はてなキーワード: 漠然とは
□きっかけ
以下の投稿の反応を見て精神科に行ってもいいんだと思ったので行くことにした。
誰でもあるような症状だと思う。
精神科に行く人の症状を見ると壮絶で、自分なんかが行ってもいいのかなとは予約した今でも思っている。(逃げ)
ちなみに増田に書くには匿名だけどログが残せてハードルが低いから。
話そうと思っていることを書いておく。
□病院に期待していること
後述するがやる気を取り戻したい。毎日成長のためと頑張っていたころのように働きたい。
それと同じくらい毎日積み重なるタスクから逃げ出したいし会社を休みたい。
□自分の症状
最初はテレワークで見てる人がいないからだと思ってたけど、出社し始めても変わらない。
slackやメールの通知が来るたびにビクビクするようになった。
これまでは「ああ~なんやろ?」ぐらいだったけど、見るのが漠然と怖い。
うちの会社はポジティブ推奨。というかポジティブなスタイルが評価に響くのでみんな結構ポジティブ。
これ自体はいい会社だなと思う。問題が起きた時でも、相談すれば常に前向きに協力してくれる人が多い。
でもこれが今の自分には全く合わない。このポジティブさがしんどい。
書いてて自分でもひどいなとは思う。向こうはポジティブに接してくれても自分にはしんどいからイライラするなんて。
□思いつく理由
多分これが一番大きい。今の会社で5年目だけど給料があがらない。というか下がった。
大きめの会社で制度はしっかりしているので、しっかりと無能と評価されるのは精神的に響いてる。
同僚と仕事内容も変わらない(と思ってるだけかも)ので不信感もある。
いつでも仕事ができるので頭からこれまで以上に仕事が頭から離れなくなった。
裁量労働の会社なのでいつまでも仕事ができるので徹夜や早朝から仕事をするようになった。
□その他
散々言われてるかもしれないけど、精神科に行くって予約が必要かつ予約も一杯で疲れてる人にはハードルが高い作業だなと思う。
それだけ疲れてる人が多いってことなんだろうけど。
またそのうち結果を書こうと思う。
増田が結婚前から飼っていた猫を敵視して排除し、その次は夫を排除した奥さんの敵意が今度はどこに向かうのかを考えると恐ろしい…
とかいう読めてないブコメがあるが、これ最初から奥さんが嫌いなのは増田だけで猫は巻き添えだろ。
猫を口実に帰らないと言ってたら猫を捨てられてしまって口実がなくなったから、本当の理由=増田が嫌い、を言い出しただけだ。
「まだ小さい子供を抱えたシングルマザー」が大変なのは親の助けが得られない場合だけだよ。
全部親に頼れる環境であれば、核家族でワンオペ育児するより遥かに楽。
その楽さに慣れ切って、更に夫も嫌いだったら、そりゃ夫の元に帰ってワンオペ育児なんてやりたくなくなるわ。
奥さんが、最初から子供だけ欲しくて子供産んだら離婚する気だったのか
自分の脳内&ネット情報=「シングルマザーはすごい大変」を優先するような所も一因だったのかな、と思える。
奥さんと子供が今奥さんの実家でどういう生活しているのかって事を把握してないしリアルな想像もできないし、そもそも傍に奥さんの親がいる事も忘れていて
アイドルマスターシンデレラガールズで工藤忍ちゃんのPを7年ほどしている者です。
第9回総選挙&ボイスアイドルオーディション、お疲れ様でした!
