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はてなキーワード: 免除対象とは

2023-09-03

無職生活費を公開する(月3万円)

説明出来ない理由最後の職を辞めてから就職活動ができず、貯金を食いつぶして生活している。

ふと気づいたら、この生活なら年金が出るまで貯金生活出来る計算になった。

おめでとう、思いがけない ぷちFIRE自分

2023-06-21

大学無償化の年齢差別ヤバい マジでやばい

今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。

具体的に言うと北海道大学医学部医学である

俺は昔から医者になりたかった。中学生ときにはもう医者になろうと思っていた。

しか現実非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。

そこで北海道祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。

必然的高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。

これが10年ぐらい前の話だ。

とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。

祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。

しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。

20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。

俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。

さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。

北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナから自然医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学札幌医科大学旭川医科大学の3つだ。

これが首都圏だったならば私立医科大学という選択肢視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。

とはいえ文句を言っていても仕方がない。

俺は北海道大学医学部医学科を焦点を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。

当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構借金をして入ることとなった。

さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。

これは比較最近まれもので、生活の苦しい学生学費給付するという制度だ。

さらに、「給付学生」になると国公立ならば大学授業料無料(!)になるというおまけ付きだ。

なんという良い制度であろうか。

俺は早速申し込んだが、却下された。

理由は「年齢」である

というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである

俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金絶対的に出ないのである

「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。

なぜならば「給付学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである

それならば給付奨学金が無い時代授業料免除はどうなっていたのか?それは大学独自学生収入を元に授業料免除できていたのだ。

その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。

しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用借金をしなければいけなくなったのだ。

俺は愕然とした。

というのも、ほとんど俺と同じ待遇医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。

その先輩は給付奨学金制度がない時代20代後半で大学に入り、大学独自授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。

これはひどい。いや、ヤバい不公平感が半端ない

国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である

謎の線引き、謎の境界線

まるでヨーロッパ人勝手国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。

追記:

給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?

経済的困窮者は高校卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。

そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。

国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定は無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度人生を大きく左右されるのはキツイ

追記2:

【これまでの授業料減免制度

大学収入を報告する

大学学生の年齢など関係なく困窮具合を判断

授業料減免

【今の授業料減免制度

日本学生支援機構給付学生として採用される

20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由不明

給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる

2022-10-26

anond:20221025194736

でも独自政策格差拡大して国民年金納付率41%だろ

国民年金納付率73.9% : でも、保険料免除猶予対象者が4割強

年金運用格差拡大証券市場のための政策と思うが弊害もある

何に投資されているかが分かりにくい

保権料免除対象者を増やして将来的に支払年金額を約半額で済ませたり

高額年金受給者は病院で手酷く扱われて没したり

大富豪だけ証券で儲かったり

2022-06-22

人生がよくわからなくなってしまった話3

anond:20220622160151の続き

長くてスマ

死にたくなるまで(3)

