はてなキーワード: 鬱屈とは
空気読んでまわりに合わせるのがつらくなって彼氏にも肉便器発言されてぽっきり折れた女が仕事やめてドロップアウトしていろいろする話
既刊5巻
1,2巻は鬱屈した日々からの脱出と新しい日々、人間関係、環境との出会いから自分を取り戻していく系のポジティブマンガ
3巻からはヒッピーゆるふわパリピの隣人とのズブズブドロドロメンヘラ恋愛マンガ
4,5巻はそこからのさらなる脱却と、結局働くなら空気読まなきゃ系に後戻りして説教臭くなるプラス、クズなはずの元彼が真人間扱いで元サヤになるべきっぽい路線になりつつあるマンガ
amazonレビューはのきなみ高いけど、5巻のトップレビューで一番「役に立った」を集めてるレビューとほぼ同じ感想
1,2巻の作風を求めてた人間からしたら3巻以降の展開はコレジャナイ感が強い
どんどん読むのがつらくなってくる
偏見あって申し訳ないけど女作者の書くマンガってどうしてこうなるんだろう、あるいは女性誌のマンガってなんでこうドロドロが好きなんだろうっていう残念・がっかり感
単純にマンガとしてもどんどん絵とセリフがゴチャゴチャして読みづらくなってきたし
ドラマ化もしてるって知って驚き
まったく見ようとは思わない
周りが助けてやればなんとかなった的なことを川崎の事件では言われるけど
ぶっちゃけ底辺に落ちた時点で救いようのない劣等感に襲われるですよ
むしろ優しくされると余計に惨めなんすよ
腫れ物を扱われるかのように
前にブロガー刺されて死んだじゃろ?
もうみんな忘れてるじゃろ?
加害者がどうとか
被害者がどうとか
どうでもいいわけですわ皆様は
どうせ殺されてもたかだか数人なんですし
19歳、浪人中の夏だった。
僕は幼い頃から空気が読めず、からかわれてばかりいた。今なら発達障害と診断がおりるかもしれない。
ヤンキーだらけの中学校で、教室の隅に転がるゴミみたいな扱いを受けながらも、成績だけは良かったことが僕の唯一の拠り所だった。だが、進学校に入学して地頭がいい連中の中に入れば、真面目さだけが取り柄の僕では敵わない。
早々と童貞を捨てたようなコミュ強や、高3の夏まで部活に打ち込んでいたクラスメイトが現役でMARCH以上に合格する中、僕の浪人が決まった。プライドばかり高い僕は、当時の2ちゃんの学歴板に毒されていたこともあって、人生に負けたと思い込んだ。
ショックを引きずったまま入った予備校では、声の大きい派手なグループが幅をきかせ、友達はできなかった。
春が過ぎ夏になっても、模試の判定は良くならない。家と予備校を往復するだけの毎日だが、世間の楽しそうな人たちが目に入らずにすむからその方が気楽だった。
通っていた予備校は駅と花火大会の会場の真ん中にあった。予備校の建物から出ると、狭い歩道は浴衣姿のカップルだらけ。露店も出ていて呼び込みの声も騒がしい。押し分けても押し分けてもはしゃいだ様子のカップルが押し寄せてきて、まったく駅に近づかない。肩がぶつかった強面の男に舌打ちされた。
惨めだった。毎日楽しいこともなく、女の裸なんてディスプレイ越しにしか見たことのない僕が、なぜこいつらに遠慮しなければならないんだ。刃物だと一人か二人しか殺せないから、マシンガンがいい。高いところから会場を埋め尽くしたカップルを打ちまくり血の海にできたらどれだけ爽快だろう。自分より幸せそうな人を殺す想像に、罪悪感はなかった。
今思えばまだ19歳。未来に絶望する歳じゃないし、花火大会なんてたった1日のことだ。でもそう思う余裕がなかった。
