はてなキーワード: 鬱屈とは
私の推しはだいたい悪役だ。主人公たちから見ると敵側で、自分の野望のためによからぬことをしようとしているタイプのやつ。街を滅ぼそうとしたり、欲望のままに殺人や殺人教唆をしていたり、作中で屈指の極悪野郎として描かれていたり。
以前ネットで「悪役ばかり好きになるタイプのオタクは“この子は本当は過去に色々あって!この行動とかやばい野望もそこから出てきてるだけだから!本当は悪い子じゃないんです!”タイプと“悪役の悪い所を愛しているから実はいい子とか好きじゃない”タイプにわけられる」(雑まとめ)みたいな所感を見た。私はどちらのタイプも併せ持った厄介オタクである。というのも、私が好きになるキャラは“かわいそうな過去があり、それが原因でやばい事態を引き起こしているため同情できるが、それを補って余りあるクズ”みたいなやつが多いからだ。
かわいそうだけど、それにしてもその行動はどうなのよ。超自分勝手じゃん。言いたいことはわからなくもないけど、そのセリフはどうなのよ。いやでもそういう“悪”の部分が好きだ。だがしかし、悲しい過去を抱えながらも自らの信念のために突き進む点だとか、過去の経験から鬱屈してしまった人間が強大な力を持っていきいきしだして周りをはちゃめちゃにしていく点だとか、そういう“人間くさい”ところを好ましく思う。自分が本当に尊敬する人だとか、お世話になった人のことは信じようとする“善”の部分もいい。
こういう考え方のオタクになると、自分の解釈しか受け付けなくなる。この子は本当はいい子なんです!なファンと一緒にいると、いやいやわかるしその部分が好きなんだけどでもやっぱりこいつはクズですよ、と言いそうになるし、こいつは純粋に悪!なファンと一緒にいると、いやいやでもかわいそうな過去があって.......と言いたくなってしまう。どっちつかずなのだ。
挙句の果てに、こういうキャラは原作で罵倒されがちだから、原作を見るのが少しだけ億劫になってしまう。一番大好きな聖典であると同時に、推しをめちゃくちゃに貶す激ヤバ作品にもなりえるのだ。でもそういうふうに主人公たちから言われるのもわかるのだ。クズだから。でもそういうクズなところもかわいそうなところもひっくるめて好きだから、罵倒されてるのを聞くと少しうーんと思ってしまうのだ。モンペかよ。
ちなみに私の人生の最推しは原作で主人公のライバルキャラからくたばり損ないと呼ばれていた。泣いた。でも本人は全く気にしてなさそうでよかった。そういう謎に前向きなところも好きだよ。
話題の映画「ジョーカー」を観た。3日間もの間、印象的なシーンが鮮明に再生され、日常生活を送りながらも映画の中の世界が頭から離れなかった。観賞中は息が詰まるような緊張感が続き、ショッキングな描写に気持ちは激しく動揺した。
これは一体どういう映画なのだろう。なぜこんなにも強く私の脳内を占拠したのだろう。これは議論を呼ぶ名作なのか、はたまたただのトラウマ体験なのか。作品に散りばめられたエッセンスから頭をよぎった監督たちの紹介とともに答えを探っていきたい。
まず系譜としてはマーティン・スコセッシなしには語れない。スコセッシは言うなれば妄執の父である。社会が見せる夢に取りつかれた青年が現実と妄想の間でもがく、という題材をひとつのテーマとしている監督だ。アメリカンドリームを皮肉たっぷりに描き、鬱屈した現実とポップな理想を同居させ、若者が狂信的な思いを貫くことで結果的に社会がカウンターパンチを食らう、という内容に特徴がある。主人公にはしばしば常識や倫理観が欠如しており、それが社会との隔絶や陰惨な事件を起こす引き金となる。「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」でうだつの上がらない妄想癖の男を演じたロバート・デ・ニーロが「ジョーカー」で今度は人気番組の司会者を演じているのも意図的な皮肉だろう。社会の片隅で生きる男が自意識を肥大させて全能感を獲得するという構図は明らかにスコセッシに倣ったものだ。
だが、スコセッシ作品と比べると「ジョーカー」の方が観ていて受けるショックは大きい。はじめから狂気じみたスコセッシの描写する青年と違い、「ジョーカー」の主人公アーサーは特殊な障害こそあるものの、それなりの分別を持って慎ましい生活を送る恵まれない男なのだ。尊大さよりも不遇を強く感じさせる分、彼が段々と堕ちていくのを見るのはつらい。
