沙にサプボは絶対にない」が選挙後の今は正しくないと言えるのか。
ここで第5回以降の“声がつかない中で順位の高かったアイドル達“を並べてみましょう。
第5回
第6回
16 喜多日菜子
第7回
18 佐城雪美
第8回
それはもう、第5回の肇以来の快挙なのです。それも総票数のインフレした今で圏内まであと5万票もないそこそこの僅差で。これは声がつかなかっただけで結構な快挙です。あとついでに言うと10位以内で一番多いのがPaって言うのがなかなかイレギュラーです(多分これは夢見りあむのせい)。
34位でサプボあるとか言ってた人は本当に何言ってんのって感じですが、10位はちょっと普通に信憑性でちゃうやつです。
さらに的場梨沙はかなり露出が多い方のアイドルです。2週間に1度U149にて中確率で新しい供給をぶつけられ、そこそこの頻度でデレステのコミュに出演、声無しの中ではトップクラスに多いデレステのSR、現実の物品もそこそこの数が揃っているという現状。実際私も運営がなんか企んでるんじゃないかとたまに思います。
でもその割に総選挙直前にガチャやりましたよね。運営さん何考えてるの?
その上、声が実装された場合も、おそらく運営にとってはやりやすい方のアイドルです。
声が実装されたらまあ確実に新しいコミュが来る訳ですが、そこで必ず発生する「誰と絡ませれば自然か?」問題が滅茶苦茶すんなり解決します。結城晴と漫才させてもいいし(デレステですら現時点で3回やってるんですよこの2人)、ももぺあべりーで絡ませてもよし、LMBGもよし、ギャル系で美嘉莉嘉と話してもよし。ごく自然と声のある会話に参加出来てしまうのです。
というように、今回の選挙でまた有り得そうな要素が増えてしまい、「来るんじゃね?」と思うのも無理はないレベルでチャンスが膨れ上がっているのです。ここまで来ると私も絶対にないとは言えないほどに。
とまあ、なるべくフラットな目線で見ようと努めた結果、「来るかもしれないけど普通に来ないかもしれない」という考察結果が出来上がりました。何も解決してません。
そこでもうひとつ要素を加えるのです。
上に書いた年表もどきをちょっといじってもう1回見てみましょう。
11/29
11/29
4/7-5/9
乙倉悠貴
11/19
早坂美玲
3/17
4/10-5/9
結城晴
11/19
棟方愛海
12/5
4/10-5/9
白菊ほたる
12/1
4/16-5/14
サプボの発表と総選挙、美玲を除いて明らかに特定の時期に発生しています。サプボの発表は11月後半から12月上旬、総選挙はゴールデンウィークの前かその辺と言った所でしょうか。わかりやす。
畢竟、サプボの発表を期待していいのは精々年内、どんなに頑張っても3月まで。そして、ほぼ11月末が事実上の期限と言っても良いでしょう。ここを過ぎると、ほぼないと考えていいと思います。
だから、「あるんじゃない?」と思っている方は半年間は可能性を信じましょう。それがいいと思います。的場梨沙の誕生日である半年後の11月19日、この日を目安に期待していて下されば幸いです。そしてこの時期をすぎても来なかった、「ああ、10位に食らいついたとしても声を実装はする気は無いのか」と考えを改めては頂けないでしょうか。
「誕生日までに無ければ声は無い」。これを是非、覚えておいて下さい。
ここからはバイアスバリバリの的場梨沙好き人間からの言葉です。
梨沙P、もしくは梨沙を応援したいPのみなさん。みなさんもう思ってると思いますが、私は来年のPa1位、スパークルスターは勝ち取って欲しいと思っています。というかCG狙って頑張りましょう。どうせサプボとかないんで充分燃えてくるはずです。私も頑張ります。声付くまでは他の担当に入れたい気持ちを押し殺して梨沙に、絶対、一票残らず入れます。
そんで「梨沙にはどうせ声がつくからこっちに入れてね!」って言ってた人達は責任取って(何の)来年は梨沙にぶっぱしてくれると私の精神が安定するのでぜひお願いします。ほんとにそこそこの数いるんですよね。それへの怒りもモチベにしてたくらいには。
あとそんなリプライに「自分はそう思わないから梨沙に入れます」って言ってくれてた絵師さん最高でした。ありがとうございます。
[追記]
「前半のサプボへの反論は総選挙中にやるべきだったのでは?」とありますが、梨沙P界隈ではかなりそれについてのツイートが発生していました。流石に言い過ぎな上に強く言ってて逆効果なんじゃないかと思うくらいでしたが、おそらく梨沙Pの範囲をちょっと出たあたりくらいまでしか拡散できていなかったのでしょう。
なので、そのコメントへの返事としては「みんなしてたけど外側への拡散力が不足していました」
です。
