はてなキーワード: 漠然とは
そうそう
今のベクトルでどこまで伸びようがシンギュラリティに到達すると思えんのよ
カーツワイルだって弱いAIから強いAIに移り変わる地点を予想しているわけでなく漠然と時期を言っている
そんなん信用なるかい
どうぶつの森をやっていたら、住民(NPC)が思いっきりこちらに向けてくしゃみをしてきた。映像効果としてでっかい飛沫が飛ぶ。
それは単に住民がリアクションを教えてくれるイベント(プレイヤーが利用できる動きが増える。このイベントを介してプレイヤーはくしゃみのアクションを獲得する。)なのだが、自分はこの時非常に強い不快感を覚えた。くしゃみを人の顔に向けて思い切り飛ばすなんてあり得ない。汚い。どうかしてる。と。
次の瞬間ハッとして、「あ、これはゲームの中の出来事だ」「現実ではないんだ」とそこまで目くじらを立てなくていいと気付く。
人の顔に向けてくしゃみは、平時でもやめといた方がいいしやっぱり汚いとは思うが、にしても神経質になりすぎていた。ビフォーコロナの世界では不快感はありつつ「きったねwやめろよw」とまだ笑顔を作ることができていたのに。
これだけではない。今テレビでは過去の再放送や再編が流れていることが多いが、「え?今こんな所に芸能人が行ったの!?」「こんなに人が外に出て集まってるの!?」「マスクもしてない」とつい目くじらを立ててしまう。
で画面のすみにふわっと表示された「※20××年×月に放送されたものを再編しています」みたいなテロップを見て、なんだ昔の映像かとホッとするのだ。
慣れてきてからはここがスムーズになって、「えっこんなに密集……いやこれきっと過去の映像だよな」というようにはなったが、最初に疑いの目を向けるフェーズがなかなか省略できない。自分のこのような"警察"感情にガッカリする。
ただ、自分はまだ自覚して踏みとどまれているだけ幸いというもので、世の中には思ったら秒で言葉や行動に出力されてしまう人や、自身の正義について一ミリも疑わない人が結構多い。
この前サザエさんの外出回にクレームがついたという話もある(作為的炎上とも聞くが)。
仮にコロナの終息が始まって、いろんなものが徐々に動き出したとき、本来の目的から切り離されなんとなくただ漠然と「マスクをしないこと」「集まること」「外出すること」が悪のように扱われはじめるようになるような気がする。
ただでさえ風評の悪い「パチンコ」「夜の街」「喫煙」はもっと風当たりが強くなりそうだ。例えコロナがなくなっても、本当にただ漠然と。
元来、自分以外に対する批判だとか罵倒だとかが、まるで自分に向いているかのように錯覚してしまう。その様な厄介な性格を抱えた人間がコロナ禍で精神を保てるだろうか。勿論そんなことはありえない。
日常会話でも、マスメディアでも、SNSでも、コロナへの愚痴・政府への批判・外出自粛を行わない人への苦言に出会わない日はない。そしてそれらの言葉の矛先が自分であるかのように感じる。言葉をナイフに喩えるなら、ありとあらゆる方向から絶えず刺され続けるような感覚に陥っている。
周りの人が私を傷つける訳ではなく私が勝手に傷ついているだけだという自覚はある。その結果、「誰も私にナイフを向けていないのに、私はあらゆる人にナイフで刺される」という不思議な現象が起こっている。
無論、コロナウィルスへの恐怖や自粛生活のストレスは感じているし、政策の全てを肯定する気はない。自分以外に対しても不要不急の外出を避けてほしいと願っている。しかし、コロナ等への愚痴に受けるダメージの方が大きいのが正直なところである。
追い打ちをかけるかのような辛さは、「コロナ等が何よりも辛い人」が圧倒的多数だということである。
少なくとも私の周りでは、ほぼ全ての人がコロナ等に対して愚痴を吐く。勝手な憶測だが、そのような人々は私のような「コロナ関連の愚痴を聞くのが辛い」という感情をあまり持ち合わせてはいないのだと感じる。
コロナ・政府・自粛しない人への愚痴は共鳴し合い、肥大化してゆく。マジョリティが結託してゆく。自分へと向かうナイフが益々増えていくのと同時に、果てしない疎外感に襲われる。
先述したように、私に対して攻撃しようとする人がいる訳ではない。故に彼らを責めようとも思えない。しかし、「明確な敵がいて、共に戦う仲間が日本中・世界中にいる」という彼らの状況が羨ましくてたまらない。
最近では、多くの著名人が「みんなでコロナに立ち向かおう」「お家で楽しく過ごそう」などとポジティブな言葉を投げ掛けている。非常に素晴らしいムーブメントだと思う。だが、ここでいう「みんな」は誰を指すのだろうか。
答えは簡単だ。コロナと身体的・精神的に戦う人々。今の日本の状況にストレスを抱える人々。
そこに私はいるのだろうか?
コロナやそれに関わる社会問題以上にそれらへ対する非難に苦しむ私は、「みんなで戦おう」「みんなで笑顔に」の「みんな」に含まれるのだろうか?
残念ながら含まれるとは思えない。
最早、ポジティブな言葉が溢れることさえ、疎外感を強めるきっかけとなってしまった。
だけど、仮に今自殺したとなれば「コロナ鬱の犠牲者」として世間から扱われるのだろう。私の「コロナ鬱」の実情は理解されることのないまま、「コロナへの社会不安により自ら命を絶った人」として終わる。そして寄せられるコメントはきっと、「コロナが許せない」「アベは辞めろ」だ。皮肉にも程がある。
長生き=いいこと、みたいな共通認識なんなの?? 長生きってそんなに偉いことなの???
最後まで元気にボケずに死ねればいいけど、全員そうじゃないでしょう。ボケて自分が自分じゃなくなる前に死にたいって思うことの、何がいけないのか。寝たきりの人生、ほんとにそれ人生にカウントしていいのか?