似たような余韻を残す作家で連想するのはダーレン・アロノフスキーだ。アロノフスキーは絶望の職人である。こちらも現実と妄想の対比によって物語が進行するが、えげつないほどの乖離や物理的に後戻りのできない状況を生み出すことによって観客もろとも登場人物を絶望へと叩き落とす。往々にして個人における心理状態の変化に焦点が当てられ、描写に肉体の変容を伴うのが特徴だ。職人と称したのは、映像や音楽を神経質なまでに駆使して恐怖や落胆、憧れといった感情を煽っていく技巧派スタイルからだ。その画面は暗く、重く、そして美しい。「ジョーカー」を観て「レクイエムフォードリーム」や「ブラックスワン」を想起した人も多いだろう。アロノフスキー作品同様、「ジョーカー」には喪失そのものを賛美する鎮魂歌のような要素がかなりある。観客に登場人物と同じ夢を見させた上で、それが緊張とともに深い闇に飲まれていく過程をただただ美しく映し出すのだ。
では、「ジョーカー」の監督であるトッド・フィリップスの独自性はどこにあるのか。それは、社会的にインパクトのある題材を濫用し刺激的すぎるほどリアルな描写にこだわっているにも関わらず、全体として悲壮感を打ち消しにかかっているところにあるように思う。まさにジョーカー的とも言える、悲劇か喜劇かは主観次第、というのを地で行くような趣きがある。スコセッシが愛に飢え、アロノフスキーが闇を愛でる一方で、フィリップス節はなんとなくはじめから終わりまで人々の孤独が平行線のまま、深刻なのにどこか表面的で、楽観していて投げやりなのだ。
過去作の「ハングオーバー」でもトッド・フィリップスはそんな調子だった。いたずらに過激なモチーフを画面に持ち込み、場当たり的に対処していく。物語は緻密に構成しながらも強いテーマ性は内在させず、作り手としての態度はどこか楽観的だ。調べてみるとドキュメンタリー出身とのことで合点がいった。おそらくは観客を引きつけておく演出は最大限発揮しながら、事象としてはすべてありのままを受け入れる、ということである。男子寮、バチェラーパーティー、そして今回のジョーカー誕生といい、悪ふざけと相性の良いトピックを選んでいるのもきっと彼らしさなのだろう。待てよ、よくよく考えれば彼の切り口は「やりすぎ男子」そのものじゃないか。
だとすると、やはり「ジョーカー」という作品は社会的意義を議論するには不向きな映画だろう。映像表現に長け、社会をありのままに捉え、悪ふざけを好むトッド・フィリップスという監督が、人々にトラウマを植え付けるほどやりすぎてしまった結果できた映画なのではないか。社会問題全部盛り、過激表現マシマシでありながら「そういうこともあるさ」と爽やかに言わんばかりの演出にはそれで説明がつく。それは確かに時代を反映しているかもしれないが、風刺の意図や分かりやすいメッセージはおそらくそこにはない。
新時代のやりすぎブラックジョーク、それが私の「ジョーカー」に対する結論である。
※ 本当はクリストファー・ノーランにも言及したかったが、うまくまとまらなかったのであえて割愛した
「ジョーカー」見てきたけど無敵の人が無双する最高にイカした映画だったよね。
最初はしみったれた展開で鬱屈としてたが地下鉄のあたりから「ヒュー! やったじゃねえか!」って気分になったよ。
母親のくだりは悲しみを覚えるけどアーサーも悲しかったことだろう。
金持ちどもへの熱い風評被害な気もした、しかし福祉を削ったりとか奴らにとっての「ささいなこと」が積み重なった結果でもあるから「仕方ないよね」
まあブチ殺される側は理解できないだろうから「理解できない」って感想が素直に出てくるだろう。
ただ世間一般的には「理解できない」ってふうに善人ヅラしてないといけない気もするので、僕も増田くらいでしかこんなこと言わない。
とりあえずはやめられないというより、していないと生きていられない、普通を装うのが殊更に難しい人種だと思って欲しい。ストレス発散の捌け口がそこにしかないと思って欲しい。
勿論、美味しいものを食べたり綺麗な景色を見に行ったり友人に会ったりして休日を過ごすことも多い。それもとても楽しい。そうして平日は働いて、家事をし、趣味の本を読んだりして、普通の人の顔をして生きている。
ただそれらで解消されない何かが私の中にどんどんと溜まっていって、限界が来ると訳も分からずヒステリーを起こしたりする。過呼吸で倒れたこともある。普通の世界で普通に息をするだけのことがこんなにも難しい。
SMは私にすべきことをくれる。
虐げられたりそれに従うことが好きだ。自己肯定感のすこぶる低い私にとってそれらは純粋にここにいて良い理由となった。こんなに酷いことをされてそれに耐えているんだから気持ち良くなって良いんだと素直に思わせてくれた。
非礼を詫びて謝罪を捧げ、赦して貰うことが何よりの歓びだった。
好きな人と普通に普通の行為に及ぶことができない。鳥肌が立ち、冷や汗が流れ、全く濡れず、本番が痛くて堪らなくなる。飛び飛びに余計なことを思考して、全く集中できない。
それがSMになると安心感からか途端に体液という体液が飛び散り、大絶叫をホテルに響かせ、不安なまま生きていた日常の全ストレスを解放してくれる。