想像だけで済んだのは、ただただ親に恵まれていたからだと思う。浪人を快く認めてくれ、予備校から帰る時刻になると母は夕食のメニューをメールで教えてくれた。雑談をしながら家族で囲む食事が、心の支えだった。
その後、第一志望には落ち、格下だと思っていた大学に入学した。そこで気の合う友達に出会えた。卒業後、合った仕事に就くこともできた。だから当時の鬱屈はすっかり記憶の隅に追いやっていたが、川崎の事件でふと思い出した。
もしも親ガチャで爆死していたら、大学でも孤立していたら、仕事が見つからなかったら、犯人は僕だったかもしれない。そして、この先も人生に絶望するようなことがあれば、また僕はマシンガンを求めてしまうかもしれない。
大学生の女です。
なんでそんな訳の分からん事象が起きるのか考えてたんですよ、ここ数週間。最近、人肌恋しいというのか、ひとにどうしても甘えたくなってしまう。人の体温が欲しいとはいえ恋人がいるわけでもないから、仲が良い友達に体をくっつけて気を紛らわせている。腕を組んでみたり手を触ってみたり、そういう他愛もないやつ。でも、そのうちそんな軽いちょっかいが暴力に変貌してきてしまう。無防備な背中があれば殴りたくなってしまうし、手元にペンがあればひとの手の甲に突き刺したくなってしまう。なんでか。
まともに甘えることを恥じてるからだと思うんですよね。多分。だって学生とはいえ成人済みの大人が他人にベタベタするのって気持ち悪いじゃないですか。同性ならともかく、恋愛感情を抱いてるわけでもない異性の手を握ったりするのは良くないことじゃないですか(わかんないけど。私はなんの特別な感情もなしに異性に触りたいけど異性にベタつくと周りの反応が変な雰囲気を持ち始めるので多分これよくないんだと思う)。そこで暴力ですよ。暴力は乾いた行為です。そこに恋愛感情みたいなへんな気持ちが混ざることも(多分)ない。少なくとも私にはない。今のところは。
ひとに甘える行為は、こわい。自分が受け入れられなくて拒絶されたらどうしようと思うから。嫌そうな顔で手を振り払われる瞬間を思うと息ができなくなるから。ひとに好き勝手に甘えることを許されるような価値は私にはない。私がもし、ちいさくて素直で顔が人並みはずれて可愛い女の子だったら、どんな甘え方をしても誰にでも受け入れられたんだろうけど、残念なことに私はそんな素敵な存在じゃなくってただの成人済みのブスだ。
だから暴力に頼っている。暴力を受けている人間は客観的に完全なる私の被害者だ。被害者だから当然、加害者の私に対して倫理的優位に立つことができる。私に暴力を受けているひとが私の行為を許すか許さないかは完全にその人に委ねられ、私はただ黙って裁きを受ける側に徹するのみ、ということだ。そして、暴力なんて最悪な行為、許さなくて当然だから、暴力を受けたひとが暴力を拒絶することは当然のこととして周りに受け入れられる。暴力が拒絶されたら私は素直にそれを受け入れて反省したふりをすればいい。まるで最初から何もなかったかのようになる。暴力のなかで私が他人に触れたときのぬくもりが残るだけ。
これが暴力じゃなくて「甘え行為」なら、こんなにさっぱりとは多分いかない。甘えるという行為はいろんな意味で境界線が曖昧すぎるから。甘えるということは、甘えられた人に相当心理的負担を負わせる。「甘えられているから応えないといけないな、この哀れな人間を拒絶したらかわいそうだな」と、多かれ少なかれ感じさせてしまうものだと思う。そしておそらくは、甘え行為を拒絶することへの罪悪感を強要させてしまう。むりやり共犯にしてしまう。それはよくないのだ、私としては。にこにこと優しい顔をした人間に、「本当は甘えられるのが嫌だけど、押しのけたら可哀想だからこのまま甘えさせてあげよう」だとか心の中で面倒がられていたくないのだ。嫌なら嫌ってきっぱり言ってはねのけて、終わりにして欲しい。他人から重荷に思われるのがほんとうに死ぬほど怖くて怖くて心臓が震えるみたいになる。
