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はてなキーワード: 鬱屈とは

2020-05-02

この時期に誕生日迎える人たちへの嫉妬

ああこの人たちは産まれる前から愛されていたんだな、計画的な親の元に育った社会的強者なのだなという嫉妬。そしてやはりみんなしっかりしてる人が迎えるべくして次々と誕生日を迎えることに湧き上がってくる鬱屈とした気持ち

出産報告が最近多いけど9月入学になったら大失敗だね。

嘘です。お父さんお母さん僕を産んでくれてありがとう

2020-04-30

anond:20200430175220

鬱屈正義感と何の関係があるのか分からなかったかパス

排除は実際の行動だよね

マウンティングは同じ価値観の者で優位を取り合うことなので異なる価値観からまれ正義感とは関係ない

男女間の食事でおごる、おごられることについて

自分20代前半の女で、それほど男性食事に行く方ではない。

高校までは一切モテなかったし大学には行かず就職したので出会いもあまりない。

田舎なので職場には既婚者のおじさんばかりなのだ

それでもごく稀にに食事に誘われて行くことがある。趣味コミュニティで知り合った人とか友達の紹介とか。

その際にいつも思うのが、おごるなら先に言ってくれないかなあということだ。

初めて異性と食事に行ったとき、私はインターネットでおごられる女というものがめちゃくちゃバッシングされているさまを見かけたばかりで、断固として自分の分は自分で払った。

そしてそれを異性慣れした会社の同期に話したところ「それはそれで失礼じゃね?」と指摘を受けた。

そうなのか…と学びを得て以降、支払いに関しては「自分で払うつもりだけど、払うよと言われたら断らない」という姿勢をとっている。

ただ、事前に確認しない自分も悪いのだが、おごられるつもりでメニューを選んでいない時におごられるとめちゃくちゃ申し訳ないのだ。

「この人絶対おごるって言うだろうなー」となんとなくわかる感じの人の時は、申し訳ないので一番安いメニューを選んでいる。足りなかったら帰りにコンビニでも寄ればいいから。

あんまりそういう、おごるとかそういう雰囲気のない、ごく普通の友人のような雰囲気食事に行ってしまうと、せっかく来たんだし〜などと3番目くらいに高いメニューを選んでしまうことがある。

比較的よく食べるので、サラダも欲しいしデザートも欲しい。できればご飯パンは増量したい。

女性メニューはいろいろついていても多少リーズナブルだが、女性向けメニュー小鳥みたいな量の店だと物足りない。

食べ終わってから、どうしても口紅などが落ちるのでたいていトイレに行く。そして出ると支払っている。

迂闊な自分が悪いのはわかっている。でも「しまった〜〜〜〜〜!!!!」と思うのだ。

同性の友人との食事では常に自分の分は自分で払う、もしくはまとめて払って後から渡す。

でも、後から自分の分まで払ってもらうのはちょっと、と渡そうとしても受け取ってもらえない。

そして「じゃあ次回は払うので!」と言っても、なんか気が乗らなくなってしまって2人では会わなくなる。

結局のところ自分が男慣れしてないからいけないんだな〜〜〜〜と思う。

滅多に行かないので、前回の反省を完全に忘れた状態で行ってしまう。

前述の同期と同期の知り合いの男の人とご飯に行った時の彼女対応相手不快にさせず可愛らしかったので、慣れだろう。いや、人間性かもしれないけど。

おごられるときは「え〜いいんですか!?すみませんありがとうございます〜!でも申し訳ないんで、外の自販機で何かおごらせてください!」とか、「いやいやそんな気使わないでよ〜!払う払う!」とか。

おごってもらうつもりないから高いやつ頼んだけど、おごってもらえるから高いの頼んだみたいに思われたらどうしよう…とか考えて鬱屈とするなら最初から宣言しておいたほうがいいんだろうな。気をつけよう。

2020-04-21

親と仲の良いニートある意味理想生活だな。金の心配がないなら何も文句をつけようがない。うらやましい。

ぼくは親と仲が悪いニートです。両親仲悪くて子供の頃から夫婦関係鬱屈を親父から母親からもぶつけられてきた二次障害もち発達障害無職24ちゃい童貞

2020-04-15

まったくの気のせいかもしれないが

最近IT技術系の情報発信が若干減った?(観測範囲: Twitter、はてぶ)

みんな、在宅ワークになって、のびのび仕事できちゃってるせいで、

自分がやりたいことや情報発信をすることで、仕事鬱屈を発散して自己肯定する必要がなくなった?