夢見りあむは炎だ。逆風も追い風も、周りのものを巻き込んで燃え上がる炎だ。炎に魅せられて多くのものが寄ってくる。炎はそれすらも取り込みより大きな炎となる。私もそのように今、炎の一部となるのだろう。
彼女は総選挙3位になった。その過程はどうであれ、彼女が第8回シンデレラガール総選挙の第3位になったのだ。これだけは言う必要があるだろう。3位おめでとう、これは間違いなく、あなただけが持っている栄光なのだ、と。
ここで警告。この文は勢いでかかれているため、校正はしたものの、読みづらい。そしてこれに対して思うところがあればコメントに残していってもらって構わないが、ブラウザを閉じてこれを忘れる方が無難だ。
断っておくが、私はプロデューサーでは無い。アイドルマスターシンデレラガールズのいちプレイヤーではあるものの、どのキャラにも愛着以上の感情は見いだせそうにも無い。いってしまえば、声が付こうがどうでもいい。そんな私がどうして筆を取る気になったのか。それは、先述の通り、炎に魅せられてしまった、つまり彼女に興味を持ってしまったからだ。
前置きが長くなってしまった。本題に入ろう。彼女はどうやって票を得たのだろうか。まず、彼女のキャラクター性について。Twitterに出回るスクリーンショットを見る限りでも、ツイ廃らしさや人生への敗北者らしさといったオタクの写し鏡のような言動、白衣が衣装云々という過去をほのめかすことによる誰にでもできそうなちょっとした考察をさせる点、と二次元キャラとして、まぁイイ線いってるかも、と思えるキャラ性がうかがえる。しかし彼女が多くの票を入れた要因はそこではなく、もう一つうかがえる言動にあるだろう。端的にいってしまえば、彼女は炎上キャラだ。オタクはチョロいなどというのはその最たるものかもしれない。それだけ見るのなら、まず憤る人間はごまんといる。その人間がそれを呟く。ここに、夢見りあむという炎が始まる。共感する呟きが現れる。火種とも言えるその小さな炎は、寄り集まる。呟きは声になる。小さな炎は、その大きさを増していく。声は拡散される。拡散するということは、当然多くの人の目に触れるということだ。炎はさらに遠くへと広がっていく。彼女の名は、そうやってアイドルマスター界隈の外側まで広がっていった。その名が消えないうちに総選挙をやれば、当然、面白がって票を入れる人が居るだろう。それにお気持ちをこぼす人も居た。それもまた、彼女の存在を目立たせる、炎の一部に過ぎない。そうして目立ち続けた彼女は、燃え続けた炎は、栄光を手にするに至ったのだろう。
そしてその炎には、さまざまな感情がこめられている。特に目立つのは、憎悪の感情だろうか。何も彼女に対してのみ向けられたものでは無い。運営やほかのプロデューサーに向けてのものも多くある。特に運営への憎悪を向ける人々は、声無しアイドルのプロデューサーが多く、彼女に票を入れていたようだ。この人々は恐らく、彼女を1人のキャラクターとして、というよりかは、単なる革命の旗印として扱っているような印象を受ける。これも、彼女の知名度あってこそなのだが。(単なる声問題に関してなら、他のキャラでも良いはずなのに、彼女がまつり上げられたのは、そういうことなのだろうと思う。)
ただ、炎というものは、いつか消えるものだ。オリンピックの聖火でさえも、消えるときは消える。夢見りあむという炎は、急速に知名度を上げ、またそのために革命の旗印となった彼女は、いつ消えるのだろうか。また、どのように消えるのだろうか、まだまだ興味深い。
最後に、蛇足にはなるが、少しだけ心配事を述べさせて欲しい。記紀神話において、火の神カグツチは生まれることによって母であるイザナミを殺してしまった。彼女も、そのように母であるアイドルマスターシンデレラガールズという世界を殺してしまわないといいのだが。
なんかFGOのシナリオが『探偵映画』っぽいとか噂になっているようなのでついでに宣伝しようと思ったが、中古でも新書版しかないってどういうこと? 講談社文庫も文春文庫もあるはずなのに…まあせめてKindleでどうぞ。 https://t.co/jejAX1otKs @amazonJPさんから— あびこ (@sukiyapotes) May 17, 2019
「惑う鳴鳳荘の考察」と探偵映画が似ているという、我孫子武丸氏のこの指摘を読んで、私は訝しみました。
ですが、京大ミス研出身で、講談社からデビューして、麻耶雄嵩に受肉させられたような人間が、こんなベタな作品とネタを被らせるでしょうか?
そこで私は、思い出してしまったのです。
数年前、同じように探偵映画の盗作をして話題になった「ホタエナッ!!」という演劇のことを……
これは、伊福部崇さんが「ホタエナッ!!」を盗作として断罪されてしまったことのリベンジとして「惑う鳴鳳荘の考察」を書いた。
そう考えれば、すべてのパズルのピースが綺麗にハマるのです!!!!