他人に甘い期待をし、真正面からひとに甘えて、その結果否定されたり拒絶されたりするのがなによりもこわい。私が「他人に甘えるに値しない嫌われものの人間」であることを再確認させられることがこわい。それに比べて、暴力を振るったことを非難されるのは何も怖くない。最初から非難されて当然の行為をして順当に怒られた、ただそれだけの話になるのだから。
だから甘える代わりに暴力を振るっている。私の暴力が嫌なのならば、その人は「痛い」「やめて」と声を上げて拒絶するだろう。そうしたらやめる。絶対にやめる。でも今のところ、現実で私に甘えの代わりの暴力を振るわれている人間たちは黙って私の行為を受け入れてくれている。ありがたい。これからもいっぱい私に殴られてください。まあ、全てを何も言わずに受け止めてくれそうな包容力のある人間だけを慎重に狙いすまして襲っているので、受け入れられるのは当たり前なんだけど。
とかっていろいろ冷静ぶって偉そうに書きましたけど、やっぱりこんなの許されるわけなくない!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!!?!?!?暴力、基本的にどう考えてもだめじゃない!?!?!!?!?!?!?!?!!?!!?!?!?!?!??!?!?!!!?!?!?いくら周りの人が「ああいつもの暴力ね、はいはい...(呆れ)」くらいの感じで受け流してくれてるっていっても暴力はまずいよーー!!!!!!!!!暴力はだめだよー!!!!!!!ねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いや私だって暴力が許されない行為であることは理解してるんですよ。街行く人に誰彼構わず殴りかかったりするわけじゃなく、それなりに交流を深めて親愛度が95パーセントを越え切った友人たちにだけそういった行為をしている時点で「暴力」という行為に及び腰になってることはわかりますよね。でも親しい友達にだってきっとほんとは暴力振るっちゃダメなんです。っていうかもっと言うと成人なのに他人にベタベタ甘えたいと思っていること自体がだめ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
みんななんで他人にしなだれかからずに生きていけるの??人肌恋しくはない??さみしくない???????全て受け入れてくれる恋人がいるのか???それとも親に甘えたりできるの???????
毎日さみしいさみしいさみしい、さみしさで身体が引き裂かれそうになる、のに、そんな風になっているのは私だけで周りはふつうに暮らしているのでつらい。周りにとって私は「同じコミュニティにいるたくさんの人間のうちの一人」であって私が想っているくらいに私を想ってくれる人はいない。想っている???想っているとはいっても私が欲しいのは男女を問わない友人たちとの確固たる信頼関係(と肉体の結びつき)であって恋愛とかそういうクソみたいなものは一切求めてない、つーか恋愛????????????そもそもブスだから誰にも恋愛してもらえねえよカス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!なんでこんなに惨めな気持ちになんなきゃいけないんだよ !!!!!!!!!!