あるいは、仕事中の息抜きでやっていたことをやらなくなった?

2020-03-23

本当なら今頃ワニの感想とか批評がぽつぽつ上がってたまにホッテントリにも入ったりブコメがついたりしてそれらを読んでは感銘深い思いをしてワニの死を悼んだりメメントモリを感じたりしていたはずだったんだが今繰り広げられてるのは醜い争いばかり

彼のマネタイズ手段を良く思えず現在鬱屈している人たちこそ本来あるべきだった作品の余韻をかみしめていたいはずなのにね

まあでも我々消費者っていうもの公式という独裁者には歯向かえぬものから、不満があるものは素直に亡命するか、これから国民として残るために矜持を捨てて公式にひれ伏すしかないんだ

まあ敬虔国民諸君からしたら公式に対して批判的な非国民に対しては腹が立つだろうけど、彼らも彼らで苦心していることを理解してあげてほしい

そしてそっと諭してやってほしい

コンテンツはお前のために存在してるわけじゃねーぞ」と

基はおなじ一人の公式を愛した者同士、袂を分かつのは魂を引き裂かれるように苦しいだろうが

批判的な発言国外からのものだと思えば多少気が楽だろうから

公式についていけない」と感じた時点で、公式にとってあなた棄民だということなのだから

2020-03-08

もうだめかもしれない

死にたい定期がやってきた

ここ最近特にひどい

鬱屈とした気分だ

人生はつらい

人生希望が持てない

現実で口にすることはないが、ネットで書き込んでも下手をすれば無神経な説教が飛んでくる

なんでだろうな

こんなはずではなかったんだ

決して高望みではなかったはずだ

ただ人並みに努力をして、人並みに報われてくれればよかったのに

それすら叶えられないなんてあんまり

2020-03-07

無題


これは、私がとある彼女」について抱いていた鬱屈した所感、

薄汚い感情吐露するとりとめのない文字列である

とは言ったものの内容は全く大したことはなく、

彼女」をだしにした自分語りみたいなものだ。

あと、あの時の気持ち文字にして、自分がすっきりしたい。それだけ。

私は、普段ツイッター活動しているオタクだ。

腐っている。腐女子だ。

BLも好きだけど、NLGLも大好きだし時折夢も嗜む。

好きな作品で、好みの展開があればキャーと黄色い声を上げ、

勝手深読みをしては一喜一憂し、

原作のしんどい展開には打ちのめされて体調を崩す。

しかしたらちょっと繊細かもしれない、どこにでもいるオタクだ。

彼女も、おそらく私と同じような腐っているオタクだった。

少し違うのは、彼女は私と違い、

素晴らしい作品を生み出すオタクだったことぐらいだ。

彼女の描く絵が大好きだった。

わたしは当時ハマっていたジャンル彼女作品を知り、感動した。

ツイッターリンク先に飛び、すぐにフォローした。

当時から今に至るまで、大抵鍵垢で過ごしていた彼女は、

同じジャンルでちまちまと小説もどき書いていた私にフォロー許可をくれて、

フォロー返しもしてくれた。優しい。

そこそこに交流もした。お互い、特に仲の良いという訳では無いけれど、

それぞれの作品ハートを贈り、時折は会話もした。

まり内容を覚えていないけれど、もしかしたらSkypeとかで

したこともあったかもしれない。

私たちがいたジャンルは、当時アニメ化していた事もあり

結構盛り上がっていて、男女共にファンの多い界隈だった。

共通しているフォロワーも多く、わいわいと楽しくやっていた。

本当に楽しかった。

それは嘘じゃない。彼女やみんなと過ごした記憶は、今でも私の宝物だ。

盛り上がりがあれば廃れもある。アニメも終わり、

少しずつ勢いが下火になってきた頃、私は少しずつ、

彼女のことが目に留まるようになっていった。

今だから思い至るし素直に白状できる事だが、

おそらく、私は彼女嫉妬していた。

素晴らしい絵を生み出すだけじゃなく、彼女は皆に好かれていた。

私が尊敬してる絵師も、作家も、彼女リスペクトしていた。

実際、それだけの力が彼女の絵にはあった。

ただ、彼女はよく自分の絵を消していた。

ピクシブにあげられていたものもあるが、いつの間にかサイレント

全削除していた時もある。当然、彼女作品が好きな皆は突然のことに戸惑った。

大袈裟に泣いていた人もいた。

どんなに「好きだ」と言われていた作品であれ、