加蓮、シンデレラガールおめでとうございます。あかり、あきら、つかさ、CDデビュー決定おめでとうございます。
忍Pと書いてはいますが他にも担当いますし、そもそもアイドルみんな好きなので心からそう思っています。嫌味に聞こえたらごめんなさい。
分析でも批判でもなんでもなく、自分自身のポリシーの再確認のためにこの感想を書いています。なので、はじめに自分の目標や考えを明らかにしておきます。
まず、忍ちゃんを好きになったのは、モバマスを始めてほどなく[ハッピーマジシャン]が追加された頃でした。
特訓前の新妻感にノックアウトされ、当時のモバマスでは珍しいタッチ(と自分は思っていた)の特訓後のイラストにひとめぼれしました。
あの齢で一人暮らしという決して楽じゃない環境の中でも、アイドルになると目に星を宿すような笑顔をする子なんだ、それだけアイドルに真剣なんだ、と。
それから、忍ちゃんのSRをお迎えするためにスタドリを貯めたり、フリルドスクエアという新しい可能性を知ったり、[私だけのステージ]で号泣したり、他の担当を見にライブに行ったりする中で、「ああ、忍ちゃんもいつかステージで歌ってほしいなぁ」と漠然と思うようになりました。
忍ちゃんがライブに出たらどんな衣装だろうかとか、個人カラーはやっぱり赤だろうか、いや王道ピンクもいいなとか、『私を選んでくれてありがとう』なんて歌われたら自分はどうなっちゃうんだろうか、とか。
(私はライブはアイドルが"降りて"きていると思ってる派です)
そういう経緯と思考があるので、「忍ちゃんに声がつき、ステージで歌ってもらうこと」が現時点での私にとっての最大の目標であり、総選挙で1位になることでも、ボイスオーディションで勝つことでもありません。サプボ上等です。
と、いっても何もしないでサプボを貰えるわけではないので、ここでシンデレラガールズ最大の『運営へのアピール場所』である総選挙を頑張る必要が出てきます。
拡散力も影響力もなく、そこまで課金力もない私なので、イベントで貰える投票券を必死に集めたり(今年は全部集められました!)、MVスクショをたまにツイートしたり、知り合いの忍Pと交流するのが私の選挙活動でした。推測ですが、世の中のPってだいたいこんな感じじゃないですかね。ダイマを積極的にされていたPさん達は本当にすごいです。
そして、自分なりにできる投票券集めを年々続け(年々課金額も上がり)、忍ちゃんはTOP50入り、Cu4位と上がっていて、着実に一歩ずつ進んでいる実感が私にはありました。忍ちゃんぽくていいよね。
そして今年、第9回。ボイスの入賞こそ叶いませんでしたが、今回のボイスなしが不利なシステムの総選挙で、ボイスなし2位という位置につけました。
発表されたときら悔し涙と嬉し涙で顔がグチャグチャになり、副業先の人にガチ心配されました。
敗因は票交換を怠ったことだ、なんて声も聞きました。しかし先述の通り閉じた環境で選挙期間を過ごす私にとって、票交換という行為の選択肢はありませんし、むしろしなかったからこそ、この価値ある成績を残せたと思っています。価値がある、というのはヴァリサの前回の総選挙成績とサプボの流れを見れば明らかですよね。
なので、これから1年はドキドキしながら忍ちゃんのサプボの実装を待ちつつ、実装されなかったら次の総選挙をまた同じように頑張ろうと思います。
これを読んでくださった人で、もし少しでも忍ちゃんの声を聞きたいと思ってくださった人がいれば、サプボがついたら一緒に喜んでくれたら嬉しいです。次回の総選挙で、一票でも入れてくれたらもっと嬉しいです。
ただシンデレラガールにしたくないのかと言われればそういうわけでもないので、これは声が付いたら考えることにします。大きいプロジェクトの成功にはマイルストーンをつけろと副業の上司から何度も何度も言われているので。サンキュー上司
残念ながら、一部の忍Pの広報活動(とされていること)が、反感を買ってしまったのは事実だと思っています。
コナンを絡めた件に関しては、企画を知人から教えてもらった数年前時点ではあくまで"身内ノリ"で、P同士のやる気向上くらいにしか考えておらず、私自身も何回かタグ参加していました。もし目にして不快に感じた方がいたら、それは加担していた一人として、心から謝罪させてください。結果的に忍ちゃんの印象を損ねてしまったことは、本当に他の忍Pさんに申し訳ないです。(他の方の考えやポリシーまではわかりませんが……)
情報処理技術者試験を取っても実質的に得るものはありません。「実質的に」というのは、技術者としてのスキル向上に貢献するということであり、「報奨金が貰える」とか「履歴書に書ける」などの技術と無関係なものを含まないということです
に対する返答。
情報処理技術者試験は案外役に立つ
そして、
某感染症の世界的蔓延により、多くの娯楽やアクティビティを提供する事業者が自粛をするようになってから2ヶ月が経とうとしている。自らの趣味やライフサイクルの一部から距離を置かざるを得なくなった方も少なくないだろう。私の趣味であるクラブやパーティとて例外ではない。