私は猿じゃない人間だと思うようになってから

母と私の関係悪化する一方だった。

大学進学は入試を半ば無理やり行い、合格したため、母の友人たちの説得もあって(国立大学で行って損はないでしょうと話してくれた)なんとか通えることになった。

しかし自宅での母と私の仲は最悪なままで、顔を合わせれば「裏切り者」「恥知らず」と罵られた。

母の罵倒は今に始まった事ではないので、聞き流していたが「人間ではない」と「お前は猿だ」にだけは「違う」と私も声を荒げていった。

次第に母は私を殴らなくなった。

成長し、私の方が力が強いことが互いにわかっていた。

そんなこんなで家にいても空気が悪いだけなので私は大学研究に没頭した。

ゼミに配属される前から気になる研究室をいくつも尋ね、知らなかったことをたくさん知り

それらの活動にのめり込んでいった。

大学へ入ってよかったことの一つに喧嘩揉め事が起こっても、私のことを猿扱いする人がいないこと、暴力を振るう人がいないことを知ったことだった。

基本的には話し合いで解決しようとするし、どうしようもない時は距離を置いていた、どちらが悪いとか悪い場合謝罪をするべきだとか言う人は

ほとんどいなかった。

ゼミに配属されてからはより一層研究にのめり込み、学会参加や論文執筆なども意欲的に行なっていった。

研究活動環境に恵まれたおかげで学会で賞をいただけたり、ある学年では学費免除対象になったりして、本当に楽しい学生生活を送れた。

だが、研究にのめり込むあまり体調を崩し長引く風邪をひいてしまい、1ヶ月ほど寝込んだ。

そして運悪く風邪は母にもうつってしまった。

死にたくなったとき

この風邪コロナ前の話)は本当に厄介で

とにかく長引いた。

予定していた学会への参加も投稿予定だった論文も全て再調整になってしまい、これまでの成果が無駄になったと酷く落ち込んでしまった。

そこに母との喧嘩毎日起こった。

「やはりお前はダメ人間、猿だから計画性がない。私にも風邪うつして迷惑をかけた。最悪だ。」など毎日言われ続けた。

大学に入って以降、私は人間!猿じゃないマインドで今までにないポジティブさで活動してきた私だったが病気もあって精神的に弱ってしまい、母の暴言に耐えきれず自殺を考えるようになっていた。

だが病気さえ治ればまた研究室に通えばいい、元通りになると思い直し、でもなかなか治らない辛い症状にどんどん心が荒んでいった。

少し症状が軽くなった日、寝込んでから触ってなかったパソコンで少し作業をしようと思ったらパソコンが明らかに破壊され使い物ならない状態になっていた。

明らかに母の犯行だった。

そのパソコンお金がなく購入できなかった私に教授研究室の備品を貸し出してくれていたもので母もそのことを知っていたし、

まさかから借りているものに手を出すとは

思っても見なかった。

この件で母に激昂してから死ぬ準備を始めるようになり睡眠食事もろくに取れなくなっていった。

いざ死にましょう!のとき

パソコン破壊されてから教授への申し訳なさと研究データが消えたことで大学へはもう戻れないと思い込んでいた。

(その後実際に教授謝罪した時は、

適切な処理をしてくださり退学することはなかったし研究データクラウド上にあるため消えていなかった。)

大学に行けないなら、もう生きていてもしょうがないなと本気で考えていた。

そうしたらじゃあもう死にますか!と

気持ちを切り替え自殺に向け色々と準備を進めていた。

自殺決行の日に、数少ない友人たちにお礼のメールを送り、教授にはパソコン破壊したため大学へは通えないことを連絡した。

この辺は記憶曖昧なので見返したら、”もう人生終わりにします!!ありがとうございました”とメッセージを送っていた。テンションが高い。

この時ふと、そういえば私の父親ってどうやって死んだんだっけと気になった。

これまで父の話はほとんどと言っていいほど触れられることはなく、いないものとして扱ってきた。

ただ死ぬ前に父がどんな人だったのか、どうして亡くなってしまったのかが、それまで気にならなかったのにどうしても気になってしまった。

母は親族との交流を絶っていたので、

父のことを知る人はほとんどいなかった。

ただ1人幼少期電話で話したあの教師を除いて。

私は漠然とした記憶を頼りに我が家電話帳に

登録してあったその教師にいきなり電話をかけた。

教師困惑し、いきなりなんだとか母はどうしたとか言っていたが、

そんなことはどうでもいい私の父について知ってることを全部話せと言った。

教師

「〇〇さんにお会いになったんですか?」

と言った。

父は生きていた。

次でラストです。

2020-07-16

日本が生き残るには、日本人だけのレイプ合法化ピル妊娠中絶禁のみ

最初に言っておく。私は、日本人だけのレイプ合法化に賛成でも反対でも無い。

25年前ならまだ違っていたが、現在では、日本には他の選択枝は既に無くなっている。

にも関わらず誰もこのことについて公言していない。だから私は言っている。

2020の今だけ世界を騒がせている新しい風邪(新型コロナウイルス)については最後に少し語るとして、それを除けば、日本における問題は、少子化につきる。

全ての問題少子化帰結する。少子化解決すれば閉塞した現代日本を悩ませている問題はほぼ全て解決できるといっても過言ではない。

少子化に対し、今まで多くの施策を講じてきたが、成功はしていない。「足りない」という者もいるだろうが、今まで通り施策を増やしたところで、成功の見通しを語る者はいない。増やしたところで成功するとは皆、思っていない。これは全ての人間同意するところであろう。そして、それは正しい。