別に飛び降りようとか電車に飛び込もうとか迷惑のかかる死に方がしたいわけでもない。ただ漠然と早く死にたいと思っているだけ。希死念慮、とは近いような違うような。
職場の先輩と少し揉めて口走ってしまったらすごく怒られてしまった。先輩は近しい家族を若くして亡くしているというのを知っていて、素直に自分の考えを伝えたら傷付くことは頭では分かっていた。だから言いたくなくてうまくはぐらかそうとしたけど、失敗して、そしてあまりにも言及がしつこくて、あとムカつくこと言われて(どうでもいい体なら売れば良かったのにと言われたので。それとこれとは話が違う)ついに漏らしてしまった。
口走ったのは自分が悪い。でも、この考えそのものは本当に悪いことなのだろうか。
ちなみに体を売ったらどうか、という問いかけにはノーである。さらに、自傷行為も趣味ではない。
やつれた果てに死ぬのではなく、絶頂期を迎えて下り坂に差し掛かる前に人生を終えたいので、そういう疲れそうな行為に興味はない。
デスノートという作品の中で、死神の目の取引がある。デスノートは顔を思い浮かべながら名前を書くと殺せるノートで、死神の目は取引すると寿命の半分を失う代わりに顔を見た人間の本名がわかるという設定だ。
そういう取引がしたい、と思う。
寿命を確実に半分まで減らせるなんて素晴らしい。さすがに名前がわかる能力はいらないのでほかの何か適当な力か、正直確実に縮むなら何もなくていい。
ああ、ある程度満足したらそのままの勢いで死にたい。
普段増田を書くときは身バレ防止でフェイクを織り交ぜておくがめんどくさいし、深夜なので誰も読まないだろうと読まれても数人だろうと高を括って今の気持ちを書いていく。
ちょうど1年前の今頃、休職した。理由はよく分からない。いつもだったら聞き流す上司の叱責をその時は聞き流せなかった。1時間ほど、ぼーっと自分のデスクでPCを眺めた後「あぁもう無理だな、まぁ転職できるっしょっ」と思いながらPCをシャットダウンし、上司の目を見ず早退することを告げ、朝バタバタと用意した弁当を食べずにそのまま持って帰った。家に帰ったらちょうど昼食の時間帯だったが弁当は食べる気がせず捨てた。
休職可能期間は1年半。転職活動はあまり真面目にしなかった。資格試験の勉強もあまり真面目にしなかった。通院だけは真面目にした。自分でも意外だったが自分は相当参っていたらしくほとんど寝て過ごした。休職可能期間の半分を過ぎた頃ニュースではコロナウイルスが中国で猛威を奮っていると伝え始めていた。なんとなく「世界的に不景気になるのでは、そうなれば自分の転職先など見つからないのでは」と自分は漠然とした不安に襲われた。そして復職しようと急に思いたった。たぶんその前の月に資格試験の不合格通知を見た影響も大きい。ちょうど思い立った次の週に通院と人事部との面談があったので、復職希望と伝えた。主治医は許可してくれ、人事は私のリバビリ出勤受け入れ部署も用意してくれた。
4月上旬、私の新しい上司となる予定の方と面談した。良い人そうだった。しかし私が復職するにあたって人事に要求した条件(なんて言うと偉そうだが、残業なしが可能な部署で復職したいという旨をお願いしていた)が全く伝わっていなかった。全員毎日3時間は残業してるらしい。そして私1人だけ残業なしは難しいと。
とりあえずリハビリ出勤の間は数時間の勤務で8時間労働が可能となった時点で残業については話し合おうという結論になった。GW明けからリハビリ出勤が始まる。席とPC用意しておくね、と上司になる方は言ってくれた。このご時世本当にありがたいと思う。
しかし帰宅後猛烈な不安に襲われた。みんなが残業してるから自分も帰れない、定時で帰る人は悪口を言われる、そんな環境は明らかに休職の原因のひとつだったのに結局同じことをまた繰り返すのではないか、それに異動できたといえ、前の部署も同じ建物内にあるため前上司と顔を合わす機会、仕事で関わる機会も出てきてしまうのではないか、そんなの絶対いやだ。そんなことを考えてるうちに眠れなくなった。しかもよくよく調べてみるとリハビリ出勤では給料は出ず傷病手当金で生活する必要があるとのこと。だったら傷病手当金もらいながら転職活動した方がよくないか?でもこのご時世にロク就職先なんてあるのか、でもこのまま復職できるイメージが全く湧かないし、でも案外出勤してみたら何とかなるかも、そんな思いで毎日ボンヤリしてしまってる。寝つきがまた悪くなってしまった。
月曜日から、あれだけ「業務を止めるくらいなら出社しろ」と言っていた会社が休業になった。
そんなわけで、今は1歳の子どもの面倒を見て自宅でゆっくりしている。朝子どもと一緒に起きて、朝ごはんを食べる。Eテレをなんとなく一緒に見ながら、家事をする。大体みいつけた!が終わる頃に散歩をしたいと言われるので、子どもと手を繋いで家の周りを散歩する(買い物があるならこの時に行く)。帰宅したらしっかり手洗い(または全身シャワー)して、子どもはお昼寝、大人は少しだけの休憩時間。起きる頃にお昼ご飯にして、その後は一緒に家の中で遊ぶ。おやつタイムを挟んでまた遊ぶ。16時になったらまたEテレを見ながら家事をして、17時を過ぎたら一緒にお風呂に入る。18時くらいに子どもに夕ご飯を食べさせる。この後大人のご飯を作って食べて、21時くらいに寝かしつけ。スケジュール通りいかない時もあるけど、大体こんな感じの生活のテンポである。
わたしは子どもが月齢4ヶ月のときに仕事に復帰したので、完璧ではないにしろ、ある程度意思疎通の取れる子どもとこんなに長期間一緒に過ごすのが初めてだ。家も狭いので、本当に起床から就寝まで、ずっと一緒にいる。ぷにぷにのほっぺがずっと側にいる。