暴力振るってるのも普通に恋愛できない引け目からくる鬱屈した卑屈な感情の裏返しが他者への攻撃性になって発露してんじゃねえの??????カス人間かよ(それはそうだよ)死ねよもう いや死ぬの怖いし死ぬ度胸ないから死ねないんだけども!!!!!!!!!!!!!!とりあえず暴力振るうのだけはなんとかしてやめたいです、他人を傷つけたくないから(といったら聞こえはいいけど暴力することで嫌われるのが嫌だからですどこまでも汚い人間で生きててごめんな)、でも誰かに甘えたい、構って欲しい、どんなに「今日は他人に触らないぞ」って決めててもいざ目の前にひとの体温があると何も取り繕えなくなってしまって全部めちゃくちゃになっちゃう
毎日ほんとうにほんとうにつらくてくるしいから誰か助けてくれ、いや助けてくれって言うか、ただぎゅっと手を握っていてほしいです
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
うつ病と診断されていくら経ったろうか、もうパッと答えられるほど最近ではない。確か思春期外来にかかって、そこでうつだ、と言われた。恋愛と部活で悩んでいた中学校の私は、はっきりと、そこでうつと言われた。今ではそれしか覚えていない。その後、自分に都合のいい親は私をクリニックから引き離した。我が息子がうつであるはずがない、こんなに他人とも関わるのが好きで(好きではなかったが彼らにはそう映ったらしい)そして何より明るい人が、そんな病気にかかる訳がないと。当時、文字を読むのとかがそれほど嫌いではなかった私は必死で自分の病について調べた。どんな人がなりやすいのか、どういう治療法があるのか、こんな体験談があるのか、僕は果たして治るだろうか―――そうでもしていないと、冷たい彼女のこと、部活で受けるいびりを思い出してしまうからだ。頭を動かして、紙に文字を書いていれば少なくともそちらには気を取られなくて済む、そう思った私はひたすらに本とにらめっこをしていた。ただ、それでも原因から離れられない日々は間違いなく僕をおかしくしていた。親は投薬も、休学も認めなかった。それも嫌だったが、留意点として教師など、知るべき人にも僕が鬱である由は伝えられなかった。ただ、それでも僕は死んでいない。これは僕が死んでいないからうつでも平気だよ!なんていう詭弁を書きたかったものではなく、うつというのは周りの人も協力してあげないと決して治らなくなるものだ、と言いたいために書いていることは了承しておいていただきたい。それでも常に自殺は脳裏に浮かんでいる。従来の自殺は美しくない、死ぬときは牡丹のようにぼとりと落ちて死にたいと思っているだけで、もしそのように死ねるものがあれば、直ちに使ってしまうかもしれない。
これを何故書いているかというと、とうとう投薬が終わったからだ。それは僕が良化傾向にあるからではない。むしろ真逆の、薬が効かないという事態になったからだ。長期間に渡り抗うつ薬を処方されていた僕は、親に隠れてでもこっそり飲んではいた。でも、原因が近くにありすぎること、またその環境から経済的にも、精神的にも自立して逃げ出せないことでその場しのぎの安楽剤にしかなっていなかった。まぁ、首を吊りそうになったときとか、割と助かりはした。でもとうとう、それも効かなくなりつつあった。この間自殺未遂まで行ったからだ。早期に発見されてしまったので、今も意識は清明、思考の混濁もない。(無いと言ったら嘘になるかもしれないが)
こうしてみると、仏教の説話の蜘蛛の糸だとか、信じる者は救われる系の話にすがりたくもなってきた。それでもダメなものはダメだった。ただひたすら鬱屈とした自分が襲いかかってきて、たちまち意識を占拠されてしまう。毎日この繰り返して、今僕は一番勉強すべき時期に差し掛かっているのだが、一向に進まない。それに受験のことを考えてもダメになる。いっそ考えるのをやめたいとずっと思っている。脳が腐ってしまえばいいのに。臓器カードは準備できているのに。