私は、平日は会社員として働きながらも休日はアマチュアのDJとして活動している。活動開始から4年が経とうとしていて、自分で言うのもおこがましいが、活動している地域の自分が属する界隈では新人から中堅に差し掛かっているぐらいの立ち位置だ。もちろん自分自身クラブという場所が好きで、出演が無い休日にはパーティに客として遊びに行くことも珍しくない。
昨今の感染症の世界的蔓延によって日本全国のクラブ・ライブハウスが営業自粛をする事になった。クラブが営業してないとなれば、クラブファン達もパーティに足を運べない日々を送ることになる。
正直な事を言うと、私の心はもう耐えきれないところまで来ている。
時差出勤やテレワーク、人件費抑制によって平日の仕事に費やす時間や精神的リソースは減っているのに以前より「仕事したくないなあ」「仕事行きたくないなあ」「いっそ仕事辞めたいなあ」と漠然と思う事が圧倒的に増えた。
一年前に比べて熱を出すことが増えた。昨今の情勢がアレなので病院にかかるがこれといった病気は無く。かかりつけの医師は「自律神経の乱れじゃないか?」と言った。
空いた時間や暇は前よりも増えたが、DJとしての活動の幅やスキルを磨くような時間(曲を掘ったり練習したり)に充てることはできなかった。むしろこれまでよりも費やす時間が減っているようにも思える。
蓄積したフラストレーションは着実に私を蝕んでいて、苛立ったり頭に血が上るような瞬間、出来事が増えている。先日パートナーとした喧嘩はお互いにヒートアップし、取り返しのつかなくなる一歩手前まで進んだ。
心の中から拠り所が抜け落ちた自分のような人間のすき間を埋めるためか、はたまた音楽シーンの火を絶やさないためか、たくさんのクラブ関係者、DJ、オーガナイザーがインターネットを利用したオンライン配信のDJイベントを日々提案していて、今も普及、進歩は止まるところ知らない。
しかし、そんな配信パーティの数々も私の心のすき間を埋めるに至らず、最近は追うことも少なくなってしまった。
もちろん初めは自分も大いに楽しんでいたし、配信する側に回ったこともある。配信パーティを企画・運営するそれぞれの人々が自分なりに考え、何かしら音楽体験を提供しようと努力していることも多少なり感じているつもりだ。
だがどうしても提供されるパーティを、DJが投下する音楽の数々を、5時間なり、8時間なり、前のめりに聴き続けることができないのだ。いい音楽や素晴らしいプレイを体験して、思わず酒をあおり、チャットやTwitterにその激情を書き込んでも、結局自分がいる場所は家なのだ。酒が回りすぎてしまったらすぐ横にはベッドがあるし、少し気を抜けば手のついていない家事も、最近ハマって進めているゲームもそこにある。その感動を伝えたくても、結局家には自分しかいなくて、通話やらメッセージやらチャットやらに行くしかない。無論、自分の甘さが、弱さがすべての原因でしかないのだが、ふとした瞬間に無性に虚しくなる。
何気なく遊びに行っていたクラブ、その場所でよく馴染んだ顔ぶれと交わすドリンク、そしてその場所が生み出してきた数々の音楽体験。それらが自分の心をどれだけ占めていたのかを再認識させられる。
はてなをはじめ、ネットの反応見てると「リモートワーク最高!」な意見がよく見られ、早く会社で働きたいという意見をあまり見かけない。
満員電車に1〜2時間乗車するのが嫌で会社から徒歩10分の物件に引っ越したのにこれでは意味がない。
行きたがってる理由は2つ。
1. 生産性上がる時と下がる時の落差がはげしい。
1は、自分は発達障害な部分があり過集中してしまうため、寝食忘れてがっつりやる時もあれば全く手が進まない時がある。
誰かいると話しかけられて程よく中断されるから、集中しすぎず立ち止まることができる。
ちなみにタイマーとかリマインダーとか使ってみたが無意味だった。
2のほうが深刻で。
元々ポジティブな性格だったはずだが、何か漠然とあった幸せ思考が薄れてる。
漫画やアニメ観てもそこまで心揺さぶるものがないし、推しメンの映像観ても前ほど盛り上がらない。
「おめでとう」の一言でも送ればいいのに、なんにも湧き上がるものがなくて「あ、産むの?」ってクズ男みたいな発言をしてしまった。
インターネットには説明しろおじさんが多い。ブコメやTwitterでよく観られる。対象は政治家とか企業、有名な人。いろんな人に説明しろと罵倒気味に命じる。発祥は国会の質疑だと思われる。いつの間にか説明責任とかいう謎概念ができている。ただ、困ったことに説明をしても、説明しろと言った人は聞いちゃいない。説明を理解する能力がないか、あえて無視している。個人的にダサいと思うのは、質問する側が問いを練り上げてない点だ。ただ漠然と説明しろと言うのは知性に欠ける。何が問題であるのか練り上げて質問したほうが効率的だし楽しい。ただ、曖昧な問いしか投げられないのは、言語化能力の問題かもしれない。研ぎ澄ました本質的な問い、質問された人が簡単には答えられないような問いを投げるのが、かっこいい在りかただと思うのだが、言語化できない人は質問をするだけで満足しているのだろう。権力を持っているのはわれわれ有権者なので質問はしていい。だが、薄っぺらい問いを投げて満足しているのは残念な姿だと思う。