なお、この理論により、辻村深月とかかずゆみが同一人物になりますが、どちらもドラえもんに関係しているのだから、同一人物に決まっています。
放送作家が何をする仕事かわからないけど、どちらも作家とついているのだから、違うはずがない。
なお、この理論により、森見登美彦とふかわげんきが同一人物になりますが、この二人はどちらも「よく可愛い女の子に囲まれてて羨ましい」という、逃れようのない事実としての共通項があるため、同一人物です。
下二桁目と下一桁目が同じ「3」である。
これは偽名を名乗るときに自分の名前から取ってしまうのと同じ現象。
なお、この理論で、似鳥鶏(38歳)と田村ゆかり(43歳)が同一人物になりますが、この場合どちらも「世界一可愛い」という共通点があるため、証明不要です、世界一は一人だけです。
どちらも関西にある変人があつまる大学なので、大阪芸大に入れる人間は京大にも入れるに決まっている。
なお、この理論により、梶井基次郎と庵野秀明が同一人物になりますが、偏食の庵野秀明と檸檬大好き梶井基次郎が同一人物のはずがありません。
奈良には鹿がいて、北海道には熊がいる、どちらも音が二文字で漢字が一文字と非常に似ている、おそらく同一の生き物の別の呼び方にちがいない。
同じ生き物が住んでいるのだから、これらは同じ場所に決まっている。
なお、この理論により、森見登美彦(奈良県出身)と田中理恵(北海道出身)が同一人物になりますが、二人とも配偶者が可愛いという疑いようのない真実が合致しているため、この理論を適応しなくてもよいです。
逆転裁判 時間旅行者の逆転は巧舟のモノマネで、ブルコンのテーマには神谷明や小野坂昌也などのモノマネをするパートがある、モノマネなんて聞いたことも見たいこともない芸を披露できるのは同一人物だから。
なお、この理論により、北村薫(女子大生のモノマネをしていた)と青木佑磨(鷲崎健のモノマネをしている)が同一人物になりますが、どちらも学生時代への強い憧れがあるという気持ちを抱えているので、同一人物なのは一目瞭然。
谷川ニコは作画と原作の二人組で人間は二人いると必ずセックスをするし、天使もえはセックスをするのが仕事なので、同一人物。
なお、この理論により、岡嶋二人とみくちゃんが同一人物になりますが、クラインの壺も素人図鑑File-07も同じ胡蝶の夢をテーマにした作品なので、この理論によらずとも、同一人物です。
青崎有吾は「青がつくミステリ作家のじゃないほう」で、天津向は「天津のじゃないほう」で、どちらもじゃないほうなので同一人物。
なお、青がつくミステリ作家こと青柳碧人と、天津こと木村卓寛は、多作の売れっ子作家と一発屋芸人なので同一人物ではありません。
「うゆーさん」だの「うゆうさん」だのなんて表現は、ライトノベル以外の何物でもない。
すべてのライトノベル作家はあかほりさとるなので、麻耶雄嵩も同様にあかほりさとるである。
松屋にも辛いものは置いてあるが、伊福部崇が満足するほど辛いものは置いていない。
好きな食べ物がまったく違うのに、二人を同一人物として扱うなんて狂っています。
なお、そもそも、別に「惑う鳴鳳荘の考察」は探偵映画のパクりではありません。
また、我孫子武丸と関智一は怪盗不思議紳士という作品などで交流があり、あの件は終わっています。
なので、もう良い加減に「探偵映画」という言葉を見かけるたびに「伊福部さんがパクったやつだ!!!」とテンションを上げて、このような駄文をしたためるのはやめたほうがいいのです。
以上です。
優男。どこかフニャフニャした響きのある単語である。諸君はこの「優男」と言える人に会ったことがあるだろうか。ある人は、その人のことを、ない人は、とりあえず「優男」像を適当に思い浮かべて欲しい。
優男。優しい男。特にマイナスな語意をはらんではいない単語だが、どこかウザったい。その理由を考察してみた。
仮定から言うと、(結論から言うと、と言いたいところだが結論と言うにはあまりにもお粗末だ)「優男」は女性目線の評価なのではないか。女性の言う「優しい」は換言すれば「話を聞いてくれる」「共感してくれる」、「寄り添ってくれる」である。自我を消し、自分語りを控え、女性にひたすら共感し続ける男が優男である。車がぶつかりそうになった時に自分が盾になって女性を守る「優しい男性」像は明治男子が恣意的に生み出した幻想である。
分かりやすい例がある。男性間の会話ではあまり聞かれないが女性は3秒に1回ペースで発している言葉があるだろう。
「へぇ〜、そうなんだ〜」
したがって、モテる男になりたければ、女性と議論してはいけない。ひたすら共感するのである。脳死で頷き続けるのである。
くだらない。
・それらは自分の嫌な記憶と繋がるからで、笑いにすらして欲しくない
・嫌な行動をするキャラクターも嫌いになる
・反論は認めない(主観なので当たり前)追記として、規制を求める物でもない
という事になるが、これでは他の言及が一切の意味を成さない為、より深い考察を提案する。
①ナゼ、触られたり見られるのが嫌なのか?