その扱い方が変わることはなかった。

そういう一貫してるところは好き。

だけど、私は変にプライドだけは高かったので、

「私が自分作品を消したとしてもこんなに惜しまれることは無いだろうな…」

という自分勝手妄想で傷ついていた。惜しまれるどころか、

から相手にされずスルーされていく光景が目に見えるようで、

しかったのだと思う。

これ、全部被害妄想なんです。

なんだこいつ。自分で書いてて引いた。

ブロックブロック

1度出した作品を消す。それは全く悪いことではない。

だって時々消す事はある。

自分が生み出した作品を煮るが焼こうが、作者の勝手だ。

1度ぽんとインターネットという広い海に出してみたものの、

ありがたいことに良い反応を頂けたとしても、

「後から思うところがあったので消しました!」というのは誰しにもありうることだ。

からいくら「神」と呼ばれることもある彼女作品が消えることに

嘆く人が多くとも、彼女作品なのだから、どう扱うのかは彼女自由なのだ

前々から、それこそフォローした当時からその傾向があった彼女なのに、

何故後になって目に付くようになったのだろうか。

これは、当時彼女嫉妬していた私だからこそ思ってしまたことだから

からいうことは事実とは異なることを承知して欲しい。

私は、彼女自分作品を消した後の皆の反応を楽しんでるように見えた。

どうして、と崩れ落ちる人がいた。悲しい、と嘆いてる人がいた。

仲がいいからこそ、どうしてと本人に詰る人もいた。

それに対して、彼女は軽く、「バレるの早いなw‪w」といってのけたのだ。

完っっ全に私の僻みだが、当時の私は、それを見て不愉快になった。

自分作品に思うところがあったから、作品を消したんじゃなかったの?

周りの阿鼻叫喚する様が楽しいから作品を消すの?

自分作品武器にして、他人感情を振り回すのがそんなに楽しいの?」と。

画面の向こうに、他人の反応を見ながらほくそ笑む彼女が見えた気がした。

繰り返すが、これは私の妄想だ。彼女へ歪んだ目を向ける、私の歪んだ解釈だ。

そもそも彼女は、何一つ悪くない。

周りの反応を楽しむことは、決して悪じゃない。

二次創作をする人が何を理由にして作品を書こうがその人の勝手だし、

生み出された作品が素晴らしければ、同様に作者も愛されるものだと思う。

とりわけ、彼女普段仲が良い人に対してはとても面倒見がよいタイプで、

事実彼女にお世話になっている方は何人もいるようだった。

決して悪い人ではない。少なから交流もしていた私もそれは承知している。

彼女の絵自体は、相変わらず好きだった。

それでも、彼女自身を好きだとは思えなくなってしまった。

私は彼女から徐々に距離を取るようになって、

相互フォローこそすれ、やがて会話はほとんどしなくなっていった。

しばらくして、私は個人理由アカウントを変えた。

その際、私は彼女フォローしたが、

フォロー許可こそくれ、彼女は私をフォロー返しすることはなかった。

私は彼女から距離を取っていたし、彼女もそれを感じ取っていたのだと思う。

彼女の視界に入らない人間になったことに、少しほっとした。

思うところありながら、それでも私が彼女フォローしたのは、

彼女と、他の皆が楽しそうにしているのを見ていることが好きだったからだ。

彼女ジャンルに向ける愛は本物で、それを表現するとき

語彙力の広さは尊敬するし、魅力的だ。絵も相変わらず素晴らしい。

それでも、彼女に抱いてしまったものは、

今までずっとしこりとして私の中に残っていた。

「私とあなた友達じゃないけど私の友達あなた友達

みたいな、現状大体そんな感じだ。ブロックされているわけではないので、

彼女ツイートは今でも拝見させてもらえている。ありがたい。

当時ほどのもやもやはもう無い。

距離を置いて、時間が経過して、その時の感情ほとんど薄れていった。

それでもなぜこれを書いたかというと、

最初に書いた通り、自分がすっきりしたかたからだ。

薄れてもなお残る彼女のしこりを、きれいさっぱり無くしておきたかった。

それと同時に、「お前はこんなにも自己中で自分勝手なんだぞ」と、

私は私自身に釘を刺しておきたかった。

「人の振り見て我が振り直せ」とかいう前に、

オマエ、自分のこと、ちゃん客観的に見えていますか?