近代社会は言語化できない人に厳しい。国家的な教育を通して国語能力を磨かせているはずなのに、読み書きできる人は少ない。しかし、言語能力が高くないと困る社会にも問題がある。認知特性には人によって偏りがあり、言語より図やイラストによる表現が得意な人もいる。音楽だってそうだ。これだけ国語をやっても変わらないのだから、人によって得意分野が違うとして諦めるしかない。一部のエリートは何も苦労せず読み書きができている。彼らは制度を作る側なので、当たり前のように読み書きを重視する。残念ながら、この構造は変えられない。思考を固定化するには文字が効率的なのだ。新しいシリアライズ形式が出ない限りはこのままだろう。
・表社会からは秘密の世界→近いのはBLEACHの尸魂界くらいだがBLEACHの連載開始はハリポタより後。
・学校生活と部活動→いずれの漫画もハリポタほど学園が舞台であることは徹底されていない。全寮制でもないし、学年が上がっていくこともない。
・絶対悪→ヴォルデモートは最初から最後までラスボスとして存在感があったが、ワンピ・NARUTO・BLEACHにそこまでの悪役はいない(ボスを倒せば次のボスが現れるステージクリア型である)。
・血統主義→最近はよく揶揄されているが言われるほどジャンプは血統主義ではない。主人公の両親が重要な役割を果たすのはNARUTOくらいで、ワンピでもBLEACHでも親の存在は希薄である。
・親世代から続く確執→ハリポタが「親から引き継いだ宿命」を物語の根幹に据えているのに対し、ワンピ・BLEACHでは枝葉の一つにすぎない。NARUTOでは両親のことが描かれるが、ラスボスと強い因縁があるわけではない。
・空白の過去の謎→なにこれ?
・プログラムによる既存業務の効率化は目に見え易いので、非効率だった多数の人材と自分が匹敵する能力を持っていると勘違いしやすい点。
・オブジェクト指向やプログラミング自体に事象の抽象化や細分化、項目化といった思考が必要で、物事の数学的把握が必要な点。
・効率化によって職を失う人間はこの先も増えるが、自分達の仕事は減らないだろうという漠然とした思い込み。
・定量的、数学的把握は説明がしやすく、業務やプレゼンへの応用は楽だが、数値から漏れた部分や把握できないイレギュラーは無視しがちである点。
4つ目は敢えて言うなら文系の素養が必要で、これを持っている人間が一流。プログラムにできない(し辛い)部分を把握するプログラマーは自分の仕事の無意味さを認める事になるが、これを抱えたまま仕事をするのはメンタルの面からも大変。他に挙げるとすれば、専門用語が多く仲間内で親交をする傾向が高いので外部からの目に気付き辛い点、一種の官僚化だろうか。
それから6つ目(笑)と言ってもいいかもしれないが、プログラムその物の社会的意義まで頭の回っていない人間が多い印象はある。業務効率化による収益増は当然、自分の給料に反映されるが、そこから漏れた部分の責をプログラマは問われない。
一例を挙げれば、(文書に限り)郵便事業が縮小による情報伝達の効率化という恩恵は万人が受け、効率化に伴う収益は電子化業者が郵便事業者と分け合ってきたろうと推測されるが、電子化業務従事者は封書や葉書の印刷業者や納品業者、インク製造業や製紙業界までに頭を回す事が出来ない。もっと言えばパルプの精製や原料の輸出入にも関わり、産業としてはまさしく革命が起きていると言っても良いが、それを自分の仕事に係わる物だと捉えているプログラマーはまずいまい。
負の側面として電子文書は膨大な労力をかけてフォントや外字の整理を今も強いられ、ファイルフォーマットや送受信データ形式の細かな不整合を放置したまま進んできたが、それに関して電子化業務側からの社会への問いかけといった視点はなきに等しい。加えて、数値化不能な(文書に限る)郵便業務の益は、配達員と顧客のコミュニケーションや地域事情の把握、高齢者福祉に関わる面にまで及ぶのであり、それをモニターの前にいるプログラマが担うのは不可能である。
二行目に関しては特権意識とは全く関係がなく、言語による思考を行っていない人間に言語で話しかけるのが間違っているのではないか、と考える。
絵描きや作曲家の例を挙げれば理解は容易である。これらは頭を使っている、いない、の問題ではなく使い方が違うだけの話だ。
そもそも、頭を使うの対義は身体を使う、になるのかしれんが、ヒトがどちらか一方だけを使うなど有り得ないし、その活動の比重が脳に偏っていれば偉い、と言うのは思い上がりである。
真面目にエンジニアになりたいやつは別として、漠然と「プログラミングでラクラク高収入」に憧れてる人間は他のエンジニアに興味ないんじゃないの?