今の自分を一度自分から離れてみると、子供のときに見た蟻地獄にハマる蟻を思い出す。藻掻いて藻掻いて、砂がじわじわと迫ってくる。はてには埋もれて死んでしまう。色んな人に言われる。うつの知識がないような人から、毎日をより良くしようとは思わないの?とか苦しいのを楽に変えたくないの?とか。そんな元気があればとうに打つ手は打っている。それができたらこうはなっていない。もう何をしようが、どう動こうがこのまま砂の渦の底に追いやられるのは自明で、それが早くなるか遅くなるかの差でしかない。こう思って、毎日蟻になってしまった僕は暮らしている。
晩酌をしていた時に私がそう呟くと、
夫は「俺が父親だったらこんな娘に育てたくないな・・・」と苦笑いしていた。
けれども私もそれ相応の恨みがあって言っているのである。
父親は私が9歳の時にW不倫したうえ、母のお腹にいた私の妹か弟になったであろう子どもを堕ろさせていた。
発達障害の妹(のちに警察沙汰を散々起こし、手帳持ちになる)を残して、不倫相手の元へ行ってしまったのである。
私たち母娘はそれまで暮らしていた都心の広々としたマンションから中途半端なベッドタウンにある母の実家に住むことになった。
両親が元から共働きだったこと、母方の実家がそれなりに裕福であったこと、父からの養育費を多少もらえていたこともあって、生活には困らなかった。
ありがたいことに大学まで通わせてもらった。その点は両親に感謝しなくてはいけないかもしれない。
それでも、父親はタワーマンションで不倫相手だった後妻と暮らし、ベンツを乗り回すという、自分たちと暮らしていた時よりも羽振りのいい生活をしていた(しかもそれを娘に隠しもしない)ことに長年傷つけられていた。
パパは自分たち娘やママより後妻の女の方が大事だったんだな、と感じた。
たまに会うと「パパは君たち娘が大事だから」なんて言うんだけども本当に薄っぺらい。
・・・とまあ、こんな鬱屈した感情を吐き出しても苦笑いしながら諭し、私を受け入れてくれる夫は本当に優しい。
その程度なんだよ俺は
実力や気力や体力や勤勉さがあるようなそんな素晴らしいひとびとがきっと俺のやりたかったことをぜんぶ代わりにやってくれるだろう。そのなにもないクズで無能で下から数えたほうが早いような凡庸な自分はそんな素晴らしいひとのお邪魔にならないように慎ましやかに生きていくことが必要なんだろう。
いままで、俺にも運が幾度となく回ってきた。そのどれもを俺はつかみそこねてきた。それは俺に実力も気力も体力も勤勉さもなかったからだ。単にあたまがわるいのだ。自分の頭で考えられないし、考えたとしても間違っている。そして考えたことを十分に行動も移せなかった。
かつては、こんなだめな自分だけど、いつかどうにかなる、どうにかできると信じていた。牛歩のような道のりでも進むことはできるのだと、「そうは在れなくともそう在ろうとすることはできる」のだと、前進できるのだと思ってきた。でも俺も今年で29だ。俺は老いた。まだまだいけると言う者もあるだろう。でもこの29年間できなかったことが、どうしてこの先の31年だか51年だかに実践できるだろう。ゲームのパラメータとは違う。これから俺はどんどん老いていく。体力は衰え目や歯が悪くなり記憶力も下がり柔軟性も失せやがて無知蒙昧とした視野の狭い汚らわしい田舎の老人のひとりとなるのだろう。今後の31年だか51年だかをかつてのように信じられない。自分の可能性を信じられない。そんなものはないと思う。でも生きていかなきゃならない。ひとの邪魔にならないように、せめてもの体力を奮い立たせ、体調やメンタルヘルスに気を使い、睡瞑運菜、でもなんで生きているんだろうなあ。意味もない。
今は寝不足でくたくたで酒を飲んでいるからこんなことを書いている。でも信じられないことに、この鬱屈も焦燥感も、少しべそべそしてからぐっすり寝てアルコールが抜けて体調が戻れば喉元過ぎて忘れてしまう。そしてバカバカしいこの日常がまるで幸せかのように勘違いして日々ニコニコ太陽に感謝して生きてしまう。こういうんだから俺はだめなんだ。今が人生のピークであとは下り坂なのに、なぜそのことを普段は忘れてしまえるんだろう。
今は頭がとても冴えているんだ。その頭が告げている。自分の頭で考えて出した結論はひとつ。死んだほうがいい。お前は人生のルートを間違えた。これからは思い出したように過去の後悔ばかりして、生きていくんだ。それはつらいことだから、だから死んでしまったほうがいい。死ね。
腹の中にどろどろしたものが渦巻いているので少し吐き出したい。