自分でも知らなかったのだが、何度も同じ絵本をせがまれるまま読むことも、歌を歌ってとせがまれるまま歌い続けることも、ブロックや積み木で一緒に遊ぶことも、思ったよりわたしにとって苦痛ではなかった。育児よりも働くことの方が向いているのだろうと自分では思っていたが、間違ってたのかもしれない。状況が複雑な各ステークホルダーの機嫌を取ることよりも、子ども一人の機嫌を取ることの方が、はるかにワクワクして楽しいのだった。単純に仕事に疲れているだけかもしれないし、期間限定だからかもしれないし、子どものもちもちのほっぺの魔力にやられているだけかもしれないが。
そんなわけで子どもの手を引いて、ちょっと手の込んだ料理を作ってみたり、いつもレトルトで済ませていた子どもの幼児食を手作りしてみたり、なんだか楽しく生活している。
ちょっと前まで出勤していた時は、不要不急の業種なのになんでこんなに医療従事者の頼みを無視して電車に乗って通勤して頑張ってるんだろう、とか思っていた。そんなことを考えているうちに、子どもを通わせている保育園からも登園自粛を要請された。要請されたので、在宅勤務を強く希望して自宅で保育しながら仕事をしたりも短期間したけれど、とても無理な話だった。同じく在宅勤務の夫とどっちが面倒を見るかで揉めて、家庭内の雰囲気が最悪になった。結局妻で女性のわたしがなし崩し的に多く面倒を見ることになって、わたしの仕事はどんどん遅れた。これが本当にストレスだったので、今は本当に穏やかな気持ちだ。
とはいえ、不安はもちろんある。休業期間中の給与は、ただでさえ少ない金額から更に6割になるし(こういうとき組合費を毎月結構払ってるのに頼りにならない労働組合のことを考えてしまう)、保育料は登園自粛してるにもかかわらずフルで支払わなければならないし(無認可保育所は保育料免除対象外なところが多くてつらい、定員オーバーで認可に入れないから無認可なのに)、そもそも休業明けに果たして保育園が子どもを受け入れてくれるかわからないし、いつまで残りの有休の数を数えて怯えながら労働しなければならないのかわからないし、そもそもこの後クビを切られずに働き続けられるかもわからない。漠然とした不安は常に付き纏っている。付き纏っているけれど、こうやって今子どもの寝顔をゆっくり見られる今は幸せだと思う。わたしが働き続ける限り、こんなに長く子どもと一緒に遊べるのはこの休業期間がきっと最後になると思うので、できるだけ楽しく過ごしたい。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ea51431c5b6805f9ece4f6d
岡村隆史さん、生活苦の「可愛い子が性風俗に」ラジオでの発言に批判殺到
お笑い芸人の岡村隆史さんが4月23日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』内で、経済や雇用の状況が悪化した結果、性風俗店で働かざるを得なくなる女性が出ると予想、「コロナが収束したら絶対おもしろいことある」と発言した。
新型コロナウイルス感染症の流行により貧困に苦しみ、選択の余地がない中でセックスワーカーとして働くという状況を歓迎するような発言に、「岡村さん流の問題提起だ」という意見もあるものの「女性の貧困問題を軽視している」など批判の声が大きくなっている。
一方でラジオの書き起こし。
http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/54559252.html
ほんで、だから、今面白くなかったとしても、コロナが収束したら絶対面白いことあるんですよ。なかなかね、苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けたら、なかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんが、お嬢をやります。
これはなんでかって言うたら、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなったときに今までのお仕事よりかは、ちょっと、これ僕3ヶ月やと思ってます。苦しいの3ヶ月やと、3ヶ月の間集中的に、可愛い子がそういうところでパッと働きます。で、パッとやめます。あの、それなりの生活に戻ったら。
三ヶ月後には「それなりの生活に戻る」。
どうも「職を追われて風俗に身を落とすしかない女性」のニュアンスではない。
「一時的に収入が下がるので、短期間で稼げる仕事として風俗を選ぶ女性」であろう。
岡村は「働かざるをえない」「選択の余地がない」とは言っていない。
その頃自分はM1からM2に上がりたてで、HCI系の研究室に所属していたが特別ブラックというわけでもなく(直接指導にあたる教員との相性は悪かったが)、記事を読んでも筆者の境遇に思いを馳せるぐらいの月並みなことしかできなかった。
それでも、HCIは「一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ」るという主張に心から共感したことは覚えている。「おもちゃ」という表現がぴったりだと感じたのだ。「ゴミ」とか「クズ」ではなく、「おもちゃ」。自分も含めて学士・修士の研究は大半がゴミ同然なのだろうけれど、どうしてかHCI研究の一部は「おもちゃ」であるように思えてならない。当時その理由を漠然と考えてみたりもしたが、結局まとまらないうちにほとぼりが冷めてしまった。
今、自分は修士課程を修了して労働をしている……が、このご時世なのでここの所はずっと自宅待機で時間を持て余している。だから、今のうちに寝かせたままのもやもやを整理し、言語化しておきたい。そういうわけで、増田に書くことにした。