あらゆる状況でそうであるかどうかを考え、その理由を認めるのは非常に難しいだろう。しかし総てを否定し、許可が要るのであれば、人類は絶滅する事に考え至って欲しい。
大袈裟でもなんでもない。残念ながら種の繁殖を公権力や資本が管理する社会にも未来はないのだ。
②嫌な経験とキャラクターの行為にはどのような関係があるのか?
これは非常に簡明であるので、ぜひ自分を分析して気付いて欲しい。苦痛であるのなら、好きな経験や楽しかった事との関係から始めると良いだろう。
そうして、それが解析できた暁には残念ながら漫画を卒業する事になるかもしれない、と述べておく。嫌な経験だけでも、その逆だけでも作品は成立しないからだ。
これを考える事ができないのは、通常の教育課程で文章の読解は行うが、漫画については行わないせいもあるかもしれない。
本来であれば教育されるべき性質のものでもなく、且つ又、執筆側の思惑を読者が汲まねばならいのは、ある意味で作品として失敗とも言えよう。
しかしこの日誌は自らの内面に踏み込んでいるため、そこで終わらせず、更なる先を理解できれば多くの描き手は本望ではないかと思う。
【画像】クジラックス先生、ヨーグルトの日に謎の漫画を描いてしまう [309927646]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1557903413/
221 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スップ Sd3f-IpQH) 2019/05/15(水) 18:39:47.10 ID:fg8d+O4Id
これはロリを見てヨーグルトを味わってると見せかけて実はお前らロリコンに性的なまなざしを向けてるんだよ
ロリとオッサンが並列的に描かれてるのは一見切り返しショットのように見えるがそれはミスリード
右側のロリを見ていやらしい想像をしてるお前らを左側のオッサンが凝視してる構図になってる
あの子に決めたってのは自分のオカズじゃなくてお前らを誘うエサにするという意味
だからロリが帰ってもオッサンはロリを追わないしヨーグルトを食べるのもやめない
困惑と考察に暮れるロリコンの表情をオカズにオッサンはヨーグルトを最後まで食べ続ける
差別のことを本当にきちんと考えるつもりがあれば
「これは○○差別と言われてるけれども成分を分析すると○○差別ではないものでは」
でもお前ら頭悪ーい人達は
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得
野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.
鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
シンデレラガールズ総選挙の締め切りが残り24時間を切ったが、投票先を未だに決めかねている。ちなみに中間時点では投票しておらず。
もちろん問題は夢見りあむだ。具体的に言えば、推しに入れるか夢見りあむに入れるかを本気で悩んでいる。
ぶっちゃけると推しはガッツリ恵まれている部類で、声もあり曲もありユニットも参加しており順位も割と高め安定している。だが属性TOP5を狙うのはかなり厳しい。そんな位置にいる。推しへの愛はここでは割愛するが、要するに地盤の硬さと爆発力のなさにより、投票してもしなくてもあまり意味がないのである。ぶっちゃけ今回も推しにぼんやり全額入れるか~くらいに思っていた。
そこに夢見りあむが来た。
より正確に言おう、デレステの「夢見りあむのウワサ」が来た。
曰く、「夢を見たいらしい」。
衝撃を受けた。
最近のアイドルものというのは、なんだかんだで「夢をかなえる」というキーワードから出発しているものが多い。その結果として出力されるのは「夢を目指す」、すなわち目標に向かっていく物語である。目標はどんなぼんやりしたものでもいい(何しろ色んなのがいるので)が、とにかくそれがなければアイドルが歩いて行かない。「夢を見たい」と言い出すということは、夢見りあむには夢がない。アンチが言うのとは全く違う意味で、物語が存在しなくなる。
「夢を見ることができるようになる」ことだ。それ以外に存在しないと言ってもいい。逆に言うと、夢を見た時に彼女の物語は終わる。つまり、夢見りあむがアイドルとしてスタートに立った時点で話が終わるのである。
確信をもって言うが、来年の夢見りあむはここまでの勢いを出せない。スタート地点にすら立っていない、ということを武器にした夢見りあむは、ストーリーに参加するたびに牙を抜かれ、刃を鈍らせていく。今までのデレマスが他アイドルに関してやり続けてきたように、最も致命的な問題を巧妙に回避し続けていくであろうからだ。これまではそれでよかった。たとえ終着点に辿りつく可能性が無くても、そこに進んでいく姿を描けるならそれで良いからだ。
夢見りあむは一歩踏み出せば、すなわちストーリーを始めれば、夢を見始めることができれば、そこが終着点になる。それを回避するため、シナリオでは煮え切らない話を繰り返すことになる。スタート地点に立たないままできることは、殊更に少ない。ぼんやりした描写が増える。勢いを失う。少なくとも、現在の最大風速には届かない。それが夢見りあむだという実感がある。