サディズムに甘えているだけかもしれないけれど、S性を受け入れることもまた喜びに繋がった。狂った性癖を満たせるのは私しかいない、私がいないとこの人はダメになってしまうだなんて甘美な状況もだいすきだった。
やめられないのではない。やめたくないのかもしれない。
もしも地方に移り住まざるを得なくなってそんな機会がなくなる未来が来るとしたら、なんて考えたくもない。そうしたら私は気が狂って死んでしまうでしょう。
私は、いま、幸せです。
【追記】
2019年10月に書き、埋もれていたエントリが年を越してから注目されていたことをそのまた1ヶ月後に知って、追記はしない方が美しいと知りながら少し書き足そうと思います。
やめなくていいと言ってくれた方、そもそもやめたいという話ではなかったのだけれど、そう言ってくれたことが救いです。
文章が良いと書いてくれた方、ありがとう。こうやって綴ることも鬱屈の整理のようなものであって、SMと同じように私にとって欠かせず、大切なものなので。お礼を言わせてください。
創作だとお思いの方、そのまま幸せに生きて欲しく存じます。それが案外、希望であったりしますので。
落とし所が分からずもがき苦しんでいた時期にはこんな風に書けなかっただろうと想像するに、今なお暗中模索の誰かの目にこのエントリが映れば良いなと。答えは自分の中にあります。とだけ。
なんだろう、代弁者・成功者・希望?語彙がありませんが、そういうのを見ているような気分でした。
自分が普段考えている鬱屈としたものが、形はどうあれキレイに昇華している絵面をみて、あぁ、これほど素晴らしいことはないだろうなと思いました。
この映画、誰に感情移入できるか、というより、自分の人生はあの映画で言う誰と同じなのか、で話が変わるんだろうなと思います。
私は暴動起こしている市民でした。あんなことが街中であったら、間違いなく金属バットで車のフロントガラスを叩き割っていると思います。
いつだって自分より幸せで裕福な人間は憎いし、そういう人間をどうにかしていい場面があったら、どうにかしない理由が無いです。
だから、映画見て、スッキリしたんですよね。そういう感情を持ったであろう人々が生き生きと暴力を奮っている絵面は本当に気持ちが良いもので、
自分の暗部がすごく穏やかになったと言うか、少なからず掃除された気持ちです。
なので、とても救われた気分でした。
上映後、隣のカップルがよくわからないとか怖いとか言ってて、思わず笑っちゃいそうになりました。
羨ましいな、と思います。この映画がわからない人生を送りたかった。そういう人生を送っている人たちは死んでしまえばいいのに。
ちやほやされたかったばかりにこんなことに
私は昔から周りの人にちやほやされたくて、でもされなくて、特別な存在になりたくて、でもなれなくて、そういった鬱屈した思いを抱えたまま大人になった
子供の頃からコミュ力が低く友達付き合いが上手くいかなかったことが原因ではないかと思われるが、
人の輪の中に入れないまま輪の中心にいてちやほやされる妄想をしていた
でも結局はそれは叶わないまま終わった
コミュ力もなく、器量も悪く、学校の成績も悪く、要領も悪く、当然仕事も出来ず、
新卒就活に失敗して所謂普通の企業の一般職にもなれずに零細と派遣で食い繫いできた私は
一般的に特別な存在というのは、生まれながらに人とは違う才能や素質や肉体を持っているひとのことである
社会において特別なのは他の人と同じ条件で競争して成績や売上実績などが突出する人のことであって
なんの根拠もなくある日突然特別な存在になる人間なんていないわけで
自分でもおかしな妄言であることは頭の片隅では認識しているものの、
丸一日中妄想して過ごすことがあったり、妄想のせいで変な開き直りをしてしまいまともに就職活動をしなかった時期さえあった
この時点で多分30歳はとっくに超えていたかと思う
自分でも頭の病気だなとは思うが、この妄想による自己防衛がなければ、
私が正しく自分というものを客観的に自己認識できるような人間だったなら、
今頃この世にいないかもしれない
本当はもっと先の人生とか、仕事とか、周りの人への気遣いとか、考えなくてはいけないことはたくさんあったはずなのに、
ありえない妄想に時間と脳のリソースを費やしてしまって後悔している
なれるはずもないのにその妄想は転職活動での会社選びにも反映されていた
基本的にはノースキル高齢のため選べる仕事はあまりないのだが、
派遣社員として数年間就業してきた秘書職ならば採用してくれそうな会社はあったのに他人への気遣いができる性格ではないことをこの数年間で身に染みて感じていたために辞退してしまった
求人広告の「社長直下の経営管理部」とかいう惹句に惑わされて入社したらこれだよ
特にやることもなく毎日使い道も分からない資料作りの練習に費やし早2ヶ月目
社内ニートか?