一応断っておくと、これから書くことは修士卒の人間の主観に満ちたお気持ち表明であり、HCI全体のごくごく狭い領域の事情を述べているに過ぎない。HCIの学際的な領域は多岐にわたるが、その中でも自分は記憶・感情・コミュニケーションといった人間の精神的な活動をコンピュータ技術で支援しようという趣のことをやっていたから、余計におもちゃ性の強い研究に触れる機会が多かったのかもしれない。そのあたりを踏まえた上で、読んでもらえると幸いだ。
HCIが立派な研究であるかどうかは、HCIおもちゃ問題を考える上で大きな問題にならないと自分は思う。正しく研究のフォーマットに則ってさえいればそれは研究と呼ぶ他ないはずだし、研究の質的な議論は何もHCIという分野に限られたことではない。
学問の有用性は、例えば人文学の軽視だとか、もっと次元を低くすれば三角関数を習う意味だとかで、これまたよく議論の対象となる話題である。自分としては、一般的な学問に関しては直接的な人間への有用性という観点のみで議論されるべきではないと思っている。学問による間接的な恩恵や将来への投資を無視するのはあまりに浅慮であるし、根源的な欲求の充足というのにも価値はあるはずだと考えるからだ。
しかし、HCIは例外だ。HCIは、人を対象とし、大半の場合はエンジニアリング的なアプローチによる課題解決を目指しているのだから、人の役に立たなければ意味を持たない。しょうもないHCI研究は、道具・ツールとして失格の烙印を押されたガラクタの「おもちゃ」なのだ。
自分は、ワゴンいっぱいのガラクタのおもちゃの中にあって気持ちがみるみる冷めていったし、元増田の筆者もきっと同じだったのだろう。
ここからは、自分がおもちゃだなと感じてしまうHCIの特徴について列挙していく。
遊ぶように楽しめる何かを作ること自体は結構だが、課題解決を目指す工学において繰り返しに耐えないモノを作るのは全くのナンセンスだ。
それこそ、人間にとってのお役立ち度は、縁日の射的の景品やヨーヨーと全く変わらないということになる。
HCIの研究やプロダクトが役に立つ前提として、人間というのは常に明るく元気で前向きで、人と繋がりたくってしょうがない生き物なんだと考えているんじゃないかと思わされることが何度もあった。確かに現在の社会においてそのような人々は理想的で偉いのかもしれないが、現実を見ればそのような前提を掲げられるはずもないことは火を見るより明らかだろう。
また、人々に高度な認知的能力を要求するような例も多いが、そのような人々がいくらかエンハンスされたとしてもそれに対するHCIの貢献度は、はじめからA判定の生徒を受け持つ家庭教師のような疑わしさが持たれて然るべきだ。
これは元増田にも指摘のあったことだが、他分野を無理のある形で援用してトンデモ仮説を作るようなことが見受けられた。逆ソーカル事件といえるようなことが、あちこちで起こっているんじゃないかと思う。
大いなる研究の礎として失敗した研究が存在するという考え方があるが、おもちゃHCIは礎たりえない。それは、そこに積み上げられるものが全くないか、あるいは逆にバベルの塔を建てようとしているからだ。つまるところ、未来が両極端なのだ。
当たり前のことだが、何もHCI全体を否定しているのではない。優れた研究・研究者は数多く存在しており、今後も我々の生活を豊かにしてくれるのだろう。
ただ、おもちゃHCIが存在するのも事実で、それに関わると残念ながら莫大なリソースが無駄に終わってしまうから、ちょっと口出ししておきたかったのだ。
好きってだけじゃ漠然としすぎてるんだよな
気分が悪い
子供を産むってことは罪なのか
まったくわからないでいる
将来子供ができれば産みたいしできなければそれでいいやぐらいの漠然とした気持ちでいるけど
反出生の人ってこんなにいるんだね
この人たちは他人が子供産むことだって憎くて仕方ないんだろうか
こんな意見たくさん読んでしまうともしも将来子供ができてぱっと見で妊婦とわかるようになったとき
しばらくは怖くて外になんか出られない気がする
名前はもちろん知ってる方、名前は知らなかったけれど役名を聞けばあの人か!となる方。
そのどちらの方も自分はよく知らない人だった。
お笑い番組は笑点しか見たことがなく、小学生4年生くらいまでは20時までにふとんに入っていなくてはならなかった。
アニメも見せてもらえるものは決まっていて、例えばクレヨンしんちゃんは見せて貰えなかった。
世間と同じように悲しむことができない。
それは例えば知ってるけれどあまり興味がなくて…という状態ならまだマシだった。(それはこれまでも何度かあった)
けれど、そもそもよく知らないから悲しむことも世間がそんなにも悲しんでいることにもついていけないのだ。
そんなに愛されてる人だったのか、なぜ自分は知らないのか…というなんとも言えない感情。
世間で流行っているもの、良いとされているものはある程度子どもに触れさせるのがたぶんいいんだろうなあと漠然と感じた。
疎外感がすごい。子どもの頃も多少はあったけれど、大人になってもなかなかの疎外感だ。
別にバズりたいわけでもなんでもないのでぐちゃぐちゃな文章のまま投稿するけれど。
うっすらと体調が悪いのが2週間ほど続いたのでさすがに病院に行った。
症状は食欲不振と嘔吐感、少量でも食べると吐くとか体重激減したとかその程度だ。熱は平熱だし咳や味覚・嗅覚障害もまったくなかったのでまあコロナではないだろうとは思っていた。
で、エコーやら胃カメラやら諸々の検査の結果、胃炎とポリープが発覚した。
お医者さんに「最近なんかあった?」と聞かれたけどなんだその漠然とした質問は、世間的にもなんかはありまくりだろと思いつつ「いや〜〜〜………」つってはぐらかした。今年に入って三回リストカットしました転職活動うまくいってませんなんにも楽しくなく何かに謝りながら毎日泣いて暮らしてますとは答えなかった。ポリープとその辺は思いっきり関係してるだろうことは明白だった。
何はともあれ不調の原因はわかった!