私は、私を好きでいたい。

自分のことを認めながら、悠々自適オタクライフを送りたい。

そのために、今、私は彼女を利用している。

きっとこれから、私と彼女交流することはないと思う。

彼女からブロックされる時がきっと本当の終わりになるし、

私も二度と彼女を追いかけることは無くなるのだろう。

一方的にTLを拝見させていただいて、

新たな作品が上がれば心の中でこっそりハートを送るような、

そんな感じで、今後ともゆるく、その時までは宜しくさせていただきたい。

なお、別ジャンル彼女が私のド地雷を踏みぬいた時、

私は彼女を反射でブロックしようとした。

ブロックは思い留まって、その後一年以上ミュートしていた。

我が振り、いつ直せるだろう。

2020-02-19

DDLCをプレイした

数年前に話題になったDoki Doki Literature Club!(DDLC)を今更ながらプレイした.と言っても最後までクリアしたわけではないが.

から物語の結末を知らないし,このゲーム批評をあーだこーだ書こうという気も毛頭ない.

では何故こんなところにこんな駄文を書き連ねようと思ったか,それは今になってこのゲームに触れたこと,途中でプレイを諦めてしまたことにも関係がある.

まあ,一言で言ってしまえば自分心理的状態気持ちの整理である

普段は長文を書く習慣も無けりゃ読書もロクにしないことに加え,自分感情を外に向けるといったことが出来なかった人間が整った文章を組み立てられるとは到底思えないが,どうしても書き留めて吐き出さないといけない気がしたのでこの場を借りることにする.

このゲーム話題になった当時,自分鬱状態にあった.正確には医者にかかり鬱と診断されたのは2018年くらいのことなので,当時は自分が鬱だという認識は無かったが,振り返ってみればかなり酷い生活を送っていたと思う.それでも,精神状態が良くはないという自覚はあったようで,SNSの評判やnot suitable for those who are easily disturbedの注意書きを見てプレイはしなかった.

そして現在.未だに服薬中ではあるが一時より処方量も減り,身の回り不安要素も軽減されて気分も上向きになり趣味勉強に関わらず色んなことをやりたいなあと思っていたこともあって,思い出したようにDDLCをダウンロードした.正直,グロテスク表現は好きではないがそれほど苦手というわけでも無かった(前情報がその程度の認識だった――これは大きな誤りだったが)ので,どんなもんかと軽い気持ちで起動した.

そこから普通ギャルゲとなんら変わりなく読み進めていた.完全に自分の好みでナツキルートにするような形で進めたが,作中で文化祭が近くなってきた頃,主人公の幼馴染であるサヨリの様子がおかしくなる.これも,主人公のことが好きな気持ちを抑えきれずに他のヒロイン嫉妬してしまうよくある構図かなと軽く構えていた.が,主人公サヨリの部屋を訪ねるシーン.彼女の部屋のインテリアは数年間ずっと同じまま.そこは酷く散らかっている(これはこの場面以前にも語られていた.)何かを隠し通そうとする言動.そして,朝起きられずによく遅刻をする,明るく元気に振る舞っているのは主人公の前だけ,という彼女の質や今までの言葉脳裏に駆け巡ったとき,次のテキスト彼女が何を告げようとしているのかがハッと思い浮かんだ.鬱だった.まさに僕自身がそうではなかったか自分繋ぎ止めていたものが意中の異性ではなくとあるコンテンツであったという違いはあれど,自分がこの世に必要とされていないのではないか,何も出来ず生きているだけで周りに迷惑を掛けている自分果たして価値があるのか,といった地獄のような疎外感(という表現が適切なのか分からない.僕はこの鬱屈として捻じ曲がった気分を表せる言葉を知らない)の中でもなんとか生を見出す理由になるものがどれだけかけがえなかったか.それがあるから頑張ろうと出来たことって沢山あったのではなかったか.そして自分不安定なことを周りに悟られぬよう,自分自分を騙し通すことの苦しみはどれほどのものだったか.どうしてもサヨリ自分を重ねてしまい,この辺りからゲームどころではなくなった.