最近本当に性格が悪くなってきている。いや、元々いい性格だったとも言えないけれど、少なくとも今よりは心の中のドロドロ度合いは低かった。
今受験生で、まあ第一志望には届かなそうだ。そこから生まれる鬱屈が性格悪化の原因であるとはわかりきっている。
クラスの人々の多くは推薦か何かで地元か地方の私大に行くみたいだ。まともにセンターを受ける人はクラスの半分もいないんじゃないか。(もちろん他人の進路に口出しする権利はないので、『楽でいいよな』と思っている自分に気づく→死にたくなる、という一連の流れ...。)
クラスにスポーツの才能があり、その人が所属する部活の顧問にもよく手をかけられている人がいる。私はなぜかそれに無性に嫉妬している。本当になぜ。(その人と私は違う部活だ。私はもう引退したが。)
その人はあまり頭はよくないため、本名でやっているTwitterに校則に反することを無自覚に載せている。それを見て私は「あ、これネットに上げて学校側の目につくようにすればどうにかならないかな」と思い、その手立てを考えた。該当ツイートを保存し、某高校口コミサイトにあくまで高校のレベルの低さを指摘する形で画像かリンクでも貼っておけば、先生達も対応せざるを得ないだろう。
そこまで考え、リンクを保存までして、結局やめた。足がつくのが怖かった。実行して何も起こらないのが怖かった。そこまでの悪人になるのが怖かった。
つまり私は、学校では賑やかに振舞っているけれども実際のところ性格悪カスゲボ野郎だってこと。
いまは内心の悪をさらけ出すことはない。(頑張って耐えている、怖いのでただ言えないのもある) しかしこのままでは自分の倫理が心中の悪に蝕まれて消えちゃうんじゃないか、それが一番怖い。私は人間の尊厳を保っていたい。
受験結果がどうなるにせよ高校を離れたら改善すると信じたい。いや、自分でもそう努力します...。どうしようもない文章でごめんなさい。
夏休みの間、君をいじめてた子は君のことなんか忘れて楽しく過ごしてる。
君が辛くて、出掛けてあいつらにあったらどうしようとビクビクしてる間も。
大人になれば皆まともになると思ってる?
そんな人達に追いつけるだろうか。
頑張ってもどこかでボロが出てまたいじめられる日々に戻るよ。
いじめはなくならないよ。
暗くていじめられるような人より、
明るくて人をいじめられる人の方が人気があるのは今まで生きてて分かるでしょ?
君をいじめることにはストレスを発散できるというメリットがあるが、
君は何をやっても黙って耐えてくれるし、
それに対していじめた方はちょっと注意されるだけでいじめたことで人生に悪影響は与えない。
いじめられた方の味方になるのは遠い所にいる全く関係ない人たちだけなんだよ。
もしかしたらいじめは良くないと言ったその口で他の誰かをいじめてるかもしれない。
世の中全てがいじめを推進するようにできている。
君がいなくなっても
いじめる奴らが生きてる限り
他の誰かがいじめられる。
さっきふと、「あ、戦争してもいいな」って思いついた。
徴兵されたら、衣食住は保証されるし。ごはんも食べられる。衣食住なら刑務所でもいいけど、刑務所は前科ついちゃう。それは嫌だ。でも戦争なら勲章やらもらえる機会もあるしさ。少なくとも前科はない。
それに最悪、前線で行方をくらましたり、PTSDになったり、シェルショックになって病院に担ぎ込まれたりすると楽だし。
まぁ、生活にどんづまったわけだよ。
別に他国の人に恨みがあるわけでも、愛国心があるわけでもない。
でもこれはそろそろ戦争したいな。
戦地に行きたい。
まぁ大変なことは分かってるよ。俺も2本指ないし。ああいう痛みが日常にあるのだということをわかっている点では、これを読むあなたよりはよく想像しているよ。
しかしあれだ。前の戦争の時も一般の人ってこういう感覚で戦争行ったんじゃないかね。
兵士になれば白飯たらふく食えるってんで志願した人も多かったんだろ。
愛国心よりも飯よ。
で、まぁ戦地に行けばそれなりにムクムクと愛国心だとか使命感とか湧き上がってくるだろうしさ。部隊の人らと一体感を感じたり。それで飯が食えるならまぁ別に。
もちろん日本はクソだから自衛隊の奴らとかがここぞとばかりにリトル牟田口みたいになって新参をイビりまくるんだろうけど、俺はそこそこガタイもいいし、動物的なコミュニケーションも苦にならないから向いてると思うんだよな。まぁ最悪、いじめの標的にはならないくらいの知恵と体力はある。
理想は宇宙人とか地底人が侵略してくることだけど、奴らを撃退しても金はもらえない気がするんだよな。文永弘安の役とか秀吉の明出兵みたいな感じで、石油とか資源とか領土を得られないと生活は苦しくなるだけだ。