薬飲んで食事に気をつけてゆっくり休んでれば全然大したことない、かつ人に言えばまあまあ心配される状態であることはぶっちゃけ都合が良かった。
しかも今、世間はコロナで絶賛大混乱中だ。今まではこうして心身のバランスを崩しても「こうしてる間にも周りの人や社会は活動しているのに自分はなんだ」「また社会に取り残されてしまう」「自分だけが立ち止まっていて辛い」としくしく泣いて悪循環だったのが、「まあ今立ち止まってるのは自分だけではないし」「混乱してるのはみんな一緒」と昼間からベッドですやすや眠れるようになった。
抱えてた仕事はごっそり潰れたがそのおかげでリモートワークになったし、外に出ないのもお金がないのも人に会わないのも家で永遠にどうぶつの森してるのも、すべてコロナのせいにできる。遠方に住む家族に「体調悪くて病院に行ったらさあ、ポリープできちゃってたよアハハ」って報告したら「無理せずゆっくり休んでね、免疫落ちてるだろうから外にもでちゃダメだよ」と心配された。そうこうしてる内に非常事態宣言が出ていよいよ外出自粛を強く促されるようになった。外にでちゃダメ!お外大嫌いな僕には願ったり叶ったりの命令である。
コロナ、世界中で人を殺したり苦しめたりしてるし、誰にもかかってほしくないなあとは思う。日本だけでなくよその国でも偉い人そうでない人がめちゃくちゃなこと言ったりやったりやらかしたりますます不景気になったり色んな業種の人々が大変なことになったりしてるらしいのでそれはそれで辛いなあとも感じている。
ただ、しかし、正直なところ、コロナのおかげで心から休めるようになってよかった〜と、すこぶる安心しているのも事実だった。
自分勝手なのは百も承知だし根本的な自分の問題をコロナにすり替えているだけなのは充分わかっているつもりだ。自分が「コロナのおかげで」と思えてるのはたまたま運良くコロナにさほど影響を受けない立場だっただけで、たとえば医療従事者だったり飲食店経営だった場合まじでヤバかっただろう。
それでも世界中が大混乱している今の状態は僕にはすこぶる居心地が良かった。
コロナのせいで亡くなった人、苦しんでいる人、身近な人が苦しんでいる人、仕事が大変なことになってる人たちには本当に申し訳ないけど。
コロナが収束してしまえば今放り投げてる問題の矛先がまた自分に返ってくるだろうから、その時はいよいよ本気で死のうとするかもしれない。それまでにはじっくり休んで少しでも自分の抱えてるものを整理しようと思っている。コロナでみんなが立ち止まっている間に。
アレ本当にダメだろ
俺大概何みても怒りなんて湧かないけど、最近バズってた「漠然と死にたいと思ってたワタシ、28歳で出会った彼くんと子供を作ったら生きたくなった!」みたいな漫画読んでマジで拳を握りしめたもん
女はいいよなあ馬鹿でグズでもマンコさえ付いてりゃ救済されるんだからよ…とまでは流石に思わない(救済されない人も結構いるしな)けど、そう思ってしまう人がいるのも分かる
あれはダメだよ 読んで喜ぶ人と比べてムカつく人が多すぎる
イケてない女はムカつき、イケてない男はミソジニーになる 本当に毒みたいな漫画だ
正直エロ漫画とかBLよりよっぽど有害だと思う 有害なもの扱いされてないという事実からして有害 あんなにムカつく漫画のカテゴリーもないし ゾーニングしろマジで 作者同士で回し読みしてろ
ああーーなんなんだマジで じつは一種の「怒りポルノ」みたいなもんなんですか?怒りたい人に怒りを供給するために生み出されてんのか?
参考として5年前に結婚相談所経由で結婚できた我が家を見てみよう
何なんだこの湧き出るやる気は。仕事が楽しい!全能感がすげえ!今ならどんな仕事も出来る気がするし、チームのミスだって些細だと笑って許せる!これが恋愛か!これが恋愛か!!!!!おいお前ら!(誰?)これが恋愛だぞ!!!!!!!
ずっと人生のやる気がない。ちがう。それが当たり前だったので自分にやる気がないとさえ思っていなかった。漠然と生きづらかった。しかしそんなに自分にちょっとした恋愛が舞い込んできた。そのときはこれまでの自分とはちがって、やる気が湧き上がってきて、前向きに生きていこうとした。
結局それはすぐに終わったけど、それまでの自分は恋愛無理だと思ってたし、こんなに人を好きになれると思ってなかったし、恋愛すると人生がこんなに前向きにになれるんだってびっくりした。
このやる気みたいなの欲しい。このやる気は恋愛しないと湧いてこないのかな。というかやる気が欲しいのでなくて好きなひとが欲しいんだよ。好きな人が欲しくて好きな人が自分が好きであることを受け入れてくれることがうれしいからやる気がでるんだよ。ひゃーー。
https://anond.hatelabo.jp/20200402213732
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200402213732
これに関して、ちょっと細かすぎな感はあるものの一般常識に近いことばかりだろうに、「マナー講師」がどうの元増田のスペック叩きブコメで溢れて挙げ句コロナなのに外出自粛しないのかとの不謹慎厨まで大挙して正直呆れてるよ。
もっとも元増田さんほどの気配りならこれ位のはてな村人の発狂ぶり想定済みでフェイクを混ぜ混ぜしつつ書いたのだろうが、あまりに見てらんないから元増田じゃないワイ(婚活あがり)が元増田に代わって忠告してあげるよ。
女に恋愛面で痛いところを疲れた男性特有の「男女逆なら云々かんぬん」厨がわいてたので言っとくけど、やる気のある婚活女子ならこの程度のこと言われなくても自己研鑽してるのばっかりだし第一具体的で的確な恋愛アドバイスに対してストレスを感じない人がほとんど。「俺に異性パートナーが居ない正しい理由」を必死こいて自己暗示してるこじらせ男と違って危機感あるから真摯にアドバイス聞くよ。仮に男女逆で炎上するとしたらその男性論者のコミュニケスキルが低すぎるのに嘘ついて見栄貼ってたのがバレたというシンプルな理由だけだよ。
■基本的に「男らしさ」にこだわるのはやめろ! 男を見せるのは告白とプロポーズの瞬間だけでいい
君たちが「女難しい」「女めんどくせえ」って言ってストレス訴えてる項目は、性別を隔てなければ逆にうまくいくような事ばかりなのね。
「何を言ってもセクハラ扱いされてしまう!もう俺何も言えない!」とか嘆くオッサンが口にしてるのは「服とか髪型とかメイクが決まってるね」「男(俺)への媚び方が上手いね」とかそんなん。そうじゃなくて!仕事の有能さを認めるとか性別関係ない概念なら問題ないのに、男と女の関係性を不意打ちで押し付けてくるからキモがられるの!
