はてなキーワード: ナイナイ岡村とは
番組に関係ないところで命に関係するような誹謗中傷をして、番組で尻拭いさせろっていうのは非常に虫のいい話だわ
なんかナイナイ岡村を引き合いに出してるやついるみたいだけど、
あれは番組内での失言なので発言直後に謝罪コメント入れたりという対応をしなかった局にも責任がある、
というロジックがギリ存在するからなんとかマイク前に座らせてもらえただけのこと
他局だけど、ジャンポケ斉藤の不倫のときは1回目は生謝罪させてもらえたけど、二の矢が報じられた後は強制降板だったからな
しかも「◯んでくださーい」とか、岡村の女性に対するキモい見識やジャンポケ斉藤の不倫と違って直接的に命をどうこうするような話だし
番組に関係ないところで命に関係するような誹謗中傷をして、番組で尻拭いさせろっていうのは非常に虫のいい話だわ
なんかナイナイ岡村を引き合いに出してるやついるみたいだけど、
あれは番組内での失言なので発言直後に謝罪コメント入れたりという対応をしなかった局にも責任がある、
というロジックがギリ存在するからなんとかマイク前に座らせてもらえただけのこと
他局だけど、ジャンポケ斉藤の不倫のときは1回目は生謝罪させてもらえたけど、二の矢が報じられた後は強制降板だったからな
しかも「◯んでくださーい」とか、岡村の女性に対するキモい見識やジャンポケ斉藤の不倫と違って直接的に命をどうこうするような話だし
だよね。常識的に考えて。
楽太郎はあくまで落語家なので、顧客(ファン層)はおっさんが多いし、割とクズエピソードも結構ある業界なので人となりよりも芸事が重視されるような文化だから、
顧客もそれは受け入れているから癇に障る方はそう多くは無かったわけで。(類義語:桂文枝)
対して、渡部さんの活躍となると、ここ10年で王様のブランチ、ヒルナンデス、相場マナブみたいなどいわゆるF層をターゲットにした露出があまりにも目立つようになった上に、
有名人と結婚して仲良し夫婦アピールまでする営業なんかしてたもんだから、そら顧客に対しての裏切りは楽太郎のそれとは全然違うよね、と。(類義語:東出昌大)
まだF層狙いなんかせずに黙々とコントやり続けたり、有吉にイジられ続けてキレるだけの芸人的な活動だったら傷は浅かっただろうに。
特にコントなんかはアンジャッシュっていうジャンルが確立されつつあるくらいの完成度の高いレベルにあった訳だからまあ勿体ない。
割と常連だった笑点もこれで出られなくなるのかな。笑点に出てるアンジャッシュ結構好きだったんだけどな。
ちなみに毛色がちょっと違うけどナイナイ岡村はスキャンダルで、チコちゃんに釣られたF層には激しく嫌われたと思われるが、
騒動の発端となったラジオ自体が岡村の陰キャっぷりに共感して20年も応援し続けた陰キャ男子のたまり場だった上に
元増田さんの投稿に対して、いくつか感じるところがありましたので、少しお話します。
一つ目は外集団同質性バイアスです。外集団同質性バイアスとは読んで字の通り、自分の属していない集団について一枚岩であると考えやすいバイアスのことです(一方、自分の属する集団の多様性は高いと考えやすい)。
男が巨乳女性に「おっぱい!」っていうのは許せないのであれば、自分らも男の筋肉を見て「雄っぱい!」って盛り上がるべきではない。
外集団同質性バイアスが働く場合、オタフェミAが『ルッキズムエイジズムに反対だと』言い、オタフェミBが『「推しの顔がいい」と言』ったのを聞いて、オタクフェミは『ルッキズムエイジズムに反対だといいながら、「推しの顔がいい」とか言う』と認識してしまうことがあります。
また、仮に同一人物が言っていたとして、"オタクフェミ"にカテゴライズされる個人の発言を、"オタクフェミ"共通の意見であると認識することもまた外集団同質性バイアスと言えます。
真に"オタクフェミ"集団の共通見解および言動をジャッジしたいならば、そのような発言がこの集団でどれだけ一般的なのかということを示さなければなりません。
重要なのは、ルッキズム等に関する認識が、元増田さんとオタクフェミ側で異なっている可能性があることです。そうなると、元増田さんがダブスタと判断したことが、オタクフェミ側には何ら問題に見えない(またはその逆)という事態になります。
例えば、『ルッキズムエイジズムに反対』することと『「推しの顔がいい」とか言う』ことが矛盾するのは自明ではありません。
フィクションの登場人物を容姿で批評することと、現実の人間にそうすることの間には隔たりがあります。フィクションはフィクション、現実は現実、と分けるのはオタク的に珍しくない行動であろうと思われます。