アメを与えて子供が増えることは無いということは皆が理解した。次はムチの番である強制的に増やすしかない。

レイプ合法化の流れ

1.既に禁止されている中絶殺人禁止を厳格・全面化する。ピルも一切認めない。輸入には殺人と同様の刑罰

2.出産または妊娠したもので無ければ女性大学入学資格及び公務員採用を保留する。大学,職場内の託児所設置の義務化。

3.国民に、具体的な数値目標提示する。その数値目標を達成できない場合レイプ合法化する。具体的な数値は今後、議論を深めるべきだか、叩き台として1年後に出生率1.7。数値目標実現性は十分でなくていい。何故なら、数値目標国民はどうせ達成できない。

4.期限内に数値目標が達成できなければ、レイプ合法化限定的実施する。限定解除目標への達成率を妊娠件数などから見ながら徐々に解除する。

 4-1.35歳以上~39歳以下の執行猶予者、懲役刑過去に受けたもの

 4-2.上記に加え35歳以上~39歳以下の生活保護

 4-3.30歳以上~39歳以下

 4-4.14歳以上~39歳以下

 *レイプ免除対象妊娠中及び、3名以上の出産経験

またレイプ参加者DNA登録制度創設。レイプにおいて帰化人日本人とは認めない。口座と紐付けし、父親と判明した際、生活費差し引いた残りのいくらかを養育費として自動引き落とし。

現代コロナ禍におけるレイプ合法化

コロナ禍で経済活動が沈み込んだ現代こそ、再緊急事態による自粛下において、国民総子作り運動を行うというのは丁度良い。今、実施すべきであろう。

自宅待機の現代ならではの施策として、レイプのための住居侵入合法化なども考えられるだろうが、そこまでは否定的である理由は下記に記す。

最後に、レイプ合法化ではあるが、実は子供レイプで増やすのが目的ではない。

レイプ合法化により、レイプ子供が出来ないよう、妊娠及びパートナー積極的選択が起きる。これを期待してのレイプ合法化である。もちろんそれが不可だった場合にはレイプ子供を増やすこととなる。

◆Rape..lZFE

2020-04-29

会社が休業になった

月曜日から、あれだけ「業務を止めるくらいなら出社しろ」と言っていた会社が休業になった。

そんなわけで、今は1歳の子もの面倒を見て自宅でゆっくりしている。朝子どもと一緒に起きて、朝ごはんを食べる。Eテレをなんとなく一緒に見ながら、家事をする。大体みいつけた!が終わる頃に散歩をしたいと言われるので、子どもと手を繋いで家の周りを散歩する(買い物があるならこの時に行く)。帰宅したらしっかり手洗い(または全身シャワー)して、子どもはお昼寝、大人は少しだけの休憩時間。起きる頃にお昼ご飯にして、その後は一緒に家の中で遊ぶ。おやつタイムを挟んでまた遊ぶ。16時になったらまたEテレを見ながら家事をして、17時を過ぎたら一緒にお風呂に入る。18時くらいに子どもに夕ご飯を食べさせる。この後大人ご飯を作って食べて、21時くらいに寝かしつけ。スケジュール通りいかない時もあるけど、大体こんな感じの生活テンポである

わたし子ども月齢4ヶ月のとき仕事に復帰したので、完璧ではないにしろ、ある程度意思疎通の取れる子どもとこんなに長期間一緒に過ごすのが初めてだ。家も狭いので、本当に起床から就寝まで、ずっと一緒にいる。ぷにぷにのほっぺがずっと側にいる。