実はこれ婚活でもある程度同じ事が言える。男と女の関係性だからいいだろ?と思う人がいるかも知れないが、初回のお見合いとデート複数回くらいでは相手を恋愛対象の異性として意識する女性はほとんど居ない。
仮交際と名がついていてもまだまだまだまだ「複数いる競合取引先の一つ」。だから当分は取引先の接待か就職面接、もしくは殿に己を売り込む木下藤吉郎の感覚で挑みましょう。例えばプロフィール写真(履歴書写真)詐欺にならないよう同じ外見・服装で臨む。待ち合わせは必ず相手よりも先に到着し余裕があれば手土産を持参する。プロフィールを読み込んで積極的に質問して御社(相手女性)への関心度を示す。手当り次第に誰でも的流れ作業で選んだのではなくその人だけの固有の理由があると伝える。自慢にならない程度に具体的な資産と家事経験をアピール(資格アピと同じ)。去り際も丁寧さとフレッシュさを忘れず。そして爽やかな笑顔。本当に就活面接と同じだよ。
元カノも女友だちも居ないコミュ障男が下手に「相手が女性でオレが男性であること」を意識しすぎた言動に走ると軽いセクハラやマウンティングになるのがオチだよ。頭保守的な男性ならなおのこと。まずは「男と女」ではなく「取引先対取引先」を意識すれば外さないよ。
最初は「この人なら自分に関心を持ってくれてるしもう一度会ってもいいかな」位のささやかな信頼だけど、告白やプロポーズイベントで勇気を持ってハッキリ「好きです。付き合ってください」と伝えればその時から初めて異性としてドキドキしてくれる。男だ女だはそこからで充分。だから焦らず段階を踏もう。
婚活女子は危機感があるから大体この努力を自然にこなせてるけど(中には女性の自分から告白するけど男を立てるため9割がた先に伝えて最後の決定的な一言だけ男に言わせるという駆け引きを使うツワモノまでいる)、内気と非モテをこじらせた男性にこれを言うと男は欲望の対象の女をジャッジする側という性役割を捨てたくないようで「女に試される側になるのは男として屈辱的でイヤ」と不満顔をする。はてなでリベラルぶって元増田を叩く社会人男子の本音も結局のところこの男性優位主義だろう。そのくせ好意をストレートに告白する実行動の伴う“男らしさ”は照れを言い訳にして忌避するというから始末が悪い。
とにかく「女に媚びずとも、オレの男性的魅力を見せつければ女は惚れる」という考えは男のプライド的には心地良い言説だけど間違ってるからすごく危険だよ。増田の知るケースでは、お見合いの席で美人相手に渾身の男性的価値アピールのつもりで過去何人の女と付き合ってきたかというモテるオレ自慢を始めた最悪のイキリ浮かれチンポがいたよ。キモハゲデブだったから一瞬で悲しい嘘だとバレてたよ。
複数検索して読み比べてもらえればわかるけど、商業の結婚相談所ブログというものは概ね男性には同情的で振られてもあなたは悪くないよと全肯定してくれる心地よい事ばかり書き、女性にはガチンコのボクシング竹原やラーメン塾ばりの超スパルタマッチョな事ばかり書く傾向が強い。
男性の方が女性と比較してコミュニケーションスキルが低いうえに、結婚すれば共働き夫婦であっても男性側に合わせざるを得ない場合が多いので現実問題破局原因は男性都合にある事が多いのだが(家事育児の分担とか同居問題とか40過ぎから子供を望むとか)アマチュアの結婚恋愛ブログでは超あるあるの現象が商業の結婚相談所ブログでは何故かきれいサッパリ消去されている不思議。顧客のセンシティブなライフスタイルに干渉しない主義なのかと思えば、女性側にはその辺の問題にもズケズケ口を出して「賢い貴女が妥協してあげて男性を操縦しましょう」と説教するからよくわからない。あと仲人Tブログで何度か出てきてるけど「婚活してるくせにそもそも結婚する気がない男子」も現実に結構存在するけどお咎めなし扱いなのは最早理不尽だよね。そのせいで本気で努力した女子会員が振られても「男にはタイミングがあるんだよ。これは仕方ないんだよ」と男性擁護してたのはもう結婚相談所員として無茶苦茶だよね。
やはり「歓待すべき顧客は男性」「結婚とは男性に選んでいただくもの」「女性はスパルタでも怒らないからいいが、男性は繊細なので厳しく言うとキレられて炎上してしまう」という不文律が結婚相談所界隈には根強く存在していると思われる。
プラスしてどの相談所もだいたい男性の方が高く料金が設定されているので、モテずにだらだら長く在籍してくれる勘違い男というのは格好の金づるなのだ。
仲人Tの記事も婚活女性話と婚活男性話が9:1くらい。会員数が男女同数と考えると明らかに恣意的な偏りである。男性会員が婚活即終了する金持ち聖人イケメンばかりでもあるまいし、改善すべき点もドラマも女性より多い位だろうに。となるとやっぱり基本スタイルは(オタク)男性が読んで気持ちよくなるための読み物なんですよね。自らの現実と向き合わざるを得ない男性婚活物語はウケが悪い。己の立場や現実を棚上げできる婚活女性が見世物だから観客席から叩いたり応援したりできて楽しいんであって。一方、女性読者はどれだけ厳しくしても勝手についてきてくれるからほっとくスタイル。なんだか少年ジャンプ編集部みたいだね。
仲人Tブログはしばしば婚活女のエゴを叩きたい男達に利用される。ブコメでも散見されたがプロの忖度屋の彼女を引き合いに出し「仲人Tと比べてクソ」と言えばいい。
元増田を叩く男達も仲人Tブログならオタクネタに詳しい女というコンテンツを楽しみながら「婚活のリアル」を知ったつもりになれる。
だけど、それは仲人Tさんが上客になってくれるはてなのこじらせ勘違い繊細逆ギレ男のプライドに寄り添って水面下でフルパワーの媚びを発揮してくれたおかげです。それを当然と思って勘違いを温存していたら忖度してくれない女性相手にやらかす危険性が高いと思うよ?