私は口下手なので文字でね。
そもそも口下手なせいで、弁舌の立つ人に言いくるめられた(ように感じている)せいもある。
とりあえず自分でも何がしたいのか、どうあってほしいのかよくわからない。
私は早くに母を亡くした。といっても成人してからであるが。母は突然逝った。祖父母を残して。
祖父母が元気だった頃はまだ良かった。
父からすれば単なる義理の父でしかないのだが、それでも病院の送り迎えなど甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母にとって近くにいる親戚となると、うちになるのだ。
亡くなった母には姉はいるのだが県外に住んでおり、病院の送り迎えなど頻繁に帰ることはできない。
父自身も持病を抱えており、祖父母の介護を一人でやるには負担が大きく、私も送り迎えを手伝うなどしていた。
病院の送迎、お見舞い、といったものを介護と言っていいのかはわからないが、少なくとも私は結構な負担を強いられていると感じていた。
祖母は足が悪く、家の中でも杖をつかなければ歩くことができない。
いたるところにゴキブリの卵が産み付けられていた。
しかしそんな私にはゴミとしか認識できないものでも、祖母にとっては思い出の品である。
これを捨ててもいいかとお伺いを立てれば、捨てないで、とっておいてと言われる。
足が悪いので頻繁に買い物に行けない。
そんなに買っても食べきれないし腐ってしまうと諭したこともあったが、買い物を邪魔されたのを拗ねるような反応をされた。
ちゃんと生ゴミの処理をしてくれるのならいいが、そもそも掃除のできない人なのだ。
冷蔵庫の使い方がぐちゃぐちゃなのも手に負えない。
何度も改善を具申したが伝わらない。
そもそも祖母は耳が遠いので、ちゃんと伝わっているのかがわからない。
「わかった」といっても脳内でまったく別のことに変換しているようなので、伝わってるが直す気がないのか、そもそもまったく別のことを言われていると思っているのかもしれない。
父は一人でなんとかがんばろうとしているが、そんな父が疲弊していく姿を見ることが私には辛い。
祖母の長女である母の姉も、最近では月に一度戻ってきて片付けを手伝ってくれる。
こっちもいろいろ限界なので、父ではなく私から電話をして話をした。
私は口下手なのでまったく言いたいことが伝わらなかったが、あの人がどういうことを思っているのかというのはわかった。
・・・ように思う。
曰く、「そもそも父が祖父母の面倒を見る、母ともそういう話をしていたということで面倒を見ているのだと思っていた。
しかし、祖母の身の回りが不衛生な状態で、世話なんか全然できていないじゃないか」ということで毎月帰って掃除をすることにしたらしい。
正直なところ、ろくに帰らず法的に介護義務のない父に任せっきりでその言いぐさはなんだと今になって業腹である。
ちなみに私は口下手なので、電話で話しているときにうまくそういうことを切り替えせていたらよかったのにというのも業腹である。
おばは弁舌が立つのでね・・・ずっと前から口ばっかの人だと思って私は嫌いな人種にカテゴライズしていた。
まあうまいこと言い返せなかったのでモヤモヤしていたのを書き出してみたらスッキリするかなと思って書き出した。
多少はモヤが取れた気がする。
父が疲弊していくところをこれ以上傍観できないというのが私の気持ちなのだろう。
では私が矢面に立って祖母の介護ができるかと言ったら、無理だ。
血の繋がりもない赤の他人でしかないのに、それをやっている父には尊敬の念はない。
馬鹿だなぁとしか思わないが、とはいえ疲弊していく姿を見るのはしのびない。
そんな父をしのびないと思えるのが、私に残った唯一の人間性なのかなぁとも思う。
正直祖母はさっさと死んでしまえばいいと、半ば本気で思っているフシがあり、我ながら人としてズレているなと思う。
この鬱屈は、祖母の家がゴミ屋敷したことによって噴出したが、10数年来の、母が亡くなり祖父の介護をしていた頃から徐々に溜まったものである。
おばにはこれは伝えなかった。
私の口が立つのであれば、母がなくなったときから父に任せず、肉親である私が矢面に立っていれば結果は違ったのだろうか。
こんなに呪詛を撒き散らすようなことはなかったのだろうか。