自分でも知らなかったのだが、何度も同じ絵本をせがまれるまま読むことも、歌を歌ってとせがまれるまま歌い続けることも、ブロックや積み木で一緒に遊ぶことも、思ったよりわたしにとって苦痛ではなかった。育児よりも働くことの方が向いているのだろうと自分では思っていたが、間違ってたのかもしれない。状況が複雑な各ステークホルダーの機嫌を取ることよりも、子ども一人の機嫌を取ることの方が、はるかにワクワクして楽しいのだった。単純に仕事に疲れているだけかもしれないし、期間限定からかもしれないし、子どものもちもちのほっぺの魔力にやられているだけかもしれないが。

そんなわけで子どもの手を引いて、ちょっと手の込んだ料理作ってみたり、いつもレトルトで済ませていた子ども幼児食を手作りしてみたり、なんだか楽しく生活している。

ちょっと前まで出勤していた時は、不要不急の業種なのになんでこんなに医療従事者の頼みを無視して電車に乗って通勤して頑張ってるんだろう、とか思っていた。そんなことを考えているうちに、子どもを通わせている保育園からも登園自粛要請された。要請されたので、在宅勤務を強く希望して自宅で保育しながら仕事をしたりも短期間したけれど、とても無理な話だった。同じく在宅勤務の夫とどっちが面倒を見るかで揉めて、家庭内雰囲気が最悪になった。結局妻で女性わたしがなし崩し的に多く面倒を見ることになって、わたし仕事はどんどん遅れた。これが本当にストレスだったので、今は本当に穏やかな気持ちだ。

とはいえ不安はもちろんある。休業期間中給与は、ただでさえ少ない金額から更に6割になるし(こういうとき組合費を毎月結構払ってるのに頼りにならない労働組合のことを考えてしまう)、保育料は登園自粛してるにもかかわらずフルで支払わなければならないし(無認可保育所は保育料免除対象外なところが多くてつらい、定員オーバーで認可に入れないから無認可なのに)、そもそも休業明けに果たして保育園子どもを受け入れてくれるかわからないし、いつまで残りの有休の数を数えて怯えながら労働しなければならないのかわからないし、そもそもこの後クビを切られずに働き続けられるかもわからない。漠然とした不安は常に付き纏っている。付き纏っているけれど、こうやって今子どもの寝顔をゆっくり見られる今は幸せだと思う。わたしが働き続ける限り、こんなに長く子どもと一緒に遊べるのはこの休業期間がきっと最後になると思うので、できるだけ楽しく過ごしたい。

しわたしの今後の人生が長く続くのであれば、きっととても幸せ時間だった、とこの期間を振り返るのだと思う。

2017-12-29

おさがりとか割引商品買うって普通じゃない

生活保護ニュースhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171229-00000004-kobenext-l28

>> 兵庫県尼崎市パート従業員女性(48)は、中学2年の長女と小学6年の長男、足に障害があり介助が必要母親(73)との4人暮らし。10年前に離婚シングルマザーとなり、9年前から生活保護受給を始めた。月の収入保護費とパートなどを合わせて4人で30万円ほど。食費はスーパー夕方以降値引きのシールが張られた食材を買い求め、子どもの服はお下がりばかり。仕事用のTシャツ以外に自身の服はもう何年も購入していない。<<

おさがりは大体との家庭も良くあることだし、食品は割引を買うのも普通生活保護じゃなくても皆工夫しながら生活費削減とのバランスを考えている。

小学生中学生学費等は免除対象だし、給食費すら免除対象ランドセル等はひとり親等だとNPOから支給される。医療費負担ゼロであろう。

生活保護じゃなく普通に育った私も当時は近所や親戚からのおさがりが9割だった。別に違和感すら覚えない、乏しいとも感じない。もったいない精神日本人が誇れる所。

73歳の母に関しては過去年金障害者年金も貰えるだろうし。(この記事にはそこまでの背景は記載されていない)

女性服は男性服より質が良い物を中古チェーン店等で買える、ある意味女性は服飾に恵まれている。

男性服だと中々中古で見つからないのでユニクロとかそういった店で買うしかない。むしろ中古ユニクロ価格差がほぼない(T_T)

私の月収は生活保護受給者より10万円も低いのに医療費は3割負担だし結構大半の国民は苦労している。

 
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