他の業種にはそういうイメージがないのかもね
生業としている人間は大半は工業系卒であるから、まず学生のうちからその職を目指して進学してるもんなんだよ
で数年かけてその為の勉強をしてる
文系に進学したけどプログラマになりたいとか、やったことないけど未経験中途でプログラマにこれからなりたいというやつらにはまずその数年分の勉強に追いつく必要があるんだ
正直色々と頭の使い方も違う、若い頃から勉強してる奴に数年分だろうと劣っている差はめちゃくちゃデカい
そいつらに追いつくためにはそれなりの根性と自主的に学ぶ姿勢がないと無理なんだよ
先人たちがまず何かを作れ、っていうのはそのやりたいという根性と自主学習の能力があるか?というのを言いたいんだと思う
まず何がしたくて、どんなものを作りたいのか、それを少しでも自分の力だけで達成する熱量がないと転職してもすぐ挫折するぞってこと
なにがまずいかって、はっきり言えば、海外で作り放題なんだよね。
和牛と同じ。
海外に優良品種を横流しすることだってあり得るし現に起きてる。
ちょっとだけ専門的なことを書くと、「品種によってはコピーがくっそ簡単」
なんですよね。
だから、海外に流出するのを何とか防がないとまずい事例が実際に起きてるんです。
しかも、対象となっているのは「新しく開発された登録された品種」だけである。
要するに「いい品種が不心得者の農家にコピーされて海外に横流しされて勝手に栽培されないようにしましょうね」
ってだけの法律なんだよね……。
海外資本に種を独占されるとかいうのははっきり言えばプロパガンダであり、日本の品種の大半は日本の開発会社が作っている。
なんで潰れたかというと、「検察でめちゃくちゃやった反動がすごかった」ので政府がビビったというところだろう。
もしも小規模農家の経営を圧迫するというのならば小規模農家には「原則自家採種の登録料を安くする、補助金で実質免除」とかにしたほうがいいとは思う。
日本の農産物はあまりにも無防備で、「いいものを作っても横流しされて海外ですぐコピーされる」から、種苗会社が疲弊してるんだよね。
これ以上良いものはできないと言われた品種を、農家がすぐに海外に持ち出して、コピー商品を作られてしまう。
種苗法を改正して、もう少しだけハードルを上げようって話である。
今後、自家栽培された優良品種がまた海外でコピーをされて、問題になるまで待たねばダメだろう。しかし、「政府は何をやっていたんだ」と言われたら、「芸能界と世論と報道が反対しました」と返答するしかなかろうな。
和牛の件しかり、他の農産物しかり、「もうすでに火事が起きてる」のに、自分たちだけは安全だと思ってる。
農研機構の作り出した、「これ以上良いものはできないかもしれない」と言われた品種すらコピーされてしまったのが現状だ。
もうちょいいうと、日本の農業がハイテク企業に乗っ取られるのではとか、伝統品種が失われるとか。それらは法案を読めばわかるように誤解である。
どちらかというと、漠然とした不安による漠然とした反対であり、検察の不祥事でなし崩し的に消えたようなものである。
ブランド農産品種の苗木などを海外に持ち出そうとしても止める手段がほぼない。
「泥棒が横行してるのに政府は何をやってるんだ」と言われても、「捕まえる法律がありません」というのが、いまの現状なのだ。
「農産物を保護せよ、政府は何をやってるんだ」というが、海外に持ち出せないように種苗を保護しようとしたら、今度は政府の陰謀ですか。
どうしたものかな。
今後、ワイドショーで「どうして保護ずる法律がないんですか。政府は怠慢だ」と芸能人が言い出したら、「お前らが反対したからだよ」と、農業従事者はグーでパンチしてやってほしい。
取り急ぎ、いまは時期がまずいということで秋の国会で即決してほしい。