だから、この瞬間、デレマス実装から半年、デレステ実装から一か月、そのタイミングで開催される最初のシンデレラガール総選挙こそが夢見りあむの正念場なのだ。二度とないチャンスなのだから、全力で大爆発させるべきではないのか。
それこそが「夢見りあむがスタートラインを目指す物語」にとり、最大の偉業となるのではないか。
ネタと天秤で投票先を悩んでいるわけではない。ここまで状況が煮詰まっていれば、入れるならオールインだろうという確信もある。
女性でも男性でも、自慰行為の話でも性行為の話でもいいので、それがどういう感じなのか、やったことない人にも分かるように経験を説明してもらえるとうれしいです。
もともと雑食・軽度のオタクだったのですが、二年ほど前から人生を曲げる勢いである作品の沼に落ちて、本気で二次創作BLを読みまわるようになりました。身体性がちゃんと取り扱われている作品なので、わたしの推している二人組はぜっったいセックスするし、そういう身体的コミュニケーションを好むと確信しています。しかしながら困ったことに、わたし自身はセックスしたこともないし性的な快感というのが何かよく分かりません。彼らはセックスが好きだと思われる、この「セックス」というものは、成人向け作品の規範においては快感を生むものとして設定されている要素であるらしい・・・・・・という以上に思考を進めることができない現状では、わたしが行うことのできる考察はとても制限されてしまいます。なので、やったことがある人に教えてもらうのがいいだろう、と思い、みなさまのご経験についてお話伺いたく存じます。
せっかく匿名なので、以下、性というものについて現時点で私が分からないこと・考えたことについて書きました。
1.性欲について
寝ないと死にますし、食べないと死にます。でも、性的なことをしないと死ぬってわけじゃないですよね。「性欲」という言葉で呼ばれているものが一体どのような状態なのか、ということが分かりません。
仮説1-1 男性の体をもった人には生得的に性欲があり、第二次性徴によって発現する。
仮説1-2 性別によらず、生得的に性欲がある人間やそこそこの人間や皆無の人間が多様性をもって存在し、第二次性徴によって発現する。
仮説1-3 性欲とは社会的構成物であり、訓練や習熟によってこの概念を獲得した人間に自覚される。
仮説2-1 性欲は性行為や自慰行為といった身体的行為によって充足される
仮説2-2 性欲は性行為や自慰行為といった身体的行為または、恋愛感情の保持や成人向けコンテンツの鑑賞といった精神的行為によっても充足される
仮説2-3 性欲は(上記の)身体的行為と精神的行為の結合によって充足される
なんでそもそも性欲というものの存在自体を疑問視しちゃうかというと、睡眠欲や食欲のような身体的欲求の形で自覚される性欲というものが私のなかに存在しないからなんですよねえ。でもわたしは中高生ぐらいの頃から二次元成人向けコンテンツを見て回る、みたいなことはやってきており、なんとなくそういうことしちゃうのが「性欲」って言うんですよ、と言われるとそうなんですか~知りませんでした、って思うかも。
個人的に仮説1-1は、男性にのみ主体性を認めるジェンダー的な社会構造の結果生まれているような考えにも思えて眉唾なのですが、じっさいもんだい女の身体をもっている私に性欲が分からない以上、論理的には立てて置かざるを得ないなあという感じです。あっ、でも二次創作の参考にしたいので男性の身体を持っているひとは定期的に性行為/自慰行為をする必要性があるのかどうか教えてください。女性の身体を持っているひとは最初から自慰行為のやり方が分かっていたのか練習してできるようになったのかとか知りたいです。
あと仮説1-3もちょっとそんなことはないようには思われますね。種の保存につながる行動を発現させる遺伝子の方がより受け継がれそうなので。もちろん、人間というのは自ら構築した社会や文化によって本能を裏切るようにしながら暮らしているわけですが。
2.身体について
性行為/自慰行為って快感なんですか? 快感ってなにがどういう感じなんですか?
この文章の本題です。これについてはもはや誰かやったことある人教えてくださいとしか言えないのですが・・・・・・
成人向けコンテンツにおいては、性的なことは気持ちいいものだって価値観を前提にして大方の表現がされていますよね。でもやったことない人間からしたら、どこまでが形式的な表現上のお約束なのか、真実そういうクオリアのようなものが存在しうるのかが分かりません。でもわたしは推しのセックスをまじめに書きたいんだ!!助けてくれ!!! まあそもそものところ身体的なクオリアを認識して表象するのってめちゃめちゃ難しそうですよね。インドア引きこもり人間には身体を認識することからして難しい。私がいま認識して言語化できる身体的快楽って、寒い日にこたつに埋まるとか、暑い日に手首を水で冷やすとか、二度寝しようと何もかもあきらめるときとか。あるいはこの辺はかなり本命に近いんじゃないかと思っているのは、虫刺されやあせもなどで皮膚をを掻きむしっている瞬間、排泄の瞬間。アダルトビデオを見てるとなんだか痒みとか摩擦とかが大事なのかなという仮説が立てられそう??