もちろん、アンチポルノフェミニストのように『フィクションのキャラクターに対する態度であっても、それはいずれ現実の人間に牙をむくのだ』とする考えもありますので、私の見解が絶対というわけではありません。
他の例も同様です。
「国連平和維持軍が現地民に対して(強制)売春に従事させる」ことや「性産業従事者が低賃金かつ劣悪な環境で働かされている」ことを性的搾取として認識している人が、『2.5次元舞台のお風呂シーンで札束乱舞させて盛り上が』っても特におかしいことはありません。
まあ性的搾取という言葉は近年(と言ってもここ30年ほど)カジュアルに使われ続けた結果、意味が拡散してしまい、正確な用法はもはやわからないので、どうにか頑張ってください。
あと、能力というか知識の問題もあります。女性(男性)が女性(男性)の描かれ方に文句をつける方が、楽です。洋画での日本人の描写が変だと指摘できる日本人は多いでしょうが、ネイティブアメリカンの描かれ方も同程度の精度で指摘できるかといえば、難しいと言わざるを得ません。
三つ目、"オタクフェミ"というのが何を指すのかが曖昧に過ぎます。
最初はオタクかつフェミニストな人を指すのかと思いましたが、特に注釈もなく女性に限定しているようですし、どうやら違うみたいです。男のフェミニストもいます。私は男でオタクでフェミニストです。
※ ただし男はフェミニストになれないという信念を持つフェミニストも存在します。そういう人に配慮してプロ(親)フェミニストと名乗る男性もいます。
後半では女オタク≒オタクフェミともとれるような記述もあり混乱します。もちろん女がみんなフェミニストということはありません。アンチフェミニストの女性も多くいます。
"オタクフェミ"は元増田さんの投稿の主題なのですから、その定義なり、少なくともどのような集団であるのか最初に述べておいた方がよろしいのではないでしょうか。
なお、"オタクフェミ"の定義を『ルッキズムエイジズムに反対だといいながら「推しの~(略)~ばかりに断罪する』人達であり、『男が巨乳女性に「おっぱい!」っていうのは許せ』ず、かつ『男の筋肉を見て「雄っぱい!」って盛り上がる』人達のこととするならば、何も問題はありません。ただしその場合、元増田さんの言説がほぼトートロジーに終わってしまうのですが。
最後に、"ある有名なオタクフェミ"とはアルテイシア氏のことであろうと思われますが、元増田さんの解釈が全く理解できませんでした。
「スウェーデンは容姿差別がない、すばらしい」みたいなことを述べた後に、美童とフェルゼンがうんたらかんたら書いてて強烈に違和感あった。男オタクが生身の女性とフィクションの登場人物を混同して述べることには厳しいのに、女オタクは平気でそういうことをする。リアルなスウェーデン人はそういう社会でどう生きてるのかというとこに目をそらして、日本人女性の空想の産物としてのスウェーデン男性キャラを押し付けてるって自覚ないんだろうか。
『母親を殺した犯人はお前だ!』に書いたが、スウェーデンでは保育園から子ども達に「性別、民族、宗教、セクシャリティ、障害に関わらず、人間には全員同じ価値がある」と教えるそうだ。
ルッキズム(容姿差別)についても教えるため「人を見た目でジャッジしない」が子どもでも知ってるモラルの基本で「人の容姿について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反」が常識だという。
そうやって保育園から徹底的に人権教育するのは、真っ白な状態の時に教えておかないと、世間やメディアに間違った価値観を刷り込まれてしまうから。
という話を聞いて「スウェーデンに生まれてフェルゼンと美童が出てくる夢小説を書きたい人生だった」と俺は思った。
(ナイナイ岡村やおじさん芸人にJJが伝えたいこと https://www.gentosha.jp/article/15589/ より抜粋)
前半部を『「スウェーデンは容姿差別がない、すばらしい」』と読み取るのは少し難しいと思いますが、まあ置いておきましょう。
素直に解釈すると、"フェルゼンと美童(フィクションの登場人物)を生身の男性と混同している"、"フェルゼンと美童のキャラ性をリアルなスウェーデン人に押し付けている"、と読み取れます。
どっちやねんでございます。
なんかこう、ある話題について ネット上で多数の声が上がったり あるいは炎上したりすることが、政治家やメディアに「世論」と受け取られることが明らかに増えたよな。昔はネット民がいくら騒ごうが見向きもされなかったのに。