こういう記事に騙される被害者が出ないように俺が一言書いてやる。
証明のしようがないが俺はプログラマとして働いていて年収1200万、一応相応の技術も持っているつもりである。今は2社に所属しているのと自作プロダクトと投資で収入を構成しており、少なくとも1つの企業にしか所属したことのないような人、というわけではない。
いきなりだが、金のためにプログラマに転職するのはおすすめしない。正直に言えばプログラマは金回りが良い。努力の度合いと収入の割合で言えばかなりコスパが良い方だろう。あくまで主観ではあるが、コスパの観点で見た場合プログラマは医者や弁護士よりも上回ると思っている。
だがそれでもだ!金のためにプログラマになるのはやめろ!
というのも、「金のためにプログラマに転職」するやつが真っ当な職場と給料を得られるのは困難だからである。世の中には「気づいていたらコンピュータに慣れ親しんでいた」「パソコンの内部を知ると楽しいし、調べることは全く苦ではない」というやつがたくさんいて、そういうタイプじゃない限りプログラマはおすすめしない。経歴詐称アンドIT企業を自称するブラック人材派遣業コースに陥る可能性が高く、収入も幸福も得られないだろう。
コンピュータに興味があるお前!仲間だな!でもプログラミングスクールには 絶対に 入るな!いいか、絶対だぞ!
はっきり言う。まともな技術力を有している企業、つまりプログラマがそれなりに稼いでいる企業では、「プログラミングスクール出身」というだけで採用は見送る。これはガチだ!ガチ中のガチだ!
なぜかって?理由はいくつかあるが、まず大前提として「プログラミングスクール出身者は役に立たない」からである。また、「プログラミングスクール出身者は役に立たない」という意見はネット上にいくらでもあるのに、プログラミングスクールに入学する時点で情報リテラシーに問題があると言わざるを得ない。「でも中にはすごい人もいる」と反論するかも知れないが、これは確率の問題だ。いいか、まともなエンジニアになりたいならプログラミングスクールに入ってはいけない。これは俺個人の意見ではなく、IT企業の総意と受け取ってもらって構わない。
プログラミングのいいところはパソコン1つあればできるところである。
全部独学しろとはもちろん言わない。でも入門本を買って読み耽るくらいのことはできるはずだ!まずはそこをクリアしろ!
プログラミングに詳しくない人がこの業界に来たら、本の値段が高いことに少々びっくりするかも知れない。基本的には2000円以上するし、5000円やそれ以上もザラにある。ちょっと高いかも知れないが、ここで戸惑ってはダメだ! なぜなら情報は値段が高いのだ!! 情報は値段が高い、形が無いのに驚くほど高いものもある。いいか、それでも本は激安だ。クッソほどコスパが良いからここでケチってはいけない!
入門本を全部読めとは言わないが、まず本を買って雰囲気を学ぼう!ライバルがプログラミングスクールをどこにしようか選んでいるうちにお前はプログラミングそのものを学べ!!!
プログラミングスクールに入らず入門本を読めと言ってもゴールが無いとモチベーションが湧きにくいかも知れない。ここでモチベーションがわかないやつがプログラマとしてやっていけるのか疑問という思いもあるが、一旦それは置いておこう。ゴールが欲しいなら、ITパスポートを一旦ゴールと置いてもいいが、この資格のパワーは期待してはいけない!
ネタではなくマジなことを言う。ITパスポートの資格パワーで採用されるかどうかが変わる企業なんてのは技術力がゴミ企業しかないのだ!!!まともな企業では誰でも取れるITパスポートなんぞには全く興味無いのだ!むしろ嘲笑されることもあるくらいだ!いいか、その程度のものなんだぞ!!