もっとアダルトビデオを見れば、真実にさらに近づけるんじゃないかとは思うものの、インターネットの絵とか小説を主に摂取してやってきたので、三次元はぜんぜん探し方も分からないしあんまり楽しくもないんです、なんかこれはやや問題ある気もする。
自分でやってみれば分かるのでは、と自慰行為のやり方をググったりもしたのですがなんかぽいところには接近しつつもそんなにうまくできないです。練習がいるらしい。たいへんだな。
3.精神性について
机の上だけで考えるならなんとなくこっちの方が近づきやすい気がします。こう、犬猫じゃあないけど、お互いの信頼関係の表出としての接触を楽しむということですよね。いくらハグが好きな人間でも満員電車は好きじゃないだろってことはまあ机の上からでも簡単に想像できます。ここから精神的なことが身体的快楽に結びつくっていう仮説を導くことができるし、これはけっこう確からしい仮説だと思うのですが、人体って不思議ですね。ここからSMとか(『ナナとカオル』を読んだ)特殊プレイ的なものはなんとなく接近できそうな気もするのですが、そしたら逆に人間がなんで性行為をやる必要があるのか分からなくなってきました(そして性欲とは何かという問いへ戻る・・・・・・)。
(性的な経験についてつぶさに述べているインターネット上の文章などでも、おすすめのものがあれば知りたいです。あらゆる情報を求めていますが、人と交際してみて確かめろというコメントは必要としていません。性的なこと(や人間の二者関係のあり方)について知識を得るために、じっさいに恋人を作ってみるという考えを抱いたことがなかったわけではないのですが、特に好きでもないひとに時間を使うなんてばかみたいですし、人生経験を増やすために誰かと交際したいというのは、相手の人間の人格を否定するのに等しい考えですからね。交際ではなく仲の良いお友達で、わたしとセックスやってみてもいいよって人がいるといいんですけれども。しょうがないので文献情報を収集することで自分の認識を更新したいと思います。
愛という概念について考えるために『饗宴』を読んでおり、次はフォイエルバッハの双数性についての何かを読もうと思っているのですが、こういう哲学方面でも愛や性についておすすめの文献も求めています。)
こういうノートがある。
今日増田でもチラと話題になってたツイッタラーのnoteで、主に世界価値観調査(2010)を基に男女の幸福度に分析、考察している。
それに以下のようなコメントが付いていた。
2019/05/08 23:29
分析が不十分です。読むに耐えないので、もうちょい詳細に調べてから記事にしてください。女性が感じている差別が見えないのであれば、見えないことをもっと反省して掘り下げてください。私達の差別を見えないからって勝手に「ないこと」にしないでください。
コレはなんだろうか。
自分たちの主張が認められるまで掘り下げ続けろとでもいうのだろうか。
自分たちの主張に間違いはないとなぜ信じきれるのだろうか。
棺桶は二重底だった
カーズ「サンタナ? あーこいつら奴のことそう呼んでんのね、合わせたろ」
最初期スタープラチナの射程範囲が広いのは承太郎の精神が安定していなかった=スタプラの能力が安定していなかったため
GEの感覚暴走は描写されてないだけでチョコラータ戦でも発動している
ブラックサバスの矢に刺されたGEがレクイエム化しなかったのはジョルノがまだその器ではなかったから
保護色(を持った恐竜にお前を変えてやるがどんな気分)か?ランプ(の擬態)は好きか?(恐竜なので)明かりはつかないという意味(の皮肉)だが
ジョジョリオンはすべてその場のノリだけで描かれているので考察は無意味
大人は噓つきではなくまちがいをするだけ
あとひとつは?
好きとか推すとか担当とかファンとかガチャとかいろいろ支離滅裂に考えてしまった。
私は好きな推しがいる。
その”好き”はファンとか推しって感じじゃなくて、彼のアイドルではない側面を知っている者としての”好き”。
たぶんアイドルだけだったら正直そんなに好きじゃない。彼の理由を知っているから、アイドルをしているときの差異を知っているから好きになれたんだと思う。
コンテンツの世界観においてアイドルの私的な側面がファンから見てどれだけ露出するものなのか分かりかねるが、Pとしての立ち位置に入れ込みすぎてしまったといいますかゲームをしているとファンとプロデューサーの境界が分からなくなってしまった。
私たちはコンテンツに触れる際にPという立場が与えられる。そうすることによりアイドルたちの私的な側面を見ることができて時には悩みを共有したり立ち向かって成長していくことができる。(Pよりもユニット内で成長してる間が強いしそこが売りポイントだけど)でも私たちが彼らを知っていくには画面を介して金と運が重要ですよね!金を注いでカチャを引く!!ありったけの運でアピールタイムをぶち当てる!!できない分は金でカバーする!!寝る間も惜しんで休憩時間も使ってランキング報酬を勝ち取る!!!