だから女性がその手の情報に触れることは有益だろうけど、男性は書籍化されたアマチュア女性の婚活体験記コミックでも読んでた方がためになるよ。何も忖度されてない素の声だから。
オススメは『100回お見合いしたヲタ女子の婚活記』。10年近く前の婚活体験記だけど現在にも通じる婚活男性のあるあるが多分一番リアルに凝縮されてるよ。仲人Tよりアヤメさんの方が遥かに信頼がおけるアドバイザーだと思うよ。
漫画描きの女性が描いた婚活本は記憶にある限りどれもどちらかと言えば高収入の共働き希望キャリア婚活女子視点だから、共働き希望の婚活男子はじっくりねっとり彼女達の選んだ男の特徴を観察分析すべき。非モテ男が婚活女叩きの盾に利用する「高年収のイケメン」が実は結構高い頻度で嫌われて振られてるよ。オタク男子の幻想に寄り添う仲人Tブログでは高収入イケメンは絶対勝利確定演出だけどね。振られた高収入男性のどこが共働き女性に嫌がられたのか?仕事も婚活も全力で主体的で収入もある「男らしい」彼女達とピッタリの相性を発揮する男性の性質はどうか? 内気で行動しないけど女に媚びたくなくて主導権も渡したくない男性はよーーーく自身と作中のパートナー男性を比較するといいよ。
元増田の受け売りだけどこれはガチ。女子は漠然と男子が結婚に消極的なモラトリアム体質であることを察してるから、決断と行動の早い人はそれだけであらゆるスペック不足を補うアドバンテージを得られるよ。それは女子からの告白にとっても同じ事。
「お互い仲良くなるまでじっくり様子見」とか言ってると真剣度が薄いという見方に繋がるし、ライバルにかっさらわれるよ。
ただしあくまでゴールは入籍なので、告白された側はあぐらをかいて油断しないこと。入籍直前までは見極めタイムは続いてる事をくれぐれも忘れず、告白直後から距離を詰めすぎてセクハラモラハラとかやらかさないように、ラストスパートのつもりで紳士淑女を演ろう。
真剣交際に行く段階まで行くとお互いが結婚後の生活を見据えて意図的に素の自分を混ぜてくる。
それは当然の流れだけど油断して「ありのままの自分」を全力露出してドン引かれたり、男女問わず自称真面目で優しい(笑)非モテに多い「コミュ強の相手がさり気なく気遣って二人の会話が続く空気を終始作ってくれていた事に気づこうとせず、相手をやれやれと下に見ながら優しく冷静な参謀タイプの自分に酔うコミュ障受動的ダメ人間」が大体ここで自爆するよ。実態は優しくなんかないのに相手の接待のおかげで己のキャラを気持ちよく勘違いさせてもらってた人が、己の自己認識と相手の素のギャップに直面して壊れる。
通常仮交際の間で見極める人が多いかも知れないけど、私見として好意を伝えてからが相手の一番肝心な所が露呈するタイミングだと思ってる。
見極めの基準は収入や居住地などもあって一概に言えないけど、個人的には最低一度はデートの店探しから予約まで段取りをしてくれる事かな。
好ましくて大事にしたい相手ならどうすれば喜んでくれるかあれこれ想像したりして段取り自体を楽しめるはずだし、ここで「失敗したらどうしよう」とか自分の保身感情で一杯になる人は一見真面目に見えても本質的に自分だけが可愛い人なんだと思う。
それは他人ではなく、他人からみた自分の評価だけ守りたいという脆弱な自己愛だよ。
というか「オレの選んだ店がオレが嫌われたらどうしよう」ばかり大げさに心配するのは繊細通り越して相手女性の人格を信用しない無礼でゲスな被害妄想だよ。
本人は思慮深さだと美化して勘違いしてても他人にはカンタンに見抜かれるよ。
少なくとも私はデートの段取りで不安なんか感じた事一度もないよ。
●1、相手の避けている食べ物を聞き出してそれを避けた店をるるぶや食べログや過去の婚活デート経験を参照に何店かピックアップ。車を使わないデートなら駅近に絞る。車を使うなら居酒屋・バーは避ける。デートのメインイベントは料理ではなくあくまで会話なので互いの声が聞き取れるよう店内がうるさすぎない所にする
(迷惑な酔っぱらい爺や泣きわめく乳幼児が出没しやすい激安居酒屋チェーンやマックや安ファミレス以外の大体の店は大丈夫だけど。個室がベター)。
●2、LINEで各店舗のURLを貼ってどこがピンと来たか聞く。もし相手が別の候補の店を提案したらそれも含めて相談する。
●3、日時と店を決めたら予約電話を入れる。席だけ予約してメニューは当日その場で決める形式が無難。
必ず候補は相手が選べるように複数伝えて相手と相談しましょう(勿論ぼかさず相手がネットで検索して把握できるように店名と住所も教える事)。万一のアクシデントを想定して予約は取ろう。徒歩なのに交通機関から離れすぎてるとかトンチンカンな場所はお互い大変だからやめよう(待ち合わせ駅から徒歩5分以内が目安)。つか普通に友人同士の会合でもこれ位はするよね?「サプライズ主義」は独り善がりで自信のない提案者の逃げだと思うよ。
デートで大事なのは9割が予約するまでの報連相だと思うよ。極論デート当日はおまけに近い。
もしこの流れを無意識的に避ける人がいるなら、それはテク以前に人間との対話拒否や幻想の女性像恐怖を極限までこじらせている症状で婚活以外の相談を受けた方がいいと思う。
先にこちらから段取りした後で次はあなたもと水を向けても「僕はそういうの苦手なタイプだから。行きたい所を言えば合わせますよ」で断る受け身っ子はお断りするよ。
■追記
ブコメへの返信ってわけじゃないけど、長文化したからカットした部分をやっぱり載せとくよ
「男女の性役割固定を否定するなら男が婚活のメシや茶をオゴる風潮はおかしい!」と思う男性も居るだろう。増田個人は割り勘派かつ共働きだし、それについては同感だよ。
でもね、同い年か歳上女性を結婚対象にして申し込んだ男性だけがそれを言いなさいって感じだよ。個人的に同年代とギリ言えるのは3歳差まで。
婚活やキャバ等の異性性を扱うサービスにおいては男の過半数が扱いやすい従順さと己の老体を棚上げした美的価値を求めてかなーーーーり歳下の女に走るよね?5歳~10歳以上とかザラ。小学1年生と中学生の年齢差、下手すりゃ0歳児と社会人レベルの年齢差だったり。お相手がそこまで歳下だったら女でも流石に自然とおごりますよ。共働き希望の妙齢の社会人女性は男女問わず後輩たちには毎回おごってるし、おごる側だと不満を口外するどころか感じることさえ恥ずかしいと思うよ。優位な立場が欲しくて5歳差以上歳下で自分より低収入と目星を付けたで若い女しか目に入らないおっさんが偉ぶるコストをケチるのはハッキリ言って恥知らずもいいとこ。