では取ったほうが良い資格はあるか?というと、無い。未経験者や初心者の資格の有無なんてまず気にしない。稚拙でも自分で作ったWebサービス1つあった方が何倍もいいぞ!!パクリでもいい、デザインなんて適当でいい、それでも自分で Web サイト作ったほうが何倍もいいぞ!!!
補足だが、効力ある資格というのは世の中にはもちろんある。CCNAとかな。でもこれは未経験者が取れる代物じゃないから全くの対象外だ。
これもIT業界に限った話ではないが、やりたいことのイメージが無いと迷走することになるぞ!
Webサービス作りたいとか、スマホアプリ作りたいとか、漠然としたイメージがあるだろう。それをもっと探求して、何をやりたいのか考えろ!じゃないとそこにたどり着くまでの道が見つからないぞ!!!
プログラミングを活かせる場所はいくつもあるのですべてを網羅することなど不可能だが、Webサービス、ゲームなどのスマホアプリ、3DCG、ネットワーク、データ分析、金融、医療、ロボット、軍事、など多岐にわたる。3年後や5年後、どういうことをやっていたいか?ということを自分の胸に問いかけろ!!
最短ルートを言う。Twitter でまともなエンジニアに声をかけてマンツーマンで教えてもらえ!
中堅エンジニアでも月15万ほども払えばマンツーマンで教えてもらえるだろう。若手なら月10万でもやってくれる人もいると思う。これで週2〜3、1〜2時間程度のオンラインでやり取りで換算だ。
より技術力のある上級エンジニアなら月20万で受けてくれるかどうかって感じだ。プログラミングスクールと値段変わらないとかむしろ高いじゃんとか思うかも知れないが、プログラミングスクールの100倍意味のある指導を受けられるぞ!!!それに短期間で身につくことも換算すれば割高ではない。
これが一番効率がいい。マジだぞ!現場で働いてるやつに直接指導してもらおう。ちなみにIT界隈は副業に寛容だからその点は問題ない。
そして自分が作りたかったものを、小さなものでもなんでもいい、本当に小さなものでいい、一個作って公開しろ!!!!
産みの苦しみを経験してものづくりしたやつはすごいんだ!!ITパスポートの100倍は効力あるし、プログラミングスクールの5000兆倍すごいぞ!!!それをIT企業に持ってって、作るモチベーションとか作ったときの苦労を言うんだ!あと改善したい場所とかもな!!そうすれば採用だ!!!
技術力と年収は必ずしも一致するものではない、という前提をまず理解しよう!
年収400万未満: 全然勉強とかしてないんだね。ブラック企業?
年収500万程度: 若手ならまぁ悪くないね。中堅で500万?転職しないの?
年収600万程度: いいんじゃない。必要に応じて技術書を読む程度。まともな企業の最低限ライン。
年収700万程度: コンピュータが好きで勉強してたらこのくらい。よくあるゾーン。
年収800万程度: 狭くても特定の領域で何か秀でた技術がある人。理解度が高い。
年収1100万以上: 人並みよりある程度優れた技術力に加え、ちゃんとアピールもできる人
厳しい部分もあるし良い部分もある。楽して大金ゲットはできない!