幸いにも僕の場合はそれが自分の元から逃げ去っていくようなことは無く,いつでも逃避の先になってくれたし荒んだ気持ちを多少なりとも癒やしてくれた.安っぽい言葉ではあるが本当に心の支えとなるものであった.それは今も変わらない.しか彼女はどうか.彼女主人公自身幸福に拘っていたが,実際のところはいつまでも自分の隣に居て欲しかっただろう.求めたら求めた分だけ応えてくれる存在でいて欲しかっただろう.そして何より,信頼していた人から理解してあげたいという上辺だけの言葉は一層胸を深く抉っただろう.壊してしまったと言っていい.比喩ではなく本当に命よりも大切な存在を失ったとき,心の弱った人の行く末は.

そして一番ショックだったのが,他の誰でもない自分がこの選択の手助けをしてしまったということ.作中では,他人趣味馬鹿にするな,嫌な気持ちや恥ずかしい気持ち他人と共有する,といったような他人尊重し合うことの大切さが説かれていたのではなかったか.それでも僕は自分のためだけに好みの子と恋仲になるための選択を重ねていた.もう少し思いを巡らせて別の選択が出来たのではないかと思ってしまう.

ノベルゲームなんて筋は決まっているし,(分岐を抜きにすると)そこにプレイヤーの意思が介入することは無い.よって誰が見ても自分のこの思考は頭がおかしいんじゃないかと思うだろうし,自分でもそう思っている.恐らくゲームに向いていないんだろう.

から,DDLCというゲーム登場人物として生み出された以上,サヨリというキャラクター運命は決まってしまっている.どうあがいても避けられない結末がある.僕にも,他の誰かにもどうすることも出来ない.

この文章も,このどうしようもない罪悪感を打ち消すために書いているのかもしれない.それもまた自己中心的であるが.

とは言っても流石にゲーム現実区別がつかないほどアレではないので,この体験をきっちりと消化出来れば良いなと思っている.他人に寄り添える人間でありたい.

何より,この一連の過程迷惑を掛けている人が居ないのが幸いである.いや,こんな怪文書不特定多数に発信している時点で迷惑まりないな.

以上.

2020-02-04

宇崎ちゃん関連って1つでも人気記事に上がるとはてな増田どんどんそればっかりになってギスギスしてすげー嫌だ。もっとさーみんなでほのぼのだらだら鬱屈と世の中を斜に見ようぜ…ってなる

2019-12-21

anond:20191221090228

リアルに例えるなら、肉体的強さとか特徴は割と遺伝要素強いと思う。短距離が得意とか、長距離が得意とか。賢さ的な要素は環境だと思う。鬱屈した感情を抱くようなマイナス環境が行動のエネルギー源を作り出して執念が体に染みつき普通から逸脱した能力を築き上げる。

その上で漫画のような火を出すとか水を出すとかの能力がどうかと考えると大抵遺伝するだろう(設定次第)けど情熱か信念か執念を合わせ持って初めて最強になる可能性が出てくる。

そう思うと遺伝環境も半分かな。

2019-12-19

anond:20191219125949

別になろう主人公生前評価されてへんとは限らへんで。

「オバロ」はゲーム内で有名な廃人プレイヤーやし

幼女戦記」はエリートサラリーマンやし

ナイツマ」は天才プログラマーやし

「二度目の人生」とかもすごい剣術家やろ?

他の主人公普通学生とかサラリーマンかばっかりやで。

まあReゼロ無職転生主人公みたいに鬱屈してんのもおるけど。

2019-12-14

anond:20191214150511

そういうのがこじれて鬱屈や怒りとかが蓄積されていって、ちょうど男の厄年人生コケる人多いらしいよ。気をつけてな。

2019-11-26

反出生主義にしろ女性ありがちな極端な性嫌悪しろ、あとは反肉食ヴィーガンなんかもそうなのだ

 

人間生物として生きることへの嫌悪」っていうやつは、その思想を信じた奴を不幸にする効果しかないし、もしも自分子供なり生徒なりに何かを教える立場だったら、真っ先に矯正したい。暴力的エロ漫画の500倍子供に悪影響があると思う。人間否定してるってことは、自己肯定感他者への寛容の真逆なんだから

 

しかしどういう訳か、そういう人間否定が"倫理"みたいな雰囲気を纏っていて、そういう思想かぶれる若者は常に一定数生まれているし、そうして鬱屈した若者(またはかつての若者)が、今日増田にグチを吐き出してきたりするわけだ。そうなるともう個人思想の自由としかいいようがないし、俺がどうこう思うようなことじゃあないけど。

しか釈然としない思いはあるわな。

どうしてこんな、幸福真逆にある思想が、それなりに広まっていたりするのか。

西欧キリスト教思想のせい?