いや待て、地底人なら領土増えるか。いきてえな、地底出兵。テレスドンとかゴモラとかいるのかもな。
「靖国で会おう!」とか絶対面白いだろ。靖国とか知らねぇし行ったこともないけど、戦地の高揚感で俺は絶対言う自信あるよ。
めっちゃかっこいい遺書とか書くしな。そりゃ書くよ。腹は減っても脳内物質。ここぞとばかりに文例探しに精を出すよ俺は。
あれだよ、普段奥さんに何にも言わない奴が病気とかになったらいきなり感謝の手紙書くやつ。あれよ。
短歌とか詠んじゃうかもしれねぇ。やべぇな。飯も食えて短歌も詠めるんだぜ。半端じゃねぇよ戦争。
まぁまじめな話をするとさ。
つまるところ戦争って無能な奴でもそれなりに名誉と一体感と成し遂げた感を得られるからすげぇシステムなわけよな。それが封印された現代はそりゃあもう鬱屈してくるわけでさ。モヤシ野郎が金稼いでウェヒヒやってるわけだし、ウェヒヒ野郎と俺とで最前線に出て平等に死のリスクにさらしてほしいもんだ。
まぁ無理だな。
ウェヒヒ野郎はなんとしてでもリスク回避するし。政治屋どもはゴミカスだし。自衛隊野郎はイビるしか能がないしな。つーか当たり前だな。戦争を上手くやれるような能のあるやつらが舵取りしてりゃ、こんな史上最高の好景気なんて来ないわな。
リトル牟田口跳梁国家・ジャパンにようこそってな。カモンベイビームタグチ。
牟田口もやべぇよな。余裕で現代でも通用する男だぞ。河辺も忘れちゃいけねぇ。河辺-牟田口の最強ラインに東條からの最凶指令が飛んでくるんだぞ。完全にやべぇな。
断言するが、牟田口が現代に転生するとめっちゃ出世するよ。むしろ森あたりが生まれ変わりかもしれねぇ。安倍は河辺だな。
でもやっぱ森では役者不足だな。凄みが違う。森はゴルフだが牟田口は前線で芸者遊びだからな。サラリーマンとしてのモノが違うわけよ。
一周回って牟田口が好きになってきている。やべぇ。
なんかかわいいだろ牟田口ってさ。目がしょぼしょぼしてて、まるで自信も能力もなさそうな小男。髪の毛はやして髭そったら普通のサラリーマンだろ。
そんな小男が8万人だったか?兵士を殺戮した超将軍。サラリーマン牟田口やべぇ。
ちょっと値段の張る車に乗ったら途端に態度でかくなるサラリーマンいるだろ。あれだよ。そいつが牟田口だ。
牟田口がそこら中にいる。昔も今もな。
適当な上司を思い出してみろ。そいつが牟田口だ。髪の毛そって適度に太らして髭はやしてみろ。リトル牟田口の完成だぞ。
逮捕された宮崎(どっちの宮崎を思い出してもいい)な。あれも同じ画像処理すれば牟田口だぞ。ああいうのも牟田口になるんだよ。もちろん俺も、お前の上司も、お前もさ。
そろそろ「牟田口学」とか創設してデビル風見鶏・東條とか見つめ合うと素直におしゃべりできない河辺とかごく普通の日本のサラリーマン牟田口とかを徹底的に研究すべきじゃねえか。
まぁ話は逸れたな。
戦争なー。
まぁしたい気持ちとしたくない気持ちは半々だな。能動的な理由はあんまりないんだよ。飯食えたり、人生リセット(電源落ちるかもな)したり、いろいろできるだろ。ゴミカスが戦争責任でいなくなるかもしれんしな。
軽く考えてるように見えるけど、やるとなったら結構ガチでやっちゃうよ俺は。
というか否応なしにそうなるだろうな。高揚感と愛国心ブーストがめっちゃかかるから、今じゃ考えられないほどシリアスになるだろう。
「昔の人は立派だった」なんてことは一切ないわけよ。その場にいれば誰だってそうなる。
ウェヒヒモヤシ野郎も女を抱いて金を稼ぎ始めたらいっぱしの哲学語り始めるだろ。あれと一緒だ。
戦争してみりゃわかる。みんなすごい立派に見えてきて、「たとえ負けても日本は大丈夫だ」みたいにシリアスになるよ。そのシリアスな空気と、飯が食える環境と、名誉が欲しいんだな俺は。
やはり俺は戦争したいな。
-------------------------
分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw
なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPG好きじゃないみたいな風潮だもんな。
誰かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボールが駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああいう逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?
ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。
助けになるか分からんが、リアルタイムでRPGが拡まっていくのを思春期に経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。
「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃんと勉強もしろよ?」
「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」
「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」
体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後の意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。
興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性のブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。
大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。
ゲーセンってのは不良とヤクザと仕事をしないサラリーマンの営業と、後は風俗か水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?
おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度にしか思われてねーの。
もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクスの時代だからそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。
大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。
っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。
子供だからピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。
庶民の娯楽として市民権があったのはボーリングと映画だな。運動は身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。
釣りは生活の一部(の延長)で、テニスとゴルフは限られた金持ちの趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw
まぁオッサンもガキだったから勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれた子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?
どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人と若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?
俺は都会の人間だからかしれんが、道路も上下水道も電気もガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中。
…んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。
それが当たり前なの。w スゲーだろ?
日曜日に休める幸運な大人はテレビだな。ちゃぶ台とビールで。だらしない人は横になって。
上に書いた娯楽は会社の許可が必要(申請書はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート、遊園地、動物園なんかも認められてはいた。
長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。
そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。
例えばバッティングセンターの片隅に。
ボーリング場や温泉やゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。
毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。
大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商のテコ入れもあってインベーダーブームでヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。
一部のエレクトロニクスマニアは自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。
あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。
ともかくそういう中でマニア(オタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人の玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw
めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球のオマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンやギャラクシアンやドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年が社会問題化したので子供のゲーセン出入りが禁止され、ヤクザと無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコンは誕生した。
「一家に一台、ファミリーコンピューター!」
https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画)
ってな具合よ。
大してして話題になってねーけどな。
マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者が勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術や文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルとアドベンチャーゲームな。息抜きにアクション、暇潰しにシューティング。変態野郎がエロゲ。
んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想な子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。
いやー辿り着くまで長かった。ww
当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。
都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。
分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレの漫画家ってポジションだ。