婚活市場的には5歳以上歳下というのは男にとっての高望みラインだよ。8歳下とか10歳下に申し込むアラフォーアラフィフ男性は、年収800万円以上の男に限るとかのたまう平均顔の30代女をもう馬鹿に出来ないレベル。
その地に足を踏み入れた瞬間、すぐに異様な空気感が襲った。
場所は先ほどいた庭と同じ。
目に映る景色も代わり映えしない。
だが「何かが違う」という感覚。
同じようで違う。
違うようで同じ。
確信はあるけれど、その“違い”を正確に表現しようとすると難しくなる。
表象だけ語ろうとすれば陳腐になり、個人的な思いを言葉にすれば漠然としすぎてしまう。
あえて言葉にするなら、俺のボキャブラリーでは“第六感が告げている”としかいいようがない。
「体全体がグラグラする……」
あの時が吊り橋の上に立っているような状態だとするなら、今回はその吊り橋から落っこちているような状態だ。
「“次元酔い”だね。跳んだ先の世界が近い場所だと、細かなギャップに体が拒否反応を示すんだ」
「……何でお前は平気そうなんだ」
他意はないんだろうが、言い方が妙に鼻につく。
「この分裂世界は、キミのいた世界でもあったんだから酔ってしまうのは仕方ないよ。むしろ、それくらいで済んでいるのは幸いといっていい」
そういえば別次元を旅行したとき、同行していたドッペルは大変なことになってたな。
“世界の分裂”ってのは“可能性の分裂”でもあるから、別次元では存在を保ちにくいとかで……。
「ん? だったら俺もここに長居したらヤバいんじゃないか? この世界にいるであろう俺に接触でもしたら、かなりの影響があるんじゃ……」
にわか仕込みのSF知識だが、そういうのは大抵マズいことになりやすい。
次元がしっちゃかめっちゃかになったり、未来が大きく変わったりするんじゃないか。
「そのあたりは大丈夫だよ」
ガイドはあっけらかんと答えたが、その態度がより不安を掻き立てた。
不思議な造形の小道具を取り出し、何かを解析しているようだった。
「よし、座標が分かった! こっちだ!」
どうにも要領を得ないが、俺は大人しくついていくことにした。
質問攻めをしてガイドが機嫌を損ねでもしたら、ここに置いていかれるかもしれないからな。
「それにしても、この時間帯にしては人通りが少ないなあ。というか、今のところ誰とも会ってない」
「あー、この喫茶店、こっちでは潰れてるんだな……」
冷静に辺りを見回し、その差異に思いを巡らせる余裕すら戻ってきた。
けれども駅前の広場を通りがかった時は、さすがに驚きを隠せなかった。
「さあ 皆さん 救いが 欲しければ 回すの です!」
突如として何者かの声が爆音で轟き、耳を劈く。
「な、何だ!?」
聴こえた方角に目を向けると、そこには白銀の世界が広がっていた。
その白銀の正体は、数え切れないほどの人、ヒト、ひと……。
白い装束の人々が、広場にごった返していたんだ。
「さっきから人を見かけないと思っていたが、まさか全員ここに集まってるのか……?」
そして、俺はその装束に見覚えがあった。
職場の同期グループ約10人で今週末飲み会に行こうという話になった。
自分は、コロナに警戒した方がいいと思うからやめとくと断った。
気にしすぎ。そんなの気にしてたら生きていけないよ、とか
まあ半分笑いながらいろいろ言われたのではあるが、ああここで人間関係が壊れたんだなって様子を漠然と感じることになった。
この件より少し前からも自分はコロナ予防に関して職場の中でいろいろ物申してきたが、なかなか伝わらなかった。最初は苦笑いだった人もだんだん苛立ちの表情を隠さなくなり、ついにはオマエいい加減にしろよ、と詰め寄る者まで現れた。
もう今はコロナに気をつけた方がいいのは世界的潮流のはずなのに、自分の職場だけ完全に状況が逆転している。自分だけ頭がおかしい奴ということになってしまってる。
今回は作品単体の感想というよりは、媒体の潮流に対する包括的な感想。
自分でも漠然としすぎていることを自覚して話すので、他の人は共感どころから理解すらしんどいと思う。
WEBコミックサイトって、例えば1話を「1話①」みたいな感じで配信することがあるんだよね。前編、中篇、後編みたいな明確に区切っているものですらなくて、本当にぶった切った感じの構成。これはWEBコミック独特のものだなあと思う。
商業誌とかだとストーリー的には地続きだとしても、1話単体で何らかの区切りやすい、評価点を作りやすいように描いてあることが多い。「話が進まない」とか言われている漫画がたまにあるけれども、そういった区切り方をやっていないのも理由としてあると思う。
個人的にこのやり方を評価してはいないんだけど、利点も分からなくはないんだよね。コンテンツは認知すらされないってのが最も避けたいことだから、構成的に不恰好でもコンスタントに提供できた方がいいって理由もあるんだと思う。ブツ切りで配信しても、私みたいに見る奴は見るし。「読む」んじゃなくて「見る」……って感じになりやすいけれども。
私が何でとりあえず見るかっていうと、サイト単位で巡回しているからなんだよね。特別この漫画を読みたいっていう感じじゃあない。商業誌とかでも、「単行本買うほどじゃないけれども雑誌に載ってたら読む程度には気に入ってる」って作品があるけれども、そんな感じに似ている。
ただWEBコミックサイトって、世間一般的に雑誌という媒体に比べてブランドとしての訴求力が低い状態だと思う。例えば『王様ランキング』が話題になったけれども、それが載ってる『マンガハック』というサイトの認知度はそこまでじゃない。
まあ、この点については、個人的に納得できる結論すら出ていない。とりとめもないまま、今回の感想自体もぶった切って終わりです。
自分は1年後何をしたいんだろうな…。
日々、新しい事にリスクを賭けて挑戦しないといけない状況だ。
でも、楽しく無い。
楽しく無いと感じるのは、この先が見えないから。
アルバイトで稼げればいいなと思って始めたはずのフリーランスが、日々の全ての時間を占めている。
もし自分が生粋のエンジニアなら、こいつはハッピーだってなるんだろうが、自分はエンジニアに良い思い出はない。
(色々あって人間として成長は出来たと思うが…)
多分、フリーランスになる前にキャリアチェンジを考えないといけなかったのだと思う。
この状況になったから尚のこと狭い。
最近の寝て見る夢も過去の思い出がベースになってる夢ばかりで、
…この先が思い描けない。
手を動かしながら、仕事さえなければ死にたいな…って思い続けている。
夢ってどうやってみれば良かったのだろうか。