一体どうやって生きていけば自分の自己肯定感が満たされるのかまったくわからないことに気がついた。もともと典型的に自己肯定感が低いタイプで、一時期はそれで鬱になった。自分に取り柄がないと常に感じているし、普通の人から見たら被害妄想に見えることばかり考えている。
だから漠然と、誰かに褒められたりしたら自分のこと好きになれるのかなあ、とか、そうじゃなくて自分で自分のこと好きになれるのが自己肯定感なのかなあ、とか思っていた。
ただ最近、じゃあ逆に何をすれば自分の自己肯定感は満たされるのだろうと思った時、まったく思い浮かばないことに気がついた。
何かしらの才能を認められた時? いやそもそも才能がないわ。
無条件に誰かに好かれた時? 一生来ないです。もし仮に万が一何かしらの奇跡が起こって街中で誰かに急に自分のことを好きと告白されても、絶対に怪しむし、その人がたとえ知り合いでもいやそんなことないだろと一蹴するに違いない。
何をしたら自分は自分を認められるのか、そのビジョンが見えないのに満たされることばかり考えてた。
満たし方のわからない、底が見えなければおそらく穴も開いてる漠然とした「自己肯定感」という容れ物に水を注いでる気分だ。それにそもそも、水を入れるのが合っているのかすらも分からない。
「なんかよく分かんないけどこれ一杯に水を入れれば満足できるかな……?」と思って一生懸命自分なりに水を注いでいるけれど、永遠に満たされない。どころか、水を入れるという動作自体も苦しくなってきている。
助けてほしい。
まさにバブル崩壊直後の話だった。
両親が険しい顔をして小声で話し込んでいるのを遊びながら横目で見ていた。
その時はただおじがなくなったという話だけを聞いた。
葬式に参列したとき、口の軽い別のおじから「あいつは自殺した」と聞かされた。
両親もその場にいたが、そのことを隠したかったみたいでバツの悪そうな顔をしていた。
そのおじのことは嫌いだった。
見た目もしゃべり方もチンピラ風で、小学生の頃はいとこと遊んでいるところを何度も邪魔されその都度泣かされてばかりだった。
親戚の集まりではいつも遅れてきてくるばかりか大抵の場合すでに酔っ払っていた。
早々にお金の話を始めて、自分の羽振りの良さの自慢ばかりしていた。
父の妹の婿さんだったが、先に来た妹が兄弟に囲まれて泣いている姿も何度か目にしたこともあった。
おじの子どもたちは自分より年上でおじとは似つかないほどにしっかりと誠実な印象だった。
しかしながら酔っ払って大騒ぎするおじを止めるようなことは一度もなかった。
受け入れていると言うよりは諦めている印象だ。
その当時、こんなにも周りを敵に回して、この人はなんて強い人なんだと自分は思っていた。
こういう無神経な人が世の中で幅を利かせて思い通りの人生を生きていくのだと思っていた。
悲しいとか、ましてや嬉しいとかもなく、ただただ驚きがそこにあるだけだった。
そんな自分も今年で45歳になった。
正確には覚えていないが、おじが自殺したのと同じくらいの年齢だ。
10年前に滑り込むように見合いで同世代の女性と結婚をして、なんとか2人の子宝にも恵まれた。
おじの存在はいつも心のどこかに引っかかっていて、自分はそんな大人になりたくないといつもブレーキのように行動を見直させてくれた。
これから先の未来においても、回復は絶望的ではないかと思えるような状況だ。
就職氷河期直撃の世代なので、仕事を選ぶことなんてできなかった。
当時から底辺と言われるような業種だったが、働けるだけましだと思い、一生懸命ここまで走り続けてきた。
なんとか生活も安定してきて、自分はおじのようにならずに済んだとほっとし始めていた矢先だった。
このまま全てを失うかもしれない。
業態ごとなくなってしまえば、もう1から何かを始められる年齢ではない。
今はまだ病気なんかに負けたくない気持ちだけで生きる気力をつないでいるが、コロナが落ち着いて経済を再建していく上で、皆が順調に再建していくなかで、業態ごとなくした自分はどうなってしまうのだろうという不安に押しつぶされそうになる。
そんな人間と一緒にいるくらいなら、なんとかまだ働いて行けている妻の親元に子供ごと帰らしたほうがよいのではないか。
自分ひとりなら惨めな思いは耐えられるかもしれないが、家族に惨めな思いをさせるのは耐えられないかもしれない。
あの時、バブルが弾けて全てを失ったおじも同じことを考えていたのだろうか。
30年以上も過ぎていまさらあのおじに苦しめられるとは思ってもいなかった。
仕事や学校のストレスから開放されたからともっともらしい理由が書いてあったが、自分は違うと思った。
なぜなら、生物は死ぬかもしれない状況になると生きたいと思うようにできているからだ。
常々、自殺に至るメカニズムは「死にたい」が原因ではないと考えている。
むしろ「生きたい」と考えるからこそそれがかなわないことに絶望するのだ。
周りが生活を再開して生き生きとし始めた時、自分だけが取り残されていると感じたらどうだろう。
「生きたい」のに「生きられない」と感じた時、心の引き金を引かないでいられる自信がない。
気が付かないままに自分もいつの間にか気高い存在になってしまっていたのかもしれない。
これを書いている最中でさえ、心は激しく浮き沈みを繰り返している。
全てを失った時、心の外側にべっとりと絡みついた贅肉のような傲慢さも一緒に取り除くことができるのだろうか。