2019-11-25

anond:20191124165103

なろう作品本質ってただの大活躍勝利じゃない。それをラノベを読んできて最近ジャンプすら読めなくなってきた鬱屈した氷河期世代にお届けしてるもんだと。

2019-11-24

母親麻雀とかソリティアやったりしてるの見ると寂しい気持ちになる

スマホアプリなんだけどさ、割と娯楽に対して厳格な母親で、バラエティ見てるとすぐに「ニュースにして!」ってタイプだったんだが……

なんか俺の知ってる母親は何処へ……という感情と、少年時代に何回もゲームを隠されたり捨てられかけた俺自身インナーチャイルド鬱屈

2019-11-22

いま熱心にフェミ左翼立場からオタクを叩いてるのは実はオタク

誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。

いま熱心にオタクを叩いてるのはオタク論客ばかりだよ。



それも一番オタク差別に直面した30~50代

そもそもオタクバッシング論客の面々を見ればわかる。

オタクを熱心にバッシングしている論客たちの過去を。

BL好き腐女子エヴァ大好き左翼エロゲアイコンだった学者

どう見てもオタクである。ただし同時に結構歳が行ってる。

まり、いまの中学生高校生とは関係ない世代だ。

おじさんおばさんのオタクの一部が、差別自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。

彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。

深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。

同時にあの時代オタクは、自分肯定して生きていくことが厳しい時代だった。

オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、

https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。

もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代

からアニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉普通に流通していた時代だ。

声優ソング歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタク共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。

自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。

そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。

僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスク覚悟せねばならなかった」という時代だ。

余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人相談が舞い込んだ時代だ。

学校オタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがき普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代オタク空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオ人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家声優しかいないというのは、あの時代体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。


そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。

「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

とかオタクバレしたときには、よく言ったものである

オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。



当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである

そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである

オタクダメな奴らだ」とサブカル内部からオタク批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。

彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタク分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。

自分たちがアニメゲームマンガラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。

大学サークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象アニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。

具体例を挙げると、地下鉄サリン事件オカルトSF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカン批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。

それを見ていたクリエイターが「いまのオタク作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問批評という行動によって、ただのキモオタブヒブヒ言う声ではなく、この作品社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想合致するかチェックしている」という言い訳自分に用意した。

彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイあんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。

その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。

左翼思想フェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。

かにも別の一派がいて、無理やり学問こじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネット議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間ゴロゴロいた時代

あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。


しかし、時代は加速した。オタク文化的にかなりの大成功を収めた。

オタク候補が30万票や50万票取って、自民党議員バッヂをつけてしま時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタク政治いか冷遇され続けてきたかは、それだけで10文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)

要するにオタクコンテンツ一般趣味として認められつつある時代になったということだ。

そうなると何が起こるか?

いちいち思想アニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画twitterにあげるほうがRTいいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。

このアニメリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNS萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。

いまの時代萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢オタクである公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリイベントを周回している時代だ。

オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。

しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメ恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。

「お前らがキモいから差別されるんだ」というわけだ。

彼らは、同胞オタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由オタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場人間に言えない人生を送ってきてしまった。

ネット空間においてさえ「こんなもの女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクオタクダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。

彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。

からこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。

そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。

林原めぐみ作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。

しかしそれがいまだにできない。あの時代えげつない苛烈さ、報道政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。


彼らの学歴はかなり高い。社会的地位も相当ある。

だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想自分を固めてきた。

左翼思想フェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。

それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益しかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。

必死左翼理論自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。

世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想合致しないか規制すべき」とオタクバッシングするのは、「自分キモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから

しかし、それがもはや無用時代になっても続けている。

若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。

「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。


追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。

2019-11-20

anond:20191119121502

元増田です。みかづき読了しました。

明日仕事なのに…

勧めてくれた人、ありがとう。何度も涙しました。

実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、

月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については

いろいろと父の話を思い出すこともありました。

そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置けがこんなに変わっていること、

塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマ意味がよくわかりました。

私自身が自分経験のために、学生時代から塾のイメージアップデートできていなかったのかもしれません。

いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。

の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います

教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、

父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、

良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。

逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学高校に進んだ学生は多いのに、

合格者何名といった広告は一度もうったことがありません。

また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います

私は成績もよかったこともあり、たしか学校定期試験をなめていたこともありました。

歴史なんてただの暗記科目、子供記憶力チェックをされているだけなので、

別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナー外国言葉ボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。

そういうことを父に言ったことがあります

そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、

いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、

それを学ぶものだと。

私が、「いやいや、この似たような仏像写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」

みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。

そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、

今思えば、父の言葉真実でした。橋本治ひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。

もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、

自分普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。

同級生自分父親を知っている、同級生自分の家にお金を払っている。

この居心地の悪さは、自営業の子しかからない感情かもしれません。

(塾は関係ないですが)

そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります

結果として、私は少なくとも現在教育業界からは遠いところにいて、

はてなー界隈によく集まる、とある業界で働いています

(昔の)学校教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、

作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、

絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように

大手を振って、すべての子どもたちに教育無償提供できる学校教員を、

ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。

もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます

最後教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。

二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います

父は、資源がない日本からこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。

なんとも古臭い文言ですが、先進国トップ学力を誇った日本が、

いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層貧困層教育格差が拡大し、

その一方で、教育エリートである博士先進国で最低数、

他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。

教育底上げエリート層の教育もどちらもできていない現在日本教育ですが、

大人が、私は父と違って教育関係人間ではありませんが、そういう私も含めた大人たちが、

教育に関心をもっていく必要があるなぁと痛感しました。

いろいろとコメントを頂き、ありがとうございました。

なにか自分にできることがないか、考えてみたいと思います

2019-11-17

甲斐もなく恋人を作っても虚無感だけが残った

コンビニの安いチューハイを飲みながらこの文章を書いている。

はてな匿名ダイアリー自分社会人になる直前から知っていたサービスだが、未だに健在で多くの投稿がされていてどことなノスタルジック気持ちになった。

そんな自分アラサーになった。社会人になってからは失敗の連続で満たされない毎日が続いて、生きていくことに必死恋愛とか考える暇も無かった。転換期となったのは転職したことだろう。転職をして時間的にも金銭的にも余裕ができはじめたころ、初めて自分に伴侶……というと大げさだが、恋人、あるいはパートナーと呼べる存在が居ないことを自覚した。転職をしても鬱屈とした毎日が続いていたし、エロゲー主人公みたいなことをいっているが満たされない日々が続いていた。そこで、恋人という存在ができれば、自分の中で何かが変わるのではないかと思い至った。

そこからはいろいろと紆余曲折があったものの、恋人という存在ができた。自分は掛けていたのだろう。今まで自分に圧倒的に足りなかった女性という存在によって何かが満たされることを。

結果としては何も変わらなかった。些細なことで喧嘩をして別れた。何が残ったかと言われればつまらない感情だけだった。別れてからも元恋人とは仲良くしていたが、自分が原因なのだ些細なことで喧嘩をして連絡を取らなくなった。

あー。人生って面白くない。

いつだったろうか、自分が生まれてきた意味とか、存在価値とか、ありもしないことを考えたことがある。きっと誰もが思春期の頃に考えたことだと思うのだが、結局のところ生まれてきた意味なんて存在しないし、己の存在価値なんて自らが定義できなければ存在しない。生まれてきてから存在意味を持つ人なんてほとんど居ないのだ。