本人がどうかは知らんが小児性愛者スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディだから許されてた。本格的な変態はうる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。
宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚や水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。
高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。
少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームとゼビウスがなければファミコンはあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステムの復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人の趣味として黙認されてた状態だ。
そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。
ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。
結論としてはだな?
マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。
ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。
ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーはヘラクレスの栄光の方が評価されてた。
ちゃんと世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。
パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供の文字を覚える勉強くらいにはなるだろww
ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。
まぁ鳥山は独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。
そうして大人と若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能を実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。
この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレスが子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。
それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界の冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?
修学旅行にファミコン隠して持って行って旅館のテレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?
うわーもう超なげーわw
軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネットで対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。
それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。
もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。
感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。
ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。
ゲームばっかりしてて悪かった。
マンガもたくさん読んでてすいません。
子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率や世代差がどれくらいかまで知らねーけど)
だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。
助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。
唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。
鬱屈とした気分になった時に使うといいよ
今や押しも押されぬ一大ジャンルのアイマスだが、当初は一部で人気のアーケードゲームに過ぎなかった。
それが箱◯が出て、ニコニコで動画が上がるようになって、人気が出てきて
毎年ライブはやってはいたけど、続編は発表されずに5年が過ぎて
友達に抱えられて会場を出た。
会場で流れたPVを家に帰っても何度も何度も眺めた。
続編を出すというまで5年かかった。
でもその時は本当に嬉しかった。
『皆で前に進める』
そう思ったから。
でも
そうはならなかった。
https://www.google.co.jp/amp/s/www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20811.amp
先に言っておくが、僕はジュピターに関しては何ともない。
Mマスが出た今となっては、そこに至るまで頑張った彼らのことはむしろ大好きで応援している。
僕が一番つらかったこと。
『皆で前に進める』と思っていた。
しかし希望と歓喜に満ち溢れていた未来は、あっさりと刈り取られてしまった。
表現を選ばないで言えば、本当はアイマス2の発売日にバンナムの前で腹切って死のうとまで思った。
でも弱い僕は出来なかった。
その後はゾンビのようにただただ生きていた。
Pだった時ほど気持ちが沸き立つこともなく
Pだった時ほど心がときめくこともなく
Pを辞職して浮いた時間と予算で、バイクや自転車に乗り始めて、それで新しく友達が出来たりとプラスになったこともあった。
でも本当の心は棚上げされたままだった。
最初はハート❤︎イロ❤︎トリドリ〜ムを聴いても、やばい歌だとゲラゲラ笑ってるだけだった。
特に速水ヒロ
「やべぇヤンホモがおるwww」と毎週1話1話を楽しみに待つようになった。
それでも這ってでも出勤しろと言われた。
しかし、そこでヒロくんは跳んだのだ。
天下のJRですら電車を動かせないのに、ヒロくんは電車を動かしたのだ。
久々に、本当に久々に腹の底から笑った。
そして涙が出た。
あの大雪の日、僕は漸く、一歩だけ前に進めた。
その職場で踏ん張り続けて更に2年。
KING OF PRISM by PrettyRhythm 公開
それまでボーイズのCDやプリパラ劇場版ルート4で細々と生きていた僕に突如与えられたガチの続編。
正直総集編でもよかった。ヒロくんは勿論、オバレやなるちゃん達のその後を少しでも知れたらそれだけで幸せというくらいの気持ちで観に行った。
総集編?続編?そんなチャチなもんじゃなかった。
次回予告が。
僕は思った。
この作品を皆に観てほしい。
そして
絶対にこの話の続きが観たい。
観れなかったら一生後悔する。
アイマス2が発売されてから、オタクとして全く無気力で人に何かを勧めるなんて全然やってこなかった。
そんな僕が本気で勧めた。
そして、今度は『未来』が繋がった。
公開が延長し始めて最初の頃の舞台挨拶でシンちゃん役の寺島惇太くんが言った。