この行為はファンとしての側面が強いなと感じる。プロデュースとはちょっと違う。その世界ではそれがプロデュースなのかもしれない。
だけども私にはそんな立派なP業ができない。休むときは休みたいし、そこそこの食事がとりたい。さっぱりした部屋が好きだからグッズもそんなに買わない。仕事をしてるし資格の勉強に時間を割いたりする。ほかのPさん方のように器用に平行してできるタイプではなかった。
どっちかっていうと「かっこいい(ハート)」ってより「今回の仕事反響やばかったな!やったじゃん!やっぱお前最高だわ!!」って背中バシバシしたい人生だった。完。
しかもヤバイやつの担当になりたがったのが不味かった。少し憎しみをこめて言わせてもらおう、ボーダー破壊顔面兵器。いやおかしいでしょ。しかも声帯を代わりにやってくださっている方の顔も良いときた。
事実として私には彼をプロデュースできる熱量は無かった。ほかのPさんとの熱量で負けた。金もそんなにつぎ込めなかった。運も悪かったし時間も割いてあげられなかった。私よりこのキャラクターどう?って進めた友達のほうが狂ってるぐらい金つぎ込んでるよ。幸せにな。
じゃあゲームライト勢になれば?とは思うがそこまで割り切れなかった。引けないガチャがあったら苦しいしガチャ煽りされたら殺意やばいし周りのグッズ集めてあたりまえみたいな雰囲気もツライ。こうして改めてつらいところを挙げてみると他者との比較に対しての嫌悪を感じられる。そもそもソシャゲ向いてないね。そういえば私買い切りゲーとかが好きで、オンラインゲーもソロプレイだったわ。
てかこんなの書き出してる時点で諦め切れてないのが分かってしまって苦しい。自分の熱量じゃどうしようもなくて逃げ出したのに諦めきれない。どうしよう。ライビュも申し込むか迷ってしまう。というか申し込む気力が無い。ボタン押して申し込むだけなのにね。こんな文章を書くより簡単なのにね。ほんともう潮時かしら。担当()を知ったのはウェディングのときからなんだけどさ突前のあどけなさから突後の頼もしさがほんとに好きでさぁ!対等でいようとしてくれてるのも好き。でもファンとしての活動も包括されたプロデュースでは彼が高いところに行ってしまっていて、その彼の態度とのギャップを感じてしまうんじゃ。俺様ならいっそ割り切れるのだろうか。倒れたやつらに同情するほど甘くないもんな。そういえば歌ったね、なるほどなぁ。
イベ何やってるかは知ってる。気になっちゃって。
もどかしいかなとは思ったけど案外気にならない。精神も安定している。
フリフリも似合うんだなぁという事実で満足した。
にしても次はいつくるんだろうね。みんな頑張ってね・・・曲は買うはず・・・。
しばらくは距離をおいてみようかなとおもう。
「なぜ日本人は『毒物を手間隙かけてカロリーゼロのこんにゃく』を作るのに『麦と水と塩で作れるパン』を作らなかったのか」に対する考察 - Togetter
「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」
「球茎を潰して灰汁で煮る」
「球茎を乾燥させて粉状にする」
を別々に考えれば良い。
なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?
そのために飢饉のときでも最後までコンニャクイモは残っているのだ
コンニャクイモ以外でも、飢饉のときに野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。
灰汁で煮込めばいい。
灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理した
灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法はワラビやゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質をもつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。
「アルカリ」という言葉がアラビア語の「草の灰」から来ているように、
灰は最も身近な塩基性(アルカリ性)物質として、古代から洗浄や消毒などに広く使われていた。
つまり、灰汁で煮るということ自体は、決して特殊な調理法ではない。
コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは、まず中国大陸で古くから行われていたようだ。
独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に「珍味」としての地位も手に入れた。
薬としても食べられていたようで、日本にも最初は薬として伝来したという。
かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく」製法を発明するのはその1000年後である。
収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化が可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。
これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、
炎上マーケティングなんだか知らないがヒプマイをめたくさ叩くエントリをよく目にする。はっきり言って不快。片っ端からミュートブロックが捗るので良いんだけど目に付くとうーんてなるよ。
俺も去年くらいからヒプマイを聞き始めたオタクなのでコミカライズ、原作のラジオドラマの脚本クオリティ等言いたいことがわからんでもない。
ヒプマイは楽曲の凄さに反してドラマパートが…まぁ、はっきり言ってしまうとしょぼい。
なんというか古い。一昔前のラノベを感じる。あぁ、原作者がそんな売れてないラノベの人かと聞いて納得が凄い。
ヘイ、チェケラッチョ!しか知らなかったオタク達にラップってこんなに格好いいんだぜ!と知らしめてくれる楽曲に対してドラマパートは未だにヘイ、チェケラッチョ!してるようにさえ見える。
わかる。わかるよ~~。声優たちが一生懸命生放送とかでも楽曲のすごさ、ラップの楽しさを教えてくれてんのにストーリーなんじゃこりゃ。俺もそう思う。
けどさ、一部のオタクや韓やフェミ??達の『ライターを変えろ』という声は違うと思う。ちょっと早漏過ぎん?
これは俺の妄想なんだが
ヒプマイはもともとぽよんな企画だったのをうっかり凄いアーティストがついちゃったのと担当声優が思いの外ラップが上手かったという不幸なのでは??