例えば #検察庁法改正案に抗議します の件がその典型。ちょっと前のことだと、保育園落ちた日本死ねとか。あと昨日、ナイナイ岡村さんの炎上を受けて、チコちゃんの番組のエンディングで NHK が謝罪テロップ出したりとかしてたけど、NHK がネットで盛り上がったの声に対して声明を出すとか、一昔前では考えられただろうか。
僕はネットに住んでる側の人間だから、自分に近い人々の意見が政治家やメディアに汲み取られるようになったのは 個人的には有り難いんだけどさ、日本全体で見たときに 果たしてそれって良いことなんかね。(反語でなく素直に分からぬ。)
ネット民達の声 ≠ 日本全体の民意の縮図 であるのは、ネット上で支持されてる政党と実際に選挙結果の違いを見れば明らかなわけでさ。
みんな分かってるはず。根がクズだと。
そのクズ発言をいまさら取り立てて説教だの謝罪しろだの、パフォーマンスとしか思えない。
ナイナイ岡村はうつ病を患ってから大事に扱われてたとか、だから天狗になったんだ、とか、関係ないから。
クズっぷりを裸の王様状態で露呈するのも相当頭が悪いと思うけど、
盗み癖のある人とかと一緒で、もうそのクズな根っこは変わらないから。
だから岡村のことを、漫画家の蛭子さんのように、クズであることを前提とした道しかない。
だから、まともなことを発言しても、だれも信じてもらえなくなるが、意外性で驚かれることもあるかもしれない。
生活保護の河本と一緒で、取り返しのつかないことを言ってしまったのは間違いないから、もう完全に元のイメージには戻れない。
男の子からはいじめられたけど、女の子に守ってもらったんでしょ?
フェミニズムに耳を傾けて、ちゃんと男性役割から降りなきゃ駄目じゃない。
フェミニズムの大家、上野千鶴子先生の議論が増田のような男性の役に立つ。
上野先生は昔から自閉的な男性を厳しい目線で叱ることに定評がある。
有名どころでは、かつてナイナイ岡村がラジオで自分の性格を自虐交じりに「自閉症」と言ったことがある(後に不適切な発言だったとして謝罪した)。
https://note.com/kame932/n/n4593ea4324c4
ご存じの通り、上野先生はこの岡村のような男性には特に批判的であり、しかし優しく新しい時代の生き方を提言している。
https://note.com/prof_nemuro/n/n8cc1df9e51ce
上野 コミュニケーションを面倒くさいと考える人たちが結婚しなくなるということは、コミュニケーション抜きで結婚し出産する人が減ること、それは最終的には次の世代に生まれる子どもたちにとってはいいこと。そんな人たちが親にならないほうがマシだと、わたしは思っています。
2020.04.30 ナインティナイン 岡村隆史のオールナイトニッポン 【ゲスト:矢部浩之】
https://www.youtube.com/watch?v=GJQEpov0G7Y
賛否両論あれど、矢部は説得力をもたせつつ岡村の人格を否定していく。
ただ、途中で岡村は矢部の説教に耐えられなくなったのだろうか。
とりあえず目の前の矢部に謝罪をして、彼の言葉を全肯定する機械に成り果てていく。
その最たるものが、矢部が「自分が変われた事例」を出して、「だから岡村も変われるし、変わらなければならない」という主張をするくだり。
https://youtu.be/GJQEpov0G7Y?t=3273
矢部は幼い頃から、人脈の広い兄のおかげで、どこへ行っても可愛がられる。
なぜなら、幼少の頃から、自分から人の輪に入っていく必要がなかったから。
ある日、そんな矢部を岡村が真剣に矢部を叱る。「お前!性格変えろ!」と。
・・・これ自体は良い話であり、矢部も説教に感謝しているのだが、この話をされた岡村は「俺...そんなこと、どういうつもりで言ったか...」と、消え入りそうな声で釈明をしようとした。
https://youtu.be/GJQEpov0G7Y?t=3545
会社でノルマ未達成を詰められた社員が、とりあえず謝罪をすることでその場を逃れようとするのと同じ。
武富士の「全然足りねえじゃん」「申し訳ございません」の永久ループと同じ。
このモードに入ると「謝罪をする」という単純作業のみを行うようになり、他人の声や周りの状況は一切頭に入ってこない。
脳が拒絶しているから。
矢部が「岡村が良いことを言った話」をしているのに、それに対しても謝罪をしようとしていたのだ。
そして、謝罪も単純作業の一環として行われただけのものであり、たとえば癖で表出される舌打ちや悪態等と何ら変わりはない。
彼の謝罪は藤田孝典等が言う以上に「形だけのもの」であり、彼は今後も変われないし、反省もしていないだろう。