「僕、この作品を初めて観たとき『なんて面白い作品なんだろう!』って思ったんです。でもあんまり伸びてないって言われて、『アレ?僕の感覚が間違ってたのかな…?』って思ったんですけど、今こういうことになって、自分は間違ってなかったと思えました!」
自分も心底頑張って、周りにも助けられて、
今度こそ、『皆で前に進めた』んだなって。
その後キンプリはまさかの一年間のロングランをして、サントラも、円盤も出ることになって、そして
KING OF PRISM -PRIDE the HERO- 公開
毎日終電で帰宅する生活、社長以外の人間から変わらなく受けるイジメ、売上を一番出しても誰も手伝ってくれない仕事量とプレッシャー。
僕は鬱で起き上がれなくなった。
一生の付き合いだと思った友達も。
神様はいると思う。キンプラはなんと試写会で1ヶ月早く観ることが出来た。
今度も想像以上だった。でも観たいと想像したものは全て観れた。
思い残すことはこの時点でなかったと思う。
でもここに至って起き上がれるようになった。
ヒロくんのショーは俺が沈み切ったところにまた届いたのかもしれない。
体調は一進一退を繰り返す状態ながらも、なんとか働けるところまできた。
そこで発表された三度の続編。
もう、ここまで来たら見届けよう。
同僚に支えられながら、少しずつ良くなっていった。
KING OF PRISM -Shiny Seven Stars- 公開
長くなったが今回の話で一番語りたいのはこの作品だ。
第12話でシンちゃんは観客に向けて11話で自分のしたことへの謝罪をする。
それに対する観客の反応は
「いいよー!」
「大丈夫だよー!」
このとき思った。
泣いてる少数派は9.18事件のときの僕、そして同じく傷ついた人達と同じじゃないか、と。
普通なら世の中は少数派には目をくれず、大多数の意見を拾ってそのまま進む。
少数派は切り捨てられる。実際僕らはそうだった。
でもシンちゃんは違った。
泣いたままの少数派をしっかりと見たのだ。
そして、少数派の為に涙を流し、あまつさえ大好きなプリズムショーをやめようとする。
なんで、なんで
シンちゃんは何にも悪いことをしていないのに
でもシンちゃんは僕たちを見てくれた。
僕たちのために泣いてくれた。
それをシンちゃんは今回与えてくれたのだ。
そして皆のショーが始まる。
今まで長々と書いてきたのもこれが理由だ。
『今ここに立っていることが 僕の最高の幸せ』
離れていった人も確かにいる。
でもそんな僕にもまだそばにいてくれる人がいる。
皆がいなければここまで来れなかった。
『どんなに辛く悲しい気持ちも 困難に負けそうな時も』
沢山あった。本当に沢山。
『僕らがいる 心配しないで
もう一人にはしないから おいで』
ここまで、ここまで言ってくれるなんて
かつてコンテンツに切り捨てられた。
身も心も全て捧げたコンテンツに。
もう何も信じられないと思った。
でも
この世に愛はあると
コンテンツは更に愛を大きくして返してくれると
セプテントリオンの7人とKING OF PRISMという作品はそれを教えてくれた。
こんなに嬉しいことはない。
キンプリは、スッスッスはあの時、そしてその未来で得られるはずだった
オタクとしての充実感を
オタクとしての達成感を
僕に与えてくれた。
やっと僕の心の傷は塞がりました。
傷が治ったわけではないけれど
塞がってくれた。
この先僕は22世紀まで歩いて行こうと思う。
ありがとうのかわりに好きって言い続けてよかった。
2016年に恋だったものが、2019年に愛になった証だから。
『ありがとう』
そうして俺が目的地へ走っている時、兄貴は乗り物で優雅に移動していた。
「それで弟は、『“M”の話を鵜呑みにする人間が多いのは奴が“インフルエンザ”だから』って言ったんですよ」
乗り合わせたセンセイとバスに揺られながら、なんだかユラユラっとした会話を交わしている。
「どうしてあんなものを信じるんでしょうね。知識や読解力がなくても、そもそも匿名の文章って時点で疑ってかかるもんですが」
「恐らく、そこはどうでもいいのだよ。彼らにとって信用できるか、情報が確かであるかなんて重要なことじゃない」
「ええ? 最も重要な点だと思うんですが」
「彼らにとって重要なのは、興味深いかどうかだよ。その情報に対して自分が何を語りたいか、他人がどう語っているかだ」
「大衆は愚かではあっても馬鹿ではないということさ。あれを本気で、何の根拠もなく鵜呑みにしている人は少ないだろう」
「ああ……そういえば、クラスメートも『本当だったら何か言いたくなるし、嘘だったらそれはそれで何か言いたくなる』とか話してました」
「まあ、場末のネットに限ったことでもないがな。マスメディアで情報をこねくり回したり、コメンテーターが適当なことを言うのも同じさ」
「それにつけても“M”がインフルエンサーだってのは変な話ですけどね。どこの誰かも分からない人間の言葉に権威があるなんて。ましてや一般社会から隔離された状態で、社会の意見だとかを吹聴するなんて馬鹿げている」
「マスダの指摘は興味深いが、案外“M”当人に崇高な理念や目的はないかもしれないぞ」
「では何のために? 他人にどう受け取られるかといった意図や期待も希薄なまま、わざわざ目につく場所で主張することを憚らない。一体どういった心理なんですか」
「要は独白、“呟き”なんじゃないかな。自己顕示欲、承認欲求といったものすら漠然としている。自分の中にある鬱屈とした想いを、ただ発露したかっただけなのかもしれない。ネットにはそういうタイプが結構いる」
「それじゃあ、まるでガムを道端に吐き捨てるようなものじゃないですか。噛み終わったのなら、紙に包んでゴミ箱に捨てるべきだ」
「ネット社会はそういうのに大らかなのさ。現実の公道とは違う。だから、彼らは自分の口の中にある“ガム”を吐き出すんだよ。それがどういう結果に繋がるかを深く考えないまま、ね」
「うーん……理解に苦しみますが、辻褄は合いますね。ネットだからこそ“M”には権威があり、それに便乗して語りたがる奴も多くいるわけですか」
「実際のところは分からないがな」
そんな感じで兄貴たちは今回の件に関わろうとせず、ただ俯瞰して見ているつもりのようだった。
でも憶測をあれこれ立てたり、自分の物差しで思うまま語っている時点で、騒いでいるだけの連中と大して変わらない気もするけれど。
兄貴がそんな悠長な話をしていた時、俺はシロクロの住み家にたどり着いた。
「ウェルカム! 遊びに来たのか? それともオレの力が必要か?」
「え、ボクに?」
この家に居候しているガイドって奴は、遥か未来からやってきたらしい。
テクノロジーも進んでいるから、きっと未来のアイテムとかで“M”を見つけ出せるはず。
「へえー、この時代の人たちは随分と純粋なんだね。情報に関するインフラストラクチャーが整ってなくても、教養や意志が薄弱なままでも、非論理的なものに身をやつせるだなんて。少しだけ羨ましいよ」
いつも通りウザいポジショントークをしてくるけど、今はそんなことで不機嫌になっている時間はない。
「やろうと思えばできるけど……やるわけにはいかないかな、それは」
しかしアテが外れた。
いや、俺のアテそのものは外れていない。
こいつにやる気がないってだけだ。
「なんでだよ、人が死ぬかもしれないんだぞ」
「だからこそだよ。人の生死が左右されるレベルの過干渉は避けたいんだ。修正力で直せないほど未来が変わるかもしれないからね」
「不甲斐ないぞ、ガイド! お前は何のために未来から来たんだ!」
「少なくとも、こんなことのためではないよシロクロ」
じゃあ何のために来たのかというと、それも守秘義務だとかで答えない。
なんだか、実は出来ないことを誤魔化しているだけなんじゃないかと勘繰りたくなる。
「悪いけど他をあたってくれよ、マスダの弟」
何が「悪いけど」だ。
悪いだなんて全然思ってないくせに。