もしくは、kmsbが「3年先にブレイクしたら良いね」って走り出したって何度も言うように、3年先にストーリー的にもなんかあるんじゃないか?(あってくれ!)
そこまで見てトータルで面白い、ないしまぁいっかって思えるくらい、ないしはそこまで読まないと『流行るのかこれ…?』なクオリティでそもそもどうにか通った企画だったんじゃないか~~~???
なんて。思いたい。思わせて。思う。たのむ。
だってさ、制作チームやらあちこちのラジオで裏を知ってる人の話し的に「俺も企画書見せてもらったけどここまで流行るとは思わなかった」って口を揃えて言ってるじゃん?(制作陣のインタビューとかラジオとかめっちゃ追いかけてしまうオタクなので)
つまりさ、原作のストーリーの大元ってそっこまで楽しいものじゃないってことじゃね??????
などと
・昨日見たエントリでは『シナリオ採用はコネだ!』ってなってたけどさ(リンク見失った)、そもそもの企画元や原作者が彼なんだからかつ小説家なんだなら本人が書くのは当然の流れなのでは……って思うよ。流石に暴論。
コネじゃないっしょ。
毎日生まれては消える企画の中で彼がコツコツ積み上げたものをうっかり初速がジェット機に乗っちゃったばかりに叩かれるのは可愛そうだなーとは思った。
・俺はひひひの文章が苦手なのでanstを比喩に出されると一ミリも納得できないし、この何度も炎上してはまた同じネタで再爆発しては松のときにやってた流れでオタク一ミリも成長ねーな。とは思ってるし、原作の一文字一文字をあげつらって自分の中で妄想うったてて『考察!!』とか言ってるヤツはとっても嫌いだ。それはお前の妄想だから!それと違ったからって大暴れするな。赤ちゃんか!
・あと全然知識が薄くてゴメンだけど俺はボイスドラマでまともなのを聞いたことないからこんなもんかなと思っちゃうしラップしたい以上ボイスドラマは外せないわけでコミカライズがくるまではラジオドラマなんてこんなもんなのかな~~と正直思ってた。ごめん。
ごちゃごちゃ脱線したけどつまり何が言いたいかというと、3年ってわかりやすい単語が出てるんだからそれまで、待ってみたら?って事です。それまでは楽曲を楽しんではどうでしょうか!俺はそうする。そうします。
その頃にはライブの倍率も下がってると良いな~~~~~4th行きてぇよ~~~!!!
以上です。
ツイッターのフォロワーに熱狂的な48グループのファンがいて、
その人を介して、新曲出るんだな、今こういう子を推してるんだな、と知ってきた。
彼女の順位が上がれば、仲良くしているフォロワーも喜ぶだろうという気持ちだった。
わたしは自分で、事件について色々調べている人のアカウントをフォローした。
その中に、
「運営が、犯人を不起訴にしただけでなく支配人まで隠したのは、総選挙に関しての後ろ暗いところを隠したいから」
という説があって、総選挙に関してなにか知られては困ることがあるなら、あの不自然な対応も、ありえるとは思うんだけど。
話がしたかっただけなら顔を掴む必要ないし、仮にレイプ目的だったなら、なんで運営が犯人を隠すの?全面的に訴えて勝たなきゃいけないでしょそれ。
総選挙の黒い話が本当だとしても、大量に投票していた客が性犯罪で捕まられると運営が困るの?なぜ?
メンバーが関わっていた説もあるけど、「メンバーがメンバーを襲うようにけしかける」と「総選挙の不正を隠匿したい」がいまいち繋がらないの。
メンバーが犯人と繋がってたから、繋がってないひとが襲われる?えっなぜ?
繋がったメンバーが上位になる、繋がらなかったメンバーはランクインできない、それだけでしょ?
「総選挙の不正に関わっていた犯人と繋がっているメンバーがいて、帰り道で襲うようけしかけた」
なぜ?
襲わせてどうしたかったの?心に傷を負わせて辞めさせたかったとか?
だとしたら運営は、めちゃくちゃ、繋がってたメンバーを怒らなきゃいけなくない?
総選挙の不正が世の中にバレてしまうかもしれない、重大な、めちゃくちゃ余計なことしたんだよ、なぜ不問?
あとは週刊文春が犯人と繋がってて、スキャンダルを捏造しようとして失敗した説もあって、
それもまた運営が「おいおいおい余計なことしてくれんなよ」ってなると思うんだけど。
犯人に、訴えたら全部喋るとかそういう風に言われてるのだろうか…
やっぱどう考えても、「繋がることを拒否していたメンバーに危害を加えた」理由がわからない。
どうしても繋がりたかった、けど拒否された、それが許せなかった?だとしたら悪いのは、犯人だけでは?
犯人に、総選挙の不正をバラすと脅されてるの?だとしたら、今もうけっこうバレちゃってるけど…
この件についてなんにも言わないから。
心のなかでは色んなことを思っているのだろうけども。
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。