から自分が誰かの特別存在になりたくて、恋人を作ろうって思ったのかもしれない。結果として残ったのは虚無感と、年甲斐もなく自覚した肉欲だけだ。

本当にくだらない。人生ってくだらない。誰かの特別存在になんてなれない。

歩いた後に残るのはゴミだけだ。結局、自分は交換可能部品に過ぎない。もちろんそうだ、そんなこと当たり前だ。ずっと自覚していた。ただ、それを再認識したのが辛かった。

2019-11-14

同人作家だがアンチに絡まれている

当方同人作家特に売れておらぬ。

イベントのたび100部程度を完売する程度の技量

その程度の人間だが、アンチに絡まれている。

twitterpixiv作品投稿すると一日以内に必ず「キモイ消せ。調子に乗るな。下手くそ

と同じ人物投稿して感想を書いてくる。

まあ確かに下手なのは認めるし、はっきり言って自分技量以上に評価されてるとも思う。

だがそんなことを捨て垢でいちいち突撃してくる奴に言われるいわれはないとむかっ腹の一つもたつ。

だが同時に、アンチ気持ちもわかるのだ。

断言していいが、このアンチは、おそらく自分のことをずっと見てきたのだろうと思う。

そうでなければ1日以内に必ずコメントなんてするわけがない。

愛情すら感じるレベルだ。

そやつが何を考えてるのか、何に腹を立ててるのか、自分にもわかる。

おそらく、そのアンチは「創作したいけれど出来ない最初の一歩を踏み出せない人間か、自分の期待した評価を得られてない人間」だと思う。

コメントに、「いまにすぐ追い抜いてやるぞ」というニュアンスが感じられるからだ。

自分にも覚えがある。創作初めのころ、たまたまめについた底辺創作者が憎くて仕方がなくなる時がある。

一度そのアンチと話をしてみたいと思う。捨て垢なので応じてくれるかはわからないが。

創作に取り組む人間鬱屈やすい。楽しいと思えるようになるまでは時間がかかり、苦しい思いをいつもしてる。

過去自分を見ている気がする。情熱創作にぶつける覚悟が決まっていない、口だけ番長だった自分を思い出す。

から、話をしてみたい。多分同じ苦しみを感じてる人間なんだと思う。

anond:20191114021558

もし低能先生が九大イスラム文学なんて金にならん学科じゃなく、ランクを落としてでも理系を選んでたら

あれほどの鬱屈はしなかったろう

2019-11-13

クソと既に認知された政権に、いくらクソさを追求しても、今更

スキャンダルじゃ今の政権は潰れないよ

スキャンダルあくまでジャブでしかいか

政権交代前の自民には、長年の鬱屈政権交代への期待という強烈なストレートが控えていた

そうであればこそ、スキャンダルというジャブが効けばストレートが決まって政権は潰せた

だが今の政界には、そのストレートがない

政権交代への期待は、民主党政権での絵に描いた餅で終わった埋蔵金高速道路無料化

こじれるだけで終わった普天間問題、他の国は回復傾向にあったのに日本だけ取り残されていた経済など、

これらが清算されねば政権交代への期待など復活しない

れい新選組も、原発問題ワクチン妄言を吐きすぎてて、胡散臭さは正直言ってN国と同列

加えて重要なのが、極めて酷い話なのだが、恐らくもはや、大半の国民は現政権クリーンさなど期待してない

麻生氏がいくら問題発言をしようと「あぁ、またね」としかならない下劣さと同じ

モリカケが不発に終わってしまった時点で、今更桜を見る会私物化程度では「あぁ、またね」としかならない

もっと言えば、多くの国民政治に求めているのはクリーンさではない

ロッキード等の汚職まみれの田中角栄が未だ人気だったりするのが象徴的ながら、

例えスキャンダルがあろうとも、肝心要の政治のものに対する不満というストレートがなければ、

スキャンダルというジャブだけでは、いつまで経ってもKOまでは持っていけない

野党に期待しているのはそっちじゃない、ストレートが欲しいんだよ

今が、現政権がどれだけ悪いかというジャブではなくて(それは皆もう知ってる)

欲しいのは「今よりはマシだろう」みたいな消極的言葉ではなく

政権交代すれば、今よりもっと良い未来が待っているという期待が、希望

それも、富裕層悪者にしてやっつけようなんて、勧善懲悪の子供騙しな単純過ぎるストーリーじゃなくて、

民主党政権みたく耳障りの良い綺麗な言葉ばかりを並べた政策じゃなくて、

もっと地に足の着いた、国際情勢なども加味した現実的な、不発のアベノミクスに代わる対抗馬を示して欲しい

無論、悪いことは悪いし、スキャンダルを追求することもある程度はして欲しい

が、スキャンダルだけを追求しても、政治辟易して投票率が下がることこそあれど、

それで野党支持率や得票率が伸びることは恐らくないよ

今の浮動票が飢えているのは、ジャブではなくてストレートなのだから

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